岩田聡と歩く道 決断編 険しき道編
〇決断
2011年競馬ではオルフェーヴルが3冠を達成した時代。
任天堂DS、Wii共に売上のピークを超え、ソフトもハードも共に数を減らしていた。それは任天堂の減益、減収でもあった。
記者の大河内は岩田に問う。
「どうですか? わたしにはこれは任天堂の曲がり角のように見えるのですが」
岩田はそれを正面から受け止めて
「今までが売れすぎてたといっても、この先何が起こるかわからないのがこの業界。幾つかの手は打とうと思ってます。それをお楽しみいただければ」
大河内は色めきたつ。
「と言うと、やはり今話題の携帯電話のゲーム、モバイルゲームに手を出すということですか」
岩田は大きく首を振り
「それは一切考えていません」
大河内は荒っぽく言う。
「岩田さんも頑固だな。時代は携帯電話。成功体験に浮かれていると埋没しますよ」
岩田は応える。
「それは手厳しい。でも、我が社のマリオやポケモンをまだ定かではない携帯電話ゲームに出してブランドをすり減らすわけにはいかないのです。IP(知的財産、ゲームやそのキャラ)こそが次の任天堂の柱だと思っていますから」
大河内は一人寂しげに夜道を歩く。岩田に怒ったのは、やるせなさからだった。
今話題の携帯ゲーム、あのタッチパネルの技術などは任天堂DSが切り開いたもの。それが百花繚乱に咲きほころうとする正にその時、タッチパネルの特許を主張することをしない。それは任天堂の奥ゆかしさとしても、まるで参入しないのはDSで培った財産を活かす絶好の機を逃しているようにしか見えない。
「時代は携帯電話だよ。ゲーム機の時代は終わったんだ」
そう大河内はつぶやいた。
*
任天堂社内のインタビュー企画「社長が訊く」で久し振りに岩田、宮本、糸井が一堂に会した。
話題は横井軍平の遺した異端のハード、バーチャルボーイについてだ。バーチャルボーイは双眼鏡のようなハードを覗くことで赤いレイヤ―で構成された立体映像でゲームを遊べる機械。
しかし、商業的に振るわず謂わば「失敗作」の烙印を押されたハードだった。
その失敗について宮本は語る。
「ワイヤーフレームの戦闘機ばっかり出てきて、マリオたちが出てこないというのは、やっぱりちょっと寂しいと思うんですよ。ところが、2Dのマリオの絵を奥行きを変えて表現するだけでは、バーチャルボーイ本来の魅力を活かせない。だから、まぁ、複雑だったんですよ」
岩田は応じながら宮本の論の要点を、分かりやすくかみ砕く。
「いずれにせよ、あの赤と黒だけの表現では、ゲームの映像がどんどんリッチになっていったあの時代においては、ちょっと分が悪かったですね」
糸井が独自の観点で斬り込む。
「なんていうのかな、バーチャルボーイというゲーム機は日常生活の中に溶け込むには無理があったんですよ。逆にいえば、任天堂の商品は、娯楽でありながらいつも生活の中に入り込んでいくことができたんです」
岩田が話を軟着陸させる。
「そうですね。思えば、『スーパーマリオ』でファミコンがブレイクしたときも、お茶の間の事件として語られましたよね。兄弟や家族でコントローラを奪い合ってたっていうのは、やっぱり、日常生活の中での話であって」
昔を懐かしむ和やかな空気が流れた。そして話は、バーチャルボーイから3D表現、3D立体視、新ハード3DSへと至っていく。
3DSは立体視技術で正に画面から映像が飛び出すことをアピールポイントにしていたのだ。
前社長山内のバーチャルボーイから夢見た「飛び出せへんか!」の言葉。
時には誰かが強引にリーダーとして舵を切らないといけないときがあるということ。
その全てを集約して糸井が言う。
「ライト兄弟は技術によって飛行機を飛ばしたと言われるかもしれないけど、ライト兄弟は「飛びたかったんだよ」それが飛ぶことに繋がった」
宮本が繋ぐ。「飛び出せへんか!」ってね。
*
任天堂の新ハード3DSの売りはコアゲーマーもターゲットにしたハード性能もあるが、それ以上に3D立体視、機体側面のスライダーをいじると画面が飛び出すことが売りだった。
当時3D映画のアバターが流行り、3Dテレビがどんどん流行的なトレンドになっていった時代。
時代がとうとう任天堂のバーチャルボーイからの悲願に向けて傾いていった。岩田は時は来たと思った。宮本もそう思った。糸井も同意した。それが任天堂全体に心地よく伝播した。
3DSは2011年2月26日に発売された。そしてそれは絶好のスタートを切った。誰もが岩田のマジック再来と確信したとき、しかし、それは起こった。
岩田は京都の任天堂でお茶を啜っていた。お菓子はブルボンのアルフォートだった。ささっと書類に目を通し、うんと伸びをする。その時、岩田の足元が揺れた。思ったよりも長く続くぞ。と岩田は椅子にもたれかかり、地震をやり過ごした。
「震度3かな?」
そのまま作業を進める。書類のチェックが終わらないうちに、宮本がなだれこんだ。「あかん、あかんよ、岩田さん」
後に3.11東日本大震災と呼ばれる未曽有の大災害だった。テレビでは原発のメルトダウンについてワイドショーが連日取り上げ、CMはACのものに差し替えられた。「こんにちわ」「こんにちわん」「ありがとう」「ありがとウサギ」「こんばんは」「こんばんわに」「さようなら」「さよなライオン」「まほうのことばでたのしいなかまがぽぽぽぽーん」
余りにも場違いに暢気なCMが醸し出すように、福島原発は正に神の配剤が無ければ壊れて放射能が飛んでいたという異常事態だった。津波もまた当時の「津波警報なんて大丈夫だろう」という甘い認識の隙をついて沢山の本当に沢山の人や土地を飲み込んだ。
*
この3.11からの景気の大減退により、3DSの売り上げは著しく鈍化。岩田の想定したテイクオフを遥かに下回るものになった。地震だけは岩田も予想できない。それでも岩田はそのセールス低下の責任を全て震災のせいにはしなかった。
「日本の3DSの販売状況は発売当初こそ、順調に販売できましたが、発売3週目以降の販売が大きく減速しており、私たちが事前に想定したとおりの立ち上げ推移とはなっておりません。もちろん、東日本大震災の影響が大きいことは明らかですが、震災の影響だけで今の状況を説明すべきだとも考えておりません」
愚直なほどに岩田は真っすぐに前を見ていた。
大林という髭面の役員が言う。
「良いのかい? 岩田社長? これをやったらまず赤字に転落だぞ」
岩田は凛と応える。
「10年後、20年後、任天堂の未来を見据えては今のタイミングしかありません。今、ユーザーの手を離してはいけません。逆ザヤなのは覚悟の上です」
岩田は静かに、しかし断固とした手つきで、決裁の判を捺した。それは、任天堂の歴史において前代未聞の、発売からわずか半年での1万円の値下げだった。
ニンテンドー3DS値下げのご案内
8月11日より、メーカー希望小売価格を15,000円に
任天堂株式会社(取締役 岩田聡)は、今年2月26日に日本国内で発売いたしましたニンテンドー3DSのメーカー希望小売価格を以下のとおり変更することに決定いたしましたので、お知らせします。
現行メーカー希望小売価格 25,000円(税込み)
2011年8月11日より 15,000円(税込み)
誰も成功を保証できなかった。
それでも、任天堂は前へ進むしかなかった。
〇険しき道
2012年、競馬ではジェンティルドンナとオルフェーヴルの大激突があり、社会では北朝鮮の弾道ミサイルが社会を騒然とさせはじめた年。
スタートダッシュに失敗した3DS。
それを挽回するために、岩田の決断により任天堂3DSの値下げは決行された。
「そんな僕が無傷でいてはいけない」
岩田はこの責任を取る形で、自身の給与の50%のカットをした。
だが、岩田はこの賭けに勝算があった。3DSに着々とソフトが集まりつつあった。それが値下げと相乗効果が起きれば、きっと。岩田は昨年に続き今年もニンテンドーカンファレンスというプレスカンファレンスを実施することを計画した。これで全てが変わるはずだ。岩田の3DS復活への戦略、それは値下げだけではなく二段構えのものだった。
大河内はプレスカンファレンスの最前列で岩田を見守っていた。
(携帯電話ゲームへの参入を頑なに否定してきた岩田さん。相応の成果が無かったら沈みますよ。幾ら値下げしたってソフトが無かったら単なる箱なんですから)
3DSカンファレンスが始まった。岩田自身によってリリース予定のソフト群が紹介される。
それは衝撃的なものだった。
大河内は唖然とする。
「ルイージマンション2、どうぶつの森……任天堂の一流どころだけではない。
大河内が目を見張ったのは、かつての宿敵セガの『ソニック』、そしてPSPの絶対的エースだった『モンスターハンター』のロゴが画面に映し出された瞬間だった。
「まさか、サードパーティの牙城まで崩したのか……!」
大河内は岩田を見つめながら、ただ呟く。
「対処療法じゃない……最初からこの波状攻撃を仕掛けるために、あえて批判を耐え忍んでいたのか!」
最後に岩田はカンファレンスをこう閉じた。
「ニンテンドーDSはゲーム人口を拡大し、 過去にない普及台数を実現できましたが、全てのゲームファンの皆様にご満足いただくことは完全にはできなかったと思います。ニンテンドー3DSが目指すのは、 広さと深さを両立し、更なるゲーム人口拡大を実現してあらゆるゲームファンの皆さんにご満足いただけるようなプラットフォームにすることです」
そしてその熱が伝わるのは、会場の記者間だけではなかった。同カンファレンスはインターネット中継もされていたのだ。全国のゲーマーたちは、豪華すぎるラインナップに嫌でも期待感が煽られる。ゲームコミュニティの掲示板などはパニックの様にコメントが飛び交っている。
「モンハン来たぞ!」
「3DS勝ったな」
「任天堂本気すぎる」
それを見た岩田はぞくっとした。会場の観客の拍手、記者たちの賛嘆の声、それも確かに素晴らしいものだった。
だが何万人ものネット住民が作るこの活気はなんだ。祭りのような勢いはなんだ。
岩田にある企画が浮かんだ。
*
岩田はカメラに向かって喋る。
「ニンテンドーダイレクトは任天堂の新しいゲームの情報をインターネット中継をご覧の皆さんに直接お届けする新しい試みです」
次いで次々と新作ゲームを紹介する。あの温和で柔らかい物腰で楽しそうに語る姿は、カメラの向こうの何百万もの日本人のゲーマーをほっと温め、やがてゲーム熱を駆り立てる効果があったようだ。ダイレクトがある日はゲームの売り上げが伸びるというデータが残されている。
そして岩田の何気ないジェスチャー、直接という言葉を使う時に力んで出来た両手でスペシウム光線を発射するようなハの字に両手を掲げる「直接」ポーズが図らずも話題となり、それこそネットミームとなり、岩田もそれに便乗してオーバーアクションになっていく。
それと比例するように国内の3DSの売り上げは、急上昇した。当初のスタートダッシュの失敗をカバーするように、ゲーム売り場で躍進して売れたのだった。
*
だが、ことはそう単純なものではなかった。3DSが逆ザヤ、大幅値下げにより製造コストよりも安い値段で売らざるを得なかったことが大きく響き、またDS、Wiiの失速も顕著となり、任天堂の収益は悪化の一途を辿る。業績は創業以来はじめての赤字へと転落してしまった。
翌年も赤字はむしろ拡大してしまい、株主総会で株主からとうとうこの質問が出される事態となった。
「昨年度、今年度と営業赤字になっているが、コスト構造が同じならその頃と同水準の利益を上げられたはずである。コスト高になっていたのであれば、リストラを行ったほうがよかったのではないか」
リストラの要請だ。
岩田はそれに毅然とこう答えた。
「ただ、短期の業績を求めてリストラをいたしますと、会社で働く人たちのモラール(士気)は下がり、その人たちが不安に怯えながら作ったソフトが本当に世の中の人の心を動かせるのかということがございます」
社員が不安に怯えながら作ったゲームで、ユーザーを楽しませることなど出来るのか。大丈夫、僕たちが君たちを守る。
岩田は組んだ両手に力を込めた。
執筆の狙い
任天堂の社長だった岩田聡についての伝記風の文章です。
今回は「決断編」「険しき道編」の二本立て。
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