君と交わした放課後の約束
放課後、茜色の空の下。いつもの帰り道で、桃が急に立ち止まり、真剣な顔で口を開いた——
「あのね、私、椿のお母さんを殺しちゃったの。」
その言葉の重さに、一瞬で胸が締め付けられた。
もちろん、桃が何か悪意を持ってやったわけじゃない。
わかってる。ただ、ずっと彼女はそれを「自分のせい」だって思ってきた。
その想いが、この言葉に詰まってるんだ。
急に幼馴染から告げられた、衝撃の一言。
ずっと一緒にいたからこそ、今さら言うようなことじゃないのかもしれない。
でも、桃は慎重な面持ちで僕を見つめている。
桃はなにも隠していない・・はずだ。
そう思ってた。
キーンコーンカーンコーン
空が茜色に染まる頃、7限の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
一気に教室が騒がしくなる。
「〇〇、スマホ返せよー!」
あぁ、本当うるさいったらありゃしない。
「椿、英語の小テストどうだった?」
僕の名前は辻堂椿(つじどうつばき)
そして彼女は、桜木桃(さくらぎもも)だ。
「うん、まぁまぁだな。」
僕は曖昧に言葉を濁しながら答える。
「あー、またわかんなかったんでしょ?その顔見ればわかるよ」
「なんだよ。別にいいじゃねえか。それより、何で分かんだよ。」
「だって、幼馴染だもん。ずーっと一緒にいたでしょ?」
「はいはい。」
僕と桃は、ちょっと変わった関係の幼馴染だ。家族ぐるみの付き合いがあったけど、今は友達、って感じだ。
なんだか思議な関係だけど、僕は桃のことが友達として好きだ。
桃も、僕のこと友達としては好きだと・・思う。
多分。
「椿。今日アイス食べながら帰らない?」
「あぁ、桃は相変わらず塩キャラメルだろ。」
「あはは、今日はチョコミントの気分。」
「っとか言いながらどうせ、塩キャラメル食べるんだろ?」
「えー、そうかなぁ(笑)」
この笑顔、好きだ。
ふわりと花が咲いたように、あたりを明るくする。
夏の終わりに咲く、誰にも見つからなかった一輪の花みたいに、儚くて、あったかい。
桃って、前世はほんとに桃の花だったんじゃないか?
今まで何回思ったことだろう。
でも、そんな桃がそばにいるだけで嬉しい。
「ーって、椿。聞いてる?」
「あぁ、ごめん。聞いてなかった。」
「もぅ、ちゃんと聞いてよー。だからぁ、明日部活あるんだって。」
「あぁ、じゃあ、5時30分まで待っとくよ。」
「うん。ありがとう。」
また、この笑顔。
反則だよな、と心の中で密かに思う。放課後の帰り道。空は茜色に染まり、校門の影が長く伸びていた。
校門を出たとき、ふと、母の声を思い出した。
「桃ちゃんは優しい子だから、大切にしてあげてね」
あのときの、あの優しいまなざしと一緒に。
ちらっと桃を見ると、桃の笑顔の奥に、一瞬影が差した。
アイスを片手に歩いていた桃が、ふいに足を止めた。
桃の笑顔はいつも通りだったけど、ふと視線が遠くを見ているのに気づいた。
そのまま歩き続けるけど、口元が固くなっていった。
そして、ぽつりと呟くように言った。
「最近、ふと椿のお母さんの夢を見て……。もう逃げちゃダメだって思ったの。」
「実はね、あの事故の日……私、椿のお母さんのそばにいたんだ。」
「その時のこと、ずっと胸にしまってたんだけど……正直に言うと、私が……」
少し間を開けてから、また口を開いた。
「椿。今まで黙っててごめん。でも、真剣に聞いていてほしい。こんなワガママでごめんね。」
なんだ?
こんな可愛くて愛おしくて・・
どうしたんだ?
しばらく沈黙が続き、最初に口を開いたのは桃だった。
「あのね、これはあなたを傷つけてしまうかもしれない。でも、聞いて。」
桃は何度も息を呑み、言葉を探しているようだった。震える声で、ようやくその事実を口にした。
「……私ね、10年前、横断歩道で車が突っ込んできて……
そのとき、椿のお母さんが私を、かばって……
それから……気づいたら、血だらけで……
私、何も……できなかった……」
は?と声にならない驚きがあった。
桃の言葉に、思考が一瞬止まった。
頭ではすぐに理解できなかった。けど、桃の震える声と、沈んだ夕日の色だけが、妙にリアルに胸に残っていた。
桃はそんなことをする人ではないのに。
「私ね、10年前、横断歩道を渡ろうとしたら、車が突然突っ込んできて……。
そのとき、近くにいた椿のお母さんが、私をかばうようにして倒れたの。
そして、そのまま……血まみれになったお母さんに、私はすがりついて泣いた。
それしか、できなかった。」
「椿には言えなかった。……あの事故、こんな夕暮れだったから。
でも……私が椿のお母さんを、殺してしまったんだって、ずっと思ってたの。」
なにを言っているんだ?
頭では分かってる。でも、心が追いつかない。
なんで……なんで今まで黙ってたんだよ。
でも、そんなこと考えた瞬間に、胸がチクッと痛んだ。
頭の中が一瞬で真っ白になり、次第に言葉の意味がゆっくりと染み込んでいった。
でも、すぐに答えは出た。
母さんが命を懸けて守った相手を、僕が責めるはずなんてない。
「母さんは、きっとあのとき迷わなかったと思う。目の前に桃がいたら、当然のようにかばったんだと思う。だって、桃は大事な人だから。」
涙が頬を伝い、声が震えていた。
夕焼けが頬を赤らめ、空は静かに色を変えていく。
「ごめんね。そして、ありがとう。椿、こんな私とこれからもずっと一緒にいてくれる?」
「もちろんだよ。桃。」
僕はそう言って、桃をそっと抱きしめた。
桃も、驚きながらも優しく抱き返してくれた。
母さんがよくしてくれた、あの温もりのように。
桃を抱きしめた腕に、母さんのぬくもりがそっと重なった気がした。
これからは、あの人が遺してくれた温もりを、僕が誰かに渡していく番だ。
「……これからも、よろしくな。桃」
空が、ゆっくりと夜に溶けていく。
こんな僕達を夕日が明るく照らしていてくれた。
母さん、僕はもう、大丈夫だよ。
守ってもらった命を、今度は僕が誰かのために使っていくよ。
いつか、誰かが道に迷ったら、
今度は俺があのときみたいに、迷わず手を伸ばすんだ。
「いつかさ、桃が困ってたら、俺も迷わず助けられるような大人になりたい」
「……うん。きっと、椿ならそうなれるよ」
茜空の向こうに、僕たちの新しい約束が、そっと浮かんでいた。
天国の母さんも、きっと――笑っている。
おわり
執筆の狙い
桃がずっと心のなかで葛藤していたものをぶちまけたシーンを描いてみました。
初めて描いた小説なので、自分ではしっかり見たはずですが、少し字足らずだったりしてしまうかもしれません。
でも、小説を書くということが夢だったので、とりあえず終わりまで描き、推敲してみました。