セタキト
「援護する! 背後に周りこめ!」
チームプレイでモンスターを狩るオンラインゲーム。初心者と思しきグロリオサという名のプレイヤーに僕は指示をする。
「了解ファントム!」
グロリオサは背後をとったものの決定打を撃ちこめずにいる。長引くと不利だ。グロリオサの元に駆けつけ、一緒にありったけの弾を喰らわせた。
「やった! やった! うう、初めて倒せたー。ありがとファントム!」
言葉遣いから女性とわかった。これがグロリオサこと、鈴蘭との初めての出会いだったと思う。その日から僕たちはいつも一緒に狩りへと赴くようになった。
「ファントムってすごいねー。私じゃあんな上手くできないよ」
「ちょっとコツを掴めば簡単だよ」
そんなことは無い。ソシャゲはどれだけ時間をかけたかがものを言う。高校までは神童と呼ばれた僕だけど、大学には行かずフリーター暮らし。時間は持て余すほどあった。
「そっかー。ねね、私に教えてよ!」
僕は狩りを重ねるごとに惹かれていった。
「連絡先交換しようよ」
僕は意を決して告げた。
オンラインゲームを出会い系の道具にしたトラブルは多い。特に女性は警戒するだろう。こんなことを言って嫌われたりしないだろうか、僕たちの関係は壊れてしまわないかと不安にかられた。でも、この想いを止めることはできなかった。
「いいよ」
たった三文字のメッセージに体が震えた。
「ありがとう。僕は草野幻」
「幻っていいね。あ! だからファントム! 私は鈴蘭」
「もしかして、鈴蘭さんは五月生まれ?」
「さんはいらないよ。何でそう思ったの?」
「鈴蘭もグロリオサも五月の花だからね」
「グロリオサ知ってたんだ。よく強そうな名前って言われるけど(笑」
僕たちが仲を深めるのに時間はかからなかった。鈴蘭は一人暮らしの美大生。夢に向かって突き進む彼女が眩しかった。それに引き換え僕は……。
「ねぇゲンって滋賀の人でしょ?」
なぜわかったのか不思議に思った。
「へへー、インスタに載せてたパンの写真。字が隠れて全部は見えなかったけど、この黄色の包み。サラダパンでしょ!」
確かにそうだった。サラダパンはたくわんを挟んだ滋賀県民のソウルフード。誕生月を当てられた意趣返しをまんまと許してしまった。
「そうだよ。滋賀と言っても京都に近いから文化的には京都なんだけどね」
滋賀県にコンプレックスを感じていた僕は気恥ずかしさを隠すためにつまらない見栄をはる。
「鈴蘭は?」
「私は函館」
隔てる距離を感じずにはいられなかった。遠距離恋愛なんてつらいだけ。あまり深入りしないようにしようと思った矢先に思わぬ提案を受けた。
「ゲンも絵を描いてみない? それでお互いインスタで見せ合うの! そしたらなんか離れていても繋がってる感じしない?」
「無理だよ僕に絵なんて」
「いいじゃん、私ゲンの絵見てみたいな。毎日はつらいと思うから週一くらいでやってみようよ」
半ば強引に押し切られた。美大生だけあって彼女の絵は素晴らしく、僕のを並べるのは恥ずかしく思えた。それでも続けられたのは彼女のおかげ。無理しなくていいから、描けないときは落書きでもいいしと言ってくれた。いつしか僕は夢中で筆を走らせるようになった。その行為が彼女との距離を縮めてくれると信じて。
「もう、お米高くて大変。倍よ倍!」
「よかったら送るよ」
「えー、悪いよー」
「大丈夫だよ。僕の家、田んぼ貸してて、それで米には困らないんだ」
「すごーい、ゲンのうちってお金持ちなんだ」
そう言われるのは辛かった。すごいのは親であって僕自身には何もない。就職もせず暮らしていけるのは親から住む場所も食べるものもあてがわれているから。その現実が僕を責め立てた。
「じゃあさ交換! 鮭送るね」
僕たちはますます親密になった。時に僕は彼女に会うため北海道へと飛び、またある時は航空券を送り僕の家に招いた。
彼女が卒業して京都への就職が決まったとの知らせを受け、僕たちは同棲するようになった。いつまでもぶらぶらしているわけにはいかない。僕は身を固めようと、父の経営する会社に就職した。何からなにまで親の世話になるのは情けなくて頑なに拒んできたが、彼女のためにもそんなことは言っていられない。
そうして手に入れた幸せな暮らし、それがいつまでも続くと思っていた。
運命の歯車が狂ったのはローボードの下にあった封筒を見つけた時だ。
“遺言”
考えるよりも先に僕は封筒を開けた。その内容は死後、全財産を僕に譲るというもの。僕はその晩、彼女を問い詰めた。なぜこんな真似をするんだ、変な冗談はやめてくれと。
彼女は目を真っ赤にして「ごめんなさい」と漏らした。親が資産家の僕と違い、自分には僕に与えられるものは何もない、できることはこれだけだと。肩を震わす彼女をたまらず抱き寄せた。彼女は全てを僕に投げ打つ覚悟を決めたんだ。それに引き換え僕は……、全て親の用意した物。
「遺言、僕も書くよ」
「そんな、ゲンはそんなことする必要ないよ! 私が勝手にやったことだし」
「僕たちは二人で生きていくんだ。結婚しよう」
「……ありがとう」
五月一日スズランの日に僕らは入籍した。式の準備に追われる前にゆっくり休日を過ごそうという彼女の提案で、琵琶湖へと出かけた。ボートの上で彼女の作ったお弁当のサンドイッチを頬張る。暖かな陽気になんだか眠くなってきた。
バシャーン!
大きな水の音、ボートから落ちたことに気づいた。体がうまく動かない。助けてくれと声を絞り出すが、鈴蘭はその様子を笑みを浮かべて眺めている。
「セタキトって知ってる? アイヌ語なんだけど直訳すると犬ネギって意味。毒があってね、食べられないからそんな名前なのかもね。日本語で言うと……」
一体何を言っているんだ? そんなことはどうでもいい! 早く助けてくれ!
「鈴蘭」
体から力が抜けた。僕の体は伸ばした右腕をそのままに湖底へと沈んでいった。
執筆の狙い
monogataryの日替わりお題【春に溺れて】で書き下ろしたものです。
遠距離恋愛カップルのリアリティに主眼を置きました!