歪なキューピット
【第一話】
「莉子、ミッションよ。引き受けてくれる?」
私の机に腰を下ろし、真剣な眼差しで呟く芽衣はまるで諜報機関のボスみたい。
「仰せのままに」
その言葉に私がおどけてみせると、すぐさまその顔に笑みが溢れる。
「さっすが莉子! 持つべきものは友達ね。こんなこと莉子以外に頼めないもん」
——こんなこと。
私たちの関係はちょっと変わっている。ご近所ということもあって、いわゆる幼なじみではあるんだけど、裕福な家庭で育ち容姿にも恵まれた芽衣は、私とは本来住む世界が違う人種。
それでも芽衣は私を友達というか、家臣というか、なんだかよくわからないけど気に入ったみたいで高校生になった今もこうして付き合いが続いている。それでミッションなんだけど、芽衣が好きになった男の子を私が好きになったということにして、私から告白するというもの。
これまで、クラスのイケメン、サッカー部のエース、学年順位一位の秀才くん相手にミッションをこなしてきた。地味でどこにでもいるような普通女子の私が告白したところで秒で振られる。でもそれは既定路線。
「誰か好きな人がいるの? それってもしかして芽衣ちゃん?」と、探りを入れるのが本来の目的。もしそうであるなら、芽衣は振られるリスクを負うことなくターゲットにアプローチできるってこと。
好きでもない相手に告白しまくって撃沈された回数は数知れず。何度玉砕しても折れないことから”不沈艦”なんて囁かれる始末。でも、悪いことばかりじゃない。芽衣はミッションの度に、お小遣いやプレゼントといった報酬を渡してくれる。恋愛に興味のない私にとって、芽衣との関係はある意味win-winなのかもしれない。
でも時々変じゃないかなって思うことはあるよ。芽衣は私のことをどう思っているのかな。友達なんかじゃなくて、都合のいい道具みたいに思ってるんじゃないのかなって。だけど、いわゆるスクールカースト上位に君臨する芽衣と一緒にいることで、私は誰からも目をつけられることもなく、平穏な日々を過ごせている。
——やっぱり、私にとって芽衣の存在は大きいんだよねと、結局いつも同じところに着地し、それ以上考えるのをやめる。腐れ縁ってやつかな。
「それで? 今回のターゲットは?」
「聞きたい? 聞きたい? やっぱり気になっちゃう?」
「聞かなきゃミッションになんないでしょ」と、ため息をつく私に、芽衣は「それもそっか」とペロっと舌を出す。
「えっとね、隣のクラスの啓介くん」
啓介? 誰だろう。クラス違うからよくわからないけど、そんな子いたかな。芽衣はいつもなんらか目立つ男の子を好きになる。だからタイプに一貫性はないんだけど、名前を聞いて誰だかわからないなんてことは今までなかった。
「ごめん、頭フル回転しても誰だかわかんないんだけど」
「えー、ほら、なんか背は高めで、落ち着いてるんだけど、どこか影があってミステリアスな感じの子。ちょっと待って」
芽衣はポケットからスマホを取り出してせわしなくディスプレイに指を滑らせる。
「あったあった、ほらこれ。見たことくらいあるでしょ?」
「あるような、ないような……」
「呆れた、あんたもうちょっと男子に興味持ちなさいよ。アオハルよ? たくさん恋しなきゃ」
「誰かさんのミッションのおかげで私は誰よりも恋多き女とまわりから思われちゃってるんだけど」
「もう莉子ったら、細かーい。それはそれ、これはこれでしょ。それで、どう? ちょっといいと思わない?」
そう言われても正直よくわからなかった。私がこんなこと言うのは偉そうで嫌だけど、確かに顔は平均以上とは思う。でもこれまで芽衣が好きになった人たちのなかにもっといい人は何人もいた。それにちょっと暗っぽいんじゃないのかな。写真だとよくわからないけど。芽衣は一体啓介くんのどこに惹かれたんだろう。それともこれが芽衣の言うミステリアスなところなのか。そう言われてみればどこか普通の人ではないようにも見えてくる。でも、本当にそれだけ? 今まで芽衣が好きになった相手には明確なアピールポイントがあった。ミステリアスだなんて抽象的すぎる。
いくら考えても分からない。私にとって恋愛とはテレビのドラマやマンガの中の話。現実では全て他人事。そもそも人は相手の何に惹かれるの? 顔? 性格? 運動神経? 頭の良さ? それで好きになったのならどうして別れたりするのだろう。
「ねぇ莉子、聞いてる?」
「ごめん、なんか今までの芽衣の好みと違うから、なんでだろって」
「莉子ちゃん、お子ちゃまー。人はね、恋愛を通して成長するの! 好みだって変わっていって当然でしょ? あたしね、今回は絶対失敗したくないの」
——失敗。これまで芽衣が意中の相手を射止めても大して長続きすることなく終わってしまっていた。一ヶ月もしないうちに次の獲物に狙いを定めるなんてザラ。ひょっとして、芽衣は元々相手ではなく恋をしている自分が好きなんじゃないのかな。それとも、いざ自分のものになると急に冷めちゃうのかも。正直私からしたらどっちでもいいことなんだけど。それに回転率が早い方がお小遣い稼ぎができてありがたいし。
「はいはい、どうせ私はお子ちゃまですよ。で、期限は?」
「夏休みの終わりまで」
「来月末? ずいぶん長いのね」
やっぱり変だ。いつもならせいぜい一週間、長くても二週間。まだ今月は始まったばかりだし、ほとんど丸二ヶ月ある。
「言ったでしょ。今回は絶対失敗したくないの。それにあんた啓介くんのこと全然知らないじゃない。まずはじっくり観察して。それで逐一あたしに報告すること。いいわね?」
「報酬……期待していいんだよね?」
「まっかせなさい! あたしはあんたのことはなーんでも分かってるんだから。期待しといて」
——その日から啓介くんの観察を始めた。私にだって友達くらいいる。友人に会いにきたていを装い、啓介くんを探す。
いた、あれだ。一番後ろの席。写真で見るよりちょっとカッコいい。でもやっぱり芽衣が惚れるほどかといえばそうでもないような。友達に探りを入れてみるも、これといって有益な情報は得られない。成績も普通、背は高めだけどちょい猫背、スポーツが特別できるわけでもないけど、運動音痴というわけでもない。友達も何人かいるみたいで孤立しているわけではなさそう。調べれば調べるほどわからなくなってくる。芽衣はどちらかというと、一点特化型を好きになる。でも啓介くんのパラメーターはどれも平均の範囲内。
とりあえず私は約束通り芽衣に調査報告のメールを入れる。
“率直に言ってフツー。啓介くんのどこがそんなにいいの?”
私からの報告を待ちかねていたのか、すぐに返信がついた。
“確かにそう見えるかもね。一日二日見たくらいじゃ啓介くんの魅力は分からないって。いい? 時間は充分あるから、じっくり観察してみて”
それなら教えてくれてもいいじゃないと返信しようかと思ったけどやめた。芽衣は自分だけが分かっているという優越感に浸っているんだと思う。聞いたところで「え〜、どうしようかなー? じゃヒントあげる」なんて返されたらウザい。芽衣の言う通りまだまだ始まったばかり。自力でなんとかしよう。
【第二話】
「莉子最近よくこっちくるね。啓介くんのこと聞いてたし。もしかして不沈艦の次なるターゲットだったり?」
「しーっ! 声大きいって」
「やっぱりそうなんだ。なんか意外。ほら、莉子っていっつも目立つ男の子にアタックするじゃない」
可笑しそうに笑う友人に、それは芽衣の好みなんだけどと喉まで出かかるが、そんなこと言えるわけがない。あくまでみんなの中では、八方美人なのは私であって芽衣じゃない。なんか釈然としないけど、これも報酬のため。我慢ガマン。
「何、なにー? なんの話してるのー? 私も混ぜてー」
出来るだけ目立たないようにしようと思っていたのに、ギャラリーが増えてしまった。不沈艦は図らずも女子に勇気を与える存在になっているようで一部から人気があるみたい。鬼メンタルなんかじゃなくて、そもそも好きな相手じゃないから傷つかなくて当たり前なんだけど。
「啓介くんの話してたの? うーん、無くはないかな。ほら、髪型とかもっとオシャレに気をつけたら結構イケてるんじゃない? あ、わかった! 原石探して育成的な感じでしょ?」
そういうこと? 完成形じゃなくて、芽衣は自分の手で啓介くんを好みの男の子に作りあげていくってことなのか。なるほど、それなら納得でき……
「ない、ない、ない」
あの面倒くさがりな芽衣が、そんな気の長いことをするわけがないと、私は大きく首を横に振る。
「え? 違うの?」
しまった、思わず心の声が漏れてしまった。
「じゃ、何で?」
言えない。こっちが聞きたいよなんて言えるわけない。
「ごめん、ちょっと内緒ってことで。ね、啓介くんのことで何か知ってること教えて」
「んー、美術部ってことくらいかな」
「美術部?」
役に立つかどうかは分からないけど、新しい情報に思わず力が入る。
「でも、もう三年生も引退して啓介くんだけになってるから、そのまま廃部になっちゃうんじゃないかな」
そうか、芽衣の目当てはもしかしたら啓介くんではなく部室なのかもしれない。自由に使えるスペースを手に入れるため、実質的な管理者である啓介くんを丸め込みたいのかも。いや、いくら芽衣でもそんなことのために誰かと付き合うなんてこと……。
「ありえるわね」
「え? 何か言った?」
「あ、えっと、そう、このままだと廃部になることもありえるかなって」
「そうね、でも三人集まれば存続するんじゃない?」
そうか、私と芽衣が入部すればとりあえず廃部の危機は避けられるし、他に部員がいないのはかえって好都合。啓介くんに接近するチャンスだわ。
学校からの帰り道、カフェで早速芽衣にこの話をした。二つ返事でOKすると思ったのに、芽衣の反応は今ひとつ。
「んー、あたしはまだ啓介くんと接近するのはやめとく」
「どうして? ほかに部員いないんだしチャンスじゃん」
「知ってるでしょ、あたしは完璧主義なの。啓介くんがあたしに気がないなら馴れ合うつもりなんてないし」
芽衣のわがままな発言に胸がチリチリする。自分は汚点を残したくないくせに、私のことなんてどうでもいいと思っているんだ。最低。
「お願い! 分かって! 莉子だけが頼りなの」
私の不満を表情から読み取ったのか、芽衣は手を合わせて勢いよく頭を下げた。
ムカついてるのに、頼みこまれると嫌と言えない自分が情けない。引き受けた以上途中で投げ出したりしないという私の性格を芽衣は多分知っていてそこにつけ込んでるんだ。仕方ない、我慢するのはこれで終わり。今回の件が片付いたら芽衣とは距離をおこう。そう思うことで胸のつかえがとれた気がした。
翌日、授業を終えると私は美術室へと向かった。まだ啓介くんの姿はない。どうせ鍵がかかっているだろうと扉に手をかけると、抵抗なく開いた。
「不用心ね」
ため息混じりに部屋へと足を踏み入れる。床に散らばる絵の具のチューブ。埃を被った胸像。まるで廃墟みたい。それらしきものといえば窓際にある布がかけられたイーゼル。
「こんな所に、誰も来ないよ。顧問もね」
驚き振り返るとそこにいたのは啓介くん。こんな近くで見るのも、言葉を交わすのも初めてでちょっと緊張する。
「ごめんなさい。勝手に入って。あの、私……」
「隣のクラスの朝倉さんだよね」
さらりと答える啓介くんにちょっと驚いた。私は啓介くんのこと知らなかったのに。
「私のこと知ってるんだ」
「そりゃ、不沈艦を知らない人はいないよ」
当たり前かと、顔が赤くなる。
「それで、朝倉さんはここに何か用?」
「えっと、ちょっと美術部に興味あって見学に」
反射的に適当な嘘が口をつく。
「そうなんだ。だけど見ての通り部員は僕一人。僕も単なる暇つぶしでやってるだけだから、朝倉さんが得るものなんて何もないと思うよ」
確かに啓介くんの言う通りかもしれない。そんな熱量の低い啓介くんの答えに私は短期決戦を決めた。
芽衣にはじっくりやるよう言われているけど、そこまで義理だてするつもりもない。さっさと告白して振られて任務完了としよう。不沈艦と言われた直後に告白なんてどう考えてもまともじゃないけど、早く終わらせたい気持ちが勝った。
「いいの。だって私が本当に興味があるのは啓介くんだから。啓介くん、私と付き合ってもらえませんか?」
一瞬の沈黙の後、啓介くんが静かにため息を吐くのが分かった。
「それは難しいな」
言いながら私の脇を通り過ぎ、イーゼルの布を取るとキャンバスの前で腰をおろした。
よし、ここまでいつも通り。あとは芽衣に気があるかどうかを聞くだけ。
「だって」
私が口を開くよりも早く啓介くんは言葉を繋いだ。
「朝倉さん、僕のこと好きじゃないでしょ」
思いもよらない返答に動揺が走る。なんで分かったんだろう。啓介くんは何も言わずキャンバスに筆を走らせる。
「……なんでそう思ったの?」
啓介くんはチラッと私を見た後、すぐに視線を戻して続ける。
「わかるんだよ。僕は好意を持っているかどうかが色で視えるんだ」
「色?」
「そう、さっき朝倉さんには淡い黄色が視えた。好きでも嫌いでもないフラットな色」
反射的に手を見たけど、私にそんな色は見えるはずもない。
「嘘よそんなの」
「そう思うなら信じなくていいよ。朝倉さんがどうして好きでもない僕、……男たちに告白するのかはわからないけど」
本当に見えてるの? ただカマをかけているだけ?
「もしかして桐谷さんが関係あるのかな?」
芽衣の存在まで……。もう偶然じゃない。でも確かめなきゃ。
「どうして今、芽衣の話が出てくるのよ」
「言ったよね、視えるんだ。僕を見る桐谷さんに情熱の炎のような赤がさ。朝倉さんは桐谷さんと仲がいい。桐谷さんに何か頼まれたとか?」
啓介くんは何者なの? これが芽衣の言っていた影ってこと?
「というか、朝倉さんが桐谷さんを見る目は少し複雑だね。海の中みたいだ。煌めく光が射し込むところもあれば、深海のように——黒い」
「やめて!」
心の淵を見透かされたような気持ちになって思わず大声をあげた。一体なんなの? なんで私が抱えていることを暴かれなきゃいけないの? わけわかんない。
「ごめん」
啓介くんはゆっくり立ち上がるとイーゼルに布を戻した。このまま帰すわけにはいかない。私はバッグからノートを取り出して書き殴ると、破ったページを啓介くんに突きつけた。
「……入部届?」
「これなら文句ないでしょ?」
ここで引き下がるわけにはいかない。芽衣のためじゃなくて、私自身のために。
【第三話】
「グッジョブよ莉子。美術部に入部したら、こそこそしなくても間近で観察し放題じゃない! それで直接話してみてどうだった?」
「どうって言われても正直まだわかんないよ。大して話してないし」
——好意が色で視える。
芽衣にはそのことは伏せておいた。そんな話を信じるわけない。私だって実際啓介くんと話してなかったら鼻で笑っていたと思うし。
「そっか、まぁそうだよね。大丈夫、時間はまだまだあるからさ。それじゃ今日も偵察お願いね。いい? ちゃーんと観察して報告するのよ」
「了解」
「よろしい。じゃーね」
足早に自分の教室へと向かう芽衣を見て胸の奥がチリチリする。
芽衣は啓介くんが好きなんじゃないの? 部室で私と啓介くんが二人きりになってもなんとも思わないの? 私なんかに啓介くんが手を出すわけないと思ってる? 自分でもそれはないと思うけど、女子であることを否定されたみたいで、すっごく気分悪い。やっぱり芽衣にとって私はただの便利な家臣なのかな。
お昼休み。みんなが食堂や購買に向かう中、私は一人美術室へと向かった。やっぱり鍵はかかっていない。
部室を調べたところで役に立つ情報が手に入るとは思えないけど、今はとにかく些細なことでも手掛かりが欲しい。それは芽衣のためというより私自身のため。
雑然と並ぶ作品を順番に眺めていくけど、ネームプレートは知らない名前ばかり。卒業生か引退した三年生のどちらかだろう。そういえば、昨日啓介くんが描いてた絵がイーゼルに置かれていたんだったと思い出し、布の掛けられたキャンバスの前に立った。
啓介くんはどんな絵を描くのだろうと布に手を伸ばす。なんだか悪いことをしてるみたいでドキドキする。まぁ部員になったとはいえ、啓介くんがいないのを見計らって覗き見するんだからいい事とは言えないんだけど。そんなこと気にしてたら何も得られない。意を決してそっと布をめくった。
「これって……」
現れた人物画に私は首を捻る。誰だろう? 以前いた部員をモデルにしたものかな。
「僕だよ」
突然背後から掛けられた声に思わず「ひゃっ」と恥ずかしい声を上げてしまった。
「ちょっと、いきなり声掛けないでよ。びっくりするじゃない」
反射的に睨んじゃったけど、啓介くんは表情を崩す事なく近づいてきた。
「こっちのセリフだよ。僕はたまに部室で弁当を食べてる。急いで仕上げたい作品がある時はね」
私が後ずさると啓介くんはスッとキャンバスの前に腰を下ろした。
「食べる? ……莉子さん何も食べてないでしょ」
「ありがと」
差し出されたおにぎりを受け取って一口かじると、啓介くんは筆を取った。
「自画像なんだね。なんて言うか、似てないね」
悪気はなかったんだけど、つい本音が出てしまい、咄嗟に口をつぐむ。
「言いにくいことをハッキリ言うね」
「ごめん。そういうんじゃなくて、絵は上手いと思うんだけど、なんかイメージと違うかなって」
「謝らなくていいよ。本当のことだしね。完全な失敗作だよ」
「失敗作って、私そこまで言ってないんだけど。でも急いで仕上げるってことはコンテストとかに出すんだよね」
私の言葉に啓介くんは、ふぅっと小さくため息を吐いた。
「どこにも出さない。描き上げたら、そうだな部屋にでも飾るかな」
「自画像を自分の部屋に? 意外とナルシストなのね。でもそんなだったら書き直したらいいじゃない」
「それはできないよ。失敗作だけど、これは完成させないといけないんだ。そんなことより、莉子さんはこんな時間にここへ何しに?」
筆を止め、じっと私を見る啓介くんに私はスイッチを切り替える。
「何って、好きな人が気になって部室覗きにくるのって普通じゃない?」
だけど、啓介くんはそっけなくキャンバスに視線を戻した。
「そういうのいいから。言ったよね? 色で視えるってさ。だから僕の前では隠す必要はないんだ」
「……それって本当なの?」
「これも前に言ったと思うけど、信じる必要はないよ。よくオーラがあるとか言うよね。その感度が人より高いだけなんじゃないかな。でも口外しないでもらえると助かるかな」
「うん」
「莉子さんのことも聞かせてよ。誰にも言わないからさ」
探りに来たはずが逆に私が調べられてる。どうしてこうなっちゃうんだろう。啓介くんの能力が本物なら、私にその気がないことも、芽衣のことも全部バレてる。これっていっそ全部打ち明けるべき? でももうこれは芽衣のためだけじゃない。ここで終わらせるわけにはいかないのに!
「キンコーンカンコーン」
「やばっ! じゃあ私戻るから。おにぎりありがと」
チャイムに救われる形で私は部室を飛び出した。
逃げ出すみたいになって、放課後に顔を出すのは気まずい。今日はっていうか入部初日そうそうだけど休むことにして、芽衣に報告することにした。
「色が視える?」
帰り道のカフェ、私の報告に芽衣は少し驚いた顔をしてストローを咥えた。少なくとも、芽衣の言うミステリアスとはその事じゃないみたい。っていうか啓介くんごめん。言っちゃった。
「うん、それで私にその気がないって事バレちゃったみたいで。どうしよう?」
「あんたバカね。そんな話を本気にしてるの? 嘘に決まってるでしょ」
芽衣は呆れたようにグラスを置くと私をまっすぐに見つめた。
「いい? あんたは恋する乙女なのよ。あたしの身代わりだと思って気持ちが入ってないから見破られるのよ」
でもそれだと、私が芽衣に抱く感情まで見透かされたことの説明がつかない。だけどそんな事まで芽衣に言えるわけない。
「もっと自信を持ちなさい。あんたは自分が思ってるより可愛いんだから」
芽衣の指がそっと泣きぼくろに触れる。その手を私は振り払った。
「ちょっとやめてよ! 気にしてるんだから」
「えー、何で? いいじゃんそれ。あたしも欲しいんだけど」
嘘ばっかり。くすみもない白く透き通る肌。芽衣がそんな事を言っても嫌味にしか聞こえない。遥かなる高みから見下してるんだ。そんなに欲しいなら今すぐこのほくろを取って芽衣の額に貼り付けてやりたい。
「とにかくよ。そんな能力なんてあるわけないじゃん。あんたは何を言われても好きで通すこと。本気だって思わせないと意味ないからね」
意味がない? 本当にそう? 芽衣が何を考えているのかは全く見えないけど、啓介くんが私たちの関係に気づいてしまっているのならこのまま終わらせるわけにはいかない。
「うまくやれるか分からないけど、やるだけやってみる」
本当は文句の一つも言ってやりたいけど、面と向かうと長年染みついた家臣気質が邪魔をして言いたい事とは違うセリフが口をつく。
「そうこなくっちゃ」
芽衣は残り少なくなったアイスティーを音を立てて飲み終えると席を立った。
【第四話】
「昨日はどうしたの? まぁ僕しかいないし毎日来る必要はないんだけどね」
翌日の放課後、部室に入るなり啓介くんが顔だけこちらに向けて言う。
「えっと、ちょっと熱っぽくて。でもほら一晩寝たら元気になったから今日は大丈夫」
ひょっとして嘘も色で分かったりするのかなと不安に思っていたけど、啓介くんは「そう」と短く答えてキャンバスに向き直った。緊張から解放されてホッと一息つく。
「でも来ない時は連絡貰えると助かるな。連絡先教えてくれる?」
「うん」
思いもよらない提案。メールができれば学校にいない時でもコンタクトできる。
「莉子さんは絵を描くの?」
「全然。それで私はまず何から始めたらいいのかな」
「そうだな。それじゃ」
啓介くんは立ち上がると壁からキャンバスを一つ取って戻ってきた。
「まずはこれを全体的に白で塗りつぶそうか」
キャンバスをイーゼルに置くと、その前に座るよう促した。
「え? それって先輩とかが描いたやつでしょ? そんなことしていいの?」
「構わないよ。予算なんて降りないからね。新品のキャンバスなんて滅多に使えない。使い回しが基本さ」
そうは言われても他人の描いた絵の上に絵の具を塗るだなんて抵抗がある。啓介くんは私の躊躇いなんてお構いなしに説明を始めた。
「油絵は初心者にはハードル高いからアクリル絵の具を使う。水に溶けるけど乾くとプラスチックみたいに固くなるんだ」
距離が近い。考えてみれば男の子とこんな距離で接するなんて初めてかもしれない。緊張からか変な汗が出てきた。
啓介くんはパレットに少量の絵の具をしぼり出すと均一に混ぜていく。
「水は少なくていい。大体マヨネーズくらいの固さが目安かな。これをペインティングナイフにとって、……こう」
啓介くんは思い切りよく絵の具を塗り付けた。まるでトーストにバターを塗るみたいに。
「ちょっとやってみようか」
ナイフを渡された私は見よう見まねで絵の具をキャンバスに載せていく。
「同じところをゴシゴシしないで。ナイフの角度を変えないで一定方向に……」
啓介くんの手が私の手首に触れた。
「きゃっ」
「あ、ごめん。リードしようかと思って」
「大丈夫、ちょっとびっくりして」
「……そう」
啓介くんの手が優しく私の手首を包む。大きな手からじんわり体温が伝わってくる。不沈艦なんて呼ばれていても、男の子と手を繋ぐなんて初めて。そういうのじゃないとは分かっていても恥ずかしさから頬が赤くなっていくのが分かった。
「そう、いいよ。多少のムラはしょうがない。一定方向にナイフを動かして」
気づけば私は夢中になってキャンバスに向かっていた。一度に絵の具を取りすぎないよう、均一に、力加減も変えないで、薄く、薄く白を敷き詰めていく。
「できた」
体を背もたれに預けて大きく息を吐いた。塗りつぶしただけなのにちょっとした達成感がある。
「アクリル絵の具は乾くの早いけど、続きは明日にしようか」
「あ!」
私の声に、道具を片付けていた啓介くんの手が止まった。
「どうしたの?」
「ここ、うっすら線が浮かんでる! ちゃんと全体塗ったと思ったのにー」
悔しがる私に啓介くんは口角を上げた。いつも無表情なのに、こんな顔もするんだ。
「それはしょうがないよ。絵の具も完全な不透明じゃないし、光の角度や乾燥具合で変わってくるからね」
「上から重ねたら消せる?」
「そうだね。でも練習用だしそのままでいいよ。レンブラントなんかも下絵の痕跡を残したというし。敢えて残像のように利用する画家もいる」
「レンブラント?」
「知らない? 『夜警』とか有名だけど。ちょっと待って、ほらこれ」
スマホに表示された絵画を見てもピンとこない。
「僕の好きな画家なんだ。莉子さんも好みの画家を探すといいよ。目指す方向性が決まるからさ」
温度が低いと思っていた啓介くんが見せた普段とは違う表情、仕草。近くで見て少しずつ彼のことが分かってきた気がする。芽衣が啓介くんのことを好きになったのはそういうところなのかな。いやいや、芽衣に限ってそんなことでターゲットを決めるわけがない。何か理由があるはず。まだ始まったばかり、考えたって分からない。時間は充分ある。じっくりいこう。
——報告
啓介くんから理由をあれこれ聞かれることはなかったよ。だからあまり好き好きアピールはしないでおいた。とりあえず今日は一緒に絵を描いたっていうか、使用済みのキャンバスの再利用で白く塗りつぶしただけ。それで啓介くんなんだけど、最初は感情を表に出さないタイプかと思ったら、笑顔も見せるし話しやすくて割と親しみやすい感じだったかな。教え方も上手で優しいしね。でも芽衣が啓介くんのどこを好きになったのかは正直分からない。今までとタイプ違いすぎじゃん。なんで啓介くんなの? いつから?
帰宅してベッドに腰を下ろすと、私はすぐさま芽衣に進捗報告を送った。私に啓介くんの調査を任せておいて、芽衣は今ごろ何をしてるんだろう。大方コスメか映えスポット巡りか。呑気なものね。当分返信は無いだろうと立ち上がると、スマホから着信を知らせるアラームが聞こえた。
——お疲れ!
さっすが莉子! よく見てるねー。その調子よ。でもまだまだね。啓介くんの魅力はもっと深〜いところにあるの。焦らなくていいから、もっともっとよ〜く観察して。
私が啓介くんを好きになった理由はまだ内緒。それはいずれ分かることだしね。いい? あたしのことはどうでもいいから、とにかくどんな小さな事でも見逃さないように注意して。報告欠かさずにね。
いかにも芽衣らしい。自分は全てを知っているというアドバンテージを楽しんでいるのが透けて見える。マジうざい。聞いたのが間違いだった。これからは余計なことを聞かないようにしよう。
「莉子なんかいいことあったの?」
「は?」
不意にお母さんからかけられた言葉に箸が止まった。
「ほら、今日は帰りも遅いしなんか嬉しそうな顔してる」
面倒くさいのがもう一人いた。
「別に嬉しい事じゃ無いけど美術部に入ったの。だから、これからちょいちょい帰り遅くなるから」
「なーんだ、お母さんてっきり彼氏でもできたんじゃないかって期待しちゃった。それにしてもあんたが美術だなんて。あ、分かった! そこに気になる男の子がいるのね」
当たらずとも遠からず。芽衣だけで手一杯なんだから余計な手間かけさせないで。
「違うし。レンブラント? なんかいい絵だなと思って私も描いてみたくなったの」
「ふーん、あんたのことだからせいぜい一週間ってところかしら。まぁ頑張りなさい」
この人は自分の娘を一体なんだと思っているのか。でも一週間なんてことはない。
——少なくとも夏休みが終わるまでは。
【第五話】
「薄く均等に、角度を一定に……」
昨日教えてもらったことを忘れないよう、朝食のトーストをキャンバスに見立ててマーガリンを塗る。
不意に思い出した啓介くんの手の温もり。急に恥ずかしくなってバターナイフの扱いが雑になる。
「どうしたの?」
不思議そうに眺めるお母さんの視線が痛い。勘繰られたくない。家では切り替えて普段通りにしていないと。
「なんでもないよ。お母さん塩とって」
目玉焼きに塩を振りつつ昨日のことを頭から追い出そうとするけど、自然と頭に浮かぶのは啓介くんのことばかり。
期間が長いという違いはあれど、今回も同じだと思っていた。これは単なるミッション。私は芽衣のキューピットなんだって。今までターゲットに対して特別な感情を抱いたことなんてない。そもそも恋愛なんて私には縁のないものだって。だけどどうして私は顔を赤らめたり変な汗をかいたりしたんだろう。
うーん、能力のこともあるし、突然のことでびっくりしたからかな。きっとそうね。
「ちょっと莉子! あなたどれだけ塩かけてるの! 熱でもあるんじゃないの?」
お母さんの声に我に返った。いけない、本当私ったら何やってるんだろ。
「ちょっと考え事してて、ごめん私もう行くから片付けておいて」
取り繕えば取り繕うほど不自然になってしまう。鈍臭いな私って。
「おはよ莉子。ほい!」
駅で待ってた芽衣がサンドイッチを投げてよこした。呆気に取られる私に芽衣が微笑む。
「あんた朝まだ食べてないでしょ」
「え? どうして」
「いつも言ってるでしょ。あんたのことはな〜んでも分かってるんだから。昨日のことに頭がいっぱいで食べそびれてるんじゃないかなって。違う?」
「違うし」
概ねその通りだけど。認めるのは癪にさわった。
「そ、じゃ返して」
「やだ」
芽衣の手が伸びるより早く私は封を破りサンドイッチを頬張った。朝はパンという私の習慣を知った上でのチョイス。悔しいけど、やっぱり私のことを一番知っているのは芽衣なんだ。
慌てて食べたせいでむせる私を芽衣はおかしそうに見てる。
「とりあえず好感触みたいだからしばらく普通に美術部員してみて。だけど、観察と報告は忘れずにね」
「分かった」
そっけなく答える私の顔を覗き込むように芽衣が顔を近づけてきた。
「それで莉子の意見を聞きたいんだけど、啓介くんは彼氏としてどうかな?」
「そんなの分かんないよ。付き合ったこともないのに彼氏だなんて言われても」
「だからこそよ。経験のない莉子から見て啓介くんがどう見えるのか知りたいの。なんか他の男の子と違うとか、魅力的に見えるとか」
少なくとも他に超能力じみた能力を持っている男の子を私は知らない。でも……。
「知ってるでしょ。私は恋愛なんかに興味ないの。聞くだけ無駄。芽衣の方が得意でしょ、そういうのは」
芽衣はしばらく私の顔を見つめると視線を戻した。
「まぁいいわ。私は啓介くんのこといいなって思ってる。でも彼氏にというとそこは別問題じゃない? もっと色々知ってからじゃないと。ね?」
今まで散々取っ替え引っ替えしてきて、一体どの口がそんなことを言えるのか。
ともあれ、私は芽衣に言われた通り一美術部員として啓介くんに接する。
「今日はリンゴを描いてみようか」
啓介くんはリュックからリンゴを取り出すとテーブルの上に置いた。
「まずは構図だね。色んな角度から見て、どこが一番映えるかを確認するんだ」
「……ここかな」
椅子をずらして席に着く。
「いいと思うよ。それじゃ鉛筆で下描きしてみて。濃いと浮かびあがっちゃうからあまり力を入れないようにね」
「うん」
ただでさえ絵は得意な方じゃないのに、すぐ隣で啓介くんに見られていると思うと鉛筆を持つ手が震える。ダメだ全然上手く描けない。
「センスあるね」
予想外の言葉。お世辞に決まってるけど。
「絶対そんなこと思ってないでしょ。リンゴっぽくないし」
「形はまぁ何と言うかそうなんだけど配置がいいよ。初心者はど真ん中に置きがちなんだけど、そうすると時が止まったみたいになっちゃうからね」
「リンゴっぽくないってとこは否定しないんだ」
「ごめん。ギリいけると思うよ」
啓介くんの表情が緩み、つられて私も笑顔になる。
「何よギリって」
啓介くんとの時間が心地よいものに変わる。日を重ねるごとに私たちの距離が縮まっていくのを感じた。自画像に筆を入れる啓介くんの隣で、今日も私はリンゴを描く。
「色を塗る時は光源と影を意識して。薄い色から順に濃い色を重ねていくんだ」
リンゴらしき何かだった鉛筆の下描きが色をまとい、だんだんそれっぽくなっていく。
「できた! どう?」
リンゴ一個描くのに悪戦苦闘して早一週間。ミッションなんかよりも真剣に打ち込んだと思う。でも芽衣からも普通の美術部員として振る舞うように言われてるし問題ない……よね?
「うん、初めて描いたとは思えないね。やっぱり莉子さんセンスあるんじゃないかな」
啓介くんはいつも優しい。それは同じ部員だとして? それとも友達みんなに対してもそうなのかな。何でかな、素直に喜べない自分がいる。
「ありがと。ねぇ、そういえば夏休みの活動はどんな予定?」
絵を描くことに夢中になっていて気づいたら夏休み目前。もうそろそろ本腰を入れないと。
「ん? 特に何もないよ。先輩がいた頃は山とか海とか行ってスケッチすることもあったけど。僕一人になってもういいかなって」
「一人って、私もいるんだけど」
ちょっと仲良くなったと思ったのに、啓介くんからしたら同じ部員にも見られてないんだと、なんだか複雑な気持ち。でもそれはお互い様。私もミッションで啓介くんに近づいただけ。言えた義理じゃない。そんなつもりなかったのに、勢いで入部して啓介くんを騙し続けている。私の方がずっとタチが悪い。
「ごめん。そういう意味じゃなくてさ。莉子さんが入ってくる前の話だよ。途中で入部する人がいるなんて思わなかったからね」
それを聞いてなんだか安心した。でも事態は変わらない。このままじゃ何も進展しない。夏休みを棒に振ってしまう。芽衣になんて言われるか。それに……。
「部費も無いしどうするかだけど、ちょっと考えておくよ」
なんとか望みが繋がったことにホッと胸を撫で下ろした。だけどこれからどうしたらいいんだろう。これまでも啓介くんのことは注意深く見てきたつもり。夏休みだからといって何か違う発見があるとは思えない。でも今そんなことを考えても仕方ないよね。なるようにしかならない。今は目の前のことだけ考えよう。
【第六話】
“夏休みなんだけど僕は大抵部室いるから莉子さんは好きなタイミングで来たらいいよ”
啓介くんから送られてきたメッセージに心躍る。返信打つスピードもいつもより三割速い。
“さすがにそこまで出てもらうのは悪いよ”
申し訳なさはあるけど、なんだろう素直に嬉しい。
“気にしないで。家にいると弟が騒がしくて勉強もできやしないし”
私のためじゃなかったんだ。って、何を残念に思ってるんだろ私。これはただのミッション、順調にいってることを喜ばなきゃ。
“そっか、じゃ私も部室で宿題しよ”
我ながらナイス判断。これなら毎日行っても不自然じゃないし、宿題も計画的に進められて一石二鳥ね。
“それと八月一日なんだけど予定ある? 水族館に行こうと思うんだけど、どうかな?”
二人で水族館? もしかしてこれってデート? どうしよう、そんなの急に言われてもまだ心の準備が。早く返信した方がいいよね。でも秒で返信したら意識してるように思われちゃうかな。っていうか、会って早々告白してるけど。でもあれは状況違うし、それに……、断られてるし。
“都合悪ければ別の日でもいいよ。残ってる部費使っていいって顧問がさ。スケッチブックと色鉛筆持ってきて”
なんだそういうことかとパンクしたタイヤみたいに気の抜けた息が鼻から抜けた。
“八月一日でいいよ。水族館にラウンジあったよね。私お弁当作ってく”
メッセージを打ち込んだものの手作りのお弁当はちょっと攻めすぎな気がして送信ボタンが押せない。こんな時、芽衣だったらなんて言うかな。
「さっさと送りなさい。あんたは恋する乙女なの」
うん、考えるまでもなかった。絶対そう言う。私は思い切ってボタンを押した。恥ずかしさに耐えきれず思わずスマホをポイっとベッドに放り投げた。誰も見てないのに一人で何をやっているんだ私は。
すぐに返信のチャイムが鳴ったけど、引かれたんじゃないかって思うと確認するにも勇気がいる。そーっと覗くディスプレイ。
“ありがとう。じゃ、また明日”
たった一行の返信にじんわり胸が熱くなる。私はスマホを手に取った。
“うん、また明日ね”
夏休みを待ち遠しく思う気持ちに私自身戸惑う。そりゃ、今までだって夏休みは楽しみだったけど、今回はいつもと違う。芽衣のミッションから始まった啓介くんとの関係。さっさと終わらせたかったはずなのに、今では一緒に過ごす時間が癒しになっている。もしかして、人を好きになるってこういうことなのかな。
そんなわけないよね。私が恋愛だなんて。きっと初めてできた異性の友達に舞い上がっているだけじゃないかな。例え仮にこれが……恋だったとしても、それは夏休みと共に必ず終わりがやってくる一夏限定の物語。変な気を起こさないようにしないと。
——報告
夏休みはほとんど毎日美術部に通うことになった。あと、部活動なんだけど八月一日に二人で水族館に行ってくる。いつもと違う啓介くんが見られるんじゃないかな。
——お疲れ!
順調そうでなによりね。学校の外で啓介くんを観察できるのはまたとないチャンスよ。とにかく女子力をフルに発揮しなさい! でも大事なことは案外身近なところにあるかもよ。上っ面だけ見て見逃さないようにね。
芽衣の反応はいつもと同じ。私にスパイみたいな真似をさせておきながら、自分は全てを知っているかのような言い方。でもそれなら、何のために私を使うのだろう。
——でも彼氏にというとそこは別問題じゃない?
前に芽衣が言っていたことを思い出す。要するに啓介くんの人となりは分かっている、でも彼女を大切にする人なのかは分からない。だから私を友達以上恋人未満の関係に発展させて、その辺を探って欲しいということか。自分が付き合った時に失敗しないように。完璧主義と言えば聞こえはいいけど、私のことを便利に使いすぎじゃないかとイラっとした。そういえば、このところ芽衣にイライラすることが多い。今回のミッションで積もり積もった不満がいよいよ限界に達したのかな。
「莉子、今日は部活休んで帰りにカフェ行こ! 啓介くんのことで作戦会議よ」
来た。朝からそうそう、相変わらずのマイペース。でも恋愛偏差値ミジンコレベルの私が男の子と二人きりで出かけることに不安があるのは確か。
「了解、じゃ啓介くんにメールしとく」
“今日は行くとこあるから部活休むよ”
他の男の子に会うなんて思われたりするかな。啓介くんは私を不沈艦と思ってるのよね。
“今日は芽衣とカフェ行ってくるから部活休むよ”
これならいいかと、打ち直した文面を確認して送信する。
“連絡ありがとう。楽しんできて”
“うん”
すぐさまついた返信に緩みそうになる表情を悟られまいと無表情を装う。
「な〜んか莉子いい表情するようになったね」
無駄だったみたい。
「茶化さないでよ。それじゃ学校終わってからね」
いつものことながら芽衣はよくわからない。私を身代わりにしているかと思いきや、まるで本当に私と啓介くんをくっつけようとしてるようにも見える。だけどそれなら何で啓介くんなのか。元々私は啓介くんのことを知らなかったし啓介くんも、……不沈艦のイメージだったんだよね私のこと。
「アイスラテトールサイズ二つでお待ちの方」
店員さんの呼び出しにカウンターへと向かい、トレーを受け取ると席へと向かう。
「水族館デートなんて、大進展じゃない」
「デートじゃないよ。スケッチしに行くの」
照れ臭くなった私は視線を外してストローを咥えた。
「何言ってんの。男女が二人で出かけるだなんて、それだけでもうデートじゃない」
「お母さんみたいな思考回路やめて」
芽衣がおかしそうに笑った。
「分かってると思うけど、ちゃんとオシャレして行くのよ」
「髪切りに行こうとは思ってる」
「あとメイクもきちんとすること」
「いつもしてるよ」
「じゃなくて、あんたはみんながやってるからって何となくでしてるでしょ。ただ塗るだけならメイクとは言わないの。綺麗に見せなきゃ。いいわ、あたしが教えたげる。ポーチ出して」
芽衣に言われるままメイクを落として芽衣先生のレクチャーが始まる。
「いい? 啓介くんはナチュラル系が好みよ。下地は塗りすぎないよう気になるところに少しだけ。ファンデも薄くね」
何でそんなことを知ってるんだろう。何だか心がざわつく。
「ほくろ消したいんだけど」
「ダメ。それはあんたのチャームポイントなんだから。莉子は形いい眉してるからイジる必要なし。アイシャドウも薄めのベージュにして、チークはほんのり」
まるでメイクさんみたいに慣れた手つきで私の顔を化粧していく。
「リップは、うーん、ちょっと濃いけど今はとりあえず。もうちょっと淡いピンクがいいよ。ポイントは血色よく健康的よ。後で買いに行こ。どう?」
芽衣のミラーに、いつもと違う私が映る。
「でもデートまでは封印ね。いつも通り。ギャップ萌えよ」
「言い方」
何で啓介くんの観察にここまでする必要があるんだろう。いつもと全然違う。失敗したくないとは言ってたけど、でも……。
「ねぇ芽衣は、もし私が啓介くんのこと本当に好きになっちゃったらとか考えないの?」
余計なことは聞くまいと思っていたけど、思わず聞いてしまった。芽衣はちょっと驚いた表情をしたけど、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「それならそれでもいいかな。でもまだチューはダメよ」
「しないし」
冗談なのか本気なのか、それとも啓介くんが本気で私を好きになるなんてあるわけないという余裕なのか、結局芽衣の真意は分からないまま。
——そして夏休みが始まった。
【第七話】
「なんだか恥ずかしいよ」
壁に掛けられたリンゴの絵に思わず声が漏れた。
「よく描けてると思うよ。初めてでここまで描けたらすごいんじゃないかな」と啓介くんはリンゴの下にネームプレートを貼り付けた。
“朝倉莉子”
恥ずかしいけどなんだか誇らしい。こんなに褒められたのはいつ以来だろう。私はずっと芽衣に対して劣等感を持っていた。だからかな、どこか自分を否定する癖が染み付いているみたい。でも啓介くんは私を否定しない。それが一緒にいて心地よい理由なんだと思う。
「そういえば、啓介くんの絵は他にないの?」
「ん? ああ先輩の絵の下。引退前に譲って上描きされてる。そしてまた僕、……僕たちがそれを塗り替える。部の伝統というとちょっと大げさかな」
啓介くんの描いた絵を見られないのは残念だけど、今度の水族館を楽しみにするとしよう。
「さてと」
啓介くんは隣にあるキャンバスを外して私に向き直った。
「今度は莉子さんも自画像描いてみる?」
「絶対イヤ」
「大丈夫だよ、僕も手伝うから」
「ムリ! そんなの飾られたら舌噛んで死ぬ!」
断固拒否する私を見て、啓介くんがおかしそうに笑う。
「それじゃマグカップあたりにしておくかな。このキャンバスを白塗りしておいて。やり方は覚えてるよね」
「……自信ないかも」
本当は忘れないようしっかり覚えたけど。
「ならもう一度一緒にやろうか」
啓介くんは嫌な顔ひとつすることなく教えてくれた。
「そう、上手くなってるよ。均等に薄く塗れてる」
トーストでイメトレしたのが効いたかしら。今度は塗り残しがないよう、角度を変えて念入りに確かめる。
「それくらいで大丈夫だよ。乾くまでおいといて宿題を進めよう」
私たちは机を並べて参考書とノートをバッグから取り出す。初日から宿題にかかるなんて初めて。今年は早い段階で片付けられそうね。
「ダメだー! 全然わからん」
早い段階で根を上げた。
「どこ? 見せて。……えっと、ここは仮定法過去だから、”I wish I were a bird.”、だね」
「Iなのになんでwasじゃなくてwereなの?」
「wasでもいいよ。テストだとバツになると思うけど」
「そういうとこイヤ。大体なんで今の話なのに過去形なのよ」
「日本語でも同じだよ。鳥”だった”らいいのにって言うでしょ。過去の話なら仮定法過去完了だね」
もしこれがミッションでなかったなら、どんなに良かったろう。ふとそんな願いが頭をよぎる。
「新たな呪文唱えるのやめてよ」
私は何を考えてるんだろう。これはミッション。余計なことを考えちゃダメと思考を打ち切った。
「よしと。絵の具も乾いてるから今日は軽く鉛筆で下絵描いて終わろうか」
やっと拷問が終わったと肩の力が抜けた。
「基本的にやることは同じだよ。どの角度が一番よく見えるか、どこに配置すると構図的に映えるかをまずは見極める」
「うん」
私は手に取ったマグをクルクル回し、上げたり下げたりと観察する。ここまでマグカップをしげしげ見つめたことなんてない。
「決めた!」
鉛筆を握りキャンバスに向かう私に「それじゃ僕は自画像に取り掛かるから何かわからない所あったら言って」と声をかけると自分の席についた。
筆をとる啓介くんがいつもより格好良く見えた。もしかして芽衣の言う魅力って絵を描いている時の啓介くんのことなのかな。確かにそれは教室では見られない表情だと思うけど、そうだとしたら芽衣は何でそんなの分かるんだろう。
「なに?」
私の視線に気づいた啓介くんと目が合った。恥ずかしくなって咄嗟にキャンバスに向き直った。
「何でもない」
絵を描いては宿題を挟み、またキャンバスへと向かう。これが私たちの夏休みのルーチンになった。いつもスマホでゲームしたり漫画読んだり、芽衣と取り留めのない話題で笑いあったり、それが楽しいと思っていた。実際そうなんだけど、今はその頃とは違う。
充実、そんな気持ちに包まれている。
「莉子さんはさ、英語にアレルギーあるならネットで海外ドラマ観るといいよ。字幕もあるし。『フレンズ』なんておすすめかな」
啓介くんに勧められるまま、スマホでドラマを観る。あったこれだ。
恋あり笑いあり。仕事に恋に、どれもうまくいかないけど仲間がいる。そんなストーリーがグッとくる。なるほど教科書読んでるよりずっといい。それに、
「私この曲好き」
「ああ”I’ll be there for you”ね。僕も好きだよ。知ってる? このアーティストってレンブランツって言うんだ」
「あ! 『夜警』描いた人と同じ!」
「覚えてたんだ。忘れてるかと思ったよ」啓介くんの口元が緩んだ。
「失礼ね。正直私まだ絵のことはよくわからないけど、でもあれいいなって思った」
君のそばにいる。
雨が土砂降りでも。
だって君もそうしてくれるから。
和訳の歌詞が胸に刺さった。
——報告
今日も宿題と、絵を描いた。マグカップ。啓介くんに勧められて海外ドラマ観てる。
これはミッション。私は啓介くんとのやりとりを事細かく芽衣に伝える。
——お疲れ!
マグカップって(笑
そこまで報告しなくていいから。でもレンブラントかー、いい線行ってる。答えはすぐ近くよ。あと水族館の前日は部活休んで。作戦会議よ。
出た全知全能キャラ。マジうざい。でも本当に答えがすぐ近くにあるとするなら、それはどういうことだろう。
だけど芽衣はこれまでにも思わせぶりなことを言っておきながら結局何もなかったという前科が山ほどある。その一方で核心に迫ることもあるから余計に分からない。今回はどっちなんだろう。
「お、いいじゃん! 似合ってる」
美容院を済ませていつものカフェで芽衣と落ち合う。
「ちょっと恥ずいかな」
「そんなことない。あまりキメキメじゃない感じがいいし。絵を描くのはついでだからね。デートっぽい雰囲気に持っていくのよ」
「……やってみる」
何でだろ。いつもの私だったら断ってると思う。だけど啓介くんが相手だとやってみようという気持ちになる。
「その意気よ。だんだんそれっぽい表情になってきた! 頼んだわよ」
芽衣に背中を押されたものの、いよいよ明日かと胸がドキドキする。緊張を悟られてはいけない。いつも通りいつも通りと自分に言い聞かせた。
【第八話】
「あれあれー? 寝ぼすけのあなたが、なんでこんな朝早くからお弁当なんて作っているのかなー?」
うるさいのが来た。なんでお母さんという生き物は気づいて欲しいことには鈍感で、触れられたくないことには敏感なのか。
「何でもないよ。芽衣に頼まれただけ。コンビニのお弁当ばかりだと飽きるからって」
「へー」
声のトーンとニヤついた顔から明らかに信用していないことが伝わってくる。
「本当だって。やばい、お母さんの相手してる暇ないから」
待ち合わせの時間に遅れそう。私は大急ぎで身支度を整えて玄関へと向かう。
「まぁそういうことにしておいてあげる。でも上手く行ったら家に連れてきなさいよ」
全くそういうことになっていないんだけど、本人は気づいているのだろうか。だけどお母さんの期待は実現しない。分かりきったことなのに、改めて考えると気分が沈む。ダメだ、そんな表情を見せるわけにはいかない。
「いってきまーす」
先のことを考えて不安になるのはもうやめ。今この時を楽しむことだけ考えよう。
「ごめーん、遅れた」
「大丈夫、僕も今来たとこ」
息を切らして駅に駆け込む私に啓介くんが優しく微笑む。まさか私がこんな恋愛テンプレみたいなやり取りをすることになる日がくるなんてと胸の鼓動は更に速くなる。
「お茶あるよ」
「ありがと」
受け取ったペットボトルのフタを取って一気に流し込む。いかん、芽衣から女子力マックスでと言われているのに。暑さと緊張から顔が火照る。
「莉子さん、なんか学校の時と雰囲気違うね」
「髪切ってみたんだけど、変……かな?」
本当はメイクも変えてるんだけど。恥ずかしくて目を合わせることができない。
「そんなことないよ。似合ってる」
「ありがと」
ふいにかけられた褒め言葉。自然と笑顔になる。
「さ、イルカショーの時間もあるから急ごうか」
改札へと向かう啓介くんの頬がちょっと赤くなっているように見えたけど、気のせいかな。
「定員となりましたので、お並びの方は次回の整理券を配ります」
ダッシュ虚しくスタッフのアナウンスが無情に響く。
「あー、せっかく走ったのにー。啓介くんごめん」
「謝ることないよ。次のショーなら前の方で見えるし。それに待ってる間ゆっくり館内を回れるから結果オーライさ」
「うん」
私がもたもたしたせいで間に合わなかったのに、啓介くんはいつも優しくしてくれる。
水族館なんて学校の行事でしか来たことない。特に魚に興味があるわけじゃないけど、啓介くんと一緒にいると、魚たちもきらめいて見える。
「美味しそうー」
足を止めたタカアシガニのコーナー。しまった、つい芽衣といる時のテンションで言ってしまった。恥ずかしい。
「あの脚は食べ応えありそうだね。あ、そろそろ時間だ。行こうか」
さりげなく合わせてくれるところもポイント高い。
「いい場所とれた。この辺なら水もかからないからスケッチしやすいよ」
ああ、そうだ。これは部活動だったんだとトートからスケッチブックと鉛筆を取り出す。
「ダメだー! 速すぎて全然描けないー!」
苛立つ私を見て啓介くんがおかしそうに笑う。
「いくらなんでも、動いているものをそのまま描き写すなんて無理だよ」
「なによ。そんなに笑わなくてもいいじゃない」
「ごめんごめん。でもさ、絵って記録じゃなくて記憶なんだ。正確に描く必要なんてないんだよ。よく観察して、イメージして、モデルが最も……魅力的に見えるところを探るんだ」
「最初に言ってよ」
観察……、その言葉にハッとした。芽衣も言ってたけど確かにそう。最初の頃は啓介くんのことをなんとも思っていなかった。でも、こうやって身近に接するようになって初めて分かった気がする。それが芽衣の言う魅力なのかは分からないけど。
「そうなんだけど、放置しておいたらどんな絵を描くかなって思ってちょっと興味あって」
「もー!」
手を振り上げる私に啓介くんは身を守るそぶりをする。楽しい。何気ないやりとりでも一緒に過ごすだけで特別な時間。
突如湧き起こる歓声。イルカと共にジャンプしたシャチが着水すると、ひときわ大きな水飛沫が上がる。
「冷たーい! 嘘つきー! 水かからないって言ったじゃーん」
「おかしいな、前はそんなことなかったんだけど。はいタオル」
「絶対知ってたでしょ」
「さぁ?」
びしょびしょになった私たちはお互いの顔を見て笑った。
「お腹すいたね。そろそろお昼にしようか」
きた。頑張ってお弁当作ってきたけど、啓介くんの口に合うかな。やだな今日はずっとドキドキしっぱなし。
ラウンジでタイミングよく空いたテーブルに滑り込み、啓介くんにお弁当箱を手渡した。
「ありがとう。すごいね莉子さん、料理できるんだ」
「まぁね」と強がって見せるけど、今日に備えてネット動画で予習しまくったなんて言えない。
「おいしいよ」
たった一言に早起きして作った苦労も吹き飛んだ。
「それじゃイメージが新鮮なうちに軽くデッサンしておこうか」
食事を終えて箸から鉛筆に持ち替える。正確性を求める必要はない。自分がいいと思う姿をイメージするんだと鉛筆を走らせた。
ジャンプしたイルカを正面からとらえたらどうかな? 飛び出してくる感じで。でも弧を描く背中は表現したいと、少し角度をつけてみる。
「いいね。やっぱり莉子さんは絵を描くのに向いてると思うよ」
「お世辞うまいね。全然上手く描けてないのに」
「イルカの絵はなんていうか、あれだけど練習すれば上手くなるよ」
「フォローになってないんですけど」
「でもね、構図とかのセンスは練習して身につくものじゃない。莉子さんの美的感覚は非凡なものがあるよ」
全面的に褒めないところで、その言葉に嘘がないと分かる。うれしい。認めてくれる喜びを噛み締めた。
「今日はありがとう。じゃあまた明日」
朝から夕方まで一緒に過ごしたのに、駅での別れに後ろ髪を引かれる。
「うん、またね」
——報告
啓介くん髪型とか、お弁当とか褒めてくれたよ。遅刻しても不機嫌にならないし、あんなに笑うんだね。イルカショー見て、スケッチしてきた。また明日から学校で観察するよ。
観察……、自分で入力した文字に手が止まった。最も魅力的に見えるところを探る。啓介くんの言葉を思い出して恥ずかしさが湧いてくる。それを振り払うように送信ボタンを押した。
【第九話】
描き終えたマグカップの絵がリンゴの隣に並ぶ。最初恥ずかしかったネームプレートも、今ではゲームの達成度みたいでまんざらでもない。
「なかなかの出来じゃないかな。画力も上がってると思うよ」
「白い物って難しいね。リンゴは塗り重ねられたからよかったけど、塗らずに表現しなきゃだし」
「そうだね。水はもっと難しいよ。それじゃ次はイルカにいってみようか」
「もう忘れちゃったかも。ちゃんと見てたつもりなんだけど」
「細かいところは写真で確認したらいいよ。色とかは違ったっていい。あの時のことを思い出して、どう見えたか、それをそのまま表現すればいい」
啓介くんと初めて二人きりで出かけたあの日。それを思い出すと恥ずかしくなって顔が熱くなる。
「どうかした?」
「なんでもない」
アドバイスの通りスケッチを眺めながら、あの日を思い出す。夏の日差し、水飛沫の冷たさ、湧き起こる歓声、ダイナミックに宙を翔けるイルカ。その全てを右手に乗せてキャンバスに吹き込んでいく。
「すごくいいと思うよ」
「やっぱり?」
褒め言葉も素直に受け取れるようになった。
「この尾びれのところ左右角度が同じだから、少し崩すと動きが出てもっとよくなるよ」
「崩す?」
「うん、人工物と違って生き物とか自然にある物は微妙に左右対称じゃないからね。ちょっと貸してみて」
受け取った鉛筆で啓介くんが新たな線を入れる。なんだか共同作業みたい。
「本当だ! ありがと。他に直すとこない?」
「直すほどのものはないよ。それに、機械じゃないんだから、多少のアラは画家の個性だと思うんだ。僕は莉子さんの個性を残したいし」
私はずっと自分を否定して生きてきた。だけど、啓介くんはそんな私でも否定することなく前向きにとらえてくれる。これが啓介くんの魅力? でも子供の時から蝶よ花よと育てられた芽衣がそこを好きになるのは違う気がする。
気づけば夏休みも一週間が過ぎた。残り三週間で啓介くんとの関係は終わる。そう思うと胸が締め付けられた。これって啓介くんを好きになっちゃったってことなのかな。優しいし、一緒にいて楽しいけど、これが恋なのかと言われると戸惑う自分がいる。啓介くんは私のことをどう思っているんだろう。
そういえば、啓介くんには私の色が見えるんだった。最初会った頃は黄色。好きでも嫌いでもない色だって言ってた。今、啓介くんにはどんな色が見えているの? 情熱の赤? それとも、どちらともつかない中間?
聞きたい、聞きたいけど、それを知るのが怖い。
「莉子、ちょっと聞いてる?」
「あ、ごめん。ぼーっとしてた」
「しっかりしてよね。もしかして啓介くんのこと考えてた?」
「考えてないし」
考えてた。
「それで啓介くんだけど、やっぱり私の目に狂いはなさそうね」
いつもの芽衣の調子にイラッとして、私はグラスを置いた。
「ねぇもういいでしょ。いい加減教えてよ! 芽衣は啓介くんのことをどう思ってるの? なんで私にこんな真似させてるの?」
周りの視線を集めてしまった。気まずくなって再びグラスを取りストローをくわえた。
「そうね。じゃあ少しだけ教えてあげる。私も最初の頃は啓介くんのことを大していいと思ってなかった」
落ち着き払った態度がムカつく。
「特別格好いいわけでもないし、何か特技があるわけでもないし」
そんなことない。喉まで出かけた言葉を必死に飲み込んだ。
「でもね、偶然啓介くんの秘密に気づいたの。そしたらもう彼氏にするならこの人しかいないってなっちゃったわけ」
「秘密?」
能力のこと? でも芽衣は前にそれを否定している。
「それはまだ内緒。前に言ったでしょ。今度は絶対失敗できないの。だからもうちょっとだけ待って。その時に全部話すから」
「……分かった。でも前も聞いたけど、芽衣は私に啓介くんをとられるとか、そういうこと考えないの?」
聞くべきじゃない。分かっているのに聞かずにいられなかった。
「あんた、あれ本気で言ってたの?」
芽衣の目にはうさぎがライオンに戦いを挑むように映ったんだと思う。
「答えて!」
もう周りの視線なんて関係ない。はっきりさせるんだ。
「やってみたらいいんじゃない? あんたにそれができるならね」
聞いた私が馬鹿だった。芽衣に敵うはずなんてないのに。
「……そんなわけないじゃん」
私はこうべを垂れるしかなかった。
——考えても仕方ない。
これまで何度も言い聞かせてきた言葉。でも芽衣はいずれ全てを話すと約束した。黙ってその時が来るのを待つしかない。それまでに私はこのイルカの絵を完成させる。啓介くんと共に過ごした証として。
「莉子さん、何かあった?」
「何かって?」
キャンバスから目を離すことなく問い返す。
「なんていうのかな、機嫌悪そうだからさ」
「なんでもないって! ちょっと集中してるだけ。話しかけないでよ!」
馬鹿だな私って。啓介くんは何も悪くないのに八つ当たりなんかして。でも啓介くんも啓介くんだ。色が見えるってんなら、ちょっとは私の気持ちくらい察してくれたらいいのに。
ああ、ダメだ。また啓介くんのせいにしてる。絶対面倒くさい女だなって思われたよね。どうしよう。謝る? でもどうやって? 困った。どうしていいか分からないよ。
「帰る!」
想いと反対の言葉が口をつく。その場の空気に耐えきれなくなって私は席を立った。自分で空気を悪くしておいて何言ってるんだろ。
「莉子さん!」
呼び止める啓介くんの声に構わず私は部室を出た。最悪だ。明日からどうやって接していいか分からない。自分で蒔いた種なのに。
——報告
ちょっとイライラしてて啓介くんにあたっちゃった。どうしよう絶対嫌われた。
後悔と不安から文章がまとまらない。とりあえず芽衣にアドバイスをもらおうとメッセージを送った。
——大丈夫!
男と女だもん。そんなこと普通にあるって。何事もなかったようにケロッとした顔して行ってらっしゃい。
「人ごとだと思って」
不満が自然と漏れる。だけど半分合ってると思う。何事もなかったようには無理だけど、明日ちゃんと謝まってリセットしよう。
スマホを机に置こうと手を伸ばした時、着信のチャイムが鳴った。啓介くんからだ。
“八月十五日に花火大会あるんだけど、一緒にどうかな”
私が当たり散らしたことなんて一切触れずに花火のお誘い。不安から解放されたのはいいけど、別のドキドキにスマホを持つ手が震える。
なんて書いたらいい? まずは謝るとこから? でも啓介くんが流してくれたなら、そこに触れるべきじゃないよね。それに男の子から花火誘われたことなんてないし、どうするのが正解? ぐずぐずするだけで時間だけが過ぎていく。早く返信しなきゃ、まだ怒ってると思われちゃう!
“イルカの次は花火を描いたらどうかなって思って”
直後に送られてきたメッセージ。落胆のため息に安堵の想いが混じった。やっぱり啓介くんは啓介くんだ。
“うん、楽しみにしてる”
——報告
啓介くんの方から花火大会のお誘いあった。おかげで自然に仲直りした感じ。
もう迷わない。限られた啓介くんとの時間を大切に過ごすんだ。
【第十話】
「おはよ」
「ああ、おはよう」
良かった。いつもの啓介くんだ。花火大会まであと一週間。私たちはまた参考書とキャンバスに向き合うルーチンに戻り、日々を過ごした。
「明後日の花火大会だけど、画材持ってこなくていいよ。よく見て頭に焼き付けるんだ」
「うん、分かった」
「いくらなんでもあの一瞬を見ながらスケッチなんてできっこないからね」
「しつこい! もうその話はいいでしょ!」
軽口を交えながら。
こんな風に啓介くんと話せるようになるなんて思ってもみなかった。花火大会が待ち遠しい。
「明日なんだけど、芽衣と出かけるから休むね」
「そう。じゃあ花火大会で」
手ぶらで花火大会。これって、はたから見たら完全にデートよね。やばい、想像するだけでめちゃ緊張してきた。
「大丈夫、大丈夫、そんな固くならなくていいって。花火大会なんてあたしと何度も行ってるじゃん。同じだって」
百戦錬磨の芽衣先生はいつもの調子で言うけど、そんな風に考えられたら苦労しない。
「啓介くんのこと観察しなきゃだし、そんなわけないでしょ」
「んー、今回はそんなことしなくていいよ。みーんな忘れて気楽に楽しんできて」
どういうことだろう? それだと芽衣にとっては何の意味もない。どうせ啓介くんは自分のものになるのだからと余裕ぶって、思い出作りの時間を私に与えるということ?
「さ、お祭り用のメイクを伝授しなきゃね」
さらりと流す芽衣。もう迷わないと決めたのにざわつく心。でもこの前みたいに詰め寄っても芽衣は絶対に口を割ったりしないだろう。その日がくるのを待つしかないんだ。
——そして運命の花火大会
「今日はお祭りデートですかー、いいわねー」
浴衣の着付けをするお母さんは上機嫌。
「違うって! 芽衣と行くの」
「はいはい」
言い訳が虚しく空を切る。
「……ねぇ、お母さんはお父さんのどこを好きになったの?」
「珍しいわね、あなたがそんなこと聞いてくるなんて」
「いいじゃん別に聞いたって」
「そうねぇ一緒にいて楽しいってところかしら」
「それだけ?」
私の問いにお母さんの口角が上がった。
「お父さんってどこにでもいるような人でしょ? でもね、いつからかあの人のいない人生なんて考えられなくなった。生活の一部になったのね」
「そんなものかな」
「そんなものよ。はいできた!」
ポンッと帯を叩くお母さんに「ありがと」と短く伝えた。人生の先輩の言葉はなんだか重みがあった。
「いい? チューまでならお父さんに内緒にしておいてあげるから、あまり遅くなっちゃダメよ」
前言撤回。
「しないし! もう行くから」
今日は遅れるわけにはいかない。待ち合わせ場所へと急いだ。
「啓介くん!」
「早いね。浴衣すごく似合ってるよ」
「ありがと、啓介くんの浴衣姿もカッコいいよ」
「じゃあ行こうか」
お互い照れくさそうな笑みを浮かべて会場へと向かった。近づくにつれて人も増えてくる。
「きゃっ」
「あ、ごめんなさい」
追い越そうとした人がぶつかりバランスを崩しそうになる。
「大丈夫?」
咄嗟に啓介くんが私を支えてくれた。
「うん」
「良かった。あまり離れない方がいいね」
直後握られた手。恥ずかしくて反射的に引っ込めそうになったけど、その温もりが心地よかった。
「そうだね」
その手を握り返した。
「この辺がいいかな」
夜空を見上げて花火を待つ。
「ヒュルルルルー」
大輪の花火が夜空を飾り、あたりは歓声に包まれた。
「綺麗」
次々と夜空を彩る花火、その美しさに息を飲んだ。空を見上げる啓介くんの横顔をチラリと覗いてみる。
短い間だったけど、色んなことがあった。部室に押しかけるなり勢いで入部して、それから一緒に過ごすようになって、気づけばそれが心地よくなっていた。始まりはミッションだったけど、啓介くんは砂のような毎日に潤いを与えてくれた。
私はずっと気づいていなかった。……違う、本当はずっと前から分かっていたんだ。自分自身の気持ちにフタをして、否定し続けてきたんだ。もう自分の気持ちに嘘はつけない。
「好き」
想いが言葉となって溢れ落ち、花火の音に重なる。
「え?」
驚いた表情で私を見る啓介くん。聞こえた? 急に冷静さが戻ってくる。やだ、私なんで……。
啓介くんの手を振り払い、人混みを縫って逃げるようにその場を後にした。
「莉子さん!」
これ以上好きになったらダメだ。もう戻ることなんてできない。一刻も早くその場を離れたかった。
自分の部屋に入ると、その場に崩れ落ちた。早過ぎる帰宅にお母さんはいつものように干渉してこない。
プレイリストから、”I’ll be there for you”を流しても沈んだ心は浮上しない。嘘だ、一番いて欲しい人はここにいない。合ってるのは何事もうまくいかないというところだけ。
まるで失恋ソングみたいな想いが押し寄せる。こんなに好きになるなら、……こんなにつらい想いをするのなら、それなら初めから出会わなければ良かったのに。
落ち込んでいてもしょうがない。それに私は何かを失ったわけじゃない。空っぽだったあの頃に戻るだけ。涙を拭いスマホを取り出した。
——最終報告
“最初の頃、啓介くんのどこがいいのかよく分からなかった。でも一緒に過ごしてみて、啓介くんの魅力が分かった。芽衣の言っていることとは多分違うと思うけど。啓介くんは優しいし思いやりがあって、教え方も上手。”
キャンバスに白塗りする時のことを思い出し、滲む涙を指先で拭う。
“ユーモアもあって私を否定せず、いつも認めてくれる。今までで最高だと思う。”
水族館での光景が次々に頭に蘇ってくる。ダメだ、ディスプレイが滲む。だけどもうこのまま続けることなんてできない!
“芽衣にお似合いだと思う。”
送信ボタンを押すとスマホが手から溢れ落ち、私は両手で顔を覆った。
「さよなら」
——あれから三日
「莉子、ごはん置いとくからお腹すいたら食べなさい」
扉越しに聞こえるお母さんの声に短く「うん」と答えた。
「ごめん」とだけ送ったメールに返信はない。絶対嫌われた。だけどそれでいい。私たちは終わったんだ。もうイルカの絵が飾られることもない。
私はなんて馬鹿なことをしてきたのだろう。ご褒美欲しさに芽衣の言いなりになって恋をおもちゃにした。遊び半分で告白して、相手のことも考えずに。
連絡先を消そうとした時、啓介くんからメッセージが届いた。
“話したいことがある。部室で待ってる。”
なんで今になって? 決心が鈍っちゃう。……でも、このまま終わるのは良くないよね。ちゃんとさよならをしておかないと。
軽く食事を済ませて身支度を整える。
「ひどい顔」
そりゃそうだ、ずっと引きこもってたんだから。もう啓介くんの目を気にすることもないかと思ったけど、少しでも綺麗な思い出にしたくてメイクした。
通い慣れた部室。それも今日でお別れ。震える手で扉を開けた。
「よ! 莉子。遅かったじゃーん」
「芽衣? なんで芽衣がここにいるのよ!」
「なんでって、そりゃ依頼主がミッションを最後まで見届けるのは当然でしょ。ね、啓介くん」
芽衣が送る視線の先にはバツが悪そうに佇む啓介くんがいる。
「啓介くん、……もしかして初めから知ってたの? 知ってて芽衣と一緒になって私のこと陰で笑ってたの?」
「違うんだ」
「違わない!」
自分勝手なことを言ってるのは分かってる。私だって啓介くんを騙そうとしてたんだ。だけどそれは最初だけ、本当に好きだったのにこんな仕打ちあんまりだ、ひどすぎる。
「莉子待って」
出て行こうと背を向けた時、芽衣の声に足が止まった。
「レンブラントの『夜警』、知ってるでしょ」
「突然何? いい加減わけのわからない謎かけやめてよ!」
「いいから答えて。あんた、あれ何の絵だと思う?」
何でそんなことと思いつつも真剣な面持ちで問いかける芽衣に逆らうことができない。
「夜警なんだから夜の警備かなんかでしょ。何の関係があるのよそんなこと」
芽衣は座っていた机からピョンと降りると、イーゼルに向かい、キャンバスに手を置いた。
「それが違うんだなー。あれは昼の絵。暗く見えるのはニスの劣化。それを勘違いした人が『夜警』なんてつけちゃったのね」
啓介くんの自画像。どういうこと? そこに一体何があるというの? 顔を近づけて細心の注意を払う。
「これって」
芽衣の言葉の意味がやっと分かった。
「ね? 最初から言ってるでしょ。答えはすぐ近くにある、上っ面だけ見ちゃいけないって」
「……私?」
【第十一話】
「啓介、それじゃ頼むぞ。と、頼むは違うか。お前は変な義理だてする必要ないからな。今更部員なんて集まらない。このまま部を畳んだっていい」
先輩の言葉に僕は肩をすくめてみせた。五月も終わりにさしかかり、新入部員はゼロ。三年生は名義だけ残して実質上引退。
「他に行くとこなんてないし、のんびり一人でやらせてもらいます」
「まぁそれもいいかもな」
先輩は笑顔で部室の鍵を僕に託した。
——「私と付き合ってもらえませんか?」
「ごめん、そんなこといきなり言われても無理だよ」
「もしかして好きな人いるの? それって芽衣ちゃん?」
廊下で見かけた我が校の有名人『不沈艦』、またかと呆れてため息が出た。よくもまぁ節操もなくあちこち告白なんてできるものだ。
足早に通り過ぎ、部室へと向かう。僕の絵は先輩たちの引退作品用に差し出して一枚も残っていない。もう先輩達もいないことだしと、最後に一枚残った新品のキャンバスをイーゼルに乗せた。さて、何を描こうか。静物画も飽きてきた。モデルなんていないし、どこかに出かけるのも面倒だ。
不意にさっき見た朝倉さんを思い出した。別に好きだとかそんな感情なんて持ち合わせていない。八方美人な彼女をどれだけ魅力的に表現できるだろうか。そんな軽い気持ちで鉛筆を取った。幸い誰にも見られることのない絵だ。
その日から僕は朝倉さんを目で追うようになった。あくまに自然に気づかれないように。
——それから何日か経った頃
「莉子、今回もご苦労さま。はいこれ」
「わー、ありがと」
朝倉さんと桐谷さんの仲が良いのは知っていたけど、あんな笑顔をするのは意外だった。今まで気にしたことがなかったけど、あれが本当の朝倉さんなんだろうか。そう思うと、あちこち告白している時の彼女の顔は能面のように思えてきた。
僕はキャンバスに鉛筆を走らせた。朝倉さんの笑顔を思い浮かべて。彼女の魅力を存分に引き出して見せようと。これは思い込みなのかもしれないけど、キャンバスの中で微笑む朝倉さんは実物よりも実物らしい。本当の朝倉さんの姿なんだと、そう思った。僕は鉛筆から筆に持ち替え、日々色を重ねていった。
いつものように部室に向かうとキャンバスの前に誰かいるのが見えた。誰だ? 入部希望者? そんなわけはない。なんで美術部なんかに。
「君は?」
僕の問いかけに振り返った彼女の顔を見て凍りついた。
「これって莉子でしょ?」
「桐谷……さん? なんでこんなところに」
最悪だ。一番見られてはいけない人に見られた。なんで鍵をかけておかなかったんだと後悔したがもう遅い。
桐谷さんはにっこり微笑み、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「三年生が引退って聞いてね。それならここを秘密基地にしちゃおうかなーなんて」
そこで言葉を切ると、その視線が再びキャンバスに注がれる。
「そんなことよりすごいねー、莉子の特徴よくとらえてる。不沈艦をこんな可愛く描くなんて、もしかして莉子のこと好きだったり?」
「そんなんじゃない。有名人をモデルにしただけだよ。どいて」
こんな絵を描いていたことが周りに知られたら面倒だ。僕は白の絵の具を混ぜもせずペインティングナイフでキャンバスに塗り付けた。
「ざんねーん、証拠写真撮っちゃた。ねぇ、ちょっと協力して欲しいことがあるんだけど」
その言葉に僕の手が止まる。一体何を要求されるのだろう。部室を開け渡せ? それとも金銭か?
「朝倉さんとお試し交際?」
桐谷さんの提案は思いもよらないものだった。朝倉さんとの疑似恋愛。もし気に入ればそのまま交際。その気にならなければそれまで。期限は夏休みの終わりまで。
「どう? 別に損のない話でしょ? 上手くいかなくても秘密は守るって約束してあげるから。お願い! 協力して!」
拒めば本人に絵のことをバラされるだろう。その提案を受け入れるしかなかった。
僕は朝倉さんの絵の上から丁寧に白の絵の具を伸ばした。問題は上から何を描くか。僕は本人ではなくキャンバスの彼女に恋をしたのかもしれない。それなら重ねるのは僕自身以外考えられないと筆をとった。だけど白塗りしても目のように濃い色は後から浮かんでくる。仕方なしに僕の目を上描きする。朝倉さんのパーツ配置で僕の顔を描くのだから似るはずもない。目だけじゃない。泣きぼくろまで透けて見えてきた。桐谷さんが気づいたのもこれが決め手だったかもしれない。ごくごく小さな点。二度塗りしようかと思ったけど、できなかった。それは彼女の魅力の一つだと思ったからだ。
それからしばらく部室で打ち合わせをするようになった。桐谷さんは朝倉さんに関する情報を全て僕に教えてくれた。自分の司令で好きでもない男たちに告白し続けてきたという裏側も。能面の様な不沈艦の表情と屈託のない笑顔。そのギャップの理由が腑に落ちた。
もうすぐ朝倉さんの方から告白にくる。それを断るよう指示された。
「なんでそんなことを」
「説明した通りよ。莉子にとってはミッションなの。相手が受け入れたとしてもいずれ理由をつけて莉子の方から断ることになる。それじゃダメなの」
「でも僕が断ればその場で終わる」
「そこで私に考えがあるの」
その微笑みに嫌な予感しかしない。
「好意が色で見える能力?」
超能力者を演じろという突拍子もない提案を真面目に言っているのかと疑ったがその顔から本気と分かった。
普段おちゃらけているイメージだけど、時々涙ぐみながら話す桐谷さんを見て彼女なりに朝倉さんのことを真剣に考えていることが伝わってきた。
子供の時から替え玉告白をさせてきたせいで、朝倉さんは本当の恋というものを見失ったんだと。そして朝倉さんが桐谷さんに抱いているであろう負の感情も知っていると。
「だって莉子は私の大親友だもん。だから莉子のことは何だって分かるの」
実際その日がやってきた。演技に自信はないけど、桐谷さんに言われた通り演じてみせた。
「というか、朝倉さんが桐谷さんを見る目は少し複雑だね。海の中みたいだ。煌めく光が射し込むところもあれば、深海のように——黒い」
「やめて!」
桐谷さんのいった通りの展開になった。ここから僕たちの疑似恋愛が始まる。
朝倉さんから入部届を受け取った翌日の昼休み。できるだけ早く自画像を完成させようと部室に足を運んだ。そこにはキャンバスの前で首を捻る朝倉さんの姿があった。まずい、気づかれたか?
「僕だよ」
どうやら気づいていなかったようで信じてくれたようだ。桐谷さんからは苗字ではなく下の名前で呼ぶように指示されたけど、親しくもないのに、変に思われないだろうか。
「食べる? ……莉子さん何も食べてないでしょ」
気恥ずかしさからスムーズに言葉が出ない。やっぱり不自然だったか?
「ありがと」
その言葉にホッと胸を撫で下ろした。
桐谷さんからのアドバイスもあって僕たちの関係は良好なものになった。白塗りのやり方を教えるという口実で握った莉子さんの手の柔らかい感触がいつまでも残った。
司令に従い僕は部活動という理由をつけて莉子さんを水族館に誘った。こうして一緒に行動するようになって分かった。やっぱり僕が描いたのは莉子さんそのものだったんだと。それに気づいてから、僕は急速に莉子さんに惹かれていった。莉子さんも僕との時間を楽しそうに過ごしているように見える。でもそれが本気の笑顔なのか、それともいわゆるミッションの一環なのか確証が持てなかった。
そんな折、次の司令がきた。花火大会に誘うんだと。莉子さんの気持ちを確かめたい。そこで告白しようと決めた。
「好き」
花火の轟音にかき消されそうなか細い声だったけど、確かにそう聞こえた。「僕も」、そう答えるよりも早く莉子さんは僕の手を振り解いて去っていく。
「莉子さん!」
何で? 一体どうして? 僕も想いは同じなのに!
こんな時どうしたらいいのかと桐谷さんに電話をかけた。二、三日様子を見るようにという答えに僕は肩を落とした。一日がまるで一年のように長く感じた。そして三日目、桐谷さんからの呼び出しで部室に向かった。
全てを打ち明けてもいい頃合いだと言う桐谷さんに同意して、僕はメッセージを入力する。
“話したいことがある。部室で待ってる。”
これは司令なんかじゃない。僕は僕自身の気持ちで送信ボタンを押した。
【第十二話】
「それじゃ色が視える能力っていうのはただのウソだったってこと?」
啓介くんが語った一部始終を聞いて、真っ先に出た言葉がこれ。
「だーかーらー、前にも言ったでしょ。そんな能力なんてあるわけないって」
いや、そっちに誘導した張本人がそれ言っちゃダメでしょ。
「でも、今度は絶対失敗したくないとか、彼氏にするならとか……」
言い終わる前に気づいた。それはつまり。
「そ! 他ならぬ大親友の莉子ちゃんに相応しい彼氏探しだからね。絶対失敗したくないじゃん?」
イタズラっぽく笑う芽衣に怒る気も失せた。芽衣はやっぱり私のことを一番分かっていてくれたんだ。
「でも莉子の方から本当に啓介くんのこと好きになったらどうするのって聞かれた時はびっくりしちゃったなー。それならそれで手間省けて良かったんだけど」
「ちょっとやめてよ! ここでそんなこと言わなくてもいいじゃん!」
「別に良くない? あたし、莉子も成長したなーって嬉しかったよ」
それさえも私が勝手に取り違えてたってことか。
「悔しいけど完全にしてやられたわ。でも報酬はちゃんと貰うからね。期待していいって言ってたよね?」
「は? 報酬なら目の前にいるじゃん」
ダメだ。やっぱり芽衣には敵わない。
「さ、啓介くん、最後の仕上げよ」
芽衣の声に啓介くんが静かに頷くとまっすぐに私を見つめた。
「莉子さん、僕は莉子さんのことが好きです。付き合ってください」
さよならを言いにきたつもりなのにこんな展開最高過ぎる。
「うん! 私も啓介くんのこと大好き」
歯が浮きそうな言葉も今なら堂々と言える。それを満足そうに眺める芽衣。
「めでたしめでたし。これにてミッションコンプリートね。二人とも私に感謝してよ? 何てったって恋のキューピットなんだから」
おどける芽衣に、私は心の中で叫んだ。
こんな歪なキューピットなんていないよって。
了
執筆の狙い
どうも、monogataryでメアド2つブロックされて、xで左翼の連中からかってたらシャドウバンになった ぷりもです。ご機嫌よう。
手隙になったので覗きに来たよ☆
以前monogataryのコンテスト【当て馬キャラが主人公の恋物語】で書いたものです。
三万字強。ここでは絶望的に読まれない文字数であることは承知している。
ということで、謹慎期間にAI使って漫画化したよ☆
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当初ネームも丸投げしてたからパラパラ漫画みたいになってたり、ホクロの位置とか服装とかおかしなことになってるけど、まぁ試験運用である。描画枚数制限もあるもんでご容赦を。