違い鎌の一族
令和七年七月十日(木)
明治の初めに歴史から姿を消したという篠谷村。廃村となった理由は化け物のような女が村人を鎌で切り裂き、皆殺しにしたからだという。そのような記録はどこにも残っておらず、今となっては本当にそんな村が存在していたのかどうかさえ定かではない。
——死の谷村
ネットのオカルト掲示板ではそのような名前で呼ばれている。篠谷村に迷い込んだ旅行者を鎌で襲うという都市伝説だ。俺はそんな与太話を本気にするほど間抜けではない。ただのエンターテイメント程度に眺めていた。
しかし、それ以降不思議な夢を見るようになった。決まって現れる血塗られた二本の交差する鎌。程なく、その構図が篠谷村の長である坪内家の家紋と同じ”違い鎌”だと知った。そういえば不特定多数の人々の夢に同じ男が現れる『this man』なんて海外の話を聞いたことがある。何か関連があるのか? ただの偶然なのかそれとも、記憶違いで実際はその情報を先に知り、結果として夢に見たのだと言われれば否定できない。いずれにせよ関心を強めたことは確かだ。それから俺は場所の特定に向け、あちこち調べ回った。恐山や青木ヶ原樹海という噂もあれば、男体山という情報もある。
どれもこれも眉唾物だったが、その中で時代考察、地理的形状、習慣から戸隠であるという情報に信憑性を感じた。もっとも、その元となる情報自体がガセであれば考察などまるで意味がないことはわかっている。だが、もとより時間が許す限りシラミ潰しにあたるつもりだった。優先順位を決めたに過ぎない。地名に”隠す”の文字が入っていることが村のイメージに重なったのかもしれない。
それからネットで戸隠一帯の衛星写真を調べるようになった。だが、そう簡単に見つかるはずはない。それなら他のマニアたちがとっくに見つけているはずだ。興味を失いかけた矢先、戸隠の山林で土砂崩れが起きたという報道を目にした。衛星写真が更新されるのを待ち、確かめると道と思しき一筋の線が見えた。注意して見なければ気づかないレベル。そのように見えただけかもしれない。
だが、そこに可能性を感じた。現地に赴こうと決意し、今日からその手記を残すこととする。
七月十一日(金)
目的の場所は戸隠奥社周辺。携帯電話の電波は届かないだろう。衛星写真から取得した位置情報を記録し、オフラインでも見られるよう地図を保存しておく。長野駅からバスで戸隠奥社入り口まで一時間強の道のり。そこから徒歩で四十分とあるが、土砂崩れの影響もあるし近辺は立ち入り禁止になっているかもしれない。装備は最小限にしたいが、最悪日を跨ぐ可能性を考慮していくらか行動食をリュックに詰めた。
明日早朝に向かおうかと思ったが、深夜バスという手があったと思いつき急遽予定を繰り上げることにした。バスタ新宿二十四時発。長野には五時半頃到着予定。奥社入り口行きの始発バスを一時間以上待たなければならないが、そこは致し方ない。
初めての深夜バス。明日に備えて少しでも体を休めておく必要がある。乗り込み次第すぐに寝るつもりだ。
——現在四時五十分
どうやらリクライニングを倒してすぐ寝ていたようだ。その後の記憶がない。バスは最後のサービスエリアへと入って行く。日付はとっくに変わっているが、便宜上このページに続けて書いておく。またあの夢を見た。交差する二本の鎌。心なしかいつもよりはっきり見えた気がする。これは本当に篠谷村に近づいているのかもしれない。
七月十二日(土)
予定より少し遅れて長野に着いた。奥社入り口行きのバスはまだ先。むしろ遅れたのは好都合だ。体力勝負になるだろう。食欲はないが何か腹に入れておこうとコンビニで菓子パンを買い、コーヒーで流し込んだ。
「お客さん、奥社なら土砂崩れの影響で登山道には入れないよ」
バスの運転手が気の毒そうな表情を浮かべて言ってきたが、せっかく休みをとって来たから周辺の写真でも撮って回ると答えると納得したように小さく「そうですか」と答えた。
土砂崩れの影響は局所的で車窓から見える風景に災害の爪痕は窺い知れない。バスに揺られて四十分あまり、ようやく奥社入り口に着いた。
予想通りではあったが、登山道の入り口にはロープが張られていた。なんとか警備員の目を盗めないかと、遠巻きに眺めることにする。気持ちばかりはやるが、焦りは禁物だ。
——まだ心臓の鼓動が収まらない。思い出しただけで足が震える。おそらくトイレだったんだろう。警備員が持ち場を離れるのを目で追いながら、ジリジリと登山道入り口との距離を詰めた。
あと一歩というところで駐車場に響いた子どもの泣き声。反射的に体が動いた。身をかがめ規制線を潜り一気に走り抜けた。見られたりしていないだろうか? 違法行為であることは分かっている。だが、もう引き返すことなどできない。
——予想以上に時間がかかったがGPSを頼りになんとか目的の場所に辿り着いた。途中何度も立ち止まりながら、もう四時間以上は歩いたと思う。そしてやはりここはかつて道だったのではないだろうか。ところどころ草木で寸断されてはいたが、階段のような石の並び、それに両脇とは異なる草の生え方、ただの獣道ではなさそうだ。この先に篠谷村があるとは限らない。それでも前へと進むしかない。
——さらに一時間ほど歩いた。現在午後二時。ついに見つけた! 間違いない。もう建物など残ってはいないが開けた土地、地面に残る礎石、横たわる材木は柱や梁だろう。ざっと見て回ったが、それほど広くない。十戸程度の集落だったのかもしれない。得られる手掛かりは限定的だとは思うが、今日はここで野宿とし時間いっぱい調査にあたろう。
♢
黄昏の夕焼けを背に立つ女。その両手に一振りずつ握られた鎌。顔はよく見えない。ゆっくりと体を左右に揺らしながら歩み寄る先には違い鎌の暖簾。傍に立つ男は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。恐怖で声を失う男に、女の右手がゆっくりと掲げられていく。松明が女の顔を照らす。腫れ上がった目、歪んだ鼻、不気味な笑みを浮かべる口元から乱れた並びの歯がのぞく。夕闇を切り裂く男の叫び声。その頭に勢いよく鎌が振り下ろされた。
——鮮血が、違い鎌の家紋を濡らした。
♢
七月十三日(日)
とんでもないことになった。現在午前二時を回っている。村を調査してまわっていた時に、突如起きた土砂崩れに飲み込まれ、どうやら生き埋めになったようだ。幸い幾らか空間があるが、むやみに動くとかえって危険かもしれない。いずれにせよ、夜明けを待とうと思う。
それにしてもさっき見た夢は一体何だったのか? これまでも鎌は夢に出てきたが、鎌女の顔を見たのは初めてだ。それに、あの生々しさ。まるで自分がその場にいるかのような錯覚を覚えた。
ただの夢にすぎないのか、それとも科学では説明できない超常現象なのか。考えても答えなど出るはずもない。こんな状況ではあるが、体力温存のため一眠りしよう。
♢
逃げ惑う人々。その背中に容赦なく鎌が突き立てられた。返り血を浴びた女は屍をさけることなく踏みしめて村を徘徊する。
鍬を構えた男が女の前に立ちはだかる。女は足を止めた。震える男とは対照的に時間が止まったかのように動かない女。
男が鍬を振り上げた瞬間、女は左手の鎌で鍬をいなす。右手の鎌が男の喉笛を襲う。引き裂かれた喉から噴水のように噴き出す血飛沫。男は目を見開きその場に崩れ落ちた。
血に染まっていくように赤みを帯びる空を背に女は歩き続ける。
——その先に見えるのは違い鎌の暖簾。
♢
現在朝六時半。こんな状況で寝ることができることに我ながら驚く。また鎌女の夢を見た。いや、もうあれはただの夢なんかではない。まるで目の前で起こっている出来事のようだった。
そこで思い出したことがある。ストーンテープ理論。強い思念がその土地に刻まれるという仮説。パワースポットと呼ばれる場所は強い磁場を持つことが多い。もしかして、それが磁気テープのように作用したのではないだろうか。
そうだとするなら、時系列が乱れることも説明がつく。俺はどこにも記録が残っていない当時の情報を擬似的にリアルタイムで見ているのではないだろうか。
土砂の隙間から光が射し込んでいる。そこを押しのければ外に出られるかもしれない。だが、この空間はもしかしたら強い磁気を帯びた土くれが、土砂崩れによって撹拌されてできたのかもしれない。
偶然できた過去と行き来するパイプ。そうであるならばこの機会を逃すわけにはいかない。もう少しこの場にとどまり夢の続きが見られないか検証するとしよう。
♢
「化け物ー!」
「死んじゃえー!」
腫れ上がった目に、歪んだ口元。見た瞬間、それが誰なのか分かった。
鎌女——まだほんの子供だ。
無邪気という名の残酷な暴力が彼女に注ぎ込まれる。
明晰夢。夢の中で夢とわかる現象。今までこんなことはなかった。脳に直接情報が流れ込んでくるようだ。
身なりの良い女児がそれを止める。鎌女は走ってその場を去った。
「どうして? おっかあはどうして私を産んだの? 私こんな顔で生まれてきたくなんかなかった!」
「ごめんね、ごめんね」
母は鎌女を抱きしめて謝るだけだった。
映像が乱れる。時間が飛んだようだ。
祝言をあげる女性。その後ろには違い鎌の家紋が見える。村長の娘なのだろう。
それを遠くから眺める鎌女。かたや名家に生まれた美しき女性、かたや下賎な醜女。運命を呪ったに違いない。
また映像が飛んだ。
病床に伏せる母が鎌女に何かを伝えているようだ。何を言ってるんだ? 肝心なところがうまく聞き取れない。
息を引き取った母に覆い被さり泣き叫ぶ鎌女。伝わってくる深い情念に胸が抉られるようだ。
——鎌女は一体何を聞いたんだ?
♢
動悸から目が覚めた。鎌女の激しく昂る感情に俺の心臓が耐えきれなかったのだろうか。
現在午後三時。夜寝られるか心配だが、昼寝の成果は大きい。ただの狂った殺人鬼として伝わる鎌女には、その背後に深い悲しみと恨みがあった。
この現象をストーンテープだと仮定して、少し情報を整理する。夢で見た光景と今も残る住宅跡から人口は数十人くらいと思われる。流れる映像と音声は擦り切れたビデオテープのように、ところどころ不明瞭であり、やはり時系列はランダムだ。
注目すべき人物は鎌女と母、違い鎌の家紋を持つ坪内家。村長という情報は正しいようだ。鎌女を庇ったのは坪内家の娘。最初の夢で鎌女が向かった場所でもある。まだ現れていないが村長も重要人物ということだ。
♢
「待て! やめろ!」
問答無用に鎌が脚を引き裂く。違い鎌の家紋の羽織。この男が坪内村長で間違いない。
悲鳴をあげて膝をつく男。その手足を鎌女は容赦なく切り付けていく。
二本の鎌がゆっくりと、身動きの取れなくなった男の首の前で交差する。
「……よせ! わかった! お前もこの屋敷で暮らせばいい! 儂が面倒を見てやる! だから……」
嘆願虚しく、鎌女の両手が大きく真横に開かれると、男はゆっくりと血の海に沈んでいった。
その光景は地獄絵図という他ない。目を背けようにも脳に直接流れ込んでくる記録の前では意味をなさない。
死体が横たわる部屋の中で息子を抱きしめ佇んでいた美しい女性がおもむろに立ち上がった。村長の娘だ。
「あなたの苦しみ、憎しみは痛いほど分かります。この命あなたに捧げます。その代わり息子だけは見逃してくださいませんか」
立ちはだかる女性の毅然とした態度に鎌女が動揺するのがわかった。着物の裾にしがみつく男児の頭にそっと手を添える。
「慎之助行きなさい」
だが号泣し、ぐずる男児はその手を離さない。
「さあ、行くのです。泣いてはなりません。男の子でしょう。あなたは生きて務めを果たすのです」
母の言葉を受けて慎之助は部屋を飛び出した。それを見届けると女性は静かに口をひらく。
「私たちは陰と陽。違い鎌の右と左。決してあなたを一人にはしません。共に参りましょう」
女性は鎌女の左手をとり、その鎌を自らの首に添えると、もう一方の鎌を奪い取り鎌女の首に当てた。
——お前は私の本当の子供ではないのです。
まるで混線したかのように突如割り込む女性の声。これは、……鎌女の母親? 鎌女の記憶が流れこんできたのか?
お前は坪内のお嬢さんの妹なんだよ。双子を忌み子と嫌った旦那様が産まれてまもないお前をこの世から消そうとした。女中だった私は、そんなむごいことどうかやめてくれと、お前を引き取り育てることにしたの。だけど旦那様は納得しなかった。同じ顔がこの世に二つあってはならぬと、お前の顔をめちゃくちゃにしてしまったのです。
お前の顔を守ってやれなくて本当にすまなかった。堪忍しておくれ。
——また映像が乱れた。死体が転がる村を屋敷に向かって走っている。視点が低い。これは、……慎之助が見た光景? 母の身を案じ、引き返したのか。
血に濡れた暖簾をくぐり、広間へと飛び込む。
「母上!」
思わず口にした言葉が慎之助の叫び声と重なった。
鎌女と手を取り合い横たわるその傍らには、血塗られた鎌が交差して落ちている。
それは、……何度も夢で見た光景と寸分違わず同じだった。
七月十四日(月)
現在午前六時。これが篠谷村の真実なのか。村長の娘として生まれながら、双子という理由だけで人生を奪われた鎌女。ただの化け物話として伝えられる『死の谷村』とは大違いだ。
無論、それが真実なんてことは何の証拠ない、ただこの地が見せた幻だったのかもしれない。
だが、あの時俺は間違いなく「母上」と言った。一体なぜ? 単に慎之助の思念が強すぎるあまり俺の意識を侵食したということだろうか、それとも、……いや、つまらない憶測はやめておこう。
——光が差し込むところを足で蹴り、外へと身を乗り出した。体についた汚れを払い、夢の中で見た屋敷へと自然に足が向かった。
ここが、二人の果てた場所。考えることもなく自然と俺は手を合わせた。直後、地の底からゴゴゴと音とも振動ともつかぬ感覚が伝わってきた。見上げると斜面の木々が局所的に揺れている。土砂崩れの前兆。俺は麓へと走った。土砂崩れが始まった。メキメキと木を薙ぎ倒す音が迫ってくる。飲み込まれたら今度こそ命はない。真下に走っては追いつかれる。全速力で斜めに下り続けた。
茂みに飛び込み、なんとか難を逃れたが呼吸の乱れはまだ治らない。ペンを持つ手が震える。よく逃げ切れたものだ。村のあったところは完全に埋まってしまっただろう。これで篠谷村は跡形もなくこの世から消えた。だが、俺はこの体験をオカルト掲示板に投稿するつもりだ。
——それが彼女たちの供養になると信じて。
了
執筆の狙い
前回と同じGOAT3のお題【素顔】の時に書いたやつー。
八つ墓村と同じく、津山三十人殺しをモチーフにした☆