闇の這い寄る怪奇文字
図書館のテーブルで、ノートパソコンを立ち上げてワードを開き小説を書いていると、前の座席にいつの間にか中高年の男が座っていた。
ひょろりと背の高そうな男だった。こけた頬。不精髭。濁った二つの目がぎょろりとしていて。何やら人外のような怪しさが漂っている。
その男が分厚い文学全集のような本をテーブルに広げて、指で文字を押さえながら読んでいる様子。
それを何気なく見ていると、分厚い本から何やらちょろちょろと黒い虫のようなものがテーブルへ這い出てきた。
なんだ?
と思って見ていると。
文字が本からこぼれるように落ちてくる。
俺の目の前に本からこぼれた文字がやってきた。
よく見ると「お」という文字である。
「ま」という文字が続いてノートパソコンの置いてあるテーブルでうろうろしだしたが「え」がそろりそろりと近づく。
「お、ま、え」と、読めた。
「えっ?」と、俺が、意味を探ろうと男の手元の分厚い本を見ていると、「ね」がこそこそと、目の前を通ったと思ったら、本から転がり落ちるような速さで「し」が忙し気に、やってくる。
いつの間にか、それらの文字は隊列を組み「お、ま、え、ね、し」と並んだがすぐに「お、ま、え、し、ね」のならびに回転した。
「えっ? なんなんだ?」と、俺は驚きながらも立ち上がって、分厚い本を指で押さえている男の手元をうかがったが。
気が付いた。
男は、指先で小説の中の文字を弾き飛ばしていた。
「ち、み、ど、ろ、に、な、り、な、が、ら、し、ん、だ。、め、の、ま、え、の、パ、ソ、コ、ン、の、お、と、こ」
文字は、うねるように、つながりながら、俺の方に向かってきたので、呆然と男の顔を見ようとすると、
すでに。
人外の男に見詰められていた。
目を逸らして座ると、手元にあるノートパソコンのワードに入り込んだ「お、ま、え、し、ね」「ち、み、ど、ろ、に、な、り、な、が、ら、し、ん、だ。、め、の、ま、え、の、パ、ソ、コ、ン、の、お、と、こ」の文字列を削除する。いや、削除しようとしたが、できない。
必死に削除しようとしていると。
「小説でも書いているのかい」と男が尋ねてきて、俺は反射的に、「そうだ」と、答えてしまった。
男とはテーブルをはさんで対峙しているので、俺がパソコンでどんな文章を書いているのかまではわからないはずだが。
やつは、俺が小説を書いているなどは知らないはずだ。
そして、俺が、知っているのは、不吉な文字を指先で弾き飛ばしてきた、という事。
「ほう、ホラー小説ですか」と男が言った時、俺は頬が熱くなるのを感じた。
「どうして、そんなことまで、わかるんだ」
「ははは」と男はこけた頬の不精髭を撫でながら笑う。
「その作品、公募に出すと入選しますよ」と、男は本をもって立ち上がった。
その拍子に、文学全集から大量の文字が零れ落ちた。
先ほどから不快な文字が本からちょろちょろ出てきてはいたが、かなりの量が零れ落ち、テーブルの表面を動きまわる。男は気が付いているのか、いないのか、本棚に全集を戻しにいくと図書館を出ていった。
テーブルでうごめいていた文字は、ムカデのように連なり、鎌首を持ち上げるモノもいたりした。ぎょろりとこちらを窺っている文字のつながりもいる。それも一つや二つの文章ではない。
どうも、俺に興味を持っているらしい……。
テーブルの右から左から正面から、俺のノートパソコンへと迫ってくる。
そしてあっという間にノートパソコンへ覆いかぶさりのたうった。
そのムカデのようにのたうっていた文字が、文章が、俺の書いていたホラー小説のなかにドロドロドロと入り込んでいく。
俺は、心臓が止まるかと思うほど驚いたが、周囲を見回して誰にも気づかれていないことをいいことに、そのままノートパソコンを閉じた。
何かとんでもないことが、起きるような気がしてきた。いや、とんでもないことが起きてしまったのだ。
しばらくして、ノートパソコンを再び起動してワードを見ると、俺の書いていた小説の文章が人外の男が読んでいたであろう、奇怪な文字たちともつれるように動き回っている様が見える。それらの文章がムカデやミミズのようにうごめきながらのたうっている。壊れた怪奇世界。その一つ一つの文章の羅列を読むと、気持ちの悪さがあふれていた。うあぁ……、これは、と思ったが、何やらとんでもなくすごいことが自分の身に起きているという実感もわいてきた。
俺は男が戻した本棚に行くと、先ほどの文学全集を広げてみた。
そこには、悪魔や死神、魑魅魍魎、殺人鬼などが描かれた怪奇小説の目次が羅列されていたが、肝心の小説に文字がなかった。
しかし、消えた文字の跡には、まるで焼け焦げたような黒い痕が残っていた。
ペラペラとめくってみたが、分厚い怪奇全集のどのページも、文字や文章が抜けており、そのあとには異臭をともなって文字の黒い痕跡がある。
気持ちも悪いが、不思議なことが俺にも起こったのだと実感して、図書館を後にした。
陰り始めた陽が、夕暮れのビルや街を染めていた。
人工物やら景色、そして歩く人々の姿を赤く染める。
「ふはははは……」俺は、何やら得体のしれない勝ち誇ったような気分になり、陽に染まった相貌に熱いものを感じて愉快になった。
食品スーパーで酒と弁当を買った俺は自宅のワンルームマンションの一室で、弁当をあてに酒を飲みながら……。
夢なら覚めるなよ、夢なら覚めるなよ……。
と、暗示をかけノートパソコンを開いた。
ワードを立ち上げると、怪奇小説の文章から奇怪なる言葉どもが鎌首をもちあげながら、周囲の様子をうかがう。
「おい、お前ら。治まっていろ、治まっていろ」と、声を掛けるとワードの中に戻っていった。
作品を読むと内容がとんでもない世界になっていたが、これならいけるかもしれないと。
すぐに公募先を開き、添付ファイルを送った。
酒の酔いか、眠くなった。
目が覚めて調べてみると、まだ公募先に応募をしていないことがわかった。
ある意味、ほっとした。
自分の創作小説ではなくて、図書館にあった呪いの怪奇小説なのでは。
という不安があった。
だとしたら、公募などはとんでもないことだ。
また、ワードにある保存された自分の小説には、あの奇怪なる小説はなかった。
しかし蠢く文字の怪奇小説が消えたとなると、惜しいとしか言いようがない。
ちくしょう、夢にするのはと……。
だが、不思議と頭の中には、あの怪奇小説の記憶が残っていた。いや、奇怪な小説の記憶というよりも、奇怪な小説の世界観の一文字一文字が、心理の中に深く潜りこんでいた。な、なんなんだ……、もしかして、俺は取り憑かれたのではないだろうな……。と思いながらも、タップすると次々と怪奇な文章が立ち上がっていく。俺は夢中になり、文字を文章を打ち込んでいった。
不思議と指が勝手に動いて小説を書きあげていく。酒を飲みながら、一晩がかりで新作を書き上げた。
朝暘が目に入り、窓を開けて公園の緑を見ると犬が騒いでいた。
自分の書いた小説の中でも同じ場面があることに苦笑いを浮かべる。
犬のそばには昨日の中年男が立っているという設定にしたのだ。犬は不吉な人外の男に、この世のものとは違う異臭を感じていたというように描いた。
洗面場に行き顔を洗いうがいをしようとして、鏡を見ると、俺の頬はこけて不精髭が一晩で生え、そう、夕べの図書館で出会った人外の男の顔が鏡の中で、にやついていた。だが、間違いなく、それは俺の顔だった。
しかし、もう、他人の顔になっているとかと騒いでいる場合ではない。俺になにか、インパクトが起きたのは間違いない。
これで、俺の人生は変わるだろう、間違いなく。
洗面場から戻り、開けた窓の朝暘をあびながら、公園で動かなくなった犬を見ていたが、あとで公募先に応募しなきゃとにんまりした。
しかし、ここで失敗するのだなと思い、朝の珈琲を飲む前に応募した。
これでどうだ、こんどは我が人生最高傑作の怪奇小説だ。
そう思いながら、どちらの自分なんだと苦笑いを浮かべた。
結果が楽しみだな。
●
出版社では、編集者の一人である島崎恵子が下読みの担当になった。
恵子は自分でも小説を書くが、また、小説家で生活をするという夢はあったが、現実的には今をどう生きるのかということがどれほど大事な事なのかは、わかっているつもりだった。
公募の締め切り後。
昨夜も出版社を退社したあと、恋人の佐久間礼二と別れ話をして、ホテルで二人の関係を清算した。
礼二は中堅企業の重役の娘と結婚するらしい。
これで私はもう、小説家になるか、出版社で勤務し続けるかしかなくなった。
そんな不安定な揺れる足元で歩いていると早朝の公園で、犬が中高年の男に向かって吠えているのを目撃した、というかその場に遭遇した。
犬は男に人外を感じたのか歯をむき出して吠えているが、男は犬をじっと見つめているだけで、声を発することもしない。
不精髭を生やした人外の顔には、タトウーのような大小の文字が浮かんでおり、何とも不気味である。
やがて男の顔から大小の文字がぽとぽとと零れ落ち始めた。見ていると、その文字が犬に向かっていく。
まるで生きているようだ、一つ一つの文字が、命を吹き込まれているようにうごめいて、犬へ群がっていく。
大量の生きた文字が犬の口やら耳やらめん玉やらの隙間から体内へと……。
「ぎゃわ~~ん!」と、犬は鳴き声を上げたかと思うと痙攣して地面に倒れた。
恵子は、その様に驚きと恐怖を感じて後ろに下がりながらも人外の男に目をやると、もう、そこには、存在していなかった。
だが、目の前には倒れている犬がいる。
群がっていた大量の文字たちも人外と共に消えていた。
視線を感じて見ると、公園の向こう側にあるマンションの窓が開かれていて、誰かが顔をのぞかせていた。それが人間なのかどうか、恵子には判断ができなかった。
どうも、精神が不安定になっている。
今朝まで私の体をむさぼっていた男のせいだ、と、恵子は思った。
帰ったらダウンロードした公募作品を読んで一次審査をしなければならないが、こんな精神状態でまともな審査ができるのだろうかと、つぶやいていた。
しかし、あんがい気持ちの切り替えになるかもしれない。恵子は「よしっ!」と気合を入れた。
どんな作品が応募されているのか、怪奇小説って、あんがい深いんだ。
ああ……、疲れた、帰ったらとりあえず、あの男の残り香をシャワーで流すとするか。
ワンルームマンションに帰り、シャワーを浴びて気持ちを切り替えると、出版社へ応募された小説の一次審査をするべくログインすると、小説をダウンロードした。
すると、奇怪なる小説のタイトルが目に付いた。
『闇の這い寄る怪奇文字 』
なんだ、このタイトルはと思い、先ほどの公園での出来事を思い出した。
たぶん……、あれは、私の妄想だろうと思うが、この作品とその妄想がつながっていれば、どうなる……。
恵子はそこまで考えたが、とにかく目を通して見なければと読み始めた。
すると、そこに描かれていた小説は恵子が今朝まで一緒にホテルにいた男との顛末から女が復讐に呪いがかかった動く文字、一字一字が生きている文字が男の体に入り込んで、あの犬のようにいたぶり殺す怪奇物語が書かれていた。
恵子は自分がにやにやと笑いながら読んでいることに気が付いていなかったが、その小説の文字がムカデのようにつながりカラダをはい回るのは、感じていた。
了
執筆の狙い
久しぶりにこちらのサイトに投稿する作品です。
この怪奇小説は続きが描けるような作りになっていると思いましたが。
続きを書くと、とんでもない物語になりそうな予感があります。
というか、すでにとんでもない物語かもしれず、これを読んだみなさんが小説を書くと、その文字が、一字一句が動き始めて、それらが連なり一つの文章になり、まるでムカデが鎌首をもちあげてあたりをさぐり、そろそろと、あなたが眠っている深夜に、または、早朝に、パソコンからワードから出て来て……。
やばいので、これ以上は、書くのをやめておきます。
それでは、よろしく。