くらげは考えた。
とても冒涜的なことを。
最近、ふと園芸をやりたくなったことがある。もちろん、そんな金はくらげにはない。
だから、実現できぬ願望だったのだが、無性に何かを育ててみたくて仕方がなかったのだ。
それから数日、だろうか。まあとにかく、いくつか時が過ぎて。いつも通り、不健康かつ怠惰な生活を送っていた。
真夜中に、視界を奪う光に包まれながら、たくさんのたくさんの、『知らない誰か』の痕跡を辿って。
そんないつも通りの日々の中、ふと考えたのだ。
木の苗を、一つ買ってきて。水をたくさんやって、枯れさせたらどうなるんだろう。
木だって一つの生命なのだから、言い換えれば、誰かの子供を殺したと言っても過言ではない行為なのだけれど。それを遂行して見せた時、自分は、くらげはどう思うのだろう。
生命に対する冒涜ではあるのだが、ふと、心の中で気になってしまったのだ。
自分が、自分の行為で、自分の手で、他人から何かを奪ったとき。
自分は一体、何を思うのだろう?
罪悪感を抱くだろうか。はたまた、愉悦を抱くだろうか。
それとも、何も思わないのだろうか。
それらは、やってみなければわからない。本を読んだり、他人に聞いたり、誰かの経験を追体験することはできるだろうが、それらは全て『冷静な自分』が作り出した虚構でしかないのだ。
くらげは度々『誰かの死』を描くが、くらげ自身はそれを経験したことがない。
つまり、くらげが創る死の全ては、空想と、妄想と、こうであろうという考えに基づいて構築されているわけなのだが。
それを体験したことのある人からすれば、それはどの程度現実に即したものなのだろうか?
……自分で考えついておきながら、なんとも無神経な問いであると思う。
きっとこれも、無知故にできることなのだろう。
しかし、人間とは非常に様々な性質を持っている。もしかしたら、それを経験してなお、上記のようなことを平気な顔して聞ける人間も存在するのかもしれない。
私は十数年生きてきたわけだが、いまだに全く理解できない人間は存在している。
その理解できない人間というのは、私と十数年共に生きてきたわけだが、今までその人間のことを理解できたこともないし、これから先理解できるとも思えない。
それほどまでに、その人間は私にとってずっと摩訶不思議なものである。
もしも、その人間を永遠に『喪う』時が来たら、私はその人間のことを少しは理解できるようになるのだろうか。
それとも、最後の最後まで理解できなかった人間として、私の中で完結するのだろうか。
そして、これを読んでいる目の前のあなたは、この独り言に何を思うのだろうか。
共感か、はたまた批判か。それとも、未知の思考への疑問と興味だろうか。
差し支えなければ、伺いたいと思う。
そうでもせねば、くらげは人間の中でやっていくことができなくなってしまいそうなのだ。
今はまだ未熟な周りの人間たちが、くらげだけを追いて成長してしまったら。
くらげと人間の間には、理解できないものが積み上がっていってしまうだろう。
くらげは成長しなくてはならない。周りの人間が、笑って許容してくれている間に。人間というものを知り、理解し、適応しなくてはならない。
自分の足元、自分より少し下の存在を見るたびに、そう思うのだ。
なんだかひどく気持ちの悪いことを書いている気がするがこれもくらげが考えたことであるし、少しではあれ書き留めたいと思ってしまったこともまた、本当のことなのだから。
この考えは、ここにおいていくことにする。
執筆の狙い
深夜にネットを徘徊していたらふと思い浮かんだことを文章化しました。
自分の思考を曝け出すことに若干の恐怖を覚えつつ、色々ありのままを書いたので、感想というか、『これを読んでどう思ったか』を聞かせて欲しいです。