とあるOLの昼休み
会社の昼休みになると、わたしは決まってビルの裏手にある小さな公園に行く。
ベンチが三つあって、真ん中のが陽当たりがちょうどいい。
右のは陽が強すぎるし、左のは鳩がよく群がってくる。
そういうの、毎日のことだから、自然に覚えてしまっている。
スーツのボタンを外して、コンビニで買ったおにぎりを膝の上に置く。
シャケと、昆布。
子どもの頃から変わらない、ささやかな好み。
それをゆっくりと食べながら、目を閉じる。
すると、会社の空気とか、さっきの会議のこととか、同僚の咳払いとか、すべてが遠ざかっていく。
そして、自分の中にある“秘密の部屋”の扉が、そっと開く。
その部屋には、いなくなった人たちの気配がある。
祖母の台所の匂いとか、学生時代に好きだった男の子の笑い声とか。
音楽も鳴っている。
サザンの『真夏の果実』。
わたしの記憶の中でだけ、いつも流れている。
ある日、ベンチの端っこに、誰かが座っていた。
細い肩をしていて、紙袋を膝に抱えている若い男性。
彼は、私を見上げると話しかけてきた。
「このベンチ、好きなんですか?」
優しい声だった。
「はい、ちょうど陽がいいんです」
「ぼくもそう思ってました」
会話はそれだけだった。
でも、不思議と、それでよかった。
わたしたちはその日から、なんとなく同じ時間に来て、何も話さず、このベンチで昼休みを過ごすようになった。
言葉はほとんど交わさなかったけれど、わたしたちはそれぞれ、自分の秘密の部屋を持っていた。
ときどき、部屋の扉が風でふわりと開く瞬間だけ互いの匂いがわかるような、そんな感じだった。
ある日、その人はいなくなった。
理由は知らない。
聞くことも、探すことも、しなかった。
次の日から、わたしは昆布のおにぎりをやめて、梅にした。
理由はない。
ただ、何かを少しだけ変えておきたいと思った。
昼休みは、静かな魔法。
それは一日に一度だけ、自分の中の「まだ大丈夫だよ」っていう声を、こっそり聞きに行く時間。
会社に戻るとき、わたしは深く息を吸い込んで、ボタンを留め直す。
そして、知らん顔をして、午後の仕事に戻る。
わたしの秘密の部屋には、あの人の気配が残っている。
紙袋と優しい声の残り香が、今もそこにある。
< 了 >
執筆の狙い
約900字の掌編です。
昼休みの過ごし方をテーマにしました。