私の知らないあなた
いつの間にか外が暗くなりはじめていた。
薄暗い部屋で、パソコンの明かりに顔を照らされながら仕事をしている私の背後で物音がし、明かりがぱっと点いた。急にパソコンモニターより部屋のほうが明るくなる。
「ただいま」
振り向くと、優しい笑顔の夫が立っていた。
「ずっと仕事してたの? 暗くなったことにも気づかず?」
「あなた、お帰りなさい」
嬉しくて、私も笑顔になる。
「乗っちゃって……。乗ってる時にばーっとやっちゃいたいから」
モニターの中には三羽のうさぎが静止しながら踊っている。まだモノクロだが、我ながら綺麗に描けた。有名な作家さんの単行本の表紙の仕事に、力が入りすぎてしまって──
「……あ! ごめんなさい! 晩ごはんの用意するの忘れてた!」
「いいよ、いいよ」
夫はスーツを脱いでエチケットブラシをかけながら、笑顔に少しだけ申し訳なさそうな色を浮かべた。
「俺のほうがごめんだよ。せっかく乗ってるとこ邪魔しちゃった。俺が作るから、麻理《まり》は仕事続けててよ。冷蔵庫に何があったかな」
夫が麻婆豆腐チャーハンを作ってくれた。
鶏ガラスープをベースに豆板醤と豆豉も駆使して、嬉しい辛さで作ってくれた。仕事の疲れが取れて、元気が出る。上にかかっている麻婆豆腐が濃厚なので、チャーハンは薄味だ。ただの白ごはんにかけた麻婆豆腐丼もいいけど、卵、ネギ、焼豚と、具の入った味つけごはんだと豪華な雰囲気が出る。いつもながらお見事な腕前だ。
「会社、どうだった? いつもと変わったことあった?」
私が聞くと──
「いつも通りだよ。何事もなし。麻理のほうはいい感じそうだね? イラストレーターって大変だろ? おいしいもの食ってスタミナつけな」
いつも自分のことはそっちのけで、私のことを気にしてくれる。
「にんにくパワーでもっと捗りそう」
笑顔で力こぶを作ってみせた。
「……でも、ごめん。明日は忘れないから」
力こぶを引っ込め、両手を合わせて謝った。
「気にするなって。どっちが炊事担当かなんて、決まってないだろ」
本心からそう言ってくれてるのがわかる、彼のこの笑顔が好き。
かっこいいのに、口の端に麻婆のついてる笑顔がかわいい。
好き、大好き。
結婚してもうすぐ2年になる夫のことがこんなに好きだなんて、私、ちょっとおかしいのかな?
「今度、いつ休める?」
中華スープを口にしながら、夫が聞いてきた。
私もハシュハシュとチャーハンを口に運びながら、サクサクと答える。
「今描いてるのが完成したら、しばらく暇になるよ。完成予定は明後日」
「おっ? じゃ、ちょうど土曜日だな。デートしようよ」
「えっ? 本当?」
思わず顔がニンマリとしてしまう。
「うん。あっちこっち行きたいとこあるんだ」
「あたしも行きたいとこある! 好きな画家が個展やってるんだ!」
「よし、それも行こう。エオンモールで『ふれあい動物園』やってるらしくて、俺、それ行きたいんだけど……」
「わっ! それはあたしも行きたい!」
「じゃ、その二つだけ決めて、あとはブラブラしようよ。あんまり予定詰めすぎると疲れちゃうからさ」
夫の行きたいところはいつだって、私が行きたいだろう場所だ。
私にはちっとも興味ないようなところには、連れて行かれたことがない。
私が27歳になるまで──あと1年の間は子どもは作らないことで合意している。たくさんたくさん、二人だけの楽しい思い出を作って、とても苦しいものと聞く出産、そして子育て──それらはそれからだ。
すぐに子どもが授かれるとは限らないけど、できなかったら、それはそれでいい。
このひととだったら二人きりででも生きていける。共に白髪が生えるまで、一緒にいたいと思う。
この世で一番大好きなひとが、私の夫。
でも、ひとつだけ、不満なところがあった。
「ねぇ」
食事をしながら、私はそれを口にした。
「あなたもさ、仕事とあたしのお世話ばっかりじゃなくてさ、何か趣味とか持ったら?」
優しく微笑みながら、彼が答える。
「いいよ。麻理と一緒にいることが趣味みたいなもんだからさ」
嬉しい。
嬉しい、んだけど……
私ばかり喜ばされてる。
私が喜べば彼も喜ぶのだけど、結局は一番喜ばされているのは、私だ。
私の料理が会心の出来映えだったり、私が彼にプレゼントをしたりした時などは喜んでくれるが、それらにしても私を喜ばせるために喜んでくれているような気がしてしまう。
優しすぎるんだよ──
それが唯一の不満だった。
あなたのために、私も何かしてあげたいのに……。
= = = =
次の日、イラストレーター仲間のイカス弥子《みこ》さんが「おいしいパスタのお店がある」というので、一緒にランチに行った。
よくわからない名前のスパゲッティを食べた。確かに見た目も凝ってて美味しかったけど、いつも夫が作ってくれるアレのほうが美味しいと思った。
「仕事、進んでるー?」
赤いメガネをキラキラさせて真っ黒なスパゲッティを口に運びながら、弥子さんが聞く。
「うん。明日には完成」
オレンジ色のスパゲッティをフォークでくるくるしながら、私は自信満々に答えた。
「でもちょっとしくじっちゃって……。仕事に集中しすぎてて、夫が帰って来たのにごはん、作ってなかったの」
「うわ! キレられた?」
「ううん?」
なるべく惚気にならないよう、言ったつもりだった。
「うちの夫、すごく優しいんだよ。ニコニコしながら手早く冷蔵庫にあるものでごはん作ってくれて──おいしかったぁ……。仕事も捗るし」
「へー。結婚して何年?」
「もうすぐ2年」
「じゃ、あと1年ぐらいは大丈夫だね」
「何が?」
意味がわからず私が聞くと、弥子さんは「ふぅ……」と溜め息をついて、言った。
「うちは3年目でねー……。どっぷり倦怠期よー」
「倦怠期……?」
「もう旦那に何の魅力も感じなくってねー。それどころか家にいられるとうざいの」
「う、うざい……?」
「うん。仕事の邪魔だしねー。元気で家にいないでいてくれるのが一番いいよ」
「そ……、そうなんだ?」
「偉そうなくせに何にもしないしねー」
ちょっと考えられなかった。
うちの夫もそんなふうになるのだろうか? と想像してみようとしたが、想像することもできなかった。
優しくて、何でもしてくれるうちの夫はきっと特別なんだろう。最高の夫を私はゲットしちゃったんだろうと思うと、口元がニンマリするのを止められなかった。
「こないだフランス映画で観たんだけどねー」
弥子さんが急に話を変えたのかと思って、私はくるくるするフォークを止め、「えっ?」と声を出した。
「倦怠期の夫婦が主人公なのー。若い妻と中年の旦那。一緒に旅行してるんだけど、妻がいちいちつまらなそうでさー」
何の話が始まったのかよくわからず、探るように私は弥子さんの話へ首を伸ばした。
「でも、その旅行中に、旦那が人を殺しちゃうのよー、誤って」
「えー? で、どうなるの?」
「そうしたら、妻が途端に生き生きしちゃってさ。刺激を感じて、旦那のことも新鮮に見えてきちゃったのか、めっちゃ笑顔で隠蔽工作し出すのよー、旦那の犯罪の!」
「はー……? なんだそりゃ」
「うちもさー、旦那が殺人とかしてくれたら、また新婚の頃みたいに盛り上がれるのかなーって思った。それだけ」
私は思わず呆れた笑いを漏らしてしまった。
「結局、あれか。刺激がなくなっちゃうと、夫婦って冷めちゃうものなんだ?」
そして、振り返ってみた。
私たちの夫婦生活に、刺激はあるだろうか?
すぐに答えは出た。
──ない。
でも、またすぐに、そんなものはいらないと思った。あの幸せで、優しい生活が続いていくのなら、何も刺激的なものなんていらない。
そう、思っていた。
= = = =
帰ってすぐに仕事に取りかかった。デートは明後日《あさって》だ、明日までには絶対に完成させねば! 締切りは明明明後日《やのあさって》だけど、そんなものどうでもいい!
張り切ったおかげで予定よりも早く着色まで仕上がった。これなら明日どころか今日じゅうにでも仕上がりそうだ。
パソコンモニターから顔を引き剥がし、うーんと伸びをして、「ああっ!」と大声が出た。
「わー! しまった……! また晩ごはんの用意……!」
時計を見ると18時過ぎ。もうそろそろ夫の帰って来る時間だ。
大慌てで冷蔵庫を開けた。今さら凝ったものは作れない。仕方なく、冷凍保存してあるカレーを解凍することにして、ごはんを炊きはじめた。せめて美味しいサラダを作ろう。
「あり合わせでごめんね」と言えば「いいよ、仕事が忙しいんだろ?」と優しい笑顔で言ってくれるのはわかってる。でも申し訳なかった。帰ったら目にも豪華な夕食が夫を待っていて、目を輝かせるその頬に妻がキスをする──そんな光景を毎日実現させたいのに……。
夫が帰って来るのはいつも18時半〜19時の間だ。
サラダが完成したのは18時37分だった。冷蔵庫に入れて……さぁ、いつでもいいぞ?
あとは愛しい夫の帰りを待つだけだ。
キラキラと輝く銀のスプーンと白い陶磁器のお皿を見つめながら、わくわく待った。
19時になった。
夫が帰って来ない。
スマホを見る。いつも少しでも遅くなる時には連絡をくれるのに……なかった。
滅多につけないテレビをつけた。ニュースの時間は終わって、バラエティー番組が始まったところだった。
20時を過ぎた。
たまらず電話をかけてみた。
出ない。それどころか自動音声が流れた。
『おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません』
メッセージを送信した。
『どうしたの? 何かあった?』
21時を過ぎた。
心配で心配でたまらなかった。
今までこんなこと、一度もなかったのに……。
一人でカレーを食べる気にもならず、ただひたすらに、祈るように食卓に両肘をついて、スマートフォンをすぐ側に置きながら、夫の帰りを待った。
22時前になって、呼び鈴の音が、静かすぎる部屋に響き渡った。
夫ではない。夫なら自分で鍵を開けて、自分で入って来るはず。
……あっ。もしかして、鍵を落として、今まで探してて、結局なくて──いやでも、それなら連絡ぐらいくれるはず。
私たちの部屋を訪ねて来るなんて、宅配便ぐらいだ。宅配便はこんな時間にやっては来ない。
しばらく立ち上がりかけた格好のまま固まっていた私は、大急ぎでドアフォンのモニターを確認しに走った。
スーツ姿の男のひとが二人、そこに映っていた。
ドアを開けると警察手帳を見せられ、聞かれた。
「日田《ひだ》さんですね? 失礼、○✕署刑事一課の者です。ご主人はご在宅ですか?」
オロオロしながらまだ帰ってないことを告げる。そして、胸騒ぎを抑えながら、聞いてみた。
「どうしたんですか? 何か……うちの夫が事件か何かに巻き込まれたとか……まさか……そんなこと」
聞きながら、最後のほうは冗談にしたい気持ちになって、つい笑ってしまった。
すると年配のほうの刑事さんが、私の幸せを壊す悪魔のような顔をして、言った。
「日田さん……。あなたのご主人は殺人鬼です」
= = = =
あなたのご主人は殺人鬼です。6人の罪もない人を殺害して逃走中です。今、どこにいますか? 匿うとあなたも罪に問われますよ?
そんな刑事さんの言葉を、音のないキッチンの食卓椅子に座り、頭の中で何度も繰り返した。
私は何も答えられなかった。
ガクガクと震えながら、「知りません」と一言、言えただけだった。
知りません──
私は本当に知りません、そんな彼は──
私の知っている彼は、とても優しくて、いつも誠実で、かっこよくて、かわいいところもあって──
何かの間違いだろう。
人違いだ。きっと警察は誤認逮捕とかいうやつをしようとしているんだ。
そんな夫がいるわけがない。
私は夫を信じた。
そして連絡を待った。
ひたすら、眠りもせずに待った。
夜が明けはじめた。
= = = =
人間はひとつだけでなく、色んな部分から出来ているという。
どんなに優しく見えていたひとでも、残酷な部分があったり、冷たい部分があったりするのだという。
彼にも、私の知らない部分があったというのだろうか。
優しいだけの人間など、いない。
思えば彼は、いつでも私の前で、優しかった。
思い出す、あの日──
彼と知り合ったのは2年と少し前、婚活パーティーの会場だった。
そのひとは明らかに緊張していた。
自分と同じような雰囲気のひとは、話しかけやすかった。
「あの……。もしかして、こういうの初めてですか?」
私が勇気を出して話しかけると、彼は初めて笑顔を見せた。
「初めてです。……あぁ、よかった。話しかけてもらえて」
内気で優しそうなひとというのが第一印象だった。
話しているうちに、そこに『誠実そう』と『頑張り屋さん』という印象が加わった。
彼は玩具メーカーに勤めるサラリーマンだといった。会話しているうちに『遊び心のあるひと』という印象がまた加わった。
両親が早くに他界して、叔母さんの世話になっている。いつまでも面倒になっていたくはないので、いいひとがいたら早く結婚したいのだと言っていた。
料理が得意で、趣味は特になく、結婚しても伴侶が仕事を続けることに抵抗はなく、家事は分担したいと言っていた。そして結婚したあと、その通りになった。
裏表のないひと──それが私の知っている彼だった。
絶対に、夫は殺人なんて犯すひとではない。
そう思いながらも揺れてしまうのは、思えば彼が、自分のことをあまり話さないひとだったからだろうか。
私のことを聞いてくれるばかりで、自分のことは話したがりもしなかった。
仕事のことを聞けばいつも返事は『いつも通り』『何事もなし』──
私は夫の何を知っていただろうか?
『優しいひと』『誠実なひと』『私を気遣ってくれるひと』『かわいいひと』──それしか知らない。
一緒にいて退屈はしなかった。でもそれは、彼が楽しいひとだからというより、彼が私を好きに楽しませてくれるから……。
時計を見ると朝の8時だった。
私はスマートフォンを手に取ると、彼の会社に電話をかけた。
自動音声が流れた。
『お電話ありがとうございます。ただいま、当社の営業時間外となっております。恐れ入りますが、営業時間内に改めてお電話いただきますようお願い申し上げます』
自分の仕事は手につかなかった。
夫の顔が見たい。そう思ったら、じっとしてもいられなかった。
私は立ち上がると、ろくに化粧もせずに、外へ出た。
= = = =
夫の会社に入るのは初めてだった。
受付のお姉さんに声をかける。
「あの……。企画部の日田《ひだ》は出社しておりますでしょうか……」
するとしばらく何かを調べてくれてから、お姉さんは私が思ってもいなかった返事をくれた。
「日田という名前の社員は、当社にいないようですが……」
= = = =
近くの公園でベンチにへたり込んだ。
昨夜から何も食べていない。お腹は空いていたけど、何を食べる気にもならなかった。
昨日、刑事さんから聞いた話を思い出した。
昨日の夕方5時半頃、居酒屋に入ってきた男が突然、ピストルのようなものを取り出して、そこにいた6人のグループ客すべてを殺害したということだった。
店員も他の客も、誰も男のことを知らなかった。しかし男がスーツのポケットからカードケースを落としていった。
その中に運転免許証があり、それが夫のものだった。免許証の顔写真と男は同一人物だったと店員が証言した。
夫を信じたい。
信じさせてほしい。
でも、このまま信じていたら、そのうち過去に戻ってやり直したいと思うようになるんだろうか? 取り返しのつかないことになるんだろうか?
私も殺されるんだろうか?
それとも──夫が優しいのは私にだけ?
私にだけ優しい殺人者だったら、私は嬉しいだろうか?
嬉しいわけがない。
あの優しい夫に、私の知らないそんな面があるなんて、受け入れられるわけがない! 夫は殺人者なんかじゃない!
殺人者なんかじゃないと信じさせてほしい!
ふと、背後に気配を察知した。振り向くと、少し遠くの木の陰に、誰かがサッと隠れるのが一瞬見えた。グレーのスーツ姿の、男の人のように思えた。
「あなた!?」
思わず立ち上がり、私はその方向へ駆け出した。
「あなたなの!?」
すると木の後ろから、二人の男性が姿を現した。昨日の刑事さんだった。
「失礼。あなたが日田と接触するかもしれないので、後を尾けさせていただきました」
慇懃無礼──
そんな言葉が頭に浮かんだ。
どうして私の夫を犯罪者にしたがるの?
そう思ったら、私の胸に強い決意のようなものが湧き上がってきた。
『信じさせていて』が、『信じる』に変わった。
私が信じなくて、他の誰が信じてくれるというの?
私は夫を信じる!
「それではご主人から何か連絡があったらすぐに通報をお願いします」
そう言って立ち去る刑事さんたちを、その背中に、私は憎らしい敵兵を突き刺す視線を投げながら、見送った。
= = = =
部屋に帰ると、張り切って冷蔵庫を開け、サラダを出して、カレーを温めた。
お腹がペコペコだった。
猫がミルクでも飲むように、食べきった。
そしてすぐ、仕事に取りかかる。
明日は夫とデートなのだ。今日じゅうに仕上げてしまわなければ!
不安はもちろん消えなかった。
彼が今、どこにいるのか。どうして連絡をくれないのか──でも考えても仕方がなかった。
私に今できることは、信じることだけだ。
明日には夫と最高に幸せなデートをするために、依頼されたイラストを今日じゅうに仕上げる、それだけだ。
イラストが仕上がった。
三羽のうさぎが楽しそうに、円を描くように踊っている。
これが売れっ子作家の幻羅《げんら》珠子《たまこ》さんの単行本の表紙を飾り、書店に平積みにされる光景を思い描くと、私の心も躍った。
隣に夫が並び、同じ光景を見て、微笑んでくれる。
いつか夫に言われた言葉を思い出した。
「麻理の絵は、見るひとを幸せにするよね」
『ふふ……。あなたも幸せ?』
眠っていなかった私は夢の国へ吸い込まれるように、デスクに突っ伏して意識を失った。
= = = =
夢の中に夫が出てきた。
「すまない、麻理……」
いつもの優しい微笑みを浮かべて、私に謝る。
「僕はМ78星雲にある『光の国』というところからやって来た、じつは宇宙人なんだ」
なんだか聞いたことがある星の名前だった。
「それって……、地球を守ってくれる、ウルトラなヒーローの──」
「そうだよ」
夫の顔が、銀色に輝いた。
「地球人に紛れて悪い宇宙人が暗躍してる。僕はそういう輩を見つけては、ピストルに模した光線で退治しているんだ」
「そうだったの」
私の顔も、ぱあっと輝いた。
「そうだったのね……。警察って、なんてわからず屋なの」
「だから心配しないで」
私をいたわる目で、じっと見つめてくれる。
「麻理が気に病むようなことは何もないから。僕は、君のよく知っているような僕だから」
「うん」
私は頼もしく、彼を見つめた。
「わかってる。信じてた」
「ありがとう」
彼も私を頼もしそうに見つめてくれた。
「すぐには帰れないけど……できるだけ早く帰るから。……今まで秘密にしていてゴメン」
「いいのよ」
私は彼に近寄り、触れようとした。
すると彼は微笑んだまま、銀色の光に包まれて、消えてしまった
私は口を動かした。
「──気をつけてね」
= = = =
目を覚ますと、パソコンモニターの中でうさぎたちが楽しそうに笑っている。
私は起き上がると、あくびをし、明日のデートの準備に取りかかった。
お弁当を作ろう。
サンドイッチがいいかな。
あのひと、ハムとたまごのサンドイッチが大好きだから。
窓を見るともう暗かった。スマホを見ると午後7時を過ぎている。
夫からの連絡は、相変わらずなかった。
それでも信じてる。
彼が私との約束を破ったことは、一度もなかった。
21時を過ぎて、お風呂上がりに寛いでいると、呼び鈴が鳴った。モニターを見ると、またあの二人の刑事さんだった。
「殺人鬼の彼から何か連絡はありましたか?」
そんなバカなことを言う刑事さんに、私は余裕の微笑みで返した。
「そんな彼はこの世にはいません」
= = = =
バカだと思うなら思え。
世界じゅうを敵に回しても、私だけは彼の味方なのだ。
そして土曜日の朝がやって来た。
仕事の疲れでしっかり睡眠はとれた。体調も、いい。サンドイッチも完成した。あとは彼を待つだけだ。
誰にも相談はしていない。イカス弥子《みこ》さんにも、私の両親にも。相談なんかしたら、彼を犯罪者にしてしまう。
盲信でいいのだ。
しかし盲信するには、必要なものがあった。
必要なものが、そして遂にやって来た。
スマートフォンが着信メロディーを鳴らした。
私も彼も大好きな、アンパンマンのテーマ曲だ。
画面に夫の名前が表示された。
ゆっくりと、電話に出た。
「もしもし、あなた?」
電話の向こうの声は、いつも通り優しかった。
『麻理……。連絡遅れてすまない』
「ううん?」
私は声にも微笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ」
『迷惑……かけてるか? 仕事、手につかなくなっちゃったんじゃないか?』
あくまで私の仕事のことを気にかけてくれる。
「仕事、終わらせたよ?」
恋人同士みたいな、甘えた声で伝えた。
「今日はデートでしょ?」
照れたような彼の笑い声が聞こえた。
『何も聞かないんだな』
「うん、わかってるから。あなたはそんなことするひとじゃないって」
私は何も聞かなかった。「今どこにいるの?」なんてことも。刑事さんに盗聴されているかもしれない。
『信じてくれるのか』
「当たり前でしょ」
『信じられないな』
彼の言葉にプッと吹き出してしまった。
「何がよ?」
『こんなことになっても信じてくれるってことが、さ』
照れたようにそう言う彼のことを、私はよく知っていた。
優しくて、かわいくて、とても頼り甲斐のある、いつもの私の夫だった。
「あなたはМ78星雲にある『光の国』からやって来たヒーローでしょ?」
私は夢の続きを口にした。
「悪い虫みたいな宇宙人を居酒屋で見つけて、退治したの。そうしたら、地球人にはそいつらが人間に見えてたから、問題にされちゃって──」
彼が驚きの声をあげた。
『知ってたの?』
「知ってるわよ。あなたのことなら、なんでも。『日田テトラ』なんて名前、地球人にしちゃおかしいって思ってたし──」
私は得意満面に答えた。
「私の知らないあなたなんて、いないんだから」
『これから迎えに行くよ。デートの行き先、変わっちゃうだろうけど……ゴメンな』
「いいよ。好きな画家さんの個展なんかより、もっといいもの見せてくれるんでしょ?」
『宇宙でデートしよう』
「サンドイッチ作ってあるよ」
『ハムとたまご?』
「もちろん」
『わぁい! デネブのあたりでピクニックしよう。白鳥座の尾に並んで座って、点より小さくなった地球を眺めながら』
「あ! でも……」
『うん?』
「月曜日には地球に戻ってこれるよね? 完成したイラスト、出版社に送らなきゃ」
『もちろんだよ』
「よかった」
『このデートが終わったら──』
夫が、言った。
『長いこと、会えなくなるな』
「仕方がないよね」
私は、答えた。
「でも永遠に会えないわけじゃないから」
『ありがとう、信じてくれて。……そして、ゴメン』
「どうして謝るの?」
彼の声に、涙が混じった。
『ずっと……騙してて』
「仕方ないでしょ。ヒーローは正体を隠さないといけないんだから」
しばらく電話の向こうですすり泣く声が聞こえた。それから顔を上げたような気配がすると、いつもの明るい声が、言った。
『──じゃ、迎えに行くよ』
「うん、待ってる」
『待たせないよ』
その言葉の通り、窓の外を見ると、すぐに夫は迎えにやって来た、銀色の小型宇宙船に乗って。窓から伸ばした私の手を取って、優しく助手席に導いてくれる。
「──あ! サンドイッチ!」
「こらっ! 忘れちゃダメだろ」
そして二人を乗せた銀色宇宙船は、あっという間に大気圏を抜け、星々を眺めながらのデートに繰り出した。優しい笑顔の運転手の胸に顔を傾け、私は笑顔で涙を流した。
(了)
執筆の狙い
9,560文字
優しくて、大好きな夫がある日、突然帰ってこなくなる。刑事がやってきて、私に聞く。「殺人鬼の彼は今どこにいますか」と──。それでも私は夫を信じ続けた。
ハッピーエンドですが、ラストこれでいいのかと首をひねっております……。