ヌルマゴメド婦
トーン、トーンと、ト音記号のように浮かび上がり、沈み込む、久遠のようにはるか遠く、仰ぎ見る。聞こえてくる、スタジオ内の乾いた音、コードやらカメラを縫うスタッフの足音、掛け声、交わされる声たち、やや水気のようなものを染み込ませた空気が膨張し、今にも炸裂しそうである。あえてこの環境で口を開こうとする者はいない。目の前には歯痛患者のようにうずくまる者、右隣には何度もメモを見返してガタガタ震わせている膝、北方にはタバコを吸いにいってはまた戻ってくる千鳥脚。道化なら道化としてどこまでも道化の血を通わせていてもらいたいものではあるが、これもまた緊張と緩和のためにできあがったでこぼこ様ということがわかる。黒く、沈み込んでいった先の、ソファの地盤が緩む傍らで、スタッフらはまだ慌ただしく、一杯のかけ水を床にバーっとぶちまけたように散り散りに動いている。
松尾さんはまだ来ない。開始5分前になると、別室に待機していた松尾さんがやってくるのだが、私たちの態度とは裏腹に、まるで近所に散歩した体でポケットに手を突っ込んでやってくる。彼がスタジオに現れると、いっせいに演者たちは立ち上がり、深々と頭を垂れ、道を作り、まるで奇跡でも相手するかのように、皆、最大の敬慕を持って迎え入れるが、誰が最初にこの文化を始めたのかはわからない。松尾さん本人ではないことは確かである。偉人はこうして作られる。彼の空間上に撒いている波長に合うように、我々の方からこの空間を完成させようと働きかけるのだ。そしてそこに絶対の生きがいを感じる。大奥も毒味もこうやって出来上がった文化だろう。
バラエティはオーケストラだ。まるで一人ひとりの芸人が楽器となって、多重奏の複数のパートからなるアンサンブルの一種で、各パートは一人の演奏者で受け持つものを指す。チェロのような知的な気の利いた大喜利らしい言葉を鳴らしたり、あるいはタンバリンのように下品でガチャガチャした汚いヤジを鳴らすもの、コントラバスのように楽器そのもの大きさのために登用されることもある。1段〜3段のひな壇に割り振られていて、私は顔面のインパクトが大きいという理由で、さっとカメラを回してゲストを一巡するとき、この手の顔が一瞬通り過ぎると、いくらか画面映えが期待できるかもしれないという、視聴者は本意ならずとも少なからず反応し、立ち去らせないでおける効果があるかもしれないとのことで、プロデューサーらの意見は一致し、パッとカメラを回した時に抜けていく、5人で座っている中の左から2番目とだいたい相場が決まっている。私の、2席離れたところに、坂道グループのアイドル、カナちゃんなるものが置かれている。
番組は進行し、松尾さんが栃木県の郷土料理であるけんちん汁を飲む流れになった。さて、今日はどんな伝説的なボケをかましてくれるのだろう? スタジオ内の視線がいっせいに松尾さんに集まる。この番組はグルメ番組ではないが、ただグルメを食ってグルメな感想をするといったことはこの大天才には許されないことだ。場は緊張に包まれた。松尾さんは、けんちん汁に向かって両手を合わせると、「主よ……」とささやいた。「何がやねん」と濱谷さんが松尾さんの頭を叩いた。すると、スタジオに小笑いが起こった。松尾さんは、「行ってきまーす」と言って、椀を持ちあげると、コクッと一口だけ飲み込んだ。しばらく味わっているような真似をして、濱谷さんはその仕草を見守った後、「で、感想は?」と聞くと、松尾さんは、「おかえり〜!」と言って、スタジオにはどっと笑いが起こった。
私もハァとため息をついた。スタジオはいつまでも爆笑が鳴り響いていた。「なんやねんそれ」と、濱ちゃんは松尾さんの頭をもう一度引っ叩いた。濱ちゃんもどこか嬉しそうである。これぞ神技、たったこの数秒一コンマで、なぜこれだけのことを思いついてやってのけるのか。私のように、キスしか取り柄のないヨゴレ女芸人には、一生かかってもできない芸当だ。
「はーい! ゲームに失敗した、オクトパスタコ村くんには、罰として、ヌルマゴメド婦さんのキスを受けてもらいます!」
「「「エ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」」」
番組は再び進行し、次は私がキスをするくだりになった。
キスとかなんとかいうと、スタジオの観覧席にいるOLくさい女どもが黄色い声を上げる。およそ芸もギャグもわからない、フランス料理を食べにきたのに全部カレーをかけて台無しにするという、味の良し悪しもわからないのに高い金を払って鑑賞しにくる味覚障害のひどい連中だ。変なゲテモノが下品なキスをしていれば、黄色い声をあげて、自身の持つ後ろ暗い破壊欲求を代わりに体現してくれる、そんな存在をありがたがっているのだ。代行運転みたいなものだ。まぁ、およそ、私などというものはこの手の人たちに支えられているわけなのだけど。
『ンンンンーーーーーーーッ!』
『ブッチュウウウウウウウウウウウウウウ!!』
我を忘れるほどのキス。情熱と冷静のあいだ。否。情熱と情熱のさきっぽ。
『ちょ……! ま! 昨日買ったダイソンの掃除機でもこんな吸引せえへんて!」
「ブラックホールかと思うたわ」
唇だか肛門だか、わからない、すぼめて思いっきり頬をへこませて、口を窄めて、ダイソーの掃除機のように力一日あ吸引する、他人の声がもう届かない。ちゃんと聞こえてはいるが聞こえてないフリをして、私は自分の内なる何かを解放させていった。今、自分の最高の部分が出せている気分がするのも事実である。もう身体中の毛穴という毛穴から湯気が立ち昇り、目がトロンと溶けて、見境がなくなった力士サキュバスみたいになって、うっふ〜ん、四股四股してぇ〜〜ん❤️と言いながら、私はロック・リーのように八門遁甲の体内門を八門まで解放させていった。私だってクリスティアーノ・ロナウドみたいな男とキスをしたいと言えば嘘にはならないが、クリスティアーノ・ロナウドだって、私のような外見をした者がクリロナクリロナと言っていれば、そういうものじゃないか。福山福山と言っていれば、そういうものじゃないか。悟空がドラゴンボールを追いかけるように、生き物としての願望をわかりやすく描いたにすぎない。
厚顔無恥になって、朝も夜も見境なく、ただ男の唇を欲する、そんな女がこの世にいるはずがないのだが、祭には欠かせないパーツだ。彼ら視聴者でさえ、自身のサラリーマン生活の境遇と重ねて、ああやって番組の部品として音頭をとっているんだと渇いた視線で見るものではあるが、しかし、ここに、まだ人々が気づいていない視線がある。例えば、このアイドル。この坂道グループとかいう、私に近くに座っていたこのアイドルとかいう女は、私がキスするのを見て子供のようにはしゃいで手を叩いて喜んでいる。
彼女の仕事といえば、ただ日本語を返していればいいとされるが、しかし、彼女も私も同じだ。じつは、彼女も私と同じだけの能力、見識、才能、を持ち合わせていて、これは単に役割や乗っている乗り物が違うがために起こっている現象に過ぎない、ということを互いにわかっている。彼女は今においても全く私と同じことをやれてしまうのだ。単に今人生において、乗り物として与えられた役目が違ったにすぎない。各々が役割として、自分に当てられた役割を演じているという、ただそれだけのこと。女同士としての生き物の呼吸が伝わってくるのである。この場合、どうすればいいというのだろう? 彼女はあくまでシラをきる。自分のために、ファンのために、この世の美しいとされる全ての美しさからなるアイドル像のために。私もまた同じ嘘をつく。
魂は個々に独立して存在しているわけではなく、一つの、全体としての魂が、見下ろし型、俯瞰型として、私と彼女と全てを繋いでいるからである。彼女は、意向一つで今私がしていることと同じことはできるし、同じ表情も同じ唇もできる。ただやらないだけだ。少し納得がいかないのは、やる、やらないの話ではなく、できる、できないの話にすり替えられていることだ。それに異を唱えるつもりもなければ、怒を発するつもりもないが、男たちは、この現実をどう見るだろう? 単に精神の問題なのだ。肉体の問題なのだ。 彼女はいつでも私になれるし、私も彼女になれる。 ただ、それをその肉体に、精神に移り変わっているのを見たら、同じように勃起するかということだ。
彼女の顔に、(よかった。私じゃなくて)と描かれてあるのは。
TVを見ている視聴者女性においても同じである。その人らもこの役を与えられていたら演じることになっただろう、いつでもそれを恐怖していて、我が身可愛さのあまり、自身の境遇と重ねて、その憂いについて感慨深くなるだけである。
彼女の肉体が通り抜ける間隔として、反応、反射とで、口からこぼれる発音は決まっている、ただ肉体の発音に任せているだけだ。互いに、共通に、互いに乗り物に乗って乗り物にふさわしい態度を行なっている、これを見ている視線があれば、その”視るもの”が、こうして彼女をして、彼女の見るもの、私が見るもの、それは無形でありながら、二つの視線が交差しているようで一つに溶け合っているから、今、一つの視線が、同じものを見ている。見ているものを見ている、一つの視線があるだけだ。
先からずっと、この視線が合い続けている。にも関わらず、こうして手を叩いて喜んでいるこの小娘の態度といったら。肉体はともかく、精神は取り替え可能であるにもかかわらず、この小娘は、私がゲテモノ顔して、ドラクエのリップスみたいに唇オバケみたいになってチュパチュパしているのを手を叩いて爆笑して見ていることが、
見ていることが……?
なんだというのだろう?
長らくこの個体として、生きてきた。ある程度の愛着はあるし、ただ宇宙の被爆した、エネルギーがそれぞれの遊星を作り出した。運行を作り出した。その個体の機微があるだけである。
しかし、この視線と私と目が合っていながら、よくもまぁシャアシャアと嘘をつけたもんだ。それは私も同じか。行ってくるよ、マイハニー。
「「「「「チュウウウウウウウ……!!!!!!」
「ブッチュウウウウ!!!!!!」
「ヌルマゴメド婦さーん、キスのお味はいかがですかー?」
濱ちゃんが私にマイクを当ててきた。
「おかえり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
と、私は元気いっぱいに叫んだ。
※
「アハハハハ! ヌルマゴメド婦がまたおしっこしてるぞ!」
「アハ! アハハハハ!」
「お前、何やってんだよ〜!」
「あー、すいません! 間違えちゃいました!」
テヘッと私は笑う。
私の一つの芸として、男性用トイレに入って、男性用小便器に向かっておしっこをするというのがある。もちろんこれはテレビでオンエアできるものではなく、完全に内輪ウケを狙ったボケである。
が、意外にこういったコンテンポラリーな低俗で子供じみたストレートなものが逆にウケたりする。これは養成学校時代から続けている持ちネタであり、だいたい、こんなものは一回、二回やれば、飽きられて見向きもされなくなるのが常と思われるかもしれないが、何度でも見たくなる、いくらでも擦り続けたくなるというネタ、絵というものがあって、癖になるというか、もはや意外性は頼まず、野球中継のように、BSのBGMのように、一つの景色として、何かぽかりとその日の暇人の胸に収まる類のものだ。
その証拠に、例えば、同じテレビ局で新しく共演した芸人、まだこの件を見たことも聞いたこともない共演者に、どうしてもこの感動を伝えたいと思った男性芸人が、「おい、ヌルマゴメド婦」とニヤニヤと粘度の高い笑みを浮かべながら私の耳元に囁いてきて、「例のやつ、頼むわ(笑)」と言って、いやらしいニヤケ顔になって、渙発してくるのである。
もっとも、この道30年のベテラン芸人の神保町さんなどは、「あいつはホンマにバカなんですよ。あいつは、局の男性用トイレで用を足しよるんです。あいつ、ほんとアホやねん。自分でこうやってズボン下げて、こう、パンツおろして、こうしてガーっと、股間おっ広げて、立っションするんですから」と、グータンヌポヌポというトーク番組にて、会話を繰り広げていたが、当然それはカットされた。SNSでも、炎上することは分かりきっているから、公にはされていない。
しかし、芸人内評価においては、著しく高みへ登っていくばかりである。これをやると、男性芸人たちが喜んでくるし、何より、嫌味がない。また、いろんなところで吹聴し、私の噂が広がっていくので、毎回やっている。今日の仕事もこうして勝ち取ったものだ。いかに、舞台裏で、ヌルマゴメド婦は面白いと通達させられるかが、私のようなヨゴレには鍵となってくるのだ。
※
いつも通り、TBSの男性用トイレに入って用を足していたら、となりの小便器に、ヌッと空間を縫うように、ひと肩ならぬ、人型らしい影が私の視界をとらえた。川品だった。
川品は、無言で私の隣の小便器の前に立ち、ジッパーを下げた。女の私がこうして男性用小便器でおしっこをしているというのに、まったく触れない。それがいかにも彼らしい攻撃だと思った。
「いいっすよねぇ、ヌルマゴメド婦さんは」川品は口を開いた。「キスって強いですもんねぇ。ちょっと空気が悪かったりしたとしても、キスすればなんでも清算できるっていうか、ウヤムヤにできるっていうか。
なんか、今、けっこう、芸能界ってドロドロ、混沌としているけれども、それでも、けっこう、みんな、そのドロドロの中で歯を食いしばってやっているじゃないですか。
あの松尾さんにしたってそう、けっこう、あちこちで、後輩の悪口言ったり、あいつは共演NGだのなんだの言ってたりして、あれで結構繊細な方なんですけど、ああいう人でも、キスすると、やっぱ違って見えてきますもんねぇ〜? やっぱり、男女の機微っていうんですかね? 男と女は、一度キスすると、そのあたりがウヤムヤになるっていうか、けっこう、女芸人にしろ、男芸人にしろ、みんな、松尾さんに取り入ろうと必死なんだけど、なかなかきっかけを見つけらずにいて、地団駄を踏んでいるわけじゃないですか?
いいっすよねぇ〜、キスは、そういうとき、そういう過程を全部すっ飛ばして、一躍松尾さんのお気に入り傘下に飛び入り参加だ! まぁ、それでお気にってことはないだろうけど、でも、一度キスした女には、ちょっと情けを加えたくなるのが男心ってもんじゃないですか? 芸能界のギスギスした大御所と若手の間にある、あの、得もいわれぬ緊張感が、少しは帳消しになるっていうか? まぁ、そのためのキスというか、あのときキスしたし、みたいな、多めにみといてやるかっていうか、キスの魔力ってやつですよね」
何言ってんだこいつ、と思った。
どんぐり頭のおにぎりくんだかなんだか知らないけれども、頭が茶髪だから焼きおにぎりか、品も何もあったもんじゃない。下品でガサツで、ずんぐり頭の、好感度ゼロのクソ芸人。しかし、芸の方はまあまあ一流ではある。最近は映画監督などの仕事や不良小説執筆などで多面な活躍を見せているが。
こうやって若手芸人とトイレが重なった時は、隣の小便器に立ってきて、後輩いじめをして回っている。いつも松尾さんだったり、実力のある先輩芸人に対して媚を売って回っているけれども、それと同じ分だけ、後輩に対しては冷たい。これは芸人世界には関わらずとも、どこの世界でも共通する人間の種だろう。いつでも冷たくできるチャンスがあれば冷たくしようとする。今も氷のようなションベンを出しているに違いない。
こうして女の私が勇気を出して男性用トイレでおしっこをしているというのに、その努力も水泡に帰そうとさせようとする。
しかし、先輩だから、こちらも強い態度には出れない。
なんで、私は今、男性用小便器でおしっこをしているんだろう。無意味っていうか、二人だけだし。笑いは起きないしで。どうして私は今、膣口を手で開いて便器に向かって放射しているのだろう、と、仮にもそういう空気をコイツに作られてしまっていることが悔しかった。
私は川品の唇をチラと見た。ぬらりひょんみたいに青黒く、血色が悪く、世にも奇妙な色をして怪しく濡れて光っていた。
こいつとキスするのだけは嫌だな、と思った。まだクロちゃんとする方がずっといい。およそ世界で一番嫌いな人間とのキス、こういうのに限って舌とか入れてこねえだろうな。確かに、権力者に媚びるキスというものはおいしいものだ。コイツのいうとおり、松尾さんにキスすることは、ヨゴレ女芸人にとってまたとないチャンスだ。
私は、自慢じゃないが、誰とでもキスができる、それだけが取り柄だ、というより、それをやってきた。だが、こいつとだけは無理だ。
キスなら何でもありだと思っていたが、見た目より精神的なものの方がきついかもしれない。クロちゃんとキスするのもいいし、権力者に媚びるようなキスをするのも悪くはない。口が臭いやつとキスするのもまったく問題はないが、川品とキスをするのだけは嫌だ。
「キスってやっぱ強いっすよ。ああいう、男女の機微っていうのかな。そういう肉体的な、唇とクチビルが触れるっていうのは、バカにできないっすよね。ちょっと触れたり、抵触してくると、それだけでなんか、距離が縮んだ感じがしちゃうもんな。しかも、あんなにブチューってかませば、それって、セックスとあんまり変わんなくないすか? ああ、でも、ああやって、ブチューってやったあとは、なんか気が晴れるっていうか、そういう気しません? 少し、隅っこに置けないような気分になるっていうか、気が置けなくなるっていうか、なんか、大御所と若手の緊張感が和らいだような、側から見ていてそういう雰囲気受けるんすよねぇ」
「はぁ」
私はおしっこを続けた。もうこういう雰囲気になってしまった以上は、このおしっこを続けることに意味はないが、出るものは出るものだ。ここで急にズボンを上げようたってそうはいかない。
さすがに映画監督をやっているだけのことはある。なかなか人間の急所を突くのがうまいものだ。こいつもこいつなりに、人間観察というか、考えているのだ。このように、もともと持っているものは悪くはないのだから、後輩いじめに精を出してないで、お天道さまに顔を向けられる努力を続けていたら、芸人の中でも5本の指に入れたのではないか。
私のように、キスしか取り柄がない、女芸人の隅っこの、しかも頭脳ではなく体を張るヨゴレ芸人タイプなんてものは、そもそもコイツのライバル関係にあるものでもなく、仕事の奪い合いになること必至なんてあるはずがなく、男性用トイレと女性用トイレのように、別々の場所で、別々の花を咲かせていればいいものを、こちらの花に水ではなくてションベンをかけて枯らせようとしてくる。まぁ、男性用トイレに入っていったのは私だが。
いつもは、男性芸人たちがおしっこをしているところに私が入っていって、さりげなく隣の小便器に立って用を足すというのが定石というか必勝パターンではあったが、たまには、私一人が先に男性用トイレでしょんべんをしていて、後からやってきた男性芸人たちがそれを見て笑うという新しい構図をと思ってチャレンジしてみたところ、今回のような失態を招くことになった。
「あ、そうだ」
と、川品がしょんべんを続けながら言った。
「今日の台本、みました? 俺とヌルマゴメド婦さん、キスすることになってましたけど」
「エッ!?」
私は思わず川品の方へ振り向いた。
川品もこちらに向き直った。
その瞬間、ジジジ……と、下方で、私のしょんべんと川品のしょんべんが激しくぶつかり火花を散らした。
執筆の狙い
新しいことをしようとしました。