お茶会に招待されてみよう
扉をぬけたさきには、深い森が広がっておりました。そして、木々のすきまに、あのウサギが走っているのが見えました。どうやらそこまで離れてはいないようです。
シトロンが一歩ふみだす間に、ウサギは五歩も十歩も駆けていきます。それはそれは、ぬいぐるみの足ではとても追いつけません。だからしばらくすると、また姿が見えなくなってしまいました。
せめてウサギが、どこへ向かっているのか分かればいいのですが、とシトロンは考えました。
森は入り組んでいて、なんだかくらいところ。
空を飛ぶものに姿を変えて、上から森を見ればいい――かしこいみなさんなら、そう思うでしょうけれど、シトロンは、流れに身をまかせるのが得意な宇宙人。だからただ、迷路のような道を、だまって進みました。
「どこに向かっているのかな?」
シトロンの頭の上――木の枝の上に、白い三日月が浮いていました。よく見るとそれは、三日月ではなくて、誰かの笑った大きなお口だったのです。
「誰かいらっしゃるのですか? ちょうど良かった。迷っているんです。道を聞いても?」
シトロンは見上げてたずねました。
すると口は、もう一度ニヤリと笑いました。
「あんたがどこに行きたいのかによる。おれの知らないところじゃ教えようがないぜ」
その声は、じわりじわりと姿をあらわしはじめました。
とってもながいツメに、とんがった耳、ぴんくのしまもようの毛むくじゃらで、あやしくひかる目。
木の上にいたのはねこだったのです。
小さな子どもがその姿を見たなら、ぎょっとして、きっと泣きだしていたでしょう。でも、シトロンはへいきです。
「おやおやねこまで……」
びっしり並んだ歯をこれでもかと見せて、ねこはニヤニヤ笑っています。
「それで、どこへ行きたいんだい?」
「白いウサギを追ってここまで来たのです。わたしは、どっちへ行けばいいですか?」
「こっちの道を進めば、帽子屋の家があるぜ」
ねこは右の前あしで、くにゃりと道をさしました。
「帽子屋の家に白いウサギがいるんですか?」
「さぁどうかな」
ねこは、ずっとニヤニヤして悪い顔。まるで、なんでも知っているのに教えてくれない、いじわるな先生みたいです。
それに首だけのこして、体をゆっくり消したりするのです。
ほんとうに、なんというねこでしょう。
「そうですか……ウサギがダメなら、このねこを連れて帰ってもいいかもしれませんね」
なんたって、シトロンにとって、このねこもじゅうぶんおもしろい生きものですから。
「つれてかえる? つれてかえるってなんだ?」と目を細めたねこ。
「ですから、あなたを、持って帰ります」とシトロン。
「なぜ? どこへ?」とひげをぴくぴくさせたねこ。
「わたしのペットにするために、地上へ」とシトロン。
それを聞いたねこは、毛をぼわんと逆立てて、「シャーッ!」と大きな声をあげました。もう、ニヤニヤなんてしていられません。
「お前のおってるウサギはあっちへ向かったぜ」
今度は、左の前あしで道をさしました。
ああ、かわいそうな白いウサギ。ねこにうっかり売られてしまいました。
「ありがとうございます」
シトロンがふかぶかとおじぎをすると、ねこはひと安心。じぶんがペットにならずにすんだのです。
へんてこな世界、へんてこな生きもの。シトロンは楽しくて楽しくて、しかたがありません。
さてさて、このあとには、どんなことが待っているのでしょう。
(……帰りに、さっきのねこも捕まえて帰ろうかな。)
なんてことを、シトロンは考えていたかもしれません。もちろん、あのねこにはナイショの話です。
いじわるなねこが教えてくれた道をたどっていくと、やがて、小さなおうちが見えてきました。おうちの前には、広い広いお庭があって、そのまんなかに、大きな大きなテーブルが出ていました。
テーブルのまわりには、たくさんのいすがぐるりと並べられていて、それぞれの前に、おいしそうなお茶が用意されています。
なのに、机のはしっこ。ちょこんと腰かけて、お茶をしているのは、たった二人だけ。
ひとりは、茶色い毛のウサギ。
もうひとりは、大きな帽子をかぶった、おじさん。
たった二人なのに、なんだかとっても楽しそう。広いテーブルのすみっこで、ふたりだけのひみつのお茶会が開かれているようです。
いすの中にひとつだけ、もこもこのシトロンでも座れそうな、ひじかけのある立派ないすがありました。シトロンがそのいすにのっしり座ると、歌うようにおしゃべりしていた二人が、びっくりした顔でシトロンを見て、次つぎに叫びました。
「こらこら! お茶会は満員だよ!」
「招待状もないのに、いすに座るなんて、なんて失礼なんだ!」
でも、ほんとうに満員なのでしょうか? シトロンのまわりのいすは、どれもこれもすっからかんではありませんか。
二人がシトロンに、ずいっと顔を近づけてきました。
なるほど、これは失礼というものなのですね――とシトロンはまたひとつかしこくなりました。
「申し訳ありません。とても楽しそうだったので、つい座ってしまいました。すぐにどきます」
そう言ってシトロンが立ち上がろうとするのを、茶毛のウサギと帽子のおじさんは、あわてて手を振ってとめました。
「まあまあ、もう座ったのならいいじゃないか」
帽子のおじさんがそう言った、そのときです。彼の帽子の中から、ひょっこりと、眠そうなヤマネが顔をだしました。なんとまあ、お茶会は三人だったのです。それでもまだ、いすはたくさん余ります。
「いいじゃないか」
ヤマネまでそう言います。
「お茶はいかがかな?」
茶毛のウサギは、ティーポットを高く持ちあげて、カップにお茶を注ぎはじめました。
「ご親切にありがとうございます」
シトロンは、ふわふわの頭をぺこりとさげました。
シトロンがいすに座ると、帽子のおじさんは、まじまじとシトロンの顔を見ました。
「ところでさ。冷遇と礼遇って、どうして同じ『れいぐう』なんだろうね。まったく逆の言葉じゃないか」
「日本では、漢字で意味をあらわしているので、同じ読み方でも気にしないようですよ」
すると帽子のおじさんは、すっかりふきげんになりました。
「そんなつまらない話をするのはよすんだ」
顔をしかめて、ふいっと横を向きました。なんて不条理なおじさんでしょう。正しいことなんて、彼にはどうでもよかったのです。
「はぁ……そういえばきみ、きょうはいったい何日?」
帽子のおじさんが、くたびれた時計を取り出して、シトロンにたずねました。
「今日ですか? 地上では三月十九日ですよ」
シトロンが正直に答えると、三人のお茶会のメンバーは、ピタリと動きをとめて、にらみつけてきました。
「そこは――ちょっと考えてから、『四日』って言わないと!」
茶毛のウサギがぷんぷん怒ります。
「なぜですか?」
シトロンが素直に聞きかえすと、茶毛のウサギと帽子のおじさんと眠たげなヤマネは、顔を見あわせて、しばらく考えこみました。
「……なんでだったっけな?」
「そういうことになってるからさ」
「そうだそうだ」
すこしの間、しーんと静まりかえりましたが、すぐに帽子のおじさんが口を開きました。
「もう二日もくるってやがる!」
そう言って、手にしていた時計をじっと見たあと、がっくりと肩を落とすのです。シトロンは、もしかしてと思いました。
「時計が壊れているのですか? もしよければ、わたしはデジタル時計にもなれますよ」
「おまえはだまってな」
親切心からシトロンはそう言いましたが、帽子のおじさんはいやそうな顔をしました。
ちなみにここでひとつ、たいせつなことを教えておきましょう。このときのシトロンの言葉が「礼ぐう」、おじさんの言葉が「冷ぐう」というやつです。まったく、おじさんの言うとおり、同じ読みかたでもこうもちがうのです。
「そんなものが分かってどうすんだ。デジタル時計とかっていうので、いまが何年か分かるのかい、え?」
「ええ、分かりますよ」
シトロンはニッコリと笑いました。
今の地上は二〇一二年。何年、何月、何日かはもちろん、気温だって湿度だって、ぴったり分かる時計があるのです。
シトロンの星の科学技術なら、もっともっとすごいものだって作れます。それに、シトロンの体内時計は、デジタル時計に負けないくらい正確なのです。
――ということを、シトロンは三人に、じっくり、ていねいに、くわしくきかせてやりました。何十分も、何時間もかけて、ゆっくり、たっぷり。
「こわい……」
さっきまで帽子の外にいたヤマネは、そうつぶやいて、そっと帽子の中へ戻っていきました。帽子のおじさんはほおづえをついてため息をつき、茶毛のウサギは机にうつ伏せて眠ってしまいました。
お茶会にいた、シトロン以外の三人にとっては、あまりにもむずかしいお話だったのです。
おやおや、最初のいせいはどこへやら。
「いけない。みなさんが話をよく聞いてくださるので、つい長居をしてしまいました。わたしはこれで失礼します」
シトロンは、空になったカップを一息で飲みこむと、すっかり静かになったお茶会をあとにしました。
良い子のみなさんは、決してまねをしてはいけませんよ。おなかにガラスがつきささって、とても無事ではいられませんからね。
執筆の狙い
地球に移住してしばらく経つ宇宙人(シトロン)が、暇つぶしのために白いウサギをペットにするため、追いかけているうちに、不思議の国のアリスの世界へ迷い込んだ設定となっています。
全3章の、こちらは2章です。1万4000文字の短編です。※シトロンは1章で、この世界に入るためにクマのぬいぐるみに姿を変えています。
おとぎばなし口調で書いてみました。面白いか聞きたいと思い、投稿しました。ユーモアに自信がないのです。どうぞよろしくお願いします。