作家でごはん!伝言板
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【ご案内】複数の小説コンテストを開催中です!(賞金あり/どなたでも応募可)

MOFIC JAPAN

はじめまして。
「読む楽しさ」と「書く楽しさ」が出会う小説プラットフォーム「MOFIC(モフィック)」です!
(※運営者様に掲載許可をいただき、こちらにご案内しております。)

現在、MOFICでは複数の小説コンテストを同時開催しております。
ジャンル不問のコンテストに加え、一部テーマ別の募集も行っておりますので、
ご自身の得意なスタイルでご参加いただけます。

また、受賞者の方には賞金をご用意しております。
応募条件はプロ・アマ不問/年齢不問で、どなたでもお気軽にご応募可能です。

現在開催中のコンテスト

・「日韓カップルの恋愛ストーリー」コンテスト

・「お題ガチャで書いてみた!」コンテスト

・MOFIC小説コンテスト「お題:AI時代」

・どんでん返し短編コンテスト

ご興味をお持ちいただけましたら、ぜひ以下の公式サイトから詳細をご確認いただけますと大変幸いです。
MOFIC公式サイト:https://www.mofic.io/jp

MOFICでは、国や言語を超えて、すべての作家様・読者様に「心からコンテンツに没頭できる、特別な体験」をお届けすることを目指しています。
今後も様々なコンテストを開催予定なので、ぜひ楽しみにしていただければと思います!

ご不明点がございましたら、MOFIC公式サイトの「お問い合わせ」よりお気軽にご連絡ください。

作家様の交流の場にて突然のご案内となり、失礼いたしました。

皆様の素晴らしい作品のご投稿を、心よりお待ちしております!

MOFIC JAPAN

小説について語るなら

匿名希望

自分の小説も貼っておいたほうがいいですね。
「葉山」名義で貼っておきました。

ノノアノさんへ

しいな ここみ

読みました。面白いですね。
つまり、現代で神視点小説が受けないのは、作者を『偉そうだ』と思われたら反発されるからですか。面白いꉂꉂ(ᵔᗜᵔ)アハハ
ただ、仰る通りの『作者を消す』こともできるはずですけど、やはりそれをできるレベルのひとが少ないということですかね。
確かに三人称にも『神視点』『特定の人物視点』『多数の人物視点』また『俯瞰視点』なんてのもありますね。私、『神視点』でホンマに神様が空の上から語ってるものを書いたことあります(*´艸`*)

現代では一人称は『叙述形式』でも『日記形式』でもあとなんだっけ……とにかくどれでもなく『実況形式』が多いですよねー。語り手が動きながらリアルタイムで書いてるみたいなやつ。不自然だけど実際書きやすいので私もよくやりますが……
『小説家になろう』の投稿作品を読んでいると、しかも視点人物がコロコロ変わったりします。同じ場面を視点人物を変えて描いたりとか──

『小説家になろう』でも「三人称視点は読まれない!」「一人称で書くべき!」とよく言われておりますが、それだからこそ、私はやっぱり三人称、神視点?で書いてやりたいですね。天邪鬼ですので(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾

ドストさんの『罪と罰』なんて、三人称なのにずーっとラスコーリニコフさんをべったり追っていて、金貸しの老婆の描写も確か主人公目線しかなくて、主人公のいないところには誰も存在しないみたいな形式をとってらっしゃったように記憶してますけど(うろ覚え)、それでもあのいろんな人格が街の中で絡み合う世界は、三人称でなければできないと思うんですよね。

テレビドラマは大げさな演技だったり説明的なセリフがあったりでリアリティーがないけど娯楽として成立しているのは視聴者が精神的に大人だから?

ノノアノ

《ひとつ反論をするとすれば『三人称は公募に落とされる』というところですね。その通りかもしれませんが、しかしそれは三人称でまともに書くのが難しいからではないでしょうか?》

 うーん……、しいなさんのそれ、デマですね。その通りじゃありません。私はよく曲解されて、そういった私が書いてもいないことを書かれて困ってました。「三人称」の小説のタイトルをあげて「神視点でもプロの小説はたくさんある」と反論してくる人がいたのです。公募で一次落ちすると言われているのは「三人称」ではありません。「神視点」の小説ですよ。

 基本的なことをいうと、もともと小説は、語り手が語る神視点です。しかしこれは小説にかぎったことではありません。文章は、書き手(語り手)の視点つまり神視点で書かれます。だから視点の感覚のない人が、三人称で「小説なるもの」を書くと、神視点になったり、一人称で書いたら日記やエッセイと区別がつかなくなったりします。

 現代の小説は、語り手が登場人物の視点をとって書くのが一般的です。つまり現代の「小説」が書けるようになるには「語り手の視点(神視点)」と「登場人物の視点」があることがわかっていて、なおかつ、違和感なく使い分けられなければなりません。そして「小説」は、語り手がその存在を消す(読者に感じさせない)ことで、大人でも娯楽として読めるものになった、ということを理解しておかないと、書き手として「作家ごっこ」の域を越えることはできません。たとえ本人には自覚がなく大まじめでも、「◯◯に捧ぐ」とか、本文のあとに俳句や短歌を後付けしておくとか、素人の偉ぶる作家気取りは、ネット時代においては嘲笑の的になりかねません。

 現代人がなぜ小説を読むのかを考えてみましょう。明治から昭和の、偉ぶる作家を求めてのことではありません。多くは、単純化すると「ストーリーを体験したい」からですね。その体験からいろいろ学びがあるかもしれません。が、でもそれを押し付けられたり、考えろだの、勉強しろだの、言われたくもありません。テーマが設定してあって説教くさいものだったりするとむしろ興ざめします。それが「わかりやすく」書いてあったとしても、です。

 だから、いまの時代は、偉ぶる作家を気取らないよう、そう思われないよう、また読者が臨場感を感じられるよう、視点を「登場人物」にしているのです。区別できるようにあえていうなら、三人称には「三人称神視点」「三人称一視点」「三人称多視点」があると覚えておいたらいいと思います。「一視点」「多視点」というのは、登場人物視点の数のことです。これは一人称の小説でも同じことですよ。「一人称神視点」「一人称一視点」「一人称多視点」。

 ここからちょっと難しい話になりますが、語り手視点(神視点)と登場人物視点が混ざっていると明確に区別することはできません。そもそも語り手(作者)が、登場人物視点をとるために、登場人物になりきって演技しているだけのことだからです。わかりやすい例文をあげると、自由間接話法(中間話法)があります。以下の文章を見てください。三人称ですが、女性のセリフのあと、自由間接話法を使って、一人称の男性の視点をとってますね。

──

「私を縛り付けるのが怖くて、物分かりのいい男のフリをしただけじゃない?」
 彼女にそう言われて彼は頭を抱えた。図星だった。俺はなんて馬鹿だったのだろう。それで別れてしまえば元も子もないじゃないか。

──

 自由間接話法は日本では源氏物語でも使われていたみたいですが、欧米では比較的新しい表現方法です。新しいといっても数百年前からですが。日本と欧米の違いは、人称が変わるとこですね。欧米の場合は「彼」なら「彼」のままです。日本語では上記のように「彼」から「俺」に変わります。これはどういうことかというと、日本語が非論理的言語で感覚的なものだからではないでしょうか。文法的にガッチリしていて、文章には必ず主語が必要だという言語では、主語が変わってしまうことが非論理的で異常なことかもしれません。だから日本でももしかしたら理屈っぽい人は自由間接話法が理解できないかもしれません。鍛練場でもまれに、三人称の小説なのに一人称が混じっているからおかしい、とかいう指摘を見かけましたこともありましたから。

 で、問題は「図星だった。」ですね。これが、どちらの視点で書かれたものか、ですが、個人的な結論をいうと「どっちでもいい」ですね。「俺はなんて馬鹿だったのだろう。」はわかりやすくするために「俺は」を書き入れましたが、なくても自由間接話法として成立します。「彼は頭を抱えた。図星だった。なんて馬鹿だったのだろう。」 さらにいうなら、「図星だった。」がなくても成立します。「彼は頭を抱えた。なんて馬鹿だったのだろう。」

 つまり、「図星だった。」もわかりやすくするための一文ですね。年齢層の低い読者によっては「なぜ彼は頭を抱えたんだ?」となるかもしれないので、「図星だった。」という一文があることで、「あ、そういうことか」となります。反対に、年齢層が高い読者だと、そこまで説明する必要はないのでは? 彼女のセリフで頭を抱えたんだから、彼女のいった言葉に図星を指されたことくらいわかるでしょ、と。

 けっきょく読者を意識したジャンル設定にもよるということで、ライトノベル的なものだったら、キャラの繊細な心理を読者に想像させるより、パッと書いちゃったほうが早いかもしれません。近年、日本語(文脈)の読めない人が増えてきたということもありますし、また、ストーリーから得られる果実はそういったことにこだわることじゃない、と言われそうですから。

 それから、私もちょっと前に気づいたのですが、ライトノベルでは、視点の概念すら重要ではないのかもしれません。なぜならライトノベル的なものは(全部とは言いませんが)、シナリオみたいなもので「無視点」といってもいいからです。とりあえずさきにまとめておくと、視点には3種類あり、「神視点」「人視点」「無視点」です。「人視点」というのは登場人物視点のことです。「神視点」と「無視点」はどこかに書いてあったと思いますが「人視点」は私の造語なのでいちおう断っておきます。

 神視点の「お話」しか書けない人は、シナリオの書き方を勉強してみるといいかもしれません。シナリオは、場所を示す「柱書き」、動作を示す「ト書き」、そして「セリフ」の三つで構成されていますが、リアルタイムのシーンが書けるようになります。ちなみにライトノベルはイラストが必要ですが、シナリオでも本文の前に人物一覧表が必要になります。またすぐに気づかれると思いますが、小説に必要な三要素は「描写文」「説明文」「会話文」で、シナリオでこれらに対応しているのが「柱書き」「ト書き」「セリフ」となりますね。細かい情景描写をしなくても、柱書きとして「○中学校の教室(夕方)」と書いておけば、共通認識として、夕陽の差し込む放課後の教室で、告白なり別れ話が始まる雰囲気が感じられます。実際どうイメージするかはあまり重要ではありません。重要なのは、セリフですね。リアリティーのある会話文、緊張感のあるやり取り。シナリオの場合は役者が演じてくれますが、小説の場合はト書き、説明文の部分で、より詳しく書くことになります。で、ここで肝となるのは感性ですね。自殺をしようとする人をやめるよう説得する会話文を、ただ並べていた人がいましたが、おざなりでぜんぜんダメというか、共感がまったくできませんでした。もちろんストーリーとしては、自殺を止めるシーンということで、その役割を果たしていることは果たしていますが。

 ライトノベルの「饒舌口語体」は、セリフ(ナレーションに近いモノローグ)みたいなものですね。だから視点の概念を超えています。セリフとしては登場人物の視点となりますが、読者を意識して語っているので神視点にもなります。たとえば登場人物の立場から直接的に読者に「みんなはどう思う?」なんて聞いてきたら、伝統的な小説だったなら「ふざけるな」となるかもしれません。しかし従来の小説の型を崩していて、変わってておもしろいといえばおもしろいので、若い人には受けるかもしれません。有名なのはサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』で、何年か前にサリンジャーの映画があって見ましたが、当時若い人に受けて全世界的にものすごく売れたみたいです。

 日本でそのサリンジャーの影響を受けたのが、村上春樹で、一時期、村上春樹に影響を受けた若い作家志望が多くいたみたいで、公募で村上春樹を送ってきても落とすみたいなことがあったらしいです。どういうものかというと、翻訳文体だったので日本語としては主語「僕」がやたら多く、またふつうではない気取った感じでしょうか。「やれやれ。」は有名ですが、非日常的というか、比喩表現もなんか小洒落てる?

 まあほかにもいろいろあるとは思いますが、ただ、ここで気をつけておかなくてはならないのは、視点は、語り手の立ち位置ばかりではなく、語り手(キャラ)の精神性を表現しているということですね。「饒舌な語り」もいいのですが、そのせいで「またそのキャラ?」と言われるかもしれません。つまりありがちなのは、一人称の書き手なら「おまえの書く小説の主人公はいつも同じだな」とか。また、踵を返すだの、独りごちただの、ふつうの高校生が使わないような言い回しをして「主人公は作家志望かよ?」とか。描写に凝っていると「こいつポエマーかよ?」とか。でも小馬鹿にされて悔しい思いをして、自分で原因を探り、語り手がなぜそのときそれを描写したのか、なぜ説明文を入れたのか、そういったものを考えるきっかけになるかもしれません。ようするに、客観的に読めたり書いたりできるようになります。

 また匿名の人が、《小説を読むこと、小説の読書感想文、そんなもの小学生でも書ける。鍛錬なんかじゃない》と馬鹿みたいなことを書き込んでますが、そうです、主観的になら誰でも読んだり書いたりできます。が、客観的に正しく読んだり書いたりするのは誰にでもできるものではありません。小中学校の国語のテストで点数が取れない人っていましたよね? それです。そして読める人なら、匿名の人の、そういった書き込みからも、その人の精神性がわかってしまうのです。匿名の人! 主観だけの世界に生きるあなたには、他人とぶつかり否定されつづけてもなお、自己肯定できる鍛錬が必要です。鍛錬して客観性を身につけてください。

辛澄菜澄さんへ

小次郎

辛澄菜澄さんの小説は、西尾維新さんっぽさは感じていました。僕は「物語シリーズ」を29巻まで読了。口語の文、西尾維新さんのような巧さが滲んでいました。文章も内容も、好みってあるでしょう?
たとえば、フルーツで、パイナップルが好き、でも、リンゴは嫌いみたいな。
全員がおなじもの好きだったら、完成度高いものだけでいい。パイナップルならパイナップルの完成度、リンゴならリンゴの完成度の。
自分の書く、文にしろ、内容にしろいくら完成度上げても嫌いな人はいくらでもいるわけで。
自分を信じて、自分の書くものを好んでくれる読者のために書けばよいのかもしれない?
僕は、楽しんで書いています。

イプセンの「人形の家」村上龍の「愛と幻想のファシズム」とか

小次郎

イプセンの「人形の家」って戯曲がある。あれは当時、賛否両論だったものだけど。誰かの、賛は別の誰かの否である場合もある。主人公の、ノラに賛な人もいれば、否の人もいる。
愛と幻想のファシズムは結構評価高いけど、たぶん主人公を嫌悪する人多い。あの主人公、目的のために、人を平気で殺すわけだし。
物語は、読者への主人公の好感度が全てではないんじゃないかな?
たぶん、どんな物語でも、「その」読者にとって受け入れられればいいってことかもしれない。
「その」であって。
因みに、僕はハリーポッターは好きではない。
ハリーポッター好みの人多いだろうけど。
本当に優れた作品は、出来るだけ多くの人の心を掴むけど、これは書くのが難しい。
難しいよなってだけ。

私の得意な饒舌口語体

辛澄菜澄

私は自分の得意とする文体を、個人的に「饒舌口語体」と呼んでいます。もっと厳密に言うなら、キャラクター式饒舌口語体。癖の強いキャラクターの一人称語りを基盤としつつ、よりぺちゃくちゃと喋らせ、より感情を押し出すやり方。物語よりもむしろ語り部の語りそのものを楽しめる効果があります。

通常の三人称が「◯◯はねずみ色の車に乗った。」だとすると、饒舌口語体は「私は私がだいっきらいなねずみとほとんど同じ色合いの(だからちょっと拒絶感を得てしまったのだけどね……)車に、なるべくおっかなびっくりな態度を曝け出すように乗り込んだ。」みたいにします。キャラの個性や感性を積極的に提示しつつ、一文の中の情報量を増やす感じです。あとは、呼び名の通り口語体(話し言葉)を混ぜることを恐れない。肩ひじ張って小説らしくしようとしないし、くすりと出来るようなユーモアも進んで織り交ぜる。

源流は、森見登美彦と西尾維新の合体です。リズム感のよい文章と皮肉げな笑いの要素を持つ森見文体の一人称のレールに、独特な価値観と他を圧倒する個性を持つ西尾キャラを走らせる、というイメージで書いています。小説を書き始めた初期はそれぞれの作家の劣化コピーを量産していたのですが、あるときから特性を混ぜて書くようになりました。すると、私だけの文体が出来たような気がして嬉しく、楽しかったのですね。

ごはんに投稿するときはほぼ必ずこの文体で置かせて頂いているのですが、一文読んだだけで「これは自分には合わないな」「読むのは時間の無駄だ」と感じられ、即座に読むのをやめてしまった方がいると思います。癖の強い小説ですから、当たり前のことで、まったく恥じることはないです。

しかし、私は私にしか書けない文がある、ということをとても楽しく、誇りに思っているのです。小説は書いてて楽しい、その上誰かに読んでもらって更に嬉しい、という良い娯楽です。私が目指しているのは、高尚な芸術ではなく、一部の方でも深い沼に嵌めてしまえるような、深い娯楽の世界なのです。それが実現できる文体が、饒舌口語体というわけですね。

みなさんは、自分が納得できる小説を書けていますでしょうか。書いていて、ちゃんと楽しいですか。それが普段、同じ物書きの方々を見回していて、特に気になっていることなのでした。

読む鍛練、感想の鍛練?なんじゃそれ?

 

作家でごはん!鍛練場について
作家でごはん!鍛練場は三つの鍛練を目的として創立されました。
それは書く鍛練、読む鍛練、感想の鍛練。

読む鍛練、感想の鍛練?なんじゃそれ?

小説を読むこと、小説の読書感想文、そんなもの小学生でも書ける。

鍛錬なんかじゃない。

そんなことを「鍛錬」などと言ってるところにこのサイトのアホさがある。

3点リーダーの効果。よいーん……

飼い猫ちゃりりん

文章に余韻プラス! いいじゃないか……
ということで、早速実験開始!

サンプル全文

古池や
蛙飛びこむ
水の音

3点リーダーで余韻プラス!

古池や……
蛙飛びこむ
水の音……

あれれ、なんだ、これは……

私の好きなもの

黒川憐

今伝言板を読みながら、ジブリのサントラを聞いてたのですがやっぱり好きですね。
(大きく話が逸れます、すいません)
結構なジブリオタクなのですが、ジブリの世界観や作画も大好きなんです。だけどやっぱりサントラがたまらなく大好きです。特に「借りぐらしのアリエッティ」のサントラが大好きです。
小説を書きながら、ジブリのサントラを聞くことがよくありますが、はかどる気がします。
みなさんは小説を書くときは、無音派ですか?それとも何か音楽を流す派ですか?

「はじめから完璧なんか期待しちゃいけない」
「何かを作ることは自分の中に原石を見つけて、時間をかけて磨くことなんだよ。 手間のかかる仕事だ」西司郎(天沢聖司のおじいさん)/耳をすませば より

「みな、自分だけは誤ちをしないと信じながら、業が業を生み、悲しみが悲しみを作る輪から脱け出せない」庭園の主/風の谷のナウシカ より

最近響いたジブリの名言です。
失礼しました。