作家でごはん!鍛練場
指咲 游

スロー・シット・バッシング

 頃合いなんてものはとうの昔に過ぎ去ったはず。
 そうして至る、出くわす時々の事実に感銘を、道理を、盲目的に無自覚に、すべてを心地よく自覚的に操りたがる。
 シノノメは釣り糸を垂れながら、水面のその先、有象無象も知れたものではないただの二級河川という生態系の混沌を気ままに想定しつつ”とっとと喰らえや”と腹の悪い、せっかちな誘導に執念を急がせる。ミミズは気味が悪くて触れない。そのために必要な理屈は避けるべくもないのだと、掛け替える術も言い分もたらふくなのだと手前勝手な都合をくすねる。
 美鈴屋の練り餌はしごいた指先に移る匂いがそれほど強烈でないことだけが取り柄かと、にべもなく日頃から重宝している。あまり釣れないことは問題ではないらしく。
 匂いのせいであること、役に足らないことをシノノメは少しも疑わない。そもそも、水面の先に何物が訝しむかも、それほど興味はない。何なら、どうせ碌なものではないのだと、すっかり蔑んだ願望を隠さない。
「さっさと喰らえボンクラども」
 練り餌にはシノノメの手によって多量の旨み調味料が練り込まれている。都度にその量を増してきた。ついにはそのまま鍋に突っ込んでもつみれか何かと鵜呑みにして、疑いのかけらもなく喰らえる代物だと、むしろ目を剥くほど旨かろうと、その少しも面白みのない企みをふてぶてしく慰めるまでの代物に仕立て上げた。試すつもりすらないのだと言わんばかり、貧相な肩を尖らせる。
 滲むように込み上げる。しでかす必要も、都合すらないのだ。そもそもこの陽の高い時刻に釣り糸を垂れる呑気こそあったものではない。ただ率直に、手詰まりなのだ。
 天然のビオトープ。本流から取り残された流れ溜まり、満ち引きのような循環があればいいが、流れの当ては空模様、空梅雨に合流を差し向ける猛威は期待出来そうにない。
「その気もねえか」
 ボウフラが蠢いている。どうでもいいらしく蠢く、然るべく現れるただの事実が蠢いている。消沈する練り餌を手繰る。しなるまでもない退屈を竿が傲慢に嘆く。
「どいつもこいつも」
 釣り上げてみたところでどうせ喰らえたものではないのだ。ならばなぜ釣ろうと。それに付き合うのかと。はてともシノノメは思わない。
「残された道はコレばっかだぞ。わかんねえのか、ボンクラども」
 過給的に、訴求的に仕込まれた旨みを疑うなんて馬鹿げていやがる。水面の先に潜む愚鈍な気配。慎重に、精一杯に忍ばせる高慢な気配にシノノメは苛立つ。
「そうだ。そればかりだ、丸出しってやつだ」 
 チューハイの缶が熱中症症状も甚だしくぐったりと汗にまみれている。手に取るとぬるくぬめるその感触に怖気が走る。すっかり人間染みている。すっかり露呈している。そのつもりはないのだと、曝された境遇を憂うかのように。
 呪いかと思う。仕向けたのはお前だと、それは訴えて取り止めもない有り様に映る。求めたきり、見事に裏切った。そのつもりはなかった。とはいえそんな仕組みなのだと、シノノメは開き直り含みもしない。
「くれてやる、共感しろ」
 土手から見下ろす水面まではいささか距離があるがシノノメは構わず振りかぶり、ぬるいアルコールは弧を描いて周囲の草々に降り注ぎ、やがてより応力を喰らった一部のみがわずかに水面に到達する。微々たる波紋を描く。
「分け前なんてそんなもんだ」
 忌々しく掻きむしるけれど、だらしなくそぼ濡れた草々は怠惰な熱中症の手の隙を飄々とすり抜け、居直る。まんまと込み上げる舌打ちを押しのけて鳴り響くサイレンに、シノノメはびくと肩を揺らす。
 浮きはぴくりとも醒めない。

 

スロー・シット・バッシング

執筆の狙い

作者 指咲 游
KD106146208094.au-net.ne.jp

気軽にお読みいただける長さの中で想定に足る含みを感じさせるものにしたいと思いました。

コメント

神楽堂
p3339011-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

>指咲游さん

読ませていただきました。
イライラしている主人公をうまく書けているように思いました。
私は釣りをしない人なので、釣りの描写についてはなんとも言えません。
なかなか釣れない苛立ちは、おそらくは何かの例えになっているのでしょうね。

表現としておもしろいと思ったのが、

>ぬるいアルコールは弧を描いて周囲の草々に降り注ぎ、やがてより応力を喰らった一部のみがわずかに水面に到達する。微々たる波紋を描く。

場面の様子が目に浮かびました。

読ませていただきましてありがとうございました。

指咲 游
KD106146208094.au-net.ne.jp

神楽堂さん

お読みいただきましてありがとうございます。
主人公の苛立たしげな様子が一体何に対するものなのか、むしろそこに触れる必要はないということを意識しました。
ご感想をいただきありがとうございました。

夜の雨
ai227074.d.west.v6connect.net

指咲 游さん「スロー・シット・バッシング」読みました。

日頃からシノノメさんという主人公は疲れているのだろうなぁと、釣りをしている場面から伝わってきます。
ちなみに「土手から見下ろす水面まではいささか距離」という事ですが、ラストになるまでは水面の近くで釣りをしているのかと感じていました。
「水面の近くで釣りをしている」ほうが、相手(魚)との距離が近いので、インパクトがあります。

それと「土手」と「サイレン」があるので、このふたつは「のんびり系」のエピソードになるかなと思い、いらだちなどを表現するには描き方にもよりますが、御作の内容だと「のんびり系」のエピソードだと感じました。

全体の文章からは作者さんが伝えようとしているところは、感じ取りましたが。


それでは創作を楽しんでください。

指咲 游
KD059132146050.au-net.ne.jp

夜の雨さん
お読みいただきありがとうございました。

読む人によって受け取り方も想像することもさまざまであることは当然かと思います。
さしずめ缶から吹き出すしぶきが届く程度の距離、そんな距離感が作者なりの創作の想定といったところかもしれません。

sp1-75-1-2.msc.spmode.ne.jp

拝読しました。

混沌としているのでしょう。
練り餌に旨味成分で手が加えられようが、食ってみたいとは思わないですかね。味付けもほどほどが良いということで。
>ボウフラが蠢いている。
淀んでいますね。
天然のビオトープの言い回しは、変更の余地ありに感じます。いっそ、手詰まりのビオガーデン(人工)としても良いかも。
ぬるまったビールがチロチロ流れ落ちる様には、ちょっちオシッコをイメージしていまう。まぁ、それでも良いかとは思いますが。
サイレンにドキリ。逃亡者ですか?

読ませていただき、ありがとうございます。

指咲 游
KD059132146050.au-net.ne.jp

凪さん
お読みいただきありがとうございました。

さまざまな感じ方や思い描き方はありそうですね。
ビールではなく、チューハイとしてます。
逃亡ほどではなく、職質程度と当てがって作者なりに無事を祈りたいです。

sp1-75-0-56.msc.spmode.ne.jp

ああ、チューハイでしたね。
失礼しました。

大河とせきがはらあ!
M106073079225.v4.enabler.ne.jp

 おつかれさまでしたあ。
頃合いなんてものはとうの昔に過ぎ去ったはず。
 そうして至る、出くわす時々の事実に感銘を、道理を、盲目的に無自覚に、すべてを心地よく自覚的に操りたがる。
 シノノメは釣り糸を垂れながら、水面のその先、有象無象も知れたものではないただの二級河川という生態系の混沌を気ままに想定しつつ”とっとと喰らえや”と腹の悪い、せっかちな誘導に執念を急がせる。ミミズは気味が悪くて触れない。そのために必要な理屈は避けるべくもないのだと、掛け替える術も言い分もたらふくなのだと手前勝手な都合をくすねる。
 美鈴屋の練り餌はしごいた指先に移る匂いがそれほど強烈でないことだけが取り柄かと、にべもなく日頃から重宝している。あまり釣れないことは問題ではないらしく。
 匂いのせいであること、役に足らないことをシノノメは少しも疑わない。そもそも、水面の先に何物が訝しむかも、それほど興味はない。何なら、どうせ碌なものではないのだと、すっかり蔑んだ願望を隠さない。
「さっさと喰らえボンクラども」
 練り餌にはシノノメの手によって多量の旨み調味料が練り込まれている。都度にその量を増してきた。ついにはそのまま鍋に突っ込んでもつみれか何かと鵜呑みにして、疑いのかけらもなく喰らえる代物だと、むしろ目を剥くほど旨かろうと、その少しも面白みのない企みをふてぶてしく慰めるまでの代物に仕立て上げた。試すつもりすらないのだと言わんばかり、貧相な肩を尖らせる。
 滲むように込み上げる。しでかす必要も、都合すらないのだ。そもそもこの陽の高い時刻に釣り糸を垂れる呑気こそあったものではない。ただ率直に、手詰まりなのだ。
 天然のビオトープ。本流から取り残された流れ溜まり、満ち引きのような循環があればいいが、流れの当ては空模様、空梅雨に合流を差し向ける猛威は期待出来そうにない。
「その気もねえか」
 ボウフラが蠢いている。どうでもいいらしく蠢く、然るべく現れるただの事実が蠢いている。消沈する練り餌を手繰る。しなるまでもない退屈を竿が傲慢に嘆く。
「どいつもこいつも」
 釣り上げてみたところでどうせ喰らえたものではないのだ。ならばなぜ釣ろうと。それに付き合うのかと。はてともシノノメは思わない。
「残された道はコレばっかだぞ。わかんねえのか、ボンクラども」
 過給的に、訴求的に仕込まれた旨みを疑うなんて馬鹿げていやがる。水面の先に潜む愚鈍な気配。慎重に、精一杯に忍ばせる高慢な気配にシノノメは苛立つ。
「そうだ。そればかりだ、丸出しってやつだ」 
 チューハイの缶が熱中症症状も甚だしくぐったりと汗にまみれている。手に取るとぬるくぬめるその感触に怖気が走る。すっかり人間染みている。すっかり露呈している。そのつもりはないのだと、曝された境遇を憂うかのように。
 呪いかと思う。仕向けたのはお前だと、それは訴えて取り止めもない有り様に映る。求めたきり、見事に裏切った。そのつもりはなかった。とはいえそんな仕組みなのだと、シノノメは開き直り含みもしない。
「くれてやる、共感しろ」
 土手から見下ろす水面まではいささか距離があるがシノノメは構わず振りかぶり、ぬるいアルコールは弧を描いて周囲の草々に降り注ぎ、やがてより応力を喰らった一部のみがわずかに水面に到達する。微々たる波紋を描く。
「分け前なんてそんなもんだ」
 忌々しく掻きむしるけれど、だらしなくそぼ濡れた草々は怠惰な熱中症の手の隙を飄々とすり抜け、居直る。まんまと込み上げる舌打ちを押しのけて鳴り響くサイレンに、シノノメはびくと肩を揺らす。
 浮きはぴくりとも醒めない。
のうえで、3000え挑戦してたらこおなってましたあおつかれさまあでしたあ。

大河とせきがはらあ!
M106073079225.v4.enabler.ne.jp

過給一杯がんばってくださあい。

謎P
ab128120.f.west.v6connect.net

【指咲 游さん】『スロー・シット・バッシング』
拝読しました。率直に言うと読みにくいです。全部指摘するとすごい文量になるのでかいつまんで。
まずタイトルを見て意味がわかる方はどれくらいいるんでしょうか。そしてそれが本文とどう関わっているんでしょうか。説明できますでしょうか?
以前ごはんの古株の方が「説明できなければ嘘なんですよ」とおっしゃってました。私はそこまで極端には考えないですが、タイトルは作品の顔だと思っていますので、なんとなく字面的にかっこいいからみたいな理由ではあってほしくないなとは思います。

ストーリーとしては、太公望がねり餌について語って結局釣果ゼロで酎ハイぶちまけて帰るというだけの話ですよね。
ねり餌の語りが冗長であることと、文学的なエッセンスを漂わせたいがための言葉選びをしているのかですが、読みにくく「にべもなく」の誤用も気になるところです。

話は全然違うんですけど『羅生門』を彷彿させるオチのなさが文学的といえばそうかもしれないねといったところです。

指咲 游
KD106146201243.au-net.ne.jp

日陰ものはコンプレックスにこと欠きませんから、捻じ曲げた言い訳ばかりには見苦しく旺盛ですよね。
空っぽなパフォーマンスばかりひもじくお疲れ様なことです。
当然ですが同情は持てません。
不快かつ邪魔には思います。
すべてはあなたが持ち得ないものへの、自分自身の卑屈さへのヒステリーであることくらい誰でも見通します。
だからこそあなたは饒舌に借り物の文言にまみれて居直り続けなければなりませんし、その上でまともなものにはまるきり相手にされない。
気の毒なことです。
が、それがあなたということですから仕方がありませんし、ザマを見ろということです。
見るなりに気の毒で居た堪れなくさせるあなたのみじめさは並大抵の卑屈さではありません。

見苦しいです。

謎P
ab128120.f.west.v6connect.net

【指咲 游さん】つづき
>日陰ものはコンプレックスにこと欠きませんから、捻じ曲げた言い訳ばかりには見苦しく旺盛ですよね。

日陰もの同士仲良くしましょ☆


>空っぽなパフォーマンスばかりひもじくお疲れ様なことです。

ちっとも面白くない意味不明で、これっぽっちも中身のない、どこぞの文豪の雰囲気猿まねふんどしひっさげた空っぽな作品投稿お疲れ様なことです。


>当然ですが同情は持てません。

当然ですが全く共感は持てません☆


>不快かつ邪魔には思います。

僕は邪魔とは思ってないよ。仲良くしましょ☆


>すべてはあなたが持ち得ないものへの、自分自身の卑屈さへのヒステリーであることくらい誰でも見通します。

確かに、僕こんな訳わからん文体持ってないね。なんでそこでヒステリーなのかよくわからないけど。


>だからこそあなたは饒舌に借り物の文言にまみれて居直り続けなければなりませんし、その上でまともなものにはまるきり相手にされない。

大丈夫大丈夫、僕独り言得意だから。


>気の毒なことです。

あれ?同情しないんじゃなかったっけ?


>が、それがあなたということですから仕方がありませんし、ザマを見ろということです。

そ、しょうがないよね。なにがざまあみろなのかよくわからんけど。


>見るなりに気の毒で居た堪れなくさせるあなたのみじめさは並大抵の卑屈さではありません。
見苦しいです。

似たもの同士仲良くやろうよ。


ところで、ストレートに聞くけどキミって、うきりんこでないの?

指咲 游
KD106146201243.au-net.ne.jp

自分の都合や妄想ばかりで安堵か承認を求めたがるのは勝手ですがそれにしてもまったく不調不毛なご様子としか見受けられませんし、こちらはあなたの汚らしい欲求や都合に巻き込まれることの不快と迷惑しか感じないので変質者の有り様としか受け取れません。
精神の失調を押し付けられるようで気味が悪いです。
わかりませんよね、だからそういう考えを鵜呑みに振る舞えるのでしょうし。
おぞましいですね。

謎P
ab128120.f.west.v6connect.net

【指咲 游さん】つづき
なかなかキミのような言葉遣いの人いないと思うんだけど、うきりんこをちょこっとお行儀よくしたらこんな感じだよね。
もし、キミがうきりんこだとするなら、頑張ってお行儀よくしていたのは、あれかな、前に僕がうきりんこの深層心理に踏み込んでプロファイルしたのが原因だったりするのだろうか。
あのあと、うきりんこ音信不通になったもんだから、ずいぶん心配したものだよ。
って、キミがうきりんことは限らないのにどうでもいい話しちゃったね。
僕がうきりんこを叩き潰した話なんて興味ないよね。ごめんね。

飼い猫ちゃりりん
27.230.34.159

指咲 游様
感想返しに来ました。
率直に言うと、読む気が起きない。無理して読んだ結果つまらない。
飼い猫はわがままな読者なんです。努力して読もうとなんて思いません。楽しませて欲しいのです。
努力するくらいなら読まない。小説世界に連れて行って欲しいわけです。
失礼しました。

小次郎
180-147-152-145f1.hyg1.eonet.ne.jp

情感ありますね。
こんな書き方あるんだなと思いました。

ただ、思うところとしては。

>そうして至る、出くわす時々の事実に感銘を、道理を、盲目的に無自覚に、すべてを心地よく自覚的に操りたがる。

(出くわす時々の事実に感銘を、道理を、盲目的に無自覚に)

を、と、に重ねさせているのわざとですよね。を、二回。に、二回。これは文として効きあります。

でも(すべて「を」心地よく自覚的に操りたがる。)

すべての後ろに、を入れたら、統一感的が出にくいし、間延びした感じになっているように感じるのですが。

あと、今思ったんですが、出くわす時々に事実「に」

ここ「に」入っているんですね。

出くわす時々の事実に。

句点で一旦閉じて、書いた方が、重ねる表現の効き目増すかもです。

指咲 游
KD106146203154.au-net.ne.jp

小次郎さん
お読みいただきましてありがとうございました。
先ごろは差し出がましいことで失礼をいたしました。

文章というものは複雑で豊かなものですね。
それを如何に咀嚼して扱うものか、その定義や絶対は求めるなりに勘違いなり貧しいことかと思いますし、だからこその個人的絶対を見逃せないし求めたくなるもののように思います。
他人に認めさせたがることばかりに見苦しい執念を焚いて自覚もない人がやけに多い気がするのですが、そんな欲求こそが理解や素養の欠落を明らかにする、そういった気づきは他者から与えられるものではないはずですから、不毛な軋轢に過敏に付き合うことは避けたいと思っています。

ご指摘の件、なるほどと思います。
この度の作は「神視点」という解釈に個人的な有用を求めたくて仕出かしたものなのですが、上手く伝えられなかった不備を残念に思います。
「神」という機能を万能と捉えるのか、書き手の都合と捉えるのか、個人的にはそのどちらも是として躾糸のようにガイドさせたい考えがあったのですが、恐らくはどなたにも伝わりづらいものだったと思います。
「神視点」はシノノメを見通す、都合使いこなす視点ですか。
少なくとも私個人にはそのつもりはなく、水面下で蠢くもの、シノノメ、サイレン、そのすべてを構造として俯瞰する上でシノノメを嘆きながら眺めるお節介な視点としてシノノメの所属する意識の勘違いを世界の構造の無自覚な一部として切り取りたいと思っていました。
方向に限ってもわかりにくい言語性の表現だったかと思います。
伝わるものになるように表現や言葉の活用の習得に努めたいと思います。

飼い猫ちゃりりん
sp1-75-248-249.msb.spmode.ne.jp

指咲さん。飼い猫のコメントには当然返信は不要です。一応マナーでコメントしましたが、コメントになっていないので。
そんなことより、
「作者が説明できなければ、その小説は嘘だ」
という意見にビックリです。
飼い猫には、とんでもない間抜けにしか見えません。
飼い猫は、
「作者が説明できるなら、その小説は嘘だ」
と思っているので。
そもそも説明できないから、小説なんですよ。まったく、何のために小説を書いているのか、謎でしかない。
AI臭の原因はこれだな。笑

指咲 游
KD059132152084.au-net.ne.jp

飼い猫ちゃりりんさん
わざわざお立ち寄りいただきありがとうございました。

説明を架け替えるために挑むその動機を小説とするなら前者も言い分としてさもありなん、とすることに取り立てて異議はもちませんし、わからないからこそ書いてみることを創作の動機とすることもまた挑戦的でよろしいのではないかと思えなくもありません。
なんだかはぐらかすような言い分に受け取れたならすみません。
ただ、間違えないで欲しいと思うのは、そんなそれぞれの動機を挑ませる場として、こんなサイトにおいてもその潮流なりフェーズというものは案外せせこましく移り変わるものらしく、少しばかり慎重に眺めていただければわかるかと思うのですが、つい近頃までとはサイトの雰囲気が変わった気がしないですか。
それは思い違いでも構わないのですが、私は取り違える不様は避けたい性分なので相変わらずしがみついて嘯く吹き溜まり界隈の開き直るような有り様はなかなかに気味が悪いです。
伝わるといいのですが、どんなことを動機にするのであれ、その承認を他者に委ねて見苦しくなり落ちるような欲求こそろくでもない、ということを最低限でもコンセンサスとして心得た上で各々の作品を相応しく挑ませたいもの、ということかと思うんですね。
それは私の決めつけでも喧伝でもポジショントークでもなく、取り違えることのないように察するべきはなんのためなのか、といった基本的な心得のような話でしかありません。
ケチな主張や意地にすがってわざわざ踏み外しても居直りたがる承認ゾンビほど自覚も知恵もない見窄らしさときたらないですし、そんなものはとっくにフェーズから取り残されたナンセンスな有り様として疎まれてはじき出されるのは当然かと思います。
このサイトでなにがしたいのか、それを見苦しく曝け出すような不様は他人を見て察するに足ることとしてお互いに避けたいものですよね。
どういったおつもりでのご来訪か今ひとつわかりかねるところなのですが、こんな返答でご勘弁いただけますか。

個人的にはAIを小説創作の拠り所として捉えられることを柔軟な思考とも興味とも捉え難く感じてしまうもので、その手の価値観とは小説というたかが素人の嗜みの動機を程度や倫理らしく意見を戦わせることにはあまり興味が持てそうにありません。
それは、説明出来るなら嘘、というあなたの持つ倫理観に近からずとも遠くもない感覚ではないですか。
勝手な言い分でしたらすみません。

飼い猫ちゃりりん
sp1-75-248-249.msb.spmode.ne.jp

指咲さん。
承認ゾンビはこの社会の超多数派、マジョリティです。
過剰な承認欲求は多くの人の精神を病んでいます。もちろん飼い猫も大なり小なり侵されてます。
承認欲求に心を侵され、自分がゾンビになる不安に悩まされても、ふっと生まれた作品に心癒されるときがあります。
花は承認されたいから、咲くわけではないでしょう。花は人間を無視しているようにも見えますが、目を閉じているのは人間の方かもしれません。

指咲 游
KD059132152084.au-net.ne.jp

飼い猫ちゃりりんさん

なるほど。
こういったことを嗜む上ではお互い様といった了解は欠かせませんね。
とはいえこのサイトで多く見受けるには案外、承認欲求を拗らせた寄生虫みたいな呪詛か粘着ばかりと思えなくもないところが嫌いです。
なさけなくないのかと。

反面教師といたしましょうか。

早咲圭吾
ab132241.f.west.v6connect.net

全文、読みました。
作者が抱えるフラストレーションをそのまま吐き出したかのように感じました。しかし、その感情を読者に直接ぶつけるだけでは、物語としては成立しないです。読者が共感できる要素や、何らかの希望の光を見出すきっかけがない限り、このシノノメというキャラクターは、ただの「愚かでどうしようもない存在」としてしか認識されないです。短編なので読後に、何か残らないか考えましたが、何も残らないです。ちょっと、読ませる書き方なのかな?っていう疑問を抱きました。

指咲 游
KD106146204208.au-net.ne.jp

早咲圭吾さん
お読みいただきましてありがとうございました。
返信が遅くなってしまい申し訳ありません。
真面目な話をするほうがむしろ間抜けに映る気がするので手短な返答で失礼します。

・作者が抱える〜

とのご指摘はわからなくもありません。
とはいえお考えいただきたいのは、この作は神視点である、という点で、作者なりにも当然として行き違ったものを察するところでもあります。
もちろん書き手としての不手際について、ですから気を悪くされないでください。
読書傾向の違いを棚上げしてその理解を束ねたがることは、もはや不毛に等しいでしょう。

・読後に、〜何も残らない

それは大いなる問題かと思います。
とはいえそれも先にお応えした点とまったく無関係ではない問題として、行き違うものを承知の上で寄り添うべきご感想であることは明らかかと思います。
如何なる作品もその印象や言い分は読み手次第とするなら、書き手も書き手として読み手の感想からその程度を察することにも何も問題はないことかと思います。

印象ばかりで語ることは誰でも出来ますが、実はそれが何よりの落とし穴であることは個人的には何より危惧するところですし、程度の透けるところでこそある気がします。
その上でこのサイトは特に、基礎を蔑ろにして都合建前にすり替えて開き直るばかりの不様な輩の吹き溜まりでしかありませんから、私の言い分も真に受ける必要はありません。

もたらされる批判や指摘は適時判断に預けながら取捨選択する甲斐性を持つことこそ当然の態度かと思いますし、遺恨に駆られる不様を思い付く気はありません。
また創作の機会があればご要望に適うような創作スタイルへの興味も探ってみたいと思います。
そちらの作品へ感想を差し上げたいところなのですが、いつ見るにつけてもこのサイトの有り様は常に見苦しいもので、なかなか関わるべく気持ちが赴きません。
気まぐれの来訪になりそうですが、どうぞご勘弁ください。
わざわざのご来訪ありがとうございました。

謎P
118-106-65-138.area1a.commufa.jp

【スロー・シット・バッシング】

> その上でこのサイトは特に、基礎を蔑ろにして都合建前にすり替えて開き直るばかりの不様な輩の吹き溜まりでしかありませんから、私の言い分も真に受ける必要はありません。
🤔これは、基礎が出来ていないわたくしには、耳が痛いお言葉。わたくし、すっかり心を入れ替えて、敬愛する基礎が完璧なののあ先生の執筆論を熟読し勉強いたしました。その上で申し上げると御作はまさに

自分だけがおもしろい、つまんない思いつきの説明文だし、下手なシナリオじゃん。それか、思い出話昔話だったり、ほんと個人の、どうでもいい創作日記だったりして、だから何? って感じでした。(出典ノノアノ)

指咲 游
KD059132143040.au-net.ne.jp

世界人類などと大風呂敷を広げるまでもなく、こんなサイトにすらヒエラルキーは存在しますし、各々それぞれにおいて丸出しには違いない、とでもいったところです。

界隈
sp49-109-148-200.tck02.spmode.ne.jp

「語り」と「登場人物の言動」が同じようなベクトルを向いており、つまり書き分けがイマイチ出来ていないといった印象です

この語りを活かすのであれば、登場人物はその語りとは無関係に振る舞うのが面白く、また指咲さんの作為に反しますがいっそのことシノノメの語りとしてしまうほうが良いと思います

謎P
p4195055-ipxg00n01tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp

私の敬愛するののあ先生のお言葉をまとめた【出展ノノアノ】です。指咲さんもこれを読んで僕と一緒に素人脱却目指しましょ。


指咲さんは神視点で書いています。なので小説は小説ですが小説と呼びにくいのです。もちろん掌編は神視点で書かれるものが多く、掌編だと違和感がありません。しかし星新一が自分のが大人の文学作品として認められないのを憂いたように、やはり神視点は子供向けの物語なんですね。なにか深いテーマやメッセージがあったとしても、評価されにくい。

 『スロー・シット・バッシング』はたぶん、小説と思って書いていると思いますが、視点が神視点で、冒頭もエッセイみたいな感じで入ってますよね。「操りたがる」って。「こんなわけわからんこと言ってる人がいる」って。作者である指咲さんが読者にそう説明しているのです。

 この説明文をできるだけ説明でないように工夫しましょう。「これわゴミ、いいものですねえ、カス、いいものですねえ、なのは、いいものですねえ、のうえでですね、の。の。の。
 おつかれさまあでしたあ」——そうすると、時間の流れもどうでもよくなってミステリー感が生まれます。OKはザマ大先生(仮名)が普段から実践されてますね。ゴミの後に、いいものですねえとフォローする、いやカスみたいだ、たしか広瀬五人衆だったっけ、みたいな意識の流れで書いていくと「ごはん」視点のリアルな流れになると思います。

 指咲さんもふだん「しごいた指先に移る匂いがそれほど強烈でないこと」みたいなことを考えたりしませんよね? つまりそれは作者が「しごいた指先に移る匂いがそれほど強烈でないこと」と読者に説明してしまっているので、読者としては話を聞かされている気分になります。

 文章は、他人に何かを伝えるためだけではなく、自分の頭の中の考えを言語化するときにも使います。つまり、自分自身の「認識」として、こうだ、ああだ、という感じで。たとえば、「そうやって見ながら何か話題を探して話しかけてくるのが、彼女のいつものやり方だ。」や「帆鞠は、ふっとため息を吐いた。」も読者に説明しているのではなく、「ノノアノ」の認識を言語化しているだけにすぎない。そう考えると、小説に説明文はいっさい必要ないと思いませんか? 文章としては説明文ですが。

 説明文はいらない。それを踏まえたうえで小説を書くと、神視点の説明文は幼い表現方法だと感じるようになれます。そうなってから「小説」が書けるようになるのです。やっぱり説明をしているうちはそれは「作文」なんですよ。「エッセイ」は魅力的な語り口で作文を面白いものに進化させたものにすぎません。「小説」ではありません。

指咲 游
KD059132143040.au-net.ne.jp

界隈さん
お読みいただきましてありがとうございました。

私の作為に反する、との断り通りのことかと思います。
繰り返しになりますので、先にご感想をいただいた早咲さんへの返信をご参照いただければと思います。
このタイミングに至っては感想者のポジショントーク目的に映るばかりかと思いますので、そんなご自身への不利益を翻すようなご活躍を他の参加者の皆さんの新作へ活発に施していただきたいところです。
わざわざのご来訪ありがとうございました。

謎P
p3640178-ipxg00g01tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp

例によって私の敬愛するののあ先生のお言葉をまとめた【出展ノノアノ】です。僕の意見じゃないですよ。ノノアノ先生が言ってるんですよ。
指咲さんもこれを読んで僕と一緒に素人脱却目指しましょ☆

「神視点では公募では落とされる」というのは私以外の人が言っているので、それに基づいて話をしているだけです。

 というか、指咲さんはご自身のことを私に投影しているだけだと思いますよ。私にはネガティブ思考とかまったくないし、びっくりしたくらい。なのにおヒス振りまき
ました。

 たぶん、指咲さんは公募に出しても、0次選考落ちのゴミ箱行きじゃないですか? その理由が知りたいのだと思って、私の敬愛するののあ先生の話をしていたのです。「作法」を守っていれば0次選考は通過、「視点」がちゃんとしていれば1次選考通過、「心」が描けてれば2次通過という組み立てで、それらを基礎としました。

 じゃあ指咲さんの書いたものが、どうなるかというと、普通に0次選考落ち、つまり書類審査でゴミ箱ポイですよ。下読みにも出してもらえない。経費が無駄にかかるので。

 立派な小説でなくても人の心は動かしますよ。子供の作文でも。だからそういう次元の話ではなくて、販売をし稼ぐ商品としての小説の話で、その基礎を出版社側の考えをもとに、こうだ、と言っているだけです。私が独断と偏見で「小説とは何か」を決めつけているわけではありません。

 で、指咲さんのところにノノアノが書かないのは、そこに人がいないからです。書いても読まれないのではモチベーションも上がりませんね。私も時間をかけて自分の意見を書くからにはよりたくさんの人に読んでもらいたいし、そもそも暇じゃないので、「でも、だからって読まなきゃいけない義理はないし。わたし、基本的に素人の小説ってどうでもいい。読んでもらいたいなら、ちゃんと読者を意識して、ちゃんと勉強して、それで勝手に上達すればいいと思う」と書きました。けど感想をもらうとやっぱり返信しなくちゃいけないし、返信するからには相手のためになることを書きたいと思っています。そして、同時にこれを読んでいる第三者にも読んで良かったと思えるように。

神楽堂
p3339011-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

こうして見るとノノアノ氏って、かなり上から目線でもの言ってたんですね

謎P
14-133-236-212.area1a.commufa.jp

【出典ノノアノ】
指咲さんの小説『スロー・シット・バッシング』は神視点ではないですね。シノノメの視点をとった「三人称一視点」の小説と、客観的にはそう判断されます。地の文もシノノメの感情というか思考を書いていますよね。だから読者は、シノノメがそう思っている、考えているんだ、として読みます。

 しかし部分的に、あれ?と感じさせるところがあって、シノノメと語り手が、なんていうか、ふと別人格であるようにも。以前、指摘したほかに、たとえば、貧相な肩、とか、びくっと肩を揺らす、とか、客観的に視点と感じさせるものがあるので、シノノメの視点から剥がれることがあります。でもその程度だったら許容範囲で、ふつうにシノノメ視点の一視点の小説となると思います。たとえもしあれがかりにシノノメではなく一人称の「わたし」だったとしても、貧相な肩、びくっと肩を揺らす、は「わたし」視点の「わたし」の感覚、「わたし」の脳の認識としてとらえられて、そんなに違和感はないと思います。

 ただし、厳密な人は、貧相な肩、肩を揺らす、などの客観的な視点を際立たせていることに、何の意味があるのか、となって、そこから、指咲さんの書き手としての思惑とか、意図とかを鑑みて、指咲さんの文章レベルをはかろうとすると思います。

 ただ、それ以前の問題として、はっきりって、指咲さんの小説は、難しいですね。読み始めからさまざまなメタファーを感じさせます。だから、たぶん、読み流しされると思います。読み流しして、釣りのシーンで、釣りをしたことのある人なら、餌がどうのこうのとか、釣り場であるビオトープとかの状況がつかめて、つまり、ある程度、読者の過去の経験があってのうえで、情景が見えてイメージしやすいとか、興味をもったりします。

 でも釣りに興味のない人は、メタファーを探る前に、挫折しますね。文章はこなれているし短いので、最後まで読み流しはします。で、とくに何もなかった、で終わると思います。印象として、何か文句を言っているな、イライラしているな、でしょうか。そこに隠されている文意、背景などは、よっぽどじゃないと、探ろうとはしません。ほとんどの人が、エンタメ目的で読むので。

 しかし、いろいろ考えて読む人なら、たぶんふつうに不快に感じるかもしれません。ゴミのポイ捨てをするな、とかそういうので。これは倫理的な問題で、むかしはそういうのはなかったと思いますが、宮崎駿監督の映画とか喫煙シーンがあるので叩かれていました。その感覚は私にもわかります。だから、創作物と現実は違う、とわかっていても、現代人のもつ心証も考慮しないと、残念ながら作品の価値も毀損されてしまうのは現実です。逆にいえばプロなら、倫理観をなくさず創作物がつくれるようになれよ、という世間の要求でしょうか。

 ちょっと話は違いますが、豊臣秀吉のあだ名は「サル」が一般的ですが、文献として残っているのは「ハゲネズミ」です。だからといって「ハゲネズミ」で豊臣秀吉の出世物語を描くにはちょっとどぎつすぎるというか無理なので「サル」になったような気がしないでもないです。

 視点の話に戻すと、そもそも神視点は、物語の外側からの視点で、俯瞰して語ることによって、読者に「わかりやすく説明するための視点」といってもいいのではないでしょうか。だから冒頭だけは神視点で始まる小説もあるのだと思います。ツカミはオッケーという感じで。

 で、神視点は、読者に直接語りかけることができる。そしてだからこそ、神視点の小説は、読者に〝お話〟をする感じになってしまう。しかし、現代の小説は「神視点」ではなく「人視点」(登場人物視点、主人公視点)にして、臨場感を感じさせるのが一般的になっていると思います。

 指咲さんが神視点で書いているというのなら、その効果はないですね。最初にいったように、シノノメ視点で時間は進んでいるので。基本的に三人称の小説なので、シノノメと語り手は別人格ですが、現代の小説は、「三人称一視点」「三人称多視点」として、語り手は登場人物に憑依する感じとなります。読者もそのつもりで読みます。

 それに反して、三人称神視点で書く、ということは、あえて語り手の存在を感じさせるのが、そのテクニックだと思われます。しかしまた、小説の書き方を知らない素人が、テクニックというより、作文やエッセイを書くときが神視点なので、何も考えずに書くと神視点になりますね。

 だから「神視点」で書くなら、なぜ神視点にしたのか明確な意図がないと、素人小説になってしまいます。言ってみれば、「なんちゃって小説」ですね。この「なんちゃって」というのが「神視点」といってもいいかもしれません。つまり、「なんちゃって一人称(小説)」「なんちゃって二人称(小説)」「なんちゃって三人称(小説)」というのがある。伝言板で二人称の小説を書いたといってた人のあれは「なんちゃって二人称」ですね。人格を感じさせる語り手が「あなたは〜」といって書いているだけ。だから「あなたは〜」といってても三人称の小説っぽい。

 有島武郎「小さき者へ」は前半部分を読むかぎり、ふつうに、一人称の小説ですね。神視点でのお話になっているので、手紙や、手記といった感じのものでしょうか。だから厳密には小説ではないですがそれはいまの価値観であって、むかしはああいったものも小説だったのかもしれません。

(続きます)

謎P
14-133-236-212.area1a.commufa.jp

【出典ノノアノ】
kc116-12-3-16.ccnw.ne.jp
続きました!

 もしかしたら指咲さんは「神視点」に特別な思い入れというか、高次の意識レベルを想定しているのかもしれませんが、いまの読者はそういうのを求めているのではなく、わかりやすさ、親しみやすさですね。

 たとえば、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』は、一人称の神視点で、語り手が読者に向かって平易な言葉で語っています。それはまるで友達同士でもあるかのようにその時代の若者言葉で。それが世界的ヒット要因だと思いますが、それは、それ以前の小説が、神視点で語る、難しい言い回しや、格調高い文体、名文を競いあう上から目線、だったからで、その反動かと思います。

 いまの小説の「説明文」は、黒子に徹していて、つまり語り手の人格を感じさせないようにしていて、登場人物に読者の意識が向かい、登場人物の視点に意識が重なるようにしています。臨場感も登場人物の視点を通して感じるようになっている。ただ、文章であるがために、どうしても逃れられないのが、語り手としての存在であり、登場人物視点で書いていたとしても、その人物自体を〝対象〟として書くことからは逃れられない。つまり、「説明文」を書くことからは逃れられません。とくに一人称の小説の場合はそうですね。

 で、その解決方法は、説明文を書く場合は、きわめて客観的な文章を書く、主観を交えない、というもので、それが読んでいることを感じさせない「透明な文体」になると思います。

 書き忘れてましたが、小説を書く文章はこの三つ。「描写文」「説明文」「会話文」。これらをどの視点で書くかというと、それぞれ順番に「人視点」「神視点」「無視点」。人視点というのは、登場人物つまり主人公視点。無視点というのは視点がない、視点を感じさせないというものです。

 で、いまの時代、神視点で一般的な小説を書くということはないと思いますが、歴史小説みたいなものだと、神視点が生かせますね。歴史を俯瞰して語るのだから、むしろ高次な語り手の存在は信頼・信用をされます。

 指咲さんの今回の小説も、シノノメが歴史上の人物か、将来何かを成し遂げる人物、または作品自体がたとえば未来のSF戦記のワンシーンだったら神視点はいいかもしれません。わざわざ人物視点をとる必要はなく、自由間接話法で登場人物の内面の声を拾いあげておけば感情移入もできます。もちろん会話文も多用することで臨場感を感じさせ、ただ〝お話〟を聞いているだけとなることもありません。

 日常のワンシーンで、神視点をとった語り手の人格を読者に感じさせても、あんまり意味ないですね。もし一人称の神視点だったら、そのシーンは、過去の話をしているんだな、となりますが、それはもう個人の思い出のお話であって、いまどきそんなものに需要はないですね。大学生活はこうだったとか、若いときこんな恋愛をしてきた、死んだ妻を愛していたとか、そんな話を聞かされても……となる。

 何が言いたいかというと、それらは素人小説によくあるパターンということで、ようするに〝お話〟ではなくて、劇場的に描くことが、いまの時代の小説であり、神視点ではなく人視点で臨場感をもって書け、ということです。どうしても〝お話〟だと、説教を聞かされている感じにもなりますから。

 指咲さんの小説は、シノノメの意識の流れを追っていく感じで、語り手が神視点で〝お話〟をしているという感じは受けなかったですね。そういった意味でも神視点ではないと思います。

 また、神視点は俯瞰した大きなストーリーが背景にあって、それを説明するのに効果的な役割を果たすもので、個人(シノノメ)の意識を語り手が俯瞰して眺めていたとしても、それはやっぱりあんまり意味ないですね。ふつうにシノノメと語り手を同化させた人視点でいいとも思います。またそれをシノノメの「人視点」なのか、語り手の「神視点」なのか、と分けるのも意味がないような気がします。

久々の男
softbank126059016076.bbtec.net

どうも、指咲 游さん、初めまして。久々の男と名乗っている者です。
2面にも関わらず、コメントがついているのを見て、気になって読んでみました。
それで、思うことがあったので、こうして書かせて頂いてます。
かなりボク個人の主観的な感想であり、御作の読み取り方も間違っているかもしれませんが、その時はご容赦願います。

【勝手な自己都合によるあらすじ】
工業廃水が流れ込むドブ川の土手で、澱んだ鈍い虹色の水面に釣り糸を垂らしている滝川クリステル似の16歳の超美少女シノノメ(東雲)彼女は時折呪詛のようにヤンキー語ならぬネットスラングをぶつぶつ呟いている。彼女はこの世の全てが不満。自分の想い(わがままとも言い換えられる)が通らないのも不満。おっぱいが小さいのも不満。酔った勢いでチューハイの缶を片手に性質のわるい酔っぱらったオヤジのように時々大声をあげる。それを見ていた田舎の監視ジジイが110番で警察に通報(実はここは禁漁区)彼女が喚きながら缶を川に投げ捨てた所でピーポーピーポーの音。急に酔いが醒めるシノノメ。

【現代的な感覚で言えば?】
ヤンマガの漫画「ヤニねこ」の壁も天井もヤニで黄ばんだ部屋で、24時間耐久レースでタバコを吸い続ける(しかもまったりと)ヒロイン(?)の姿とか、エヴァンゲリオンの独身のキャリアウーマン葛城ミサトのマンションの冷蔵庫にぎっしりとビール缶しか入っていない感覚とか、シューティングゲーム「超兄貴」(←古っ!)のムキムキのアドンとサムソンが敵にやられた時に「もうダメだぁぁぁ!!!」と叫んで死ぬ所とか、この作品の雰囲気を伝えようとすると、そんな感覚なんだよぉぉぉ!!! オレは。

【最後に真面目に】
マヂレスしますと、文章の作法とか論理の支離滅裂さでこの作品を批判することは容易いかもしれません。しかし、文学というものはそんなもんではないでしょう?! 町田康の「くっすん大黒」も文章は素人からは一見めちゃくちゃに見えます。しかしその背後には作者の驚くべき程の整合性(これは論理ではなく、キャラクターの思想性)があります。この作品も背後には、驚くほど都市化された乾いた世界観と、それを嘆くシノノメというキャラクターの心象風景があり、統一性を持たせています。そして、それが指咲さんの特異性(オリジナリティ)であり、かけがえのないAIには書けない人間の個性なのではないでしょうか?

指咲 游
KD059132145024.au-net.ne.jp

久々の男さん
わざわざのご来訪ありがとうございました。
有り様につけお立ち寄りいただいたのであれば、先にある界隈さん宛の返信もお読みいただけたかと思います。
私はずいぶんと捻じ曲がった考え方をするので、すでにこのタイミングであることだけを理由に、いかなるご感想にも率直に向き合う気にはまるきりなれませんし、いただいた感想を都合読み齧る手間すら持ちません。
むしろ率直にお伝えするべきは、作品の投稿が見受けられない方の感想はすべて同一人物による不適切な自慰行為、として私はまともに向き合う心づもりがそもそもないということです。

せめては返信らしくお伝えするには、私が期したものを汲み取れる人はただの一人も見当たりませんでしたが、正確に読み取れとばかりに勝ち誇ることを小説などと嘯くつもりはありませんし、そんな見窄らしい憧れ方こそ願い下げですから好き好きにお読みいただけることにはお礼を申し上げます。
願わくは自身をより奮わせるカタチでお見受けできたら、と願います。
見かけて群がる凡庸にかまけるよりも、自力を示して盛況なる群がりをもたらしてください。
お立ち寄りいただきありがとうございました。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内