こけし
お盆になると里帰りしたくなるのは、やはり私が日本人だからなのか。
そのような習性が刷り込まれているのだろうか。
8月になった。
今年も私は実家に向かってしまう。
そんなの当たり前のこと、と思う人もいるかも知れない。
しかし、過去を知っている者からすれば、私が律儀に里帰りする光景など、おそらくは想像できないだろう。
私は社会のはみ出し者だった。
さらにいえば、若い頃は一日も早く家を出たいと思っていた。
この家に生まれてきたことを呪っていた。
空を飛ぶ鳥のような自由が欲しかった。
そんなことを考えていた私が、自ら里帰りするとは……
あれこれ考えているうちに実家が見えてきた。
見ればやはり思い出してしまう。
子供の頃のことを。
私の体は、吸い寄せられるように実家へと向かう。
なんでこんな家に……
思いと正反対の行動をしている自分に苦笑した。
* * *
家に入った。
母はいないようだ。
私は誰もいない室内を見渡した。
蘇るトラウマの数々……
やっぱり、帰ってくるんじゃなかった……
私は仏壇に向かった。
普通の家では供えられていないものが、我が家には供えられている。
それは、こけし。
大きなこけしが仏壇に飾られている。
母の手作りだ。
じっと見つめていると、母がこれを作っていた頃のことが思い出された。
私は目を閉じ、回想にふけった。
* * *
我が家は母子家庭で、いつも、母に虐待されていた。
家を出たかったが、私には行く場所がなかった。
生き延びるために、必死で苦しみに耐えていた。
そんなある夜のこと。
ふと目を覚ました私は、居間で母が何かを作っているのを目撃した。
母はどこから借りてきたのであろうか、ろくろのような機械で木を削っていた。
このときは、私は何を作っているのか皆目見当がつかなかった。
何を作っているの?
と声をかけることはできなかった。
どんな罵声が返ってくるか、それを想像しただけで私は声を出すことはできなかった。
母に下手に話しかけると痛い目に遭う。
それは、私が身に沁みて分かっていたことだった。
余計なことは聞かない、話しかけない。それに限る。
24時間、母の機嫌が悪くならないことを祈りつつ私は過ごしていた。
数日経つと、ろくろを回す音は聞こえなくなったが、母はまだ何かの作業をしているようだった。
何を作っているのか、気になって気になって仕方がない。
見つからないよう、こっそり覗きに行く。
円柱状の木をカンナで削ったり、ヤスリをかけたりしていた。
こけしだ。
こけしを作っているんだ。
趣味で作っているのだろうか。
それとも、これは仕事なのだろうか。
はたまた、何か意外な目的があって作っているのだろうか。
聞きたくても私には聞けなかった。
藪をつついて蛇を出すようなまねはできなかった。
* * *
学校で友達に相談してみた。
母が夜中にこけしを彫っていると。
すると、友達は言った。
「いい趣味じゃん。あなたへのサプライズプレゼントなんじゃないの?」
はぁ……
そんな平和な話ならどんなにいいことだろう。
この友達には、私が母から虐待を受けていることは話していなかった。
私は言った。
「こけしってさぁ、なんか怖くない?」
「え? そうかな? かわいいじゃん」
「だってさ、こけしじゃなくても、人形ってさ、かわいいけど、なんか怖いっていうか……」
「あぁ、それ、何となく分かるかも。人形って捨てたらバチが当たりそうっていうか、そういう怖さはあるよね」
「うん。人形ってさ、魂が入っているみたいで、なんか怖い」
「でも、考えすぎだよ」
「それはそうかもだけど……」
私は幼い頃、人形遊びをした記憶があまりない。
少なくとも、自分の家で人形遊びをしたことはなかった。
母が買ってくれなかったのだ。
お友達はみんなかわいい人形を持っていた。
私もねだったことがあるが、母は鬼になるだけだった。
私は人形が欲しいという思いを押し込めていた。
人形に興味がないという暗示を、自分自身にかけていたのだと思う。
こけしを見ると怖いと思うようになったのは、こういうことも理由の一つかもしれない。
* * *
母のこけし作りは続いた。
仕事はコロコロ変わるくせに、こけし作りは飽きずに続いていた。
ついには塗料まで調達して、顔を描き始めた。
明くる日、学校で別の友人にこけしの話をしてみた。
すると、こんな言葉が返ってきた。
「こけし? あれさぁ、なんか怖いよね」
お! 私と同意見の人がいるとは。
「こけしってさぁ、なんかホラーじゃん」
私は気になった。
「ホラー? どうして?」
友人は続ける。
「だってさ、こけしってさ、子供を消すって意味なんじゃないの?」
「!」
私の頭から血が引いていった。
そうか……
私には思い当たることがあった。
母がこけしを作り始めてから、私にはあまりきつく当たらなくなっていた。
痛い思いをしないで済むのはよかったけど、母の様子がいつもと違うというのは、それはそれで怖かった。
今、答えが分かった。
私を消すつもりなのか……
だから、最近は機嫌がいいんだ。
いつもだったら、
「あんたなんて消えてしまえ!」
「あんたなんて産まなきゃよかった」
「あんたさえいなければ私はもっと……」
そんな言葉を浴びせてくるはずだ。
私なんて、いてはいけない存在。
ずっと惨めな思いをして過ごしてきた。
どうかそんな言葉を言われませんように……
そればかり願って生きてきた。
母から見れば、私は邪魔な存在なのだ。
子消し……
あのこけしを作ることで私を消し去りたい。
そういう願掛け……ということはないだろう……
私はそう思いたかった。
* * *
母がいないときにこっそりと、作りかけのこけしを見てみた。
顔が完成していた。
その顔は……私にそっくりだった!!
恐怖のあまり、全身の血が凍ったかのように思えた。
私は……消される……
その夜、私はいつも以上に怯えながら布団に入っていた。
「あんたなんて消えてしまえ!」
「あんたなんて産まなきゃよかった」
「あんたさえいなければ私はもっと……」
今までに母に言われた罵声が脳内に蘇ってくる。
その母の声はだんだんと大きくなり、私の頭の中いっぱいに響き渡った。
やめて……
もう許して……
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………
布団の中で必死になってつぶやき続けた。
だめだ……
怖い……怖い……怖い……怖い……
消される……消される……消される……消される……
その時、居間の方から
「できた」
とつぶやく声が聞こえてきた。
どうやら、完成したらしい。
カシャッという音も聞こえてきた。
きっと、作品を撮影したのだろう。
母がこけしを作っている間は、私はおそらく殺されないだろう。
しかし、今、こけしは完成してしまった。
これから私は消されてしまう!
こんなところで寝ている場合ではない。
私は居間に飛び出した。
母と目が合う。
また何か怒鳴りつけられるのだろうか。私は身構える。
しかし、母が見せた表情は意外だった。
ニヤリ
母は私を見て微笑んだ。
そんな母の顔、今まで見たこともなかった。
いつも私に見せる表情は仏頂面か、あるいは鬼のような顔か、そのどちらかだった。
笑う母の顔は怖かった。
私の精神はここで崩壊した。
台所から包丁を見つけて手に取ると、それを持って母に突進した。
! ! ! !
そこからしばらくの記憶はない。
都合の悪い記憶は自分で消してしまうものなのだろう。
私は警察に捕まった。
* * *
家庭裁判所での審理の中で、私は母のこけし作りの真相を知ることとなった。
母は、SNSに自作のこけしの写真を上げていた。
コメント欄にはこう書いていた。
ついにこけしが完成しました。
我ながらよくできたと思っています。
娘の顔、そっくりにできました。
このこけしは、娘の誕生日にプレゼントしようと思います。
今までつらい思いばかりさせてしまって、私は母親失格だと思っています。
そんな私が、少しでも娘に罪滅ぼしをしたい。
そう思って今日までコツコツと作ってきました。
小さい頃、お人形も買ってあげなかった私。
ごめんなさい。
このこけしで許してほしいなんて、都合のいいことは言えませんよね。
これからは心を入れ替えて、我が子を愛し、大切に育てていきたいと思います。
これが、生前の母の最期の言葉となった。
母を消してしまった私は、女子少年院へ送致されることとなった。
* * *
少年院では、勉学にも励んだ。
伝統工芸である「こけし」についても、図書室で本を借りて勉強した。
こけしに、子を消すなんて意味はなかった。
こけしは江戸時代から作られてきているが、もともとはこけしという名前ではなくて、「きぼっこ」「きでこ」など呼ばれていたらしい。
だから、「子消し」という意味で発祥したものではなかった。
「こけし」という名前になったのは昭和時代になってからのこと。
芥子(けし)の実に形が似ているからなど、由来には諸説あるようだった。
それを私は自分が消されるのだと勘違いしてしまい、母を消してしまったのだった。
少年院では木材加工の技術を習得し、必死になって作業に取り組んだ。
私には、出所してからの夢があった。
その夢に向かって作業を頑張り続けた。
少年院を出た私は、希望していた木工所への就職が決まった。
そこは、こけしを作る工場だった。
工場長さんはとても理解のある人で、訳ありの私なのに、他の労働者と平等に扱ってくれた。
私はこけしの作り方を身につけ、毎日の仕事に張り切って取り組んだ。
* * *
お盆休みをもらえた。
嫌な思い出ばかりの実家だったけど、なぜか自然と足が向いた。
それが私には不思議だった。
仏壇に供えられた、母が作ったこけしを見つめる。
そして、母の遺影に手を合わせた。
そのとき、私の周りに風が吹いたような気がした。
窓は開けていないのに。
きっと、母もお盆だから帰ってきたのかもしれない。
「お母さん、おかえりなさい。そして、ごめんなさい……」
私は母が作ったこけしを見つめる。
こけしの表情は無表情。
けれど、心なしか、微笑んでいるようにも見えた。
「私も作ったんだよ、こけし」
持参したこけしを、母が作ったこけしの横に供えた。
並んだこけしは親子のように見えた。
こんな親子になりたかったな……
「これからも頑張るからね」
私はもう一度、仏壇に手を合わせた。
< 了 >
執筆の狙い
ホラーのように思えて実はヒューマンドラマだった、というテイストを出せたらいいなと思って書きました。
自分でもどこか物足りない気がしていますが、どう付け足すとよいのか、まだ見えていない状況です。
アドバイスをいただけると嬉しいです。