自我
物心ついて初めて記憶に残った風景は、狭い海峡を挟んですぐ向こう側に見える、隣国の豊かな大地であった。それは、万年雪を抱いた山脈の広々とした裾野であり、よく晴れて空気が澄んだ秋の日には、収穫を前にした農地が柔らかな黄金色に覆われている様子がはっきりと見えたものである。
それに引き換え、われらの国は山がちで岩肌が海まで迫り、耕せる土地は乏しかった。海峡は狭いがゆえに潮の流れが速く、あちこちで渦を巻き、隣国に渡るのはおろか漁に出るのすら容易ではない。だから険しい山肌をよじ登り、海鳥の巣から卵を手に入れたり、山腹を分け入った森の中で、木の実を取ったり動物を捕えたりして、先祖の時代から細々と命をつないできたのである。
ところが、わたしが成年に達するころから不順な天候が続き、山の恵みにもすっかり見放されてしまった。この貧しい領土を棄て去り、屈辱を忍んで豊かな隣国に助けを求めなければならないことは、もはや誰の目にも明らかだった。ところが、事ここに至るまで、われらは自分たちの国そのものの正確な地理を知らなかったのである。たとえ隣国に渡るにしても、どの地点から海に漕ぎ出せばよいのか?あるいは隣国と地続きになっている場所はないのだろうか?
われらは如何にして自分たちの領土を見定めることができるのか?若者たちを中心に、探索する部隊が幾つか編成され、そのうちの一つは危険を冒して背後の山岳地帯を登り切り、山頂から遥か遠方の海上や陸地を見渡す任務を担った。これに対して別の部隊、すなわちわたしが所属することになった部隊は、荒海が打ち寄せる絶壁に沿って伝い歩きしながら、海岸線を調査するという困難な使命を負った。しかし、いずれの部隊においても、若者たちの中で無事帰還できたものはほとんどいなかったのである。
わたしはかろうじて生き残った。同僚は皆、荒波にさらわれて海にのみ込まれたが、わたしはひたすら海岸線をたどり続けた-無益な結果をもたらすためだけに。というのは、気の遠くなるほど長い探索の旅を通じて、港に適した場所を見つけられなかったばかりか、結局ひと回りして出発した地点に戻ってきてしまったからだ。つまり、われらの国は孤島である、という事実を明らかにしたに過ぎない。われらの領土が、人間の孤独な自我にそっくりである、という事実を…。
執筆の狙い
初めて投稿致します。どうか宜しくお願い致します。この作品を書くきっかけは、間宮林蔵が日本の北方を探検して樺太が島であることを発見した、という史実を知ったことです。島という存在は、他の世界から孤立しているという地理的条件のために、寓意的な想像をかきたてるところがあり、その想像の一つに形を与えたい、ということが今回の執筆の動機です。ご感想をお教え頂ければ幸いです。