差出人不明
今年も差出人不明の絵葉書が届いた。絵葉書を見た瞬間、真夏というのに、全身に鳥肌が立ち冷たい汗が流れる。
あわててポストを閉めてエレベーターに乗り込む。焦りすぎて部屋の鍵がなかなか鍵穴に差し込めなかった。祈るように扉を開けると、部屋は真っ暗。賢哉は来てなかった。
「もう! こんな時にいないなんて!」
合鍵は渡してあるが、今はお互い別々に家を持っている。週末はだいたいウチに来ているのというのに。肝心な夜にいないのは心細い。
冷蔵庫からお茶を取り出して一気に煽ったあと、わたしは押入れのクリアケースから過去に届いた葉書を取り出した。
夏になると届く差出人不明の絵葉書。警察に持ち込んで相談したけど、「実害はないんでしょ?」と言われて追い返された。
一番初めに届いた絵葉書は二年前の夏だ。葉書の表には宛所の記載もなく真ん中にデカデカとわたしの名前が書かれている。直接わたしの自宅のポストに投函しているのだろう。もちろん差出人の住所氏名はない。
そして葉書の裏面には……。
『紗希へ
僕は君をこの手におさめたい
ずっとずっと永遠にこの手の中に
その日まで待っててね』
葉書の右下には黒い猫が赤い金魚が泳いでいる金魚鉢をじっと見つめているイラストが描かれている。それはプリントされているものではなく、手書きされたものだった。
はじめて葉書を手にした時、どっと全身が緩みめまいがしたことを覚えている。
相手はわたしの住まいを知っている。
それからしばらく眠るに眠れない日々が続いた。
警察にも相手にされずなす術もなかった。そんな時、わたしの異変に気づいてくれたのは会社で同じ課にいる先輩の賢哉だった。それまで一同僚として挨拶くらいしか言葉を交わしたことがなかったが、恐怖に苛まれていたわたしは堰を切ったように葉書のことを彼に打ち明けた。
「引っ越せよ」
「やまやまですけどそんな資金もないですから」
「じゃー、なんかあったら俺に連絡しろ。後輩のパフォーマンスが落ちるのは俺も困るんだよ」
なんとも思ってなかった先輩が頼れるお兄ちゃんに変わる。わたしはとめどなく悪い想像をしてしまう夜、賢哉に電話をした。次第に仕事終わりに食事に行くようになり、休日も会うことが増えた。
そして去年の夏、お兄ちゃんだった賢哉は恋人に変わった。もうすっかり葉書のことを忘れていた私の元に悪魔の便りが再び届く。
『紗希へ
それが紗希の幸せなの?
もうすぐだねもうすぐ
紗希をもうどこへも行かせない
待っててもうすぐだよもうすぐ』
前年と同じだった。葉書の右下には手書きのイラストが描かれている。猫は昨年より姿勢を低くして毛が逆だった尻尾を立てて金魚鉢を睨んでいた。
「気持ちわるいな。こんな陰険な奴が紗希に危害を与える度胸なんてない」
賢哉は励ましているつもりらしかった。
「この猫の絵を見てよ」
「猫?」
「猫が金魚鉢に飛びかかろうとしてるでしょ? やばいんじゃないかな」
「どういう意味だよ」
「猫がこの差出人で金魚がわたしってことよ」
「考えすぎだよ」
わたしが神経質なのか? 差出人はわたしを永遠に手の中へおさめたいと言う。猫が鋭い牙と爪を金魚の体に食い込ませるイメージが頭を支配した。
秋が過ぎ去って冬を迎えた頃、賢哉からプロポーズをされた。
「これからもずっと俺と一緒にいてほしい」
「わたしも」
お正月に両親へ紹介すると、家族になるんだという実感と安心感が込み上がる。脳裏に差出人不明の絵葉書がよぎることもあるが、彼はわたしの不安を半分食べてやるといつも言う。
今のわたしは夏の便りが届く風物詩など忘れてしまうほど、あたたかい幸福に包まれていた。今年の秋に行う披露宴の席次表を考えたり、二人で住む新居の内覧。二ヶ月先の自分は笑っている。
でも、今年の夏もやはり葉書は届いた。
わたしはリビングのソファに座り、絵葉書に目を落とした。
相変わらず表にはわたしの名前が中央に書かれているだけ。差出人は不明。
葉書を裏返すのにかなりの時間を要した。手に持つ部分が汗で湿り出している。
深い呼吸をして一気に葉書を裏返した。
『紗希へ
君が僕を認識する前からずっと見てたよ
紙一枚の契約なんてあてにならない
絶対逃れられない愛を与えたい
待たせてごめんね』
金縛りにあったかのように身体が動かせない。なのに葉書を持つ指先から始まった震えが全身に波動していく。
唯一自由に動かせる眼球が葉書右下の絵をとらえて止まった。
猫は金魚鉢に飛びついて前足で金魚鉢を蹴っている。水が迫り上がって鉢は大きく傾いていた。
がしゃん
大きな音が玄関の方から鳴った。身体は動かない。
目線だけ滑らせると床にはさっき麦茶を飲んだグラスが粉々になって散らばっていた。恐る恐る視線を上に向けると賢哉が立っていた。
いつもの温和な目ではない。感情が読み取れない彼の真っ黒な目とわたしの目が合うともう自分は助からないのだろうと思った。
「俺心配性なんだ」
ふと笑ったあと賢哉の目は大きく見開いて動けないわたしに飛びかかる。直後、わたしの視界は真っ暗になった。
(了)
執筆の狙い
Xのフォロワーさまから『猫』『金魚鉢』『夏』のお題をもらって書いた約2,000字のショートショートです。
オチは途中でバレるとは思うのですが……
忌憚のないご感想をいただけたら幸いです。