作家でごはん!鍛練場
みこ

くらげは考えた。

とても冒涜的なことを。
最近、ふと園芸をやりたくなったことがある。もちろん、そんな金はくらげにはない。
だから、実現できぬ願望だったのだが、無性に何かを育ててみたくて仕方がなかったのだ。
それから数日、だろうか。まあとにかく、いくつか時が過ぎて。いつも通り、不健康かつ怠惰な生活を送っていた。
真夜中に、視界を奪う光に包まれながら、たくさんのたくさんの、『知らない誰か』の痕跡を辿って。
そんないつも通りの日々の中、ふと考えたのだ。
木の苗を、一つ買ってきて。水をたくさんやって、枯れさせたらどうなるんだろう。
木だって一つの生命なのだから、言い換えれば、誰かの子供を殺したと言っても過言ではない行為なのだけれど。それを遂行して見せた時、自分は、くらげはどう思うのだろう。
生命に対する冒涜ではあるのだが、ふと、心の中で気になってしまったのだ。
自分が、自分の行為で、自分の手で、他人から何かを奪ったとき。
自分は一体、何を思うのだろう?
罪悪感を抱くだろうか。はたまた、愉悦を抱くだろうか。
それとも、何も思わないのだろうか。
それらは、やってみなければわからない。本を読んだり、他人に聞いたり、誰かの経験を追体験することはできるだろうが、それらは全て『冷静な自分』が作り出した虚構でしかないのだ。
くらげは度々『誰かの死』を描くが、くらげ自身はそれを経験したことがない。
つまり、くらげが創る死の全ては、空想と、妄想と、こうであろうという考えに基づいて構築されているわけなのだが。
それを体験したことのある人からすれば、それはどの程度現実に即したものなのだろうか?
……自分で考えついておきながら、なんとも無神経な問いであると思う。
きっとこれも、無知故にできることなのだろう。
しかし、人間とは非常に様々な性質を持っている。もしかしたら、それを経験してなお、上記のようなことを平気な顔して聞ける人間も存在するのかもしれない。
私は十数年生きてきたわけだが、いまだに全く理解できない人間は存在している。
その理解できない人間というのは、私と十数年共に生きてきたわけだが、今までその人間のことを理解できたこともないし、これから先理解できるとも思えない。
それほどまでに、その人間は私にとってずっと摩訶不思議なものである。
もしも、その人間を永遠に『喪う』時が来たら、私はその人間のことを少しは理解できるようになるのだろうか。
それとも、最後の最後まで理解できなかった人間として、私の中で完結するのだろうか。
そして、これを読んでいる目の前のあなたは、この独り言に何を思うのだろうか。
共感か、はたまた批判か。それとも、未知の思考への疑問と興味だろうか。
差し支えなければ、伺いたいと思う。
そうでもせねば、くらげは人間の中でやっていくことができなくなってしまいそうなのだ。
今はまだ未熟な周りの人間たちが、くらげだけを追いて成長してしまったら。
くらげと人間の間には、理解できないものが積み上がっていってしまうだろう。
くらげは成長しなくてはならない。周りの人間が、笑って許容してくれている間に。人間というものを知り、理解し、適応しなくてはならない。
自分の足元、自分より少し下の存在を見るたびに、そう思うのだ。
なんだかひどく気持ちの悪いことを書いている気がするがこれもくらげが考えたことであるし、少しではあれ書き留めたいと思ってしまったこともまた、本当のことなのだから。
この考えは、ここにおいていくことにする。

くらげは考えた。

執筆の狙い

作者 みこ
fp96f93d39.chbd114.ap.nuro.jp

深夜にネットを徘徊していたらふと思い浮かんだことを文章化しました。
自分の思考を曝け出すことに若干の恐怖を覚えつつ、色々ありのままを書いたので、感想というか、『これを読んでどう思ったか』を聞かせて欲しいです。

コメント

偏差値45
KD059132253005.au-net.ne.jp

そもそも、他人を完全に理解することは不可能なのではないでしょうか。
たとえば、男が女の気持ちを完全に理解することはできないし、子供が老人の身体感覚を理解することも難しい。
そう考えると、「他人を理解しよう」と考え続けること自体、ある意味では無駄な努力なのかもしれません。
でも、その無駄な努力を続けることを「趣味」と考えれば、それはそれでくらげの本能なのでしょうね。

小次郎
madb68ab04.ap.nuro.jp

>自分より少し下の存在

周囲の人間ですか?

勝ち負けの世界に生きている感覚が漂っています。

成長したいのもそのためなのかなと。

短いですが、これにて。

みこ
om126133193239.21.openmobile.ne.jp

偏差値45さん、小次郎さんありがとうございます。

夜の雨
sp1-73-10-56.nnk01.spmode.ne.jp

みこさん「くらげは考えた。」読みました。

それでは、解説します。

くらげは考えた。  ← このタイトルは、なかなか良いのですが。結論から言うと、御作は『くらげは考えた。』になっていない。
つまり「くらげ」にしては、かしこすぎるというか論理的に物事を考えている。
そもそも、「くらげ」とは海中で海流のおもむくままにゆらゆらと海遊していて、自分で意識的に行動するという発想は私たち人間にはありません。
要するに、相手まかせで、ゆらゆらしているのが、「くらげ」であると人間(一般人)は考えている。
ところが、御作を読んでみると「どこがくらげ、やねん」と、思うほど、かしこく生き抜こうとしている。実際は、かしこく生き抜いていないだろうとは、思いますが。 くらげは、タマから、かしこくなどは、生き抜こうとは思っていない。

ということで、主人公の『くらげ』らしくない、生き方で、御作は語られています。

○ 内容です。

とても冒涜的なことを。
最近、ふと園芸をやりたくなったことがある。もちろん、そんな金はくらげにはない。
だから、実現できぬ願望だったのだが、無性に何かを育ててみたくて仕方がなかったのだ。
○
そもそも、「くらげ」がそんな前向きなことを考えるわけがない。
すでにタイトルのところで、「くらげ」のことを、説明しているのでわかると思うが、自分自身が海流に流されている存在なので、「無性に何かを育ててみたくて仕方がなかったのだ」こうなると、何か、裏があるあるなぁと、解釈する。

それから数日、だろうか。まあとにかく、いくつか時が過ぎて。いつも通り、不健康かつ怠惰な生活を送っていた。
真夜中に、視界を奪う光に包まれながら、たくさんのたくさんの、『知らない誰か』の痕跡を辿って。
○
スマホの光が漂うなかを、くらげの自分も漂っていた、その光のなかを。

そんないつも通りの日々の中、ふと考えたのだ。
木の苗を、一つ買ってきて。水をたくさんやって、枯れさせたらどうなるんだろう。
木だって一つの生命なのだから、言い換えれば、誰かの子供を殺したと言っても過言ではない行為なのだけれど。それを遂行して見せた時、自分は、くらげはどう思うのだろう。
生命に対する冒涜ではあるのだが、ふと、心の中で気になってしまったのだ。
自分が、自分の行為で、自分の手で、他人から何かを奪ったとき。
自分は一体、何を思うのだろう?
罪悪感を抱くだろうか。はたまた、愉悦を抱くだろうか。
それとも、何も思わないのだろうか。
○
他人(海流)まかせのくらげが、そんなことを考えるわけがない。
くらげは、ただ、海を浮遊しているだけ。
>それを、いかにも深刻に考えていますって、文学少年か、文学少女なのか、といったところ。<

それらは、やってみなければわからない。本を読んだり、他人に聞いたり、誰かの経験を追体験することはできるだろうが、それらは全て『冷静な自分』が作り出した虚構でしかないのだ。
くらげは度々『誰かの死』を描くが、くらげ自身はそれを経験したことがない。
つまり、くらげが創る死の全ては、空想と、妄想と、こうであろうという考えに基づいて構築されているわけなのだが。
それを体験したことのある人からすれば、それはどの程度現実に即したものなのだろうか?
……自分で考えついておきながら、なんとも無神経な問いであると思う。
きっとこれも、無知故にできることなのだろう。
○
御作は、主人公が「くらげ」と言っているが、実際は、くらげのような海を浮遊するような生物ではなくて、自分の頭でとことん、考えなければ気が済まない高等生物という事になる。その高等生物の高等生物であるが故の哀しみを描いているだけ。

しかし、人間とは非常に様々な性質を持っている。もしかしたら、それを経験してなお、上記のようなことを平気な顔して聞ける人間も存在するのかもしれない。
私は十数年生きてきたわけだが、いまだに全く理解できない人間は存在している。
その理解できない人間というのは、私と十数年共に生きてきたわけだが、今までその人間のことを理解できたこともないし、これから先理解できるとも思えない。
それほどまでに、その人間は私にとってずっと摩訶不思議なものである。
○
学校のクラスのなかでの級友はやることが理解できないと言っても、難解度がそう高いとは思わないが、社会で起きているニュースなどを視聴していると、たしかに、理解不能レベルが存在したりしている。

もしも、その人間を永遠に『喪う』時が来たら、私はその人間のことを少しは理解できるようになるのだろうか。
それとも、最後の最後まで理解できなかった人間として、私の中で完結するのだろうか。
そして、これを読んでいる目の前のあなたは、この独り言に何を思うのだろうか。
共感か、はたまた批判か。それとも、未知の思考への疑問と興味だろうか。
差し支えなければ、伺いたいと思う。
○
すでに上に書いているが、主人公のあなたが「くらげ」だと、名乗っているにも関わらず、現実から目をそらさないと、公言しているところに、面白みがある。
何しろ「回遊をしているくらげ」が、人命等を主張しているのだから。
一般人だと、「現実から目をそらしているレベル」と言ったところ。

そうでもせねば、くらげは人間の中でやっていくことができなくなってしまいそうなのだ。
○
くらげは、自分の世界の中でいるとよいのではありませんかね。
つまり、現在は「基本的、勉学」に励む。

将来は、その勉強で得た地位と知識で、世の中に貢献すればよい。

「基本的、勉学」に励む時期に、余計なことに頭を突っ込むと、何もかも中途半端になります。

今はまだ未熟な周りの人間たちが、くらげだけを追いて成長してしまったら。
くらげと人間の間には、理解できないものが積み上がっていってしまうだろう。
くらげは成長しなくてはならない。周りの人間が、笑って許容してくれている間に。人間というものを知り、理解し、適応しなくてはならない。
自分の足元、自分より少し下の存在を見るたびに、そう思うのだ。
なんだかひどく気持ちの悪いことを書いている気がするがこれもくらげが考えたことであるし、少しではあれ書き留めたいと思ってしまったこともまた、本当のことなのだから。
この考えは、ここにおいていくことにする。
○
お疲れさまでした。
ラストまで拝読しましたが、「くらげ」といいながら、結構まじめに世界を捕えているなぁと。

上にも書きましたが、現在は、学生さんならやることは決まっているのでは。
余計なことに頭を使うことは、社会人になってからでよいのではありませんかね。


以上です。


長々と、お疲れさまでした。

タイム
158.144.237.160.cyberhome.jp

『くらげは考えた。』拝読しました。
まず、『木の苗を、一つ買ってきて。水をたくさんやって、枯れさせたらどうなるんだろう。』という部分を読んで、水をやらずに枯らすのではなく、『水をたくさんやって枯れさせたら』と考えたのはどうしてなんだろう、と興味深く感じました。

それから『誰かの死』についてですが、私自身は実際に人の死を前にしてもあまり感情が動きません。
死にまつわる物語を書く際には、みこさんと同じように空想と妄想をフル稼働して書いています。
ですから、実体験があったとしても感じることは人それぞれであり、結局のところ(経験の有無にかかわらず)登場人物の気持ちは想像で書くしかないのではないか、と思っています。

理解できない相手というのは、私にもたくさんいます。
過去も現在も、一番身近にいる人達が最も理解できない人達ですし、向こうも同じように感じているのだろうなと思います。
ただ、違う考え方をする人達が身近にいるからこそ、世の中にはいろいろな考え方があるのだな、と知ることができるので、それはそれで良かったなと前向きにとらえています。

人間を知るための方法と致しましては、読書もおすすめです。本の中では、古今東西のありとあらゆる登場人物達が、さまざまな心の内を語ってくれているからです。
ネット上では、自分と似たような考えや価値観・趣味嗜好を持つ人達の意見が反響し合い増幅する、エコーチェンバー現象が起こりやすいため、偏った考えに陥るリスクがあります。
自分には理解できない言動をする人々が、心の奥底ではどんな想いを抱えているのか。本の中には、それを知るヒントが散りばめられているように思います。

どうしても人間としてやっていけないなと思う日がきたら、くらげを自認して生きていくのも悪くないと思います。
先日、水族館でいろいろな種類のくらげを見ましたが、どのくらげもみんな、とても綺麗でしたよ。

なんだか説教臭い妄言を長々と書き散らしてしまい、大変失礼致しました
またいつか、作品を拝読できる日を楽しみにしています。

みこ
fp96f93d39.chbd114.ap.nuro.jp

夜の雨さん、タイムさんありがとうございます。
……ところでいつの間に学生だとバレていたんでしょうか……

夜の雨
sp160-249-43-100.nnk02.spmode.ne.jp

>……ところでいつの間に学生だとバレていたんでしょうか……<

私は十数年生きてきたわけだが、いまだに全く理解できない人間は存在している。
○
中学卒業で15歳。
高校卒業で18歳。
大学卒業で22歳。
「私は十数年生きてきた」ということは、まだ、学生さんということです。

>その理解できない人間というのは、私と十数年共に生きてきたわけだが、<
「理解できない人間」とは、「同級生」で、同じく「私と十数年共に生きてきた」
この「十代」という年頃は、人生を構築している時代(作っている過程。生き方を、学んでいる)なので、周囲の同年代の人物は、理解できなくて、当然。まだ、生き方やら、方向性が決まっていない連中だから、理解できない。
だいたい主人公が『くらげ』なのだから、海流に流されていて、どこに行くやら、わからないのでは。なので、周囲の同級生もあなたの事を「理解」できないと思っている。

まあ『くらげは考えた。』と「考えた」だけでも、マシ。というか、未来はあります、考えているので。


こんなところです。

夜の雨
sp160-249-41-119.nnk02.spmode.ne.jp

>その理解できない人間というのは、私と十数年共に生きてきたわけだが、<
これって、両親とか、兄、姉。または祖父母なども入りますね。
要するに、自分より年上だと、産まれてからあと、自分と一緒に生活しているわけだから、「私と十数年共に生きてきた」という事になります。
「理解できない」というのは、「両親とか、兄、姉。または祖父母」これらの方が、自分よりも長く生きているので、それだけ、「人生を体験している」という事になります。
だからその体験している分、相手を理解できない、という事になりますが。自分は体験していないので。
これを体験しようと思えば「話し合いになりますね」。
ほかには書籍(本)をたくさん読んで、人生経験を積む。
本には、いろいろな人生体験が描かれているので。
カフカの「変身」を読むと、「毒虫」にもなれますし。
夏目漱石だと「猫」にもなれるかな。
文学作品を読むと、多種多様な人生経験を積むことができます。
エンタメまで入れると、そりゃあ、大変だわ、怪獣相手に戦う羽目になるかもしれないので。


以上です。

浮離
KD059132141218.au-net.ne.jp

書き手がまだ学生さんらしいことを知って感想書くのやめようかなと思っていたんですけど、スレの進行が目に余って不健全すぎることを見過ごすほうが学生さんらしく当たり前の未熟さを見逃すよりよほど不健全な気がしてしまうので当たり前すぎる文句を言いにお邪魔しました。
書き手は返信の必要ないので読まなくていいし、気にしないことです。
興味のある人だけ読んでいってください。


>くらげは考えた。

いいタイトルですか?
もちろんそういうことでいいんですけど、それが標榜するものって、ベクトルってちゃんと理解出来てますか?
普通以下の人にはわからないと思うし、はっきり言ってしまうと書き手自身が自覚できていないことこそ明らかなはずなんですよね。
わかんないですよね? なに言ってんのか。

これって、”小説”っていうジャンルすべてを巻き取るくらいのコンセンサスの話のはずなんですよね。

語り手イコール”自称”くらげ

はい、上記のセンテンスの中で”小説”として、書く、読む、同義として最も重要な箇所はどこでしょうか。



馬鹿に時間くれても腐るだけなのでさっさと進めますよ、どうせ考えることなんて嫌いなばっかの人しかここにはいないことくらい承知の上です、いきますよ?

親切にダブルクォーテーションくれてますよね。
そんな答えをくれられて、これ読んでるあなたはどこまでその答えを、”小説”っていう基礎的解像度を当たり前に把握できましたか? もしくは確認する意図を持てましたか?

これって、作品についての話じゃないんですよ。
その前提を当たり前に察してお付き合いしてくれている人、どのくらいいますか?
あたしはそういうの、もうとっくに期待してないんですね実際。
バレるですよ、”感想を書く”ってそういうことなんですよね、それを理解して覚悟して望めている人なんてほぼいないでしょ、バレてるんですかなりのとっくに。
”書く”なんてことは簡単なんです実際。
書きたいこと書けばいい、って達観っぽいだけのただの怠け者の言い逃れみたいなこと言う人よくいるじゃないですか、もちろんその通りなんですけど、そうしてちっとも馬鹿であることわざわざ見せびらかしてること自覚できないなら悪いこと言われないいうちにやめて消えといたほうがいいよ、ってあたしは常々お伝えしてるわけなんですね、聞く耳持たない怠け者のたかが馬鹿が自ら恥とクズをみすみす腐らせて居座る諸々ども、もう数えるのも面倒くさいじゃないですか? ゆうて中身なんて同じやつばっかもすけすけなことでさ?

脱線したのでお家に帰りましょうか。

”くらげ”って、その自称する”認知”ってどう捉えますか。
伝わらなくてもいいです、それを取り違える”読者レベル”っていうのがそもそもの差分の始まりになるんだと思うんですね。
読み終えてわかるっていうのはとっくに遅い話で、読了せずに感想書くな論ってあるじゃないですか、それってどっちにも言えることなんですけど、あたしは肯定する上で能力のないものがそれを居直る様も含めて明らかな材料として受け取れる、ってこと言ってるんですね。

このお話を、この世界をどういう基盤に基づいて受け取るのか?
わかりづらいですか?
例えばなんですけど、ゴリゴリの純文と、お花畑しかないファンタジー、どちらも同じ価値観や想定理解で受け取る人っていると思いますか?
たぶんいないはずですし、わからない人は生まれついての欠落痛み入るので可哀想だけど即刻退場してください、シンプルに知能的不適格でしかないのは社会のせいじゃないしあたしのせいでこそないのでごめんなさいとしか言えないですよね。

わかりますか? 
想定理解、って読み手の能力ってことなんですよこの度においては。
例えば”共感”って、口々に軽々しく言われがちなことってどういうことか問題、ってことでもいいです。
感動する、心動かされる、それって共感と思う人ほとんどだと思うんですけど、こと”創作”っていう不躾な欲求に踏み入る以上にはそればかりでもない”共感力”っていうものが当たり前に作用して正確な認知に足ることが必要不可欠な素養として不幸なほど影響作用してしまうこと、いい加減に理解して努めて自分に躾ける意識に励む必要を思いつくべきかと思うんですよね。

上の長々と繰り返す相変わらずの文盲読者いるじゃないですか。
あれを真に受ける人、どれくらいいそうですか書き手自身を筆頭に。
これってまさしく、”小説サイト”としてその存在価値の存亡に関わる見逃し厳禁案件のはずなんですよね。

読み手は読み手として、書き手の程度すら正確に計って受け取る視座を怠けたらダメなんですよ。
ましてここはたかが素人のダル絡みありきの創作サイトですよ、たかが素人の差し出すものを真に受けてわかったような気に耽るばかりみたいな不健全さなり怠惰な欲求って、どう思いますか。
あの感想を、”悪しき手本”として当たり前に理解出来た人、どれほどいますか?

あたしは、いないと思ってます。



仕事行かないとだからここまで。
呆れすぎてご飯食べながらとりあえず書き込んでしまったんですけど、あたしがおかしなこと言ってる気がするならそんなきみはもうここに来たらダメです。
必ず何かをやらかして居場所無くすだけのストーカーみたいになります。
近頃も無自覚甚だしく自意識ばら撒いてこれっぽっちもまともに相手にされてない馬鹿いるじゃないですか寂しくてクズにばっか擦り寄るしかない乞食風情

あなたもそんなのになりたいですか。


ここって、もっとヒリヒリと”小説”したくてジリジリわくわく苦しむ場所なんですよ。
承認求めて乞食晒すような面倒くさがりの無能馬鹿には到底無理筋のストロングな場所なので、もういい加減にしたほうがいいですよ。
とっくに資格ないので。
いろいろいうことありすぎて忙しいですけどまあ、あたしの言うこと見逃したらかなり損するので熱心に観察したほうがいいです。
絶対に面白いし気づき多いことかと思うので馬鹿以外の方はよろしくお付き合いください。



ではまた後ほどです。

浮離
KD059132143145.au-net.ne.jp

ではまた後ほど、なんか言いながらすっかり日を跨ぐにはそれなりに理由がありそうなもので、じゃなくて要らぬ理由を見せびらかすな、って言うのが本音と言えば本音、じゃなくてそれしかない理由において日を跨具しかなかっただけのこと待ち惚けてくれていた人なんていなくてもやってしまう、みたいなことこそが”小説”っていうたかが動機でこそあるべき、とするあたしがバラけたタイミングで再臨しても気づかない不幸を自覚するべき必要のある人、にも適性も資格も求めるから別に気にしないです。

とかなんとかそんなのはたかが挨拶文。
最コメ欄の有り様見たら当たり前にやる気失せるじゃないですか、それだけです。
再開しますね。

このお話に限ったことじゃないです。
その上で、このお話に限って眺めるにもつまりはこの世界の”支配権”みたいなもの握ってるのって、なんだと思いますか。
あたしは先のコメで”コンセンサス”って言ったんですけど覚えてないですよね全然いいです思い出さないとついて来れない人は単純に階層の違いとして巻き戻して先のコメを一読して帰ってきてください8面まで時間は残されてるので慌てる必要なんて全然ないしただ一つ資格的課題ってそんなあなたの”熱量”の問題でしかないからあたしには関係のないことですしまた逢えたなら嬉しいですとだけお伝えしとくとして。

>木の苗を、一つ買ってきて。水をたくさんやって、枯れさせたらどうなるんだろう。
木だって一つの生命なのだから、言い換えれば、誰かの子供を殺したと言っても過言ではない行為なのだけれど。それを遂行して見せた時、自分は、くらげはどう思うのだろう。
生命に対する冒涜ではあるのだが、ふと、心の中で気になってしまったのだ。
自分が、自分の行為で、自分の手で、他人から何かを奪ったとき。
自分は一体、何を思うのだろう?

誰でもわかることかと思うんですけど、わかんないらしい人もいるらしいからこんな話してるわけなので面倒臭がらないでください。面倒なら消えてください。

>木の苗を、一つ買ってきて。水をたくさんやって、枯れさせたらどうなるんだろう。

これってとても優秀なアイデアのはずで、是非とかどうでもいい上で書き手なりにこの世界の重力を設定するれっきとしたお行儀としてあたしは文鎮置くんです。
そんな上で改めて眺める、上の抜粋文全体をもう一度。

上の文盲読者ったら、ずっと”くらげくらげ”ばっか言ってるんですよね、その覚束ない浮遊感ばかりの”読力”ってことですよ。
抜粋文、慎重に読み込めましたか? 
”コンセンサス”、掴めましたか?
わからない人向けに、すっごい端的にヒントくれます。
っていうかすぐバラすんですけど。

書き手には思い当たるでしょうか?
あたしはあんまり信用してないですけど。

>自分は、くらげはどう思うのだろう。

>自分は一体、何を思うのだろう?

はい、どうですか?
これって、あたしの個人的感覚でしかないですか?
”小説”って、常に”根拠”を踏まえて振る舞われるもののはずと思うんですよね。
そんなこと考えながら上の二つの抜粋を見比べてください。
どうして書き手はあえてかどうかすらもさておきとして、こんな書き方をしたのか?
するべきとしたのか? たまたまそう書いただけなのか。

これって、思いの外見過ごせない”読書”の話かと思うんですよね、個人的には。
もしくは、”創作”っていう観点においては明らかな疑惑として当たり前に咀嚼して対峙する感覚は必携のはず、とすら。

ちょっと飛び越した地点へご案内。
このお話の語り手って、”誰”かと思いますか?

普通に察する人レベルで進めさせてくださいあたしは親切ではないし面倒臭がりでこそあるので優しくもないです。
あたしは最初の抜粋文ですね、あれってつまりは”二律背反”を定義する”コンセンサス”っていう設定のはずって、当たり前に受け取るものなんです。
わかんない人向けに少しだけ親切に立ち返りますよ?

”くらげ”と”自分”

書き手はそれを区別できていたのか? そのつもりはあったのか? 馬鹿な読者が勝手に見過ごしただけなのか?
もちろんあたしはこの書き手の筆力を完全に侮って受け取ってるので全然信用してないんですね。
単純に”主語”に対する杜撰な意識が無防備に運用されただけ、って断定に近い侮り方でお付き合いしたものなんです。
っていうか、

”くらげ”と”自分”

それを同一同義として当たり前に受け取れるつもりなら、それってまさしくこのお話をまるきりわかってないことの証左にこそなりかねないはず、ってわかりますか?
だって、だったらなんでたかが十数年しか生きていないらしいこの語り手はこんな自惚れたような妄想崩れみたいなことをスマホの明かりに照らされながら思い立たなければならなかったのか、くらげと自分を同一同義として書き手こそそのつもりだったのならこれほどクソつまんない妄想って、他人に見せつける価値なんてあるはずもないいちいち読ませたがる意図こそわからん、みたいなこと意地悪く当然として思いついてしまいますよね。

勘違いしたらダメですよ、あたしはまだ学生さんであるらしい書き手を見下してるんじゃなくて、瑕疵でもなんでもないその程度であることでしかないものをこれ見よがしの見栄に耽って甘やかして真に受けて恥ずかしげもないどころか自らダメを押す文盲読者らしい間抜けさを心の底から馬鹿にしてるだけです。

わかんないですか?

”小説”っていう作品それぞれの根拠って、その効力って実際なにが寡占して振る舞われるものかと思いますか?

語り手が語ることが根拠であって物語世界の事実として効力化して振る舞われるものなんですか?
だとしたらみなさん得意になって笠に着る捻くれ者ばっかの昭和の文豪作品だとか、それってどんな読み解きしてるつもりなんですか?
伝わんなくていいです、そんな当たり前の理解においてあたしは上の間抜けな文盲感想者って、はっきりと低脳と思うし”小説”を笠に着るばっかの独善的で欺瞞に塗れたその臭み走る有り様を思いっきり軽蔑してしまうんですよね。
あの有り様って、今の世の中に置き換えるならAIの言い草を真に受けて借り受けて利口なつもりなばっかの馬鹿の有り様となにも変わらないはずなんですよね。
わかんなくてもいいですよ、これ読んでるそんなあなたも馬鹿なだけなのでそんな馬鹿に向けてとことん優しいばっかのこれからの世界にすっかり甘えてもっと馬鹿になったらいいです。

浮離
KD059132143145.au-net.ne.jp

>自分が、自分の行為で、自分の手で、他人から何かを奪ったとき。
自分は一体、何を思うのだろう?

この箇所をするっと読み進めてしまえるなら、あなたははっきり馬鹿なので自覚したほうがいいです。
基礎的な”読書”をわかってないはずだし、そもそもそんなことには興味ないだけだから生意気なこと今後一切言わないこと言いたがらないこと所詮馬鹿なだけなので。

これってつまりこのお話の”コンセンサス”を定義する重力点のはずなんですよね。
極端なこと言ってしまうと、これ以降って読む必要ないはずなんですよね。
勘違いしたらダメですよ? 
書き方次第なら読む必要がないはずなんてないのが”小説”ってものですけど、このお話はそうではないことを明らかに白状する閉じに止まってるはずでしょ? ってことです。

奪わないとわかんない、経験してないからわかんないだとか、それが十数年しか生きてないからってことでもそれは全然構わないんですけど、でもこれって”小説”なんですよね。
それとしてこの有り様に閉じることを未熟だとか下手くそだって言いたいんじゃないんですよ勘違いしないでくださいね、あなたたちって常からあたしを悪者定義したいバイアスに駆られて眺めたいばっかでしょ? だから、待ってるの地獄ばっかなんです。
あたしはただ、このお話の有り様として正確に受け取れって言ってるだけですよ。

このお話って、たかが十数年しか生きてないだけの自惚れたクソガキの思い上がった焦りのうちにも入らない馬鹿げた白状でしかないじゃないですか。
言い換えるなら、そんな純情を安く飼い殺したのは書き手自身でしかないってことについてあたしはつまらないとはっきりと思うし、もっっと”小説”っていうものが叶えてくれることを敬ってもっと深刻に甘えられること疑わないでくださいよ、ってお尻叩いてあげたい。

”小説”って、自惚れたガキと馬鹿な大人のための架け橋かなんかなんですか。
馬鹿っぽくないですかなんそれですよそれこそ。

”小説”たる、その”作品”たるコンセンサスって、書き手が定義するんですか? 読者はそれに従って真に受けることが”読む”っていう精緻な態度なんですか。
あたしはそれを振る舞う書き手と、それに突きつける強固な理性を以て受け取る読者との対決だと思ってます。

>自分が、自分の行為で、自分の手で、他人から何かを奪ったとき。
自分は一体、何を思うのだろう?

わからないですか?
この語り手って、自分をまったく鵜呑みにしてるだけの未熟なだけの馬鹿じゃないですか。
あたしは当たり前にそう受け取ったって話をしてます。
どれほど生きたらわかることなのかとかそんな問題じゃないですよ、それってその人次第っていう絶対値ですよ、”絶対知”って言い換えてもいいはず。
人なんていついかなる時も他人の時間を奪わないと関われないでしょ。
なにも出来ないでしょ。
お陰様とかお互い様とか簡単に言うけど、そういうことわかんないで言うならあなたってただの馬鹿ですよ、生きた時間なんて関係ない。
そんなこともまだ知り得ない年端もない未熟者の戯言をこの書き手はそのつもりで書いただけのはずだし、むしろそれを擁護して未熟者なり若気ならではの如く美化するらしくその薄弱とした思考を優雅に泳がせて飼い殺すような閉じに逃してるだけじゃないですか。
書き手はそれを書きながら救済を思いつくことすら怠けたどころか開き直るように置き捨てる意思を憚らず白状して結んだんですよ。
勘違いしたらダメですよ? 何度も言いますけどあたしはこのお話や書き手の意図するところを批判してるんじゃなくて、それをそれとして当たり前に読み取れないどころか、

>「くらげ」といいながら、結構まじめに世界を捕えているなぁと。

なんて間抜け甚だしく同調して見逃す馬鹿文盲に狂おしいくらいの間抜けさと嫌悪を思い付かずにはいられないだけです。
あえて書き手に対して苦言をくれるならやっぱり先に言った通り、

”くらげ”と”自分”

っていうその背反する景色を、本来自覚して”小説”に心開くべきその動機を書きながら無知か無自覚にまんまと逃したらしい有り様をもっと自覚するべきと思うし、そんなたかが程度すらも読み取れない間抜けな感想者のボロい言い草を真に受ける、そんな程度でしかない学生風情でしかないことをもっと豊かに眺めて批判してクソに蹴落としたって愛でるしかないことくらい思いつきたがれ、なんてかなりコロシ風味強いことつい言いたくなってしまうんですけど。


これって書き手のせいじゃないですよ。
たかが馬鹿で間抜けなだけの卑怯な大人のせいでしかないです。

たかが自分程度の曇ったものくらい常に取り払う意識なしで他人様になんてもの言えると思うなって言いたい。
全然そんな覚悟感じないことばっか軽々しく見栄に化かしたがってばっかでうろつくなって言いたい。

お互いの時間を奪い合うばっかのこんな場所で、一体なにがしたいのか。出来るのか。
どいつもこいつも不純なばっかを恥じらいもせずにやらかしてばっか、見苦しいんですよ実際。


若い書き手の場所で、見苦しい大人を吐き出すことくらいあたしは簡単だし、でもそのかわり嘘はつかないから腹立つだけならやめちまえ。
見苦しい大人のたかがやり口として、この有り様ばっかは謝りますよ。



すみませんでした。

山田
180-199-23-51.area58a.commufa.jp

読ませていただいて、私の感じたことだけ書きます。
ほかの皆さんのコメントがちらちら目に入りますが、私の所感についてだけ述べますね。
私の所感ですので、私の考え方のフィルターが当然かかっておりますが。

以下の箇所に特に共感しました。

「それらは、やってみなければわからない。本を読んだり、他人に聞いたり、誰かの経験を追体験することはできるだろうが、それらは全て『冷静な自分』が作り出した虚構でしかないのだ。
くらげは度々『誰かの死』を描くが、くらげ自身はそれを経験したことがない。
つまり、くらげが創る死の全ては、空想と、妄想と、こうであろうという考えに基づいて構築されているわけなのだが。
それを体験したことのある人からすれば、それはどの程度現実に即したものなのだろうか?
……自分で考えついておきながら、なんとも無神経な問いであると思う。
きっとこれも、無知故にできることなのだろう。」

たとえばこのサイトに来る人たちは、私含めてものを書く人たちが多いので、それに引き寄せて解釈してしまいますが、創作って簡単に「病気」や「死」などを書いてしまうことができますよね。
5行で書くこともできれば、何ページもかけて書くこともできる。
特に「死」は、誰も経験したこともないのに、
私も含めて、創作者たちはあまりにも容易くそれを書き連ねているように思います。

創作から離れても、伝聞や読書体験を、私たちはあまりにもさも知り顔で「分かったように」語る。
そんなことへの違和感が、ここでは書かれているのだろうな、と思いました。

「しかし、人間とは非常に様々な性質を持っている。もしかしたら、それを経験してなお、上記のようなことを平気な顔して聞ける人間も存在するのかもしれない。」

これも分かるような気がします。当事者でなくなると「喉元過ぎれば熱さを忘れる」みたいなこともあるのではないかと。解釈が合っているか分かりませんが。

「もしも、その人間を永遠に『喪う』時が来たら、私はその人間のことを少しは理解できるようになるのだろうか。それとも、最後の最後まで理解できなかった人間として、私の中で完結するのだろうか。」

たとえば家族とか、他人の死というのはあっけない事実として訪れるもので、
そのとき、その完結した人の人生なら私たちは理解できるのか、ということを考えました。
たとえば歴史漫画の偉人伝なんかを読むと、私はちょっとラストシーンなどに違和感を持つことがあります。
あまりにも小奇麗に描かれすぎているのではないかと。
もちろん、臨終シーンに重きをおいた偉人漫画なんてシュールですが、
その偉人が最期に走馬灯を見るシーンなんかには、なんとなくそんな気持ちになることがあります。

誰も他人のことなど分からないのだ、なんて書いてしまえば身もふたもないですが、
自己理解、他者理解、人生の意味を再考させる随想だと思いました。

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