作家でごはん!鍛練場
えんがわ

『光の路』

『光の路』

 暗闇の中に炎がぼうっと光っている。
 それがところどころに燃え、一本の細い糸のようになり、自分を歩かせる。小さな狭い道。どうしてこんな道を選んだのか、分からない。疲れてしまって倒れそうになる。くじけるのは嫌だ。たとえこの先に何もない、これは僕の予感だが、この先に何の祝福が無くても、歩き続けたい。

「そんな、しょげた顔すんなよ」
「これが僕の地顔なんです。それにこんな灯かりのないところで、僕の顔なんて見れるわけないじゃないですか」

 相変わらずミッチーはしょーもない話の振り方をしてくる。ミッチー、本名はとうに忘れた。何時の間にか彼は傍らにいて、しょーもないことを口にする。
 政治、経済、戦争、いつか食べたいごはんの話。どれもこの道を歩くのに必要ないくだらない話だ。でも、そのしょうもなさが、歩くたびに自分の笑う膝の痛みを和らげてくれる最高のスパイスだ。何時からミッチーと一緒にいたのだろう。気付けば隣にいて、色んな話を振って来る。

「巨人は上原だよねー。雑草魂」
「もう聞き飽きました。上原なんてショッパイっすよ。ゴジラ松井みたいに、メジャーに行かなくちゃ。歌う国ニューヨークみたいに。上原も年だから、どこにも行けず、日本のショボい土地で消えてきますよ」

「いや、上原はやってくれるよ。日本シリーズ、ノーヒットノーランとか」

 もう何度、同じ言葉を口にしたのか。上原の巨人デビューが何やら、サワムラショーが何やら。上原ドーピング疑惑。宇宙人説。メカマシーン。馬鹿みたいに話題がメチャクチャになっていく。

「おっ! 炎じゃん。やっぱりしけった燃え方してんなー」

 何百個目の炎だろう。そう思うと力が抜けて、砂利道にペタリと体育座りのようになり、次いで大の字になってしまった。空には星も月もない。太陽などない。真っ暗な道だ。炎は熱くもなく冷たくもなく、ただ青白く光り続ける。身体中が痛い。足のかかとには分かりやすい靴ずれの傷が残り、リュックを背負った僕の背中はきしむように、痛みが、膝やふくらはぎはただガクガクだ。

 ミッチーは何も言わない。

「何か言ってくださいよ。逆に無言が怖いっす」

「何も言わない方が良い時くらい、俺にもわかるよ」

 と言いながらミッチーはやけに陽気になって
「まっ、キャンプファイアーじゃないけど、炎の周りで一きゅうけいでもしようや」

   *

「この山を越えて行こう~よ」

 自分たちの前に広がるのは、真っ暗な中、徐々に高く点灯している炎。
 上へと昇る炎の場所が、この先に高い山脈があるのを教えてくれている。

「口笛吹きつーつ」

 ミッチーはそんな絶望の中、笑いながら歌う。それから妙にかすれたテキトーなメロディの口笛をする。そして、2度、3度も同じ歌の冒頭を繰り返す。自分も何だかハイになって歌ってしまった。

「この山を~超えていこーよ―」

 するとミッチーが返事をするように、

「口笛吹きつーつ」

 それから下手な口笛を吹く。

 山の頂上の炎は、とりたてて明るくもなく、自分たちを照らしていた。

 だけど、頂上から見た今まで通り過ぎて行った炎は遠景になるに連れて弱く、これから下山して進む緩やかに降りて来る炎たちは一層強く、青く燃えている。

「遠いなぁ、ゴールは」
「いや、良い景色じゃないですか。僕たちはきっとより強い光のところへ。正しいところに来ているんですよ」
「へ~」

 ミッチーは何か考え事をしながら応える。
「いいこと言うようになったじゃん」

   *

 道は草道になっていた。少し心は軽くなった。だけど身体はギシギシだった。やがて炎の中に、人が見えてきた。青白い炎とは。人そのものが燃えたものだった。人の身体が燃えている。
 死体のように微動だにしない人々の身体、顔、炎をまとって。
 ある人は悔しくてたまらない顔、ある人は清々しく、何故か安心しているものも、マイホームに帰って、お風呂を浴びた後、ビールを飲みきったような。

 口数の少なくなったミッチーは言う。

「俺さ、ここらでそろそろ限界みたいだわ。そろそろ、じゃあな、だな」

 でもその「そろそろ」よりも、炎が尽きる方が早かった。自分たちを照らしてくれた光は、これから先にない。がらんどうの闇だけが待っていた。

「なんだよ。天国や楽園があると思わせといて、詐欺だぞ、こいつは」
 ミッチーと炎もない道を行く。

「なぁ。あんた」
「んっ? なんです」
「あんたの名前なんて言うの?」

 そこではじめて名前を告げた。

「そっか、難しそうな名前だわな」

 それから一呼吸して

「俺の名前、三井卓也っていうんだけどな、ま、いっか。ミッチーでな、なぁ」

 伸びをするときの独特の溜め息が聞こえた。

「オレ、猫飼いたかったんよ」
「話が急に飛びますね」
「猫と一緒にこたつに入って、紅白歌合戦とか見るの憧れるんよ」
「僕だったら絶対に笑っていけない24時なんか見ちゃいますね」
「なんだい、なんだい、それじゃお前呼んだら、チャンネル権争いやないかい」
「ははは、天ぷらそばでも食べましょうか」

「猫はいいなぁ、チャンネルウォーズしなくて」
「はは、おっさん二人に、猫一匹、へんてこな年末ですね」
「ああ、楽園ってどこにあるんやろ。今すぐそっちに帰りたいわ。だけどな、あんた、俺のこと覚えてくれるか」
「ははは」
「覚えてくれる?」
「はい。誰よりも」

「そんなら安心して旅立てるわ。あんたは楽園に行くんやで、俺みたいになるなよ」

 そうして立ち止まって、しゃがみこんだと思うと、ぼうっと光が映った。
 ミッチーは青白い炎になっていた。
 うつむき加減の顔の表情こそ見れなかったが、覗き込むことは無かった。きっとミッチーらしい顔だろうから。

 僕はついさっきまで闇だった光の道を振り返る。
 僕も歩くだけ歩いて最後は光になるのだろうか。だけど、真っ暗な道に、その先に、楽園があるのなら、この暗闇も怖くない。後に続く誰かの為ではない。僕自身とミッチーと名も知らない子猫の為に、僕はただ僕の歩幅で歩き続ける。

「この山を越えて行こうよー。口笛吹きつつ」

 不細工な口笛を。吹きつつ。




『バースデー』

優しい色がする。オレンジとイエローの間のような。
緩やかに点滅しながら僕の影を暖かく照らす。僕も柔らかい匂いに浸りながら、一つ、心配事をする。

「あいつにも見せたかったな」

その吐く息すらも、どこか青白く空間を彷徨って、消えていく。
そしてその世界には一つだけ扉がある。
ただ一つだけ。時計の針もなく、いや必要すらしない暖かな空間。温かく、時に生温く僕を包み込む。扉は青空になったり血の赤になったり。少し怖い。だけど、進まなきゃ。僕が世界に出ることで喜んでくれる人が一人だけでもいるのなら、僕は。


   *

 僕の周りには何人もナースさんがいてお医者さんがいる。
 ほんとうに嬉しそうな母がいる。
 普段、その人と一緒に笑ったり、苦しんだり。いろいろと分け合って僕の始まりからいる人が待合室で祈っている。

 二人が守ってくれるなら、その周りの人が迷い、共に歩んでくれるなら。

 「この世界に行こう!」

 そう決めた。だけど、外は痛みばかりで、冷たくてばかりで、精いっぱい泣き叫んでしまった。

 悲鳴のような、声になってしまった。
 涙が止まらない。
 いつか終わりのくる、小さな旅への出発だと知った。

 そして、その旅の中では泣いてばかりいる自分がいることも知った。

 それでも父と母は本当にうれしそうに笑ってくれて。

 僕の最初で最後の武器をくれたんだ。
 僕のご先祖様が守ってくれた平凡だけど、大切なネーミング。 
 僕のために二人で一生懸命、考えてくれた特別なネーミング。

 はじめまして。お久しぶりの人もいるのかな。

 僕の名前は……

『光の路』

執筆の狙い

作者 えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

『光の路』他一篇です。
この文章を書いたときは、まだダウンタウンが健在で年末に「笑ってはいけない24時」があったころ。

個人的に辛い時期というか苦しい時期だったのですが、こんな文章でも自分の慰みに少しはなった覚えがあります。
今読んでくれる方はどのような思いで読まれるのだろう?

古く拙い文章ですが、どうかよろしくお願いします。

コメント

平山文人
zaq31fb1c44.rev.zaq.ne.jp

えんがわさん、拝読させていただきました。

この「光の路」はいわゆる純文学、表現や言葉そのものを吟味するものだと認識し読みました。
冒頭、「炎がぼうっと光っている」という表現でかなり戸惑いました。炎を光ると表現されたのを
読んだのは私は初めてだったからです。普通は燃えているなどと書きますよね。しかし、読み進むにつれて
この炎は隠喩なのだなぁ、と気づきました。炎に歩かされる、とは、生きる道しるべであって、それに
導かれる、という。ミッチーは「道」なのかな、とか想像しながら最後まで読みました。

「バースデー」は続編というか、一作目の僕の第二の生なのだろうか、などと感じました。
一寸先は闇、などという言葉もありますが、人生はただの一日も明日が分かることはありませんよね。
しかしそれでも私たちは「生きんとする盲目的な意志」(ショーペンハウエル)に従って
今日も明日も生きてしまうというか……。そのような生にどんな意味を持たせるか、それとも
何も考えず生きてしまってもいいのか。多かれ少なかれ青年はこのような悩みを抱くと思いますが
その時に役に立つのが文学や哲学なのでしょうね。文学に崇高な使命があるとするならば
宮崎駿の直近の映画ではありませんが「君たちはどう生きるか」を曲がりなりにも提示することかもしれません。

久しぶりに志賀直哉の「暗夜行路」を読みたくなりました。えんがわさんも既読なのではないですか。
不義の子時任謙作が、更に妻の不義を知り悩み苦しみ、仏教に活路を見出さんとするが、病に倒れ……。

生きることは果てしのない問いですね。私も死ぬまで問答し続けると思います。このような作品は
自分の奥底をのぞき込むよいきっかけになると思います。それでは失礼します。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>平山文人さん

ははは。
なんか思ったよりも真面目に読まれてしまい照れてしまうな。
がははとせんべい食べながら読んでも良いと思うんだけど。


「暗夜行路」ですかー。
タイトルは有名なので流石に知っているのですが、中身は読んだのか読んでないのか忘却の彼方ー。
今の積み本を読み終えたら、トライしてみますね。流石に名作で話の話題を広げられない自分という人間は寂しい。

自分が印象に残ってるのは黒澤明の晩年の「夢」という映画です。
そこでトンネルから昔の死んだ軍人の旧友たちが行進していき、それこそ真っ暗闇の路から路へ。
犬の遠吠えも印象的だったな。
ああいうのに影響されてるかも。

「君たちはどう生きるか」ですねー。
わらわら(風船みたいなマスコット)可愛かったですね。
それを容赦なく餌食にさせる悲痛感の与え方とか、宮崎駿は若さが衰えないなと思いました。
宮崎駿の作品で、彼の死生観が色濃く反映されているのは、もしかするとジブリ美術館で上映されている「となりのトトロの続編のミニシアター」かもしれません。トトロの正体とはなんと!? ちょっと泣けてしまう、でも優しい映画でした。

我が家は二件隣がお寺なので自然と仏教テイストは出てるのかもしれないです。
大学はキリスト系で、自分は雑食派だと思うんですが。


感想を読んでて、それは不本意かもしれませんが、もうちょっとエンタメとしても読める作品になったらなとか思いましたよ。

小次郎
101-140-125-229f1.hyg1.eonet.ne.jp

死後の世界と輪廻でしょうか。
作品は、イメージありますが、パンチが少ないかもしれません。
輪廻で思うのは、死後、転生があるかどうかは誰にもわからないけど、転生を拒否出来たら素晴らしいかなって、個人的な感覚を述べたいと思います。

青井水脈
om126233144094.36.openmobile.ne.jp

読ませていただきました。
『光の路』
道のりをひたすら歩くときは、政治経済の話より何気ない会話の方が捗る、少しでも楽しくなる、といったところでしょうか。
『バースデー』
読んだ覚えはありますが、印象はその時々によって変わるもので。
2編通してみると、胎内から誕生、外の世界へ。という印象ですね。最初の狭い道が産道とも考えられたり。
パパッとですが受ける印象を書いてみました。炎の意味とか、あんまり分析するようなことは、そぐわない作風と思いました。

青井水脈
om126233144094.36.openmobile.ne.jp

追記です。
分析したりがそぐわない作風というのは、それぞれが読んだままに何かを感じられたら、と思ったので。

大河とせきがはらあ!
M106073079225.v4.enabler.ne.jp

でもその腕も拾う腕処じゃないですか、その時間になれば、なんだこのやつわ、と時間どおりのその腕が、なんて、してわいけないいってと飴玉がこよのときも、歩いて行きました、ありがとうございました。

紅月麻実
softbank060066098154.bbtec.net

人生について考えさせられるお話ですね。主人公の名前がちょっと気になりました。なにか設定はあるのでしょうか?
最後の場面、病室のところ。
私個人の感想をいいますと、
転生するかしないかの物語が『バースデー』以前のお話で、
それ以後の物語は 転生した、新しい人生の幕開け。
最初の『バースデー』なのかな、と思いました。

ヘツポツ斎(=佐藤)
p1460140-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp

読ませて頂きました。

前編冒頭は「書くこと」かな、と思ったんですけど、「生きること」でしたか。この辺りには過去に抱いた雑感の繰り返しとなってしまいそうなので余りくだくだしくは書きませんが、よくぞこのサイトにご投稿下さいました、と言う感じです。のんびり行きましょう。

いまわりと自分は生き急いでる期間だったりはするのですが、それはそれ。たゆたっていらっしゃるえんがわ様のテキストを読ませて頂き、ほっとひと息をつき、またどでかい原稿(たぶん150万文字クラス)に向かいます。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>小次郎さん

うん。パンチですかー。
なんつーか方向としては刺激を加えるより癒し系というかヒーリングパワーをもちょっと出せたらなって。
なにかしらのスパイスというか、印象に残るものが、物足りないというのは、これに限らず自分の文章ぜんたいの弱点だなあ。
なんとかせにゃ。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>青井水脈さん

>分析したりがそぐわない作風というのは、それぞれが読んだままに何かを感じられたら、と思ったので。

あー、なんとなくわかります。
個人的にどう読むかはそれぞれの読者の自由ですが、パズルのように答え合わせしてそれに一喜一憂するよりは、なんか全体の雰囲気というか読み味の余韻で楽しめるようなものを書きたいなと思います。

といっても、今回のはわかりやすいメタファーだったのかなーって思いました。
もうちょっと奥があってもいいかも。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>大河とせきがはらあ!さん

ありがとです。
何を言っているのかよく分からない部分もあるのですが、楽しく歩いていただいたようで何より。
自分も大河さんくらいに入り込める「自分の世界」というか「世界観」があればいいんですけど、そこまで至らず。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>紅月麻実さん

設定などについては読者本人が解説するというのは興ざめする部分もありそうで、ちょっと控えますね。

自分と世代が違うだろう紅月さんが少しでも考えを巡らせる時間を持っていただいたというのは嬉しいですし、手ごたえを感じます。

ありがとでしたー。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>ヘツポツ斎(=佐藤)さん

>原稿(たぶん150万文字クラス)

すごいっすねー。自分では書くどころか読むこともおぼつかない物量です。
自分は短編ばっか書いてるので、長編を書ける人すげーって思います。

個人的にこの文章は読み手を悩ませるよりも息抜きになればいいなと思ってます。
なんというか、そのほうがいいなって。

アン・カルネ
KD106155055121.au-net.ne.jp

読んでいてワイス博士の『前世療法』を思い出したりしました。別に内容が似てるとかそういう意味ではありません。ただなんとなく記憶に残っているのが、人が生まれ変わるのは、人間が人生の中で体験すること全てを体験する為、みたいなことが書かれてあったような、そこんところなんですよ。日本では「前世の行いが悪かったから〇〇」みたいな言い方が多いので、ワイス博士の解釈は新鮮だったんですよね。例えば前世が孤独だった人は今生では双子で生まれて来る、みたいな。水難事故で亡くなった人は今生では異様に水を怖がる、でも克服する機会に恵まれ水泳得意になる、みたいな。生まれ変わることの意味は前世の宿題を今生でやり遂げる、みたいな。
私は多感な10代の時(多感って自分で言う?)にこの本を読んだので、結構、慰められたんですよね(笑)。いや、色んな意味で便利っていうか。例えばテストの点が悪くても、そうか、前世はきっと頭良かったから今生ではバカなんだな、とか、彼氏にフラれれば、そうか、前世ではきっとモテモテだったんだな、とか。

だからえんがわさんの今回の作品では、ミッチーが好きかな。彼にも生まれ変わって欲しいかな。で、いつかこの主人公と人生のどこかで出会って、なんか分かんないけど、懐かしいねって。それはうんと高齢になって、どこかの老人ホームでも良いし、10代で出会って好敵手になってもいいし、男女で出会って恋に落ちてもいいし、ね。

>僕の最初で最後の武器をくれたんだ
名前をそんなふうに思ってくれて、親にしたら嬉しいですよね。
武器であり、宝であり、祈りであり、羅針盤でもあるから。
生きていれば色んなことがあるものね。よく人生を画布に例えたりもするけれど、それだと純白ではいられない、でも光なら。経験は光だと思えば、色んな色の光を集めて、最後は白い光になるようにって。
生きてゆくんだなって、そう思っているから。
だから、良いタイトルって思いました。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>アンカルネさん

>ワイス博士の『前世療法』
>人が生まれ変わるのは、人間が人生の中で体験すること全てを体験する為

面白いっす!
何もできない不器用でどうしようもない自分は、前世はスーパーな人だったのか、それとも来世で超ハッピーな人生が約束されているのか…

生まれ変わってまた出会いたい人とか自分はいますよー。
もうすっかり音沙汰もわからない高校の旧友とか、もう一度若い時期にバカやりたいなー。テレビゲームとかくだらない愚痴で時間を潰したいなーとか。亡くなっちゃった中学の同級生。卓球の試合で自転車で朝早く一緒に行こうって自分の自宅に来てくれて。今度いる場所が分かったらどこか遊びに行こうとか誘いたいな。昔飼っていたペットともう一度会いたいな。今のペットの猫ちゃんとずっとずっと永遠に一緒に居たいなとか。
叶わないからこそ、空想や小説で形にすることに意味があるんでしょうね。

ミッチーとはまたどこかで会えるか。
また一緒に歩けるか。
そこは書かない方が洒落たところなんでしょうけど、余韻からそういう想像が働いていたのならこれ以上の喜びはありません。


>生きていれば色んなことがあるものね。よく人生を画布に例えたりもするけれど、それだと純白ではいられない、でも光なら。経験は光だと思えば、色んな色の光を集めて、最後は白い光になるようにって。

アンさんは自分より凄く詩的で深いことを感じているのだろうなぁ。感性豊かでいいなぁとか羨ましくなってしまう。
ありがたいなあ。そういう言葉を送っていただいて。ありがとう。

中小路昌宏
60.87.158.61

 読みました・・・・と言いたいところですが、正直言って、最後のバースデイの部分以外は、よく理解できませんでした。歳をとって思考力も衰えてきているのだと思います。
 他の皆さんは、それぞれ何らかの感想を述べられていますから、共感するところもあったのだろうと思いますが、私にはちょっと・・・・

 最後の、これから生まれ出ようとする胎児の気持ちは良く分かりました。という事は、それまでの文章も、ここへつなげるための伏線だったのでしょうか?
 これまでのえんがわさんの作品とはちょっと違った印象を受けました。

 こんな感想でごめんなさい。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>中小路昌宏さん

ありがとです。

わかったふりをされるよりも、正直な気持ちを実直に綴っていただき、とても嬉しいです。
わざわざありがとうです。
人生経験豊富な中小路さんには響かないというのは、自分の作品は薄いのだろうな。

なんつーか感性で書いたので、「なんだこりゃ?」というコメントも納得のものです。
むしろそっちの方がなんというかこう、多数派というか多い気がする。
万人受けのものは書けないのですけど、もっとストライクゾーンが広いのにしたいなぁ。
いっそのこと割り切って、もっとマニアックな方を行っても良いのかな。

西山鷹志
softbank219054162233.bbtec.net

拝読いたしました

二人はどこへ向かっているのでしょうか。
楽園を求めてて? それとも新たな人生。やり直す人生 色々ありますね。

このミッキーと言う人、面白いですね。
上原の雑草魂、コジラ松井、沢村劇場
私も野球が好きですから巨人の事は知っています。
特に沢村劇場は毎度ハラハラさせてくれました。
ついでに今日は守護人、大勢が一発くらって負け覚悟しました。
するとツーアウト1塁2塁で吉川が起死回生のスリーランで逆転勝利
そんな訳で気持ちよく投稿しております(笑)

それにしても。えんがわさんの作品は魅力あるのでしうね。
沢山の方がコメントをくれています。

私の場合、話が固いのでしょうか。
えんかわさん作品を参考に考えてみます。

>「この山を~超えていこーよ―」
良い響きです。

夜の雨
ai201152.d.west.v6connect.net

えんがわさん、読みました。

『光の路』について。

冒頭がいいですね。
人生の細い道を歩いているようで。
その一本の細い糸のような狭い道を歩いて行くわけですが、「暗闇の中に炎がぼうっと光っている。」この炎があとまで読むと人間が燃えているのですよね。
そのあたりまで読んで、きっと先人が自分を燃やしてあとからくる者の道しるべにしているのだろうと思いました。
これって、現在わたしたちが何くわない顔で人生を歩んでいますが。それって、先祖がえいえいと道しるべを作ってくれたからなのですよね。
つまり電気とかガスとか水道とかの基本生活をおくる部分とか。
自動車とか鉄道とかの移動手段。
最近ではAIとかいう人間の思考のような存在とか。
これらを先人がそして一緒に歩いている者が作ってくれた。
それを私たちは利用して人生という道を歩いている。

なので、御作を読んで人間が燃えて灯りになっているというのは、妙に納得ができました。

で、いつからか一緒に歩いている人物が「三井卓也っていうんだけどな、ま、いっか。ミッチーでな、なぁ」ということになる。
主人公は、その前に名前を名乗ったが「難しそうな名前」という事になっていて、正体を現していない。

やがて、ミッチーも青白い炎になるという顛末ですが。

この作品は、先人たちが燃えて道しるべになっています。
ところが主人公と相棒のミッチーは日常のくだらない話をしながら歩いており、「何かをなした(品物を作ったとか人類へ何か貢献した」というようなことは、ひとつも描かれていません。

別に描く必要もないのですが、ただ、ラストまでに本人たちがそういったモノに気が付いたら、話としての顛末はまとまるだろうなぁと思いました。

たとえば道路工事の一翼を日雇い人夫で担ったとか。
工場で洗濯機の部品を作っていたとか。
公園で遊んでいた子供に遊び方を教えて、子供が喜んだとか。
そういった何かしらあとからくる者へ残したものだあったということを、本人たちは気が付かなくても「読み手が気が付くように描くとよいのでは」。

歴史に残るような偉業をする必要はないので、ささやかなことでもよいので、社会に貢献したということになれば、今回の登場人物たちも細い道をあとからくる者への道しるべとしての灯りになった、という事になるのでは。

夜の雨
ai200212.d.west.v6connect.net

『バースデー』読みました。

こちらは話がストレートですね。
「誕生」という感じです。
『バースデー』と、タイトルをしたことで、ハッピーな感じになりました。

>「あいつにも見せたかったな」<
これってまさか「ミッチー」じゃ、ないでしょうね(笑)。
『光の路』とつなげようと思えば、可能ですが。
流れ的には、テーマが違うような。

こちらの『バースデー』は周囲の者に祝福されておめでとう、という感じです。

かなりわかりやすい作品でした。


二作品、ありがとうございました。

大河とせきがはらあ!
M106073079225.v4.enabler.ne.jp

ところがですね、あるかわと、がわにある集団がですね、とわ、それに、入れないこと。
と、ありがとおございました。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>西山鷹志さん

自分は野球は昔はライオンズの西口文也投手のときとか観てたんですけど、最近はあまり観てないな。
うちの父は高校野球好きで、もちろんジャイアンツも好きで、目にすることは頻繁ですけどなー。
上原は巨人の絶対的エースでしたが、メジャー行くときは都落ちみたいな感じで、まさかワールドシリーズで活躍するとは。

ありがたいことに自分の作品を読んでくれる人がいてくれて、嬉しい。
なんででしょうね? サイズ的に短くて手軽だからかな? そんなに文章は上手い方ではないと思うんだけど。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>夜の雨さん

なるほど。
後世に残るような「仕事」(?)や「なにか」は書いていません。
それは自分の中ではその人が存在するだけで、人生を歩むだけで、それは何かをつないで生きている。みたいな甘い人生観かな。すごい楽観的な人生観があって、そこを反映してしまった感じがします。

>これって、現在わたしたちが何くわない顔で人生を歩んでいますが。それって、先祖がえいえいと道しるべを作ってくれたからなのですよね。
>つまり電気とかガスとか水道とかの基本生活をおくる部分とか。

それで夜の雨さんのご指摘を受けると、たぶん自分の中の人生観で、「社会性」が著しく欠けている、そういう歪なものが出てしまったと思いました。もっと社会との結びつきを示しても。とか思います。でもそうすると自分らしくなくなってしまう。難しいですね。たぶん価値観そのものからより社会的なものへと変えていかないといけないんだろうな。


『光の路』がぼんやりしているので『バースデー』は輪郭を立たせて結ぼうと思いました。
二つが繋がっているかどうかは読者さんの解釈の自由ですが。
実は前に、この二つを全六編の短編集に入れて発表したことがあるんです。
確かに脈絡のない置き方をしてしまったのもあって。
その時のコメントはサンザンでした。「よくわからない」の合唱のような。
「夜の雨」さんにも読んでいただき、「よくわからない」ようなコメントをいただいた覚えがあります。
やはり同じ文章でも見せ方って大切だなって思ったりしましたー。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>大河とせきがはらあ!さん

永久(とわ)に入れない集団がいる?
それはちょっと悲しいな。

どんなものもダイヤモンドだって太陽だって、永遠に存在するものではない。
その代わり永遠の無という存在もない。
ということは逆説的にどんな存在も、永遠に存在する可能性を持っている。

なんて、異様に深読みをしてしまいましたが、大河さんの言いたいことはよくわかってません。
ごめんなさい。

今晩屋
fp6e43b191.ap.nuro.jp

 こんなんだったっけ? えんがわさんて、随分長い間みた名前で、5年位前かな、自身の中で認めてた人だったかなぁ。

 暗闇の中に炎がぼーとしている?

 そんな感じの人だったかなー。

 光るという事は、暗いという事だよねー。

 夜に炎が転がっている。でいいんじゃない?

 俺が知ってるえんがわさんじゃないなー

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>今晩屋さん

はい。
ごはんには長いこと居ます。今晩屋さんより長いかも。
んー、どうなのかな。
自分いろんなもの書くので、作風は安定しないのですが、長い目で見るとだらーっと腕や感性が衰えているのかも。
昔自分に期待を抱いていただいたのならそれは嬉しいのですが、それに応えられるものは今の自分は持っていないと思う。

今晩屋さんのコメントは、今の表現で納得してはいけないという提言なのかな。
自分なりに模索しようと思います。

今晩屋
fp6e43b191.ap.nuro.jp

それに応えられるものは今の自分は持っていないと思う。

 それは許さんぜよwww

という「思い」でコメントをしている。

 数少ない本格的な書き手は覚えている。 

 私も来週投稿しますので、感想よろしくですw

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>今晩屋さん

あまり無理しないでね。ゆっくりとね。
ではではお待ちしています。

里桜奈
om126254209255.33.openmobile.ne.jp

全部が人生の比喩?みたいに感じられて、難しいのになんだかグサッときました。
(アホそうな感想ですみません)

炎は自分の人生を照らしてくれた人達で主人公も誰かの道標になって

次の章のところでまた生を受けて

循環してる感じがいいですね。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>里桜奈さん

ありがとです。
これは独りよがりな作になってしまっているようにも思うのですが、里桜奈さんのような方にも響いたのはほんと嬉しいです。
メタファー中心なのでもうちょっと奥が出ても良いかなと思うのですけど、これ以上やると難しくなりすぎてしまうのかな。
ちょうどいい加減というのを探っていかんといかんすよね。

今晩屋
fp6e43b191.ap.nuro.jp

 お前等には「責任」が無い。他人を擁護するな、それなりの言い分を持て。

 謝るくらいなら、書くな。

 そんな「人間性」の書き物は。

今晩屋
fp6e43b191.ap.nuro.jp

 ↑

 これがそんな「人間性」の書き物です。と、言う事が、「この世界」です。

 と、「俺だけレベルアップしたんですが
、すみませんねぇ」

大河とせきがはらあ!
M106073079225.v4.enabler.ne.jp

おつかれさまでした、が36にもやはりあらがえなかったんですかありがとうございましたあ。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>大河とせきがはらあ!さん

どうもー。ありがとです。
「風の又三郎」は偉大です。
どぅーどぅどぅーどぅどぅどぅーどぅどぅどぅどぅー
なよなよと生きてます。

大河とせきがはらあ!
M106073079225.v4.enabler.ne.jp

 おつかれさまでしたあ、が大生をかんがえてください。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>大河とせきがはらあ!さん

うん。
あんまり考えるのは得意ではないのですが、いろいろなことを感じながら生きていきたいな。

今晩屋
fp6e43b191.ap.nuro.jp

 8848と10920をAIは0.001秒で理解出来るが、測る事は出来ない。

 私と貴方とも言うか。

 もう二度と絡まないからね。ありがとう。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内