彼女は「愛」を「生きる」と書いた。
1
「あー!杉野君、まだ残ってたんだ?」
放課後の美術室。
「最終下校時刻、もう過ぎてるのに」
彼女はそう言いながらも、僕の隣に椅子を並べる。
「そっちこそ」
僕はそう言って、未完成のキャンバスに再び筆を走らせた。
「私、好きだな。杉野君の絵」
好き。
うっとりした声で耳元に囁かれた気がして、変な気分になった。
いや、昂った、と言った方が正しい。
「そんなに?」
「そんなに、だよ。ほら、杉野君の絵は明るめな暖色より、ちょっと暗めな寒色の方が多いよね」
言われてみればそうだった。
オレンジや黄色といった温かみのある色より、水色や青色といった静けさのある色をしたキャンパスがほとんどだ。
「でも、どんなに先の見えない暗闇の中でも、きっとその先には光がある。そんなことを教えてくれるような、綺麗で、儚げで、優しい絵」
その言葉を聞いた時、手が止まった。
そして、少し間が空いて、また筆を走らせた。
「ふーん?」
軽く受け流した。
「ねー、私めっちゃいいこと言ったんですけどー!」
僕は少し笑って、彼女もはにかむように笑った。
*
朝。
目を覚ますと、綺麗な茶髪をした女性、いや、美少女が僕をのぞき込んでいた。
目が合った時、彼女は微笑んで、
「おはようございます!冬季さん」
おはようございます⋯?
冬季、さん?
何を言っているんだ、この子。
「おはようございます、じゃなく。一体君は誰なの?何さ、勝手に人の部屋にのこのこと。大体、どうやって入って⋯⋯」
「冬季さん」
彼女はそう僕の言葉を横切って、キッチンの方へと指差し、言う。
「まぁ、食べながらにでもゆっくり話しましょうよ。ね?」
彼女が言うには、僕は昨夜に寿命を売ってしまったらしい。
そして、僕は昨夜の記憶が無い。
なので、寿命を売った、という記憶も無い。
何者かに記憶を消されてしまったのだと思い、目の前に居た少女を問い詰めたが、単に、事前に過剰なアルコール摂取をしていた僕が原因だった。
「店に冬季さんが入ってきた時、それはまあ驚きました⋯!とても顔が赤くてフラフラだったんです。倒れそうになった冬季さんの身体を慌てて抑えに行くと、奇妙な笑みを浮かべてこちらをずっと見つめてきたんです!⋯⋯少し煙草臭かったのですぐに離しましたが」
どうやら僕はとんでもない事をしてしまっていたらしい。
申し訳なさと羞恥心でいっぱいだよ。
「それは大変ご迷惑を⋯⋯じゃあ、君は一体」
「ふふーん。聞いちゃいますか、それ」
「え、なに。なになに」
僕の質問に彼女は答えず、「そういえば冬季さん。それ、ケチャップついてませんよ?」と、食べかけのオムライスを指差した。
「めっちゃ忘れてたわ」
僕がケチャップに手を伸ばそうとすると、彼女が手を重ねてきた。
「ストーップ。私が描きますので〜」
「お、そう」
ケチャップをかけることを制止されたことに少し驚きつつも、手を膝に戻して見守った。
にしても、ちゃんとした朝食は久しぶりだ。
朝は食べないで、昼は外食だったから、こういうのも悪くないな。
「じゃーん」
彼女が見せびらかしたオムライスには、ケチャップで、恐らく『LIVE』と描かれており、その隣にはよくわからないマークがあった。
「なにこれ」
「英語でラブを、その隣にはハートを描きました。私からの、ささやかな愛の贈り物です」
なるほど。つまりこの人はLOVE(ラブ)のスペルを、LIVE(生きる)だと勘違いしているのか。
そして、もはやハートの原型がない謎のマークは、彼女から見たらハートなのだろう。
「愛、歪みすぎじゃない?」
「ガーン。でもでも、味は美味しいので⋯美味しいはず!」
「うん。美味しいよ」
確かに味は間違いなかった。
どうやら彼女は料理ができる方らしい。
「あは。よかった〜」と、安心したように彼女も箸を進めた。
「⋯⋯あのさ」
突然、忘れていた疑問が頭に浮かび上がった。
昨日何があったかは、分かった。
けれど結局のところ、少女が何故、僕の前に居るのかについては、まだ知らされていないのだ。
「君は何が為に、笑顔で挨拶したり、気遣ったり、料理を作ったりするの?そのワケは?お互い他人みたいなもんでしょ」
「⋯⋯私達はもう、他人じゃありません。私は貴方の、恋人なんです!」
続けて彼女は言った。
「おはようも、おやすみも、何度だって言いますし、ご飯だって、一日三食分しっかり食べてもらいます。冬季さんが望むなら、それ以上のこともしましょう」
「それ以上って⋯⋯なんで、そこまで」
「冬季さん。貴方は昨夜、寿命を売り払ったんですよ。そのはずなのに何故、対価となる物やお金が見受けられないのか、疑問に思いませんか?」
考えてみればそうだった。
売った、というなら、それ相応の物が返ってくるはずだ。
「じゃあ、その対価って」
「そう。この私です」
そうなると、彼女がそれ程まで僕に尽くす理由にも合点がいく、が。
「⋯⋯ちょっと待て。それじゃあ僕が寿命を代償に君を買ったみたいにならないか?」
「はい。そうなりますね。もっと正確に言えば、人生における時間の殆どを引き換えにして、それ相応の愛を買った、というわけです」
突然、猛烈な吐き気が僕を襲った。
昨日の酒が後から来たのだ。
「おっ⋯⋯オロロロロ」
こうして僕は最悪なスタートを迎えた。
*
「冬季しゃーん。うへ、はへ、へへへはへ。なぁんで無視するんですかぁ」
「うるさい。こっち来んな」
「なんでですかぁ」
「暑いんだよ」
彼女⋯いや、遠江華が来てから、かれこれ10時間が経った。
いつも通り僕は本やら漫画やらを読んでいるわけだが、先程からやたらと身を寄せてくる。
「なーんーでー」
しつこい。
最初見た時は、ちょっと可愛いって思ったのに。
なんなんだ、こいつは。
「あーん、ちょっと酔ってきちゃった〜」
「お茶だろうが」
そんなこんなをしていると、隣の部屋からなにか騒ぎ声が聞こえてきた。
楽しそうな話し声に、食器のぶつかる生活音。
「どこか行くんですか?」
無言でリュックを背負いだした僕を不穏に思ったのだろう。
僕は答えず扉を開けて外に出た。
「暑いですね〜」
案の定、遠江華も後ろから着いてきていた。
「なんで着いてくるんだよ」
「だってあの家、映えないですもん」
映えない家で悪かったな。
「それに」と、彼女は付け足して、
「冬季さんのこと、もっと知りたいから」
ちょっといい感じに言っちゃってますけど。
関係値が薄いからか、言葉が薄っぺらく感じるからなのか分からないが全く揺らがなかった。
「それ、皆に言ってるんでしょ」
「皆って誰ですか?」
「他に寿命を売り払った人?」
「ど、どうでしょうね?言ってたかなー、どうだったっけなー」
言わなくてもわかる。
アイドルが誰であろうファンに愛を振りまくのと同様、彼女も寿命を売り払われた分には必然的に、それ相応の対価を相手に返さないといけないのだ。
それは義務と同じ。
僕は止まっていた歩を早歩きで彼女を追い越した。
堕ちたら負けな気がした。
「冬季さん!」
歩き始めて随分時間が経った頃、遠江華が声を高鳴らせながら遠くの方を指さした。
指のさされた方向に目をやると、そこは暗がりの中でやけに光り輝き目立っていた。
「一緒に行ってみませんか?」
返事をする間もない。
手を引かれながら、僕達は光の元へ駆け出した。
「あっちです!」
徐々に人通りが多くなってきている。
カップルやら子連れやら友達同士の集団が目に入って、どうも気分が悪い。
駆け出した遠江華に着いていけず、その場に立ち止まってしまった。
彼女はすぐ僕に気づいて振り返りながら言う。
「? どうかしましたか?」
「別に」
自分でも自分の感情が理解できていないのに、それを言葉にするなんてことは不可能だった。
ない知恵絞って説明をすれば言いたいことは伝わってくるのだろうが、遠江華にそういったヤツの気持ちが理解できそうに思えない。
言っても無駄だろう。
「⋯⋯」
「⋯⋯」
沈黙が長く続いた。
目が合ってしまえばすぐ逸らした。
お互いに、この状況でなんて言おうか迷っている。
気まずい⋯⋯いや、どうせこいつのことだ。
「さあ、行きますよ」とか言って無理やりにでも連れて行くかもしれない。
「もう歩けないんですか?」とでも言って、からかってくるかもしれない。
そうしてくれたら、こちらからしても、少しは気が晴れる。
「⋯⋯さみしいですか?」
⋯⋯なのに。
一番言って欲しかった言葉は発せられず、一番触れられたくない場所に触れられてしまった。
彼女が一番触れないであろう場所に、触れられた。
「いや、」
何も言い返せなかった。
「ゆっくり行きましょうか」
彼女はそう言って僕の手をとった。
その手は暖かくて、柔らかくて。
この時点で既に僕は、彼女が女の子なのだと意識するようになっていた。
それからというもの、僕達は祭りをそこそこ満喫した。
屋台でかき氷や焼きそばを食べ歩き、射的やスーパーボールすくいなどのゲームを楽しんだ。
時にはデレ、時にはちょっとした言い合いをしたけれど、それもすぐに仲直りした。
一見するとカップルにしか見えない⋯⋯いや、カップルとしてみられていることを祈ろう。
これほどに清々しい気持ちになったことはない。
「いつか、お祭りに浴衣を着て行ってみたいです」
花火の打ち上げの待ち時間、彼女は口を開いて言った。
「浴衣、着て行ったことないの?」
まるで、今まで祭りに浴衣を着て行ったことがない、というような口ぶりに聴こえる。
「はい。小学生の頃は地元のお祭りによく行っていたんですが、親が浴衣を着ることを許してくれなくて。周りの人や友達はみんな浴衣を着ているのに、自分だけ置いていかれたような」
「⋯そっか」
長い沈黙が続いた。
こういう時、なんて言うのが正解なのだろう。
僕はこの祭りに来て楽しかったし、来れてよかったとも思う。
それも遠江華のお陰だ。
僕も彼女に良い時間を過ごしてもらいたい。
「来年の夏、また来よう。今度は浴衣を着て、二人で」
「⋯冬季さん、それはできないんです」
「そりゃあどうして?」
三拍開けて彼女は言った。
「冬季さんに残された時間は、一ヶ月を切りました」
――来年の夏には、もう。
「打ち上げを、開始します」
8月6日、今日も今日が終わりかけていた。
2
家に帰って数分なんとも言えない空気が流れる中、僕は寿命を売ってしまった事による影響を事細かく聞いた。
第一、売ってしまった寿命は、技術的な問題で二度と取り戻すことはできないこと。
第二、朝に伝えられていた話と同様、寿命の売買に伴い、その対価として人生における時間相応の愛情を受けることができるということ。
逆に、愛情以外は利益として何も入ってこないということ。
そして僕に残された時間は、たった一ヶ月間。
内心驚きはしたが、疑うことは無かった。
「今日は楽しかったです。花火、すごく綺麗でしたね!」
「うん」
「⋯明日はどこに行きますか?そうだ、ここら辺ってショッピングモールありましたよね、買い物のついでに映画観たりとか」
テレビから聴こえる笑い声が、やけに大きく響いた。
「⋯⋯あの、怒ってますか」
「怒ってない」
「怒ってますよね」
「怒ってないって」
怒っては、ない。
ただ、偽物の期間限定彼女に本気にしてた自分が惨めなだけで。
「あの、楽しかったのは本当なんですよ。また、一緒に⋯⋯」
僕は来年を迎えられない。
「そういう仕事だもんな。君は上手くやれてるよ。嘘が得意だ」
それ以降、彼女が何か言ってくることはなかった。
そういえば、あいつのあんな顔を見るのは初めてかもしれない。
いつもより早く目が覚めた。
彼女が壁の方を向いて眠っているのを見て、ふと昨日のことが頭に過ぎった。
そういえば、一緒に住むことになっていたんだ。
ずっと孤独だったから、朝起きたら隣に人が居るって、なんか新鮮。
台所に目をやると、恐らく遠江華が作ってくれていたのだろうサラダがあった。
ご丁寧に盛り付けがされていて、よく見るとすぐ近くに手紙が置かれていた。
『ちょっと寝ます ちゃんと食べてくださいね』
⋯⋯謝らないとな、昨日のこと。
彼女が眠っているのを見ながら、僕はそう思うのだった。
自室で僕はそれと睨み合っていた。
“それ”が何かと言うと、所謂、死ぬまでにやりたいことリスト、という物だと思う。
死ぬまでにやりたいこと、というより、夢と言った方が正しいと思うが。
ノートは白紙のままだ。
そもそも、夢がある人間は自らの時間を減らす行為などしないだろう。
ただ、どうせ死ぬなら、この世界で生きた痕跡を残しておきたい。
そういう欲望が僕の中にはあった。
だが、この世界で生きた痕跡を残したいというだけで、その根本的な物は特にはないのだ。
やりたい事も、したい事も無いし。
今からそれを見つけるにしても、それなりの結果を残すには三ヶ月じゃ短すぎる。
僕はそういうことを自分なりに理解しているはずだ。
まあ、そんなことを言ったら元も子もないんだが。
そう悩んでいると、隣の部屋から物音がした。
恐らく遠江華が起きたのだろう。
「あ、おはようございます」
襖の隙間から目が合って、慌てて逸らした。
「⋯⋯おはよう?」
何故か語尾が上げ調子になってしまった。
昨日のことを謝らないといけないことは分かっている。
分かってはいるけど、タイミングが見つからない。
「それ、何書いてるんですか?」
そう言って彼女は僕の白紙のノートを指さした。
「どうせ死ぬなら、なんかやっときたいなって」
「ですね!じゃあ何かやりたい事とかってあったりするんですか?」
「それが無くてな」
「⋯そう。では、私から何かアドバイスをしましょう」
彼女はそう言って人差し指を立てた。
「1つ目。実際に叶えられない願いは書かないこと」
もう一本の指を加えて立てた。
「2つ目。簡単に叶えられる夢は書かないこと。但し、本能的な物は除きます」
「そして」と続けて、
「3つ目。“誰かの記憶の中に残るようなこと”を書くこと、です」
「誰かの記憶の中に残るようなこと?」
「はい。当然な話、人は誰しも死ぬ事が怖いです。誰にも知られず孤独に朽ちていくなんて、もってのほかでしょう」
彼女は前髪を弄りながら続けて言った。
「いつか時が来てしまって、この世界から本当の意味で消えちゃっても、誰かの記憶の中では確かに生きていた痕跡が刻まれ続ける。そうしたらきっと、安心して死ねると思うんです」
「⋯想像がつかないな」
彼女は「まあ、」と話を区切って、
「とりあえずは、自分の欲の向くままに書いていってみてはどうですか?そうしたらどんどん話も広がっていくと思いますし。私もできる範囲の内でお手伝いします」
欲の向くままに。できる範囲でお手伝い。
なるほど、確かに欲には忠実であるべきだよな。
僕は遠江華の下半身に目をやりながらそう思った。
「ちなみにさ、そのできる範囲の内って、どこからどこまで?」
「⋯私にできることなら、まあなんでも」
お?なんかいけそうじゃね???
「じゃあ、世界が欲しいって言ったら?」
「世界はちょっと厳しいですね。普通に考えて」
「きみが欲しいって言ったら?」
言葉の意味を理解したのか、彼女は薄ら笑いを浮かべながら言った。
「あの、なんか変なこと考えてません?」
「変なことって?」
ため息を吐いて言った。
「冬季さん。貴方は今から何かを成し遂げようとしている人間なんですよ。そうやってすぐに近道を選んじゃって楽な方に逃げていいんですか」
「逃げてるんじゃない。僕は追いかけてるんだよ」
彼女は僕に背を向けて伸びをする。
「まあ、私はあくまでも愛を提供する人間ですからね。冬季さんがそれを愛と呼ぶなら全力でサポートするのみです。それが私の仕事ですもんね」
その発言に、昨日の夜のことが頭を過ぎって、咄嗟に目を逸らした。
「⋯⋯なんか、悪かったよ。昨日のこと」
「そう思ってしまうのも無理はないです。アイドルだって、ファンを平等に扱い、偽りの愛を振り撒きます。それでも、いつかその嘘が本当になるように願って今、私は貴方と接しているんですよ」
そりゃあ、何かと愛を買い取ったからと言って、一瞬で愛が芽生えるはずがないのだ。
それでも、偽りの愛が本当になれるよう全力で尽くす。
そういうことを言いたいのだろう。
「金で愛は買えないと言いますけど、二人で一緒に時を過ごして、互いのことを深く知って、分かり合う。そうしたら、時間で愛は買える、というのは成立するのではないでしょうか?」
彼女はそう言いながら、いつもとはまた違う微笑みを浮かべた。
その笑みを見て、同時に自分の発言の愚かさが身に染みてきた。
「でもまぁ、死ぬ前くらい、そういうことをしてみたいって思いもあるんだよ。ぶっちゃけ」
「それだと、好きな人とか居たりしますか?」
そのいきなりな質問に一瞬戸惑った。
「なぜ急にそんな話を⋯?」
「こういう発言よくないと思いますけど、私っていわばレンタルされた存在じゃないですか。好きでもない相手と自分の欲求を満たすために使うだけ使って、その後に虚しくなったりしないんですか?本来なら――」
そこで彼女は口を止めた。
まるで、何かを思い出したかのように。
「いや、まあ、そういう相手が居ないなら、また別ですけどね」
好きな人、か。
懐かしい響きだ。
「⋯⋯好きな人なら、居た」
「居たんですか!!」
「いや、居たかな、居たけど、居た」
「あれ、まさか過去形?」
少し考えて言った。
「なんか、自分でもわかってないんだ。本当に好きだったのか」
「ほほう」
彼女は興味ありげに目を輝かせた。
「いや、そんな顔して聞く話じゃないと思うんだけど⋯」
続けて言った。
「中学の時、自分にやたらと話しかけてくる女子が居たんだ。中学の頃はいつもクラスの隅にいるような奴で、でもその女の子だけは何故か僕に興味ありげなんだよ。意味わかんないだろ」
思い出しながら考えた。
「部活同じでさ。美術なんだけど。部室の隅で絵描いてたら、毎回、隣に椅子並べてきて。落ち着くとか、綺麗だとか、好き、とかさ、言ってくんの。もちろん僕にじゃなくて僕の絵に言ってるんだけど」
彼女の方を見た。
ちゃんと聞いてくれていた。
「⋯それで、気持ち悪い勘違いしちゃうんだよ。いつものようにそんなことを言われてたら。僕のことが実は好きなのかな、って」
考えて考えて考えた。
「でもさ、仕方ないだろ?誰にも気付かれなくて、興味の視線も持たれなくて。そんな時に、その子だけが僕を励ましてくれる、たった1人だけの存在だったんだよ。変な想像しちゃうだろ」
間があいた。
「僕は僕のことが好きな人が好きだ。だから僕は、その女の子のことが好きだった。告白したかった。あわよくば付き合いたいと思ってたし、付き合えるんじゃないかとも思ってた」
⋯⋯でも、僕は最後の一歩を踏み出せなかった。
「いつの間にか卒業間近の3月になって。そろそろ、好きな人に想いを伝えよう、そう思ってた。⋯⋯けど」
それは父の買い物に付き添った日曜日の夕方のことだった。
帰り、自転車を漕いでいると、最初に話した女の子が居た。
びっくりした。
それはもうとても驚いた。
語彙が無くなるほどに絶望した。
信じたくなかった。
見てはいけないものを見てしまった気分だった。
いつもマスクをしているのに、その下を見てしまえば想像と違った顔だったからじゃない。
変な不良グループとつるんでいる所をたまたま見てしまったからでもない。
僕が確かにこの目で見たのは、親しそうに中年男性と腕を組んで、ホテルの中へ入っていった彼女だった。
3
自分は何か誤解をしている。
そう思う為に、あらゆるパターンを連想させた。
もしかしたら、あの男は彼女の父親なのかもしれない。
あの建物はそういうことをする場じゃなくて、もっと健全な施設か何かなのかもしれない。
そういった具体的な内容なものが、“あれは援助交際なんかじゃない”といった理論的なものに変わっていった。
好きな人が見知らぬ男に触れられている。
そう考えるだけで吐き気に襲われた。
もし、“あれ”が本当にそうだったのなら。
知ってしまえばもう立ち直れる気がしない。
だから僕は、自ら確かめようとはしなかった。
目の前のことを自分がいいように納得して、事実に目も向けないで。
そのまま、何も無く中学を卒業した。
「⋯⋯的なところ。ぜんぜん面白くなかったでしょ」
僕が言い終わると、彼女は、どう言ったものかと図りかねるような素振りをして「ふむ」と呟いた。
「で、その方に対して、まだ未練が残ってたりするんですか?」
「まあ」
「じゃあ、今からその方への想いを伝えにいきましょうよ」
行動力に満ち溢れているんだな、この人は。
「⋯想いって?」
「その方に対して想っていることを素直に伝えればいいと思いますよ」
「援交なんかしないで僕と寝ようって?」
「率直ですね」
彼女はそう言ったあと、続けて「まあ、それもいいと思いますよ」と言った。
「いいんだ」
「そうすることで会話も繋がりますしね」
どんな会話なんだろうか。
「未練が残ったままだと、後から後悔しますよ」
「会うとしても連絡手段が無くてな」
「相手の通っている大学は?」
「そもそも通ってるかもわからない」
「通っていた高校」
「わからない」
彼女は僕の返答に呆れたのか、溜息をついて言った。
「じゃあ、中学時代の同級生に、その方の連絡先を聞くしかないですね。誰か持ってるんですか?同級生の連絡先」
持っていただろうか。
そもそも、卒業式は誰よりも早く帰ったくらいだからな。
「あー、いや、持ってたかも」
そういえば、大して仲がいい訳でもないクラスの男子と場の流れで連絡先を交換した覚えがある。
「それだと話は早いですね。さっそく電話かけちゃいましょう」
「変だと思われない?」
「思われたとして、まず電話に出ないでしょう。掛けるだけ掛けてみればどうですか」
確かに、相手が電話に出るか出ないかは分からないのだ。
電話に出なかったとしても、それで話は終わり。
何も怖がることはない。
そう決意し、彼に電話をかけた。
1コール目。
出ない。
2コール目。
出ない。
3コール目。
⋯出ない。
これ、本当に出ないんじゃないか?
そう思っていると、4コール目が終わりかける頃、彼は電話に出た。
「だれ?」
「⋯あ、杉野冬季なんだけど。中学の時の」
「あー」
覚えてくれていたのだろうか。
「で、なんの用?なんかあったの?」
「実は人探しててさ。同じクラスだった佐藤理央。連絡先持ってたりする?」
「連絡先は持ってないけど。あー、でも」
彼の話を聞くと、僕の初恋相手、佐藤理央の情報を手に入れることができた。
どうやら彼女は、駅前に出来たカフェで働いているとのこと。
噂によると、僕が想像していたような”あの頃の佐藤理央”はもう居ないらしい。
中学の頃とは打って変わって、綺麗だった茶髪は金髪に染まり、健康的な肉体は細身へと変わって――。
「ていうか、あいつの情報知ってどうすんの?」
「まあ。会う約束をしてるんだよ」
「⋯へえ。そんなにお前ら仲良かったっけ?」
仲が良かったか、と聞かれてしまえば、はっきりとこれといった回答は出来ない。
実際、全く喋らなかった訳でもないし。
彼女からしても、‘’同じ部活の人”というより‘’同じ部活の杉野冬季”という認識であったはずだ。
だとしても、一緒に遊びに行った事があった訳でも無いし。
「⋯そうか。お前もあいつと」
「あいつと?何を」
「いや、聞いて悪かったよ。久しぶりに話せて良かったわ。じゃ」
「ん?ああ」
そして電話が切れた。
「どうでした?」
「うん。まあ、その子の居場所はわかったよ」
「そう。では、わかったなら早速行きましょうか」
「行きましょうかって。居なかったらどうするんだ」
「行ってみなきゃわかんないですよ。さ、行きますよー」
そうして僕達は、佐藤理央が居るであろうカフェへと向かった。
*
結論から言おう。
佐藤理央は僕達が行った場所に、確かに居た。
⋯佐藤理央は、居た。
「にしてもさ、久しぶりだよねー。中学校以来?」
「うん」
「杉野君、昔とぜんぜん変わんないね。雰囲気も。私と見てるものは同じはずなのに、別のものが見えてるって思わされちゃう感覚、なつかしいな」
「⋯⋯そっちは、随分と変わったんだね」
テーブルの下に伸びる、白くてやけに細い脚を見た。
「そうかな?自分じゃぜんぜんわかんないや」
そうだよ。
昔と全てが一変しているじゃないか。
見た目も、性格も。
昔と変わってないところといえば、色気ぐらいだ。
「⋯その黒いワンピース、高そうじゃん」
僕は彼女の体にフィットしたワンピースを見ながら言う。
「ああ、これ?お気に入りなんだ」
お気に入り、か。
「男に貢いで貰った金で買った服をお気に入り?すごいね」
「⋯男に貢いで貰った金って⋯ちょ、ちょっと杉野君、何を言ってるの?」
「なあ佐藤。男がその服をお前にプレゼントしたのは、着させる為でもあれば脱がせる為でもあるんだぜ」
「ぬ、脱がせるってさ。何よ、そんなこと」
「してない?まだ言うつもりなの?悪いけどこっちは全部知ってるんだよ。お前が、援交してんの」
瞬間、彼女は険しい顔をして勢いよく立ち上がった。
「援交なんてしてないってば!」
周囲のざわめきはピタッと止まり、多くの視線がこちらに集まる。
彼女は無言で倒れるように席に座り直した。
「⋯⋯ねえ」
自分から始めたことでありながら、僕はその場の状況になんだか気まずくなって斜め下を見据えていた。
視線を前に向き直す。
彼女は下を向いていて、その顔は長い前髪で隠れており表情が読み取れない。
そして、その肩は確かに震えていた。
僕は絶句した。
「⋯⋯こんな事をするために、ここへ来たの」
またしても彼女から目線を逸らしてしまった。
「⋯こ、こんな事って――」
「こんなことをするためにここへ来たのかって聞いてるの!!」
僕は思わず顔を上げた。
その次に彼女の顔が視界に写った途端、瞳に溜まる大粒の涙が視界に飛び込んでくる。
何故泣いているのだろう。
誰が泣かせたのだろうか。
「⋯⋯もう、私、かえるね」
「ちょ、待っ――」
手を伸ばそうとした。
引き止めようと思った。
だけど、手に届かなかった。
いや、届かなかったのじゃない。
自分から、止めたんだ。
「――ありがとうございましたー」
店から出ると、出入口のすぐ傍に遠江華が居た。
ずっと待っていてくれたのだろう。
「⋯⋯どうだったんですか?」
僕は無言で彼女の横を通り過ぎた。
ただひたすらに、宛もなく歩いた。
後ろから着いてきていた彼女に声を掛けられる。
「あの女性が走っていった方向は、こっちとは真逆ですけど」
『どうだったんですか?』とか聞いときながら、状況は大体察しているのだろう。
「いいんだよ。もう」
*
気が付けば家に着いていた。
床に腰を下ろし、一気に大量の酒缶を机に平らげればそれを一滴残らず飲み干す。
そんな僕を見て、何も言わずに放っておいてくれる遠江華に今だけ感謝したい。
相当な量をのんで満足した僕は寝る前の支度を済ませ、布団に倒れる。
ふと、夕べの記憶が蘇ってきた。
『⋯⋯こんな事をするために、ここへ来たの』
『⋯こ、こんな事って――』
『こんなことをするためにここへ来たのかって聞いてるの!!』
『⋯⋯もう、私、かえるね』
『ちょ、待っ――』
あの時、手が届かなかったのは怖かったからじゃない。
あれは、“壁”だ。
そう、見えない壁。
手に届かない、越えられない壁。
目の前の崖に飛び移ってしまえば下は奈落で、登りつめた先には底の見えない闇が待っている。
光なんてものは最初から無かった。
彼女からしたら僕の存在なんて、所詮、中学時代の同級生に過ぎない。
僕は足を踏み入れすぎたんだ。
⋯⋯もう、忘れよう。
佐藤理央のことはもう忘れて、中学生の頃の自分に縋るのは辞めよう。
それで。
ゆっくり、ゆっくり。
最期を迎えるんだ。
執筆の狙い
中一が書いたんですけど書けてる方ですか?小学三年生の頃から暇潰しで文章を書いてました。少しでも面白いって言って貰えたら続きを書こうと思います。感想やアドバイス、これからどう展開を広げていけば映えるなどコメントをくれたら嬉しいです。
文章が読みにくかったり誤字脱字、読んでいて痛々しかったりしたらごめんなさい。
あと長いので暇な時に是非。