灯火
お久しぶりです。あなたが先日結婚したというのを人づてに聞きました。
おめでとうございます。本来ならば直接会って祝福したかったのですが、あなたを前にしてまともに言葉を紡げるとは思えなかったので、文字に頼ることにしました。
元同僚に託したこの手紙が、いつあなたに届けられるかは分かりませんが、いまこちらは雪がちらつく深夜に筆を執っています。降り積もる静けさの中であなたへの想いに浸る時間は、氷の中でまどろむような切なさを感じます。
私にとってのあなたは、同性としても、上司としても、恋人としても、まさに理想の存在でした。あなたと結ばれた人が心底羨ましいです。私が恐ろしく嫉妬深い女なのはあなたもよくご存知だと思います。文字を書くこの手が震えるのは、寒さだけが原因ではなさそうです。
この独りよがりな手紙を送るべきか否か、とても迷いました。けれど、あなたへのこの想いは、心に留めおいて墓場まで持って行くにはあまりにも大きくて重た過ぎる。
それに、過去を振り返ってみると、今になって感謝やお詫びを伝えたい人が、あなたに限らず思いの外いることに気付きました。連絡先が分からない人、きっかけやタイミングを失ってしまった人、もう二度と会うことが叶わぬ人。伝えたいことを伝えられる機会というのは、風にさらされた灯のようにいつ消えてしまうかわかりません。あなたの結婚を知ったときは胸が張り裂けるかと思いましたが、動機を得られたのは僥倖でした。
一年前、最後に伝えたように、私は会社をやめ、引っ越しをして、電話番号もメールアドレスも変え、あなたに関わるすべてのものを断ち切りました。
「あなたを好きになり過ぎてしまったから、いっそ拒絶してほしい」という私の願いを、あなたは頑なに聞き入れませんでした。できることなら、あなたにいつまでも愛されたかった。けれど、あなたを好きになればなるほど、隣に並ぶのが怖くなっていきました。私は学歴も才能も財産もなく、外見も冴えず、内面も難が多い。あなたの眩い美しさに照らし出されるそんな自分の醜さが恥ずかしかった。あなたの魅力はいくらでも思いつくけれど、私自身の中に好きになってもらえる理由は何一つ見いだせなかったのです。
それでも、あなたは私の全てを好きだと言ってくれました。その言葉を嘘だとは全く思わなかった。けれど、あなたが笑顔を向けてくれるたび、あなたが優しく触れてくれるたび、私の心には温もりと同時に鈍痛が滲むように広がりました。
あなたの気持ちを顧みようともせず、勝手に関係を終わらせてしまって、本当にごめんなさい。不快にさせたり迷惑をかけたくなかった……そう言うと聞こえはいいですが、終わりの見えない苦しみへの恐怖に耐えられなかったのです。
二人が異性の関係であったならば……もしかしたらこの浅ましい劣等感を抱かなかったのかもしれない。そんな詮方無い思いもまた、私の心に苦々しさを絶えずもたらしました。現実として私達は女性同士で、だからこそ比べてしまった。異性間ならば自然な差異も、同性であれば容赦なく比較になってしまう。あなたのすべてが、私の惨めさを浮き彫りにする鏡のようで、愛される資格が本当に自分にあるのかと勝手に不安を募らせていたのです。
奈落に落ちた気分でした。思い出の品々を処分し終えたあとには、気を紛らわすものさえ見つからず、ただただ空虚でした。物思いに耽ればあなたへの気持ちが氾濫し、涙がとめどなく流れます。それはまるで、生命維持に必要なことのように、私は無意識にあなたを想って泣き続けました。
自室に閉じこもり、二人で過ごした時間をひたすら追憶し、眠るたびにあなたの夢を見る日々。いつまでも浸っていたいほのかな熱の心地良さと、凍てつくような孤独感や飢えが、波のように何度も交互に押し寄せ、私の乾いた心に歪んだ深い溝がいくつも刻まれていきました。
記憶の中でも、夢の中でも、あなたはかつてのように私に寄り添ってくれました。そう、あなたは真に愛してくれていたはずなのに、私は受け入れられず逃げ出してしまった。淡い希望の影にすがりつきながら、その愚行をひたすら悔いました。
そして、やがて気付くのです。この虚ろな心を満たしてくれるのは、結局のところ愛しかないのだと。愛することと同様に、愛されることも、自分にとって不可欠であると。あなたが最後まで私を拒絶しなかった意味を、そのときようやく理解できました。
私は立ち上がる決意をしました。愛されるに相応しい人間にならなければ、と。いつかまた、あなたのような人と出会えたとき、今度こそは真っ直ぐに向き合いたい。
あんなにも恋い焦がれる経験はもう二度と無いのかもしれません。それでも愛を求めて歩み続ければ、またいつか、花が芽吹く穏やかな陽の下へ出られるときがくると信じています。
闇に満ちた失意の底から進むには、標となる光が必要です。灯火として私を導いてくれて、ありがとうございます。あなたを好きになって、本当に良かった。
窓の外を見ると雪はまだ降っていて、ベランダの手すりにうっすらと積もっていました。夜半過ぎから書き始めたのに、間もなく夜明けです。冬のこの時間帯はあなたのことを特に色濃く思い出します。
冷気の淀む仄暗い部屋の中、浅い眠りから目を覚まし、裸で抱き合ったまま微笑み合う二人。起き抜けで喉が開ききっていないあなたの少し掠れた声。大好物の蜂蜜入りコーヒーの香り。夜露に濡れた窓から静寂の中の街を眺め、今日はどんな休日にしようかとぼんやり考える私。そこへおもむろに近づいて、頬にキスをするあなた。
あなたと過ごしたかつての日々を想起すると、どこか郷愁的で、あまりにも刹那的で、まるで断続的な夢をみているような錯覚をしてしまいます。
いつか私が永遠に眠るとき、寒空の下、あなたとの思い出を胸に灯したい。私の魂を温めてくれる、かけがえのない原風景として。
あなたの幸せを心から祈っています。お体には気を付けて。さようなら。
執筆の狙い
お世話になります。約2400字です。
主に「昇華」について自分なりに書きたいように書きました。難しいことはせずにシンプルな構造・展開を意識しました。内面の旅として、過不足無く描けているでしょうか?
一言でもいいので感想などをいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。