ピンクハウス第五話
ピンクハウス第五話
※ ピンクハウス各部屋の住人
① 101号室 秋田栗子の娘・苺が ≪美容室・いちご≫ を経営している。
② 102号室 塚崎のじいさん73歳、家族とは別居中、ピンクハウスの主のような存在。
③ 103号室 竹田42歳、独身、左官業。
④ 104号室 浦島剛太郎62歳、タクシー運転手、独身だったが春山桃子と結婚する。
⑤ 201号室 徳島拓造とその妻・恵美子、三の倉中学の教員、最近入居してきたばかり。
⑥ 202号室 春山桃子と秋田栗子、60歳になる双子の姉妹。
⑦ 203号室 中原健太郎17歳、嶋藤高校の2年生。
⑧ 204号室 空室になっているが、近く入居者が・・・・
第四話までのあらすじ
吉沢アパートというのが正しい名前なのだが、誰もそんな名前では呼ばない。見た通りピンク色に塗ってあるので、皆、ピンクハウスと呼んでいる。
ここには年齢、性別、経歴も職業も、考え方も違うさまざまな人々が住んでいる。
その1階の102号室は塚崎のじいさんの住まいなのだが、夕方には住人みんなが集まっておしゃべりが出来る場として、部屋を開放している。
夕方になると、いつもここへ来て、うどんを作るなどしていた浦島剛太郎が、年明け早々に胃がんの手術をすることになって、入院した。そこへたびたび見舞いに訪れていた春山桃子だが、退院した途端に二人が結婚すると聞いて住人はみんなびっくりした。浦島に結婚相手を探して貰う予定だった竹田に対しては、代わりに苺が相手を探してくれることになった。
一方、空室になっていた204号室には新しい入居者がきまった。
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竹田の結婚相手を見つける約束をした苺はすぐ、顧客名簿の中で一番有望だと思う上原あけみに電話をして見た。
「あけみちゃん、私、苺です。急な話でごめんなさい。あなた、たしか前に、結婚したいけどいい相手がいなくて・・・・って言ってたわね。ひとり、紹介したい人がいるんだけど、よかったら、帰りにうちへ寄ってみない?」
あけみの職業は縫い仕事だ。スーパーやデパートなどの衣料品売り場で注文を受けたズボンなどの寸法直しを請け負っている。毎日夕方になるとそういう店を回り、商品を預かって帰り、自宅で寸法直しをしてから1~2日後に届けるという仕事をしていた。安い手間仕事だが請け負い先はたくさんあるので、女ひとり暮らしていくだけの収入はある。注文が多いときは近所のおばさんにも手伝ってもらっている。人としゃべるのが苦手のあけみはこの仕事が気に入っていた。
その日早速、契約先の衣料スーパーなどを巡回したあと、いちばん最後に、閉店前の ≪美容室・いちご≫ へやってきた。お客さんのいる時間帯では話が聞きづらい。
「じつはこのアパートの103号室にいる人で竹田さんという左官屋さんなのよ。42歳だけどすごく真面目そうな人で、この店を開店する時にも夜遅くまで頑張ってくれて開店に間に合わせてくれたのよ」
「左官屋さんって言うと、会社勤めでなくて、自営業なんですね。 そうですか? 私なんかでいいのでしょうか?」
「まあそれは、相性がいいかどうか、お互いに逢って見て、お付き合いするかどうか決めたらいいと思うけど、ただその人、中学しか出ていないって言うから、それをあなたが気にするかどうかだわね?」
「私だって、女子高でちょっとお裁縫習っただけだから、そんな事は少しも気にはしません。でもいまの仕事は好きだから結婚しても続けたいと思ってるんですけど・・・・」
「いいじゃない。そんな事、反対されることは無いと思うわよ。じゃあ、貴方の電話番号、竹田さんに教えてもいいかしら? 直接話して、場所を決めてお逢いするのが一番だわ。いいわね」
いままで、若い女性と逢う機会など無く、自分はこのまま一人で歳を取って行くのかと思っていた竹田は、美容士の苺と知り合いになったおかげで、急に運命が開けてきた。
「もしもし、あけみさんですか? 苺さんから聞かれたと思いますが、ぼく、ピンクハウスの103号室に住んでいる左官屋の竹田です。一度どこかでお逢いしてお昼ご飯でもご一緒に、と思うんですけど、どうでしょうか?」
「はい、よろしくお願いします」
「有難うございます。日にちはいつがいいでしょうか? 都合の悪い日はないでしょうか? それと、場所なんかもどこか希望されるところありますか?」
「私はいつでも結構です。場所は、出来れば、余り目立たない所でお願いします」
苺から聞いていたとおり、あけみは大人しそうな、何事も控えめな女性だった。歳は35歳と、竹田が希望していたより少し上だが、中肉中背で容姿も悪くなく、42歳の自分には、勿体ないような相手だった。どちらかというと、二人ともあまりおしゃべりな方では無いので、互いの仕事のことなどを少しずつ話しただけだが、どちらにも異存はなく、3回ほど逢って食事をして、その秋には結婚式を挙げることになった。
竹田には、結婚したら一戸建て住宅を買ってそこで新婚生活をスタートさせる夢があり、そのための貯金をしていた。郊外に100坪ぐらいの土地を買って建てるか、近くの住宅街の中にある中古住宅を買って内装を変えて住むかどうかだが、10年近く住んだピンクハウスを出て行くことが決まった。
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204号室に入居してきたのはマイケル・ミラーというアメリカ人だった。三の倉中学の英語教師をしている徳島拓造の紹介で入居してきた。まだ日本語はあまりしゃべれないようだが スマホの翻訳アプリがあるので、いざという時には何とかなる。だが翻訳アプリにばかり頼っていたのではいつまで経っても覚えられないので、なるべくそれは使わないようにしている。
夕方6時ごろ102号室へ行けば住人みんなが集まってくると聞いていたので、早速、自己紹介をするため、マイケルもやってきた。徳島はまだ学校から帰っていない。
「ナイストゥミートユー、マイネームイズ マイケル・ミラー、プリーズ、コールミー、マイク」
居合わせた者は誰も英語が分からない。すぐに岡村が中原健太郎を呼びに行った。やってきた健太郎によると、
「高校までルイジアナ州に住み、卒業後はハーバード大学に進み、そのあと4年間はニューヨークの証券会社で働き、そして今度日本にやって来たそうです。
でもルイジアナの方言が強くて、すごく分かりづらい英語です」
「そんな分かりづらい英語で、どうして英会話講師になんかなれたのかな」
と、誰かが言った。
しばらくして勤めを終えた徳島拓造がやってきた。
「遅れてすみません、マイクの紹介はもう終わりましたか?」
と聞くと、
「健太郎君が通訳してくれたから、大体は分かりましたけど、なんでこんな方言の強い人を採用したのかな?」
「はあ、そうですか? 私もそれは感じていましたけど、県の教育委員会ではハーバード大卒というだけで採用を決めたのかも知れませんね」
「ニューヨークの証券会社といえば高給取りのエリートじゃないですか? なんでそんな仕事を辞めてこんな日本の田舎町にやって来たのかなあ」
と聞いたのは塚崎のじいさんだ。マイクの風貌からは証券マンという雰囲気は漂って来ない。
「ええ、確かに私は証券マンとして稼いでいましたけど、4年間、毎日毎日、お金の話ばかりでうんざりしていて、ちょっと違う世界で暮らして見たくなったのですよ。それで、どうせならアメリカとは全く生活習慣も文化も違う、そして治安もいい、日本に行こうと決めたのです。そして日本でも、東京や大阪などでなくて、庶民の暮らしの中に飛び込んで行けるような地方都市がいいかと思ったのですよ」
「ふーん、そういうものですかね」
と、居合わせた面々は、誰も納得いかないようだった。
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浦島剛太郎と春山桃子は籍を入れたが、いまさら式も挙げず、ピンクハウスの人達以外には誰にも知らせず、ひっそりと浦島の部屋で同居生活を始めようとしていた。だが、お祝いだと言って包みを持って来る人もいたので、貰いっぱなしというわけにもいかず、近くで披露宴代わりのささやかな昼食会を開く事になった。
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ピンクハウスからすぐ近く、三の倉通りの交差点の角に、花月堂という小さな町中華がある。中原健太郎が深夜まで勉強していた頃、よく夜食を食べに通った店だ。老夫婦二人と、お手伝いのおばさんがいるだけの小さな店だが良く流行っている。1階は10人も座ればいっぱいになるカウンター席だけだ。2階は、普段は使わないが予約があれば20人までの宴会が出来るようになっている。タクシー運転手の浦島も仕事帰りによく行った気安い店なので、ピンクハウスの人たちに集まって貰うことにした。入居してきたばかりのマイケル・ミラーも誘った。
「浦島さん、話を聞いたときにはみんなびっくりしたんだけど、いったいどうやって桃子ちゃんを口説いたのかなあ」
と塚崎が聞いた。
「いや、まあ、それは、なんとなく、自然に・・・・」
「何いっているのよ、言っちゃいなさいな」
と言ったのは姪っ子になる苺だ。
「ホントにそうなのよ。次の日に退院と決まった時、待合室で話していたら急に、
《俺たち、結婚しようか》と言われたから私、《いいわよ》と返事をした。それだけなのよ」
浦島がタクシー運転手になって、ピンクハウスに住み始めて10年以上になる。若いときは何とも思わなかったが、歳をとるにつれ孤独感を感じるようになった。そこへ引っ越しをしてきた塚崎が、自分の部屋を住人のおしゃべりの場として開放してくれるようになってから、浦島は毎日そこへ顔を出すようになった。一人暮らしの浦島としては自分の部屋にいても寂しいばかりなので、孤独感を紛らわすために、毎日102号室に通い詰めるようになった。
その話を塚崎から聞いて以来、桃子は浦島の事が気になっていた。そこへ来て突然の入院である。人ごととは思えず、見舞いに通っているうちに気持ちが通じ合って来た。だから浦島から結婚しようと言われて、躊躇わずに承知してしまったのは、恋愛感情なんかでなく、母性本能のようなものだったのである。
浦島が言った。
「俺の事より、竹田さん、あんたどんな餌であんな美人の奥さん釣り上げたんだよ」
「うわー、話がこっちへ来るんか? あんな美人って、浦島さん、見たのか?」
「俺が何年、タクシーに乗ってると思っているんだよ。あんたと奥さんが、いつ、どういう店で逢ってるか、ちゃあんとそこへ乗せて行った仲間が知らせてくれるんだよ。
ふだん作業服しか着ていないあんたが、スーツを着て出かけたら、嫌でも目立つだろう」
「まいったなあ、けど、釣り上げたなんて、そんな下品なこと言わないでよ。それは全部、苺さんがおぜん立てしてくれたから・・・・」
「そうか、棚からぼたもちってわけだな」
何を話しているのか分からないマイケル・ミラーが中原健太郎に聞いて、
「ブラボー」というと、居合わせたみんなも一斉に手を叩いた。
「ミラーさん、もう一度聞くけど、あなたはハーバード大学を出て、ニューヨークの証券マンという出世コースを捨てて、なんでこんな日本の田舎町へやって来たのですか? 将来何を目指そうとしているのか私たちにはさっぱり分からないのですけど・・・・」
と、塚崎が聞くと、徳島も中原健太郎も、うんうん(・・・・)と同意した。それに対するミラーの答えは塚崎達にはすぐには理解できないものだった。
「一言で言うと、聖徳太子の教えに興味があったからです。いま世界各国で戦争が起きています。そして、みんなで殺し合いをしています。みんな敵を殺して自分たちだけが生き残り、その戦争で勝てるようにそれぞれの神様に祈っています。そんなのおかしいじゃないですか?
キリスト教も、イスラム教も、全部ではないけれど自分たちだけが正しく、相手が間違っているので、その間違った相手を殺すのは正しいのだと、人殺しを容認するような姿勢が見られます。
ところが仏教では宗派の違いはあっても人殺しをするようなことは決してありません。
佛教はお釈迦様が開いた宗教で、そこから中国を経て日本に伝わり日本では聖徳太子が元となり17か条憲法を制定し、それが今の民衆の心の底辺に根付いているのだと思っています。それを確かめるためにこちらまでやって来たのですよ」
「ほう、仏教の研究をしたいのなら、こんなところではなく京都辺りには大きなお寺がいっぱいあって立派なお坊さんもたくさんいるじゃないですか?」
「いや、お寺に仏教が伝わっているのは当たり前で、その信心がどれだけ民衆の日常生活に根付いているかどうかが問題なのですよ。だからタクゾーからこのピンクハウスの事を聞いたとき、これこそが、
聖徳太子が唱えた17か条憲法第一条の《和をもって尊しとなす》という、あの精神が根付いている場所だ、と思ったのですよ」
「ふーん、俺たちそんな事考えたことも無かったけど、確かにピンクハウスの人たちは、みんな親切な人たちばっかりだな。でもそれが、聖徳太子の教えと関係があるなんて、考えたことも無かったよ」
「まあそうね、人から親切にしてもらえばどうしても自分もそうしなくっちゃと思うわね。でもそんな事、私たちは当たり前だと思っていたことを外国から来た人に教えられるなんてねえ」
「いや、皆さんが当たり前だと思っている、そこが貴重なんですよ。どんな親切でも、してやっているという意識があればそれはもう、本当の親切ではなく、打算でやっているのと同じなのですよ」
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塚崎は、今さらながら、ピンクハウスの102号室が果たしている役割の重要性を覚った。しかし、102号室には自分以外に誰かが中心となって場を盛り上げてくれなければならない。これまでは浦島がその役を引き受けてくれた。しかし桃子と所帯を持ったからには、今までのように102号室に通う必要は無くなる。
竹田に浦島の代わりをさせようと思っても、彼は間もなく新居に引っ越しをして行ってしまうだろう。
栗子は・・・・栗子にはそんな役は果たせないだろうし、自分も・・・・いやむしろ、マイクがその役を引き受けてくれるか・・・・
ピンクハウス第五話 おわり
執筆の狙い
第十話、十五話と続けて行きたかったのですが、だんだん自信が無くなってきました。
もちろん、ただ駄文を書き続ける事なら出来ます。しかし、一定の評価を頂けるものでないと続ける気がしません。
そんなわけで、取り敢えず、今回で、一旦、お終いにさせて頂きます。
もしまた、気分が変わり、続きを書きたいと思えるようになったら、再開するかもしれませんが、たぶん、そういう事にはならないでしょう。
これまでお付き合い頂いた方々には感謝申し上げます。有難うございました。