その嘘ほんと
じょーじょーと、おしっこする。
そんな夢を見た朝は幼ない頃なら、おねしょしていた。大人になると無意識のうちに自制心が働くのか、どれだけ夢の中でおしっこしても現実にはしていない。しかし、だ。大人をゆきすぎると子供に返るらしく、しかぶるので、おむつが必須になる。
「むーちゃん、ごめんねえ」
仏間兼寝室で、お漏らしした母はぐすぐすと泣く。少々狂った頭でも羞恥心はあるのか。娘の私に怒られると怯えているのか。母の心はわからない。ただただ、しっかりしていて清潔好きだった母のかつてのようすを思い、私も泣けてくる。
「気持ち悪か」
おむつの端からこぼれたおしっこが布団を濡らしていた。母は涙でぐちょぐちょの顔をしかめる。私の選択は失敗していた。ちょっとでもおむつが大きいと尿漏れする。けれど小さいと足のつけ根を締めつける。うまくいってなかった。
「死にたか」
母がぼそりとつぶやく。呆けているくせに時々みせる自我が母をあの世へ連れて行く。
「そいなら、こっちへ早う来んか」
仏壇から現れた亡父がおいでおいでをする。調理白衣と前掛けの、すし職人の亡父は青信号を渡る途中で心臓が止まり息絶えた。握り鮨を手に横断歩道まで持っていき、どうしようとしたのか謎のまま。
「死んだはずだよ、お父さん」
つい、お富さんの節で歌ってしまった。
「春子がおいの所にいっちょん来ん。待ちきれんから迎えに来たとぞ」
亡父は死人とは思えぬ、なめらかな滑舌で、春子よう、と母の名を呼んだ。ただし、死んだはずと私に指摘されて顔が白骨化しだす。私の現実主義に完敗。
「家族なら、お母さんの長寿ば願うてくれんね。超能力で支援してくれんね」
そうだ、そうだ。惨めな人生を助けて欲しい。人は生きてるうちは無力なのに、死ぬと不思議な力を持つようだ。そう、どの霊能師も告げている。
「願うても何もならん。おまえもきつかやろもん。おしっこやうんこば垂れ流す年寄りの世話、もうしきらんて嘆きよったたい」
「そがんばってん。えいやあ、ってうちらを幸せにしてくれんと?」
「無理たい。おいにそがん力はなか。だけん、おまえの母さんは、おいが連れてくっ」
亡父は母の手を引いて、心中の道行きよろしく、ない足で歩いていく。歩けないはずの母も立ち上がり、いそいそと亡父について行く。ああ、そこは黄泉比良坂。
「おまえも来っか?」と亡父が振り返る。「男に捨てられて結婚もできんで寂しかろ」
「言わんで。来っ」
おむつを投げすて、低賃金の明日の仕事を投げすて、男への執着を投げすて、もろもろの悩みを投げすて、楽しいときは忘れて、闇に向かって小走りで行って母と手をつないだ。
亡父が握り鮨を落として私の手をとる。私たち三人は輪になってぐるぐる回り、あの世へと向かっていった。
おしっこのない世界へ。
執筆の狙い
SF書くつもりで全く違うモノになってしまった。シュールな感じが出せてたらいいのですが。
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