幻像
とある新築マンションのエントランス。帽子をかぶった宅配便の配達員が段ボールのミカン箱を両手に持ち、オートロックのインターホンの前に立った。一呼吸おいてからヨイショとミカン箱を脇に抱えて、住所を再確認してから部屋番号を押す。終えると彼はミカン箱を両手に持ち直し、コリをほぐすように首を回した。
エントランスは冷えた空気で満たされていた。掲示板には管理組合、自治会からのお知らせや警察の年末年始防犯のポスターが掲示されている。隣にあるのは集合受け箱。名前は意図的に掲示しない住人も多いだろうがまばらだ。一昔前と比較すると減ったというものの、お歳暮シーズンの荷物は増える。この配達員の疲労もクリスマスが過ぎるまでは蓄積され続けるであろう。しばらくしてインターホンから声がして、その主に田舎の両親であろう人物からの贈り物が届いたと配達員は伝えた。すると嬉しそうな声と共にオートロックのドアがゆっくりと開く。配達員はコツコツと歩き、またヨイショっと荷物を脇に抱えながら奥にあるエレベーターに向かっていった。
オートロックのドアが閉まると同時にエントランス入り口、正面玄関ドアがまた開き外の風が吹き込む。長髪の、大学浪人生のような、ラフで古びた、この季節の気温では肌寒そうな服装をした青年が入ってきた。唯一暖かいアイテムはマスクの代わりの首に巻かれたマフラーだ。一見するとマンションの住人と勘違いしそう。脇にスケッチブックを抱え、ジーパンのお尻のポケットから布製の筆箱がはみ出している。しかし、マンション玄関前にあるタクシーから降りた彼を見た近隣住人ならば、彼がマンションに住んでいるとは思わないだろう。ただし、頻繁に彼を見かける事があれば違う噂が立つかもしれないが。
青年はオートロックのインターホンの前に立つと部屋番号を入力する。しばらく待つとインターホンから反応があり彼はマフラーをずらし名乗った。
「兄からの依頼できました万福寺竜二です。相木安祐美さんですか?」
「はい。お待ちしてました。今開けます」
オートロックの扉がまたゆっくりと開きエレベーターの方向へ竜二は歩いて行く。すれ違いにさっきの配達員が腕を回しながら降りてきた。
マンションの802号室。住人の相木安祐美はバタバタと荷物を動かしている。傍からけっして片づけているようには見えない。来客が来たのを知り余計に焦っているように感じるであろう。化粧をして部屋着でないことは、お客を招く準備はできていると言える。
安祐美がこのマンションの一室を購入してからはまだ日が浅く、引っ越し時の未開封の段ボール箱が部屋の隅やダイニングキッチンの隅に重ねられている。家族がいくら増えても十分な収納スペースは確保されているが、仕事の忙しさ、父親の訃報、それに伴う母親の引っ越しに追われ片づけは常に後回しになった。年を超え、四十九日の法要が終わったころには何とか落ち着いた生活に戻れるかもしれない。幸いにも彼女は32歳の独り身で身軽だった。
チャイムが鳴り、竜二が着いたことを知らせる。安祐美は腰のエプロンを取りながら玄関へ。ロックを外して招き入れた。
「遠いところよくお越しくださいました。どうぞ上がってください。散らかっていますが」
竜二は挨拶をして上がると廊下の隅にも荷物が無造作に置かれている。事情はある程度竜二の兄から聞かされてはいたが、足の踏み場もないとはこのことかと思った。未婚の女性のお宅とはいえ、これなら緊張はする必要もないか。
ダイニングキッチンに通され、勧められた椅子に座ると、竜二はすぐに立ち上がり悔みを述べた。
「この度はご愁傷さまでした。心よりお悔やみ申し上げます」
安祐美は豆鉄砲をくらった表情の後、一瞬間をおいて腰を上げて頭を下げた。
「本当に痛み入ります。万福寺住職の幸一さんにも大変にお世話になりました。葬儀のことも、母への気遣いも、それに火事になった実家のラーメン店のことも。本来なら急ぎお礼のご挨拶にお伺いしなければならないのですが、ご覧の通りで……」
見開いた瞳に涙が沸き上がるも、こぼれる前に安祐美は顔を伏せてふき取る。
「まだ、私は泣いてはいけないんです。母の面倒もありますし、それにまずは部屋の片づけをしなくては」
笑顔を作ろうとする安祐美。安心させようとする竜二。
「お墓のことや法事のことは兄に丸投げで大丈夫だと思います。抜け目のないプロですし、見た目の通り顔も広い。ラーメン屋の焼け残りも地元の工務店にほぼ片づけてもらいました。もうすぐ格安の請求書が送られてくると思います」
その言葉で荷が下りたように安祐美の肩の力は抜けた。
竜二は本題に触れる。
「そこでもう一つの気がかりの依頼の件ですが」
竜二は安祐美のマンションに襲ずれる前にある程度の状況を、万福寺住職である兄の幸一から聞かされていた。それは1か月前の消防車のサイレンから始まる。
安祐美の実家、○○ラーメン店出火の通報を受けた消防車は10時ころに火災現場に到着したが、すでに2階にも火が回り手おくれの状態だった。鎮火の報は午後の3時ごろだった。幸いにも店は国道沿いで隣家とは離れており延焼はなかった。母、奈津美は婦人会の会合に出席しており、店にはいなかった。奈津美は知らせを受け、救急車の向かった病院に着くが、すでに友造は帰らぬ人となっていた。
後日の検証で出火原因は油の入った中華鍋に火が入ったのではないかと推測された。友造の顔や服装に食用油の燃えた痕跡が残されていた。火を消そうとして誤って煮えたぎった油をかぶってしまったのではないかと推察された。もし、奈津美が友造の傍にいたのなら、店のことは考えず奈津美を連れ出したのではなかったかと思われた。
現場検証で事件性がないと判断された数日後、密やかに葬儀が執り行われた。火事で周囲の人に迷惑をかけたという引け目から葬儀の周知は行われなかった。医療、消防者、警察、及び、葬儀の関係者以外で、友造の爛れた顔を見た者は奈津美ただ一人だった。ショックあまり、すっかり元気を失ってしまっていた。
葬儀の準備の際にハプニングが起きた。安祐美が遺影として葬儀屋に渡した写真を、奈津美は夫ではないと拒絶した。他の事は、聞いても無反応または少し頷く程度まで落ち込んでいた奈津美の、かたくなな態度には安祐美も逆に驚かされ困惑した。「これは夫ではありません」と。しかし、他のおもいでの写真は火事により焼失している。
葬儀スタッフと相談の上、母の心を考慮して遺影のない葬儀を行なった。死後の友造を見た人達は、奈津美がショックのあまり一時的な記憶喪失になっているかもしれないと推察した。「私も思い出さないように努めているから」と口々に言った。
竜二は安祐美に問うた。
「お母さんの思い描くお父さんの顔を描いてほしいとの要望ですね?」
「はい」
「もし仮に、お父さんと似ていなくてもよろしいですか?」
「はい。母が満足してくれるのであれば構いません。私には別の父の思い出がありますから」
安祐美は明確に答えたが、続けて疑うような表情で逆に聞いた。
「幸一さんから聞きましたが、竜二さんは幽霊が見えるのですか?」
カチャ、無造作に重ねられた洗い物の食器が崩れる音がした。合図に苦笑が漏れ始める。
「くっ、くっ、くっ、くっ、くっ、くっ………
止まらない。顔を伏せる。
異変に感じた安祐美も次第におろおろし出す。
「訳の分からない事聞いちゃった? ごめんなさい……。大丈夫?」
身を乗り出そうとする安祐美を、竜二は右手で制止した。
「くっつくっ、えぇ、大丈夫。ふう~」
元の姿勢に戻った安祐美を確認すると竜二は語り始めた。
「兄から見れば私に霊感があると思うでしょう。実際、亡くなった方の似顔絵を描くことも生業としています。でも、兄はバカですから。ぷっぅ」
……。
「失礼、仮に私が顔を知らずに安祐美さんのお父さんの似顔絵を描いたのなら、お父さんの魂は成仏せずに現世に漂っていることになりますよね? つまり、弔いを行なった坊主が無能であることの証明になってしまいます。」
「それって、万福寺住職のお兄さんがお務めを果たしていないことを自分から立証しようとしているし、真実ならお布施は返してもらわないといけませんね。ぷぷっ」
二人はお互いに吹き出しそうになった。
リラックスしてのどが渇いたと、安祐美は立ち上がって閑散とした食器棚の中からカップを取り出しながら飲み物を勧めた。竜二はコーヒーを希望した。
安祐美はコーヒーを竜二の前に置いた。
「安物のカップでごめんなさいね」
竜二はニコリと笑いで答えた。猫ちゃんの描かれたプラスチックのマグカップに、ミルクを垂らしてゆっくりかき回す。白い渦を眺めながら言った。
「本当のことを言うと、私にもよく分からないんです。見えているものが何であるか?を」
黒褐色の液体は次第に白みを帯びてくる。完全に均一になったところで竜二はスプーンを置いた。
「仮に光のようなエネルギーだとすれば、それは、生きている人間の精神エネルギーが放出されている現象のような気がします。人への想いが強いほどそのエネルギーは放出され、より鮮明な幻影を作り出している。私にだけ見えるのは、そのエネルギーを感知するセンサーの感度が高いだけではないかと思います。電波を受信するラジオのようなものと言えばいいのでしょうか」
言い終えるとコーヒーを味わい飲み込んだ。安祐美は、ぽかんと理解しがたいという表情をしているが、無理もない。今までの日常生活以上の忙しさだったのである。スケジュールが過密すぎてキャパオーバーになっているようだ。AIでも借りたいところだろう。
手に持ったコーヒーの香りがダイニングキッチンの隅々まで届くころ、竜二は
「ところで、部屋の方も静かですね。お母さんはまだ寝ていらっしゃいますか?」
「いえ、たぶん壇の前に座っていると思います。朝ご飯を食べてから、たぶんずっぅとです。今、ご覧になりますか?」
「はい」
竜二は安祐美の案内でダイニングキッチンのドアから、廊下伝いに付き当たりの部屋へ向かった。安祐美が戸を開け先に入る。「お母さん、竜造寺の次男さんが来てくださったよ」と声をかけた。竜二が部屋に入る。6畳の和室の床の間に仮の祭壇が置かれ、白い布にくるまれた骨壺の入った箱、隣に菊の花を挿した花瓶が置かれている。あるべき遺影はない。奈津美の無表情な顔からでも視線がその白い箱に向けられていることは分かる。
竜二は安祐美の横を抜け、奈津美の隣に座した。両手を添えてお悔みを言った。奈津美も祭壇の前から下がり両手をついて頭を下げた。どうやら全く無反応ではなさそうだ。竜二は祭壇の前の座布団に正座した。蝋燭に火をともし線香を翳す。ちらりと奈津美の顔に視線を移す。特に変わった反応はない。火の恐怖心はないかもしれない。煙の出る線香を香炉に立て手を合わせ拝む。大きく深呼吸してから目を開く。差布団から降りて奈津美の方へ向いて正して竜二は単刀直入に聞いた
「ご主人さんの顔を思い出せますか?」
光の乏しい奈津美の瞳から涙が湧き出してくる。両手で抑え顔を伏せた。さめざめと泣き崩れていく。ある程度は予期していたものフォローまでは考えていなかった竜二は、頭を抱えた。急ぎ過ぎたかもしれない。
ちょうどその時、安祐美が温めた牛乳をコップに入れて運んできた。
「お母さん、ミルクでも飲んで落ち着いて。そこの椅子に掛けて」
予期せぬ助け舟に竜二はホットする。
「安祐美さん、すいません。お母さんを泣かせちゃって」
安祐美はコップを応接テーブルに置き、奈津美の手を取って椅子に腰かけさせた。
「気にしないでください。これまでもたまに一人で泣いていることがあるんです。ショックがまだ癒えてないのだと思います」
安祐美は奈津美の背中を摩る。しばらくして落ち着いたのか奈津美はホットミルク入りのカップに手を伸ばし両手で口へ運んだ。肩の揺れは次第に小さくなっていく。その様子を確認した竜二は安祐美に任せ退散する。ダイニングキッチンへ向かい廊下を歩きながら長い髪を撫でた。まいったな。
ダイニングキッチンに入ると、床に置いてあったスケッチブックと筆箱を拾い椅子に腰かける。ページを開いて折りたたみ、特製の鉛筆を持って走らす。滑らかな線は次第に輪郭を露わにしていく。人の顔と分かる程度のところでハタと動きが止まり、竜二は天井を見上げた。
安祐美がドアを開け入ってきた。竜二はスケッチブックをテーブルに置き、安祐美に頭を下げる。竜二の口を開くところを安祐美は優しい声で制した。
「母はミルクを飲んで落ち着きました。驚かしちゃってごめんなさい。ところでどうですか?」
竜二は椅子に座り直し。両方の手を組み合わせ考えるように言った。
「お母さんはショックでお父さんの顔を忘れてしまった、思い出せないと思っていましたが、もしかしたらそうでないかもしれない。思い出したくないと思っていらっしゃるのかもしれません。また荒いですが……」
竜二は肘で敷いていたスケッチブックを手に持ち、さっき描いた友造の似顔絵のデッサンを安祐美に見せた。
「いえ、よく似ていますわ。生前の父によく似ている。驚きです。でもなぜ?」
竜二はスケッチブックをテーブルに置きながら言った。
「私も高校生の時はお父さんの○○ラーメン店によく行きました。兄には劣りますが。ですので、お父さんはよく知っています。こう言っては何ですが、この絵の通り見た目はラーメン屋頑固おやじという感じでした。お母さんのすすり泣く姿を見て浮かんだ顔です。私の記憶で補完されえているかもしれませんが」
安祐美はいぶかし気に聞いた。
「その絵は、母の望んでいる父の思い出ではないということですか?」
「その可能性が高いと思います。この絵を完成させてもお母さんの心は晴れないかもしれません」
竜二は置いてあった冷めたコーヒーを一口のどに流し込んだ。余計に苦く感じた。
安祐美は食器棚の上からタブレットを手に取り1枚の画像を開いた。しかめ面の父、友造とにこやかに笑う母、奈津美の2ショット画像であった。服装の浴衣から撮影場所は旅館だろう。竜二の描いた似顔絵によく似ている。安祐美は言った。
「大学生の時、こっちでの就職を許してもらうために両親を誘っての旅行に行った時に撮りました。それまでも父とは不仲でした。父としては実家のラーメン店を継いでほしかったと思います。大学進学もそれで反対されましたから。私の父の印象はこの写真の通りです。他の写真は持っていません。この写真を葬儀のスタッフに渡し、遺影の写真として引き伸ばしてもらったのです」
安祐美の手の甲で飛び散る雫を見た竜二は、安祐美の顔に視線を移せなかった。竜二もラーメン屋亭主の友造の顔しか知らない。やれやれどうしたものかと頭を掻いた。その時。
グぅ~~グルル~。お腹が鳴った。間をおいて目じりをなぞりながら安祐美は言った。
「竜二さん、朝ご飯食べました?」
「電車の時間がカツカツで今朝は抜きです」
「じゃーあ、出前でも取って早めのお昼ご飯にしましょう。長丁場になりそうですし」
「ああ、すいません」
「それで何食べたいですか?」
安祐美に笑顔が戻っていた。竜二は安堵し、そして閃いた。
「ラーメンが食べたいですね。安祐美さんが作った学生ラーメンを」
つづく
備考
※1万字程度で仕上げたいと思っています。シリーズとしての第1話です。続きについては、案はあります。
年齢の設定(現在は仮)
竜二 20~25歳
安祐美 30~35歳
幸一(兄) 安祐美の1歳または2歳下(同じ高校)
父、母 58歳~63歳ぐらい
住所 現在地 実家ともに未確定
今後の追加エピソード(仮)
・家族旅行のエピソード(母視点)
・幸一、高校生の時のラーメンのエピソード
追加しなければならない描写、説明
・安祐美の仕事、キャリアウーマン
・マンション購入の理由
・マンションから見える風景(和室の障子が開けられた時の見える風景)
途中投稿の理由
まだ完成していないから。すいません。m(__)m
執筆の狙い
指摘をする者は作品を投稿せよという風潮が以前はありました。個人的にはそれは違うだろうと思っていました。
ですが、指摘を快く受け取っていただくには、信用も必要だろうと今は思います。
このようなことを書けば、以前なら炎上していたかもしれませんが、そうならないことを期待しています。
後半部分について、面白いアイデアがありましたら参考にさせていただきたいと思います。
推敲不足かもしれませんが誤字脱字は、ご容赦ください。
(音声での聞き取りチェック、ワードのスペルチェック済み)
※サイトで修正できるようにしてほしい。投稿を躊躇する理由の一つ