作家でごはん!鍛練場
山田

地球の裏

 本作はボカロP「いよわ」様の「地球の裏」の解釈小説です。
 <本家様>
 https://www.youtube.com/watch?v=ruBxsq03FZo
 <歌詞>
 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/50578.html

 <楽曲について>
 いよわ様の「地球の裏」は、聴く者をじわじわと深淵へ引きずり込むような、不思議な引力を持った楽曲です。
 楽曲全体を包み込んでいるのは、まるで心拍数が狂わされたかのような、不穏で予測不能な速度の変化。そして、MVに佇むハイライトのない瞳を持った「猫耳メイドのキャラクター」が放つ、静かで決定的な人外感です。無害で愛らしい姿の裏に隠された底知れぬ異質さは、私たちの考察心を否応なしにくすぐり、「彼(女)は何者なのか」「どんな背景が隠されているのか」と、自分だけのストーリーを勝手に紡ぎ出したくなる想像力を掻き立てます。
 本楽曲の魅力を引き立てているのが、音声合成ソフト「裏命(RIME)」によるボーカルです。バーチャルシンガーの声を元にした、影のある気怠げなハスキーボイスが特徴で、その冷たく甘い響きが、楽曲の仄暗い世界観や悪魔的なテーマによく馴染んでいます。
 なお、数あるカバー作品の中でも、個人的には深水さや様による歌唱がお気に入りです。

――――――――――――――――――

 鉄の檻でできた古めかしい昇降機が、けたたましい摩擦音を立てながら、空間の裂け目のような暗い縦穴を『上昇』していく。重力の向きがぐにゃりと反転する感覚。地球の裏側、すなわち物質界の影の世界から、君たちが生きるオモテへ。狩りの時間だ。
 私の掌には、真鍮でできた年代物の計測機器が収まっている。その盤面には人間の魂の腐敗度を測るための乱れのない針が備わっており、静かな規則性を伴って針を進めながら、今宵も地上に蠢く『醜い人』の居場所を寸分の狂いもなく捉えていた。
 漆黒のメイド服に付着した埃を繊細な手つきで払いながら、私は小さくため息をつく。頭の白いフリルと、それに不釣り合いな黒い獣の耳が、昇降機の振動に合わせて揺れた。
「最近の地球のオモテは『温暖化』とやらで……まったく暑いですにゃあ」
 独り言は、昇降機が巻き上げる風圧にかき消された。日焼けは毛並みに響く。
 ――ああ、驚かせてしまったかな。君たちは私のことなど知らないだろうね。
 申し遅れました。私は獣。名前はリメイ。地球の裏に棲まう親方――君たちの言葉で言えばメフィストフェレスとでも呼ぶべき存在――の命を受け、地上に這い出て病める人間たちの魂を集めてまわる回収業者です。自己の紹介です。
 私がこの世に産み落されたのは、君たちの時間軸で言えば十四世紀。ペストという愉快なお祭り騒ぎで、街路に死体がうずたかく積まれていた頃だ。地獄のような現実の中で、人間たちは絶望し、狂ったように享楽と嘘を求めた。私たち悪魔のビジネスモデルは、あの頃から何も変わっていない。
 君たち人間という生き物が見返りなしに魂を手放さないことは、とうの昔に心得ている。だから私たちは、幻影という名の「嘘」を貸し与え、対価として魂を専用のケースに詰めて持ち帰るのだ。
 幻影の味付けは相手の願望によって調整する。かつての人間どもは権力や栄誉、尽きせぬ財宝を欲したものだが……最近のトレンドはもっぱら「幸福感」だ。複雑になりすぎた社会にすり減った現代人は、ただ脳髄を甘く麻痺させるだけの、安易で絶対的な安らぎを求めてやまない。
 都合のいい見た目をして、都合のいいことを喋る。それが今の私のこの姿――君たちが好む、黒髪の「猫のメイド」というわけだ。無害で、愛らしく、従順な奉仕者。もちろん、白く細い指の先、スカートの下に隠し持った残忍な爪は隠しきれない。だが、追い詰められた人間たちは皆一様に、見たいものしか見ない。
 ――けだものを求めた獣は、やがて自らが獣の胃袋に収まることなど想像もしないのだ。君たちだって、きっとそうだろう?
 ガコン、と重々しい音を立てて昇降機が停まった。鉄格子を引き開け、私は地上の淀んだ空気を肺いっぱいに吸い込む。
 ――さあさあ、お仕事の時間です。

 ***

 君たちが築き上げた無機質な大都市の夜景を見下ろす、大学病院の最上階。VIP専用の特別個室には、死を待つだけの規則的な電子音が鳴り響いていた。
 私は音もなく大理石の床に降り立ち、部屋の中央に置かれたベッドを見下ろした。空調の完璧に効いた室内は、死に向かいつつある肉体特有の甘ったるい腐敗臭と、無機質なアルコール消毒の匂いが混ざり合っている。
 ほら、部屋の隅を見てごらん。取引先から贈られたらしい最高級の色鮮やかなフルーツの篭盛りが、所狭しと並べられているだろう?
 だが、幾重もの管に繋がれたこの男にはもう、その瑞々しい果肉を味わうことなどできはしない。君たち人間は、死の淵にまでこんな滑稽な虚栄心の残骸を積み上げるのだから……本当に面白くて、救いようのない生き物だね。
 ベッドに横たわる男はまだ五十手前だった。冷酷な手腕でライバルを次々と蹴落とし、この都市の摩天楼のいくつかを自らの手で築き上げた不動産ディベロッパー。君たち人間の基準で言えば、大層な『成功者』というやつなのだろうね。
 で、その大層な成功の果てに彼が手に入れたのは、一体どんな立派な宝物だったのかな?
 私は冷ややかな微笑を浮かべながら、彼の無様な姿を観察した。他者の心臓を切り売りさせて富を築き上げた男は、いつしか自分自身の感覚すらもすり減らし、最高級の料理を口にしても、味のしない肉をただただ噛んでいるような、ひどく傲慢で空虚な晩年を過ごしていたのだ。
 ほら、実に滑稽でしょう? 男は息苦しそうにパジャマの首元を掻き毟っている。その姿はまるで、見えない首輪に繋がれた哀れな犬のようだ。その首輪の内側、すなわち気道から肺の奥深くにかけては、取り返しのつかない腫瘍という棘が刺さっている。動くたびに、呼吸をするたびに、棘が深く食いこみ、肺腑を抉っていく。
 この男のとりわけ愉快なところは、己の体が腐っていく悪臭に気づきながらも、恐怖のあまり医師を恫喝して『告知』を一切禁じていることだ。自分が何の病気で、あとどれだけ生きられるのか。そのたった一言を聞くことから必死に逃げ回っているのだから……まったく、笑いがこみ上げてくる。見ないふりをしていれば、死が通り過ぎてくれるとでも思っているのか?
 自ら張った薄氷の上で震える様は、本当に救いようのないほど愚かで、見苦しい。
「……誰だ」
 酸素マスク越しに、男が嗄れた声を絞り出した。視界の隅に立つ、黒いメイド服の私に気づいたのだ。
 私はベッドの脇に進み出ると、うやうやしくスカートの裾をつまみ、完璧な角度で一礼した。
 私は、この『自己紹介』という儀式に一定の美学とこだわりを持っている。人間と対峙する最初の数秒間、その絶望の淵に立つ者に、私が何者であるかを丁寧に、慇懃に、そして絶望的に叩き込むことこそが、この仕事の至福の瞬間なのだ。
「申し遅れました。私は獣。名前はリメイと申します。地球の裏に棲まう親方の命を受け、あなた方の魂を回収しに参りました。自己の紹介です」
「ふざけるな……。誰の許可を得て入った。ナースコールを押すぞ……」
 男は震える指でベッドサイドのボタンを連打したが、無駄なことだ。私が足を踏み入れた瞬間に這い出た黒い靄が、壁の配線を内側から瞬く間に赤錆へと腐らせ、無機質な機械たちはすっかり息の根を止められているのだから。
 私がニコリと微笑んだ次の瞬間。私はすでに、男の喉元へ冷たい黒鋼の鉤爪を突き立てていた。
「ヒュッ……」
 喉の奥で擦れた音を漏らし、男の目に明確な死の恐怖と混乱が走る。
「……き、貴様、誰の差し金だ。競合の連中か? 金か? いくら欲しい。金庫には宝石も、裏金も、腐るほどある! 私が一声かければ、お前のような暗殺者など……!」
 命を刈り取られる寸前だというのに、まだ金と権力でこの場を支配できると信じて疑わない。私は怯えきったその目を見て、営業用の笑顔を顔に貼り付けたまま、スッと爪を引いた。
「誤解しないでくださいにゃあ。命を奪いに来たわけじゃありません。それに、私が手をかけずとも……あなたの命の砂時計は、もう最後の一粒しか残っていませんにゃ」
 私は白く細い指先で、男の胸元にそっと触れた。
「現実から目を背けても、棘は抜けない。ドクトルの言うことは聞かなくちゃダメにゃあ。あなたの肺は、もう真っ黒な癌細胞で埋め尽くされています。持ってあと三日だそうで。最後は、自分の肺から滲み出した水で溺れるようにして死ぬんです。やめることも、逃げることも出来ぬままで」
 告知の拒絶という薄氷を私が容赦なく踏み抜いたことで、彼の精神はついに崩壊した。男は酸素マスクの奥で、陸に上がった魚のように口をパクパクとさせ、恐怖に駆られてシーツを掻き毟った。
「でも、安心してくださいにゃ」
 私は一枚の銀色の硬貨を取り出し、見せつけた。
「私が、無償のコインを貸してあげる。死の恐怖も、息を吸うたびに抉られる苦痛も、すべて取り除いて差し上げます。代わりに、絶対的な『幸福感』で満たして差し上げましょう。……お好きな幻影を選べますにゃあ」
 男は死の恐怖に顔を引き攣らせ、荒い息を吐きながらも、私の手にあるコインをねめつけた。
 眼前の常軌を逸した存在を前にして、彼の理知はとうに悲鳴を上げている。だが、死の苦痛から逃れられるという甘い餌を前に、男の染み付いた商人気質が無意識に頭をもたげたらしい。
「金じゃないなら、何が目的だ。女か? 会社の株か?」
「私たちはそんなに強欲じゃないにゃ」
「……悪魔の要求なんて一つしかないはずだ。寿命か?」
「惜しい。寿命なんて、あなたはもうほとんど残っていないでしょう? 君たちの言う『魂』ですよ。命の尊厳。それを頂くだけ。お互いのため、ウィンウィンというやつですにゃあ」
 男の口角が、微かに吊り上がった。
 傑作だ。この期に及んで、自分だけは悪魔の意表を突き、手玉に取れると思い込んでいるのだから。
「いいだろう。だが、私を安く見積もるなよ。私に提示する幻影は、私がこの世のすべてを支配する世界だ。私が熱望してやまないあの土地の開発権も、私をコケにした連中も、すべて私に跪く世界。永遠に続く絶対的な君臨だ。それが約束できるなら、この魂、喜んでくれてやる」
 私は深い同情を装いながら哄笑した。彼がめくったカードの柄は、もはや彼自身には読めない。勝負は、テーブルに着く前から決まっているというのに。
「ええ、もちろん。毎度あり、ですにゃあ」
 私は男の胸元にコインを置き、酸素マスクのチューブにそっと顔を寄せた。そして、静かに息を吹き込む。
「幻影の毒だ。飲み込んで」
 私の唇からチューブを伝い、触媒となったコインの力とともに、黒く淀んだ靄のような冷気が気道へと流れ込んだ。
 それは圧倒的な「嘘」の質量。その淀みこそが、男が望んだ傲慢な支配欲と、現実への醜い執着が凝縮された『質量をもつ幸福の鎖』なのだ。
 毒を吸い込んだ瞬間、男の濁った瞳孔がゆっくりと極限まで見開かれていく。癌細胞に食い荒らされた肺の奥底まで、甘く冷たい麻酔のような嘘がびっしりとこびりつき、現実の苦痛を塗り潰していく。
「……ああ、そうだ。あの土地は私のものだ。……誰も、私から奪えやしない……」
 幻影の中で絶対的な権力を振るう喜びに、男はよだれを垂らしながら笑った。彼を縛り付けていた首輪の棘は、もはや絶対的な幸福の鎖へとすり替わり、彼の精神をズブズブと地球の裏へと引きずり込んでいく。
 男は空を切るように手を伸ばし、掠れた声で懇願した。
「この時間を……終わらせないでくれ……」
 私は、恍惚の表情を浮かべる男の耳元へと顔を寄せ、優しく囁いた。
「ええ、終わらせませんよ。心停止のアラームが鳴り響くまではね」
 私の掌の上で、真鍮の計測機器がガチン、と重い金属音を立てて針の動きを止めた。魂の剥離が完了した合図だ。それとほぼ同時に、病室の片隅にある無機質なセントラルモニターが、平坦な警告音を鳴らし始めた。
「にゃるほど、結局、おなじみの選択にゃあ」
 私は冷ややかに見下ろした。それでも、男の脳裏にはまだ幻影が焼き付いている。死してなお死ねない、哀れな生命体ですにゃあ。
 やがて、男の開いた口から、青白い光を帯びた塊がふわりと浮かび上がった。ある愚かな科学者によれば、人間の魂の重さは二十一グラムなのだという。これほど欲深い男の執着ならもう少し重そうに見えるが、大して変わりはないようだ。
 私はそれを専用のガラスケースに無造作に放り込むと、パチンと留め金をかけた。
「これほど汚れた愛や意志に囚われるのは、本当の地獄を知らない無知な人間だけですにゃあ」
 私はメイド服のスカートを翻す。ナースステーションから駆けつけた看護師たちがけたたましくドアを開け放つ、そのコンマ一秒前。私はすでに病室の闇の中へと溶けていた。

 ***

 さて、次のお仕事だ。君たち人間がいかに面倒で、ひどく滑稽な生き物か……その標本をお見せしよう。
 雨が窓ガラスを打ち付ける単調な音が、薄暗いリビングに響いている。
 私は部屋の隅の暗がりから、質の良いソファに深く沈み込んでいる一人の女を観察していた。ローテーブルの上には、君たちがよくすがりつく抗うつ薬や睡眠導入剤の空のシートが散乱している。
 私の掌にある計測機器が、カチ、カチと不愉快な音を立てながら、彼女の魂にこびりついた喪失の履歴を酷い悪臭として精緻に読み取っていく。
 ――ああ、なるほど。三ヶ月前。確か、今日みたいにひどく雨の降る夜だったかにゃあ?
 塾帰りの十五歳の娘を乗せて帰路についていた彼女の夫の乗用車は、ノーブレーキで突っ込んできた居眠り運転の大型トラックに横腹をぶち抜かれたのだ。哀れなことに、数十トンもの鉄の塊に吹き飛ばされた車体は、まるで空き缶のように無残にひしゃげ、中にいた二人は原型も留めないほどぺしゃんこに潰されてしまったというわけだ。
 女は毎日、強い薬で意識を白濁させ、現実から逃げ回っていた。舌の根にこびりつくような薬の苦味と、鉛のように重い手足。喉の渇きを覚えることすら億劫なまま、ただ息をしては浅い眠りに落ちるだけの、なんとも惨めで怠惰な時間を過ごしている。
 彼女の薬指には、プラチナの結婚指輪が光っていた。
「薬指にはめたそのゴミは何の証だというのかな」
 私は心の中で冷笑した。かつては永遠を誓った証だったのだろうが、今となってはただの冷たい金属のゴミだ。
「ずっと泣いて、ずっと泣いて、ずっと泣いてきたんでしょう?」
 私は指先一つで、部屋の空気を凍てつかせた。
 女が焦点の定まらない目をゆっくりと上げると、私は漆黒のメイド服を着た少女の姿で立っていた。黒髪のその姿は、亡くなった十五歳の娘の面影を色濃く残している。私は、女が心の底で最も狂おしく求めている存在を抽出し、この都合のいい見た目にブレンドしていた。
「……誰? どうして、うちに……」
 女は薬の影響で呂律が回らないまま、かすれた声をこぼした。
「あなたを援助しに来た使いの者です」
 私は静かに、うやうやしく一礼した。深い喪失の底に沈んだ人間に対しては、正体を伏せ、静謐な同情を装うことが最も効果的である。
「あなたの心の穴を埋めるために参りました。不出来な薬化学の錠剤では、その痛みを麻痺させることしかできません。そんな生き方は、まるで真っ白なピースだけで組み上げたミルクパズルのようだ。永く曖昧で、完成させても何の絵柄も浮かび上がらない、虚無の引き延ばしです」
 私は音もなく歩み寄り、彼女の冷え切った膝に、そっと手を置く。
「でも、私の用意した幻想なら、あなたを救うことができます。……旦那様とお嬢様にお会いしたいのでしょう? あの日、トラックが来なかった世界。完璧で幸せな気分はいかがでしょうか?」
 女の肩が、びくりと跳ねた。
 濁っていた瞳の奥で、せき止められていた感情のダムがひび割れる音がした。
 理屈も、道徳も、悲しみの前では無力だ。ただ「もう一度会える」という一言だけで、君たち人間は自ら進んで地獄の釜へと飛び込んでくる。
「ほんの少し、試供品をお見せしましょう」
 私が取り出したコインを指先で弾き、幻影のスイッチを入れると、冷え切っていたリビングの空気が一変した。
 窓を打つ雨音が遠のき、代わりにキッチンから、ハンバーグが香ばしく焼ける匂いと、温かなシチューの湯気が漂い始めた。
『お母さん! お父さんが迎えに来てくれたよ!』
 廊下から、あの日のままの娘の声が響いた。続いて、スーツ姿の夫が笑いながらリビングのドアを開ける気配がする。
 女は顔を上げ、信じられないものを見るように目を見開いた。彼女の喉の奥から、声にならない嗚咽が漏れ出す。
「嘘ではありません。あなたが望むなら、これがこれからの『現実』になるのです」
 私は微笑みかけ、静かに手を差し出した。
「君たちの言う『魂』、その命の尊厳を手放すだけで、この温かい現実を永遠にして差し上げましょう。さあ、一緒に落ちて行きましょう」
 幻影の夫が上着を掛け、幻影の娘が「お腹すいた!」と笑う。女は涙を流しながらふらふらと立ち上がり、食卓についた。温かいシチューを口に運び、そして愛しい娘を力強く抱きしめる。
 簡単な生き物だ。私は勝利を確信し、愚かな人間心理を冷ややかに見下ろした。完璧な幸福。彼女の心は、あと一歩で完全に幻影の底へと沈み切るはずだった。
 だが、次の瞬間だった。
 女の表情が、ピシリと凍りついた。彼女は腕の中の「娘」を突き放すようにして、激しく後ずさった。
「……違う。あの子は、こんな風に素直に笑わないわ。いつも少し不機嫌で、私に反抗してばかりだった……こんなの、あの子じゃない!」
 女が強く幻影を拒絶した瞬間、空間が歪んだ。
 私が計算した『完璧な幸福』のアルゴリズムが、彼女の記憶の中にある『不完全でいびつな愛』のノイズに弾かれたのだ。
 私は苛立ちを隠すことなく顔をしかめ、すぐさま幻影の出力を上げて修正を試みた。
 だが、遅かった。——狩りは失敗か。時々あることだ。草食動物ほど逃げ足が速いものだ。
 私を包んでいた『都合のいい見た目』の輪郭がブレ、漆黒のメイド服の袖口から、太く頑丈な節を持ち、ノコギリのように鋭利な歯が並んだ黒鋼のような異形の鉤爪が完全に露わになった。
 女の息が止まった。
「あなた、人間じゃないわね……」
 彼女は震える声で呟いた。
「昔、あの子に読み聞かせた古いおとぎ話の……魂を喰らう、あの獣と同じだわ」
 拒絶の力は、向精神薬で衰弱しきった人間のものとは思えないほど強かった。
 キッチンから漂っていたシチューの匂いも、笑い声も、電源を引き抜かれたかのように消え去った。幻影が砕け散り、部屋は再び、雨音と薬のシートが散乱する、薄暗く冷たい現実へと引き戻された。
 計算が狂ったことへの苛立ちよりも、目の前の生き物の生態に対する純粋な『理解の及ばなさ』に私は眉をひそめた。
「……せっかく、あなたのことをお可哀そうだと見かねて、迎えに来て差し上げたというのに。遅れましたが、自己の紹介ですにゃあ」
 私は冷酷な獣の素顔をさらし、嘲笑を含んだ声を響かせた。
「ここはダメだ、こんな辛い現実にはもう居られないと……ご自身でも痛いほど分かっているはずなのに。それでもまだ、自分には気高い魂があるのだと、そう言い張るのですね」
「こんなの……ただのまやかしじゃない」
 女は身を震わせながら呟いた。その声には、不愉快なほど確かな意志の光が宿っていた。
「あの人たちがいないのに、嘘で塗り固めただけの幸せなんて……気持ち悪いだけよ」
 私は心底呆れてしまった。
「それは何か、ひどく『道徳的』な価値のことかな? 君たち人間が、この不条理な世界を正気で生き延びるために発明した、ひどく退屈なルールだ。一文の得にもならない。私が与える『質量をもつ幸福』の方が、よほど手触りが良くて温かいというのに」
「違う……だから、この悲しみだけは、奪わないで――。胸が張り裂けそうなこの痛みだけが、あの人たちが確かに私と生きていた証なの。それを消したら、あの子との思い出まで全部嘘になっちゃうじゃない……」
 女はソファのクッションを抱きしめ、私を真っ直ぐに睨み返した。その瞳からは大粒の涙がとめどなく溢れていたが、幻影への逃避を明確に拒絶する強い涙だった。
 あんな冷たい金属のゴミ切れに、まだ価値があると言い張るのだから。本当に、腹立たしいほど理解しがたい。
「せっかくの甘い餌を吐き出してまで逃げ込んだ先は、底のない暗い孤独ですにゃあ。まったく、世話の焼ける動物だ」
 私は肩をすくめ、冷酷に言い放った。
「いいでしょう。ならばあなたはこれからも、この孤独な部屋で、狂うことも死ぬことも許されず……ずっと泣いて、ずっと泣いて、ずっとずっと泣いて生きていくといい」
「ええ……生きていくわ。あの人たちの骨と一緒に、この痛みを抱えて」
 女の決意を前に、私はそれ以上の交渉を打ち切った。これ以上は時間の無駄だ。幻影という名の偽りの餌に食いつかない魚から、魂を抜き取ることはできない。
「土に還るその日まで、せいぜいその無駄な痛みを抱えて生き続けるといい。……そういう、愚かな選択だ」
 私は踵を返した。背後で、女が静かに、しかし確かな呼吸を繰り返しているのがわかる。
 幻影が完全に剥がれ落ちた部屋を一瞥すると、私は闇に溶け込むようにして姿を消した。残されたのは、嘘よりも重い、ひどく無駄で厄介な人間の悲しみの質量だけであった。

 ***

 鉄の檻の昇降機が、再びけたたましい摩擦音を立てながら、深い深い縦穴を『下降』していく。
 オモテから、地球の裏へ。帰りの時間だ。
 私は、回収ケースの中で青白く光る「哀れな男」の魂を指先で弾きながら、小さく鼻を鳴らした。
 まったく、君たち人間というのは単純なようで、ひどく複雑だ。
「幸福」でない幸福。悲しい幸福。痛みを伴う愛。そんな不合理なもののために、永遠の安らぎをドブに捨てるのだから。
 私は、真鍮の計測機器をポケットにしまい込み、暗闇の底で口角を吊り上げた。
 親方には、もっと上手な疑似餌の作り方を指南してもらわないといけない。
 昇降機は、静かな虚無へと私を運んでいく。
 ――ねえ、もし私の差し出すコインが足元に転がってきたら。その時、君たちはどうするつもりかな?
 次なる『醜い人』の魂を求めて、悪魔の仕事は終わらない。

地球の裏

執筆の狙い

作者 山田
180-199-12-224.area58a.commufa.jp

趣味の執筆です。
またしてもボカロP「いよわ」さん作品の二次創作で、
人外目線の作品としては第2弾です。
ジャンルとしては、詳しくないですがダークファンタジーになるのかと思います。

歌詞とMV映像の解釈ですが、
メジャーな考察からは少し離れてしまっているかもしれません。

AI(Google gemini)補助使用です(創作時間:4時間程度)。

・<楽曲について>が要らない
・登場人物がステレオタイプになっている
・分かりやすい道具立てになっている
・よくあるテーマ(仮想現実に対する忌避)の亜流だ
・SDT(語るな、見せろ)
・歌詞の挿入が強引になっている
・歌詞の挿入が足りない

など、かなり課題もあるのではないかと思いますので、何でもコメントください。

猫や悪魔に詳しくないので、それらに造詣が深い方からのコメントも歓迎です笑

コメント

飼い猫ちゃりりん
sp49-98-9-44.msb.spmode.ne.jp

山田様。返信はいりません。途中までしか、それも最初のほうだけしか読んでないからです。
やはりこの「解釈小説」とのジャンルは、解釈の対象作品を楽しめる人しか感想を書けないのではないですか。

解釈小説とはそういうもんでは?
例えば、ベートーヴェンの第九が好きな人はたくさんいます。
好きなもん同士では会話がめっちゃ盛り上がるんです。お互い何回も聴いていて、素人なりに見解を持っている。
「あそこすげーよな」
「え、そんな解釈ありか?」
「やっぱフルトベングラーだろ」
と会話が尽きません。

でも、片方がクラッシックに興味なくて、第九を聴いても五分で寝ちゃう人だったら。まったく会話が成立しないと思いますよ。

山田
KD106132157061.au-net.ne.jp

飼い猫様

コメントありがとうございます。
どうも、とてもそんな感じがしてますよ…。

とはいえ今回も、解釈小説とは書きながら、
一応のところ未視聴でも読める内容になってることは狙ってるんですが、
そうなると、キャプションが完全に邪魔ですね笑

二次創作であることは先に書かねば、という使命感と、楽曲についても布教したいという我欲が先行してしまいました。

「執筆の狙い」の方に密やかに書いておくべきだった気がします。

淋しくしてましたところ、コメントどうもでした。もしすごく時間がありましたら、
「解釈小説です」は抜きで読んでみてください。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

解説と曲を聞く前の感想です。

えーと、雰囲気ありますね。
猫耳メイドの悪魔というのは「キワモノ」になりそうな設定ですが、なんか悪魔みたいな感じで良かったですね。
硬質でどろっとしている空気がありました。

>私はすでに、男の喉元へ冷たい黒鋼の鉤爪を突き立てていた。

メイドという柔らかい印象のキャラに、こういう歪で怖いシンボルをつけるところなど、巧いと思います。


一方で執筆の狙いにある不安点の中で一番気になったのが。

「SDT(語るな、見せろ)」ですね。
特に冒頭、物語が動くまでに20行程度もの自己紹介、設定説明が続き、退屈と言えば退屈。
まず、冒頭は読者を没入させるのがキーだと思うので、そこが致命的にヤバい気がします。

また登場人物のセリフがキャラのセリフというよりも、作者のセリフに聞こえるところがあって、
そこは気を付けた方が良いと思います。

・登場人物がステレオタイプになっている

猫ミミメイド悪魔は、歌からの借用なのかわからないけど、ありそうと言えばありそう。


一番ステレオタイプだと思うのは、最初の患者ですね。

「……き、貴様、誰の差し金だ。競合の連中か? 金か? いくら欲しい。金庫には宝石も、裏金も、腐るほどある! 私が一声かければ、お前のような暗殺者など……!」

こういう如何にも時代劇の悪代官みたいな、セリフ?
相手側が完全な悪役というか、なんか作り過ぎちゃって人間味が薄いので、
それを殺すということに、なんかドキドキ感というか背徳感を感じません。

やはり一段高い作品を目指すなら、キャラにもっと厚味や複雑味を持たせた方が良いと思います。


猫悪魔で思い出したんですが、
いきなりカイトを殺しちゃうハンタのネフェルピトーみたいな圧倒的強者感や不気味さがあれば良いんでしょうね。
知らなかったらすいません。


・歌の歌詞を読んでみました。
独特の世界観があって良いですね。惹かれるのもわかります。

山田
KD106132158184.au-net.ne.jp

えんがわ様

お読みいただきありがとうございます。

〈SDTについて〉
何かこう略している私だけかも知れませんが、
やっぱりSDTを犯してましたね……。

設定の多いキャラクターなのに、一人称文体というのが、そもそもキツかったのかもしれないです。三人称ならまだSDTしやすいですので。

読者を煽る感じにしたくて、一人称にしたのですが、説明を自然に入れるのは中々難しいですね…。

〈悪代官について〉
挙げて下さった台詞はもう少し何とかならないものかと思いながら、そのままにしてしまっていた箇所ですね…。

女のほうも、何かテンプレの貞女みたいになってるけど、もう少し何とかならなかったかなと思ってます。エンタメ小説なら許容範囲内だろうと思い、手を抜いてしまってます。

全体的に失敗作で、歌詞の設定とテーマと勢いだけで作りましたので、色々お作法が整っていなかったのではないかと思います。

ネフェルピトーはよく存じており、ガワはかなり模倣と言われても仕方ないレベルですが、ハンタ自体は何か苦手なので、蟻編くらいまでを2周くらいしかできてないですね…

えんがわ様に布教もできて良かったです…笑
お読みいただきありがとうございました。

山田
180-199-12-224.area58a.commufa.jp

大変申し訳ございません。
作者は諸般の事情から、以降のコメントには返信しないことにしました。

規約違反(?)となり申し訳ないです。
(AI使ってる時点で今更ですが笑)

プロトタイプの投稿が最後の作品になるとは思ってませんでしたが、
これまでコメントくださった皆様、
どうもありがとうございました。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

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