けものたち
一
半田洋一・四十三歳、世間的にはまだ若いと言われる年齢だが、洋一はもう十分仕事をして来たし、それなりの資産も築いてきた。大学卒業と同時に始めたIT関連の会社は、今は若い社員たちだけでしっかり成長し続けているので、数年前から、いつ、社長職を退こうかと考え始めていた。そして、今年春に、創業当時から一緒にやってきたひとつ歳下の副社長に社長職を譲って、この北陸の田舎町、福井で暮らすことになった時には、なぜか昔から,そうすることが決まっていたかのように感じたものである。
洋一はこの業界に詳しかったわけでは無い。大学を卒業した年に、これから何かで生きてゆかねばならないと思った時、たまたま注目されていたのがこの業界だったので、収入を得るために、当時まだ学生だった後輩の二人と共に、最初は彼のアパートで、互いのパソコンを持ち寄って業務を開始したのである。
学生時代は部活動として、美術部に籍を置いていたのだが、絵を描いて暮らしていけるほど甘い世の中でないことは分かっていた。
二つ歳下の妻の昭子とは、洋一たちが美術館で作品の発表会を行ったとき、会場に設けられた茶席を、昭子がボランティアで手伝いに来ていた縁で知り合った。当時美術部の部長をしていた洋一と、女子大の茶道部から派遣されてきた昭子と、打ち合わせのために会ったのが最初である。何事にも積極的で行動派の洋一は、着物の良く似合う、淑やかな昭子とたちまち意気投合して、お茶会に誘ったり双方の学園祭のイベントに呼んだりして付き合いを深めていたのだが、昭子の大学卒業と同時に、洋一から受けた結婚の申し出を、昭子は迷わず即決で承諾した。
昭子もまた、福井という、こんな、縁もゆかりもない街に住むことになった事に全く抵抗感はなく、洋一の提案を至極当然のことと受け止め、とても喜んでいた。
十五年ほど前に初めて福井へ来て、越前海岸の民宿で新鮮な魚料理を食べた時には、思わず顔を見合わせて、こんな美味しいものが世の中にあったのかと、二人で感動したものである。それ以来、年に一~二度は必ずやって来て、スケッチブックを手に越前海岸をドライブして、馴染みとなった民宿の魚料理に舌鼓を打ち、養浩館(ようこうかん)庭園や朝倉遺跡、恐竜博物館などを見学したり、苔に覆われた平泉寺の参道を歩いたり、冬にはスキージャムで滑ったり、そして夏には若狭の海で泳いだりして、すっかり福井の虜になってしまっていた。
福井ならどこでもよかったのだが、住むとなったらやはり便利なところがいいので、博物館や美術館、図書館や、広い公園などが点在する福井市北部の灯明寺地区にあるマンションを住まいと決めた。
二
洋一たちの福井での毎日は朝の散歩から始まる。東京にいた時は毎日仕事で飛び回っていたので、わざわざ散歩に出掛けなくても運動不足になることはなかったが、こちらではそうはいかない。大雨や台風など、よほどの悪天候でない限り、いつも夜明けと同時に二人で家を出て、三十分か一時間ぐらい歩いて、帰ってから朝食を摂るようにしていた。
車で通り過ぎるだけでは分からない裏通りの小さな店や 、住んでいる人の人柄が偲ばれるような、個性のある新築の家など見て歩いていると楽しく、今日はどの辺りを歩こうかと迷うのも、東京で仕事に追われていた時には味わうことが出来なかった楽しみである。
そうしたある日、時々出会う、ラブラドールを連れた中年男性から声をかけられた。いつもは、
「こんにちわ」とか、
「お早うございます」
とだけ言って通り過ぎるのだが、その日は、
「最近よく見かけますが、昔からこの辺りにお住まいなのですか?」
と聞かれ、
「いや、三月(みつき)ほど前に引っ越して来たばかりです」
と答え、それからは会うたびに少しずつ会話も増えてきて、山田康介という、その人と出会うのが楽しみになって来た。
ある時、女性が連れて歩いている犬が、半田夫婦を見て尻尾を振って近づいて来たので、その人が山田康介の妻の加奈子だとわかり、加奈子とも声をかけ会うようになった。旦那が不在の日には加奈子が犬の散歩をしているのである。聞いて見ると康介も、妻の加奈子も四十三歳と四十一歳で洋一たち夫婦と同じ歳だとわかった。
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山田康介はヨーロッパのアンティーク小物を収集し、販売するのを仕事としていた。以前は繊維製品のブローカーだったのだが、趣味で海外旅行に出かけた時、イタリアの田舎の町の裏通りで売っていた古い生活雑貨が気に入って、少しずつ買って帰るうちに、それが貯まってきたので店に並べておいたら、それを欲しいというお客さんが現れて、そういう人がだんだん増えてきて、繊維の仕事が少なくなって来るのとは反対に、今ではそれが本業のようになってしまったのである。
そして今では趣味と仕事を兼ねてヨーロッパ各地にある、そういったアンティーク小物の商社を訪ね歩く仕入れの旅に、二~三か月に一度は出かけるようになっていた。
康介の店は半田家のマンションから五百メートルほどのところで、住宅地を背にした、かなり広い通りにあったが、走る車は少なく、雑貨店やイタリアンレストランなどが点在する静かな落ちついた雰囲気の街だった。康介の店もそうした街によく似合った構えで、食事帰りに、新しい商品が入ったかと立ち寄る馴染みの客も多かった。
さほど儲かる仕事ではないが他に繊維商時代に建てたアパートの家賃収入もあり、生活は安定していた。
妻の加奈子も以前は一緒によく旅行に行っていたのだが、店の客が増えてきたのと、犬も飼っているので、今ではほとんど康介一人が仕入れの旅に出掛けるようになっていた。
加奈子は好奇心の強い、何事も積極的な、そして思いっきりの良い、活発な女性だった。店で留守番しているだけの生活には飽き飽きしていたので、半田夫婦と仲良くなるにつれ、閉店後に彼らを店の奥の自宅に招いて、中庭でバーベキューをしたり、半田家のマンションを訪ねて、洋一の描いた絵や、昭子の活けた花を見て、お茶を頂いて、おしゃべりをするのを楽しむようになった。昭子から誘いがあるといつも康介を追い立てるようにして出かけるようになっていた。康介が旅行中のときは加奈子一人でも自宅に半田夫婦を招いたり、半田家のマンションにふらりと立ち寄ることが多くなっていった。
半田夫婦としても福井には他に知り合いもいなかったし、気の合う山田夫婦との付き合いは楽しかったので、加奈子の誘いには喜んで付き合ったし、康介が旅行中で、加奈子一人だけの時には毎日でも家に食事に招いたりする事もあった。昭子は料理も得意だったので、加奈子の訪問が続いても気にならないどころか、来ないと寂しく思うことさえあった。
両家は親友というより、次第に家族のような付き合いをするようになっていった。
三
洋一は風景画を描くことを趣味としていた。会社を立ち上げてからは忙しくてゆっくり絵を描く時間は無くなっていたが、福井へ来てからは暇があるとスケッチブックを持って出かけるか、自宅でキャンバスに向かう毎日であった。
康介がときどきヨーロッパ方面へ仕入れに出かけているのを知って、洋一も時にはスケッチブック持参で同行するようになっていた。康介がイタリアの田舎町で裏通りを歩くとき、洋一も一緒について行って街角でスケッチをするか、または一人で海岸へ向かってイーゼルを立てるときもあった。
そうして描いた絵が増えすぎてしまって困っているのを見た山田康介が、
「売れるかどうか分からないがうちの店に飾って見ないか」
と言ってくれたので、
「それはありがたい。値段はいくらでもいいので置いてみてくれないか」
と言って四号から二十号までの油絵を数点、預けることにした。
いくらでもいい、とは言っても書くのに要した時間や画材の代金など考えると、最低でも五万円~二十五万円ぐらいの値をつける必要があると康介は考えて加奈子に値付けと飾り付けを頼んだ。
特に絵の詳しい人でなくても、丁寧に描いた美しい風景画は見ていて心を豊かにしてくれるものである。何度も訪れてじっくり見て、買っていく人が一人、二人と出てきた。加奈子もそういう客との会話を楽しんでいるようだった。
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あるとき、加奈子が、店先で客と話しているのを見た洋一はメモ帳にサッとスケッチを描いて持ち帰り、キャンバスにそれを再現して見た。洋一がこれまで書いたのは、ほとんど風景画ばかりで、人物画としては学生時代に仲間数人とモデルを雇って描いたとき以来だった。しかし、この時の加奈子の絵は我ながらなかなか良い出来だと思ったので、きれいに仕上げて加奈子にプレゼントすることを思いついた。
しかし仕上げるためには、やはり前に座って微細な色合いなど最後の調整が必要だったので、夕食を招待しがてら、山田夫婦を呼んで加奈子に見てもらうことにした。
「わあ、素敵!これが私?」
加奈子は大喜びだった。その日は三十分ほど、さらに翌日、お天気も良かったので加奈子に来てもらい、ベランダを開け放ち、太陽光の下で最後の色の調整をした。
出来上がった絵を受け取って、お金を払うと言っても、勿論、洋一が受け取る筈はない。何かの形でお返しをするという事にして早速それを店の奥の応接セットのうしろに掛けた。何度も何度もそれを見ては楽しんでいた。
売り物では無いので値段はつけてなかったが、モデルがその店の奥さんだという事は一目で分かるので、常連の中には、
「この絵を分けてくれないか」
という人が出てきた。
「それは出来ないわ。いくらお金を積まれてもそれは無理よ。
これは私の宝物だもの。
でもよかったら絵描きさんを紹介するわ。だから誰かモデルさんを決めて描いてもらいなさいね」
「いや、この、奥さんを描いた絵が欲しいのだが、もう一度、モデルになってはもらえないかね」
「やだわ。若い子ならいいけど、こんなおばさんなんかをモデルにしてどうするの?」
「まあ、そう言わずに頼むよ。この絵のような落ち着いた雰囲気は若い子では出せないと思うのだが・・・
それはともかく、その絵描きさんはいつ紹介してもらえるかな?」
四
その客、横田泰三は、加奈子から紹介を受けて、早速、洋一の自宅兼アトリエを訪ねた。
そこにある絵はほとんど皆、風景画である。もちろん、それはそれでいいのだが、横田はどうしても、あの加奈子の絵が欲しかった。だから、
「同じものをもう一枚書いていただけませんか?」
と頼んだのだが、洋一は気が重かった。
創作は楽しいが、同じ絵の二枚目を描くのは単なる労働である。洋一は商売で絵を描いているわけではない。まして人物画は洋一の得意分野ではない。
「せっかくですが、それは出来かねます」
と答えた。
しかし横田は諦めなかった。
「そう言わずになんとかお願いします。加奈子さんにもお願いしたのですが、あの絵は素晴らしい。私は一目で惚れこんでしまって、あの絵を分けて下さいと言ったのですが、いや、これは私の宝物だと言って、どうしても譲ってもらえなかったので、こうしてお願いに来たのです」
「困りましたね。私は気が進まないのですが、それにしても描く以上は加奈子さんの許可も必要だし、だいいち、モデルとして座っていてもらわなければならないのですが・・・」
「分かりました。加奈子さんには私からもう一度頼んでみます。今日は突然やってきて無理なお願いをしてすみませんでした」
と言って帰っていった。
無理に押し切られた形ではあったが、洋一は加奈子さえよければ引き受ける気になっていた。
横田氏は加奈子の店の大事な常連客だろうと思ったし、絵のモデルを口実に加奈子と一対一で過ごせることも楽しみだった。
洋一は自分とよく似たタイプの加奈子に、妻の昭子には無い親しみを感じていた。前の絵のスケッチを描いたのはほんの思い付きで、それをあの十二号の額縁付きの油絵に仕立てるつもりは無かったのだが、家に帰ってキャンバスに向かったとき、加奈子の喜ぶ姿が目に浮かび、筆が進んでしまったのであった。
人間の心と身体は一体のものである。加奈子への関心が深まるにつれ、動作にもそれが表れ、言葉使いも立ち振る舞いも、知らない人が見たら夫婦かと思うような親しい関係になっていった。そういう空気は、当然、加奈子も同様で、女性の場合は身体から特殊なフェロモンが発せられるようであった。
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洋一たちが福井へ来てから、もう一年半になろうとしていた。
そんなある日、事件は起こった。
ある日、洋一たちのマンションに康平夫婦が来て一緒に夕食をとっている時、加奈子がふと、酒の酔いも手伝って、
「ねえ昭子、今夜一晩、旦那を交換しようか!」
と言ってしまったのである。
一瞬、その場が凍りついてしまった。
時間が止まった。それはほんの二~三秒間のことではあったが随分長く感じられた。実はその時は、康介も、洋一も、そして昭子までも、口には出さずともそういう雰囲気になっていたのである。そんなことが、特別あり得ないことのようには感じなくなっていたのである。洋一は今の加奈子の発言が自分の口から出たのではないかと錯覚したくらいである。
しかし、一瞬ののち、加奈子が、
「あはは、みんな本気にしてる!! 冗談冗談‼」
といったため、表面上は冷静を取り戻したかのように見えたのだが、・・・・・・
数日置いて今度は山田家の中庭で加奈子の手料理、(と言っても、ピザやサラダなどが中心で、さほど手のかかったものではないが、)を頂くことになった。
洋一は言った。
「加奈子さん、この前はびっくりしたよ!! でも残念だったな。俺、加奈子さんを押し倒してみたかったなあ!」
「あら、じゃあほんとうにそうすればよかったのに、ねえあなた」
「あっはっは、いいじゃないか、ほんとは、あの時君が冗談冗談!と言わなかったら誰も反対しなかったと思うよ。ただ俺は昭子さんとは、そういうのでなくて、お茶をいただいて、静かにお話しして過ごしたいと思っていただけだがね」
「私も洋一が加奈子さんとそういう関係になっても、きっと嫉妬する気は起きないと思うわ。康一さんだって、嫌がる私にそういうことを強いるような人ではないし、少し時間をもらえば、きっと、いい関係になって行くような気がするわ」
冗談を装ってはいても、その場の雰囲気はぎこちないものだった。洋一はなにかそのことに触れないとかえって不自然な気がして、冗談めかして言ったのだが、なんとなくよそよそしい、口から出る言葉と、思っている事とが違うという、虚しい空気の流れを感じ取っていた。
昭子は、自分が加奈子からの突飛な提案を聞いたとき、別段それが特別シュールな提案のようには感じていないことに驚いていた。自分の心の底に眠っていたものが、加奈子の言葉で目覚めたような気がしたのである。いったい、貞淑そのものだと思っていた自分という女は何者なのかと、不思議に思ったのである。
五
さらに数ヶ月が過ぎた。
この問題は、初めは誰も、後々のことを考えていたわけではなかった。夫婦が互いに相手を取り替えて一夜を共にする、などというのは現実にはあり得ない話だが、凄く魅力的な話のようにも思えた。しかし一度それをすれば、二度、三度となるのは必然的だったし、そうすれば、やがては近所の人にも知られることになったであろう。そして半田夫婦には東京で全寮制の宿舎に入っている高校生の息子がいたし、山田家には子供はいなかったが近所には弟や妹の家族も住んでいた。だいいち、間もなく東京一部市場に上場予定の会社の会長に、そんなスキャンダルの噂が流れたら、とんでもないことになる。
そんな事になったら、それはもう、取り返しの出来ない事態になり、まともに暮らして行けるわけがなかった。ようやく時間をおいてそういうことが実感として分かってきた時、なんて恐ろしいことを考えていたのだという事に、四人ともが気付き始めていた。
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半田夫婦が福井に引っ越してきてから二年近くになっていた。
半田はもう、会社が上場を果たしたのをきっかけに会長職も退いていたので、東京へ出張することも無くなっていた。しかし、筆頭株主であることは変わらないので年に数億円の配当はある。だが必要以上の贅沢をしたいとも思わないので、収入の半分以上をいつもボランティア団体などに寄付していた。
ある夜、四人で食後のお茶を楽しんでいる時、洋一は言った。
「なあ昭子、そろそろまた引っ越ししようか? ここも悪くはないが、今度はもっと暖かいところに住んでみるのもいいかなと思うのだが・・・どうだろう」
昭子はいつも夫のいうことには従順だった。実際、彼女が思っている事をちゃんとわかっていて、昭子が何も言わなくても洋一の方から提案することが常であった。
「そうね、私も大賛成だわ。沖縄なんかどうかしら? 加奈子さんたちと別れるのは寂しいけど、いつでも遊びに来てね。私たちもまた訪ねてきてもいいし・・・・・」
「ああ勿論だよ、俺たちも沖縄に行く口実ができるのは嬉しいさ。なあ加奈子」
「そうね、とびっきりスケスケのビキニを着て泳ぎに行くから、洋一さん、期待して待っててね」
「おいおい、大丈夫か、お前幾つになったんだ?」
「大丈夫よ。加奈子さんは、まだ体の線は崩れてないわよ」
二週間後、沖縄の石垣島での住む場所も決まり、衣類や家庭用品の大部分と、家具のうち愛着のあるものは新居に発送して、残りは山田家に譲るか、処分を委託して、スーツケース二つだけを持って小松空港から飛び立つことになった。
小松空港まで山田夫婦に送ってもらう事になったのだが、車内では四人ともが同じ思いにふけっていた。それは勿論、あの日の加奈子の爆弾発言とその後の気持ちの葛藤についてだった。
表面的にはなんの事件も起きなかったのだが、彼らにとって、その心の内は、一生、決して忘れることのない二年間の、めくるめく夢のような享楽の日々であった。
六
それから一年が過ぎた。山田康介と加奈子は初めて沖縄の半田夫婦の住む石垣島にやってきた。
半田夫婦が福井を離れてからも、康介の店で売るため洋一の絵を送ったり、一度は旅行先のヨーロッパの町で待ち合わせて逢うなどしたこともあったが、山田夫婦が二人そろって沖縄に来るのは初めてだった。
康介は、以前はアンティークの仕入れのために、一人で旅行をしていたのだが、洋一たちがいなくなってからは、加奈子は一人で留守番をすることを我慢できなくなり、店番と犬の散歩を近くに住む妹に頼み、いつも二人で旅をするようになっていた。
半田夫婦もまた、沖縄に来てからは大きな生活の変化があった。
洋一の描く絵は福井にいた頃は風景画ばかりだったが、沖縄に来てからは浜の女たちを描いたり子供たちを描いたりすることが多くなっていた。またこちらに来てから見違えるように日に焼けた妻の昭子をモデルにして描くこともあった。
昭子は、以前は家の中でお茶やお花を楽しむことが多かったのだが、あるとき洋一と共にシュノーケリングに出かけてからは、すっかりそれに魅せられてしまって、近くのダイビングスポットに、一人ででも出かけたり、近所の友達の船で誘い合って小浜島辺りまで出かけたりして、すっかりマリンスポーツの魅力に取りつかれてしまっていたのである。
それにつれて、昭子の性格も、今まで隠れていた部分が表に出てきたのか、家に引きこもってお茶やお花を楽しむことはほとんど無くなり、海へ遊びに行く時以外も、暇があれば浜のサーフィン仲間と海沿いのカフェでおしゃべりする事が多くなっていた。
すっかり変わって、まるで生まれながらの南国の女のような風貌になっていた昭子を見て、訪れた康介と加奈子を驚かせたのだった。
洋一たちの住まいは島の北側に位置して、漁師の家や民宿やレストランやカフェなどが点在する、南北に伸びる小さな部落にあった。
彼らはそこでの生活に満足していたのだが、初めて訪れた康介たち、とくに加奈子は、ひと晩過ごしただけで、退屈でどうにもならなくなり、なんでこんな、何も無い寂しいところがいいのかと不思議に思ったものである。
昭子は言った。
「そうね、きっと加奈子さんはそう言うと思っていた、でもここには豊かな自然があって、浜の人達はみんな親切だし、漁師さんは取れたての美味しい魚を持ってきてくれるし、洋一の画題にも事欠かないし、私にも海に潜って遊ぶ楽しみが出来たし、・・・・・」
七
康介と加奈子は五日間を半田夫婦と共に過ごした。彼らは康介と加奈子を退屈させないように竹富島や小浜島、そして西表島などを案内し、シュノーケリングに連れて行った。また、バーベキューで石垣牛や新鮮な魚介類を味わってもらった。村の人たちも遠来の客のために魚介類や地場野菜などを提供してくれたほか、沖縄三味線を持ってきてバーベキューの炉のそばで歌う人もいた。
洋一はここへ来てからの昭子の変貌ぶりに驚いていた。どちらかというと家から出ることは少なく、いつも家で花を生けたりお茶を点てたりする、控えめな、嫋やかな女だと思っていたのに、今はまるで生まれつきそうであったように、真っ黒に日焼けした体を気にもかけずに毎日飛び回っているのであった。
そしてそのことに一番驚いているのは昭子自身であった。あの、お茶やお花を楽しんでいた自分と、マリンスポーツに興じるいまの自分と、いったい、どっちが本物の自分なのだろうか分からなくなるのであった。
洋一の絵に現れた変化も大きかった。雄大な自然を描くことが洋一の信条だった筈なのに、今は浜の女たちの逞しい生き様を描くことに、生きがいを感じるようになっていた。康介の店に送った人物の絵はいずれも好評で、一人で続けて何点も購入しようとする人も出てきて、個展を開かないかという話もあったが、洋一はそんな話には興味はなく、煩わしいばかりなので何度言われても断っていた。
康介と加奈子も、初めて訪れた石垣島での半田夫婦の変わりように戸惑いを隠せなかった。康介にとって、憧れの存在だった昭子にはもう以前のような淑やかさは全く見られず、別人のような女に変貌していた。そして加奈子も、自分と同類だと思っていた洋一が、声をかけるのもためらう様な、近寄りがたい孤高の芸術家になってしまったように感じていた。
五日間の滞在を終えた山田夫婦と、彼らを迎え入れた半田夫婦は、それぞれの想いを秘めて石垣空港で別れたのであった。
了
執筆の狙い
前回、《スキー》を投稿したとき、夜の雨さんからは、くっつきそうでくっつかない所がいい、と、言われました。これもくっつきそうでくっつかないお話ですが、前のときと同様、自信作ではありません。男女の微妙な関係を描くのは得意ではありませんが、挑戦したいという気持ちはあります。
下手くそな作品ですが皆様のご指導、よろしくお願いします。