作家でごはん!鍛練場
塩瀬ヨリ

母の眼鏡

眼鏡は顔の一部である。

古いCMのフレーズが頭をよぎる。
私を含め、眼鏡をかけている者なら、どこかうなずいてしまう言葉だ。
つまり、いま私の手にあるものは、母の顔の一部ということになる。
両手にいただくように目の高さまで持ち上げ、埃と手垢のついたそれを眺める。
レンズについているのは、母の指紋だ。

母がこの世を去ったのは――私がこの家を出たのは、もう二十年以上も前。

一念発起して、私は実家の整理に手を付けていた。
荷物を運ぶたび古い床が悲鳴を上げる。この音を聞くのも今月までだ。
父が施設へ入ると、この家も空になる。
すぐに家屋を処分する予定はないが、家具や調度は少ないほうがいい。

年寄りの暮らしは、必要な物より、そうでない物のほうが圧倒的に多い。
都合のいい思い出でコーティングされているのだ。
年寄りの記憶は、果物に似ている。中身はとうに萎びているのに、外側だけがやけに艶やかだ。
それに共感できない私には、益体もないガラクタ同然。

妹からの依頼は、短いメッセージだった。実家の近所に住む独身の姉。条件は揃っている。

妹のテキストには、母と同じ癖がある。短い文面でも妙に余白が多い。句読点の打ち方も気まぐれで、そこに人肌の温度がある。

私とはまるで真逆だ。
そういう情緒の人間だからこそ、実家の片付けには向いている。

幾ばくかの手間賃をもらう約束を取り付けて、今現在私はここにいる。


父がこれをとっておいたのだろうか? その可能性を、すぐに打ち消した。
父はずぼらで、なんでも抱え込んで序列を付けない、不整合な人間だ。
さきほど力任せに引き出しを引き抜いたから、裏側にでも落ちたのだろう。
陰からこっそり出てきた代物は、少しばかりの秘密を蓄えているように見えた。

私はかけている眼鏡をはずす。それから、今見つけた眼鏡をかけてみる。
母の見ていた世界がみえるのだろうか。

レンズの曇りが、昼下がりの室内に薄ぼんやりとフィルターをかけている。
世界が少しだけ、乳白色に濁った。それだけだ。
手前に焦点をずらすと、ぐるぐると銀色の模様が見える。
私の指先は、流れに身を任せるような流状紋ばかりだ。母のような、完璧な螺旋はどこにもない。
口許が不自然にゆがんだ。


手元の古びた文庫本に目を落として、息が止まった。
掠れて読みづらかった活字が、くっきりと網膜に飛び込んできた。
ピントが合う。母の眼鏡越しだと、恐ろしいほどにしっくりくる。
強ばった目元の皺を気にしつつ、何度も瞬きをした。

二十年以上前、この眼鏡をかけていた母は、今の私の年齢とそう変わらない。
あの頃の母は、私の目には完成された「大人」、揺るぎない「親」に見えた。
いまの私は、誰の人生にも深く染まらず、輪郭の曖昧な場所で呼吸している。
裸眼で眺める世界のように、少しだけぼやけたままで。

私は眼鏡を外すと、レンズを丁寧にシャツの裾で拭った。
母も、私と同じように立っていたのだろう。頼りない世界の焦点を、このレンズでなんとか手繰りよせながら。

私はその眼鏡を胸のポケットに滑り込ませる。
報酬は、このレンズだけでいい。
私は再び、埃っぽいガラクタの山へと向き直った。

母の眼鏡

執筆の狙い

作者 塩瀬ヨリ
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実家の片づけをしていて、亡き母を思い出す話。

令和の文体を練習しています。
可読性の向上と、説明っぽさを少なくするように心がけました。
そのあたりが達成されているかを、教えていただけると幸いです。

コメント

偏差値45
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ふつうに書けていると思うけど。
一点、気になるところは……。

>妹からの依頼は、短いメッセージだった。実家の近所に住む独身の姉。条件は揃っている。

もしかしたら、主人公は三人の姉妹かな、と考えてしまうので、ちょっと工夫した方がいいかもしれない。
>妹からの依頼は、短いメッセージだった。実家の近所に住む独身の姉である私。と補うと分かりやすい気がしますね。

>報酬は、このレンズだけでいい。

まあ、ここは形見としてかな。なんとなく分かる気がしますね。
僕も亡き祖父の使用した将棋盤を形見として、半ば強引にいただきましたね。
そういう意味では共感できますね。

味わいのある作品ではないでしょうか。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

僕は令和の文体はわからんのですが、
この比喩は好きです。

>年寄りの記憶は、果物に似ている。中身はとうに萎びているのに、外側だけがやけに艶やかだ。

全体的に無駄を感じず、温度があって、読んでてある種の心地よさというか読みやすさがありました。

なんというか肩をポンと押したくなる共感性のある主人公だと思いましたよ。
なんか人生に立ち向かって、生き延びていってほしいような。

文章力は僕よりもずっとありますよなーん。逆立ちしても敵わない。うらやましー。

あと何か、家族を感じられるような何かがあるとシマルノかなー。
引き算をしている本作の美しさはあるとは思うのですが。
僕の好みで。

夜の雨
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塩瀬ヨリさん「母の眼鏡」読みました。

作品の構造から何を書きたかったのだろうということは伝わりましたが、もう少しわかりやすく書いた方がよいのでは。

ただ、書きたかった内容は文学味の掌編といったところで、よかった。

書かれている内容は、父が高齢で施設に入るので「後片付けよろしく」と言ったようなメッセージが妹から来て、実家の近所に住む主人公は少しばかりの手間賃で引き受けた。
その実家の後片付けをしている最中に、亡き母の眼鏡が出てきた。
自分の眼鏡の代わりにかけてみると、あんがい焦点が合いかすれて見えにくい文字がくっきりと見えた。

その眼鏡のエピソードと前後して、残っていたガラクタに父の老人臭のようなものを感じた。
また、母と自分との性格の違いから人生観の違いを感じた。

この出てきた眼鏡をかけていたころの20年前の母は、主人公には『完成された「大人」、揺るぎない「親」』に、見えており、自分が現在その年齢に達している。
『いまの私は、誰の人生にも深く染まらず、輪郭の曖昧な場所で呼吸している。
裸眼で眺める世界のように、少しだけぼやけたままで。』

ということで、実家の片づけで出てきた眼鏡のエピソードが味わい深い話になっていた。

で、話の流れとか一部の文章をいじると、わかりやすくなるのではと思いました。


まず、母が「いつ」亡くなったのか?
>母がこの世を去ったのは――私がこの家を出たのは、もう二十年以上も前。<
ということで20年前ですか?
この文章はちょっとわかりにくいですね。
>私がこの家を出たのは、もう二十年以上も前。<
が、「母がこの世を去ったのは――」の文章の後についているので。

母がこの世を去ったのは二十年前で、このあと私は家を出た。
なら、わかりよいのですが。

あと、母と主人公の「私」に何やら「いさかい」があって、和解していなかったとすれば、御作は物語的には深くなると思います。または、父と主人公にいさかいがあって、和解していなかったとか。
で、母が亡くなったときに家を出た、なら話の流れがよくなります。

ただ、今回は掌編なので、眼鏡のエピソードだけでよいかも。

それで二十年前に母が亡くなっていたのなら、そのときから現在まで実家には帰らなかったのかと疑問に思いますが、そのあたりが書かれていない。
実家と主人公が住んでいるところは、近いので、帰らないわけがないと思うし、そのあたりの説明は書いておいたほうが、よいかなと。主人公と父と母の関係。プラス、妹。

冒頭から実家の片付けに入るまでに主人公の「私」が誰であるのかをわかるようにする。
現状の御作だと、三分の一ほどのところで。
>妹からの依頼は、短いメッセージだった。実家の近所に住む独身の姉。<
この部分で、主人公の「私」は姉妹で、姉の方という事がわかりますが。
一読目はこの「姉」が私だとは、気が付きませんでした。
「妹」を「姉」とまちがって書いたのかと思いました。
読み進めて、この「姉」と書かれているのが主人公だとわかりましたが。

父が高齢で施設に入るので、実家の片付けに来た時点で「私」が誰なのかということは、わかるようにしておいたほうがよいですね。家族構成などを話の流れに合わせて書いておくと、よいのでは。

そうすると、あとの内容がわかりよい。

作品に描かれている家族のそれぞれの癖のようなものは人間味があり文学とつながり、自然と描かれていたのではないかと。


>可読性の向上と、説明っぽさを少なくするように心がけました。<

眼鏡のエピソードは具体的でよかった。

御作は主人公の立ち位置と家族のことが書かれているので、この文体だと話がどんどん膨らみます。


それでは創作を楽しんでください。

からあげ
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塩瀬ヨリさん、「母の眼鏡」を読ませていただきました。

ヨリさんの文章、個人的にすごく好みです。



全体的に表現がとても綺麗で、大人っぽい雰囲気があるところに惹かれました。

また、「眼鏡は顔の一部である」という書き出しから始まって、最後までテーマがぶれていないのがすごいと思いました。

特に、母の眼鏡をかけたときに見える世界の描写が印象的で、主人公の気持ちの変化が自然に伝わってきました。

「年寄りの記憶は果物に似ている」などのたとえも分かりやすくて、情景が想像しやすかったです。




1つ、改善点(?)として提案したいのですが、(私の文章雑魚なのでそこまで参考にならないかもしれませんが)

妹や父との関係について、少し具体的なエピソードがあると、主人公の人物像がもっと伝わると思いました。




これからも創作楽しんでください。

塩瀬ヨリ
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偏差値45さん

お読みいただき、ありがとうございました。
味わいのあると評していただき、また、気になるところをご教示いただけて大変うれしいです。

確かに、文中で家族構成をはっきりさせていないですね~父母はともかく、兄弟姉妹はもっといる可能性がある!と思いました。ミステリーならミスリード的な描写にとどまってますね~。
文章の練習をしようと思っていたので設定がいい加減なのがバレバレでしたね・・・!

形見の将棋盤なんて素敵ですね、私はほぼ観る将ですが、一度くらいはあの足のついた盤で指してみたいです。

塩瀬ヨリ
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えんがわさん

お読みいただき、ありがとうございました。

アドバイスもありがとうございます!

本来の手癖で書いた文章は、多くの人が読みにくいのだと最近気づいて、それを改善するために令和っぽい(と私が勝手に思っている)文体の練習に励んでおりました。
なのでなおさら、記憶に残るような表現があったのなら、とても嬉しいです!!

実はこの主人公、私は『めんどくせぇから友達になれなさそう』って 思いながら書いてましたwww
『背中を押したくなる』と感じてくださるなんて、キャラクターが作者を超えて独立してるという気がしてそこも嬉しいですね。

塩瀬ヨリ
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夜の雨さん

お読みいただき、ありがとうございました。

主人公が誰か問題、確かにわからんまま掃除してますね・・・遺品整理の業者さんの可能性すらある!?
時系列を整理したほうが、分かりやすいかもしれません、ご指摘ありがとうございます。
姉妹も二人なんだか、もっといるのかも不明な文章でしたw

文体だけでなく、構成の面でも可読性を上げていきたいです。

塩瀬ヨリ
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からあげさん

お読みいただき、ありがとうございました。

いま、令和っぽい文章の練習をしているので、”文体”について褒めていただいてとても嬉しいです!
本来の手癖ではもっと硬くみっしりした文体になるのでwww
テーマと呼べるほどのものがあるのかあやしいですが、短い中で物語要素の必要十分を盛り込むように頑張りました。

またアドバイスもありがとうございます~!
自分では気づけないところを、ご指摘いただけるのは大変糧になります。
主人公、家族と不仲っぽいですよねwその辺の設定をきちんと考えていないのがモロバレでしたねwww
この話は・・・文章と表現と構成のバランスを最優先に、各キャラには逆算してご都合主義的に配役を割り振って最終的にストーリーが出来上った、という通常とは逆の制作過程でした。
なので、そこはお話としての深みは当然でないよなぁ、見る人にはそういうのが、ちゃんと伝わるのだなぁと改めて思いました。

パイングミ
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初めまして。拝読しました。
面白いというか、文章や行間を楽しむことができた作品でした。

>句読点の打ち方も気まぐれで、そこに人肌の温度がある。
>私の指先は、流れに身を任せるような流状紋ばかりだ。母のような、完璧な螺旋はどこにもない。

こういう表現+着眼点、素晴らしいですね。これだけで登場人物の人となりが分かるのは上手だなと思いました(特に流状紋の箇所が好きです)。

>都合のいい思い出でコーティングされているのだ。
年寄りの記憶は、果物に似ている。中身はとうに萎びているのに、外側だけがやけに艶やかだ。

すみません。ここもお上手なんですが、うまくイメージができませんでした。果物が内部から萎びることってどういう感じなのかな? と(みかんとかバナナとか、外気に触れる部分からダメになるイメージがあるので)。ただ他の方は違和感がないみたいなので、きっと私だけなのかなと思います。

あと、これは好みかと思うですが、もう少し母とのエピソードに具体性があっても良いのかなと。詳細に書いては野暮だとは思うのですが、もう少しだけ詳しくあると、物語に手触りが出るかと思います。ただ、あえて具体性をもたせないことで多くの人が共感できる部分もあるので(母への想いは大半の人があるわけなので)、これは好みの問題な気がします。

色々書きましたが、とても筆力のある方で勉強になりました。次回作も楽しみにしています。

塩瀬ヨリ
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パイングミさん

お読みいただき、ありがとうございました。

鋭意練習中なので、文体についてコメント頂けて大変嬉しいです!

実は、書いている時と普段の自分にはかなりのギャップがあるのですが……(笑)
こういう比喩がカチッとはまった時の快感は、まさにアーモンドチョコ一粒で二度おいしい!というくらい、私にとって大きな喜びですね~、気づいていただけて本当に幸せです。

果物のくだり、実は私も今一つ・・・辛うじてリンゴ、ブドウとかでしょうかね??
最初、屋台のフルーツ飴にしていたのですが、なんかトンマナあわないかな?ではフルーツのみを採用。
といった経緯で果物になったという・・・行き当たりばったり感、雰囲気採用でした!

文体の練習とは言え、母のみならず、父も妹もかなりご都合主義的配置で。
抽象概念としての母という体裁にして、間口を広めに設計した風に見えんか・・・ダメか?ワンチャン、ならんか??
と、見切り発車。
もう少し丁寧に設定すればよかったな!と、やはり悪事はすぐバレるのだな!二つ同時にかみしめております。

ご意見、ご感想、大変励みになりました!
引き続き練習がんばります!

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