野暮用につき
遠方へ行ってしまった中学の友人から、週末に飲まないかと連絡がきた。
ついでに野暮用もあるらしい。
仕事終わりの19時以降なら、と返信すると、じゃあ店を予約しておくよ、とすぐに居酒屋のURLが送られてきた。
この街に引っ越してきて、二年になる。海鮮と水が豊かで、人と建物の多い街だ。電車通勤の不便さにももう慣れた。
更衣室で化粧をなおしながら、唇の色をどうしようかと一瞬迷う。どれくらいの自分でいけば、友人を気おくれさせずにすむだろう。結局、いつもの赤を少しだけのせた。
駅のドラッグストアで胃薬を買って外へ出ると、霧状の雨が降っていた。ぶるると一回スマホが震える。友人はもう店についたようだった。
「案外迷いやすい場所だから、たどりつき方を送っときます」
駅から見てどこの角を右に曲がり、目標物が何で、何個目の信号を渡るのか。友人はわたしが方向音痴なことをよく知っている。
古びた外観のわりに小じゃれた雰囲気の店内は意外に広く、三階まであるようだった。
店員に言われるがまま廊下の奥へ突き進み、引き戸を開けると、友人はすでにビールの二杯目に口を付けていた。
「適当に、刺身とか煮込みとか頼んでおいた。あと、だし巻き卵と串何本か」
ビールの苦みが心地よくて、すぐにグラスを空けてしまう。相変わらずよく飲むよねぇと、目じりを下げて笑う友人の明るい声色に安堵して、いつものように会話が続く。聞き上手な友人相手だと、私のささいな日常もずいぶん楽し気に響き、普段より饒舌になる。
友人の右手には太く黒い指輪がはめてあり、グラスを持つたびにかちりと小さな音が鳴る。
「前から聞こうと思ってたけど、それって普通の指輪?」
「あ、違う違う。これバイタルチェックできるやつ。スマートリング。でもずーっと前から充電切れてるから、いまはただの飾り」
「充電すればいいじゃん」
「いやぁもう指も太っちゃってさ、外せんのよ。そろそろ、日本酒に行く?各地の地酒そろってるって」
メニューのページをめくりながら、薄黄色のレンズごしに銘柄を読み上げていく友人の短いまつげ。ここ数年で、友人はおしゃれになった気がする。派手な柄のシャツを着こなしている太い首元。そういえば、会うたびに違う眼鏡をしていたことをぼんやりと思い出す。
週末の夜だからか、店内は物音と活気であふれている。隣の卓からひときわ大きな笑い声が響くと、友人は小さな声で盛り上がってるね、と目を細めた。
「わかんないから、北から攻めようか。ついでに、さんまの塩焼きも」
「うん」
思えば、二十年以上の付き合いだ。男性二人、女性二人の、仲良しグループ。なにがきっかけで親しくなったのか、もう覚えていない。ただ、誰かが地元に帰省するたび集まり、何度か予定を合わせて旅行にも行った。
どんなこと言っても、何をしても、受け入れてもらえる場所だった。みんないい大人なのに、いまだにゲームや漫画の話で盛り上がる。合間にぽつり、ぽつり、親や家庭のはなし、職場の愚痴、心に引っ掛かっているものが出る。それを適当に笑い飛ばせる関係性が心強かった。
都会の大手企業で働く友人は、いつも楽しそうに仕事の話をした。たくさんの部下ができて、海外への出張も多く忙しい中でこそ、やりがいを感じているようだった。
酒が進んでも、友人の様子は変わらない。体が大きいからあまり酔わないのだという。この間まで98キロだったけど、80キロまで落ちた、というが、見た目はあまり変わらない。
「この間、大学生の時の写真見てびっくりした。俺ってあんなに痩せてた時期あったんだ。しかもちょっとカッコよかったわ」
「そうだよ。ポテンシャル持ってるんだよ」
すいすい酒が進むのに、酔いのこない夜だ。お猪口を手の中でぐるりと回して、用を足しに席を立った。手洗いの水がぴりりと冷えていて、もう秋が近いのだと実感する。
鏡の中の私はいつもと同じ顔をしている。唇の赤はもうすでになくなっていた。
席に戻る前に、引き戸をそっと数センチ開けて友人を覗き見た。スマホの画面をじっと見つめたまま動かない。間接照明の柔らかい光が、友人の顔に影を落とす。はっとして勢いよく引き戸を開けると、一瞬友人は驚き、もしかして席、迷った?とすぐに笑った。
「野暮用、忘れないうちに」
話題が変わる前に、通勤リュックに手を突っ込み、本を差し出す。
ブックカバーのかかっていない、ざらついた表紙の文庫本。
「もう、返せないと、思ってた」
舌がもつれた。声が震えなかったのは、良かった。友人の目が左右に揺れる。うん、とかみしめるようにつぶやき、緩慢な手つきで本を受け取る。触れた指先があまりに冷たい。血の気のない唇がこわばり、あきらめるようにゆがんだ。
「なんかさ、大事にしてたものは、あっちにも持っていけるっていうからさ」
「うん」
「すごい大事な本なんだけど、貸したままなんですー!って偉い人にごねたら、ここへ来ること、許してくれた。この店も、落ち合うのにどこかいいとこありますかって聞いたら教えてくれたんだよね。けっこういいよね。食べ物もおいしいし」
「うん。いいお店だと思うよ」
「ちなみにこの本、読んだ?」
「最初の2ページで合わなかった」
だと思った、と友人は笑った。昔からそういうところあるよね、と日本酒をあおる。少し黄色みがかった透明な液体が、蛇の目のなかでくるくる回る。
去年、東京で二人で飲んだ夜に、珍しく友人が貸してくれた本だった。電車の合間に、本でも読もうと思って。ビジネス書しか読まない友人にしては珍しく、古い本の新装版で、小難しいはじまり方のする本だった。
「ま、実は俺も10ページくらいしか読んでないんだよね」
「大事なものって言ったのに、大丈夫?」
「まぁまぁ。でも読みたいなぁって思ってたのは本当だから。大事なのは変わらないでしょ」
きっとこんな感じで仕事を回してきたんだろうなぁと思う。
調子よく、なんでも器用に、いつもにやけて。急激な体重の増減も、短い睡眠時間も、軽すぎるフットワークも。スマートリングに充電さえしておけば、もしかしたらあの突然を防げたかもしれない。でも、充電をめんどうくさがるこの性格を、面倒見がよく、意外にまめで、楽しむために努力するこの友人が、私たちは大好きだった。
すっと引き戸が開き、頭巾をかぶった店員がひざを折る。ラストオーダーの時間だ。日本酒を一合、焼きおにぎりを二つ、ついでに締めのビールも追加した。やっと酔いが回ってきたのか、友人の頬に少しだけ赤みがさしている。
「最後のビール、献杯にしようか」
言うと、えっ、と困った顔をした。
「本人でもいいのかな」
あと少し、あと少し。閉店間近の店内には、祈りにも似た切実な気持ちがあふれている。
はしゃいだ声の高音に、すすり泣きの余韻に、歌声と皿のこすれあう音、店員の掛け声が行きかう中を、あちらとこちらの気配がまじりあって充満していく。
そういえばあの二人って、生きてるとか死んでるとか気にするタイプかな?と、呑気に友人が言う。
焼きおにぎりをつつきながら、最後のビールをかみしめるように飲んで、たぶん大丈夫でしょ、と私は笑う。
執筆の狙い
かなり前に、数度こちらに投稿したことがありました。
小説を書きたくて、でも少し離れて、また戻ってこれました。
他サイトの借りてきた本お題に沿って、久々に書いた短編です。
狙いというほどではないですが
・最初から最後まで違和感なく読めたか
・つながりの気になる点はあったか
・あとは単純に読み物としてどうなのか
ご感想をいただけたら嬉しいです。
できるだけ描写を少なくしたつもりですが
何をどこまで書いて、何を書かないべきか、探り探りです。