限界怪魚ズールラ
ほう。わざわざ地球から来なさったか。こんな辺境惑星の、それもこんな小国にのう。
いやいや、言われなくとも理由は分かっとります。我が国建国のきっかけとなった革命の歴史遺産を観光するのが目的なんでしょう。何しろ四半世紀前に起ったハルゲムド革命は、史上初の現地異星人と人類が共に戦った市民革命ですからな。マルクス・レーニン主義の流れを汲んだスペース左派の方なら、一度はここに来て現在でも左翼革命思想が有効だという実例を見てみたいでしょうとも。
それにしても、視察先としてこの土地を選ぶとはお目が高い。史跡としては首都パーリパリの方が有名ですが、私に言わせればあんなものは革命があらかた終わった後に勝利宣言をした場所に過ぎない。最も激しい戦闘が行われたここズンムズム州こそ歴史が深く刻みつけられた土地だと信じておりますよ。
ええ、もちろんその時の資料や史跡は豊富に残っとります。ゲリラ戦用に掘られた地下トンネルですとか、反政府軍の拠点となった建物ですとか。何しろ現地民のゲムド族はカタツムリみたいな軟体動物から進化した種族ですからな。連中がぬらぬらと体を細めてトンネル内を移動して、思わぬ場所に現れて奇襲をかけるのには政府軍もさぞ手を焼いたことでしょうて。
それらの戦いで使用した武器なども残っておりますよ。
確かうちにも一つありましたかな。ちょっとお見せしましょうかね。
さあさ、これがこの星の原住民ゲムド族が近接戦闘に使った剣ですよ。軟体動物から進化した連中が使うものですから、人類の剣とは大分形が違っている。刃先が鋸のようにギザギザになっているし、髭剃り刃のように二枚重ねになっているでしょう。
これには理由がありましてね。連中の身体はグニャグニャしていて掴みどころが無いでしょ。切りにくいし、その上人間などは及びもつかない生命力もある。刀で斬りつけてもプラナリアの体を斬るようなもんで、一回切っただけではすぐに治ってしまうんですな。そこで刃を二枚重ねにして、二重に斬って、斬られた傷が治りにくいように作ってある。よく考えてありますよ。こんなので斬りつけられた日にゃあ、人間などは一たまりもありませんわ。
ゲムド族と人類革命家の連合軍が悪の資本主義政府を打倒した裏には、こういったゲリラ戦に強い武器の存在があったんですなあ。
えっ? 興味ないですか。
貴重な資料を見せて頂くは有難いが、そういった方面には見識がないので価値が分からない?
それじゃあいったい何の目的でいらっしゃったので?
はあ、食道楽? 資産家だった両親の遺産を相続して働く必要が無くなったから宇宙を旅して様々な星の美味珍味を食べ歩いている? その長い旅を終えた後には体験を本にまとめて自費出版するつもり?
今時紙製の本にして出すんですか? ううむ。何と贅沢な。
いい御身分ですなあ。羨ましい限りです。いや、皮肉などではなく、そういう方がいてこそ人類の文化は細かいところまで保存され、後世に語り伝えられてゆくんでしょう。価値のある仕事だと思いますよ。ええ。
しかし、それならば訪れるのはここよりも首都パーリパリの方がよい気もしますな。何しろあちらは食の都と言われるくらいで、一流レストランが揃ってますからな。
はあ、そちらはもう訪れて、名高い料理は一通り食べ終わった? さすがですな。それで一息ついて、今度は他の星には絶対無いような奇食珍味の類いを漁ってみようというわけですか。それなら分かります。この州には未開のジャングルや複雑な海岸線の海があって、変わった食材には事欠きませんからなあ。その上調理法も独特ときている。宇宙一の奇食珍味を捜してみる価値はあるでしょうて。
その中でも特にお勧めの料理ですか。そうですなあ。すぐに思いつくのはヒラポラ草原産バフーンの臼歯スープですとか、ぺングリ茸の毒胞サラダ、シャックル獣の焼肉といったところでしょうかな。いや、実を言いますと、こう見えて私もちょいと食にはうるさい方なのでして。これらの料理について詳しくご説明しましょうかね。
まずバフーンの臼歯スープですが、ヒラポラ草原に住むバフーンっていうのは草食性の巨大軟体頭足類でして。その、地球の生物に例えるとイカを陸に上らせて体をどっしり頑丈にさせたようなもんですね。とは言ってもその大きさは相当なもんで、体長十メートル体重十二トンくらいあるんですが。
このバフーンは図体が大きいだけあって、口内には植物を擦り潰す巨大な臼歯を持っている。その上二本と下一本の歯は水平方向に往復半回転を繰り返し、文字通り石臼のような働きをするんですな。この歯を引っこ抜いて強火でグツグツと五十時間ばかり煮込むとですね、不思議なことに硬い組織がほぐれてトロトロのゼラチン質になる。それを適当な大きさに切り分けて、バフーンの脚肉や肝を始めとするさまざまな食材と薬味を煮詰めて作ったスープを加えてさらに三十時間ほど煮込むと、舌に絡まる絶妙な触感と、噛めば噛むほど染み出る慈味に溢れたバフーン臼歯スープの出来上がりとなります。地球の食べ物に例えると、海燕の巣のスープに似ているかもしれませんな。身体が弱り加減な時に精をつけるには最高の料理です。
次に説明しますはぺングリ茸ですが、これは猛毒の茸です。傘の裏に魚の卵のようなブツブツの毒胞をたくさん持っておりましてな。一本の茸で百万人を殺せると言われるくらいの恐ろしい毒がある。ところがこれが美味なんですなあ。しかし似ても焼いてもその毒は消えない。それじゃあどうやって毒を抜くかと申しますと、動物を利用するんですな。自然界というのはおかしなもんで、こんな毒茸でも好んで食べる動物はいる。ラムラグーっていう哺乳類似の草食六足獣なんですが。こいつにね、ぺングリ茸をしこたま食べさせるんです。そうすると若干の消化不良を起こして、ぺングリ茸の毒胞が糞の中に粒のままで混じるようになる。その糞を綺麗に洗ってですね、形の残った毒胞を細かい笊で濾して集める。そしてそれをサッと熱湯に通して殺菌すれば、さっぱりしていて薫風薫る、そして頬っぺたが落ちそうなくらいに美味な、無毒化されたぺングリ茸の毒胞サラダの出来上がりです。フレンチドレッシングがよく合いますな。
どういう理屈なのかは分からんのですが、ラムラグーの消化管にはぺングリ茸の毒を無毒化する機能が備わっているらしいんですなあ。
最後にシャックル獣の焼肉なんですが、実を言いますと、これは大っぴらにはお勧めできない。何故かと言うと、人道に反するとして非難されて、今では禁止されている料理だからです。とは言っても調理法自体は簡単で、ただ薄めに切った肉に塩を振って炭火で炙って食べるというだけなんですが。
非難されているのは、その前段階にあたるシャックル獣の屠り方なんでしてね。
シャックル獣というのは犬と似た感じの肉食獣なんですが、ものすごく獰猛なんですよ。ちょっとしたことでも物凄く怒り、自分より強い相手でも構わず襲いかかってゆく。まるで狂戦士のようなやつでして。
自然界で生き抜くために、徹底的に戦闘的になるように進化してきたんですな。そのため脳からすぐに大量の怒りホルモンが放出されて、それが全身に行き渡って体を戦闘モードに覚醒させる仕組みになっている。ところが、その怒りの戦闘ホルモンっていうのがねえ、肉の味を良くさせるんですな。何しろ全身に蓄えられた栄養素を即座に消費できるように変化させ、筋肉内のアミノ酸を最高レベルに活性化させますからな。これが旨くないわけがない。
そのため、このシャックル獣を屠る時は、最大限に怒らせるように棒で殴ったり灼けた鉄棒を押し付けたりして時間をかけて虐め殺すんです。怒りホルモンを全身に行き渡らさせて美味しくするための工夫なんですが、まあ、気の弱い人にはとても見せられないようなわけでして。
でも人によっては、「その虐め殺すところを見せてくれ。それを見ないことにはシャックル獣を食った気がしない」という方もいらっしゃる。あまりいい趣味とは言えませんが、ひとたびシャックル獣の肉の旨味を味わったら、そのような二重の意味での禁断の味にも目覚めてしまうといったようなわけでして。
大っぴらには申せませんが、私も二度ばかり味わいましたかねえ。もちろん禁止になる前の話です。それはもう血が滴るような、というより血の滴る、本当に「これぞ肉」という、血沸き肉躍る野性味の塊りのような味でして、一度これに嵌ると普通の肉は物足りなくなります。癖になると抜けられない、麻薬的な食体験です。シャックル獣の肉が本物のビールとすれば、他の肉は気の抜けたノンアルコールビールのようなものだと申せましょう。ああ、できればもう一度、私もあの味を味わってみたいのですが、残念ながら今では中々手に入らない。いっそのこと、こっそり密猟してでも食ってやろうかと、そんな邪心を起こすほどの美味となっております。
ですがね、ここだけの話。そこは蛇の道は蛇といいますか。まとまったお金を用意していただければ、裏ルートで、その、密猟組織と接触してシャックル獣を手に入れるという道も、まったく無いことはないのですがね。いかがですか。
はあ、そこまでしてくれなくてもいい? そうですか。美味しいんですがねえ。あっ、すみません。今涎を拭きますから。見苦しいところを見せてしまって申し訳ない。
ははあ、肉料理はパーリパリでさんざん食べてきたから魚料理の方がいいとおっしゃるので? そう言えばパーリパリは獣肉文化圏で脂っこい肉料理が多いですからなあ。
そうですか。それならお勧めは複雑怪奇に海流が交わる魔の海峡と言われるゾンバナム海の海の幸でしょうなあ。そこは昔から海難事故が多かった海域で、海の藻屑と散った多くのゲムド人たちの魂が亡霊となって海洋生物に乗り移ったから奇々怪々な生物がいるのだと言い伝えられているくらいなのですよ。
本当におかしな生き物がおりますわ。身体全体が超巨大な目ん玉で、眼球から直接足が生えている眼足類と言われる軟体類ですとか。網状になった長ーい舌を口から出して大きく拡げ、地引網漁をするように海底の生物を根こそぎさらって食ってしまう網鯨とも言われる巨大海獣類ですとか。針のように尖った口先を突き刺して血を吸って生きている吸血魚ですとか。襲われると腹にパンパンに溜めておいたウンコを一気に敵の鼻先に放出してそれを煙幕にして逃げる風船みたいにまん丸な魚ですとか。
しかし珍味と言われて一番に指を折るべきなのは、やはりズベコン川の河口に近い海域で獲れる怪魚ズールラでしょうかなあ。
はあ、そのあたりの海なら昨日立ち寄った? 自分は釣りも好きなので、半日釣りを楽しんで来たところだ、と。それは良かった。あのあたりは豊富な漁場として有名ですから、さぞやたくさんの魚が釣れたことでしょうて。
しかし、ズールラは釣れなかったでしょうがな。ハッハッハ。何しろズールラは今では幻の魚と言われるくらいで、地元の漁師でも滅多なことでは獲れんのですから。
それではズールラがどのような姿かを申します。もちろん怪魚と言われるくらいなので、変わった見た目はしとります。ちょっと地球で言うところのナマズと似てますかな。しかし頭が異様に大きくて、目も大きく目尻からは細麺みたいなものを涙のように垂らしている。頭頂部にはピンク色の触角が三本生えとります。そして大きな鰓のあたりからクラゲの触手のような紐状のものが出ている。それは個体によって数や長さがまちまちで、ほんの五、六本で長さは十センチくらいということもあれば、数十本で五、六メートルも伸びとる場合もある。色も真っ白だったり赤かったり、紫だったり。でもまあ大体はグニャグニャして気持ち悪いというのは共通してますかな。その紐状のものは、数が多くてなるたけ長い方が質のいいズールラだと言われとります。その他にも胴体の鱗と鱗の間からは、苔のようなものが生え出ている。それも一面びっしりとという感じで大量に出ている方が良いズールラです。
これが食べた時の味に関係するんですな。それというのも……。
えっ、何ですか。そういう見た目の魚なら一匹釣った。これがその写真なのでズールラかどうかを確認して欲しい、ですと? ハハハ冗談がきついですな。あの怪魚ズールラがそんな簡単に釣れるはずは……。
んがっ、こっ、これはっ。この何とも気色悪いフォルムと鰓から伸び出た紐状部のグチャグチャさ加減はっ。間違いない、これこそ怪魚ズールラです。この魚を釣った後はどうなされた。まさか自己流で調理して食べたのではあるまいな。この魚を食べる時にはちゃんと正しい手順を踏んで調理しなければならんのですぞ。
な、何とっ! もう食べてしまったと申されるのか。それもその場で切り分けて、さっ、刺身にして食ったと? 何て馬鹿なことを。こんな気持ち悪い見た目なら、そんなことをしてはいかんと分かるでしょうが。何、食べる前にはちゃんと切り身を毒判定機にかけて毒が無いことは確認した? グロテスクな魚の刺身は案外美味しいんです? そういう問題ではないわっ。
この魚がどうして珍味なのかを知っとるんですか。
何、別に旨くもなんともなかった? ジャリジャリした変な舌触りで味も薄かったから二切れくらいしか食べていない? あたり前だわこの馬鹿者がっ。
ああ、いや、思わず興奮してしもうて、申し訳ない。怒ったわけを説明します。この魚はですな、全身にとんでもない数の寄生虫を飼っとるんです。それも飛び切り恐ろしい悪性のやつを百種類近くも。実に全体重の四十パーセントが寄生虫だと言われるほど、体力の限界まで全身に寄生虫をギッシリ抱え込んでいる。目の端から出た涙みたいなものも、鰓から出た紐みたいな長いものも、鱗の隙間から出とる苔みたいなニョロニョロしたものも、全部寄生虫なのですぞ。もちろん体内にもビッシリ卵が産みつけられとる。あなたが食った刺身がジャリジャリした舌ざわりだったのも、寄生虫の卵に間違いありません。
ズールラにどうしてそんなに寄生虫がついているのかって? それは自ら望んでそうしているので、外敵から襲われないようにするためです。考えてもみて下さい。こんな自身の体と寄生虫ではどっちが多いか分からんようなやつを、食いたいと思いますかな。しかもズールラが体内に飼っている寄生虫は極めてタチが悪く、寄生した相手を内部から食い荒らして死なせてしまったり、ゾンビ化して操ったりするようなやつばかり。仮に何種かの寄生虫に耐性があったとしても、かならずどれかからは致命的なダメージを食らってしまうという、ロシアンルーレット百連発みたいな魚なのです。
不思議なことにズールラ自身は寄生虫に耐性があって、ズールラの体内では寄生虫はさして暴れないので栄養は取られても死ぬことはない。おそらく寄生虫たちは、ズールラを自らを受け入れて他へ移るための橋渡しをしてくれる大事な存在と知っていて、危害を加えないようにしとるんでしょうな。しかし、他の生物はそうはいかない。いったんズールラ寄生虫群が体に入ったが最期、骨の髄の最期の一滴までしゃぶりつくされる運命なのです。相手が寄生虫では毒に対する時のように解毒機能を高めて防御することも出来ず、なすすべもなく苦しみながら死んで行くよりない。ズールラは下手な猛毒魚よりも恐れられ、忌み嫌われている存在なのですよ。
そんなものを刺身で食うとは。正気の沙汰では無いわっ。
しかし、そんな魚がどうして天下の奇食、珍味と言われるのか不思議でしょうな。いやいや、それは「そんなもの」であるからこそなのですよ。ズールラ料理の玄妙特異な美味の源泉は、その、百種類近くにも及ぶ寄生虫なのですから。特殊なズールラ寄生虫の体内には普通の生物には無い特殊なホルモンや化学物質が存在するので、それがたくさん集まると複雑怪奇な反応をして、漢方薬の滋養成分のように深みのある味を醸し出すのです。
とは言いましても、それはズールラの全身を熱湯にぶち込んで百時間以上の地獄煮込みを行った後の話ですがね。ズールラ寄生虫には卵に熱耐性を持つものもいるので、そこまでやらないと安心とは言えない。そしてそこまで熱を加えればズールラの全身にいる寄生虫たちはドロドロに溶けて上質のゼラチン質に変化する。それでやっと天下無類の生体科学物質がブレンドされた滋養と嗜好品的な苦みを持ったズールラ煮込みスープの下準備が完了……って、そんなことを言っとる場合ではないわ。早く寄生虫を駆除する薬を飲まないと命がありませんぞ。
とは言っても、ここからでは病院に連れて行くのに時間がかかり過ぎる。刺身を食べたのはどのくらい前ですか。食べてからもう十六時間が経過している? いかんっ、もうすぐ寄生虫の卵が孵化して幼虫が暴れ出してしまうぞ。一刻も早く駆除薬を飲まなくては手遅れになる。近くに寄生虫駆除薬はなかったか。
ううーっ。ああそうだ。隣家のグエン婆さんが持っとったはずだ。あの婆さんは弟を悪性寄生虫で亡くしとるし、長年薬局に勤めておったから、強力な薬を常備しとる。婆さんが持ってる薬ならズールラ寄生虫にも効くはず。
ちょっと待っとりなさい。今とってくる。
はあはあ、飲みなさったか。これで一安心。まったく一時はどうなることかと思ったわい。しかし、あんたもこれに懲りたら、もう二度と無謀な素人食いをやってはなりませんぞ。とは言っても本当に苦しい思いをしなかったら骨身に染みないのが人の常か。よろしい。しっかり深層心理にまで染みわたって忘れることのないよう、ズールラ寄生虫がどんなに恐ろしいかを話してあげましょう。
とは言え何から話せばよいものか。ズールラには恐ろしい寄生虫がたくさんいるからのう。
べラベラ原虫、フィラール条虫、エポロ住血吸虫、オシセルカ口蓋虫、スヌバッチ線虫、パセード眼内虫、へイグ有鉤条虫、ぺスター吸肝体、カメラル紐虫、マグッソ蟯虫、グロマリラン寄生菌種、ポラボリヌ桿状体、カンピリア病原主、ピロピッピ腸内蛆、アンガータ食骨虫、マドクナード・ワーム、ケンターク・クラジミリア、パスター条虫、ソーメン麺条虫、オコンマー腔虫、ポコンチ太長虫、イキンマンタ痒群虫、タダーノ水虫などなど、あげればキリがない。
しかしその中で、最も早く人体をボロボロにして死に至らしめる危険な虫と言えばやっぱりフィラール条虫かのう。何しろこの虫は卵から孵ったが最後驚異的なスピードで成長し、まるでモグラが穴を掘り進めるように四方八方縦横無尽に人体を食い荒らしてゆくのですからな。人体はあっという間にトンネルだらけになって、見るも哀れな人間スポンジ死体の完成となってしまう。
ああ、しかし、この虫は活動し始めたら被害が大きいが、その分駆除薬も効くので早めに薬を飲みさえすれば恐いことはない。それより地元のゲムド族に恐れられているのは、パセード眼内虫の方でしょうな。
この虫はズールラ以外の経路からも寄生されることがあるので、被害の症例は比較的多い。卵から幼虫が孵化するのが早いし、動き始めると真っすぐに神経組織を目指し、それを辿って脳に侵入して宿主の精神を操ってしまうから厄介です。元々カタツムリ似の軟体生物に寄生する虫でな。下等な生物に寄生した時には宿主をゾンビ化し完全に操ってしまうと言われておる。活動中枢と食欲中枢を刺激して高カロリーなものを無茶苦茶に食わせ、そして得た栄養をそっくりと頂くのですな。そして大きく成長すると宿主の目に侵入し、眼球がラグビーボールのように巨大化して外に跳び出るという有様になる。そういう状態で脳神経に「上へ行け」という指令を出して草木の天辺やら岩の頂上やらに登らせ、跳び出た眼球を手旗信号のようにグルリグルリと動かして鳥を始めとする飛行生物に合図を送る。それを見た鳥は食欲を刺激されて、すかさず舞い降りて来て寄生された軟体動物を食べる。パセード眼内虫は、そうされることによって鳥の体内へと寄生先を変えて次の段階の種族繁栄へと進んで行くんですな。
この虫がゲムド人の脳内に入ると非常に厄介なことになる。もちろん食欲中枢は刺激されるがそれだけではなく、怒りの感情や攻撃本能にも強力なブーストがかかってしまう。きっとパセード眼内虫自身も、複雑な高等生物の脳を操るのは手に余る部分があって、上手く操り切れんからそうなるのでしょうな。
パセード眼内虫に憑りつかれた者は、まず血のように眼が真っ赤になる。そしてやたらと狂暴化して、周囲にいる者を攻撃し始める。刃物を手にして滅茶苦茶に斬りかかったり、ハンマーを振り回して片っ端から撲殺したり。そして殺した死体にしゃぶりついて肉を貪り食らう。そうやって無理やり栄養を取って体内の眼内虫が成長すると、目を大きく円錐状に跳び出させてカメレオンのようにグルングルンと動かしながら高い場所を目指す。高層ビルの屋上へ行ったり、高い山の頂上を目指したり。その途中でも出会った者がいれば、かたっぱしからぶち殺してのう。そういう悪夢のような事件が起こるものだから、非常に恐れられておる。この虫にだけは寄生されたらいかんのです。
人間が寄生された時にも同じような症状が起こるから、そんなことがあったら一大事だと、さっきはわしも焦ってしまってのう。叱りつけたりして申し訳なかった。いや、もちろんそれは、あなたの体を気遣ってのことなんだが。
その、過去のトラウマが脳裏をよぎってしまったということもあったかの。ほれ、さっき言ったお隣さんのグエン婆さんの弟さんだが、その人もこのパセード眼内虫の犠牲者なんじゃ。眼を真っ赤にして刃物を手にし、近所の人に襲いかかり始めたから駐在さんに撃ち殺されてしもうた。可哀そうにグエン婆さんはあれいらい近所の人から白い眼で見られるようになって……。弟さんに襲われて重傷を負う者が多数出てしまったから無理はないのだが、それでわしを頼って隣に移り住んできたのだ。まあわしも、そういった者の世話は自分の役目と思っとるから役に立てるのは本望なのだが。
少し話がそれてしまったか。ズールラ寄生虫の話ですな。おそろしい寄生虫はそれだけではないですぞ。これまで話したのは一般的な寄生虫駆除薬で駆除できる虫の話。本当に厄介なのは、むしろこれから話す一般薬が効かん寄生虫の方でしょうな。
ああ、もちろんあなたが今飲んだ薬でズールラ寄生虫の大方は駆除できる。だが中には通常の薬が効かんやつもいるのです。それらは改めて時間を置いて別の薬で駆除せねばならん。
ん? 薬は一度に飲めばいいじゃないですかって? 舐めたらいかん。ズールラ寄生虫を駆除する薬は極めて強力なのだ。複数の薬を一度に飲んだりしたら内臓が焼け爛れて死んでしまいますぞ。だからある程度時間を置いて順番に飲まなければならん。だが、そのタイミングは難しい。時によっては寄生虫が活動していても、しばらく放置しなければならん場合もあるのです。そうなりやすい寄生虫は何種類かいるが、いずれも恐ろしい症状を起こすものばかりだ。あなたもその中の幾つかは経験しなければならんかもしれんのう。
脅かすわけではないが、覚悟はしておいた方がいい。幸い死に至る場合は少ないので、しばらく地獄を経験すればいいというだけの話です。運が悪ければ後遺症が残る場合もあるが、死ぬよりは全然マシでしょうて。
考えてみればどうせ地獄の一つや二つは経験するのだから、わざわざ教訓的に恐ろしさを話してあげる必要もなかったかのう。ぐふふふっ。
あっ、いや、すまん。つい心にもない含み笑いが洩れてしもうて。決してあなたの身の上をいい気味だなどと思っているわけではないですぞ。心の底から心配して、老婆心ながら注意を喚起しようと思っとるだけなのでしてな。
被害を覚悟しとかなければならん寄生虫の中で代表的なものをあげると、まず指を折らなければならんのはアンガータ食骨虫でしょうかな。これは骨に吸着して骨を食べる珍しい虫なのだが、人間の体内に入ると頭蓋骨に好んで集まる習性がある。頭蓋の内外にフジツボのようにビッシリ貼り付いて骨をガリガリ削って食べるのだ。もちろんそんなことをされれば痛いが、何分骨なのでそう激烈な痛みになるわけではなく、何とも言えぬ嫌な痛痒が延々続くことになる。それだけでも恐ろしいが、それよりも耐えがたいのはこの虫が頭蓋を削って行くガリガリいう音が、骨を伝わって微かに聞こえてくることだと言われておりますな。ガリガリガリガリガリガリガリガリガリと朝昼関係無く聞こえ続ける。これは精神的に、かなりのキツさだと言って良いだろう。しかし被害を受けるのは骨だから、すぐに命にかかわるわけではなく、だからどうしても薬で駆除するのが後回しになってしまう。
とは言っても長い間放って置いたら悲惨なことになりますがな。寄生された人間は、いずれ頭蓋は元より体中の骨のすべてを食い尽くされて筋肉と脂肪と内臓だけのグニャグニャした肉塊人間になり果ててしまうのだから。そんな体になっても死に切れんとなったら、これこそ生き地獄というものでしょう。まあ、そうなるまでには一、二年はかかるので、そう心配することはないでしょうが。
その他、本人の苦痛が大きいが命の危険はないものにはパスター条虫が挙げられる。なんてことない名前だが、これも相当に精神的ダメージを与える寄生虫でしてな。こいつは身体から、宿主の脳に鬱症状や幻覚を起こさせる特殊なホルモンを放出するのです。だからこの虫に寄生された人間は強烈な鬱に襲われて恐怖に満ちた幻覚を見ることになる。
どのような幻覚かと申しますと、幻覚に襲われる本人が最も悍ましいと思っているものを見ることが多いと言われておりますな。例えば地球のゴキブリが嫌いだとすれば、地平線まで果てしなくゴキブリに埋め尽くされた惑星に一人ポツンと取り残されていて、その状況を理解すると、同時にゴキブリ共が襲いかかって来る。そして全身を食い尽くされてしまうといったたぐいのものです。
毛虫が大嫌いな女性が、臨月を迎えていて赤ん坊大の巨大な毛虫を何百匹何千匹と果てしなく出産し続けるという幻覚を見たとかいう話を聞いたこともありますな。もちろん幽霊、悪霊や、妖怪、悪鬼の類いも見るし、そいつらに囲まれ責めさいなまれて、自分の身体を何千何万もの切れ端にまで切り刻まれて、地の果てまでばら撒かれるなどという幻覚も当然ありです。
症状が重くなるとそのような幻覚を三日三晩、眠れもせずにぶっ続けで見て、その後体力の限界が来て気を失うと言われております。そしておおよそ一日後には目を覚ますのだが、その時には恐怖のあまり髪の毛がすべて真っ白になっている。と、思うと実はそれは錯覚にすぎず、髪の毛と見えるものはすべてパスター条虫の、皮膚の外へと長―く伸ばされた卵管なのです。髪の毛はとっくの昔に全部抜け落ちて、寄生虫の体の一部に置き換わってしまっているのですなあ。何千何万本の卵管が皮膚から飛び出しているのは、ある意味壮観と言えるかもしれません。
そんなわけだからその白髪に見えるものにベタベタと大量にくっついているフケに触ってはいけません。それはフケではなくてパスター条虫の卵なのだから。もちろんそんな状態では長い間洗っていない頭どころの騒ぎではない猛烈な痒みがあるが、それでも掻いたらいけないのだ。ふはははは。生き地獄ですなあ。
しかしそんなパスター条虫も、毛根が壊滅する程度で体に決定的な障害を残すわけではないからまだいい。本当に厄介なのはこれから話す人体に不可逆的な改造を加えてしまう虫でしょうな。
その代表的な虫はオコンマー腔虫と言う。この虫は、本当に恐ろしいですぞ。人間の生殖器にターゲットを絞って寄生するのだから。寄生される者が男性の場合は、まずは睾丸に棲みつきます。そして性腺を刺激して、井戸水をポンプで吸い上げるように、生殖機能を活発化させる。精子を異常に大量に作らせるのですな。そしてその精液の中に自分の卵を紛れ込ませ、というよりは人間の精子を作る能力を借りて、それに乗っかる形で大量の卵を作ってゆく。そしてそれを外部に一気に大量放出するわけです。それは寄生虫から見れば卵の散布だが、人間からみたら信じられないような量の射精となります。果てしなく一時間あまりも波状的に射精し続けて、最終的に放出される量は一リットルとか二リットルとかになると言われていますな。
そして、その時に本人がどのような感覚を覚えるのかと言いますと、これが何と究極的なるオルガズムの嵐。人間が耐えられる限界を超えて一時的な精神錯乱状態に陥るほどの超快感だと言われております。
しかし、喜んではいけませんぞ。それは源泉のすべてを一度に絞りつくした結果起こることなのだから。
その一時間以上にもわたる連続射精が終わったらどうなるか。当然男性器は使い物にならなくなる。男根も睾丸も急速に萎んで行き、収穫されるのを忘れられたキューリやアボカドのように、やがては腐ってポトリと地に落ちるのです。つまり男性廃業じゃ。
しかしそれでもオコンマー腔虫は許してはくれない。恐ろしいことに、さらに大きな改造を人体に加えてくるのです。男性器が終わったら次は女性器とばかりに、特殊な女性化ホルモンを放出して男性の体を女性化させてくる。それだけでなく脳内にも侵入して体を女性に作り変えるのだと言われているが、そのあたりの仕組みはまだよく分かってはおりませんでな。
しかしそれも、この宇宙で唯一無二の奇怪な症例というわけではない。そのような鬼畜のふるまいをする寄生虫は、オコンマー腔虫以外にもいるのです。確か地球にも蟹に寄生して宿主の体を雌化させる寄生虫はいたはずで、雌化してできた子宮にあたる器官に寄生虫の卵を保管させ、それを通常の産卵と同じように大量放出させるのです。まったく寄生虫というやつは、何をやり出すか分からないですな。
オコンマー腔虫に寄生された人間も、この蟹と同じような経緯を辿ることになる。体が女性化すると体内に子宮も出来て、そこには寄生虫の卵をパンパンに宿して育てながらやがては出産するという運びになる。しかしその後はどうかというと、体は決して元には戻らんのです。苦労してオコンマー腔虫を排除しても体は女性のまま。しかも生殖能力は無いときている。これもまた別の意味での生き地獄、いや、むしろ永遠に続くだけさらに酷い結果だと申せましょうなあ。
どうです恐ろしいでしょう。
ん? 意外に平然としていますな。それどころか妙にウットリとしているようにも見える。どうした訳で?
えっ、そのオコンマー腔虫になら、寄生されてもいい気がしている? 馬鹿なっ、気が狂ったんですか。男性廃業で、その上生殖能力の無い女性の体になってしまうんですぞ。
ええっ、それでもいい? いえ、むしろそうしたいの。だって私は同性愛者で、ずっと女になりたいと思っていたんだもの。性転換手術をしようかどうか迷っていたくらいだから渡りに船だわ。ですとっ?
うぐっ、何たることか。言われてみれば妙に艶めかしい目つきをする人だとは思っていましたが、そういう嗜好だったんですな。世の中ここまで乱れていたとはっ。いや、あなたがそれで満足だと言うのならそれでいいんですが。それにしても。ううーっ、価値観が打ち砕かれる思いです。
いやいや、それが悪いとは言わない。どうぞ自分の望む道を進んでください。しかし、その他にもたくさんいるズールラ寄生虫は非常に恐ろしいので、なにとぞお気をつけて。と、何だか保健所の公式発表みたいな物言いになってしまいましたな。面白くもない。
それじゃあ私の話はこれまでにしましょうか。この後はちゃんと病院へ行くんですぞ。ズールラ寄生虫の治療は二段構え三段構え四段構えの薬剤投与が必要になるので、なるべく大きな病院がいい。よかったらパーリパリにある国営病院を紹介しましょうか。そこへ行くまでの乗り物の手配もした方がいいですな。ちゃんと看護師が付き添って、途中で具合が悪くなったりした時のケアも出来るようにした方がいい。寄生虫もそうですが、ズールラ寄生虫駆除薬自体も相当に強い薬なので、副作用で気分が悪くなる場合もありますからな。
うん? そう言えば、やけに汗をかいていますな。それに呼吸も荒くなっている。気分が悪いのではないですか?
これはいかんな。さあさ、そこに横になりなされ。ゆっくり休んでなさい。私はその間パーリパリ行きの車の手配をしてくる。体調が悪くても大丈夫なように、横になれるスペースのある大きな車をな。いやいや、費用など心配するには及ばんよ。任せておきなさい。
ふう。少々手間取ったが、車の手配はしてきました。おっつけ十分もすればやってくるでしょう。体調はいかがですかな。さっきは大分苦しそうだったが。あっ、まだ立たん方がいい。病院に着いたら大変な薬品投与の治療が待っとるのだから、少しでも体力を温存しとかんと。
あらら、ずいぶん元気ですな。見違えるように活動的になられて。何だか目もギラギラと、って真っ赤じゃないですか。これはまるで鮮血のような、尋常な赤さじゃない。これではまるでパセード眼内虫に寄生された患者のような。それにその、さっきまでとは人が違ったように狂暴な顔つきは……ハッ、まさか本当にパセード眼内虫に憑りつかれたのでは。そんなはずは。寄生虫駆除薬を飲めばパセード眼内虫は根絶できるはず。
まさか薬を間違えていたのではあるまいな。
うぐっ、こ、これはっ! さっき飲ませた薬の瓶を確認してみたら、これは寄生虫駆除薬ではなくて強力整腸薬にすぎんではないか。しっかりしているように見えたが、あの婆さんは惚けとったのか。うかつだった。しかしさっきこの人は、まだズールラの刺身を食べてから十六時間とか言っとった。パセード眼内虫がこんなに早く活動するはずは……。
ハッ、もしやこの星の一日が三十四時間なのを忘れて時間を計算しとったんではあるまいな。地球から来た人がよくやる間違いだが。だとするとズールラの刺身を食べてからもう二十六時間以上が経過しとると考えるべきなのか。いかん。パセード眼内虫が活発に活動し始める時間帯ではないか。
あっ、ああ、しまった。こんなことをグダグダ言っとる場合じゃなかった。
……あの、どうして床に置いてあったゲムド族の剣を手に取られたので? ハハハ、まさかそれで私を襲うなんてことは。斬りつけて死肉を食らうつもりじゃないでしょうな。
ヒッ、ま、待ってくれ、話せばわかる。いっ、いや、脳活動を乗っ取られとるから話などは通じないのか。しかし何とか、頼む。この通りだ。命ばかりはお助け。わしには四人のかわいい孫が……うぎゃあーーーっ
了
執筆の狙い
筒井康隆風のブラック・ユーモアSFを意図して書きました。ブラック要素強め。