花舞う霊園
入院中の妹に「霊園に行きたい」と言われたとき、私は狼狽した。それは妹が余命宣告を受けた日のことだった。
担当医からの話を、妹は淡々と聞いていた。私はその横で、歯を食いしばって嗚咽を堪えるのに必死だった。つい最近、成人式を終えた妹と将来の話をひとしきりしたというのに。私の未来さえも、まるで消えてしまうかのような感覚があった。それでも、どこか他人事のような妹の様子に、少しだけ安堵もしていた。妹は何も怖がっていない。だから、まだきっと大丈夫なのだと、私は漠然とした希望を見出していた。
しかし、最期を見据えたその願望に、私はいよいよ打ちのめされた。
「桜の咲く、静かな場所がいいな」
穏やかな、けれど、確かな意志のある声音。堪えきれず、おずおずとしがみつくように妹を抱きしめた。その痩せぎすの身体は鈍い冷たさを帯びていて、忍び寄る死の影を予感してしまう。
「お姉ちゃん、大丈夫だよ」
震える私を抱き寄せて、妹が耳元で囁いた。こんなにも華奢なのに、どうしてそんなにも力強い言葉を口にできるのだろうか。妹の胸元で、私はただ縋り続けた。
妹は昔から強くて優しい子だった。臆病な私にいつだって寄り添ってくれた。
入学式も、初出勤も、自分の身体の具合に関わらず一緒に向かってくれた。
その道中で、私たちはいつも桜を眺めた。
「見て」
舞い散る花びらを指差すそのあどけない笑顔が、私の不安を和らげた。「大丈夫だよ」という言葉が、背中を押してくれた。
学校も仕事も、何度もやめたくなった。けれど、妹を想えば耐えられた。妹のために生きていると考えれば、何もかもが簡単に解決できた。
その妹がもういなくなってしまう。想像するだけで、悪寒が走る。死の影が私のすぐ後ろにも迫っている気さえする。
もはや妹の余命とは、私の余命だとも思えてしまう。本当は、妹ではなくて、自分自身の死が怖いのかもしれない。
後日、私たちは外出の許可を得て、事前に調べて決めた霊園に向かった。押し黙って運転する私の隣で、妹も景色を眺めたり、何かを考え込むように目を伏せたりして、口を開くことはなかった。のろのろと峠道を越え、予定よりもだいぶ遅い時間に到着した。
緑豊かな一帯にあるその広大な霊園は、ちょうど桜が見頃を迎えていた。昼下がりののどかな気候の中、思っていたよりも人の姿はあった。それでも、園内はどこまでも静寂に包まれていた。
菫、菜の花、チューリップ。春の花々が至るところに咲いていて、温かみのある甘やかな香りが漂っている。
「良い雰囲気だね」
妹はゆっくりと流れる時間を噛みしめるように、周囲を眺めながら呟いた。散策を進めていくうちに足取りも軽くなり、その様子を見て私の心からも段々と重みが消えていった。
ほどなくして、桜の木々に囲まれた墓地の区域に入ると、私たちは整然と並ぶ数々の墓標を見つめて暫く沈黙した。
桜によって周囲から断絶されたそこには、それまでよりもずっと重みのある静けさの帳が下りている。隣に立つ妹が漏らした感嘆の息さえも、はっきりと聞こえた。
「私、ここがいいな」
妹は正面を見据えたまま、密やかに言った。
「ここなら、お姉ちゃんも安心できるよね」
その言葉に、私は息を呑む。
妹が霊園に行きたがった理由を、ようやく理解した。妹は、自分の死をただ受け入れただけではなかった。
死を宣告された今でも、私が正しく前を向いて進めるようにと、いつものように寄り添ってくれていた。この美しい霊園は、この世に残る私のためのものなのだ。
気付くと、妹は身を寄せながら私の手を弱々しく握っていた。
そうだ。怖くないはずがない。この小さな体を飲み込もうとする無慈悲な影を、妹は直視しているのだ。
それなのに、私は今まで何をしてあげられただろうか。いや、それよりも、これから何をしてあげられるのだろうか。
妹の冷たい手を何度も握り返す。少しでもその不安がなくなるようにと願いを込める。けれど、無力感はとても拭えそうになかった。
「お姉ちゃん、大丈夫だよ」
これまでに何度も聞いたその言葉も、今はいじらしい強がりにしか思えない。胸が詰まり、返事の代わりに強く抱きしめた。
立ち並ぶ墓標から呼吸すら聞こえてきそうな静けさの中、不意に強く吹いた風が桜の木々の間を通り抜け、私たちの元へほのかな花の香りを届けた。
「見て」
妹が指差した頭上から、桜の花びらが一片、また一片と舞い落ちてくる。それを見つめる妹の笑顔に、私は鮮烈な懐かしさを覚えた。胸に込み上げるものを感じ、そして、強く祈る。
風よ、もっと強く吹いて。花よ、もっと舞って。恐怖も絶望も、全てを覆い隠すように。
了
執筆の狙い
お世話になります。約2000字です。
この作品はだいぶ前にもこちらに投稿したのですが、当時頂いた指摘なども踏まえて書き直しました。
具体的には、大仰な表現や言葉を見直し、文体に頼らずに作品の空気感を形成することや、説明的になり過ぎないよう、心情の描写や人物のエピソードを調整するなどを意識しました。
掌編として過不足は無いでしょうか。一言でもいいのでコメントを頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。