ハンバーグラプソディ
ハンバーグ。ハンバーグ。はははハァンバーグ。ハンバー牛。
久し振りに料理を作ろうと思った。しかし僕のレパートリーはカレーとシチュー、それと鮭の塩焼きとハンバーグしかない。虚しすぎる四択の結果、牛挽肉が我が胃袋の生贄、要するにレシピとなることになった。
いつもは近場のマルエツで買い物をすませることが多い。寂れた小さなスーパーは、人が少ないから買い物をしやすい、老人に優しいというケナシ言葉ぎりぎりのメリットしかないところだ。そこが自分の性に合うのだから、自分も枯れてしまっているのだろうか。
けれど、今日は違う。ちょっと遠い大型スーパーへと足を向けたのだった。スーパーデラックスハンバーグを作るためだ。まず駐車場から違う。でかい。周囲はモールになっていて、自転車をとぼとぼ転がすと、白鳥のような白いスーパー様がお目見えだ。やや気圧されながら「ハンバーグを作るんだ!」と心に誓い、入り口をくぐる。
暑い太陽から一気に冷房の世界へ、まるで北国のような野菜の宝石箱のような、丁寧に整列され、綺麗に清掃され、おされなお客たちがひしめきあう魔境の扉が開く。野菜の群れ。たまねぎは家にある。既に芽が出ていそうなしなびたたまねぎかもしれないが、だからこそ消化する義務がある。さらば、きらきら北海道産たまねぎ。
そのままためらわず、鮮魚コーナーーを断腸の思いで通り抜け、食肉コーナーへ行く。「国産牛ひき肉」。一挙に距離を詰めようと思ったら、グラム数、豚ひき肉とで何個もの選択肢を突き付けられた。屈辱。人は選択の自由を謳歌する生き物だが、自由は時に人を傷つけるものなのだ。それに出会ったことのない人を惑わせ、今まで味わったことのない「迷い」という不自由を与える。しかし、負けるものか。僕はA級ハンバーグファイターだ。そこらの五回戦とは違う。五分の迷いの末、適度な量の挽肉パックを選択する。卵も大丈夫。
さぁ、素人はハンバーグの材料は全て揃ったと錯覚するだろう。だが真のハンバーグはむしろそこからなのだ。そしてこの超高級スーパーに赴いた意味もそこにあるのだ。ただっぴろい食肉コーナーを抜け、酒類のコーナーに行く。ビール、日本酒を抜けると、なんとワインのコーナーが四列もある。赤ワイン、白ワイン、そしてロゼ。イタリア産、フランス産、アメリカ産。まず目に入ったのが2万五千円の超高級ワイン。こんな田舎のスーパーで決して売ってはいけないものだ。誰も買うものなどいない。ブルジョワジー。ドッグフード用の冷蔵庫を持っているような超富裕層が買うようなワインが何気なく置いてある。怒りのままそれを叩きつけたら、どれだけすっきりするだろう。そう思い、僕は叩きつけた。近くのおにいちゃんがマジかよ!と言い、おばちゃんが悲鳴をあげる。店員が駆け寄る中、僕はワインを投げつけ続ける。その一個が不幸にして五歳くらいの幼児の頭に直撃する。かえるのような悲鳴をあげ、ぐったりと赤い色の液体が床に広がる。ワインの色か。それとも。わはははははは、と僕は笑う。もちろんこれは妄想だ。文章なら人を殺せる自分も、実社会では肩も張れぬ臆病な一般市民だ。高い値札に「ほえー」といってそのまま通り過ぎる。
ひと瓶980円の格安ワインを手に取る。シャン・ピエールとか高そうなブランド名も、この格安さでは見かけ倒しだ。だがハンバーグの赤ワインソースにはこれくらいが丁度いい。ほくほくと買い物かごに入れる。
そこからお惣菜と弁当コーナーに行く。ハンバーグだけではひもじい。なにかつまみになるおかずがもう一品ほしい。それを地力ではなく、出来合いのもので済ますのがマイクッキングの限界だ。茶碗蒸し、あさりごはん、パクチーのサラダ、近所のしなびたスーパーにはないおされラインナップが広がっていた。しかし、オサレな分、お値段が100円、200円お高い。そのうえ値引きシールなど存在しない世界にやつらは安住している。半額シールどころか、壱円だって値引きを許さない。お高く止まった奴らだ。だが腹は空いている。安そうな明太子スパゲティサラダを選ぶ。チーズとマヨネーズにくるまれピンク色のパスタが彩りまぶしく美味しそうだ。ハンバーグにも合うだろう。と、声がかかった。「ちょっとちょっと」
僕はびくんとした。見ると恰幅の良い、ペルシアネコを飼ってそうなおばさんが手招きをしている。瞬間、僕のちっちゃな知人リストがひらひらオドル。いない。こんな人。いないはずだ。おばさんはにこにこしている。リストのはじっこに近所のご近所のおばさんが照合された。きっとそうだ。
「ども」
と頭を下げる。
「あらー」
とおばさんは明るい声をあげる。
「こんにちわ」
陰キャな自分としては精一杯さわやかに挨拶をしたはずだ。おばさんは笑顔のまま、僕の方に向かい、通り過ぎた。
振り返るとおばさんは、連れの中年の茶髪のおっさんと談笑している。おばさんが声をかけたのは彼だったのだ。恥ずかしい。僕は一向に悪いことをしたはずはないのに、ばつが悪い、なにか晒しものになった気分になる。
心を傷つけながらも買い物を終え、炎天下の中自転車をえっちらこっちら漕ぎ、家に着く。
さあ、食卓の時間だ。たまねぎを涙をこらえ粗みじん切りし、フライパンで色が変わるまで炒め、冷蔵庫で冷ます。そこで台所にパン粉がないのに気付いた。我が家の台所はひじょうに貧しい。悲しくもつなぎは卵だけの牛肉百パーセントハンバーグを作ることにする。ハンバーグの挽肉を中心に混ぜた具をこねこねし、youtubeの動画を参考に、キャッチボールの要領で空気を抜き、形を整える。もう使い込んで色が真っ黒になったフライパンで、ハンバーグを焼く。ひっくり返すとき、形が崩れないかどきどきしたが、僕の腕がいいのか、それが当たり前なのか、大丈夫だった。ハンバーグを焼いた後、赤ワインソースを作る。といっても焼き汁にバターを入れ、ケチャップと中濃ソースを入れ、赤ワインをぶっかけるだけだ。テレビで見たように赤ワインが派手に燃えるかと思ったら、そこは980円のワイン。そんなことはなかった。
ハンバーグが出来た。ついでにニンジンのソテーを添え、完成だ。
父の分も作り、恋人じゃないところが自分らしい、父から「火はちゃんと通ってるのか」といぶかしがられたところにも、僕の客観的に見た料理スキルの拙さがうかがえよう。
ハンバーグはふつうに美味しかった。赤ワインソースはどこが赤ワインって感じだったが、それでも美味しかった。どこか素朴で、安っぽいけど、ボリューミーなその味は母の味に意外と近かった。そういえば母の貧しい料理レパートリーの定番メニューだったっけ。あまった赤ワインを飲みながら、しんみりとあのペルシア猫おばさんをぶち殺す妄想、たとえばからだじゅうがかゆくてたまらない病気にかかり、皮膚がただれ、肉が腐り、死にたくても死ねない、愚かで醜く消えていく哀れなる老婆を妄想しようとして、そのグロテスクさにかえって自分の何かが不快になり、悪酔いしながら本日の晩餐はとどこおりなく終わったのだ。また明日が来る。
執筆の狙い
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