桜の姫君
今日は暑いな。
昨日、あんなことをスノアンドラさんに言われて、まだ胸は高鳴ったままだ。暑いと感じるのはそのせいかもしれない。
図書室の扉を開く。
いつもと同じ席に、スノアンドラさんは座っていた。
私に気づき、本を読んでいる手を止めてこちらを向く。
「こんにちは、スノアンドラさん」
「やあ」
昨日のことは気にしていない様子だな。
その方がこちらも楽で助かりますけど。
私はスノアンドラさんの座っている席の正面の席に座る。
「……何をお読みなんですか?」
「ああ、これは西の国の言語で書かれている本だ」
「へえ、どんなことが書かれているんですか?」
「西の国の歴史さ」
「面白いですか?」
「ああ、面白いよ。読むか?」
「スノアンドラさんが読み終わりましたら」
「……お気遣いどうも」
「いえ、普通のことです」
「そうか」
……やっぱり昨日のこと、気にしてるのかな。
この人、前から思っているけれど、全然読めない。
「……西の国といえば、縁談を持ちかけられていまして」
「……え?」
「なんですか?」
「いや、なんでもない。続けて」
スノアンドラさんは少し驚いている。この歳になればよくある話なのに、どうしてだろう。
「西の国の皇太子様との結婚についてなんですけど」
「ほう、いい話じゃないか。受けるのか?」
「……気になりますか?」
「……え」
スノアンドラさんが目を見開く。
「ふふ、冗談です」
「……」
「……それに、縁談については丁重にお断りさせて頂く予定ですし」
「そうなのか」
「ええ。私、政略結婚は絶対にお断りなんです。だって……」
「……」
「結婚するなら、自分が恋した相手がいいじゃないですか。好きでもない人と結婚するなんて、私は絶対に嫌です」
「……そうだな。君が言ってることは正しいと思うよ」
……あ、気付いた。
なんだか今日、ふわふわした気持ちでスノアンドラさんと話せていると思ったら、今日はスノアンドラさんがいつにも増して優しい口調なんだ。
「……スノアンドラさんはどうなんですか?縁談とか、結構きてるんじゃないですか?」
「ああ、この前も東の島国からきていたな」
「やっぱり……」
「でも、全て断っているよ。」
「えっ、なんでですか?東の島国といえば、最近発展してきた国じゃないですか」
「……あー」
私は首を傾げる。
スノアンドラさんは苦笑しながら言った。
「俺も君と同じ考えだからさ。それに……」
「はい」
「……気になってる人ならいるしな」
「えっ!そうなんですか!」
スノアンドラさんの顔が、少し赤くなっている。いつもあまり表情の変わらないスノアンドラさんが、珍しい。
「……君、今まで恋愛したことない?」
「え、まあ、はい」
「……はあ、まあその方がいいか」
「なんのことですか?」
「気にするな」
「え、教えてくれないんですか?その、気になってる人」
「教えないよ、まだ」
「いつか教えてくれます?」
「そうだな、本人が気付いたら」
「誰なんですか?」
「君、話聞いてた?」
「教えてくれないんですか?」
「それ、さっきも言ってたよ」
「えっ」
「ふっ……」
「なんですか……笑わないでください!」
「じゃあ、一日会うごとにヒントをひとつ教えるとかどうだ?」
「あ、いいですね、それ。どこの国の人とか言ってくれるといいんですけど」
「ヒントというかそれ、答えみたいなものじゃないか」
「そう言われればそうですね。じゃあ、今日のヒントはなんですか?」
「そうだな……『美人』」
「え、世界中に溢れてませんか?それ」
「1日目なんだからいいだろ」
「ええ……じゃあ、これ聞くのまた明日になるんですよね?」
「ああ、そうだな」
「そうですか……。でも、おかげで明日が楽しみになりました」
「それはよかった」
無意識に、スノアンドラさんの顔をじっと見てしまった。
「……」
「……なんだ?」
「あ、いえ、なんでも……」
「……そういう君は、気になる人はいないのか?」
「え……いませんよ」
「そうか。まあその方が楽かもしれないな。いっときでも気になると、そのまま目で追うようになる」
「常に会う方なんですか?」
「いや、一日に一度しか会えない」
「そうなんですか……」
「……気にするな。俺は、その一瞬でも会えるだけで嬉しいから」
「そうですか。なら、よかったです。」
「……」
スノアンドラさんが、少し悲しそうな顔をする。この顔は、何か隠しているときの顔……。
「……少し、変なことを聞いてもよろしいですか?」
「変なこと?いいよ」
「じゃあ、答えてくださいね」
「答える?」
「ええ」
「……いいよ。どうぞ」
息を吸い、今日一番聞きたかったことを口に出す。
「……昨日、私に『かわいい』とおっしゃいましたよね」
「……言ったな」
「あれは……その……どういう意味で……」
「……」
沈黙が流れる。
そして、スノアンドラさんが目を逸らしながら口を開いた。
「……そのままの意味だよ」
「……えっ」
スノアンドラさんの顔が、真っ赤になっていた。つられて、私も顔に熱を感じた。
思わず立ってしまいそうになり、必死に抑える。
「……ど」
スノアンドラさんの小声が聞こえる。聞き取れなかった。
「あ、すみません、もう一度……」
「……言わせないで欲しいんだけど」
「……すみませんでした」
「……でも、このくらいしないと気付かないか」
「なんのことで……」
「じゃあ、俺からも」
「え?」
「……君、物語が好きだったよな。恋愛の物語もいくつか出会ってきただろう?」
「え?ええ、まあ」
「この会話をする物語には?」
「……出会っていないと思いますが」
「じゃあ、覚えて。これは現実だよ」
「覚えてって……当たり前じゃないですか。私だってそのくらいわかってますよ」
「……君、頭いいよね。恋愛関連だとさっぱりだな」
「なっ……ひどくないですか!」
あ、これ昨日と同じ状況だ……。
私って怒りっぽいのかな。
「……すみません」
「何がだ?」
「怒ってしまって……」
「気にするな。俺はやっぱり可愛いなって思っただけだよ」
「……え?」
よく平然とそんなことを言えるな。
でも今日、なんだかこの人の様子がおかしい気がする。
どうしてだろう。
「……待ってください。気になっている方がいらっしゃるんですよね?」
「ああ」
「でも、なんで私にかわいいとか言うんですか?その方に言えば……」
「……」
スノアンドラさんは少し悩んでから言った。
「もう言ってるよ」
「……そうなんですか」
「……さっき」
ボソッとスノアンドラさんが何かを言ったが、聞き取れなかった。
なんだか、モヤモヤする。この人が、スノアンドラさんが『気になっている人』についてを少し言うだけで、胸がチクリと痛む。どうしてだろう。
この感情は、何?
「……スノアンドラさん」
「なんだ?」
「その人のことが好きなんですか?」
「いや、まだ気になってるだけ……え?」
「……なんですか?」
スノアンドラさんが、私の方を見て驚いたような表情をする。そしてすぐさま、心配しているような顔になった。
「なんで泣いてるんだ?」
「え……泣いてなんか……」
冗談だと思い、私は頬に指先を当てる。
だが、そこには確かに涙がこぼれてきていた。
「なんで……」
ガタッと音がしたと思えば、スノアンドラさんが隣に座ってきた。
そして、私の目元に自分の服の袖を当てて、涙を拭った。
「……すみません……」
「いや」
人前で泣いたのなんて、いつぶりだろうか。
それよりも、なんでスノアンドラさんはこんなにも優しい目をしてくれるのだろう。
こんな見苦しい姿を見せてしまったのに。なんて、優しい人なんだろう。
ああ、もう分かった。
私は、スノアンドラさんのことが……
しばらくして、やっと涙が止まった。
「お見苦しいところをお見せして、すみません」
「気にしなくていい」
「……なんで、あなたはそんなに優しいんですか?」
「え?」
「……なんでもないです」
「……」
少ししてから、スノアンドラさんが口を開いた。
「優しいと思ってくれてるなら、嬉しいよ」
「……そうですか」
「うん」
この恋は、叶わないだろうな。
言わなくて、いいか。スノアンドラさんを困らせるだけだ。スノアンドラさんには、その『気になってる人』と幸せになってもらいたい。
だからこの気持ちは、言わない。
「そろそろ帰りましょうか」
「ああ、そうだな」
そう言ってスノアンドラさんが席を立つ。
まだ、2人で居たいと願う私がいる。こんな気持ち、初めてだ。
でも、それは出来ない。
私も席を立ち、扉の方へ向かう。
「明日は、またヒントを言ってくれるんですよね?その『気になってる人』について」
「ああ、それなんだが……」
「はい」
「『好きな人』に変わったよ。ついさっき」
「……そうですか。良いことですね」
私は笑顔で話せていると思う。作り笑いだが、きっと気付かれない。
「……チェリアンナ」
「……なんですか?」
「どうした?さっきから、様子がおかしいぞ」
「そんなことないですよ。気のせいです」
なんでこの人、こういう時に鋭いんだろう。
「それは、作り笑いだろう?」
「……なんでもお見通しなんですね」
もう白状するしかないな。
スノアンドラさんの前では、嘘をつけない魔法にかかっているようだ。
「五日間、君だけ見てきたからな」
「……え?」
聞き間違いだろうか。
「……今……」
「……気にするな」
「……そうですよね、スノアンドラさんには『好きな人』がいらっしゃいますもんね」
「え?」
「なんでもないです。さあ、行きましょう。」
「ああ、うん」
私は扉を開けようとする。
だが、それを遮って、スノアンドラさんが扉を開けてくれた。
「あ……ありがとうございます」
「普通のことだよ」
普通のことだとしても、ここまで近くにスノアンドラさんにいられると……調子が狂う……
視界が歪み、足の力が抜けてばたんと床に膝をついてしまった。
「チェリアンナ!!」
スノアンドラさんの声が、頭に響いていた。
ー続くー
執筆の狙い
桜の姫君、第5話です。
前の投稿から時間が結構経ってしまいました。以前より読んでいただいていた皆様には、大変申し訳ないです。ですので、少しだけ以前の話を振り返りたいと思います。まとめ方が下手なのはご容赦ください。
☆
ピンクゴールドの髪に、薄いピンクの瞳。まるで桜のような髪と瞳を持つチェリアンナ・ブロッサムは、「桜の姫君」と呼ばれていた。
彼女は、常に成績は一番で、運動も良くできた。そしてその容姿のおかげで周りには常に人が絶えず、図書室に避難していたとき、スノアンドラ・ウインターと出会う。彼は、チェリアンナの秘密である桜の魔法を使っているところを見てしまった。彼女にとってそれは最悪であった。
☆
2話で二人はお互いの情報を共有し、3話でチェリアンナがスノアンドラに話したくないが秘密を話した。4話ではスノアンドラの使う魔法を知る、といったところでした。
これは、友人よりいただいたアイデアからの物語です。友人の気持ちも私がこの物語に込められるよう、頑張りたいと思います。よろしくお願いいたします。