スキー
一
銀行の斉木支店長から誘われた海山タイガーズクラブの一泊旅行は、最初、興味は無かったのだが、半ば義務感から参加することになった。
タイガーズクラブというのは社会奉仕と会員同士の親睦を図ることを目的とする社交クラブで、ニューヨークに本部があり、日本でも全国各都道府県に支部がある。
青木鴻之介(あおきこうのすけ)は、二か月前に斉木支店長からの紹介で入会した。
四十五人の会員のうちで彼の知った顔と言えば、斉木のほかには旅行代理店の天谷支店長とスポーツ用品店の岡田社長だけだった。
一行は九時にクラブの例会場を出発して十一時半に若狭温泉のこのレストランに着いた。食事のあと、ゴルフを楽しんでから温泉に1泊する予定だ。
今回の参加者は三十二人、ほとんどの人と一度は声を掛け合っているが、親しい人と言えば斉木と岡田だけだった。
参加者はいつも、めいめい気の合った仲間同士でテーブルに着いている。青木の見たところ、メンバーは大体、四つほどのグループに分かれているようだった。医者や会社経営者を中心とする古い会員のグループ、ちょっと荒っぽい感じの土木建築関係の男たち、そして正体の分からない爬虫類のような雰囲気の男女のグループ、あとは斉木や岡田、天谷のような、どれにも属さない普通のひとたちだった。そういうグループを彼は勝手に経営者グループ、土建屋グループ、爬虫類グループと分けて見ていた。
岡田から声が掛かった。
「高田ゆり子さんが、ゴルフを一緒の組で回りたいと言っていますよ。だから私と斉木支店長、そしてゆり子さんと青木さんで組みますが、いいですね」
スポーツ用品店の岡田がこの一泊旅行の幹事だ。だからゆり子が岡田に言ったらしい。青木にはいいも悪いも、高田ゆり子のことは何も知らない。爬虫類グループの中でも特に正体不明の、ちょっと不気味な五十歳前後の女だ。若い頃は美人だったようで、今も見ようによっては妖艶な魅力を醸し出している。
青木鴻之介の本業はスキーのインストラクターだ。若い頃は回転、大回転の選手としてオリンピックに出たこともある。今の鴻之介は本業だけでは食べていけないので五年前からスキーウエアの販売も手掛けている。ほとんどは東南アジアからの輸入品だが、手袋だけは、自分で考案してみた。暖かく、防水と柔軟性に富み、価格も定価三千八百円という買いやすい設定にしたためよく売れるようになってきた。《鴻之介》というブランド力を当てにせず、製品の付加価値にこだわった彼の戦略はいまのところ成功している。
彼の販売先は全国約三百軒のスポーツ用品店だ。手袋は大小の二サイズ各色取り合わせで十双以上であれば全国どこへでも運賃元払いで発送している。もちろん代金は先払いか口座引き落としだ。
大手の卸売商社からも引き合いがあったが、鴻之介ブランドでの出荷はすべて断って来た。だがケルン社からのOEM生産の依頼には断る理由がない。鴻之介のマークの代わりに、ケルン社のマークを付け、小売店向けの商品と区別するため色も少し変えて、昨年三千双、二年目となる今年は一万双を受注し、夏の間に生産して九月に納品した。
二
タイガーズクラブのゴルフ大会としては初出場だった青木は七十八で回り、グロスでは予想通りトップだったが、ハンディの大きな斉木に優勝をさらわれ二位に終わった。
同組の高田ゆり子や岡田たちとコース途中の売店などで話をするうち、少しずつ高田ゆり子の正体も分かって来た。ジェネリック医薬品を製造する高田製薬の会長夫人で、会長が高齢で退会した後、代わりに入会してきたようだ。話してみると特に変わった所は無く、爬虫類の分類からは外した。そのゆり子から声が掛かった。
「先生、今度スキーに連れて行って下さいませんか?」
スキーのインストラクターをしているので、青木を先生と呼んだようだ。
「いいですよ。スキーは私も大好きだからいつでもお付き合いしますよ」
「本当よ。楽しみにしていますからね」
なんでもない会話のようだが、青木の思っているのと、ゆり子夫人の考えとは少し違っていたようだと分かったのはだいぶ後になってからだった。
秋になった。青木の会社がいちばん忙しくなる季節だ。スキーウエアは、金額は張るが競争相手も多く、利益が少ないので、今では手袋の方に力を入れて販売している。売り上げの六十%は手袋だ。今は毎日、数十軒の小売店へ発送している。
タイガーズクラブの例会日は毎週金曜日になっている。十二時に集まり、食事のあと十二時半ぐらいから毎週違った議題で、会員のうち誰かがスピーチをする。ゴルフ大会で一緒に回った高田ゆり子はその日以後は当然のように青木と同じテーブルに座るようになった。
旅行代理店の天谷が言った。
「青木さんの所は今が一番忙しいのでしょうね」
「ええ、今は、出荷は立て込んでいますが、本当に忙しいのは七~八月ごろなんですよ。シーズン中の出荷数を見込んで材料の発注をかけ、工場の生産ラインをフル稼働する時期なので、不良品を出さないように気を使いますから・・・・社員は通常七人だけですが、夏の最盛期には臨時に二十人ほど雇い入れます。慣れていない人が多いのでミスをしないように気を張らなくちゃいけないのですよ……」
「今年の売れ行きはどうですか?」
「今のところは例年並みでしょうか? スキー人口は下降気味ですから生産数は去年より抑えています。注文が多ければ品切れになりますが、作りすぎて売れ残ってしまうよりはいいので、欲張らないようにしているつもりです」
ゆり子「先生、私との約束忘れないでね」
青木「あ、スキーへ行く話ですね、ええ、忘れていませんよ。で、どこへ行きますかね?」
ゆり子「志賀高原かなぁ、それとも北海道がいいかな」
青木はゆり子からスキーの話を聞いたとき、日帰りで行く近場のスキー場のつもりだった。だがゆり子は何日か泊りがけで行く事を考えていたようだ。
青木「今年はまだ、仕事の関係で平日は休めないのですよ。だから二月の連休を利用して二泊三日で志賀高原に行きますか?天谷さんも一緒にいかがですか?」
天谷「いや私はもう、スキーはちょっと……」
青木「そうですか? でもゆり子さんと私が二人だけでというのは拙いので、ゆり子さん、ほかに誰かお誘いする人はいませんかね?」
ゆり子「いませんよ、そんな人。私、先生と二人だけがいいな……」
天谷「いいじゃないですか、お二人で行ってらっしゃいよ、ハハハ」
青木「分かりましたよ、誰もいなければウチの社員をひとり連れて行きます。二十歳の女の子ですけど、スキーに行きたくてうずうずしてる子がいるんですよ」
それを聞いたゆり子は青木の太ももを思いっきりつねった。
青木「いたたたた、何をするんですか?」
三
二月十一日の土曜日が建国記念日だったのでその前の金曜日も休みとして三連休と決めた。九日の夜に出発し、途中で三時間ほど仮眠して十日のお昼ごろに宿へ着く予定だ。急なのでなかなかホテルが取れず、やむなく志賀高原のうちでもいちばん奥の渋峠というところにある馴染みの宿を予約した。
当日の夕方、高田家へ迎えに行くと優しそうな旦那が出てきて、
「わがままな妻ですけどよろしくお願いします」
と頭を下げた。八十を過ぎているようで、ゆり子とは三十歳ぐらい離れている親子のような夫婦だった。
ゆり子を拾った後、スタッフの木本あかねの所へ寄ってから名古屋経由で中央道をひたすら走った。ホテルも交通費もリフト代も全部社長持ちだと聞いて、木本あかねは大喜びだった。
十二時頃に諏訪湖サービスエリアに着き、風呂に入って少し仮眠をとってから五時に出発した。
やがて長野に入り、湯田中を通り過ぎて志賀高原への坂道を登り始める頃に夜が白みかけてきた。スキーウエアの販売を始める前は毎年、生徒を連れて通いつめた道だ。何回来ても、ここまで来て、もうすぐ滑れると思うとわくわくしてくる。ゆり子もあかねもキャッキャッと言って興奮を抑えられない様子だった。
今夜から二泊する予定の宿は蓮池を通り過ぎてから右に折れ、熊の湯まで行って、そこから横手山のリフトを三本乗り継いで山頂まで行き、山の反対斜面を滑り降りたところにある秘境の宿だった。宿の主人もかつては国体に出たこともある青木のよく知っている男だった。
熊の湯の駐車場がいっぱいだというので、蓮池の駐車場に車を預け、バスで熊の湯へ向かうことになった。ところがバスが走り出してすぐ、いきなり、あかねの携帯が鳴った。なんと、あかねの曽祖父が亡くなったというのである。もう九十八歳だというので仕方がないのだが、あかねもよく可愛がってもらった人なので、葬儀に出るため引き返すことになって、次の停留場で残念そうにバスを降りて行った。
そこで喜んだのはゆり子だ。あかねの前では神妙な顔をしていたが、あかねがバスを降りると青木にぴったりと身体をくっつけてきた。今さら引き返すわけにもいかないので今夜は二人で一部屋に寝ることになりそうだ。
熊の湯に着き、バスを降りると横手山リフトの発着場まで歩き、靴を履き替えてスキーの板を装着した。志賀高原のうちでも丸池や熊の湯あたりまでは相当込み合っているが、ここまでくると比較的すいている。少し待っただけで四人掛けリフトにふたり並んで座れた。重いリュックは両脇に置ける。ゆるい勾配だが五百メートルもある長い第一リフトだ。
「ゆり子さん、旦那さんにはどう話をしたのかなぁ、俺と一緒に三日間も出かけることを心配していなかったの?」
「大丈夫よ。パパは結婚する前から言っていたの。三十も歳の離れている君を束縛するつもりは無いから、相手の迷惑にならなければ誰と付き合ってもいいよって。でも最後には僕のところに戻ってきてくれないかな……と」
「なるほど、じゃぁ、今日は二人のほかに俺んところのスタッフも一緒に行くという話もしてないのか?」
「言ったけど、そんなこと、どうでもいいみたいだった。あなたが元オリンピック選手だったことを言ったらすごく喜んでくれたわよ。帰ったら食事に呼ぶから是非来てくださいって言ってたわ」
鴻之介にも少しずつ高田家の事情が分かって来た。会長と先妻との間に生まれた長男が今は社長をしているようだ。その長男の同級生がゆり子だ。だから会長から見れば娘のような存在だと分かった。ゆり子にはそんなつもりは無いが、多少のわがままを認めることが、むしろ、会長としてはゆり子に対する愛情の証だと思っているようだ。
四
第一リフトを降りると少し勾配のきつい第二リフトに乗る。寒くなって来たので体を寄せ合って、肩を組む。そんな動作が自然に出来た。
最期の第三リフトは急勾配だ。ヒューヒュー風が吹いてリフトを揺らした。だが、降りると風は穏やかになり、日が差してきた。
横手山山頂からは三百六十度見渡せる。この山頂からの景色が見たくて何度ここへやって来たことか? 少し雲もあるが、この素晴らしい景色を是非ゆり子に見せたかった。
もう十二時を回っていたので山頂のレストランにゆり子を誘った。
「ゆり子さん、どう? いいところでしょう」
「ほんと、先生とふたりだけでこんなところへ来れるなんて夢みたい!」
食事を終え山の反対側までの尾根道を、スキーを履いて歩くのだが、スキーには慣れているようだ。百メートルほど歩くと反対側のゲレンデ上部に立った。その下に一軒だけ見えるのが今夜泊まる熊沢旅館だ。
「やっと着いた。あれが今夜の宿だよ。まあ、こんな山奥の一軒家だから殺風景なところだけど、でも、スキーをするにはすごくいいところなんだ。ゲレンデも込み合っていないし、ここの雪質は最高だからね」
「ステキ! でもずいぶん奥まった所にあるのね」
横手山のゲレンデに比べると人も少なく、思いっきり楽しめそうだ。だが、重いリュックを背負っているので、ゆっくりと、人のシュプールのあとを辿って滑り降りて、宿の前でセントバーナードの出迎えを受けた。宿の主人とこの救助犬とでこれまで何人もの遭難者を助けている。
受付で鍵を貰って部屋に入った。十二畳の部屋だがこの宿としてはいちばん小さな部屋だ。普通はここで家族連れとか、七~八人ほどの若者のグループが寝る。
夕食は六時と聞いたが、まだ二時半なのでひと滑りしてくることになった。
ふわふわの粉雪だったので、新雪の滑り方をゆり子に教えることにした。こんな機会はめったにない。リフトで上まで行き、滑った跡の無いゲレンデの端の方へ行った。
「板の先端を上向きにして、重心を思い切り後ろに反らせてごらん。そうそう、出来るでしょう。深いから転んだら起き上がるのが大変だよ。ゆっくりでいいからね」
雪は三メートルもある。粉雪の新雪なのでふわふわだ。転んだら本当にすっぽり雪の中に沈んでしまう。三回ほどリフトに乗ってすっかり疲れた。でもいい気分だ。
宿に戻ったら四時半になっていたので風呂に入ることにした。
風呂から出たゆり子はいつもの妖艶な雰囲気でなく、薄化粧で中学生のような顔をしていた。
「ほう、人が変わったみたいだね、どこのお嬢さんかと思ったよ」
「恥ずかしいわ。こんな顔、パパにしか見せたこと無いのに」
「いや、そういう姿もなかなかいいよ」
食堂へ降りて夕食のテーブルに座ったら主人の熊沢が出てきた。今まで厨房にいたらしい。
「青木さん、しばらくです。スキーウエアの仕事を始めてからは初めてじゃないですか? もう、インストラクターというより立派な実業家ですね」
「いやいや、まだほんの駆け出しですよ。前の方が仕事は楽しかったよ。好きなスキーでお金を貰えるんだからね」
「奥さん、きれいな方ですね」
「いや、奥さんじゃないんですよ。この人は……」
と言いかけたが
「そうですか、どうぞごゆっくり……」
と言って離れて行った。プライベイトのことは聞かない方がいいと思ったのであろう。
五
食事のあと部屋へ戻って布団を敷いた。この宿ではこういうことはセルフサービスだ。部屋の両端に、離れて敷こうとしたら、ゆり子が笑って一メートルぐらいのところまで布団を引っ張ってきた。
ちょっと気まずいな、と思ったのは鴻之介だけだったようだ。疲れたのと、昨夜はほとんど寝てなかったので、横になるとすぐに二人とも寝てしまった。
翌日もいい天気だった。渋峠のゲレンデだけでは飽きてしまうので、この日は熊の湯を経てバスに乗って蓮池まで降りて来た。そしてそこから東館山(ひがしたてやま)のゴンドラリフトに乗って頂上まで行った。それからその横の寺子屋ゲレンデまで行き、そこから林間コースを抜けてブナ平まで一時間以上もかけてゆっくり降りてきた。インストラクターをしていた頃はいつも初心者を連れて通った(とおった)コースだ。
昼食後、ゆり子の希望で反対斜面にも行って見た。このあたりは周り中がゲレンデになっている志賀高原の中心部だ。
ゆり子も満足したようだが、鴻之介も久しぶりのスキーを楽しむことが出来た。再びバスに乗り、また横手山リフトを乗り継いで渋峠のゲレンデを滑り降りたらもう四時を回っていた。すぐに風呂に入り、少し早いが五時半には食堂に降りてシャンパンを開けた。
「楽しかったわ。でも、明日はもう帰るのね、もう二~三日いられるといいのにね」
「うん、来年には俺の会社も出荷業務を全部、倉庫業者に任せてしまうつもりだから、そうなれば一週間ぐらい休めるかな……でも、それでは旦那さんはどうなるの?」
「そうね、パパは優しいから、行っておいで‼ と言うと思うけど、ウーン」
「こんな山奥でなくて、どこか温泉のあるところなら、旦那さんも一緒に行けるのじゃないかな」
「ええ、でもそうなると青木さんにパパのお守をさせるようなものだし……まあ、来年の事だからゆっくり考えるわ」
熊沢旅館の料理はごくありきたりの田舎料理だ。だが思い切り滑って、しっかりお腹を空かせているので、凄くおいしい。食事を終えてもまだ物足りないので、アイスクリームを買って部屋へ持って帰って食べることにした。
鴻之介にはどうも、この部屋に入ってから寝るまでの時間をどうするかが気になって仕方がない。だがそれは取り越し苦労だったようだ。おしゃれなリゾートホテルか、高級温泉旅館ならいざ知らず、こんな殺風景な山の宿では男女が一つ部屋に寝ても全くその気にならない。シャンパンのお陰で、この日も八時過ぎには寝てしまった。
三日間はあっという間に終わってしまった。もう、三日目の今日は山を降りてひたすら帰るだけだ。渋峠の頂上から尾根を歩いて、横手山の頂上へ向かい、熊の湯まで降りるだけの二時間ほど、最後のスキーを楽しんだ。熊の湯のバス停まで滑ってからスキーを外し、蓮池まで行ってバスを降りた。
そこでもう、お昼近くになっていたが、そのまま諏訪湖のドライブインまで行き、着替えてから昼食を取ることにした。
あとはまたひたすら走り、夜八時ごろに、自宅の玄関前で待っていたご主人にゆり子を送り届けて一安心したところで、一気に疲れが出てきたようだった。
六
それからまた、普通の生活リズムが戻って来た。次の金曜日の例会に出席したゆり子を見て天谷は、
「あっ、スキーに行ってきたのですね、少し日焼けしているけど、今日はとてもさわやかなお顔をしていますよ。どうでした、志賀高原は?」
「ええ、すごく楽しかったわよ。お天気も良かったし、ふわふわの新雪で気持ちよかったわ。青木さんは色々なところへ連れて行ってくれたし……新雪の滑り方も教えてくれたわ……ただ、三日間ではちょっと物足りなかったけど」
「ところで青木さん、パパが早速、食事に来てくださいと言っていましたけど明日の夜はいかがですか?」
青木にも、その日は予定も無かったし、高田会長がどういう人なのか興味もあったので
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて寄らせて頂きます。ところで会長は、お酒は日本酒ですか? それとも洋酒派ですか?」
「あら、パパは、お酒は飲めない、というより飲まないのよ。行ったらまず、お茶室でお茶を召し上がって貰うことになると思うから覚悟していて」
「そうですか、会長らしいね、堅苦しいのは苦手だけど……」
「それは大丈夫、青木さんがどういう人か、ちゃんとわかっているわ。作法なんか気にしなくてもいいのよ。私だって一緒よ」
飲まないと言われても手ぶらでは気まずいので、ワインを二本だけ見繕って高田邸を訪ねた。
高田邸はすごく大きな屋敷だ。門の内側の広い駐車場に車を停めると、案内されたのは玄関わきの広い応接間だった。
「先日はゆり子が大変お世話になりました。スキーから帰ってからは、まるで見違えるようにすっかり元気になったので、よほど楽しかったのだろうと思います」
「あら、それじゃ、まるで行く前は病気だったみたいじゃない? 三日ぶりにパパと逢えたので嬉しかっただけよ。もちろんスキーはすごく楽しかったわよ。また来年も行きたいなぁ」
青木は高田がどうやって今の高田製薬を作り上げたのかに興味があった。
「会長さん、今の会社は会長が一代で築き上げたのですね? 今は年商百二十億と聞いていますが、さぞご苦労もあったと思います。出来ればどうやって築き上げたか少しお話しして頂けませんか?」
と言って話し始めたのは聞くと簡単そうだが会長、高田寅男の人徳があったからこそ成功したのではないかと思われた。
「はい。私は薬剤師なのですが、大学卒業後、宏大薬品に就職してから一貫して胃腸薬開発の業務に携わっていたのです。そして入社した頃に発売された«イーカル»という胃腸薬が、二十年の特許期間を終えることになったので、社長にお願いしてジェネリックとして製造販売を始めることになったのです。・・・もちろん他にも数社、開発を狙っていた会社もありましたが、私は現場で全行程を熟知していたし、製造機械の開発にも拘わっていたので、いちばん早く、生産ラインを立ち上げて «モットイイカル»という商品名で売り出したところ全国の病院や調剤薬局で扱ってくれたので、順調に会社を軌道に乗せることが出来たのですよ」
「そうですか?でも当時のその社長が、良く許してくれましたね。よほど信用されていたのでしょうね」
「まあそれは運が良かったというか……どうせライバル会社にやられるぐらいならと思ったのでしょうね」
青木鴻之介にはもう一つ気になることがあった。それは会長と三十歳もの年齢差のあるゆり子とがどうして結婚することになったかという事である。鴻之介からは聞きにくかったが、会長とゆり子の方からぼつぼつと話し始めた。
高田寅男の息子の洋平とゆり子は高校の同級生だ。だからほかの友達と一緒にこの広い高田邸へしょっちゅう遊びに来ていた。
高卒後も何かにつけゆり子が立ち寄ることが多かったので、会長夫婦としては洋平とゆり子がいずれ結婚すると思っていたのだが、妻が突然、四十八歳ですい臓がんにかかり、亡くなってしまってから様子が変わって来た。ひとりになった寅男を気遣ってゆり子がたびたび訪れ、食事を作ったりして労っているうちに、
「私、お父さんのお嫁さんになろうかな」
などと言い始めたのである。もちろんそれは論外である。寅男には、娘のようなゆり子を嫁にもらっても、将来に亘って幸せに出来る自信は無かったし、洋平も当然猛反対した。ゆり子の両親ももちろん大反対だ。だが、ゆり子は寅男の優しさに惹かれ、この人を幸せに出来るのは自分だけだと言って、両親を説き伏せ、とうとう籍を入れてしまったというのである。
七
青木は驚いた。高田会長の優しさは尋常ではないが、ゆり子の一途な愛にもびっくりした。ゆり子との結婚が現実になった時、寅男はゆり子に言った。
「ゆり子ちゃん、私は君を決して不幸にはしないと誓う。今はまだ私も元気だが、君が五十歳になるころには私はもう八十歳だ。 そんな歳になって君の自由を奪い、不幸にしたくないので今のうちに約束しておく。何なら証文を書いてもいい」
「私は君を決して束縛しない。どうか幸せを掴んでほしいので私が歳を取った時にはいい相手を見つけて付き合って貰えばいい。もちろんその後で戻ってきてくれれば嬉しいが、離婚したいというならそれも仕方がない」
そうしてその約束を果たすため、八十歳になった自分はタイガーズクラブを脱会し、代わりにゆり子の入会を勧めたそうだ。タイガーズクラブは身元のしっかりした人ばかりの社交クラブなので、ゆり子が付き合う相手を見つけられるかも知れないと思ったようだ。
「そんな訳なので、ゆり子とお友達になって貰って、本当に感謝しているのですよ。スキーから帰ってからは本当に生き生きとしているから、よほど楽しかったのだろうと思います」
寅男のゆり子への愛は夫婦愛というより、父親が娘を愛するようなものだったようだ。一方、ゆり子もまた年老いた夫をいたわる気持ちには変わりはないのだが、その反面、青木のような男とひとときを楽しく過ごしたいという気持ちも矛盾なく同居しているらしいと分かった。
寅男は茶道のほか、書を嗜むことを趣味としているので、タイガーズクラブの会員でもある書道家の吉村耕雲齊に週一回来てもらって書を習っているそうだ。吉村は長い顎髭を生やした仙人のような雰囲気の老人で、ゆり子が入会したときの、唯一の知人が吉村だったため、青木と知り合う前はいつも例会場で吉村と一緒の、爬虫類グループのテーブルに座っていたのだと分かった。
寅男にとっては、青木は別世界の人間で、ゆり子も自分より青木と一緒にいる方が似合っていることを分かっているようだった。もし、ゆり子が青木と仲良くなって自分の元を去って行ったとしても、それがゆり子の幸せになるのなら許すつもりでいたようだ。
無心の境地で筆を滑らせていれば、人間関係の些細な恨みつらみや、嫉妬などというような気持は起きないらしい。青木にはようやく、寅男やゆり子と自分との関係が、もつれた糸をほどくように理解することが出来たのである。
了
執筆の狙い
20年ぐらい前まで、私は毎年、年末年始の数日間を志賀高原のスキー宿で過ごしていました。
これはその頃の志賀高原を舞台とした小説なので、スキーの経験のない方、また、あっても志賀高原で滑った事のない方には分かりにくいと感じるかも知れません。また、ロータリークラブやライオンズクラブについても、多少の知識のある方でないと、つまらないと思われるかも知れません。
ただ、この小説のテーマは、親子ほども年の離れた夫婦と、その友人であるスキーのインストラクターとの微妙な人間関係を描いたものなので、そこを汲み取って頂けることを期待しているものです。