作家でごはん!鍛練場
テル

紅の趣6 哀れみなき破壊

カン。金属音が、洞窟の奥から押し寄せてきた。

暗闇の中で、赤い光がいくつも揺れている。

23号が黒い拳を振り上げた。

ハルは咄嗟の後ろに飛び退く。

――多すぎる。

5体や10体ではない。

ミナが座り込み、息を荒くしていた。動く気配はない。

「チッ…」

ハルは左に向かい走った。23号の視線がハルを追いかける。

石を素早く拾い、23号に投げつけた。

23号は腕で石を受けた。石が跳ね、地面に落ちる。眼の前の機械人間は、平然としていた。

「ガク!」

ガクは壁際で膝をついていた。服は汚れているが、意識はある。

ハルはガクに駆け寄った。

「カイは?」

ガクが静かに言った。

答えなかった。答える必要もなかった。

「……逃げよう」

ガクが小さく言った。

「ここにいたら、全員死ぬ」

「でも、ラベルが……」

「取りに来たんじゃない」

ガクが立ち上がった。

「生きて帰るために来たんだ」

その言葉に、ハルは少しだけ目を見開いた。

正しい。

今ここで欲を出せば、3人とも終わる。

だが――

ハルの視線が、23号に向いた。

正面で泣き崩れているミナには眼もくれない。機械人間が、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。まるで意志を持つようだった。

ハルは短刀を構えた。

「一体だけなら」

「ハル?」

「一体だけ倒して、逃げる」

 ガクがハルを見る。

「無理だ」

「分かってる」

「分かってる顔じゃないぞ」

「だから、3人でやる」

ハルはガクを見やる。

「ガクが隙を作る」

「俺が?」

「ああ」

「で、お前が倒す?」

「ああ」

 ガクはしばらく黙った。

「……できるのか?」

「分からない」

「おい」

「でも、やるしかない」

ハルは短刀を握り直した。

「俺、昨日こいつを見た」

昨日の光景が蘇る。

近づいた瞬間、こちらを察知した23号。

あの異様な感覚。

「こいつは多分、正面から行ったら無理だ」

「じゃあ、どうする」

「ガクが正面から引きつける」

 ガクは眉をひそめた。

「俺が囮か」

「そうなる」

「死ぬかもしれないぞ」

「分かってる」

「お前、今日会ったばかりの俺を利用する気か?」

「……悪い」

「謝るなよ」

ガクは苦笑した。

「その代わり、成功させろ」

「分かった」

ハルは固く頷いた。

その瞬間、23号ともう一体の機械人間が突進してきていた。

二体が腕を伸ばし地面に叩きつける。

ハルとガクは両脇に飛んだ。

「ミナ!」

ハルが走りながら叫ぶ。

「出口を確保してくれ」

ハルは駆け寄り、ミナの肩を叩いた。

複数の機械人間が迫ってきている。

「機械人間が増えたら教えてくれ。逃げ道も見ておいてほしい」

ミナは震える目でハルを見上げた。

「…逃げて、いいの?」

「あぁ。ここは俺らで食い止める」

そして――

ミナは震える動きで立ち上がった。

「死なないでね」

ミナは振り返り、駆け出した。

「善処する」

ハルは軽く笑った。

次の瞬間。

23号がハルの背後に立っていた。

背中に汗が滲んだ。

いつの間にか背後に気配がある。

振り返る。

「あ…」

23号の拳が地面に叩きつけられた。

薄暗い洞窟の中、轟音と共に砂塵が舞う。

走りながら、ガクは音の方を見やった。

ガク自身も満身創痍だった。

剣を握り狭い洞窟を上手く走りながら、複数の機械人間の攻撃をかろうじて避けている。

「ハル!!」

土煙が収まった。

その時。

ギィィ、という不快な金属音がした。

23号の胴体から発せられている。

ハルが身を低くしながら短刀で胴体を横に斬りつけていた。

ハルはそのまま23号の脇を潜り抜ける。

「・・・・・・!」

(硬すぎる。短刀じゃ浅い)

ハルはそのまま走る。

(奴の攻撃をかわし、懐に入り込んだはずだったのに…チクショーが!)

23号が身体の向きを変え、ハルの方角を向いた。

ハルの眼の前にはガク。再び合流。

コツ。

足音が、変わった。

ハルは短刀を握ったまま動かなかった。

さっきまで一定だった足音が、今は止まっている。

洞窟の奥には、まだ赤い光がいくつも浮かんでいる。機械人間たちは動かない。壁に反射した赤い光だけが、暗闇の中でかすかに揺れていた。

ハルとガクの呼吸音だけが洞窟の中に響いた。

23号が一歩踏み出した。

ハルは横へ動いた。

23号の拳が通路を塞ぐように振り抜かれ、岩壁に当たり、鈍い音が洞窟の奥へ響く。

ハルは地面を蹴った足をすんでのところで戻し、とっさに止まった。

拳を振ったあと、23号の右腕が戻るまで、ほんの一瞬だけ時間がかかる。

「ガク」

「何だ」

「右腕。戻るのが遅い」

「そりゃ当たり前だろ」

「でも、隙になる」

ガクが23号を見る。恐怖の中に、怪訝な表情が上書きされている。

「次、俺が引きつける」

「お前が?」

「その間に斬ってくれ」

「分かった」

短い返事だった。

ハルは一歩前へ出た。

23号の赤い光が、ハルを捉える。

「こっちだ」

走る。

足元の砂が滑る。

洞窟は狭い。左右の岩壁が近く、まともに横へ逃げられる場所は少ない。

23号が腕を振る。

ハルは身を低くした。

頭上を拳が通り抜け、風圧で髪が揺れる。

背後で岩が砕けた。

その音に振り返る余裕はない。

もう一度。

今度は左。

ハルは岩壁に手をつき、身体を滑らせる。

23号が追ってくる。

その足音が、さっきより速い。

「今!」

ガクが飛び込んだ。

ガクの剣が23号の肩を何度も叩く。

金属音。

23号がわずかにガクの方へ傾いた。

ハルは懐へ入り込む。

短刀を振る。

さっきハルが斬った亀裂を狙う。

カンッ。

刃が弾かれた。

「くそ……!」

手に痺れが走る。

だが、亀裂は広がっていた。

「まだかハル!」

「もうちょっと…」

23号が後退している。

やがて、その背中が岩壁に触れた。

「追い込んだ……!」

ハルの息が上がる。

ガクも肩で息をしていた。

洞窟の天井から水が一滴落ちる。

ぽた。

その音だけが妙に大きく聞こえた。

「一気に行くぞ」

ガクが構える。

ハルも短刀を握り直した。

23号が動く。

ガクが正面から踏み込む。

ハルは反対側へ回る。

左右で挟みこむ。挟撃の構え。

23号がガクへ腕を伸ばした瞬間、ハルが懐へ入った。

亀裂へ向けて、思いっきり短刀を突き込む。

ハルの体勢が思わず揺らいだ。

今度こそ、深く入った。

ギィィィィ……。

23号の身体から、これまでとは違う音がした。

赤い光が明滅する。

動きが止まった。

ハルは息を呑んだ。

「……やった?」

23号の頭が、ゆっくり下がった。

動きが、今度こそ完全に止まった。

ハルは一歩近づく。

「止まった……」

ガクも息を吐いた。

「勝ったのか」

その瞬間。

23号の腕が跳ね上がった。

ハルは反応できなかった。

黒い手が、ハルの胴体を直撃し、ハルを吹き飛ばした。

「――っ!」

背中が岩に激突する。

最初は衝撃が、次に痛みがギンギンと迫ってきた。

「ウ、グハ、ッ…」

(身体が、動かない…)

短刀を持つ手が震えた。思い通りに動かない。

岩に身を預ける体勢のまま、動けなかった。

23号の赤い光が、目の前にある。

そこで初めて。

ハルは理解した。

こいつは、傷ついている。

動きも鈍っている。

それでも――

俺より強い。

さっきまで勝てると思っていた。

違った。

追い詰めていたのではない。

追い詰めさせられていたのかもしれない。

「待て!」

ガクがハルの前に滑り込んだ。

「こいつを殺したければ、まず俺を殺してみろ!」

すさまじい顔つきだった。

「……俺、無理かもしれない」

ハルの喉が鳴る。

言った瞬間、自分で怖くなった。

こんな言葉が口から出るとは思わなかった。

23号のもう一方の腕がゆっくり上がる。

視界に黒い影が入る。

その先に何が起こるのか、考える必要もなかった。

ハルの頭の中から、紅燐祭が消えた。

消えた父親も。奪われた紅剣も。

作った母の墓も。

全部。

ただ一つ。

(死にたくない…)

その感情だけが残った。

「嫌だ……」

身体が動かない。

母を失った夜でさえ、ここまで怖くはなかった。

あの時は何が起きたのか分からなかった。

今は分かる。

自分は殺される。

ガクが視界から消えた。そして、岩に激突する鈍い音。

23号に吹き飛ばされたと分かるまで、それほどの時はかからなかった。

息を吸う。

吸えない。

もう一度。

「はぁ……っ」

肺に冷たい空気が入る。

(冷た…)

23号はまだ立っている。

目をつぶった。

再び開いた。

黒い腕が、動いた。

そして、目を閉じた。

すさまじい轟音が、洞窟全体を揺らした。

ハルは目を閉じた。

――死んだ。

そう思った。

だが。

何も起こらない。

恐る恐る目を開く。

「……え?」

目の前にいたはずの23号が、数歩先まで吹き飛ばされていた。

周囲では、赤い光が次々と消えていく。

壁際にいた機械人間たちも、何体もが倒れていた。

洞窟の奥からではない。

――出口の方からだ。

白い光が差し込んでいる。

砂塵の向こうから、誰かが歩いてくる。

最初に見えたのは、少女だった。

長い黒髪の左右には細い毛束が垂れ、淡い紫灰色の瞳がこちらを見ている。顔立ちは幼く可愛らしいのに、表情は冷たかった。

身に纏っているのは、一般の参加者とは明らかに違う服だった。

濃い色の上着に細かな装飾が施され、胸元には紋章がある。

そして背後には四人の武装した男を従えていた。

全員が武装している。

そのうち二人が小型の砲を構えていた。

「まだ動いています」

男の一人が言った。

少女は23号を見る。

「構わない」

短い言葉。

「撃って」

男たちが一斉に構え直す。

23号が立ち上がった。

傷ついた身体を引きずるようにしながら、それでも立ち上がろうとする。

ギィ……という金属音が鳴った。

少女は眉一つ動かさない。

砲撃が洞窟を揺らした。

23号の身体が大きく弾かれる。

今度こそ、機械の身体が崩れ落ちた。

ハルは呆然とそれを見ていた。

ついさっきまで、自分が死ぬかどうかの瀬戸際だった。

それを、この人間たちはまるで作業でもするように終わらせた。

洞窟の入り口で、少女がこちらへ視線を向ける。

ハルと目が合った。

ほんの一瞬。

彼女の瞳が、ハルの顔へ向いた。

「……天哭?」

小さな呟きだった。

ハルには聞き取れない。

少女は目を細める。

だが、すぐに視線を戻した。

「……いや」

一人で納得するように呟く。

「見間違いか」

少女はそれ以上、そのことについて口にしなかった。

隣で、音がした。

ガクが、剣を杖代わりにして何とか立ち上がっていた。頭部は血まみれだったが、目は死んでいなかった。

「大丈夫か、ガクさん!」

ハルはすんなり立ち上がった。そしてガクに駆け寄り、肩に手を回す。

ガクが、微かに言った。

「あぁ、なんとかな…それより、この人たちは?」

ガクの視線を追いかけ、ハルは少女たちに目をやった。

「紅燐祭の参加者」

少女は言った。

やがて男たちが洞窟の内部を調べ始める。

そして、一人が足を止めた。

「……これは」

ランプが壁を照らす。

赤い金属板。

一枚。

二枚。

その奥にも。

さらに奥にも。

壁という壁に、ラベルが埋め込まれている。

少女の表情が初めて変わった。

「……こんな数」

男の一人が近づく。

「これだけの機械人間が、ここを拠点にしていたということですか」

「違う」

少女は静かに答えた。

「これだけの個体を、ここに集めていた何者かがいる」

ハルは息を呑む。

ただの巣ではない。

誰かが、何かをしていた。

まさか。

「天哭紅剣は鋼天機構に狙われている」

オオツ村で、ラカールが言っていた言葉。

鋼天機構。機械人間の組織。

「いやいやいや」

ハルは勝手に想像し、勝手に否定している。

少女は男たちへ指示を出す。

「ラベルを回収して」

「全部ですか?」

「可能な限り」

男たちが動き始める。

「待ってくれ」

少女が振り返る。

「何?」

「それ……」

ハルは23号を見る。四肢が破片だらけになり、無様に地面に突っ伏していた。

「23号のラベル」

少女は少し黙った。

「必要?」

「ああ」

「何のために?」

「俺が戦ったから」

声は震えていた。それでもハルは言った。

「俺たちが……ここまで来た証拠だから」

彼女はハルを見る。

その顔には、呆れとも困惑ともつかない表情が浮かんだ。

「あなたたちも、紅燐祭の参加者?」

「そうだ」

「なら、ここから先には関わらないで」

「……でも」

「これはあなたたちが考えているような、単なるラベル集めじゃない」

少女の声は冷たかった。

「機械人間が組織的に集められている可能性がある。それに…この不自然な形の洞窟。あなたたちが首を突っ込む話じゃない」

少女が洞窟の奥まで見渡す。暗闇は、続いていた。

ハルは黙った。

正論だった。

自分たちは何も知らない。

カイを失い、ガクも倒れた。

ミナは逃げ、ゴビーは外で待っている。

ここに残っているだけでも危険だ。

それでも。

ハルは23号を見る。

「……それでも、23号だけは欲しい」

少女が眉をわずかに動かした。

「なぜ?」

「俺が、あいつと戦ったから」

ハルは短刀を握り直す。

「勝てなかったけど……逃げなかった」

少女は何も言わなかった。

少しの間、ハルを見つめる。

そして23号の残骸へ歩いていく。

男の一人が、

「お嬢様、それは――」

と言いかけた。

少女は手を上げて制した。

23号の身体からラベルをゆっくりと丁寧にはがす。

そして、ハルの方へ投げた。ラベルが宙に浮かび、放物運動を起こした。

ハルは慌てて受け取る。

赤い金属板が、手の中で小さく鳴った。

「ありがとうございます」

少女は答えず、背を向ける。

「行くよ」

四人の男が少女に続き、洞窟の奥へと向かっていった。

ハルはその背中を見つめた。

何者なのか。

なぜこの問題に首を突っ込んだのか。

何一つ分からない。

ただ一つ。

手の中にある23号のラベルだけは、確かだった。

ハルはそれを強く握った。

そして、洞窟の出口へ向かって歩き出した。


ーーー



洞窟を出ると、夕方の冷たい風が頬を撫でた。

 さっきまで濃密に満ちていた湿った岩の匂いが外へ出た途端に薄れていく。代わりに、森の土と草の青臭さが鼻へ入り込み、ハルはそれだけで少しだけ息がしやすくなるのを感じた。

ガクの肩を支えながら、ハルはゆっくりと斜面を上がった。ガクは自分の足で歩いていたものの、歩幅は狭く、剣を杖代わりにしている。頭から流れた血が頬を伝い、顎から落ちていた。

「……重いな、お前」

 ガクが苦笑する。

「それはこっちの台詞だ」

「悪かったな」

「本当に悪いと思ってるなら、もう少し軽くなってくれ」

 そんなことを言いながら、二人は森の外へ出た。

 夕暮れの光の中で、ゴビーとミナがいた。

 ゴビーは岩へ腰を下ろし、ミナはその横で何度も森の方を見ていたらしい。ハルたちの姿を見つけた瞬間、ミナの顔から強張っていたものが少しだけ抜けた。

「……ガク!」

 ミナが駆け寄る。

「大丈夫?」

「見れば分かるだろ。たぶん大丈夫だ」

「たぶんって……」

 ミナはガクの顔を覗き込んだあと、ハルを見る。だが、その目がハルの手にある赤い金属板へ落ちると、言葉が止まった。

 23号。

 ハルは無意識にそれを握り込んだ。

 ゴビーが立ち上がる。

「で?」

 いつもの軽い声ではなかった。

「どうだった」

「……カイが死んだ」

 ハルがそう言うと、風の音だけが一瞬大きく聞こえた。

 ミナが俯く。ガクは目を閉じたまま、何も言わなかった。

 ゴビーも黙っていたが、やがて小さく息を吐く。

「そうか」

 それだけだった。

 責めるでもなく、驚くでもない。紅燐祭で誰かが死ぬことを、あまりにも現実的なものとして受け入れている声だった。

 ハルはその声が、少し嫌だった。

 カイが死んだのに。

 自分たちは、また歩ける。

 また飯を食べられる。

 また明日の予定を決められる。

 それがひどく不自然なことのように思えた。

 しばらくして、ゴビーの視線がハルの手元へ移った。

「それ」

「……ラベル」

「見りゃ分かる。誰のだ?」

 問いは短かった。

 けれど、その場にいた全員が意味を理解した。

 ハルは答えられなかった。

 自分が戦った。

 ガクも戦った。

 カイも、そこにいた。

 そして最後にあの少女が、それをハルへ投げ渡した。

 紅燐祭のルールは、必ずしも明快ではなかった。

 殺した者のものなのか。

 最も大きな貢献をした者のものなのか。

 最初に傷をつけた者のものなのか。

 それとも、最後に拾った者のものなのか。

 ハルはラベルを見つめた。

「……俺は」

 言葉が続かなかった。

 すると、ガクが口を開いた。

「ハルのだ」

 ハルが顔を上げる。

「でも……」

「俺は何もしてない、とは言わないぞ」

 ガクは苦しそうに笑った。

「俺も斬ったし、あいつの注意も引いた。でも最後まであいつを相手にしていたのは、お前だ。俺は途中で死にかけてた」

「それに」

 ゴビーが腕を組んだ。

「あの嬢ちゃんが、わざわざ渡したんだろ?」

「……うん」

「なら、いいじゃねぇか」

 ガクは一度、深く息を吸った。

「持っていけ。ハル」

 その声には、戦闘中とは違う穏やかさがあった。

「助けてくれて、ありがとうな」

 ハルは何も言えなかった。

 礼を言われるようなことをしたとは思えなかった。

 カイを助けられなかった。

 ガクも守り切れなかった。

 23号だって倒せなかった。

 それでも、ガクは頭を下げた。

 ハルは慌てて手を振る。

「やめろよ。そんなの……」

「いいから」

 ガクは笑った。

「仲間なんだろ」

 その言葉に、ハルは黙った。

 胸の奥で、何かが小さく揺れた。

 でも今、目の前にいる三人は、同じ一日を生き残った人間だった。

 同じ恐怖を見て、同じ場所から戻ってきた。

 それだけで、少しだけ何かが繋がっているように思えた。

「……ありがとう」

 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

 その後、四人は近くの木の根元に腰を下ろした。

 ミナがガクの額に包帯を巻く。ゴビーが簡単な食料を取り出した。

 誰も多くは喋らなかった。日が沈みかけている森は、昼間よりもずっと静かで、葉の擦れる音まで耳に残った。

 やがて空が濃い藍色へ変わる頃、ガクが言った。

「明日、紅燐広場で集合しよう」

 ゴビーが頷く。

「朝でいいか?」

「あぁ、早いほうがいい」

 ミナも小さく頷いた。

「分かった。俺も行く」

 ハルも頷く。

 ゴビーが立ち上がり、腰を伸ばした。

「決まりだな」

 それぞれが荷物を持つ。

 不思議なものだった。

 数時間前まで五人だったのに、帰る時には四人になっている。

 誰も泣かなかった。

 泣いている暇がないのかもしれないし、泣くほど現実を理解できていないだけなのかもしれなかった。

 ハルは森の向こうに沈んでいく夕日を眺めた。

「じゃあ、また明日」

 ガクが手を上げる。

「また明日」

 ミナも小さく手を振る。

「ちゃんと来てね」

「分かってる」

 ゴビーだけは、ハルにいつものように笑った。

「寝坊すんなよ、新入り」

「そっちこそ」

「俺は寝坊なんてしねぇ」

「そう言う奴が一番寝坊するんだよ」

「知るか、そんなもん」

 くだらないやり取りだった。

 それでも、その瞬間だけは、カイが死んだことも、紅燐祭のことも、機械人間の巣も、何もかも忘れられた。

 ただ五人だったはずの場所で、四人が笑っていた。



ーーー



西門を潜って、それぞれが別々の道へ歩き出す。

 ハルも一人になった。

 夜の京都は、昼間とはまるで別の街だった。

 『洛清通り』にはまだ灯りが残っている。店の軒先に吊られた照明が石畳を淡く照らし、世間話をする声が聞こえていた。

 けれど、通りを外れると、その光は急に途切れた。

 ハルは城門へ向かわず、ふと足を止める。

 どこか、別の場所へ行きたかった。京都、まだ来たばっかりの、想像もつかない大きな都市。

 そして、角張ったラベル。

 ハルはそれを取り出して、月明かりにかざした。

 23。赤黒い金属板は、何の感情も持たないように淡く光っていた。

「……俺の、か」

 呟いてみても、実感はなかった。

 ハルは人の少ない裏道へ足を向けた。

 表通りの喧騒が、少しずつ遠ざかっていった。

 代わりに漂ってきたのは、生ゴミの臭いと湿った土の臭いだった。

 建物の壁はところどころ崩れ、道の隅には使い古された木箱や壊れた道具が積み上げられている。明かりも少ない。窓の向こうには人影があるが、誰も外へ出ようとはしなかった。

 道端に座り込んだ老人がいる。

 その隣では、毛布にくるまった子供が眠っている。

 さらに奥には、壁へ背を預けたまま空を見上げている男がいた。

 誰も何かをしようとしていない。

 ただ、時間が過ぎるのを待っている。

 ハルは胸の奥に嫌なものが溜まっていくのを感じた。

 朝に見た京都は、人で溢れていた。

 武器が売られ、食べ物が並び、紅燐祭の参加者たちが明日の夢を語っていた。

 なのに、同じ都市の中に、こんな場所がある。

「……京都って、広いな」

 誰に言うでもなく呟く。

「広すぎる」

 そのときだった。

「おい」

 聞き覚えのある声がした。

 ハルが振り返る。

 ゴミ袋の山の向こうから、工具箱を抱えた青年が現れた。

「……サネツグ?」

 眠そうな青年、トオミ・サネツグはハルを見るなり、目を細めた。

「お前か」

 そして、その視線がハルの手にある赤い金属板へ落ちる。

「ラベル。取ったのか」

「……うん」

 サネツグは少しだけ口元を上げた。

「やるじゃん」

 ハルは俯いた。

「違う」

「何が」

「俺が倒したんじゃない」

 サネツグの表情が僅かに変わる。

 ハルはラベルを見つめた。

「俺たちで戦った。でも、倒せなかった。最後は別の人が倒した」

「それでも持ってる」

「違う人がくれたんだ」

「そうか」

 サネツグはそれ以上、ラベルを褒めなかった。

 それから、足元のゴミへ視線を落とした。

「じゃあ、これ片付けるか」

「……え?」

 サネツグは何でもないことのように言った。

「理式を使う」

 紅い光が、ごく小さく灯る。

 散らばっていた紙や金属片、壊れた木箱が、見えない流れに押されるように動き始めた。

 ゴミは一本の線へ集まり、さらに分類され、最後には種類ごとに整然と積み上がっていく。

「……すご」

「こんなの基礎だ」

「これが?」

「戦闘しか考えてないと、こういう使い方ができなくなる」

 サネツグは工具箱を拾い上げた。

しばらく沈黙したあと、ハルが言った。

「……俺も、理式が使いたい」

 サネツグは工具箱を足元へ置いた。

「へえ」

「仲間を守れるようになりたい」

 そこで一度、言葉を止める。

「でも、一つだけじゃ嫌なんだ」

 自分でもうまく説明できない。

 だから、少し考えてから言葉を選ぶ。

「選択肢が欲しい」

 サネツグがハルを見る。

「選択肢?」

「守れるか、守れないか。そんなのしかなかった」

 母の顔が脳裏をよぎる。

「俺には、もっと別の方法が必要なんだ」

サネツグは黙って聞いていた。だが突然ふと何か思いついたかのように指を鳴らした。

「ついて来い」

「どこに?」

「飯」

 ハルは目を瞬く。

「……飯?」

「腹減ってるだろ」

 言われて、ハルは初めて自分の腹が鳴るのを聞いた。

 サネツグは笑いもしなかった。

「ほら、来い」

 そして二人は、夜の裏道を歩き出した。



ーーー



京都の裏道を抜けた先で、サネツグは一軒の家の前に立ち止まった。

ハルは思わず足を止めた。

家、と呼ぶには少しばかり勇気がいる建物だった。壁はところどころ剥がれ、木材には雨染みが残っている。窓枠も歪んでいて、風が吹けば今にも外れそうだった。

「……ここ?」

「そうだ」

サネツグは何でもないことのように扉を開けた。

ハルは中を覗き込む。

そして、目を瞬いた。

外から想像していたより、ずっと綺麗だった。

床には埃がほとんどなく、壁際には工具が種類ごとに整理されている。小さな机には書類が積まれ、棚には理式に関する古い本が何冊も並んでいた。

「……意外」

「何がだ」

「もっとボロボロかと思ってた」

「失礼な奴だな」

サネツグは靴を脱ぎながら言った。

「外がボロいだけで、中までボロいとは限らん」

「でも裏道の家だろ?」

「だから何だ」

サネツグは台所へ向かう。

「俺は仕事してるからな。飯を食って、掃除して、壊れたものは直す。それだけだ」

鍋の蓋を開け、湯気が立ち上った。

サネツグが振り返る。

「……食うか?」

「いいの?」

「食うために聞いたんだろ」

「いや、別にそういうつもりじゃ」

「じゃあ食うな」

「食べる」

即答だった。

サネツグは呆れたように鼻を鳴らした。

「素直なのか図々しいのか、よく分からんな」

しばらくして、二人は粗末な卓を挟んで向かい合っていた。

煮た野菜と肉、それに硬いパン。だが、今日のハルにとっては、それで十分だった。

ハルは黙々と食べた。

朝から何もまともに口にしていなかったことを、そこで初めて思い出した。

サネツグはそんなハルを横目で見ながら、自分の皿をゆっくり片付けている。

「……そんなに腹減ってたのか」

「うん」

「飯は逃げないぞ」

「分かってる」

「分かってない食い方だな」

ハルは少しだけ笑った。

その笑みが消えると、今日の出来事が戻ってきた。

洞窟。

23号。

倒れるカイ。

そして、最後に現れた少女。

箸を置いたハルを見て、サネツグが尋ねる。

「何だ」

「今日……機械人間の巣を見つけた」

「ほう」

「仲間が死んだ」

サネツグの手が止まった。

「……そうか」

それ以上は聞かなかった。

ハルはしばらく黙っていたが、やがて今日のことを最初から話し始めた。

23号のこと。

洞窟に大量の機械人間がいたこと。

ガクと二人で23号と戦ったこと。

そして、自分では勝てなかったこと。

「……怖かった。死ぬと思った」

「死ななかったな」

「うん」

「なら、それでいい」

あまりにも簡単に言われて、ハルは顔を上げた。

サネツグは湯呑みを手にしていた。

「生き残った奴が、死んだ奴の分まで何かを考える。それで十分だ」

「……冷たいな」

「そうか?」

「もっと、何かあるだろ」

サネツグは少し考えた。

「昔の本に、死んだ奴は土に帰るとか何とか書いてあったな」

「本?」

「古い宗教の本だ」

サネツグは肩をすくめる。

「だが、土に帰るのは死んだ奴だけじゃない。生きてる俺たちも、いずれは同じだ」

ハルは黙った。

「だから、今飯を食えるなら食え」

サネツグは残ったパンを指差した。

「腹を空かせて死ぬほど情けないことはない」

ハルはパンを手に取った。

そして、少しだけ笑った。

「……変な慰め方」

「慰めてない。飯を勧めてるだけだ」

「同じだろ」

「違う」

サネツグは真顔だった。

「そうだ」

「何だ」

「洞窟で、女の子が助けに来た」

サネツグの眉が僅かに動いた。

「女の子?」

「ああ。黒い長い髪で、紫っぽい目をしてて……男を4人連れてた」

「理式師か」

「小型の砲を持ってた」

サネツグは少し考えた。

「服は?」

「普通の参加者とは違った。胸に紋章があった」

その瞬間、サネツグの表情が変わった。

「……なるほど」

「知ってるの?」

「たぶんな」

サネツグは湯呑みを置いた。

「紅燐祭の常連だ」

「常連?」

「ああ。しかも、そこらの参加者とは身分が違う」

「貴族?」

「おそらくな」

ハルは目を見開いた。

「なんで分かるんだ?」

「武装した護衛を4人も連れて歩く奴が、ただの一般参加者に見えるか?」

「……確かに」

「それに強かったんだろ?なら、紅燐祭に何度も参加しているか、普段からああいう連中を相手にしている家の人間だ」

サネツグは椅子にもたれた。

今日の洞窟を思い出す。

少女は、ハルのラベルを見ていた。

そして、23号のラベルを渡してくれた。

夜は深くなっていた。

外では遠くから人の声が聞こえる。京都の表通りでは、まだ紅燐祭の参加者たちが動いているのだろう。

一方、この家の周囲は静かだった。

ハルは用意された布団に横になる。

「サネツグ」

「何だ」

「泊まっていいのか?」

暗闇の中で、しばらく返事がなかった。

「行くあてはないんだろ」

「あぁ」

「なら寝ろ」

ハルは少しだけ笑った。

「分かった」

目を閉じる。

今日一日の疲労が、一気に身体へ落ちてくる。

洞窟で感じた恐怖も、カイの姿も、少女の冷たい瞳も、今は少しずつ遠ざかっていった。

やがて、ハルの呼吸が静かになる。

サネツグは隣の部屋で一人、机に向かっていた。

窓の外には、荒れ果てた京都の夜が広がっている。

貧しい者も、金を持つ者も、理式師も、凡人も。

同じ夜の下で眠っている。

サネツグは机の上に置かれた古い本へ目を落とした。

その頁には、かつての文明の言葉が並んでいる。

そして、小さく呟いた。

「……明日は面倒になりそうだ」

灯りを消す。

暗闇の中で、京都の夜だけが静かに続いていた。

紅の趣6 哀れみなき破壊

執筆の狙い

作者 テル
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少し長めです
因縁の死闘をなんとか潜り抜け、京都に帰還する。
もしかして戦闘描くの下手か?
重厚、分かりやすい描き方などについて意見お願いします

コメント

青井水脈
zaq31fbc6de.rev.zaq.ne.jp

「紅の趣6 哀れみなき破壊」
今回も読ませていただきました。
地図に記されていない洞窟の奥では、機械人間が大勢うごめいていた。目の前には二十三号。ガクは逃げようと言い出したが、ハルは一体だけ倒すと決めた。一度は二十三号に迫り、短刀で斬りつけたハルだったが、圧倒的な力の差を思い知らされた。ガクも負傷し、ハルは死を覚悟したが、目を開けると何体もの機械人間が倒されていた。一人の少女と武装した四人の男たちによるものだった。少女は多くを語らなかったが、機械人間を撃破した証の二十三号のラベルをハルによこした。
洞窟を脱出したハルとガクは、ゴビーとミナと合流した。四人になった開凡組。翌日、紅燐広場に集合することを約束し、解散した。京都に戻ったハルは表通りから裏道に入った。昼間の賑やかな表通りと違い、道端でひっそり過ごす人たちがいた。
サネツグと再会したハルは、サネツグの自宅に泊まることになった。洞窟に現れた少女は貴族で、紅燐祭の常連だと教えられる。やがてハルは眠りに就き、サネツグは隣の部屋で本を開いた。紅燐祭二日目の夜が過ぎていくのだった。

前回はラストでどうなるかと思いましたが、意外な展開でした。貴族の少女からラベルを受け取ったものの、胸中は複雑なハル。理式を使えるようになりたい、という気持ちも芽生え。
4でも、紅燐祭の参加者や上位入賞者は百戦錬磨の傭兵、理式師家系の貴族がほとんど、みたいなセリフがありましたが。無名のハルが、ここから機械人間と互角に闘えるくらい、どう強くなるのか。ストーリーの向かう先、主人公の目的がわかりやすくなりました。


戦闘シーンで気をつけてみるのは、迫力があるのはもちろん、読んでて単調にならないように、でしょうか。今回は、機械人間に追い詰められた際の恐怖感など、心理もわりとバランスよく書けてる印象でしたが。

>背中に汗が滲んだ。
>ハルは喉を鳴らした。

以外にも、そのときの状態などがわかるような表現があるといいかと。

>心臓の鼓動が速くなるのを感じた。
>全身の血の気がサッと引くのがわかった。


こちらはカクヨムで公開されている戦闘表現語録ですが、色んな言い回しが出てきます。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054880833858/episodes/1177354054883531607

テル
flh2-133-201-195-160.tky.mesh.ad.jp

青井水脈さま。
今回も丁寧にありがとうございます。
意外な展開だと言われてやる気が出てまいりました。物語としての目的なども分かりやすく伝えられたようですし、驚いたり、読んでいて思わずわくわくしたりする物語作りに励んでいきたいです。
URLも丁寧に貼ってくださってありがとうございます。同じ動作をどう違く表すか、いつも悩んでいたのですが、これからはこれを参考に文章を磨けていけそうです。

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