怪盗物語
彼と顔を合わせるのは久し振りだった。存在を知ってはいたが足を踏みいれたことはない都市の一画、地下に沈められた大きな樽のような酒場で、旅の土産にと彼は私に次のような話を聞かせた──どこかの小国の女王と王子が頓死し、残された王女も女王に即位する前に怪しからぬ陰謀に巻き込まれて横死しかねない、そのように危惧した側近は一計を案じて王女を極東へと送ったが、王女は王女で若者にありがちな人生の不満から機を見てホテルを抜け出し、何の因果か途中で出会った自分と外見が瓜二つの女学生と入れ替わることで自由への逃亡を試み、試みは成功して取り替えられた女学生のほうが警察に身柄を拘束されたものの、その女学生を目にした頭の切れる側近はここでさらに一計を案じ王女をこのまま遠国で遊ばしておけば本国にいるよりも安全ではないかと考え、とはいえ空手で帰るわけにもいかないのでこともあろうに目の前の女学生を誘拐し王女の替え玉として本国に連れ帰った。
私はこの素人芝居の筋書きのような話を聞いて笑ったが、酔った頭で聞くにはちょうど良い馬鹿さ加減でもあり、グラスの残りを一息に空けたのち続きを催促した。──ところでこの女学生には当然のことながら魅力的なボーイフレンドがいて、と彼はすまし顔で話を再開し、私は無論そうに違いないと満足げに頷いた、ボーイフレンドはもともと学生に探偵家業を兼ねる程度には精神と肉体の能力が卓越していたので単身かの国に乗り込むことも容易く、首都に聳える堅牢無比な王宮にも苦も無く潜入したが、王宮で例の頭の切れる側近と腹を割って話したところ王女殺しの下手人という真に戦うべき巨悪の存在に気づかされ、その度胸と明晰さを買われて王女が本国へと戻るまでのあいだに犯人を見つけ出すよう依頼される。探偵は現場の綿密な観察と豊かな想像力と冷静な推論を駆使して稲妻の如く事件の殺人犯を見破るも、犯人の卑劣な姦計によって窮地に陥ってしまう。
想像してほしい、と彼はここで大げさな身振りを交えながら語った、探偵は折しも決定的な証拠を探し当て、細工は流々とばかりに関係者を王宮の中庭にある東屋へ集める。その東屋は白鳥の舞い泳ぐ池の上につつましく立ち、集められた人々は不安の面持ちであたりを見まわしている。やがて探偵が群衆の中心に歩み出て、犯人の正体を天下に知らしめるべくみずからの推理を披露しはじめると、人々の視線はその場にいるある人物から別の人物へと次々に移っていき、ついに一人のもとへ集中する、言うまでもなく、一連の事件に常に影を落としていた亡き王女の弟、国土開発と富国強兵を唱えて以前から王女と対立していたこの壮年男性こそ、聞くも悲惨で見るも恐ろしい殺人事件の犯人だったのだ。男の顔は見る間に蒼ざめ白ざめていくが、一瞬のためらいののちにふたたび不敵な笑みを取り戻し、そこで事態は急転する、男の合図とともにどこからともなく湧いて出た兵隊が東屋を取り囲み、恐れをなした群衆が男を振り返ればあろうことか、男はダイナマイトの発破器を手に握りながら両目をらんらんと輝かせ、命が惜しければその生意気な探偵を引き渡せと投降を迫る。
私はその情景をありありと思い描くことができた。というよりも、それはほとんど既視の光景だった。遠い昔、まだ幼い子供のころ、私はその話を聞いたのかもしれかった。父親の寝物語のなかで、図書室でふと手に取った児童本のなかで、あるいは旅先のホテルで見たテレビ映画のなかで……。けれどももしかすると、私は実際にその出来事を経験したのかもしれない。どこかの小国の、堅牢無比な王宮の中庭に立つつつましい東屋のなかに、私はいたのかもしれない。記憶のなかにある物語の結末は、たとえば次のようなものだ──万事休すと思われた探偵はしかし、王女の戴冠式を奇貨として偶然かの国に潜入していた極東の怪盗の闖入によって難を逃れる。物語は急転直下、巨悪は討たれて王国は新しい女王のもと平和な国へと戻っていく。
だがもしも、と彼はもちあげたグラスの先で目を細め話をつづけた、その男は本当の犯人ではなく、すべてが巧妙に仕組まれた罠だったらどうだろうか、件の探偵が綿密な観察によって見つけ出した証拠も、豊かな想像力によって練り上げた仮説も、冷静な推理によって導いた結論も実はすべてがめくらましで、たとえば件の頭の切れる側近と、側近が裏でひそかに雇っていた怪盗が用意周到に配置しておいた偽の餌に、あの場にいた誰もが罠にかかるねずみよろしく食いついたにすぎないとしたら?
私は笑って、そんな話は聞いたことがない、それならあなたは嘘をついているのだ、と言った。それから私たちは今回の仕事の成功にもう一度乾杯した。舞台の上でオーケストラが演奏を開始し、私たちは立ちあがって踊り始めた。
執筆の狙い
前回投稿した作品にさまざまなコメントをいただいたので、それを踏まえて一般の小説風に書き直してみました。前作が二次創作だったので、これは三次創作といったところでしょうか。が、作者自身はこれが小説なのかいまいち確信を持てずにいます。忌憚のないご意見を頂けたら幸いです。