セルフ-自己-
わたくしは、てんでダメなので、諦めることにいたしました。それはもう、ゆりかごからにございます。わたくしがそうであることを、知っていなければお気の毒ですので、わたくしなどの者共と関わることのないよう、お話させていただきます。 独白ともつかぬ、ひとりごと、あるいは懺悔にございます。しばし、御時間を無駄にされることかと存じますので、どうか片手間にでもなさってください。
わたくしのオリジンは、ムツミさん。あの人との出会いは、そう、ビッグバンに違いない。それまでのわたくしの生は、生きているというより、擬態しておりました。世間と相容れぬわたくしは、常にぎゃりぎゃりと視界を回し、プレデターどもが立ち去る一瞬を待ち望んで、じっと堪えているだけの、無駄な存在でありました。今もなお、むしろ今はより一層乖離し、わたくしといわゆる世界の位相は、重なることがありません。しかしムツミさん、ムツミさんの作り出します世界だけは、わたくしがおります世界の位相と、ほとんどぴったり重なっておりました。
誕生日のお話です。それほど高くもない山の上から、ズボラな住職が鳴らしそこねた除夜の鐘が響き渡る、大昼間でございます。縁側に横たわるシルエットの、あの曲線美。貴方がたにも見せて差し上げたかった。わたくしどもの四時間にも満たぬセックス・コミュニケーションは『天上人が選ぶ・人類の神秘の瞬間・ベストテン』にもれなくランクインしていること自明でありましょう。しかし、わたくしたちの根源が分離不可能なレベルにまで一体化するには、些か時間が足りませんでした。ああ、やはりあの時、外野の制止など捨て置けば良かったのだ。わたくしは、愚か者です。目の前に、何よりも優先すべき本能があったろうに。それまでに培われたなけなしの人間的モラルの警鐘は、中途半端なブレーキにはなれど、全くを白紙にはしてくれなかった。一年後、高等学校を卒業しました。実家とは、それきりです。
とはいえ、ですよ。わたくしが衝動を抑えられなかったのは、なにもわたくしのせいではございません。第一に、ムツミさんは、明らかに私を誘っていらした。てらりとした唇と、白桃のような肌を晒し、笑いかけてくださった。手を伸ばして、ここにおいでとしてくださった。我慢がなりませんでした。わかりますでしょう。
加えて、日々の煩わしさに、鬱憤を溜めがちなわたくしでありますが、この頃は特に極まっていた。当時、わたくしの学び舎では、『マナベがやった』という遊びが流行っておりました。ちょっとしたうっかり__誰かが窓を割ったとか、掃除の水バケツを出しっぱなしだとか__そういうのを問い詰められたとき、口を揃えて『マナベがやった』と言うのです。たいていは、当事者が名乗り出ず、先生との我慢比べになったとき、しびれを切らしたどなたかから、自然と一言目が発せられました。
「先生、それは、『マナベがやりました。』」それが始まりの合図です。
「はい、先生、『マナベがやりました。』」
「そうです。『マナベがやりました。』」
だいたいクラスの四分の一が同調したあたりで、先生も諦めます。
「では、マナベ、後で職員室に来なさい。」
年度が終わる頃にもなれば、マナベは2回窓を割り、5回教室の鍵を締め忘れ、3回トイレを流し忘れていました。わたくしはその遊びが、不愉快で仕方なかった。殺してやろうかと、幾度思ったかも覚えていない。だから仕方なかったのです。だってわたくしの世界には、ムツミさんしかいなかった。異世界人に、どうして世迷言を聞き入れてもらうことができましょうか。
誕生から、九年後のお話です。大変なことが起きました。ああ、申し上げるのも恐ろしい。喉がぐろぐろと鳴っているのを感じます。恐縮ですが、こちらでの説明は差し控えさせていただきたい。以前から予兆はございまして、どうもその頃は、ムツミさんに見えるなにもかもが、わたくしのそれとは違っているようでした。ムツミさんは、わたくしから逃げようとしていたに違いありません。わたくしはもう、あなたに全てを捧げる覚悟であったというのに。あなたはわたくしに、全てを暴かれてくださると思っていたのに。わたくしは、裏切られた。とても許されてはなりませんでした。幸いにも、まだ些細なズレでございましたので、不躾ながら、矯正を施させていただきました。ですが御存知の通り、わたくし、ダメ人間ですので、どこかでミスを見落としたようです。気がつくと、もはや修正の効くレベルはとうに超えているようでした。唯一の同世界人を失うことは、耐え難かった。しかしムツミさんを失うことは、もっと耐え難かった。ターニング・ポイントというやつでしょうね。無念ですが、諦めるしかありませんでした。
誕生から、二十六年後のお話です。つまり今というやつです。最初は、そんな崇高なものだとは思っていませんでしたが、今思うとこれは、存在証明なのかもしれません。であれば、今、述べる他ない。わたくしに何か、思うところのある方々。憎悪やら、侮蔑やら、とにかくなんでも。貴方がたに、わたくしは申したい。貴方がたは、御門違いだ。とるに足らぬ、阿呆です。明らかでありましょう。その槍先は、ムツミさんに向けるものだ。洗濯機で事故が起きたら、あなたは洗濯機を訴えますか、と。わたくしは、脆いのです。小心者です。貴方がたの醜い感情を、丸裸で差し向けるなど、そんな恐ろしい思いを、させないでいただきたい。貴方がたはわたくしの行いを罪と呼ぶが、わたくしからしてみれば、どうして貴方がたの物差しで測られなければならぬのかということに、ひどく憤りを感じている。世論は多様で困ります。赤子と交わるのは許容範囲から外れた例だと責め立てる。なにがその境か、わたくしにはもうわかりません。疲れました。人間が孤独に弱いというのは古今東西描かれてきたテーマでありますが、わたくしの人生などはその典型ではないかと。
ですが、ようやくそれも終わります。決心がつきました。過ぎたことを望むなら、わたくしも、ムツミさんと同じ世界で死にたかった。もうあとの祭りです。既にムツミさんは異世界人になってしまわれた。ムツミさんを知ってしまったわたくしは、もう、かつてのようには戻れない。あの世界に馴染むこともできない。なのに、いるはずのない味方を探してしまう。二十年間探し回って、愚鈍なわたくしは、やっと諦めを得ました。
貴女がた様、本日はご足労をありがとうございました。これにて閉幕でございます。とっぴんぱらりのぷう。
執筆の狙い
初投稿です。自分を卑下する割に自己中心的な主人公と、像がぼんやりとしたムツミを表現しようと試みました。