無垢の涙
マドラーが回り、からからと氷の音が響く。昼間から水割りとは、どう考えても体に良いとは思えない。
でも、定年退職してからは、これも健康管理とこじつけて、妻とこの店によく来るようになった。
昼間から飲んで、懐かしい歌を歌う。ただ、私が歌える曲は一つだけ。それを歌うには、まだ酔いが足りない。
「あなた、早く歌っちゃいなさいよ。どうせ曲は決まってるんでしょ」
「いや。今日は歌わない」
「駄々っ子みたいなことを言わないで、ほら、早く」
「せかされて歌うもんじゃないだろ」
「じゃあ、私が歌うからね」
今日は、近所の鈴木さんご夫妻も来ている。
この店では珍しいほど静かな客で、カラオケ喫茶なのに、あまり歌は歌わず、酔った姿も見せない。
ただ静かに水割りを飲み、人の歌を聞いている。
私が唯一のレパートリーを歌い終えると、鈴木さんご夫婦は、いつも拍手をしてくれる。
大して上手くもないのに、そんな風にされたら、かえって恐縮してしまう。
旦那さんとは同年代で、たまに昔話をする。
高度経済成長の時代のことや、バブル期の思い出話が多いが、一度だけ、馴れ初めについて話してくれた。
彼は苦難に満ちた恋愛の末、奥さんと一緒になったそうだ。口数の少ない紳士だから、詳しく語ることはなかったが。
羨ましいような、羨ましくないような……
ああ、少し酔いが回った。だから、私も恋について話してみよう。
私は子供の頃、鉄筋の四階建てが六十棟もある団地に住んでいた。その住宅の多くが、二つの四畳半と水回りしかなく、低所得者や片親の家庭は安い家賃で入居できた。
団地の中には八百屋や床屋が並ぶ商店街があり、そこには小さな電気屋もあった。店頭には当時まだ珍しかったカラーテレビが置かれ、団地の住民はその前で東京オリンピックを観戦した。
開会式の日は快晴となり、国立競技場は大歓声に包まれていた。
拍手喝采の中、キューバの選手団が日の丸を振って行進し、アメリカやソビエトの選手団も笑顔で手を振っていた。
赤いブレザーを着た日本の選手団が行進を終えると、陛下が開会を宣言した。ファンファーレが鳴り響き、無数の風船が放たれると、原爆投下の日の広島で生まれた青年が、167段の階段を駆け上がり、聖火台に火を灯した。
選手宣誓が終わり、国歌斉唱が始まると、店頭に集まった人たちも『君が代』を歌い、感涙にむせび泣く人もいた。
無数の鳩が舞い上がり、ブルーインパルスが青空に五輪を描いた。それは祭典の開幕とともに、豊かな社会の幕開けを宣言していた。
当時『上を向いて歩こう』という歌が流行っていたが、その歌がどうしても好きになれなかった。
『上を向いて』と聞くたび、前を向け、強くなれと言われているようで、やるせない気持ちになった。
なにせ私は、いつも下を向いて歩いていたのだから。
高度経済成長とは何か。大人はそこに希望を見いだしたが、子供は虚しさを感じ取っていた。
やがて、その虚しさは学生運動の心理的背景となり、浅間山荘や三島の自決を経て顕在化していった。
やがてバブルと呼ばれる時代がやって来た。地価が何倍にもなり、街にはブランド品が溢れた。
どこもかしこも景気の良い話ばかり。でも何かが違った。
これが幸福? 嘘だ。三島の言う通りじゃないか……
巨大な喪失を覆い隠す狂想曲。この私も翻弄された。ただ、なぜか心には、子供の頃の景色が常にあった。
あの池の水面、青大将、森に差し込む月の光、そして彼女の温もり。あの夏の記憶だけが、真実に思えた。
私の両親は一戸建てと家電製品があれば幸せになれると信じていた。
涙ぐましいまでの倹約をし、貯蓄に心血を注いだから、我が家には、まともな家具が一つも無かった。私の勉強机にいたっては、ゴミ捨て場から拾ってきたチャブ台を、父が修理したものだった。
私はクラスメイトから貧乏人と呼ばれていたが、正しくはケチだ。
貧乏人じゃない、ケチだと言い返しても滑稽なだけだから、いつも言われっぱなしだった。
ただ、下の階に住んでいる知恵子の家は、まさに極貧だった。母子家庭で、母親が重い病気を患っていたのだ。
「たけし! 遅刻するわよ!」と母に怒鳴られ、階段を駆け下りて顔をあげれば、二階の窓には知恵子の顔があった。
「知恵ちゃん。学校休むの?」
「うん」
「帰ったら呼びにいくから、また池で遊ぼうね」
「うん。わかった」
彼女はいじめられた日の翌日は学校を休んだ。つまり、休んでばかりいたということだ。
彼女は中学一年の春に引っ越してきた。
どこにでもいる普通の女の子に見えたが、どこか人を恐れているようなところがあり、逆にそれが私を安心させた。
彼女は雲の狭間からのぞく太陽のように、二階の窓から笑顔を見せた。
しかし母は、私が知恵子と遊ぶことを良く思わなかった。
知恵子の母はよく咳をしていた。夜にその音が響いてくると、母はいつも私に言った。
「あの子と遊んじゃだめ。父親が恐ろしい病気で死んだって噂なのよ。母親もきっとそうなんだから」
私は知恵子の母を見たことがない。団地の商店街でも見かけないし、一体どうやって生活しているのか、不思議でならなかった。
ただ一度だけ、その影を見たことがある。
私が回覧板を置きに行くと、知恵子が出てきて、「ちょっと待って」と言い、部屋の奥に入っていった。
しばらくすると戻ってきて、「これ、お母さんから」と言い、駄菓子と一枚の便箋を差し出した。
そのとき、薄暗い部屋の奥に人影が見えたのだ。
途方もない不幸を感じた。見た者の心を引き裂くような不幸。差別的な感情は無い。ただ怖かっただけだ。
便箋に薄いインクでこう書かれていた。
「知恵子と遊んでくれて、ありがとう」
知恵子は、クラスで「ただれ」と呼ばれていた。
長崎で被爆した母親から生まれたから、彼女の肌もただれているという馬鹿げた言い掛かりだ。
ある日、数人の生徒が知恵子を取り囲み、「ぼろ雑巾みたいな肌を見せてみろ」と迫った。
「ぼろ雑巾じゃないもん!」と彼女が言い返せば、なら服を脱いでみろと彼らは言った。
知恵子は机に突っ伏して泣き始めた。すると一人の生徒が、彼女の背中に「ただれ」とチョークで書き、傍観していた生徒まで吹き出したのだ。
私は知恵子のそばに駆け寄った。間に割って入ると、彼らは私に言った。
「どけ。貧乏人」
何も言い返せない自分が情けなくて、涙がこぼれそうになった。
すると、そこに担任が現れて生徒たちを叱った。
担任は知恵子に休んでもいいんだよと言った。しかし、それは来てほしくないという意味だったのだ。
翌日の朝、階段を駆け下りて顔をあげると、やはり二階の窓には知恵子の顔があった。
「知恵ちゃん。学校休むの?」
「うん」
「帰ったら呼びにいくから、また池で遊ぼうね」
手を振って立ち去ろうとしたら、彼女に呼び止められた。
「ねえ、たけし君」
「なに?」
彼女は顔を赤くして私を見つめた。
「なんでもない」
彼女は窓を閉めた。当時は分からなかったが、きっと自分のことを好きかと聞きたかったのだ。
知恵子は純真そのものだった。
ただ、彼女を汚い世間から隔てていたのは、団地のコンクリートなんかじゃない。それは、差別という分厚い氷壁だった。
団地の中心部にはグラウンドや公園があったが、私たちがそこで遊ぶことはなかった。ふたりは人目を避けて遊んだのだ。
当時は未開発の土地がまだ沢山あった。団地から少し歩けば鬱蒼とした茂みがあり、その奥に大きな池があった。
晴れた日の朝は水が透き通り、フナやカエルが光の中に浮かんで見えた。
梅雨が明けたころ、ふたりで池の周囲を歩いていると、大きな青大将が知恵子の足元に現れ、驚いた彼女が私に抱きついた。
激しい鼓動が私の胸に伝わってきた。
「知恵ちゃん。じっとしてて」
彼女は私の胸元に顔をうずめて震えた。その汗の香りを今も覚えている。
青大将はゆっくりと池に入ろうとしていたが、私は心の中で叫んでいた。行かないでくれと。
そこは生き物たちのオアシスであるばかりか、ふたりの楽園でもあったのだ。
夏休みに入ると、私たちは早朝から池で遊んだ。
周囲を一周し、池の縁に座って休憩していると、並んで泳ぐ二匹のカエルが見えた。
「きっとカップルだね」
そう言うと、知恵子が急に泣き出したのだ。
「どうしたの?」
「みんながプールに入っちゃだめって」
中一の夏は水着を用意できなかった彼女が、その夏は何とか水着を用意した。
彼女にとって水泳の時間は、公然と肌を釈明できる唯一の機会だ。なのにクラスの連中ばかりかその親までも、汚いから彼女をプールに入れるなと文句を言い、学校はその理不尽を受け入れたのだ。
私は「大きなプールができたから一緒に行こう」と彼女に言った。そこには噴水や滑り台があり、女子と行った男子もいると聞いていた。
だが入場料が三百円もしたのだ。
私にとって三百円は大金であり、まして二人分の入場料を払えるはずもなかった。
でも、極貧にあえぐ知恵子に金を払わせたくはない。だから、小遣いの増額を母に頼んだのだ。
しかし母は、「気でも狂ったの!」と怒鳴り散らした。
犯罪の誘惑に駆られた。犯罪の芽を育くむのは劣悪な教育ではない。悲しいまでの貧困なのだ。
夏休みの出校日に、同級生の財布から金を抜くことにした。
それを罪だと思いたくないから、知恵子がプールに入れないのは奴らのせいだと、念仏のように唱えていた。
当時は気の利いたロッカーなんてなくて、荷物は教室の後ろの棚に置きっ放しだった。
プールが終わって掃除の時間になると、クラスの連中は花壇の清掃に行き、私はその途中で引き返した。
ところが二人の男子が教室に残っていたのだ。
箒を持って彼らが去るのを待っていると、その会話が聞こえた。
正に福音だった。駅前の専門店で、クワガタを高値で買い取ってくれるというのだ。
私は虫捕りには自信があった。
「知恵ちゃん。プールに入れるよ。クワガタを売ればいいんだ」
すると彼女は一緒にクワガタを捕りにいくと言い出し、森は危険だと言っても聞かなかった。
翌日の明け方、公園の街灯の下で待ち合わせをした。クワガタは朝になると、木の隙間から出てくるからだ。
まだ星が輝いていて、新聞配達の自転車は電灯をつけていた。
ヤブ蚊に刺されると言ってあったのに、知恵子は薄い半袖のブラウスに半ズボンという格好で現れた。
「それじゃ蚊に刺されちゃうよ」
「これしかなかったの……」
彼女は私の目を見つめて、そう言ったのだ。
目的地は森の奥にある寂れた神社の境内。樹液が流れ出ているクヌギが生えているからだ。
小学生のとき、そこでオオクワガタを捕まえた。オオクワガタは黒いダイヤと呼ばれ、高値で取引されることもあるのだ。
冷気に満ちた森は静寂に包まれ、落ち葉を踏む足音以外は何も聞こえなかった。
森の中は真っ暗で、懐中電灯を置いて来たことを後悔したが、やがて目が慣れて、月明かりで周囲が見えるようになった。
途中に古い墓地があり、苔むした墓石に呪文のような文字が刻まれている。
「怖くない?」
「うん。大丈夫」
野犬の遠吠えが森に響き渡ると、知恵子は私の手を握りしめた。
鳴き声が段々と大きくなり、ぴたりとやむと、カサ、カサと足音が近づいてきた。
彼女が私に抱きつくと、私はしゃがんで静かにするように言った。
「じっとしてて」
「うん」
左腕で彼女の肩をだき、右手に大きな石ころを握りしめた。
怖くなかった。怖がっている場合じゃなかった。
彼女をいじめるクラスメイトに、何も言い返せなかった私は、いつか勇気を見せてやると、心に誓っていた。
やがて野犬は去っていった。
「もう大丈夫だよ」
「ありがとう」
初めて自分を誇らしく思えた瞬間だった。
神社に着くころには空が白み始めていて、樹液に群がる昆虫が朝日に輝いていた。
ただ、それらは全てカナブンだった。だが、よく観察すると、木の皮の下にクワガタらしき昆虫が見えた。
喜び勇んで指を隙間に入れると、指先に激痛が走った。
うわっと叫んで指を出すと、オオクワガタのあごが、肉に深く食い込んでいた。
私は懸命に腕を振った。するとクワガタは指から離れて空高く舞い上がり、森に帰っていった。
もしかしたら、あれは警告だったのか。だが、まだ子供である私が、そんなことを気にするはずもない。
指先から血が流れ始めた。
御影石でできた手水舎(てみずや)の水盤は、澄んだ水で満たされている。知恵子は柄杓で水をすくって私の指先を洗うと、歯でハンカチを裂き、包帯代わりに巻いてくれた。
ふと気づくと、黒いヤブ蚊が彼女の腕や脚に沢山とまっていた。
私は叫んだ。「知恵ちゃん、蚊が血を吸ってる!」
「ほんとだ!」
彼女を御影石に座らせて靴下を脱がし、ふくらはぎに水をかけると、彼女は「冷たい!」と声をあげた。
「次は腕だよ」と言うと、彼女は目を閉じて腕をのばし、くすくすと笑いながら冷水に耐えた。
「まだ、かゆいとこある?」
彼女は胸元のあたりを指差した。
「どこ?」
彼女はブラウスの一番上のボタンをはずし、胸元の小さな腫れを指差した。
「知恵ちゃん。服が濡れちゃうよ」
彼女が二つ目のボタンを外すと、今度は赤い腫れが現れ、私は得体の知れない不安を感じた。
「誰かいるかもしれないから」
「誰もいないよ」
静寂に包まれた境内は、間違いなく、ふたりだけの神域だった。
だが、彼女が立ち上がり、三つ目のボタンに指をかけたとき、神域は邪念に穢された。私は恐怖に見舞われたのだ。
「だめだってば」と私の声が境内に響き渡ると、彼女は、「あたし、ただれてないよ」と声を漏らした。
彼女の目から涙がこぼれ、私は真実を知った。私は差別する側の人間だったのだ。
もう二階の窓から知恵子が顔を出すことはなかった。
しかし父の転勤が急に決まり、夏休み中に引っ越すことを伝えなければならなかった。
手紙ではなく、自分の口で伝えたかったから、ノートの切れ端に「話したいことがある。たけし」とだけ書いて、彼女の家の扉の下に差し込んだ。
それから毎日何度も二階の窓を見上げたが、彼女の顔を見ることは出来なかった。
当時は引っ越し専門の業者などなくて、家具の搬送は運送屋に頼むことが通例だった。だが、父と母はその費用さえもけちった。
家具を極力持たなかったのは、最初から転居を考えてのこと。粗末な家具を捨て、生活必需品のみを手で運ぶだけで、簡単に引っ越せたのだ。
転居する前日の夕方に、親は私を連れて挨拶回りに出掛けた。
同じ棟の人たちに粗品を渡し、「お世話になりました」と丁寧にお辞儀をしていた。
私が、「知恵ちゃんの家には行かないの?」と言うと、母は、「お前は黙ってなさい」と怒鳴った。
翌日は明け方から激しく雨が降った。
私はカッパを着て、手に荷物を持って階段を降りた。建物を出たところで傘を差し、人気のない二階の窓を見上げた。
歩きながら何度もふり返り、そのたびに「前を向いて歩きなさい」と母に叱られた。
ついに知恵子の顔を見ることはできず、建物の角を曲がり、駅に向かう長い坂道を下った。
側溝があふれ、雨水が坂道を流れ落ちていた。
坂を下り終えて道路の端を歩いていると、叩きつけるような雨音の中に、つっかけの音が響いた。
振り向くと、知恵子が豪雨の中で泣きじゃくっていた。
「知恵ちゃん」と叫ぶと、母が「ほっときなさい」と怒鳴った。
ほっとくわけにはいかなかった。薄いブラウスがずぶ濡れになり、肌が露わになっていたのだ。
駆け寄って傘で覆うと、彼女は私の腕の中で泣いた。
「知恵ちゃん。俺……」
「遠くに引っ越すんでしょ」
激しい雨音の中に、彼女の息遣いが聞こえ、その雨粒とともに、無垢の涙が流れ落ちた。
「でも、いつか会いに来るから」
「うん。わかった」
再び会うことはなかった。互いの家に電話はないし、手紙を出すこともなかった。
底辺に属する者なら分かるはずだ。幸せというものが、いかに遠く、届かぬものであるかを。
思い悩んだ夜は何度もある。でも、私が彼女を幸せには出来ない。再会したところで、それは一時の慰めにすぎない。
あれから、もう五十年が過ぎた。季節は巡り、街も、人も、すべてが様変わりした。
それでも、グラスの氷が静かに響くたび、疼くようにして、心の傷が目を覚ます。あの夏の日の景色が、鮮やかに蘇るのだ……
「あなた。どうしたの? さっきから、飲んでばかりじゃない。そろそろ歌いなさいよ」
妻が歌をせかすから、恥ずかしい話はここまでにする。
曲は最初から決まっている。でも機械の操作が分からないから、いつも妻に頼むのだ。
「じゃあ。あの曲を入れてもらえるかな」
私は上を向いて、涙がこぼれないように歌う。知恵子と過ごした夏の記憶をたどりながら。
終わり
執筆の狙い
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