息子の見る不思議な夢
タンタタンパラーラ。枕もとのスマホのアラームが美由紀の耳にかろやかに届き、眠い目をこすり体を起こす。すぐ隣には二歳児の裕紀がまだすこやかに寝息を立てている。その横にはすでに空になっている毛布が二枚。美由紀はパジャマのまま寝室を出てダイニングに向かう。すでに居間のテレビがついていて今日の天気予報を流している。夫の晃弘が機嫌よくIHコンロで目玉焼きとウインナーを焼いており、いい匂いが鼻を満たす。
「おはよう、今朝もありがとう」
「おはよう。いやいや、いつも同じメニューだよ」
と、歯を見せて微笑む。晃弘は料理が趣味で、朝食をこの2年はほぼ毎日作ってくれる。そのきっかけは一人息子の裕紀が誕生したことだった。結婚後二人は3LDKの賃貸マンションを借りて暮らしていた。出産後は当然美由紀一人で赤ちゃんのお世話をすることになったが、これが想像以上にキツかった。赤ん坊は、寝ない、ぐずる、おむつを定期的に替えて、ミルクをあげて、少し寝たと思ったらまた起きて泣く。1,2時間ごとにこんなサイクルが続けばママはまともに眠れない。その様子を見ていた晃弘は、まず仕事に行く前の朝食は自分の分は自分で用意するようになった。すぐに、ついでだから、と母と子の分も用意するようになり、休日は終日家にいるようになった。
「きみは好きなだけ寝なさい。その間僕がすべて面倒を見ておく」
と張り切る夫を見て、その心遣いはとても嬉しかったものの、少しの不安も感じた美由紀は晃弘の姉に相談して時々様子を見に来てもらうことにしておいた。晃弘は慣れないおむつ替えなどもこなした。何時間もあばばばとか言って裕紀をだっこして、カレーやピラフなどを合間で作ってくれていた。美由紀は心から感謝していた。そして、裕紀は先日2歳を迎えた。洗面所で顔を洗い歯を磨き終わるころ、おぼつかない足取りで裕紀が起きてきた。
「おはよ」
もうだいぶしゃべるようになってきているので、今朝も挨拶の返事があるものとおもっていた美由紀は、余り驚いたので動きが止まってしまった。晃弘は居間のテーブルに朝ご飯を並べ終わり、コーヒーを作ってマグカップに注いでいる。美由紀は裕紀の頭をなでて、椅子に座らせた。すると、彼が何か話し始める。晃弘と美由紀は向かい合わせにテーブルに座り、母の横に二歳の息子が特製のチェアに収まっている。
「ぼく今日も夢を見たんだよ。僕の前の人生の記憶」
こんなに流ちょうにしゃべるのを初めて聞いた二人は思わず顔を見合わせた。昨日まではおかしぃ、たべるが精一杯だったのに?
「とても怖かったの。大きな爆発音がして、耳が聞こえなくなったの。どこか分からないけれど、街の中をひたすら走って逃げるの。そして、暗い大きな建物の中に隠れて震えていたの。若い女の子なの、夢の中のぼくは」
美由紀は驚きに言葉を失った。晃弘は目を丸くして、質問してみる。
「今日も、ってことは、これまでにも同じ夢を見たことがあったのかい」
裕紀はこくんとうなずくと、話を続ける。
「とても熱いのね。周り中が燃えているの。僕は森の中にも入って逃げたの。川も泳いだの。そして、建物の中で小さくなって隠れていたら、酷い目に遭ったの」
そういうと彼は静かに瞳を閉じて、何度か首を振った。美由紀にはそれが二歳児のふるまいにはとても見えなかった。
「酷い目って、どういうこと?」
美由紀がおそるおそる尋ねた。いつものあわただしい雰囲気の朝はどこにもなく、晃弘はそろそろ出社の時間だが、そんな事はまったくどうでもよく、息子の話に聞き入っている。開け放したカーテンからは爽やかな五月の太陽の光が差し込んでいる。
「体の中におぞましいものが入ってきて、死ぬほど苦しかったの。……でもそれが終わった後は真っ白な世界にいたんだよ。そう、すべてが終わった、という感じ。目に入ってくるのは灰色の建物と空だけ。僕はそのまま死んだんだよ。ううん、正確には伊波静香さんが18歳で沖縄で死んだの」
具体的な個人名、地名が出てきた時点で二人ははっとした。ここまではなんだかんだ、ただの夢に過ぎないと思って聞いていたのに、わずか二歳の裕紀の口から、特に沖縄という固有名詞が出てくるとは。そして、裕紀の最後の言葉は更に二人を驚かせた。
「僕はその人の生まれ変わりなんだ。一度お墓参りがしたいな」
朝日に照らされたマンションの一室に、不思議な静けさが訪れていた。裕紀はそれ以上しゃべらず、小さく切ってあるウインナーを自分でフォークで口に運んでいた。
八月上旬、美由紀たち三人は旅客機に乗り、沖縄の地へたどり着いた。
「やっぱり暑いな」
晃弘の口から実感として出た言葉に美由紀もうなずいた。裕紀は那覇空港を出た後の景色に目を奪われている。大空は果てしなく広がり、白い空港は緑の草原に囲まれている。
「懐かしいな。でも、変わったね、いろいろ」
二人はまたか、という顔をした。あの日以降、たまに裕紀はこのような謎の発言をするが、それ以上質問しても何も答えてくれない。今日、その謎が解けるはずだ。三人は沖縄平和祈念公園へ向かうバスに乗り込んだ。お盆前のバスはなかなかに混んでいた。裕紀は静かに瞳を閉じていた。やがて三人は目的地へ降り立った。なんと美しい場所だろう、と晃弘は感嘆した。見渡せばその向こうに海が広がり、青い草原が辺り一面を埋め尽くしている。三人は公園を横断し、やがていくつもの石碑が円錐状に立っている場所にたどり着いた。
「ここね。これが検索システム」
平和の礎の入り口に一台の大きな画面を備えた検索機があった。暑さはますます盛んになって、美由紀は額の汗をぬぐった。
「よし、探そう……伊波静香さんを」
晃弘は一字ずつ丁寧に打ち込んでいった。そして、検索ボタンを押すと……
「……なんてことだ」
伊波静香
-8 東側面 弥栄村 2枚目
左3列目
上から12段目
伊波弥祐の次女
「……まさか! 実在したなんて!!」
美由紀は悲壮な声を出した。ということは、裕紀の話は真実なのか。彼女がふと気づくと、手をつないでいたはずの二歳の息子がいない。慌てて左右を見渡すが、姿が見つからない。
「ここに行ったんだ。僕らも行こう」
検索画面に提示された礎の場所に行くと、確かにそこに裕紀がいた。短い手でこすっているのは、伊波静香さんの名前だった。
「熱かったね、痛かったね、苦しかったね」
裕紀は涙を流していた。美由紀はしゃがんで彼の両肩を抱いて、手を伸ばして裕紀の右手に右手を重ねて、同じように名前を優しく触った。晃弘は後ろから静かに黙とうを捧げた。
「こんなことがもう二度と起こりませんように」
美由紀は裕紀の声を聞いてはっとした。その声は、完全に女性のものだったからだ。裕紀は体を反転し、美由紀に正対した。
「私たちの悲劇を繰り返さないで」
美由紀は思わず強くうなずいた。ふっと裕紀は笑顔になった。そして言った。
「ママ、のどが渇いた」
その声は誰が聞いても無邪気な二歳の男の子の声だった。晃弘は安堵して、思わず青空を見上げた。忘れてはならない歴史がある。彼はこの後、平和記念館を隅々まで見よう、と決意したのだった。終
執筆の狙い
輪廻転生をテーマにしたホラー作品ですが、そんなに怖くないと思います。
どのような感想でもいただければ嬉しいです、皆様よろしくお願いします。
この作品はフィクションです。実在する人物等には一切関係はありません。
登場人物に固有名詞を使っていますが、万が一実在した人物であるとしても
本作の架空の人物とは一切関係ないことをご理解ください。