レッドライン
「まいどありー」
コトを済ませた佳乃は百圓札を勘定して溜め息を漏らす。
「なんだいしけたツラして」
「だって、せっかく客とってもこれっぽっちじゃ割に合わないなって。春江さんは?」
春江は吸殻を捨てると、懐から取り出したドル札を扇子のように広げてみせた。
「そんな顔してちゃ客なんて寄ってきやしないさね。飲みにくよ、ついてきな」
佳乃は春江に言われるまま飲み屋の暖簾をくぐる。
「今日の稼ぎに」
乾杯を済ますと二人は一気にグラスを空けた。
「私たちってなんなんですかね。奉仕してるのは他と同じなのに、赤線で働いてるってだけで見下されて」
「違いないね。戦争で国はただ打ちのめされただけ。あたしたちはアメ公からぶんどった金で経済に貢献してる。それなのに世間はあたしたちを人として見ちゃいないんだ」
その言葉に肩を落とす佳乃に春江は言葉を繋ぐ。
「でもさ、そんな風潮が変わるかもしれないよ」
「本当ですか?」
「まだわかんないけどね。あたしの客に佐藤って男がいる。政財界に通じてて、あたしたちを守るよう政府に働きかけてくれてるんだ」
「なんか夢みたいな話ですね」
佳乃は空になったグラスにビールを注ぐ。
「こんな世の中だ。夢でも見てないとやってられないさね」
再びグラスを掲げる二人。
「あたしたちの権利に」
グラスのぶつかる音が響いた。
——昭和三十一年 売春防止法制定。それは彼女たちにとって希望の光となるはずだった。
「何が売春婦の保護よ! 嘘ばっかり!」
売春防止法制定から二年、赤線である臨海区の実質解体の文字に佳乃は新聞を投げ捨てた。
「おためごかし言って、結局は私たちを排除したかっただけじゃない!」
職業移行支援とは名ばかり。再就職も出自が赤線と分かれば手のひらを返される。権利を認められるどころか働き口を奪われた上に違法行為とみなされる。守るはずの法が逆に彼女たちを苦しめる結果となった。
「小雪、春江さんの行方はまだわからないの?」
「お客にも当たってるんですけどまだ何も……」
赤線区域が解体されて程なく姿を消した春江。売春防止法のきっかけを作ってしまったことに責任を感じての失踪と囁かれたが真相を知る者はいない。
「そう。とにかくなんでもいいから何か分かったら教えて」
赤線解体とともに地図から消えた臨海区。それでも生きるためにはこの道を進み続けるしかないと、彼女たちは東京の離島「渡鳥島」に移り住む。
臨海区を囲んでいた赤い線は今や本土と渡鳥島を隔てる境界線。女がひとたび足を踏み入れたら容易く抜け出すことなど出来ない世界、文字通りレッドラインがそこにあった。
春江の消息を追い、佳乃と小雪はたびたび本土を訪れた。
「痛いよぉー」
転んで泣き叫ぶ子供の声に小雪は慌てて駆け寄った。
「大丈夫? あー、血が出てるね。消毒しとこっか」
小雪はバッグから消毒液と絆創膏を取り出し、慣れた手つきで処置を終えると頭を撫でた。
「よし! これで大丈夫」
「ありがとうお姉さん」
子供が泣き止むと小雪はゆっくりと立ち上がった。
「何やってんだい、あんたたち!」
「きゃっ」
突如現れた女性に突き飛ばされた小雪を受け止め、佳乃はキッと女性を睨んだ。
「何って、その子が怪我をしてたから応急処置してただけでしょ」
啖呵を切る佳乃の体を舐め回すように女性の視線が這う。
「あんたたち見ない顔だね。赤線から来たんだろ? 汚らわしい。うちの子に余計なことするんじゃないよ」
「そんな言い方ないでしょ? 私たちだって同じ人間よ!」
「同じなわけあるもんか。売女はしょせん売女さ。だからあんた達は島に追いやられたんだ。こっちに来るんじゃないよ!」
「何ですって!」
女性につかみかかる佳乃。白昼の騒動に、警察まで駆けつける事態に発展した。
「お巡りさん! この女を逮捕しておくれ! 売春は違法になったんだろ」
「違う! 私たちは人を探しに来ただけ! 何もしてない!」
双方から詰め寄られた警官は眉間に皺を寄せる。売春行為を禁止する一方、そこで働く女性たちを保護するという制度にどうすべきか頭を悩ませた。
「お引き取り願います」
結局、面倒ごとはごめんだと警官は二人を島へと追い返そうと決めた。
「こんなの間違ってる! 覚えときなさい! 私は絶対にこの国を変えてやる! あんたたちに私たちの存在を認めさせてやるんだから!」
騒ぎを聞きつけた人々で辺りは黒山の人だかり。佳乃は大衆に向かって叫ぶと、船へと押し込められた。
啖呵を切ったものの、だからといって島で客を取る日常が変わるわけではない。それでも佳乃の決意は揺るがない。
「佳乃姉さん、客だよ。一見さんだ」
ベレー帽にくたびれた背広。男を一瞥した佳乃は落胆の溜め息を飲み込んだ。
「あんたが佳乃さんかい?」
「そうだけど」
「こりゃたまげたな。国を変えてやると暴れてた娼婦がいるってんでお目にかかってみりゃ可愛いお嬢さんじゃねぇか」
「冷やかしなら帰って」
男の言葉に佳乃は鏡に視線を戻す。男はお構いなしにドカッと腰をおろした。
「それで? どうやってこの国を変えるってんだ?」
「……議員になる。政治家になって私たちのことを認めさせてやる。権利も、自由も、平等も!」
「こいつは傑作だ」
佳乃は大笑いする男の頬を思い切りはたいた。
「あんたなんかに分かるもんか! 私たちがどれだけ苦しい思いをしているか、悔しい思いをしているか!」
拳を握り締めワナワナ震える佳乃を見て、男は頬をさすると、真剣な眼差しを向けた。
「そこでだ、お前さんコラムを書いてみる気はないか?」
「コラム?」
「聞いたことないか? まぁ、お前が思ってることを書いたらいい」
「あんた……何者?」
男は財布から名刺を取り出して佳乃に渡した。
「ブン屋? 新聞に載せるってこと?」
「そうだ、お前がどれだけ大衆に向かって叫ぼうと赤線の人間の言葉に耳を傾ける者などいない」
「そんなの記事にしたって同じことじゃない」
男はヤニで黄ばんだ歯を覗かせニヤリと笑った。
「読むさ。奴らは醜聞、風評に目がない。人目を気にして表に出さないが一皮剥けば人間なんてどいつも同じだ。国を変えたいならまずは読ませろ。それができなきゃ始まらねぇ」
「そんなことで変えられるの?」
「お前次第だ。その気になったら連絡くれ」
男はおもむろに立ち上がり背を向けると右手をあげた。
「この国を変える……」
誰もいない部屋に佳乃の声だけが静かに響いた。
了
執筆の狙い
xでちょっとやりとりした月島さくらさんをモデルに書いたやつー。
色々難あるAI漫画版はこっち。
https://www.pixiv.net/artworks/148711622#manga