作家でごはん!鍛練場
飼い猫ちゃりりん

知恵子

 今日も昼間からマドラーを回し、氷の音を響かせている。
 ここは町外れのカラオケ喫茶。窓の外に葦簀(よしず)が立てられ、風鈴や笹飾りが七夕風情を漂わせる。
 定年退職した私は、もう何年も仕事をしていない。これも健康管理とこじつけて、妻と一緒によくこの店に来る。ただ、歌える曲はひとつだけ。
「あなた、早く歌いなさいよ。もう曲は決まってるんでしょ」
「せかされちゃ歌う気になれないよ」
「なら先に歌うわよ」
 妻はいつも懐メロを歌う。歌詞とともに昭和の風景が浮かんでは消える。歌を聞きながら水割りを飲んでいると、遠い夏の日の景色が目に浮かぶ。

 私は子供のころ、鉄筋の四階建てが六十棟もある団地に住んでいた。昼間は布団を叩く音がこだまして、夕暮れには豆腐売りがラッパを響かせていた。
 七夕が近づくと物干しに風鈴をくくりつけ、短冊を結んだ笹をベランダに飾る。風に揺れる色鮮やかな短冊は夏の風物詩だった。
 住宅の多くは二つの四畳半と水回りだけの狭い間取りで、低所得者や片親の家庭は安い家賃で入居できた。
 団地の商店街に小さな電気屋があった。団地の人々は、店頭に置かれたカラーテレビで東京オリンピックを観戦した。
 開会式の日は快晴となり、国立競技場は大歓声に包まれていた。
 ファンファーレが鳴り響くと、聖火を持った青年が階段を駆け上がった。選手宣誓が終わり、国歌が流れると、店頭に集まった人たちは黙って画面を見つめ、感涙にむせび泣く人もいた。
 無数の鳩が青空を飛び、ブルーインパルスが五輪を描く。豊かな社会が来た。誰もがそう信じていたに違いない。
 
 当時『上を向いて歩こう』という歌が流行っていたが、その歌を好きになれなかった。上を向いてと聞くたび、前を向け、強くなれと言われているような気がした。なにせ私は、いつも下を向いて歩いていたのだから。

 私の両親は、一戸建てと家電製品があれば幸せになれると信じていた。
 母は化粧をせず、粗末な服ばかり着ていた。父はゴミ捨て場から材料を拾ってきて家具をこしらえた。私の勉強机は、足の折れた卓袱台(ちゃぶだい)を、父が修理したものだった。
 私はクラスメイトから貧乏人と呼ばれていたが、正しくはケチだ。「貧乏人じゃない。ケチだ」と言い返しても滑稽だから、いつも言われっぱなしだった。

 中学への入学と時を同じくして、知恵子が下の階に引っ越してきた。どこにでもいる普通の女子に見えた。でも、どこか人を恐れているようなところがあり、逆にそれが私を安心させた。
 彼女の家は悲しいほど貧しかった。父親の姿はなく、母親が重い病気を患っていた。
「たけし、遅刻するわよ」と母に怒られ、階段を駆け下りて顔を上げれば、二階の窓には知恵子の顔があった。
「知恵ちゃん。学校休むの?」
「うん」
「帰ったら呼びにいくから、また池で遊ぼうね」
「うん。わかった」
 彼女は、いじめられた日の翌日は学校を休んだ。つまり、休んでばかりいたわけだ。

 知恵子は雲間からのぞく太陽のように、二階の窓から笑顔を見せた。しかし母は、彼女と遊ぶことをよく思わなかった。
 知恵子の母はよく咳をしていた。夜中にそれが響いてくると、母はわざわざ布団から出て、私のそばに寄った。
「あの子と遊んじゃだめ。病気が移ったらどうするの」
「知恵ちゃんは病気じゃないよ」
「父親が原爆病で死んだって噂なのよ。母親も、きっとそうなんだから」

 私は知恵子の母を見たことがない。団地の商店街でも見かけないし、どうやって生活しているのか不思議でならなかった。
 ただ一度だけ、その影を見たことがある。私が回覧板を置きに行くと、知恵子がドアの隙間から顔を出し、「ちょっと待ってて」と言い、暗い住居の奥へ姿を消した。
 しばらくすると戻ってきて、「これ、お母さんから」と言い、駄菓子と一枚の便箋を差し出した。そのとき部屋の奥に人影が見えた。母が近づくなと言っていた人の影だ。見ちゃいけないと思い、便箋へ目をそらした。そこには「知恵子と遊んでくれてありがとう」と書かれていた。

 知恵子はクラスで「ただれ」と呼ばれていた。被爆した母親から生まれたから、彼女の肌もただれているという言いがかりだ。
 ある日、数人の男子が知恵子を取り囲み、ぼろ雑巾みたいな肌を見せてみろと迫った。
「ぼろ雑巾じゃないもん」と彼女が言い返せば、なら服を脱いでみろと彼らは言った。
 知恵子は机に突っ伏して泣き始めた。一人の生徒が、彼女の背中に「ただれ」とチョークで書くと、傍観していた生徒たちまで吹き出した。
 知恵子のそばに駆け寄り、割って入ると、彼らは私を罵った。
「どけ。貧乏人」
 何も言い返せず、涙が溢れた。私が胸ぐらを掴まれると、知恵子が「やめて」と叫んだ。
 すると、そこに担任が現れて生徒たちを叱り、知恵子に「無理に学校に来なくてもいいんだよ」と言った。

 翌日の朝、階段を駆け下りて顔を上げると、やはり二階の窓に彼女がいた。
「知恵ちゃん。休むの?」
「うん」
「帰ったら呼びにいくから、また池で遊ぼうね」
 手を振って行こうとしたら、彼女に呼び止められた。
「ねえ、たけし君」
「なに?」
 彼女は顔を赤くして私を見つめた。
「なんでもない」
 彼女は窓を閉めた。おぼこい私は、彼女の想いに気づかなかった。
 
 私も知恵子も部活には入っていなかった。入っても馬鹿にされるだけだし、用具を揃えるのも難しかった。
 放課後になると、部活へ行くクラスメイトを横目に、私たちはひっそりと裏門を出て、秘密の遊び場へ向かった。
 団地にはグラウンドや公園があったが、私たちがそこで遊ぶことはなかった。ふたりは人目を避けて遊んだのだ。
 団地の周りには、未開発の土地がたくさん残っていた。少し歩けば鬱蒼とした茂みがあり、その奥に大きな池があった。
 晴れの日の朝は水が透き通り、フナやカエルが光の中に浮かんで見えた。
 梅雨が明けたころ、ふたりで池の周囲を歩いていると、大きな青大将が知恵子の足元に現れた。
 彼女は悲鳴をあげて私に抱きついた。熱い体。激しい鼓動。思わず腕に力がこもった。
「知恵ちゃん。大丈夫だから」
 彼女は私の胸で震えた。その汗の香りを今も覚えている。
 青大将は池に入ろうとしていたが、私の心は叫んでいた。行かないでくれと。そこは生き物たちのオアシスであり、ふたりの楽園でもあった。

 夏休みになると、私たちは早朝から池で遊んだ。周囲を一周し、池の縁で休んでいると、並んで泳ぐ二匹のカエルが見えた。
「きっとカップルだね」と私が言うと、知恵子が急に泣き出した。
「知恵ちゃん、どうしたの」
「みんながプールに入っちゃだめって」
 中一の夏は水着を用意できなかった彼女が、今年は何とか水着を用意した。
 彼女にとって水泳の時間は、恥じらうことなく肌を見せられる唯一の機会だ。なのにクラスの連中ばかりか親までも、汚いからプールに入れるなと文句を言い、学校はそれを受け入れた。
 大きなプールができたから一緒に行こうと彼女を誘った。そこには噴水や滑り台があり、女子と行った男子もいると聞いていた。
 だが入場料が三百円もしたのだ。私にとってそれは大金であり、まして二人分を払えるわけがない。
 でも、貧しい知恵子に三百円を払わせたくない。だから母に小遣いの前借りを頼んだ。だが母は「気でも狂ったの」と怒鳴り散らした。

 悩んだ末、夏休みの登校日に、同級生の財布から金を抜くことにした。それを罪と思いたくないから、「知恵子がプールに入れないのは奴らのせいだ」と念仏のように唱えていた。
 当時は気の利いたロッカーなんてなくて、荷物は教室の後ろの棚に置きっぱなしだ。
 プールが終わって掃除の時間になると、みんな花壇の清掃に行き、私は途中で引き返した。ところが二人の男子が教室に残っていたのだ。
 箒を持って彼らが去るのを待っていると、その会話が聞こえた。駅前の専門店で、クワガタを高値で買い取ってくれるというのだ。
 胸を撫で下ろした。もう盗まなくていい。虫捕りには自信がある。
「知恵ちゃん。プールに行けるよ。クワガタを売ればいいんだ」と言うと、知恵子は一緒に捕りに行くと言い出し、森は危険だと言っても聞かなかった。

 翌日の明け方、公園の街灯の下で待ち合わせをした。クワガタは朝になると、木の隙間から出てくるからだ。
 まだ星が輝いていて、新聞配達の自転車は電灯をつけていた。
 藪蚊に刺されると言ってあったのに、知恵子は半袖のブラウスに半ズボンという格好で現れた。
「それじゃ蚊に刺されちゃうよ」
「これしかないの」

 目的地は森の奥にある神社の境内。樹液の流れるクヌギが生えているからだ。
 小学生のとき、そこでオオクワガタを捕まえた。それは黒いダイヤと呼ばれ、高値で取引されることもある。
 冷気に包まれた森はしんと静まり返り、ふたりの足音以外は何も聞こえない。
 辺りは真っ暗で、懐中電灯を置いてきたことを後悔したが、やがて月明かりだけで周囲が見えるようになった。
 途中に古い墓地があり、苔むした墓石に呪文のような文字が刻まれている。
「怖くない?」
「うん。大丈夫」
 野犬の遠吠えが響き渡ると、知恵子が私の手を握りしめた。
 鳴き声が次第に大きくなり、カサ、カサと足音が近づいてきた。彼女は私に抱きつき、私は静かにするように言う。
「知恵ちゃん、ゆっくりしゃがんで」
「わかった」
 左腕で彼女の肩を抱き、右手で石ころを握りしめた。
 怖くなかった。いや、怖がっている場合じゃなかった。彼女をいじめる連中に、何も言い返せなかった私は、いつか勇気を見せてやると決めていたのだ。
 野犬は去っていった。
「もう大丈夫だよ」
「うん。ありがとう」
 生まれて初めて、自分を誇らしく思えた瞬間だった。

 神社に着くころには空が白み始めていて、樹液に群がる虫が朝日に輝いていた。それらは全てカナブンだったが、よく観察すると、木の皮の下にクワガタらしき昆虫が見えた。
 喜び勇んで木の隙間へ手を差し込むと、指先に激痛が走った。思わず叫んで手を出すと、オオクワガタのあごが食い込んでいた。腕を振っても離れない。でも懸命に振り続けると、翅(はね)を広げて暗い森へ帰っていった。

 指先から血が流れ始めた。御影石でできた手水舎(ちょうずや)の水盤は、澄んだ水で満たされていた。
 知恵子は柄杓で水をすくって私の指先を洗うと、ハンカチを噛んで裂き、包帯代わりに巻いてくれた。
 蚊の羽音が耳元で鳴り、ふと気づくと、藪蚊が彼女の脚にとまっていた。
「知恵ちゃん、蚊が血を吸ってる」
「あっ、ほんとだ」
 私は蚊を叩こうとしたが、なぜか手が止まった。

 彼女を御影石に座らせて靴下を脱がし、ふくらはぎに水をかけると、彼女は「冷たい」と声を上げた。
「次は腕。ほら早く」
「どうしよう」
 彼女は目を閉じて腕を伸ばし、くすくすと笑いながら冷水に耐えた。
「まだ、かゆいとこある?」
 彼女は胸元を指差した。
「どこ?」
 彼女は一瞬私を見つめ、すぐに目を伏せた。そして一番上のボタンを外し、胸元の小さな腫れを指差した。
「知恵ちゃん。服が濡れちゃうよ」
 彼女が目を伏せたまま二つ目のボタンも外すと、赤い腫れが現れ、微かに不安を覚えた。
「誰かいるかもしれないから」
「誰もいないよ」
 その眼差しは真剣だった。彼女は立ち上がり、震える指で次のボタンに触れる。
「だめだってば」
 声を上げると、彼女は胸元を押さえ、小さく声を漏らした。
「あたし、ただれてないよ」
 その瞳から、涙がこぼれた。

 もう知恵子が窓から顔を出すことはなかった。
 だが父の転勤が急に決まり、夏休み中に引っ越すことを伝えなければならない。直接伝えたいから、ノートの切れ端に「話したいことがある。たけし」とだけ書き、彼女の家のドアに差し込んでおいた。
 それから毎日何度も二階の窓を見上げたが、顔を見ることはできなかった。

 当時、引っ越し専門の業者などなく、家具の搬送は運送屋に頼むのが普通だった。我が家は、その費用さえもけちった。家具を極力持たなかったのは、最初から転居を考えてのことだ。粗末な家具を捨て、生活必需品のみを手で運べば、簡単に引っ越せたのだ。
 転居する前日の夕方に、親は私を連れて挨拶回りに出掛けた。同じ棟の人たちに粗品を渡し、「お世話になりました」とお辞儀をする母に私は言った。
「知恵ちゃんの家には行かないの」
「しっ。黙ってなさい」と母は口に人差し指を当てた。

 翌日は明け方から激しく雨が降った。
 カッパを着て、大きな手提げ袋を持ち、静かに階段を降りた。
 建物を出たところで傘を差し、誰もいない二階の窓を見上げた。何度も立ち止まって振り返り、そのたびに前を向けと母に叱られた。
 ついに知恵子の顔を見ることはできず、建物の角を曲がり、長い坂道を下った。路面を打つ雨が弾け、低く霧がかかっていた。
 坂を下り終え、道路の端を一列に歩いていると、叩きつけるような雨音の中に、つっかけの音が響いた。
 振り向くと、知恵子が水しぶきの中に立っていた。
「知恵ちゃん」と叫ぶと、母が「ほっときなさい」と怒鳴った。
 豪雨が彼女を打ちつける。ブラウスが雨を吸い、彼女は雛鳥のように震えている。
 駆け寄って傘で覆うと、彼女は私の腕の中で泣いた。
「知恵ちゃん。おれ……」
 言葉が続かなかった。
「知ってる。遠くに引っ越すんでしょ」
「でも、いつか会いに来るから」
「うん。わかった」
 彼女に傘を渡した。私にできることは、それだけだった。

 再会はなかった。思い悩んだ夜は幾度もある。でも、会いに行くことはなかった。
 あれから半世紀が過ぎ、すべてが様変わりした。水割りを飲んでいると、悲しくも懐かしい記憶が蘇る。
「あなた。歌わないの。さっきから、ずっと飲んでるじゃない」
 曲は決まっているが、機械の操作がわからない。
「じゃあ、いつもの曲をお願い」
 私は上を向き、涙がこぼれないように歌う。思い出すのは、いつもあの雨の日のことだ。

知恵子

執筆の狙い

作者 飼い猫ちゃりりん
sp49-98-9-44.msb.spmode.ne.jp

昭和の団地を舞台に、貧しさと偏見の中で育った少年と少女のひと夏を描く物語。

定年退職後、妻と通うカラオケ喫茶で、一曲の歌を前に主人公の胸によみがえるのは、七夕飾りが揺れる団地の風景と、遠い記憶の中の少女・知恵子の姿だった。

周囲から向けられる冷たい視線や根拠のない噂に傷つく知恵子。そんな彼女と寄り添う少年は、誰にも知られない場所で、かけがえのない時間を重ねていく。

高度経済成長の光の裏側にあった貧困や差別、そして幼い心に芽生えた純粋な思いを通して、人が誰かを大切に思うことの意味を静かに問う。

※上記はAIによる紹介文。5700字の作品です。

コメント

山田
180-199-36-223.area58a.commufa.jp

どうもです。何か昨日約束してました(笑)ので感想を書きますね。

構成に破綻がなく、情景描写も丁寧で惹き込まれました。
私はこの手のしっとりした小説は苦手ですが(個人の感想です)、最後まで読ませる筆力が流石です。
特に良かった点を挙げます。

<光と影の対比>
五輪の熱狂と団地の貧困・差別の対比が効いていました。

<『上を向いて歩こう』の解釈>
「前を向けと強要されているようで好きになれない」という心情の捉え方と、現在のカラオケ喫茶に繋がる構成が見事です。

<五感に訴える描写>
少女の熱や汗の香り、森の冷気、別れの日の叩きつけるような雨音が映像のように鮮明でした。

一方で、少し気になった点は2つだけお伝えします。

<原爆症のモチーフについて>
ややメタ的な視点になりますが、いじめの理由付け等に「原爆症」というデリケートな背景を使うのは、少し「悲劇のための便利な道具立て」として消費している危うさを感じました。本作の筆力ならセンセーショナルな設定に頼らずとも二人の痛みは表現できたのではと惜しく思います。
分かりやすい道具立てを使うのは私の方がそうなので人のことは言えないのですが(笑)。
大手術になると思うので修正提案ではなく、あくまで「令和の民としての印象」と受け取ってください。

<クワガタの「黒いダイヤ」について>
AIが言うにはですが、東京五輪(1964年)の時代設定に対し、オオクワガタが「黒いダイヤ」として高値で売買されるようになったのは90年代後半以降とのこと。些末ながら、ここだけ時代考証がズレているようです。

ノスタルジーと痛みが胸に迫る、良い小説だと思いました。
私はこんな作品とても書けないです。
(だからこそ言いますが、これほど繊細な作品を書けるのに、他所のコメント欄での振る舞いは心底もったいないですよ。
 その気がないのかもしれませんが、もっと効果的にアドバイスすることもできるでしょうに)。

一応ですが、ご要望の忌憚のない感想です。もっとも、大したことが言えてなくて申し訳ないです。

執筆お疲れ様でした。

飼い猫ちゃりりん
118-106-73-63.area1a.commufa.jp

山田様。お読みいただき嬉しく思います。
あっ! 痛い! いたたた! 山田様のワンツーパンチ炸裂やん。

ということで、まず2発目のパンチ(指摘)から。

<
<クワガタの「黒いダイヤ」について>
AIが言うにはですが、東京五輪(1964年)の時代設定に対し、オオクワガタが「黒いダイヤ」として高値で売買されるようになったのは90年代後半以降とのこと。些末ながら、ここだけ時代考証がズレているようです。
>

なるほど。「黒いダイヤ」というワードが安易でした。
ちなみに昆虫取り引きの歴史をAIに聞いてみました。

(以下AI)
クワガタやカブトムシの取り引きの歴史は、子どもの夏の遊びから始まり、やがて大人も参加する大きなペット産業へ変化した歴史と言えます。特に日本では独特の発展を遂げました。

1. 江戸〜昭和前期:売買より「採集・観賞」

江戸時代から日本人は昆虫を観賞する文化を持っていましたが、人気の中心はスズムシやマツムシなど「鳴く虫」でした。クワガタやカブトムシは、どちらかといえば子どもが野山で捕まえる存在でした。

2. 昭和30〜40年代:縁日や店で売られるようになる

高度経済成長期になると、都市化で自然が減る一方、子どもたちの憧れとしてカブトムシ人気が高まります。

1960年代には夜店などでカブトムシが販売され、1968年頃には「カブトムシブーム」と呼ばれるほど人気になりました。デパートなどでも養殖個体が販売されるようになります。

当時の価格感覚では、

* カブトムシ一匹=子どもの小遣いで買える夏の宝物
* クワガタ=山で捕まえる「珍しい獲物」

という存在でした。

3. 昭和50〜60年代:昆虫店の登場

1970〜80年代になると、昆虫専門店が増え、飼育用品も販売されるようになります。

特に人気だったのは、

* ノコギリクワガタ
* ミヤマクワガタ
* ヒラタクワガタ
* オオクワガタ

でした。

なかでもオオクワガタは「幻の昆虫」と呼ばれ、採集家の間で高値で取引されるようになります。

4. 平成:オオクワガタ投資ブーム

1990年代後半、日本ではクワガタブームが爆発します。
(以上AIでした)


次は最初のパンチ(指摘)について。

>
<原爆症のモチーフについて>
ややメタ的な視点になりますが、いじめの理由付け等に「原爆症」というデリケートな背景を使うのは、少し「悲劇のための便利な道具立て」として消費している危うさを感じました。本作の筆力ならセンセーショナルな設定に頼らずとも二人の痛みは表現できたのではと惜しく思います。
>

うーん。なるほど。しかし迷うなあ。
「原爆病」または「原爆症」はリアルな差別ですから、訴える力が大きい分、逆に刺激が強すぎて物語全体の力学を壊しかねない。特に差別被害者が存命なだけに、注意を要する。安易に飛びつくなかれ。という警告と理解しました。

山田様、ありがとうございました。

しいな ここみ
KD182249022166.au-net.ne.jp

すみません、仕事中にGoogle読み上げで聴きましたので、あまり読み込むことできずの感想になります。

いつもながら『急ぎすぎ』の印象です。智恵子ちゃんといきなり仲良くなっていて、『なんで!?』とびっくりしました。もっと仲良くなるに至るエピソードをじっくり描いたほうがいいんじゃないかなぁ……。

最後に歌ったのは『上を向いて歩こう』なのでしょうか? 嫌いとか言ってたくせに? まぁ、一読しただけではわからないものがあるのでしょうね。

全体的には老人が昔を語るムードがたっぷりありました。でもムードだけで、物語に寄せてもらった感が希薄でした。やっぱり文字数があまりにも足りないと思うの。行間とやらを読ませようとしているのかもしれませんが、本文がスカスカなのでは行間も広大になりすぎて、何も書いてないも同じになってしまうと思うの。俳句を並べて作ったような小説があっても面白いとは思うけど、よほどうまくやらないと面白くはならないと思うの。

飼い猫ちゃりりん
118-106-73-63.area1a.commufa.jp

しいな ここみ様。お読みいただき嬉しく思います。


>いつもながら『急ぎすぎ』の印象です。智恵子ちゃんといきなり仲良くなっていて、『なんで!?』とびっくりしました。もっと仲良くなるに至るエピソードをじっくり描いたほうがいいんじゃないかなぁ……。

あ、そこエピソードがないですね。弱者の底辺意識だけじゃなくて、具体的なエピソードがあったほうがいいですね。サンキュー。よし書いてみましょう。

>やっぱり文字数があまりにも足りないと思うの。行間とやらを読ませようとしているのかもしれませんが、本文がスカスカなのでは行間も広大になりすぎて、何も書いてないも同じになってしまうと思うの。俳句を並べて作ったような小説があっても面白いとは思うけど、よほどうまくやらないと面白くはならないと思うの。

飼い猫イズム。行間命。
ここみイズム。書かなきゃつまらん。
かな?

本文スカスカかあ。もっと情景描写を繊細にしますか。おそらく、行間に全部字を詰め込めば、今の3倍にはなります。15,000字位かな。

ありがとうございました。

肉球ぷに
FL1-133-202-113-124.tky.mesh.ad.jp

こんばんは。

拝読しました。文体と描写が相まって、とても魅力的なお作品だと感じました。しっかりとした構造が読み手を安心して導いてくれる点も印象的でした。
現在 → 過去 → 現在という流れの中で、過去を語る際に“大人になった自分”が機能している構造は、理解しやすく美しくまとまっていると思います。ただ、その分だけ大人の視点が過去を整理してしまう印象もあり、少しだけ安易な手法に感じられる瞬間がありました。
読んでいるうちに、子供の私が感じたままの世界を、そのまま書いたものも読んでみたい。そんな欲望が芽生えました。

飼い猫ちゃりりん
sp49-98-9-44.msb.spmode.ne.jp

肉球ぷに様。お読みいただき嬉しく思います。

>現在 → 過去 → 現在という流れの中で、過去を語る際に“大人になった自分”が機能している構造は、理解しやすく美しくまとまっていると思います。
>ただ、その分だけ大人の視点が過去を整理してしまう印象もあり、少しだけ安易な手法に感じられる瞬間がありました。

基本的構造が回想だから、どうしても臨場感が薄れてしまう。
「どうしてあんなことを、してしまったんだ」というような癒えない心の傷をもっと描くべきか?
「あたし、ただれてないよ」
の一言に全てが収束する流れ、それ以上心の傷を描くべきではないと判断した猫でした。

ありがとうございました。

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