スロー・シット・バッシング
頃合いなんてものはとうの昔に過ぎ去ったはず。
そうして至る、出くわす時々の事実に感銘を、道理を、盲目的に無自覚に、すべてを心地よく自覚的に操りたがる。
シノノメは釣り糸を垂れながら、水面のその先、有象無象も知れたものではないただの二級河川という生態系の混沌を気ままに想定しつつ”とっとと喰らえや”と腹の悪い、せっかちな誘導に執念を急がせる。ミミズは気味が悪くて触れない。そのために必要な理屈は避けるべくもないのだと、掛け替える術も言い分もたらふくなのだと手前勝手な都合をくすねる。
美鈴屋の練り餌はしごいた指先に移る匂いがそれほど強烈でないことだけが取り柄かと、にべもなく日頃から重宝している。あまり釣れないことは問題ではないらしく。
匂いのせいであること、役に足らないことをシノノメは少しも疑わない。そもそも、水面の先に何物が訝しむかも、それほど興味はない。何なら、どうせ碌なものではないのだと、すっかり蔑んだ願望を隠さない。
「さっさと喰らえボンクラども」
練り餌にはシノノメの手によって多量の旨み調味料が練り込まれている。都度にその量を増してきた。ついにはそのまま鍋に突っ込んでもつみれか何かと鵜呑みにして、疑いのかけらもなく喰らえる代物だと、むしろ目を剥くほど旨かろうと、その少しも面白みのない企みをふてぶてしく慰めるまでの代物に仕立て上げた。試すつもりすらないのだと言わんばかり、貧相な肩を尖らせる。
滲むように込み上げる。しでかす必要も、都合すらないのだ。そもそもこの陽の高い時刻に釣り糸を垂れる呑気こそあったものではない。ただ率直に、手詰まりなのだ。
天然のビオトープ。本流から取り残された流れ溜まり、満ち引きのような循環があればいいが、流れの当ては空模様、空梅雨に合流を差し向ける猛威は期待出来そうにない。
「その気もねえか」
ボウフラが蠢いている。どうでもいいらしく蠢く、然るべく現れるただの事実が蠢いている。消沈する練り餌を手繰る。しなるまでもない退屈を竿が傲慢に嘆く。
「どいつもこいつも」
釣り上げてみたところでどうせ喰らえたものではないのだ。ならばなぜ釣ろうと。それに付き合うのかと。はてともシノノメは思わない。
「残された道はコレばっかだぞ。わかんねえのか、ボンクラども」
過給的に、訴求的に仕込まれた旨みを疑うなんて馬鹿げていやがる。水面の先に潜む愚鈍な気配。慎重に、精一杯に忍ばせる高慢な気配にシノノメは苛立つ。
「そうだ。そればかりだ、丸出しってやつだ」
チューハイの缶が熱中症症状も甚だしくぐったりと汗にまみれている。手に取るとぬるくぬめるその感触に怖気が走る。すっかり人間染みている。すっかり露呈している。そのつもりはないのだと、曝された境遇を憂うかのように。
呪いかと思う。仕向けたのはお前だと、それは訴えて取り止めもない有り様に映る。求めたきり、見事に裏切った。そのつもりはなかった。とはいえそんな仕組みなのだと、シノノメは開き直り含みもしない。
「くれてやる、共感しろ」
土手から見下ろす水面まではいささか距離があるがシノノメは構わず振りかぶり、ぬるいアルコールは弧を描いて周囲の草々に降り注ぎ、やがてより応力を喰らった一部のみがわずかに水面に到達する。微々たる波紋を描く。
「分け前なんてそんなもんだ」
忌々しく掻きむしるけれど、だらしなくそぼ濡れた草々は怠惰な熱中症の手の隙を飄々とすり抜け、居直る。まんまと込み上げる舌打ちを押しのけて鳴り響くサイレンに、シノノメはびくと肩を揺らす。
浮きはぴくりとも醒めない。
執筆の狙い
気軽にお読みいただける長さの中で想定に足る含みを感じさせるものにしたいと思いました。