御伽話編纂所
【プロローグ】
私の名前は春奈。バイト先である「御伽話編纂所《おとぎばなしへんさんじょ》」の所長は私のことをハルと呼ぶ。所長といっても他には誰もいないけど。
編纂っていうのは、資料を集め、整理、加筆を行い書物を作り上げることなんだけど、ようはみんなが知っている御伽話を時代に合わせてアレンジするみたいなことなの。
こんな仕事が成り立つのかとか、時給はいくらとか野暮なことは聞かないでね。
ふと、私は物思いにふける。
初めての仕事は「桃太郎だったな」と。
【第一話 桃太郎】
「ハル、早速だがハルの知っている桃太郎とはどんなものだ?」
「そうですね、桃から生まれた桃太郎が、猿、雉《きじ》、犬を黍団子きびだんごをエサに懐柔《かいじゅう》して、一緒に鬼退治する話ですよね」
「言葉のチョイスにひっかかりを感じるが、確かにその通りだ。要点を的確にまとめていて素晴らしい」
「ありがとうございます」
「だが一文で終わってしまったら、それはもはや御伽話ではなく御伽文だ。我々はそれを編纂してストーリーに膨らませないといけない」
「そんなこと勝手にしていいんですか?」
「構わない。ハルは元々のストーリーを知っているか?」
「元々って、今と違うんですか?」
「ああ、桃太郎に限らず皆が知っている御伽話はオリジナルと大きく異なる。芥川龍之介だって桃太郎を編纂している」
「私知らなかったです。それでオリジナルはどういった話なんですか?」
「うん、川から流れてきた桃を食べたお爺さんとお婆さんが若返って、その二人の間にできた子が桃太郎ということだ」
「桃から生まれてないんですね。どうして今の設定になったんですか?」
「学校で教材として使うときに子供たちから、『どうして若返ると子供ができるの?』という質問が殺到して先生が困ってしまうからだとされている」
「それは困りますね」
「そこで、オブラートに包んで、お爺さんは屹立《きつりつ》したミニお爺さんをお婆さんの秘境に潜り込ませたとしたらどうかな」
「所長、そこは掘り下げなくていいです」
「それはただのジョークだ、この点については解決策がある。日本書紀に使われている表現を使えば問題ない」
「どういうことですか?」
「それは後回しにして、情報を取捨選択しよう」
「はい」
「まず桃は外せない。桃をなくしたらただの太郎になってしまうからな。だからといって赤ん坊が入っている大きさの桃をお婆さんが運べるかは大いに疑問だ」
「確かにそうですね。でも、普通のサイズにドンブラコという擬音は合わないですよ」
「ドンブラコは外せないな。よし、そこは大きめの桃ということで曖昧にして、オリジナルを踏襲しよう」
「所長、桃ってそもそも水に浮くんですか?」
「熟すと沈むそうだが、それまでは浮くようだ」
「食べ頃ではないということですね」
「桃については、それくらいでいいだろう。次は仲間たちについて検証しようか」
「はい、私思うんですけど、猿、雉、犬って心許《こころもと》ないですね」
「確かにそうなんだが、鬼はツノがあってトラ柄パンツを履いてるだろう。ツノは牛を表していて、干支の丑と寅は方角でいうと鬼門だそうだ」
「そんな意味があるんですか?」
「ああ、それで申、酉、戌は裏鬼門に当たるそうだ」
「それなら雉じゃなくて鶏《にわとり》ですね」
「それは重要だな。メモしておこう」
「あと私が疑問なのは黍団子一つで従うものですかね? あと人間が鬼に敵うはずないと思うんですけど。
「確かにそこは説得力のある理由が必要だな。ハルは何かいいアイデアがあるか?」
「うーん、私にはよくわからないですけど、これまでの情報を元に一度書いてみたらどうですか?」
「それもそうだな」
〜 桃太郎 〜
むかしむかし、あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。
お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川に洗濯に行きました。
お婆さんが洗濯をしていると上流から、結構大きめな桃がドンブラコドンブラコと流れてきました。
お婆さんは家に持ち帰り、桃を追熟《ついじゅく》してお爺さんと食べることにしました。
すると、何ということでしょう、お爺さんとお婆さんはみるみる若返りました。
若返ったお爺さんは色んなところがスタミナ満タンです。
「儂の成り余れる処を以ちて、汝《なんじ》が身の成り合はざる処に刺し塞ぐ」とわけのわからないことを言って魅惑的な娘の姿となったお婆さんに覆い被さりました。
「あーれー」お婆さんは悲鳴をあげます。
一年位経ったら子供ができました。
子供は、桃から授かったことに因ちなんで、桃太郎と名付けられました。
桃太郎はすくすく成長していきましたが、家計は火の車です。お爺さんとお婆さんはとうとう金貸しに手を出してしまいます。
桃太郎は借金を返すために鬼ヶ島襲撃を目論見ます。そうと決まれば仲間集めです。しかし皆、鬼と聞くだけで恐れをなして逃げていきます。桃太郎は途方に暮れて家へと帰ります。そこで桃太郎は肝心なことを忘れていたことに気づきました。それはお爺さんの存在です。桃太郎からするとお父さんなのですが、紛らわしいのでお爺さん、お婆さんで通します。お婆さんも言っていました、不思議な桃のおかげでお爺さんは昔のようにパワフルになったと。きっとお爺さんなら強力な戦力になってくれる、そう期待した桃太郎は喜び勇んで玄関の扉を開けました。
「あーれー」お婆さんの声が聞こえました。
桃太郎は扉をピシャリと閉めて呟きました。
「そっちかよ」
途方に暮れる桃太郎に飼い犬が寄り添います。「お前は僕を助けてくれるんだね」そう言って頭を撫でます。
犬だけでは心許ないと思った桃太郎は、明日絞めて食べようと思った鶏を仲間に引き入れます。果たして役に立つのか甚《はなはだ》疑問ですが猫の手も借りたい状況ですから仕方ありません。
鬼ヶ島へ向かう途中、お腹を空かせた猿に遭遇します。桃太郎は腰につけていた袋から黍団子を一個だけあげると猿は喜んでついてきました。
そうは言っても相手は鬼です。まともに正面から戦っても勝ち目はありません。桃太郎は夜襲をかけることにしました。
桃太郎は息を殺し、鬼の潜む洞窟へと忍びこみます。鬼がいました。金銀財宝も見えます。
「コケーコッコッコッコッ」と鳴きながら遅れて鶏もついてきました。
「誰かいるのか?」鬼が言います。
「静かにしろ! 気づかれる」と桃太郎は小声で鶏に注意します。
しかし、話の通じる相手ではありません。
「コケコッコー!」桃太郎の願いも虚しく鶏が大声で鳴きました。
やっぱり鶏なんか連れてくるんじゃなかった。桃太郎は激しく後悔します。でも、こうなったらやるしかない。
「ええい壗《まま》よ!」桃太郎はそう言って刀を抜きます。
後ろにいた猿も勢いよく飛び上がります。
「ウキー!」猿はそう叫ぶと黍団子の入った腰袋を奪って山へと去っていきました。
くそ、エテ公なんて信用したのが間違いだった。万事休すかと思いきや、鬼の様子が変です。
「何だ、もう朝か。そろそろ寝るか」鬼はそう言って寝室へと歩いて行きました。
鬼は夜行性で昼夜逆転の生活をしているのでした。
「死ぬかと思った」桃太郎はホッと胸を撫で下ろします。
鬼の居ぬ間に窃盗とばかりに、桃太郎は金目の物を犬の背に乗せて凱旋《がいせん》します。
奪った財宝で借金を返しますが、相手は高利貸しです。ほとんどの財宝は返済に消えて残った財宝は幾許《いくばく》もありません。
桃太郎は肩を落とし家の前にくると、中から悲鳴が聞こえてきました。しまった! バレて鬼が報復にきたのか! 桃太郎は扉に手をかけます。
「あーれー」
桃太郎は扉にかけた手をゆっくりはなし、犬を見て言います。
「旅に出るか」
〜 おしまい 〜
「ハル、こんな感じでどうだろう」
「ダメだと思います」
【第二話 浦島太郎】
「ハル、今回のテーマは浦島太郎だ」
「所長、前回の桃太郎はあれでいいんですか?」
「過去は振り返るものではないのだよ」
「思いっきり過去を振り返る仕事してますけど」
「それはそうと、ハルの中にある浦島太郎のイメージを聞かせてくれ」
「そうですね、浦島太郎が亀を助けた見返りに竜宮城で接待を受けて、そこで貰った開けてはいけない玉手箱を開けたためにお爺さんになってしまうというお話ですね」
「力技で一文にまとめた感は否めないが、今回も要点を漏れなくカバーしている点が素晴らしい」
「ありがとうございます」
「だが、これもオリジナルとは異なるんだ」
「そうなんですね、オリジナルはどんなですか?」
「何をオリジナルとするかは難しい、ベースとなったストーリーは日本書紀まで遡るからな」
「そんなに古いんですね」
「大まかに、古代、中世、近代に分類される。詳しく説明すると長くなるので、箇条書きで挙げるとこんな感じだ」
•子供にいじめられている亀を助ける説
•釣りで度々かかる亀を都度逃してやった説
•竜宮城は海底説、もしくは海上説
•亀の正体は乙姫説、そうじゃない説
•帰ったら300年経過説、700年経過説
•玉手箱を開けたらお爺さん説、鶴になる説
「色んな説があるんですね」
「玉手箱は三段重ねという説もある。一段目に鶴の羽、二段目を開けてお爺さんになる。その姿を三段目に入っていた鏡で見たあと鶴の羽根に触れて鶴になる。その姿を亀の姿の乙姫が見に来る。これは英訳もされているから、グローバルな見解と言えそうだ」
「私、それ初めて聞きました」
「ところで、ハルは浦島太郎を読んで何を思う?」
「そうですね、開けてはいけない玉手箱をお礼に渡すというのが謎ですね」
「やっぱりそこだよな。我々はそう言った引っかかる所を徹底的に潰さないといけない」
「あと、水中で息ができるのかとか」
「最もだが、絵的に映えるからその設定は捨てがたい」
「所長はどうですか?」
「そうだな、亀をいじめると言うのは如何《いかが》なものか、PTAから苦情がきそうだしな」
「そういうことを気にする人が桃太郎をあんな風にしないと思うんですけど」
「今回はその心配はない。今、考えがまとまった」
〜 浦島太郎 〜
むかしむかし、ある村に浦島太郎という心優しい漁師が住んでおりました。浦島太郎は毎日船を出しては釣り糸を垂らします。
すると、その釣り針に亀がかかります。亀を食べる習慣の無かった浦島太郎は、亀を逃してやります。
「もう釣られるんじゃないよ」
そう言って亀を海に返しましたが、来る日も来る日も同じ亀がかかります。ある時、亀が浦島太郎に話しかけてきました。
「いつも逃してくれてありがとうございます。お礼に竜宮城にご招待します」亀は甲羅に乗るよう浦島太郎に促します。
言われるがままに浦島太郎は甲羅を跨ぎます。亀の甲羅は広くて股が裂けそうです。
「それでは出発します」亀はそう言うと海中に潜って行きましたが、浦島太郎の体はうまく沈みません。そこで、亀は浦島太郎の体が浮かばないように足枷をはめました。そのおかげで今度はうまく沈みました。
水深三十メートルほど潜ったところでしょうか、亀の言葉がテレパシーで伝わってきました。竜宮城は水深百メートルのところにあります。あと二分くらいです。
浦島太郎はとても呼吸が続かないことに気づき、急浮上するよう亀に念を送りました。
「ガボゴボ」浦島太郎は苦しそうに口から泡《あぶく》を吐き出しています。一瞬竜宮城とは違う極楽が見えたと思いましたが、なんとか戻ってきました。
助かったと思ったのも束の間、全身の関節が痛みます、筋肉痛もあります、吐き気もします。それもそのはず、深いところから急浮上したため減圧症にかかったのです。ダイバーなら常識ですが、鎌倉時代に生きる浦島太郎は知る由もありません。
症状が治《おさま》ったところで、亀が提案をします。
「海上にアネックス(別館)があるのでそちらに行きましょうか」
それ早く言ってよと浦島太郎は思いました。結局自分の船で竜宮城アネックスに向かいます。
そんなこんなで浦島太郎は竜宮城アネックスに辿り着きました。すると、先ほどの亀は美しい乙姫へとその身を変えました。
乙姫は浦島太郎を鯛やヒラメの活け造りなどのご馳走でもてなします。目の前で鯛やヒラメが舞い踊ってます。食べていいんだコレと浦島太郎は思いました。食べにくくてしょうがありません。
「乙姫さんは食べないんですか?」浦島太郎は問いかけます。
「私はお腹が空いていませんので」乙姫がやんわりと答えます。
その身はとても細く、ダイエットしてるのかなと浦島太郎は思いました。
(お前の釣り針のせいで口の中がズタズタになって食べられないんだよ)乙姫は心の中で呟きました。
もうそろそろ帰るという浦島太郎を乙姫は事あるごとに引き止めて、気づけば三年の時が流れていました。
家族も友人も心配していると思った浦島太郎はとうとう帰る決意をします。乙姫は手土産に三段重ねの玉手箱をお礼にくれました。
「困った時に開けてください。それまでは開けてはダメですよ」乙姫はそう言いました。
浦島太郎はひたすら櫂《かい》を漕ぎました。やがて目に映ったものは見知った風景ではありませんでした。それもそのはず、竜宮城アネックスで三年間過ごす間に人間界では七百年の歳月が過ぎていたのです。時は西暦二千年。
「ここは?」
何が起きたかわからない浦島太郎は、玉手箱の一段目を開けると、そこには鶴のコスプレ衣装が入っていました。
「これを着たら何とかなるんだろうか?」そんなわけないのに、冷静な判断力を欠いた浦島太郎はその衣装を身に纏《まと》います。二段目には何が入っているんでしょう。気になった浦島太郎は開けてみます。すると、もうもうと煙が上がって、浦島太郎はお爺さんに変貌してしまいます。しかし、浦島太郎は気づきません。そのまま三段目を開けると、そこには鏡が入っていました。そこに映る足枷をつけて鶴のコスプレをした老人は誰が見ても危ない人です。
ショックに打ちひしがれているというのに、浦島太郎は海上保安庁に拿捕《だほ》されてしまいました。
陸《おか》に着くと、その身は勘吉という名の男に引き渡されました。その男に連れて行かれた建物にある文字を見て浦島太郎は悟りました。
“葛飾区《《亀》》有公園前”
全ては亀の復讐だったのだと。
〜 おしまい 〜
「ハル、こんな感じでどうだろう?」
「色々アウトだと思います」
【第三話 金太郎】
「ハル、ここまで桃太郎、浦島太郎ときたが、次は何がくると思う?」
「やっぱり金太郎ですか」
「そうだよな、いわゆる三太郎というやつだな。だが、これがなかなか難しくて頭を抱えている」
「そうなんですか? って言うか、いつも真剣に考えていたんですね」
「僕はいつも真剣だよ。金太郎にはこれまでにない大きな問題がある」
「問題?」
「ああ、いつものようにハルのイメージを聞かせてくれ」
「鉞《まさかり》を担いだ金太郎がクマと相撲をとるって話ですよね?」
「からの?」所長は意味深な笑みを浮かべて問う。
「えっ? 続きがあるんですか? あとは童謡にある、クマに跨ってお馬の稽古しか出てこないですけど」
「そう、そこなんだ。金太郎は日本人なら誰もが知っているメジャーな話なのに、ほとんどの人はその結末を知らないんだ。もっと言えば、結末を知らない事にすら気づいていない」
「結局、どうなるんですか?」
「侍になるんだ。そして、信憑性は疑わしいが実在した人物かもしれない」
「意外ですね。ちょっと情報を整理してもらえませんか?」
「それがいいな。諸説あるので今回も箇条書きにしよう」
•父は宮中に仕える坂田蔵人《さかたくらんど》、母は八重桐《やえぎり》
•蔵人自害(切腹説あり)
•八重桐は山姥《やまんば》説
•蔵人の魂が八重桐に入り金太郎が生まれた説
•蔵人の血を飲んで八重桐は山姥になった説
•歌麿《うたまろ》は金太郎と山姥の浮世絵を数多く残している
•クマと相撲して勝利
•源頼光《みなもとのよりみつ》にスカウトされて四天王の一人となる説
•のちの四天王の一人、碓井貞光《うすいさだみつ》からスカウト説
•侍になって坂田金時に改名
•頼光と四天王は眠り薬入りの酒で酒呑童子を眠らせて討伐
•熱病のため五十五歳没
「こうしてみると、ほとんど知らない事ばかりですね」
「熱病で死去するというのはカットしよう。死ぬことを笑い話にするのは不謹慎だからな」
「笑い話にするつもりだったんですか」
「今回は大胆なアレンジが必要だな」
「話逸らしましたね」
「よし、整った」
〜 金太郎 〜
「確認として、もう一度あなたのお名前とご職業をお聞かせいただけますか」
「はい、バーのマスターをしております渡辺と申します」身なりの整った20代くらいの男は丁寧な口調で答えた。
「それで、一体何があったのですか?」
「はい、昨日の晩にお越しになったお客様なのですが、……」
— 前日 —
「いらっしゃいませ」
「日本酒をストレートで」ノーネクタイでピッチリしたスーツに身を包んだその男はカウンターに腰掛けると静かにそう言った。
「普通に日本酒ということですね。お待ちください」
「どうぞ」マスターはグラスを差し出して尋ねる。
「ここは初めてですか?」
「ああ、俺は坂田って言うんだ」男が答えた。
名前は聞いていないんだけどとマスターは思いました。
「マスター、ちょっと俺の昔話に付き合ってくれねぇか? こんな夜はついつい誰かに弱音を吐きたくなっちまう」困惑するマスターをよそに男は話し続ける。
「他のお客様も見えますので、……」マスターはやんわり断ろうとするがその男には伝わらない。
「これは俺のご先祖さまの話だ。マスター、あんたは勘が良さそうだ。もしかしてもうピンときたんじゃないか?」
マスターは、知るわけないじゃんという言葉を飲み込みました。
「嘘か本当か知らねぇが、ご先祖さまの母親は山姥だったという」そう言って男はグラスを傾ける。その拍子にワイシャツのボタンが取れて、赤い肌着がのぞいた。
「その説は歌麿の作品でも示されているのだが、そろそろわかるんじゃないか?」男はグラスを置いてマスターに問う。
「存じません」マスターは早くこのやりとりが終わることを祈りました。
「大ヒントだ、ご先祖さまはクマと相撲をとった」男は多少苛立っているようだ。
マスターは、もしかしてと思ったものの、まともなお客じゃないと本能で察して沈黙を守りました。
「まぁいい、ご先祖はその腕っぷしを買われて源頼光の部下碓井貞光にスカウトされ四天王の一人となった」
「すごい方なんですね」マスターは男が激昂しないよう、適当におだてます。
「そりゃあそうだ、子女を攫《さら》っては悪事を繰り返す酒呑童子という鬼を頼光と四天王で討伐したんだからな」男は得意げに語る。
「私はその話を知りませんでした」
男は残った酒を一気に呷《あお》り、勢いよくグラスを置いた。さらにワイシャツのボタンが飛ぶ。
「ああそうだろう。ご先祖さまはじめ、皆はこの話をタブーとした」
「何故ですか?」どこでスイッチが入るかわからない男相手にマスターはハラハラして聞きます。
「いくら鬼の頭目相手とはいえ、酒に眠り薬を仕込んで、寝落ちしたところを頼光と四天王でボコボコにするのは卑怯じゃないかと村人たちが言い始めた。あいつら酒呑童子なんか死んだらいいと言っていたくせに手のひらを返しやがった」男は苛立しげにおかわりを頼む。
この男に今酒を出すのは燃え盛る炎にガソリンを注ぐようなものですが、出さないなら出さないで何をされるかわかったものではありません。マスターは恐る恐るグラスを男の前に置きます。
「四天王といえば、刀一本で酒呑童子の舎弟茨鬼童子の腕を切り落とす豪傑、渡辺綱《わたなべのつな》を筆頭に、クマを投げ飛ばすご先祖さま、その手腕を見抜いた碓井貞光、あとはよくわからない卜部季武《うらべのすえたけ》だ。村人の野郎どもは揃いも揃って情けないなんて言い出した」
怒りで膨張した男の身体は金と書かれた赤い腹当てを残し着ていた服をビリビリに引き裂きます。どこからどう見ても変態です。破れずに残った靴下は逆に変態さを強調しているように見えます。
「なぁマスター、あんた渡辺綱の子孫だったりしねぇか? 一緒にご先祖さまの汚名を雪《そそ》いじゃあくれねぇか?」男は背負っていた大きな斧、鉞を右手に携えました。
近くでパトカーのサイレンが聞こえます。他のお客さんが通報していたようです。
「俺のご先祖さまは、坂田金時、金太郎だ!」男は叫びました。
男はそのまま、警察に連行されました。
「なるほど事情はわかりました。ご協力有難うございました」と警官はマスターに礼を言った。
マスターは事情聴取を終えて店に戻っていきました。
〜 おしまい 〜
「ハル、こんな感じでどうだろう?」
「そのうち色んなところから怒られますよ」
執筆の狙い
プロローグと一話〜三話です。
連載物ですが、一話完結、3000字未満です。
長いと敬遠されがちなので短めでオチのある作品にしました。