作家でごはん!鍛練場
しいな ここみ

そして主人公はいなくなった

 俺とミカは追い詰められた。

 廃病院に肝試しなんかに来るんじゃなかった。こんなことになるなんて!

 改造ゾンビ『ブリューゲロ』の群れが、綺麗な歩き方で、無表情に俺たちを袋小路に追い詰める。

「ミカ! ユーヤ! こっちだ!」

 天井から救いの声がした。
 天井板につけられた正方形の扉を開けて、カズユキが俺たちに手を伸ばしてくれる。

「ミカ! 先に行け! 俺は大丈夫だ!」

 ミカがカズユキの手を掴み、引っ張り上げられる。俺はその尻を押してやった。
 その間にブリューゲロたちは見下すような冷たい目を俺に向けながら、近づいてくる。
 だが大丈夫だ。なぜなら俺はこの小説の主人公なのだから。主人公補正がある。やられることは絶対にないのだ。

 改造ゾンビ『ブリューゲロ』はマッドサイエンティストのなんとか博士が造りだした自律行動する死体だ。とはいえ人間好みに改造されてあるので、見た目は生きてる人間以上に綺麗で、臭くもない。
 死人なので表情はまったくないが、芸能人並みに綺麗なマネキンのようなその容姿を眺めながら、俺は気持ち悪い思いをすることも特になかった。薄暗い廃病院の廊下にアトラクションでも眺めているような気分だ。

 ブリューゲロたちは俺の前で立ち止まると、一斉にゲロを吐きはじめた。デロデロデロと、ゲロを吐きはじめた。ふつうのホラーなら汚らしいシーンになるところだが、そのゲロもおぞましい色ではなく、カラフルだ。主にパステルカラーで彩られていた。

「ユーヤ! ミカは無事引き上げたぞ!」
 天井からカズユキが俺に声をかける。
「早く来い! 何のんびりとゾンビのゲロなんか眺めてやがんだ!」

「俺は主人公だぜ? やられるわけないだろ」
 余裕たっぷりに、俺は言った。
「なんなら今ここでこのゾンビども全員やっつけてみせてやろうか?」

 パキョッと骨の折れる音を立てて、俺の首が90度曲がった。

 ブリューゲロたちは俺の周りに群がると、綺麗な歯並びのその口を開き、奪い合うように俺の脳味噌を喰らいはじめた。

「あーあ……。これだから主人公妄想癖のやつは……」
 カズユキの声が聞こえる。
「主人公なんてこの世にいないっての。強いていうなら行動力と勇気を併せ持ったこの俺こそが主人公ってとこかな」

 いや、おかしいだろう。これ、語り手は俺なんだぜ?

「二人称小説というのもあるのよ」
 ミカの声が聞こえた。
「あなたが描いてる誰かこそがじつは主人公みたいな。たとえば夏目漱石の『こころ』の主人公は『先生』であるようにね。つまり、この小説の主人公は、あたしなの」

 いや、だって、俺が死んだら誰がこの物語を語るんだ?

「わしが代わってやろう」
 マッドサイエンティストのなんとか博士が現れた。
「途中で語り手が交代するなんて、なろうではよくあることじゃ」

 俺は、死んだ。

「さあ! ブリューゲロどもよ! わしをバカにした人類を喰い尽くせ!」

 わしは天井に隠れた男女を指さし、ブリューゲロどもに命じた。しかしうっかり忘れておった。ブリューゲロは無差別に人間を襲い、その脳味噌を喰らう、理性のない化け物じゃ。ゆえに『創造主だけは襲わない』などというプログラムは設定しておらんかった。

 わしは、喰われた。



 カズユキに手を引かれて、あたしは天井裏を走った。

「カズユキ! 脱出経路はわかってるの?」

「安心しろ、ミカ! 俺は行動力と勇気を併せ持った主人公だ! でも──」

 天井板をカズユキの足が突き破った。
 どうやら行動力と勇気はあっても、知能は併せ持ってなかったみたい。
 バカみたいに全力で天井裏を走ったので、その足が思い切り天井板を割って、下の廊下へ二人で落ちた。

「あっ」
「おっ」
「うふっ」

 そんな嬉しそうな声とともに、無表情のブリューゲロどもが一斉にあたしたちを振り返った。足が折れていて、あたしは動けなかった。

 あたしは、食べられた。



「ふー……。やはり、唯一残ったこのカズユキさまが主人公だったってわけか」

 俺は近くにあった消火器を手に持つと、ブリューゲロどもに言ってやった。

「そうでないならおまえらが主人公だったということになるが……、ゾンビが主人公だなんてあり得ないよな? 俺はここを生きて出るぞ!」

 消火器の安全ピンを抜き、レバーを握った。
 ゾンビは消火器から出るアレが弱点で、コレを喰らえばひとたまりもないという設定だ、たぶん。

 何も出なかった。

 使用期限を確かめると、30年以上過ぎていた。だってここ、廃病院だもんな。ハハハ……

 俺は、喰われた。




 ぞんび、ぞんに、ぞんひー

 あうれりゃにゃ、みひひひし、いとあはれ

 喰う、喰う、喰う……

 喰うものない……

 なふなった!

 ともぐい! ともぐい!

 ブリュッ、ブリュッ! ゲロッ、ゲロッ!




 そして主人公はいなくなった。



​

そして主人公はいなくなった

執筆の狙い

作者 しいな ここみ
KD124209089235.au-net.ne.jp

1892文字。新しい視点を創造してみました。

コメント

せんちゃん
fs5ccb7b48.kytj202.ap.nuro.jp

拝読しました。
面白いか面白くないかで言えば面白かったです。
題名がオチでもあり、ネタバレでもあるわけです。以前にぷりも氏が話題にしていたことなのですが、このサイトは作品の末尾に題名が表示されるようになっています。なので、作品のラスト一文は、このサイトでは削除しましょう。
すると、題名がオチである流れが自然に完成します。
執筆の狙いに、新しい視点を創造、とありますが、語り手が次々と変わっていくコメディ的作品は既視感がありますので、新しい視点とは言い難いかな。
アニメのギャグ回の1話、といった感じでは楽しめました。

偏差値45
KD124209070102.au-net.ne.jp

しいな ここみさんらしい作品ですね。
コメディ。ギャグ小説。

実にくだらない。ばかばかしい。そんな作品です。
……だが、そこがいい!

いい意味で自由奔放ですね。

とはいえ、人を選ぶ作品かもしれませんね。

夜の雨
sp160-249-29-79.nnk02.spmode.ne.jp

しいな ここみさん「そして主人公はいなくなった」読みました。

主人公と共に、視点がつぎつぎと変化するギャグおもしろホラー。
最後に生き残ったモノは、ひとりもおらず。

登場人物みんなが主人公だとうぬぼれて、その場限りで、つかの間の主人公が、次の瞬間「大部屋俳優」になるという、笑いの殿堂に、ようこそおいでくださいました。

『駅前シリーズ』森繁久彌に伴淳三郎、フランキー堺や淡島千景、淡路恵子、池内淳子たちも天国からわいわいがやがやと応援していることでしょう。おっと、三木のり平がしゃしゃり出てきたぁ。「わても、天国から応援してまっせ」とか。

ちなみに「ゾンビ」は最初から生きているという設定にはなっていないので「生き残る」という技法は使えません。
でも、「いなくなった」というやりかたはアリですね。

で、御作にあまりストレスを感じないし、読み終わっても、それなりに面白いと感じるのは、ゾンビがストレスを与えるような描き方になっていないからだろうと思います。御作の作風でという事です。


タイトルの『そして主人公はいなくなった』は、御作にぴったりでした。


また、楽しませてください。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

面白かったです。
笑えるか笑えないかの勝負だと思うので、笑えたのだから、良いよね。

メタ的な部分もなかなか効いてて。
まさかの全滅エンドオチもきちりと決まってて。

「そして誰もいなくなった」も、なんというか全くの初見でびっくらしたのですが、この全滅エンドもびっくらしましたよ。

エレファントゴリラ
sp1-73-136-77.smd01.spmode.ne.jp

拝読させていただきました~!

面白かったです! 気軽に読めて、くすっと笑える良い作品でした!
発想も斬新で、なるほどね~となりました。

>わしは、喰われた。

ここで変な笑い出ました。好きすぎる。てか、博士の認識だと、この作品なろうなんだ……ウケますね。

しいな ここみ
KD124209089191.au-net.ne.jp

>せんちゃんさま
ありがとうございます(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ

>作品のラスト一文は、このサイトでは削除しましょう

なるほどと思いました。確かにかぶりますよね。参考にいたします。
でも、この作品の場合は綺麗に繋がりますけど、タイトルと最後一行が同じ文章の作品でも読者さんにとっては本文なのかどうかわからない場合もありますよ。ミュージックビデオで最後の歌詞が曲名と同じだからといって、最後に曲名をテロップで出すから削ったほうがスマートになるということはないように思います。

【視点について】
みなさんもう慣れ親しみすぎていて意識されてもいないと思いますが、現代のライトノベルなどにおける一人称視点というのはとても不自然なものです。アドベンチャーゲームなどの影響だと思われますが、語り手が行動しながら叙述するという、『実況形式』になっています。いわばスマホで文章を打ちながら冒険をしているようなものです。ゆえにふつうなら『俺は死んだ』という文章は書けません。語り手が死んだのに小説が続いているなら、それは一体誰が書いているんだ!? ということになりますからね。ゆえにこの作品のように何度も『俺は死んだ』が出てくる視点というのは、大変新しいものなのです(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾

漫画などではありがちだとは思いますが、漫画はそもそもフィクションとして読まれるものですし、何より一人称視点の漫画というものはあまり聞いたことがありません。

昔の小説の一人称形式というものは必ず回想とか日記とか、過去を振り返る形で書かれています。実況形式は明らかに不自然ですので誰も思いつきもしなかったようです。小説家になろうのほうで「『吾輩は猫である』は猫による実況形式だよ」というツッコミをいただきましたが、読み返してみたら猫による回想形式でした。最も古い実況形式は何かと調べたらどうやら『ゲームブック』というものだったらしいですが、こちらは二人称で書かれるのがふつうだったようです。

現代人はフィクションに慣れ親しみすぎて、『俺は死んだ』という不自然すぎる文章にすら違和感をもたなくなってしまっています。この作品はつまり、そんな現代人たちに「現実を見よ」「自然に帰れ」と呼びかけているのです(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ 本当かな?

しいな ここみ
KD124209089191.au-net.ne.jp

>偏差値45さま
ふふふ。偏差値45さまもこちらの作品の視点の新しさを見抜けなかったようですね。
詳しくはせんちゃんさまへの感想返信【視点について】をご覧ください(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ

あるいは私は仰る通りバカなギャグ作品をモットーとしておりますが、そこにばかり目が行って、作者がこの作品にどれだけ高尚な思いを込めたかが読み過ごされてしまうということを痛感いたしました。

しいな ここみ
KD124209089191.au-net.ne.jp

>夜の雨さま
ふふっ。夜の雨さまほどの方が、この作品に仕掛けられたギミックを見抜けないとはね。
まぁ、確かに漫才とかコントだったらよくある視点形式ですからね。
とはいえあれは観客の目から『演者さんは本当に死んではいない』ということが明らかですからね。だからこそ通用する『俺は死んだ』なんです。
ところが一人称視点小説で語り手が『俺は死んだ』と叙述しても小説が続くのはなぜでしょう? そしてそれを読者さんがちっとも不思議に思わないのはなぜでしょう?
答えは私たち人間が既にVirtual Worldの中を生きてしまっているからなのです。

しいな ここみは かく語りき

しいな ここみ
KD124209089191.au-net.ne.jp

>えんがわさま
笑っていただき、ありがとうございました(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ
でもじつはこちらは『現代小説における一人称視点が抱える問題』について提起する、とても高尚な作品なのですよ。
現代人たちよ、あなたがたは何を見ている!? まるでストーン・テンプル・パイロッツの『サワー・ガール』のように、あなたがたは変わった人たちだ!

しいな ここみは かく語りき

しいな ここみ
KD124209089191.au-net.ne.jp

>エレファントゴリラさま
お読みくださり、ありがとうございます(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ
私は主に『小説家になろう』のほうで書いているのですが、他の方の作品を読んでいると結構ふつうに『俺は死んだ』で終わるような作品があるのですよ。もちろん、一人称で。私が天才だと認める、去年プロデューサーされた作者さんなんかもそういうのを書いてらっしゃったので、『みんな一人称で「俺は死んだ」と叙述することの不自然さがわかってるのかな?』と疑問に思って書いたのがこちらの作品となります。
もちろんギャグとしてなら不自然なのが当たり前ですし、POV視点のホラー映画などでも撮影者が死んで仲間がカメラを取って撮影を受け継げば不自然さがないですけど、『私の乗る車椅子を押していた男が犯人だった。男は「さようなら」と笑い声まじりに呟くと、急坂の頂上から勢いをつけて車椅子を前へ押し出した。物凄いスピードでどんどん加速する私の前に断崖絶壁のむこうの海が迫ってきた』みたいのは、シリアスなだけにどうなのかと──。
それで私もツッコむ気マンマンで一人称実況形式の『俺は死んだ』をよく書くんですけど、ギャグだとやはり笑いのほうがメインになってしまって、なかなかこの不自然さをわかってはもらえないですね。

しいな ここみ
KD124209089191.au-net.ne.jp

何よりこの小説、最後には『無人称視点』になるんですよ。

この新しさ、わからんかなぁ……

エレファントゴリラ
sp1-73-136-25.smd01.spmode.ne.jp

>しいな ここみさん

おお、確かに! なろう小説を全然読まないので、意図に気が付きませんでした! もっと読んだ方が視野が広がるんだろ~な~、反省。
個人的には、小説の視点主が死の直前までを描写するのは全然いいと思いますが、「俺は死んだ」は考えてみると違和感のある描写ですね~。

勝手にスピーディー面白ギャグだと思い込んで読んでいましたが、そんな制作背景があったとは! 作者様じきじきのお考えが聞ける、作家でごはんならではの体験ですね!
自分ではなかなか気が付けない、新しい視点からの小説、すごいです! 詳しいご説明ありがとうございました!

上記の文章、見返すとなんか煽ってるようにも見えて、どう伝わるのか激不安なんですが、本心です。すみません。感想伝えるの下手くそで。

飼い猫ちゃりりん
115-37-235-81.area1a.commufa.jp

しいな ここみ様。感想返しです。
素直な人たちをオモチャにするのもいい加減にしないと。ペシペシ。

特に新しい視点も創造もありません。小説をぶっ壊して一人称の語り手を変えて、最後は三人称にしただけです。

>天井から救いの声がした。
 >天井板につけられた正方形の扉を開けて、カズユキが俺たちに手を伸ばしてくれる。

それは通常「点検口」と呼ばれます。
点検口(てんけんこう)とは、建物の壁・天井・床などに設けられた、内部の設備を点検・修理するための開口部のことです。

> だが大丈夫だ。なぜなら俺はこの小説の主人公なのだから。主人公補正がある。やられることは絶対にないのだ。

ここでせっかくの小説が壊れました。こういうおふざけで喜べる人って幸せですね。

ホメホメクラブの人たちって、常に「ホメなければ」なんて考えているから、ここみしゃんのオモチャになっちゃう。
「無人称。すげー!」
↑
こういう人は無脳症じゃないですか。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

再訪です。
ほえー。
僕はライトな語り口にただガハハと笑って読み終えたのですけど。
そういうギミックを意識的に作ってるんですね。
そしてそういうのを、もう、無意識レベルで許容できちゃうくらい僕の脳みそは洗脳されていたと。

なんか手品にかかったような、どこか悔しいような、でも面白い気分になりました。
ありがとでした。

せんちゃん
sp160-249-27-242.nnk02.spmode.ne.jp

ご返信ありがとうございます。
ゼロ人称視点と神視点の違いを、しいなさんはどうお考えでしょうか。

あんどこいぢ
softbank126203219206.bbtec.net

横槍的コメントになってしまいます。大変申し訳ありません。

「俺は死んだ」問題に関してなのですが、私は単純に、霊魂みたいなものを漠然と信じているひとたちが最終的には死後の世界からの回想、などといった感じで書いているのだろうと思っていたので、実はこれまであまり、違和感ありませんでした。
そうした想定でも何か、哲学的にか何かの問題でも生じるのでしょうか? 小説の表現として拙い、とジャッジするひとたちは当然いるでしょうが……。

私自身は雑誌の『ムー』的モノのビリーバーではないのですが、とはいえ、ズッとビリーバーになりたいなァとは思い続けています(そのため若い頃は宗教のハシゴしちゃったり……)。

それからまだ紙の同人誌の頃のその同人の一人が書いた話なのですが、主人公が殺されたラストシーンで、まさに幽体離脱し、自分の臨終シーンをうえから見おろすといった締めを書いていたひとがいました。
その作品は確か三人称だったのにわざわざ締めの台詞だけ主人公の心の声にし、❝俺、死んじゃってるなぁ❞的独白をさせていたのです。
私はですが、それはそれでいいんじゃないかなぁと思いました。


大変失礼しました。

しいな ここみ
KD124209089191.au-net.ne.jp

>エレファントゴリラさま
じつは私、自動車運転資格試験の時にある『運転適性テスト』で、『誰かが私を陥れようとしている』にいつも◯をつけるやつです。
大仰に「すごいです!」みたいに言われると『あっ……。褒め殺しされようとしている』と疑心暗鬼になってしまってすみませんm(_ _;)m
ご感想、嬉しかったです。ありがとうございました(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ


>えんがわさま
そうです! エンターテイメント等に染まった現代人たちは誰でも多かれ少なかれ洗脳されておるのです٩( 'ω' )و
目を覚まし、自分の足元の影の下の、さらに底の抜けた真実の世界を見るのだ、現代人よ!←ツッコミ待ち

しいな ここみ
KD124209089191.au-net.ne.jp

>飼い猫ちゃりりんさま
厳密に言うならそうですね(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ もう新しい視点なんて産めない

『点検口』なんて知らなかったけど『天井板につけられた正方形の扉』のほうが絶対わかりやすい٩( 'ω' )و
道路の溝にはめ込んである鉄の網を『グレーチング』なんて言ってもきっと愚かな大衆の大半は調べることもせずに『もっとわかりやすい、親切な言葉で書け』と言うことでしょう。

最後の一文は無人称だと自負しております。だってそれまでの語り手がすべていなくなったのに、『オマエ誰やねん』って感じですからね(๑•̀ㅂ•́)و✧ やはり新しいのでは?

しいな ここみ
KD124209089191.au-net.ne.jp

>せんちゃんさま
神視点とはもちろん作者も消えて、まるですべて見えている神のような視点で語ること──
三人称視点とはもちろん作者の視点からお話を語ること──太宰治『御伽草子』なんかが典型ですよね、語りの中に『作者太宰はこう考える』まで出てきますから。
そして私の創造したゼロ視点とは、それまで各主人公による一人称で語ってきた物語を、最後に主人公を全滅させて、誰が書いているんだコレ? みたいな状態において書く三人称視点のことなのです。

しいな ここみ
KD124209089191.au-net.ne.jp

>あんどこいぢさま
じつはこんなことを言いながら私も『俺は死んだ』をよく使っております。まぁ、すべてギャグですが……
それと同様に、『タブー』とされる『夢オチ』もよく書きます。
いかにすれば不自然だったり読者を引かせてしまったりする要素を説得力のあるものにできるか? みたいなことを思うからです。
一般に『これをしてはダメ』と言われていることほどしたくなるんですよね。
ただ、無自覚に、安易に使うことだけはしてはいけないと思ってもおります。
『みんなやってるから自分もする』でも『やってはいけないことだと聞いたから、自分もしない』ではなく、自分の頭で考えて、やってみたいと思ったなら、なんでもしてはいけないことなんてないと考えております(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾

あ、ちなみに──私は死後があるとは信じていませんし、そもそも『魂』という言葉が何を指すのかさっぱりわからないのですが、でも面白ければなんでもアリだと思います(๑•̀ㅂ•́)و✧

せんちゃん
as037252.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp

丁寧なご返信、感謝いたします。

誰が書いているんだコレ?
とは思わなかったです。

『羅生門』で、最後に
>下人の行方は、誰も知らない。
と語っているのは誰か?
と同じように感じました。

しいな ここみ
KD124209089191.au-net.ne.jp

>せんちゃんさま
ごツッコミをありがとうございます(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ
『羅生門』は読んだことなかったので青空文庫で読んでみましたが──
がっつり三人称ですやん(*>_<*)ノ
文中にしっかり『作者』まで出てきましたよ。

せんちゃん
p7204109-ipoefx.ipoe.ocn.ne.jp

羅生門は最後の一文だけ、誰視点なのか、という話のつもりでした。

しいな ここみ
KD124209088068.au-net.ne.jp

語り手は終始一貫して芥川さまだと思いますが……

せんちゃん
p7204109-ipoefx.ipoe.ocn.ne.jp

新しい取組として最後の語り手がいなくなるという視点を創造した、とのことでしたが、私は最後に誰もいなくなって神視点(作者視点)になるパターンだな、と思いました。
しいなさんが他の読者様への返信で、読者どもにはこの斬新さが分かっていないでおじゃるな、って感じの小説サイトあるあるな返信をされていましたが、それほどのものだろうか、と首をかしげました。

しいな ここみ
KD124209089122.au-net.ne.jp

もちろん最後は三人称ですよ。
でもそこまでの過程が新しいのです。
せんちゃんさまは現代社会にガッツリ洗脳されてらっしゃるのですね(*^^*)

せんちゃん
p7204109-ipoefx.ipoe.ocn.ne.jp

まあ、作者さんが言うなら、作者さんの中ではそうなんでしょうね。
現代社会に洗脳されている、という表現には人格攻撃っぽさを感じますが、まあ、洗脳でもどうでもいいです(笑)
前にもチラと書きましたが、自分は大衆と違うんやで、っていうしいなさんの考え方も大衆的に見えちゃうんですよね。どうでもいいですけど。
ご苦労さんでした。

しいな ここみ
KD124209089122.au-net.ne.jp

とりあえず意味もなく『羅生門』を持ち出した時点で、せんちゃんさまの負けだなと思っております(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ

せんちゃん
p7204109-ipoefx.ipoe.ocn.ne.jp

負け認定をしてくるということは、自分が勝ち、ということにしたいのですね。勝ちたいと思うのってかわいいです。
羅生門を出したのは、新しいって言うほどのものじゃないな、と思った理由の説明でしたが、何を言っても、ワイは新しいんやーってことになるでしょうから、これもどうでもいいですね。
ご苦労さんでした。

塩瀬ヨリ
softbank126115136200.bbtec.net

しいな ここみさま

「そして主人公はいなくなった」拝読しました。
メタ視点ありのブラックショートコメディとして読みました。
視点や人称について、実験的に取り組まれたとのことでしたので、興味深く拝見しました。

実験が主目的だったためか、ストーリーはメタ構造そのものは明快だが、その展開が予測を裏切る方向にはあまり発展しない印象でした。

以下、執筆の意図に対して、作中の気になった点をお伝えしますね。

私はなによりも構造が気になって仕方がないタイプですので、廃病院の天井裏に友達がいるのか・・・・・・と思ったら、そこからフィクションとしても楽しめなくなりました。
点検口はあまり馴染みのない固有名詞かもしれませんが、場面の解像度が格段に上がる効果があると思います。

「天井板につけられた正方形の扉」と見たとき、私は最初から点検口とは想像しませんでした。
天井に人ひとり分の荷重を支えられる構造があるとは思わなかったので、そこから人が出てきた時点で「これは通常の建物ではないのでは?」と考えてしまったんですね。SF的なギミックなのか、それとも病院建築として特殊な構造があるのか、と。

もし「点検口」と書かれていれば、そこで余計な推理をせずに済んだと思います。

ところが、その後二人が天井裏を走り、さらにカズユキが天井板を踏み抜いて落下するので、今度は「人が立って走れる空間」と「人が踏み抜ける二重天井」が同時に存在することになり、結局、建物の断面をうまく想像できませんでした。

病院建築には、設備更新のために人が立ち入れるISS(Interstitial Space System)のような構成もありますが、30年以上前の建造物ではあまり採用されていないと思われますし、作中では点検口から出入りしているうえ、その床にあたる部分を踏み抜いているので、そうした設備階として読むことも難しいように感じます。

つまり、途中までは「何か特殊な構造なのだろうか」と補完しながら読んだのですが、読み進めるほど、その補完した構造とも噛み合わなくなってしまいました。

作品のジャンルや文字数などの都合で、描写を省略したり抽象化したりすること自体は問題ないと思うのですが、現実にある建築物を舞台にしている以上、読者が具体的な構造を想像しようとしたときに、後続の描写によってその想像が成立しなくなるのは、作品の強度を損なうと感じました。

例えば、車のアクセルを踏み込んだのにブレーキがかかった、というような違和感に近いです。


人称についてですが、私は二人称の小説を読んだことが恐らくないですし、自分で書くときもよくとっちらかるので得意な方面の話ではないのですが。

単純に、一人称がリレーして最後に三人称が出てきた、という組み立てだなと感じました。
それが新鮮だとか新しいかと言われると、果たしてどこだろうか?と悩んでしまいました。

「一人称で自分の死を書くこと」そのものではなく、「死後もその一人称語りが継続するのは不整合にあたる、というのは承知なのですが。
この作品ではそれ以前に、いろんな点が不整合だったのと、こういうジャンルだと一定数そのような使われ方をされている気がするから、そこも許容範囲だと思って書いてらっしゃるのかなぁ? と、そこまで不自然には感じませんでした。

ですので、人称の実験をするような作品であればもう少し別のアプロ―チであれば(少なくともギャグでなければ)、一人称における「語り手の死」の違和感が強烈になったのではないかと推察します。
ギャグだと、「俺が死んだら誰が語るんだ?」という不整合がメタな笑いに変換されてしまい、叙述形式への疑問には到達しにくい。
最後に三人称の語り手を導入することで、本来読者に残るはずだった「この文章を誰が語っているのか?」という、それまで提示されていた問題自体を解消してしまっているように感じました。
三人称に移行したことで、「語り手がいない」という状態ではなく、新しい語り手を用意したと受け取りました。

いずれにしても、課題意識をもって作品に反映させる姿勢が素晴らしいなと思います。
書きたいことがいつも明確にあって、健全な創作活動だなと感じております。

執筆お疲れさまでした。

しいな ここみ
KD124209088054.au-net.ne.jp

>塩瀬ヨリさま
いつもながら丁寧な批評をありがとうございます(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ
そして私は物知らずですので、とても物知りなごツッコミ、いつもながら参考になりますm(_ _)m
ちなみに私の実家は病院なのですが、天井裏には上がってみたこともありません(^.^;
三角屋根の祖母の民家の雨漏り修理に天井裏に上がったらめちゃめちゃ広くて、足場は薄い板のところとしっかりした柱のところがあって、たぶんあのイメージを引きずってたんだな(*>_<*)ノ
車を運転したことがないひとが車を運転するシーンを描いたら仰る通り、きっとものすごく不自然で、入り込めないものになるかもしれませんよね。
それはそれでシュールで面白そうだけど(๑•̀ㅂ•́)و✧

人称に関しても仰る通りで、ショートショートのギャグ形式だとなんでもアリになってしまいますよね。筒井康隆さま的なスラップスティックだったら狙いが引き立つけど、ギャグ漫画だとただバカバカしいだけのものとして読まれてしまう……
それでも私、ギャグを書き続けますけどね(๑•̀ㅂ•́)و✧
だって笑いはシリアスより高尚だと思うから(๑•̀ㅂ•́)و✧

小説家になろうのほうで、死の間際に書き残した文章とかでなければ一人称の語り手が死ぬのはおかしい、というエッセイを書いて投稿したら『何がおかしいんだ』『普通によくあるじゃないか』みたいなコメントをいただいたことがあります。私、昔は活字ではいわゆる文学作品しか読まないやつだったので、なろうや出版されているライトノベル等でそういう描写が普通にあることに驚いたんですよね。そして調べてみたらどうやらゲームの影響らしい。サウンドノベルとか、プレイヤーが主人公に自分を重ねてストーリーを進め、『俺は死んだ』の状態になる、それに慣れている。そしてリセットしてやり直す。『この文章は誰が書いているのか』はどうでもよく、メタフィクションなども普通のこととして受け入れられているので、ここに一石投じるなら、というか激しいツッコミを入れたいなら、大袈裟なほどにバカバカしくして小説を壊すのがいいかなと思ったのですが……

これでも『普通』だと言われてしまうんですよねm(_ _;)m

手強し、現代社会!

闘い甲斐があるぜ(๑•̀ㅂ•́)و✧

飼い猫ちゃりりん
sp1-75-153-106.msc.spmode.ne.jp

しいな ここみ様。意外と「いい子」なんですね。物書きは不良かチンピラか狂人くらいで丁度いいと思います。
辻褄合わせのために、作品をぶっ壊して言い訳なんてしない方がいい。
いきなり主人公を変えればいいだけ。
一人称✖️3+三人称で堂々としていればいい。無人称も言い訳にしか聞こえない。

ノノアノ
kc116-12-3-21.ccnw.ne.jp

 残念ながら新しい視点ではないですよ。ヘッドホッピングというものがあって、AIに聞くと、

《ヘッドホッピング(Head-hopping)とは、小説などの物語の描写において、場面や段落を変えずに、ある登場人物の視点(頭の中)から別の登場人物の視点へと、一貫性なく頻繁に飛び移る書き方のことです。小説の執筆技法において、一般的には「避けるべき不自然な表現(書き手の技術不足による失敗)」を指すことが多い言葉です。》 

 あと、「なんちゃって一人称」というものがありますが、

《「なんちゃって一人称」とは、形式上は「私」などの一人称を使っていながら、実態は登場人物の内面を描かず、客観的な三人称視点のように固有名詞を「私」に置き換えただけの小説や文章の手法を指す言葉です。》

 だから逆に、人称主語を固有名詞に置き換えれば、今回の作品は、ただの三人称の神視点の小説なのです。「俺は、死んだ。」ではなく「ユーヤは、死んだ。」「博士は、喰われた。」というふうになっている感じ。

 一人称小説で、語り手が死ぬのがおかしいというのは、昔は私小説のように、語り手=作者(書き手)のイメージがあったのと、また、「なんちゃって」ではなく、真の一人称の小説は、読者が臨場感を感じたり追体験できるように、一人称の視点のルールを厳格に守っているからです。

 たとえば書けることが、その現場にいて見える範囲のこと、知りうることなど、リアリティーを感じさせるため、限定されているんですね。だから現実的に「俺は、死んだ。」と過去形にして思う人はいないので、そういったことを書いた時点で嘘っぽくて、白けてしまいます。また「意識の流れ」というものがありますが、

《小説における「意識の流れ(Stream of consciousness)」とは、登場人物の頭の中に浮かぶ思考、感情、感覚の動きを、整理や加工をせずにそのまま描き出す文学的手法のことです。》

 つまり、読者に向かって実況したり、作者や語り手による客観的な解説を挟まず、人物が心の中で感じていることをリアルタイムで表現すると、真の一人称の小説が書けます。ただ、どうしても説明文が必要なときはありますが、これは読者への説明というより、主人公の脳内認知と捉えていいと思います。感覚としては独り言のようなものでもありますね。

 しいなさんはコメント欄で「実況形式」だからという意見の人の話を書いていたと思いますが、そもそも実況形式は、物語の中にいる主人公が読者に向かって、実況しているというものですよね? だからじつはそれも、コミカルな「なんちゃって一人称」みたいなもので、だから〝軽く〟なります。これがいわばライトノベルの軽さではないでしょうか。

《夏目漱石の小説『吾輩は猫である』の主人公である猫は、物語の最後でビールを飲んで水がめ(酒がめ)に落ち、溺死します。》

 一人称の小説で死んでますね。そして主人公はいなくなった? まあ、猫がしゃべるというコミカルな作品だからでもありますが、形としては、作者が、猫という語り手を設定して、猫に語らせている(猫の演技をしている)だけで、猫=作者ではないので、死んでも不自然さは感じません。

 また、回想形式というより、なんちゃって一人称なので、たぶん「吾輩」を固有名詞に置き換えても読めるのではないでしょうか。それに、まあ現代は、一人称の私=作者、という先入観はないので、リアリティーを感じさせるものでないなら、つまりエンタメなら、死んでもいいんですよ。というか、異世界転生ものは、ほとんど一人称ですが、冒頭で死んでますね。

 コメント欄の話に私が答えるとしたら、「ゼロ人称視点」というのは、会話文だけのシナリオや戯曲。だからたとえば、シェークスピアの作品とか。まただから、ゼロ人称視点は、三人称多視点において視点の切り替えテクニックとして使うことができます。

 たしか、しいなさんは、自分は三人称小説の書き手だとおしゃっていたような気がするのですが、だからか、一人称の小説であっても三人称の視点になってますよ。それも神視点だから、わかりやすいけど、軽いというか、リアリティーがないというか、あまり高い評価は受けていないのではないでしょうか。

 三人称の小説でも、一視点、多視点、と限定的な制約のある視点はリアリティーを感じさせるために必要なテクニックですから、習得方法として登場人物になりきって書いてみるといいと思います。

飼い猫ちゃりりん
sp1-75-153-106.msc.spmode.ne.jp

長いコメントだなあ。ノノアノさんは人を眠らせる達人か?
そんなもん面白ければ何でもいいよ。0人称だろうが、100人称だろうが。結論どうでもいい。

しいな ここみ
KD111238249056.au-net.ne.jp

>ノノアノさま
おぉ、ありがとうございます(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ
正直、私も『煽り』みたいな感じで「新しい視点を創造しました」なんて書きましたけど、すべてが既に書かれてしまったこの現代において新しい視点なんて創造しようがないことぐらいわかってますよ(^o^)
ただ、『俺は死んだ』的な叙述が疑問を抱かれ(たぶん)ながらもまかり通っているこの現代において、世界の虚無へ誘う(突き落とす)方法としては『すべてを肯定すること』しかないように思うんですよ。ぶっちゃけると坂口安吾さまの『笑劇(ファルス)はすべてを肯定する』に影響されてるんですけど、シリアスは何かを肯定し、何かを否定します。それに対してファルスあるいはギャグは、すべてを肯定することができるんです。すべてを肯定するということは、『戦争』をも肯定し、『戦争反対!』をも肯定するということですから、必然的にシッチャカメッチャカになりまふ。そんなギャグは、シリアスよりも高尚だと思いませんか?
『意識の流れ』はいかにも現代アートのようなもので、『ユリシーズ』は私は柳瀬尚紀さまの訳でも1ページで挫折しましたのでどうでもいいです(^.^;
それよりもカフカの『変身』ですよ。
あれって三人称ですけど、ずっとグレゴールの視点のみで描かれてますよね。それが最後、あんなことになって、読者はまるで空虚な中に放り出されたようになります。ずっと三人称なのに、ラストシーンだけはなぜか『無人称視点』のように思えてしまいます。あれこそが私がパクりたかった感覚なんですよね。

すみません今じつはウィスキー6杯目でかなり酔っ払っていますのでシッチャカメッチャカですが……m(_ _;)m

ですがやはり創作者の仕事は『編集の言うこと聞く』ではなく、あくまで反抗することだと思っております。

ちなみに『吾輩は猫である』のラストは知りませんでした。『俺は死んだ』なのですね? 参考になります。何度も途中挫折しておりますがまた挑戦してみます(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾

またちなみに私は三人称も書きますが、一人称も二人称も神人称もなんでも書きますよ。神を語り手にした一人称も書いたことがあります。

『こんなのはダメ』と言われて素直に聞くのではなく、自分の頭で考えて、なんでもやってみるのが創作者ですからね。



>ちゃりりんさま
うるさい。

かぐつち・マナぱ
182-166-160-53f1.shg1.eonet.ne.jp

視点の話、私も考えてみたんですが、結局「一貫した視点」と「多面的な視点」のどちらが文学的なのかって、単純な話ではない気がしてきました。

一人の人物の目から最後まで描く作品もあれば、最後だけ語り手がふっと顔を出す作品もあるし、人物の内面に入ったり、少し離れて全体を見たり、読者にだけ先に情報を渡したりする作品もある。

どれが「正しい視点」なのかというより、作者が「今回はこの距離、この角度から物語を見せよう」と選んで、それが作品として成立していればいいんじゃないのかな、と。

私自身、視点論をちゃんと理解しているわけではないので完全に素人考えなんですが(笑)

三人称って、もしかしたら「視点を固定するための形式」というより、「どこまで視野を広げたり狭めたりするかを遊べる形式」でもあるのかな、なんて思いました。

燃料投下ですね!いつも応援しております!(⁠。⁠•̀⁠ᴗ⁠-⁠)⁠b✧

しいな ここみ
KD106163018001.au-net.ne.jp

>かぐつち・マナぱさま
四人称視点というのもあるようですね。
未来の人物が過去の出来事を見ているというような──
意識せず私、そういうのを過去に書いてました(^.^; 既存の視点だったとは……畜生

あまり視点がコロコロ変わったり不安定だと素人臭さを感じるものですが、それを逆手にとってバカな世界を創りたいなと思っております(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ

かぐつち・マナぱ
p581166-ipxg00a01otsu.shiga.ocn.ne.jp

万人受けする作品など、まだこの世に存在しない、というか作者様ごとのフリーダム(特色)でいいんじゃないかな?とか勝手に思っています(笑)(*´艸`*)<一緒に楽しい(意味深)な作品を作っていきましょうね〜♡

しいな ここみ
KD182249072178.au-net.ne.jp

>かぐつち・マナぱさま
万人受けなんてしたくもないですね(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾
そしてブンガク信者さんの眉が吊り上がるようなものこそ書きたいと思っております。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内