昔は良かった
白い川が見えたとき、私はとうとうかつての地球ではなくなったのだと落胆した。住み続けたタワーマンションから十キロも離れた、くたびれた遊歩道の先を流れる、ある川である。私は八年前から、自宅の近辺を徘徊することで生きていた。外の空気は悪質で目に染みるが、それ以上に楽しめるものが周りにはあった。葉が生えなくなった松の木、二ヶ月前から土に放置された鳥の死骸、崩れかけた家の奥で男が苦しむ音、顔を分厚い布で保護された子供たち、黄色い霧が晴れることのなくなった空……徘徊用の白かったシューズは、黒く染まるたびに四回買い換えた。私は飽きてきていた。近場の様態など蟻の巣の痕跡の位置まで覚えてしまっていたのだ。そこで私はある昼間、背中は痛むが、今日こそうんと遠くまで歩いてみようと決意した。ところがそれが失敗だった。未だ美しいと噂されていた青いはずの川が、流れる微音はきっとそのままに、白じろと醜くなっていたのだ。私は老いた川に内心謝った。私がもう少々早く川に会えていれば、誤解したまま死ぬことが出来たに違いないのだ。
黄色い霧が包む中に、円盤状の物体が、下面に青白い炎を照らし、空一面にまだらに広がっている。四方八方に直進し、ときには止まり、別の物体の通過を待っている。地球の死亡は彼らの責任だ。あのかわいらしい怪物のことを、私の世代を含む過去の人間は「U F O」と呼んでいた。ところが、もはや世間一般的に未確認ではなくなった現在、すっかり「飛行機」という呼称が定着している。かつての胴が長く翼の生えた馴染みの飛行機は、今や旧型の低性能な乗り物の地位まで堕落し、レトロな粗品としての価値しかない、過去の遺物となってしまった。私の甥も、学生時代の友人の息子も、行きつけの老舗の居酒屋の店長の息子も、皆あの忌々しい飛行機の操縦免許を取得している。彼らはかつて宇宙人の乗り物とされた飛行機を自分が操縦していることに、もはや何の興奮も覚えていないらしい。今や全国に、一般向けの駐機場が多数設けられている。人々にとっての主要な「道」が地上から空中へ移行したことで、目的地への直線的な移動が可能となった。法律上、飛行速度に制限はあるが、明らかに守っていない機体も散見される。種類によっては宇宙空間を飛行出来るものもあるようだが、S F的世界観で言うワープ技術が確立されていないため、例えば個人が異星へ旅するためにはまだ相当な技術の発展を要すると考えられている……技術の発展は人類の自殺である。飛行機の出現はSF作品に憧れた誰かの知能の暴発である。飛行機はその重量のある機体を、低速のまま空中で維持、制御出来るだけのエネルギーを発する必要がある。そのため飛行機の稼働に特化した、低コストかつ発熱量の大きい燃料が開発され、未だ残存する自動車向けのガソリンスタンドの一部には、その燃料の補給のための区画が追加された。しかしその凶悪な燃料は、燃焼時に生じる大気汚染物質の排出量が莫大である。当然燃料の満たすべき規格を定める法は生まれたが、より環境面に配慮した燃料の開発が大して捗らないまま、機体の世界的な普及だけは進んでしまった。おかげでここ数十年、世界的に呼吸器系の病の患者数が急激に増加している。加えて水への溶解度が高い汚染物質は、雨に混じり、地上に降り注ぎ、川や湖、果てには海をも白や黄色に染め上げているのだ。しかし飛行機の操縦者たちに悪気などない。彼らは仕事や息抜きの旅行のために飛行機を活用している。彼らは生きるために地球を傷つけなければならないのだ。私は頻繁に聞く飛行機同士の接触事故の報道を鼻で笑いながら、身内の不幸の報だけは聞かずに死ぬことを願い続けている。
あの頃は良かった。あの頃は本当に良かった。スマホの充電の完了を心待ちにしていた。ショッピングセンターの地下でソフトクリームを食べた。品数の限られた自販機の飲料の選択が趣味だった。雨の日の濡れた傘や晴れた日の無駄な傘が荷物だった。故郷のあの地が野原だった。ネットの名も無き怪人たちの反応が怖かった。そしてそれの何が良いのか、はっきりとは説明出来ない。
現代のネットは過去のそれより窮屈である。常時世界中から監視されているような抑圧に耐えなければならない。数十年前、従来のものとは異なる準フルコネクト型のネットワークシステムが一から構築され、個々の人間同士の「接続」が強固となった。釣りの仕方が書かれたサイトを検索することは出来ないが、釣りのプロに直接コンタクトが取れるという地球規模の電子的な別社会である。従来のネットが悪びれず備えていた匿名性がほぼ完全に消失した結果、誹謗中傷が原因の自殺者は減った。しかし私は、本性を剥き出しにするあの時代の人間たちの方が、一層人間的で温かみがあったと思う。今の時代の若者は、平板で無難な物言いしかせず退屈である。瞳が常に真っ直ぐで、まるでかつてのA Iのように無機質な生物に退化している。是非とも私どもを見習って、人を攻撃することを覚えて欲しいものだ。
現代の人間は、A Iの生産によって生殖している。自らより優秀な存在に人間世界を支配させようとしているのだ。自由意志を有すると認められる基準に達したA Iが人間に詐欺行為を働いた際、短期間または長期間の懲役刑を課す法律は以前から存在していた。しかし数年前、そのようなA Iが他のA Iに詐欺行為を働いた際にも罰せられるよう法改正がなされるという事件があった。人間はますます、非人間を人間扱いする不気味さを増している。人間型ロボットとの恋愛を尊重する風潮が生まれつつあり、近頃はとうとう、壊れた人間型ロボット向けの墓地を建設する地方公共団体が出現してしまった。時代の変遷の代償である。文明を発達させたがる人間は狂気である。
それでも私は、近所の散歩に輝きを見出してきた。稀に路肩に生き続ける小ぶりのコスモスが、おだやかに揺れ、無音で鳴き、私を慈しんでくれる。若かりし頃の清潔な地球を思い出し、あの時代に生きていた全ての人々の影が蘇るのだ。しかし最近は、歩行することすら億劫に感じてきてしまっている。背中がしきりに痛むからではない。両の肺を廃らせる癌が発覚したのである。
執筆の狙い
未来の高齢者による投書という体裁で書きました。