作家でごはん!鍛練場
田中

啓示

啓示を、受けた。神の声を聞いた。幻聴や幻覚ではないという確信が、理由もなくあった。それは不可知論者の私が、有神論者に変移しただけの有り触れた瞬間ではなく、巨大な変革の前触れであった。夜は深く、月は恐れをなして身を隠した。点灯を繰り返していた街路灯の光が、落ちた。辺りは静に包まれ、蛾の鳴き声がただただ響いていた。私は着ていた衣服を、衣を全て脱ぎ捨て、地面にそっと置いた。ただ一人をのぞいて、誰か目撃者がいることはありえなかった。私には、それがこの世の摂理だということが明確に理解できた。私は目を瞑り、しばらくの間、一糸纏わぬままでその場に立ち尽くした。三回の北風が吹き、二回カラスが鳴いた。雨が降り始め、強い風が私の体に強く雨粒を叩きつけた。私は目を開き、数を数える。三。雨脚は強く、二。風は荒れ、一。雷鳴が轟く。私は、徐に走り出す。かつてこれ程に強く、鼓動が打ったことがあっただろうか。かつてこれ程に明確に、行き先を意識したことがあっただろうか。否、あるはずもない。私は風に運ばれ、雨に洗われ、雷にささやかれ、ただ一つの目的地に走った。生を授かってからこのかた、自らの行為の正しさを確信したことなどなく、私は迷える羊だったのだ。足の裏の皮は無残に破れ、速く打ちすぎた心臓は機能を停止しようとしている。体は自らの行為を否定し、脳は拒絶反応を示した。痛みなど感じなかった。痛みなどその瞬間には存在しなかった。心が私の全器官を抑圧し、私という存在を動かし続けた。町を出て、森を抜け、山を越えた。嵐は去らず、共にいた。
私は、足を止める。幾許の時が経ったか。幾許の距離を走ったか。幾許の細胞が死んだのか。そんなことはどうでも良かった。到着した。そのことが、はっきりと、わかった。ここが行き場。ここが終着。ここが。辿り着いたのは、訪れたこともない、聞いたこともない、そしてなんら変哲の無いコンビニエンスストア。私の体は機能することを止め、私は倒れこんだ。消えていく自我の中で、私は声を聞いた。

「お前の定めは果たされた」

嵐は、止んだ。

啓示

執筆の狙い

作者 田中
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人生における確信には論理を超える何かがあるのかもしれないと思ったため

コメント

神楽堂
p3339011-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

>田中さん

読ませていただきました。
まず、主人公が「不可知論者」という設定なのがおもしろいですね!
神の声を聞いてしまったら、もはや不可知論は成り立たなくなってしまいますよね^^;

>ただ一人をのぞいて、誰か目撃者がいることはありえなかった。

この「ただ一人」は、神ということでよろしいでしょうか。

>私は目を開き、数を数える。三。雨脚は強く、二。風は荒れ、一。雷鳴が轟く。

走り出す前の、このカウントの部分、かっこいいですね!

>生を授かってからこのかた、自らの行為の正しさを確信したことなどなく、私は迷える羊だったのだ。

この主人公が、痛みを忘れて走り出すのは、神の啓示を受けて自分が正しいと確信したから、でしょうか。
それとも、迷える子羊のまま走ったのでしょうか。
私は前者であるように読みました。

ラスト、主人公が行き着いた場所がコンビニだったというオチは、神の啓示を受けたと信じる人間の行き先は、実は意外と平凡であったりする、というシニカルなエンディングとして私は捉えました。
もっとも、この主人公にとっては、行き着いたコンビニは特別な場所として捉えたのかもしれませんね。
ラストの声は、本当に神の声なのか、自分自身が至った結論なのか、両方の解釈ができるように思いました。
医学的に、にべもなく言ってしまえば、統合失調症の患者さん、って感じの主人公ではありますが。

人間、急になにか、ものすごいことを知ってしまったら、つまり、何かを「確信」してしまったら、周りなんて気にしないで、そして、痛みなんて気にしないで走り出すものなのかもしれません。
この主人公は、全裸になっていることから、周りを気にしていないことがわかりますし、走る途中での痛みも感じなくなってしまっています。
そういう意味では、人間を風刺した作品であるようにも思いました。
多重な解釈ができる作品であり、とても楽しませていただきました。
読ませていただきありがとうございました。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

なんとなく雰囲気がありますけど、意味を掴み切れない。意味を掴み切れない深さを扱っているようで、意味を提示することを怠った浅い作品かもしれない。自分には判断できませんが、もう少し言葉を足してほしい。

夜の雨
ai248148.d.west.v6connect.net

田中さん「啓示」読みました。

人生には何かがありますよね。
瞬間が。
主人公はその得体のしれないモノに突き動かされて行動しました。
それは自分の眠っている底力、ふだんは稼働しないが、ある瞬間に動きだす。

しかしそういった力というものは科学的には照明はされていない。
神というものがいたらの話ですが、神業みたいなもの。

たどりついたところが、
>なんら変哲の無いコンビニエンスストア<
というのが、おもしろいですね。
仰々しくないところが。


ありがとうございました。

夜の雨
ai248148.d.west.v6connect.net

照明 ← 証明

目立ちすぎるので、修正。

指咲 游
KD059132147049.au-net.ne.jp

獣じみた誇大妄想狂によるシニカルなコメディかと思いました。
語られていることすべてが身勝手な妄想への固執で、結局終いまでそれを認めることは出来ない語り手は少しも変化のない物語への適任者として完徹されているもののはず、と思うと読感として良好な気がします。
神の啓示に導かれ、丸裸のまま現実事実の象徴たるコンビニに辿り着くなんて、まったく相応しくもの悲しく滑稽な有り様です。
ミスリードを貫いて放置する不感症みたいなお話として。
作風は好きずきですからお好みに練られたらいいと思いますが、そのために必要なはずの技術的な認知や自覚をもう少し心掛けられたほうがいいような気がしました。
引用失礼します。

・啓示を、受けた。神の声を聞いた。幻聴や幻覚ではないという確信が、理由もなくあった。

*啓示を、受けた。
神の声を聞いた。幻聴や幻覚ではないという確信が、理由もなくあった。

どちらが正しいということではなく、たかが体裁によってなにが違ってくると思いますか。
その上で共通して言えるはずのことが、「私」という語り手自ら名乗る主語人称です。
率直には、必要ありますかということです。
そんな認知の上で相応しく成り立つものか、技術的な認知として単純に乱れたものと受け取られるのか。
決まりの答えはないのかもしれませんが、文章の書き手として程度そのものに疑いを持たれかねないという用心的認知をもって追い込むような意識は必要な気がします。

田中
163.140.5.103.wi-fi.wi2.ne.jp

神楽堂さん、お読みいただいた上、丁寧なご感想ありがとうございます。

言葉足らずな作品であった中、深く読み込んで頂けて嬉しいです。

>この「ただ一人」は、神ということでよろしいでしょうか。この「ただ一人」は、神ということでよろしいでしょうか。
そうです。

>医学的に、にべもなく言ってしまえば、統合失調症の患者さん、って感じの主人公ではありますが。
おっしゃる通りですね。主人公の啓示前の常人さを記述していればもっと読者の方に引きつけて読んでいただけると思いました。

自分の文章が読者にどのような効果を与えるかを知る機会になりました。

田中
163.140.5.103.wi-fi.wi2.ne.jp

えんがわさん、お読み頂きありがとうございました。

自分としては解釈を読者の皆様に委ねるような意図はなかったのですが、言葉足らずだったようです。

次の機会があれば、自分の中での意味を明確にし、それを読者の皆様に伝わるように努めます。

田中
163.140.5.103.wi-fi.wi2.ne.jp

夜の雨さん、お読みいただきありがとうございました。

まず、今後は誤字が無いよう努めます。

>人生には何かがありますよね。
瞬間が。

分かります。自分の中に主人公のような盲信的な行動に憧れがあったように思います。

田中
163.140.5.103.wi-fi.wi2.ne.jp

指咲 游さん、お読み頂きありがとうございました。

自分には少々難解なご指摘で正しく理解できているかは分かりませんが、参考にさせていただきます。

>そのために必要なはずの技術的な認知や自覚をもう少し心掛けられたほうがいいような気がしました。
>用心的認知をもって追い込むような意識は必要な気がします。
一つの世界を作り上げようとする時に、認知が大切であると学ばせていただきました。

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