作家でごはん!鍛練場
睡眠過多

アグレッシヴ・ゲイズ

 深夜一時、宝塚から三田へ向かう電車に一人、座っていた。凍てついた田園を駆け抜ける車両は真冬の張り詰めた空気を切り裂いて進む。
 車内の暖房に耐えきれず脱いだジャケットを膝に置いて、柵に肘をつき宵闇を眺めていた。深夜営業の居酒屋の喧騒から打って変わり、車内には自分一人しかおらず、電車と線路の打つ音だけが流れている。車窓から街灯を反射して輝く武庫川が見える。
 人がいない電車は好きだ。あちこちに残った人々の視線の跡を誰の視線に晒されることもなく探ることができる。荷物棚に忘れられた紙袋、人の頭に触れてシワがついた吊り下げ広告、窓についた指紋。今ここにいない乗客がどこに目を向けていたのか思考を巡らせながら一人の車内を眺めていた。
 トンネルを二つ抜け、気圧の変化に耳を攻撃されながら道場駅に停車した。寂れた構内に黒いロングコートを羽織った女がひとり立っていた。氷点下の空気とともに女が乗り込んだ。電灯のついた車内で女は独立した空間をまとっている。
 その女を見て、ひどく不快であると思った。というのは何も特別容姿が醜いわけでもなく、ひどく不潔だというわけでもない。具体的に何と言えるわけではないが不快だと、そう私は感じたのである。だから、私は女から目を背けて体制を変え座り直したのである。
 ドアが閉まって電車が動き出すと、足音がこちらへ向かってきた。車両の席はどこでも使えるのになぜよりにもよって私の近くを使おうとしているのかと、少しいらだちながら私は目を閉じた。

 「嫌いだわ」

 女が低い声でそう呟くとシャッター音が響いた。

 「はあ?」

 思わず目を見開いて声が漏れた。当然である。見ず知らずの女に嫌いだと罵られた上勝手に写真を撮られて黙っているほど私は私に無関心であるわけではない。女をもう一度じっくり見ていると、腰まで伸びた長い髪の毛の中に、絵の具で塗ったように白い顔が隠れていることに気がついた。切れ長の目が私を真っ直ぐに見つめ、上品に添えられた鼻の下に真紅の細い唇が艶っぽく輝いている。えらく美人な女だと思ったけれども依然として不快であることに変わりはなかった。
 女は一枚の写真を床に投げ捨てて、隣の車両へと音もなく歩いていった。その写真を拾い上げて見ると、私がひどくくすんだ色で写されている。気味悪く思い、その写真を丸めてカバンに詰めると、ブレーキをかけて三田駅に停車した。
 降車してしばらく突っ立っていると、電車が私の目の前を通過していったが隣の車両にいたはずの不快な女の姿はなかった。少し変に感じながらも車内との温度差に体が悲鳴をあげるので、すぐに走って改札を出て家へと急いだ。

 私が持ってきた商品を打つレジの男は私の目を見ているが、私という個人を見ようとはせず、ただ客という集合を見ている。道ゆく中ですれ違う通行人は私を個人ではなく群衆として見ている。個人というフィルターのない視線は心地良い。個人というフィルターを通した瞬間に人は私を若く細い不健康そうな男としてカテゴリーの中に閉じ込めて本当かもわからない前提条件をもとに攻撃する。人に話してもただの考えすぎだと一蹴するが、私がそう他人を見ている以上は他人もそう見ていると考えざるを得ないのだ。

 数日が経ち写真がいつの間にかどこかへ消えていることも気づかなくなった月曜日、私は再び深夜の電車に揺られていた。
 トンネルを走る電車の轟音を聴きながら、私は眠っていた。何度か停車と出発を繰り返すと、アナウンスとともに電車は三田駅に着いた。目を閉じていてもわかるほどに何度も繰り返してきた経路を辿って改札を出た。自転車の鍵を探してカバンの中身を見ると、再び私の写真が入っているのを見つけた。
 今度の写真は前回のものよりもさらに色彩が失われ、インクが滲んで綺麗に見られない部分が何箇所もあった。またあの不快な女が乗ってきたのかと、数日前を鮮明に思い出しながら、私はその写真を丁寧に何度も引き裂いて草むらの中に捨てた。
 それから、ずっとあの女への不快感が頭の中にこびりついて常に反芻されていた。常に反芻される不快感が蠱毒のように私を苦しめるのを感じながら日々を単調に過ごすのである。次あったら必ず捕まえて、どういうつもりか吐かせるのだと固く決意し、また今日も例の如く早朝の電車に乗り込むのだ。
 電車が道場駅に停車すると、例の女が現れた。私が声をあげる間もなく女は一枚の写真を差し出してきた。その写真には破れたものをもう一度繋ぎ合わせたような線が入り乱れ、完全に白黒になった私の顔は大部分が黒く滲んで認識できなくなっていた。
 それを見た瞬間、強烈な吐き気が私を襲った。電車が三田駅に到着するとすぐ私は便所へ駆け込んだ。
 ひとしきり便器に向かって嘔吐すると出すものもなくなって吐き気は治った。手と口を洗い、便所を出ると、今日はホームに女が立って私を見ていた。
 瞬間、猛烈な怒りが込み上げてくるのを感じながら私は女に向かって、聞き取れもしない怒声を浴びせた。それでも、女はにやにやと私を眺めるだけである。
 私の喚き声を聞いて飛び出してきた駅員になだめられ、駅員を問いただしても私以外に人はいないの一点張りである。駅員の男の視線は軽蔑と恐怖が込められていた。

 女は私の攻撃性だった。私が他人にあると思い込んでいた私への攻撃性だった。私は吠えた。私が攻撃すべき全ての視線に対して。

アグレッシヴ・ゲイズ

執筆の狙い

作者 睡眠過多
pl36259.ag2003.nttpc.ne.jp

時間ができたので久しぶりに書いてみたはいいものの正解が分からず迷走に迷走...2000字程度の文章です。なにとぞ。

コメント

偏差値45
KD059132067096.au-net.ne.jp

>電車に一人 >車内には自分一人 >一人の車内を眺めていた。
なにか意味があるのかな。

>「嫌いだわ」
>女は私の攻撃性だった。
結論ですね。

幻覚だったということかな。
嫌いなものに対して攻撃的になる。理屈としては分かりますね。
嫌いな人は相手も嫌いに思っている。不思議とそうなりますね。
そんな感じの小説かな。

「汝の敵を愛せよ」イエスは立派だね。だから神なのかもしれないね。
仏教的には、怨憎会苦(おんぞうえく)怨み憎んでいる者に会う苦しみ。
まあ、経験則で言えば、仏教の方が実践しやすい。
出来るだけ四苦八苦は回避すべきだね。すべての苦を排除した先に幸福はある。
そんなことを思った次第です。

さくら
114.129.4.198

少し難しい内容でしたね😓
でも、個人的にはこんな感じの話は好きです。

お疲れ様でした。

睡眠過多
150-66-126-28m5.mineo.jp

偏差値45様

女の正体は視線に対する憎悪が具現化した幻覚という認識で間違いないです。

一人ということを強調して他者の視線がないことを表現したかったのですが、改めて見るとやはり口説いですね。修正します。

四苦八苦を避けて生きられたら良いですが、現実はそうもいかない。難しいですね。

コメントありがとうございました。

睡眠過多
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さくら様

お読み頂きありがとうございます。
好きというお言葉嬉しいです。精進します。

夜の雨
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睡眠過多さん「アグレッシヴ・ゲイズ」読みました。

文学味でした。
文章はちょいと雑でしたが、テーマというか、目指しているものはよかった。

まず、冒頭ですが、「深夜一時、宝塚から三田へ向かう電車に一人、座っていた。」ということで、絵空事を書いているのではなくて、話が身近なものとして感じられました。

>凍てついた田園を駆け抜ける車両は真冬の張り詰めた空気を切り裂いて進む。<
こういった主人公を取り巻く情景はよいですね。
五感に関係していて、リアルティーがあります。

そこにきて、道場駅に停車したところ、
>寂れた構内に黒いロングコートを羽織った女がひとり立っていた。氷点下の空気とともに女が乗り込んだ。電灯のついた車内で女は独立した空間をまとっている。<

>その女を見て、ひどく不快であると思った。というのは何も特別容姿が醜いわけでもなく、ひどく不潔だというわけでもない。具体的に何と言えるわけではないが不快だと、そう私は感じたのである。<
おもしろいのはココで、どうして不快だと思ったのかという事ですが、ラストまで読むと、主人公の内面なのですよね。
この女は。
どういった内面かというと『攻撃性をまとっている』という精神的なものを主人公は感じたという事ですが。
御作のエピソードの中では「写真」を撮られるとかで、この女とは何度か遭遇するのですが、そのたびに写真を撮られている。

ラスト近くで主人公が大声を出したので駅員が来るのですが、「その女は存在していない」という事になり。
主人公は自分の攻撃性の分身だと気づく。

ほかにも精神的なエピソードが描かれていたので、ラストまで読んで納得しましたが。

御作を確かなものにするにはやはり、知り合いが気づいていたとか。または、精神科に通っていたとか。
そのあたりを描く必要があると思いますが。
今回のお話の内容でしたら、知り合い(友人とか身内とか、彼女とか、会社の関係者とか)とかのエピソードをからめると、充分説得力が出ると思います。

全体ではよくできているのでは。
ただ、しばらく作品を寝かして、文章とかをもっと磨いてもよいかも。

>その写真を丸めてカバンに詰めると、ブレーキをかけて三田駅に停車した。<
その写真を丸めてカバンに詰めると、電車はブレーキをかけて三田駅に停車した。
「電車は」が抜けている。

>ジャケットを膝に置いて、柵に肘をつき宵闇を眺めていた。<
ジャケットを膝に置いて、肘かけに腕をつき宵闇を眺めていた。
「柵に肘をつき」意味が?

>車内には自分一人しかおらず、電車と線路の打つ音だけが流れている。<
車内には自分一人しかおらず、車輪が線路を打つ音だけが流れている。
「車輪」を入れておくべきだと思いますが。


文体自体は、御作の世界観に合っていました。

前振りとしては、居酒屋とかで同僚と酒を飲んでいて、会話の内容で「精神的なもの」の伏線を張っておくとか。
もちろん冒頭からこれをやると「ネタばれ」の可能性があるので、中盤以降にやるとか。
「帰りの車内でおかしな女がいてね」とか。
ところが、その女、知らない間に消えているとか。
ということで、ミステリー味に見せかけて、実は主人公の精神の深いところからくる問題だったとか。
なので、同僚いわく会社で「近頃のお前、集中力がないのでは」とか。


それでは創作を楽しんでください。

お疲れさまでした。

久々の男
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どうも、睡眠過多さん、こんにちは。久々の男と申す者です。さて、御作を読ませていただいて、その思想性の高さに舌を巻きました。以下、思いつくままに思ったことを書かせていただこうと思います。
まず話の時系列で、つれづれに。

冒頭の他の客のいない電車の中で、主人公が他人の視線の跡を車内を見渡して探すシーンがあります。これは表題の「アグレッシブ(攻撃的な)・ゲイズ(視線)」というテーマを予感させるオープニングだと思います。
次に「女」が出てきます。彼女のことを「不快」に思う主人公。これは彼女が自分の分身であることをほのめかす伏線になっていると思います。ボク自身も自分と似たタイプの芸能人やアナウンサーを見ると、嫌になることがあります。結局、他人を見ているようで、その中に自分の一側面を見ているわけです。この辺りの睡眠過多さんの感覚はボク似ていると思いました。このようなボクとの類似点を他にも何度も、この作品の表現に見ることになります。
女の台詞「嫌いだわ」に主人公の写真まで撮る彼女。それに対して、主人公は「はぁ?」と答える。ここで、ボクはこの物語が単なるフィクションではなく、睡眠過多さんの心象体験なのではないか?と感じました。自分と自分の会話。もっともこれはラストでようやく分かるわけですが、睡眠過多さんの心の内面での実感、その体験がベースにあるように感じたわけです。
その後、物語は主人公の他人との関わり合いの描写になります。他人に見られることを極度に嫌がる主人公。群衆の一員として、自分の弱い部分を他者から突かれない存在になりたい。他者に自分の本当の姿を知られると攻撃されるという、強迫的な意識。
女が撮った自分を写していた写真が最初はちょっとくすんでいるだけだったのが、だんだんと形を失っていき、その顔すら判別できなくなる。この最後のプロローグへと向かう描写はエッジが効いています。
女に怒る主人公。しかし、女はニヤニヤ笑うだけ。女は現実には存在せず、自分自身に怒りをぶつけていたことに主人公は気づきません。しかし、恐ろしいことが起こります。その一人芝居を見ていた駅員が彼に軽蔑と恐怖の眼差しを向ける。初めて主人公は群衆の一員ではなく、他者にその本性をさらけ出している個人として見られたのです。
『私は吠えた。私が攻撃すべき全ての視線に対して』
すべての世界――主人公の中での他者と自分とのつながりの社会――が崩壊する。北欧神話のラグナロク(神々の黄昏)のような終わり方でこの物語は幕を閉じます。
余談ですが、「女」が美人という描写から、その写し鏡である主人公も美青年だと推測ができます。しかし、このストーリーのナイーブさや暗さから、表情も強張った青白い、神経質そうな人物だと考えられますが(実際、そんな描写も本文にある)

優れた文学というのは、今までの自分にない新しい認識、すなわちものの見方を自分に与えてくれるものだと、YouTubeの「彗星読書倶楽部」主宰の森大那さんはとある動画で述べていたと記憶しています。それは人生の成功法則や人生訓ではありません。その認識で新たに世界を見た時、すべてが違って見える……そんな体験です。
この睡眠過多さんの作品もボクにとってはそんな体験の一つでした。
自分が他者を見て意識すること――それはこの作品では敵対心とかなのですが――それを反射して他者が自分のことを見て、そう思うのだと感じている。
まさにその一点にこの物語は集約されます。
こんな体験をボクは中島敦の「悟浄出世」という作品で感じたことを思い出しました。「自分とは何ぞや?」という問いを常に持ち続けている悟浄という中国の河の妖怪。他の連中はそんなことは考えず、日々過ごしている。そんな彼はその問いに答えを求めるべく、様々な仙人、妖怪の許を訪れ、禅問答の如く、対話を続けていく。余談ですが、コレは「西遊記」の沙悟浄の三蔵法師一行と出会う前のプロローグです。ただ、ボクが感じたことはこの悟浄が会う様々な仙人や妖怪は、作者中島敦がリアルで出会った様々な本や人との対話がベースにあるように感じたんです。このように哲学的に物語を抽象化できる作品、それがこの作品でも当てはまるように思いました。コメント欄で偏差値45さんがこの作品を読んで、キリスト教や仏教の教義を思い出したと述べているのは、そんな特徴をこの作品が持っているからでは?と思いました。

また、夜の雨さんも言われている、この物語のオチも問題。「女」が自分自身の「攻撃性」の分身であること。これは「女」を「攻撃性」と限定的に定義づけしてしまうことで、物語の豊饒さを失わせてしまう危険性もあるとボクは思うのです。もちろん、人間存在そのものに対する問いかけという確固たるテーマはありますが。
先日、NHKのドラマ「地震のあとで」の第四話を観たのです。「続・かえるくん、東京を救う」というタイトルで村上春樹原作です。これは佐藤浩市演じる、元信用金庫社員で、老いた今はしがない駐車場の警備員をしている爺さんが、かえるくん(声はのん)という人間大の不思議なカエルと会い、今度、地震を起こす可能性のあるみみずくんという東京の地下で暴れる可能性のある存在を止めるために力を貸してくれと言われます。二人は東京の地下を降りて行きます。そこで、主人公は意識を失い、夢の中で昔信用金庫で怨嗟の声を受けて良心の呵責で苦しんだことを再体験します。しかし、彼は「すべてを忘れるためにこのお茶を飲んでみて」という夢の中の若い男を振り切り、かえるくんの許へと戻ります。かえるくんは「ぼくは君だったんだよ」と告げ、姿を消していきます。
ちょっとボクの説明では何のことやら分からなかったとは思いますが、結局はこのドラマの「かえるくん」も睡眠過多さんの作品の「女」も自分の分身ということでは一致していると思うんです。ただ、「かえるくん」が定義づけられないミステリアスな存在なのに対し、「女」は紋切り型で限定的なイメージになっている。いいわるいではないのですが、ボクが思うのは、これから睡眠過多さんが長編の小説を書こうと思うようになった時に、もっとこの作品以上の多義的な存在で書いた方がいいのでは、と老婆心ながら思うわけです。ボク自身ではこんな素敵な作品を書けないのに、押しつけがましいことを言ってすみません。

ボク自身、もう五十も過ぎた男ですが、未だに自分の納得できる物語を紡ごうとネタ帳に走り書きしております。そんな時に作家でごはん!というサイトを思い出し、こうして、それもたまたま、睡眠過多さんのようなこんな刺激的な作品を読ませていただけました。かなり、ボクのクリエイティビィティが刺激されました。ボクの中でのボクって何だろうとか、また新たなネタが浮かびそうです。読ませていただいてありがとうございました。

久々の男
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すみません。修正です。細かいミス以外で、意味が通らない所を訂正させてください。

・この最後のプロローグへと向かう描写はエッジが効いています。
✕「プロローグ」→〇「エピローグ」

・また、夜の雨さんも言われている、この物語のオチも問題。
✕「この物語のオチも問題」→〇「この物語のオチの問題」

補足ですが、この睡眠過多さんの作品はボクの中では物語という意味での「小説」ではなく、どちらかと言えば、哲学的な「世界」と「私」の関係というような認識論のような気がします。だからこそ、普通の「小説」の方法論とは違い、より抽象的な世界が展開されているような気がします。そういう意味で夜の雨さんのご指摘とは違う視点で、ボクはこの作品を捉えたような気がします(これは夜の雨さんの指摘が間違っているとかではなく、作品を見る上での視点が違うというように思っています)

睡眠過多
101-142-165-30f1.hyg1.eonet.ne.jp

夜の雨様

情景描写に力を入れて読者に実際の風景を想像させることを目指していたので、リアリティーを感じていただけたようでよかったです。

おっしゃる通り、私と女だけでなく、周囲の人間との関係を描く場面を作るべきでした。推敲案ではこの続きとしてそのような場面を作ります。

文章についての指摘は概ねその通りに修正したいのですが、
>柵に肘をつき宵闇を眺めていた。
電車の横長になっている座席の両端にある壁のようなものは柵と呼びませんか?
私が勝手にそう呼んでいるだけでしたらすぐ修正しようと思います。

詳しい考察やお褒めの言葉嬉しいです。ありがとうございました。

睡眠過多
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久々の男様

誰かを不快に思う時って、結局その人が自分の嫌な側面に重なって見えているからだと思うんですよね。そういう考えが伝わっていて嬉しいです。

自分がこうしているならば、他の人も同じようにしているはずだ。
誰でも陥りがちな思考だと思います。
それをテーマに書き出した小説として、私の意図が久々の男さんに伝わって良かったです。

確かに、女を私の攻撃性だと断定せず曖昧にしたまま終わらせることも考えたのですが、あまりに解釈があやふやで読者任せすぎではないかと危惧していました。
もっと長編として書くならば多義的に描くことも可能だと思います。

個人的には物語として書き始めたのに、論説的な要素が多くなったことは反省点だと考えていましたが、そのおかげでより抽象的な世界が立ち上げることが出来ているのであれば、それはそれで良かったのかもしれません。

読者の感性を刺激する作品が書けたことを嬉しく思います。
こちらこそ、お読み頂き、そして丁寧な解釈と感想を頂きありがとうございました。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

狂っていくさまというか狂気に落ちていく感じが、上手く描けていると思います。
このあと警察に連行されてうんぬんとか書いたら、ひじょーに詰まらない話になるので、絶妙な切り方だと思います。

文章は散りばめられた感覚描写が、感覚を刺激し、さり気ない日常にもダイナミズムと臨場感を与えています。
個人的にはすごく上手い文章、というか好きな文章でした。

未来のある作家だと思います。
がんばってください。とはおかがましいかもだけど。

飼い猫ちゃりりん
27.230.34.24

睡眠過多様
初めまして。飼い猫と申します。
文章が上手ですね。雰囲気もあってかっこいい。
猫に難しいことは分からないですが、素晴らしい作品だと思います。飼い猫もこんな作品を書けたらいいなって思います。
お疲れ様でしたー!

夜の雨
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再訪です。

久々の男さんが御作を「哲学」だと言っていますので、作者さんにもお伝えする必要があるので、書いておきます。

最初の感想を書いたあとで、こちらの作品はSF映画『禁断の惑星』と哲学が似ているなぁと思ったのです。

どこが哲学なのかというと、『アグレッシヴ・ゲイズ』という作品も『禁断の惑星』も潜在意識(精神世界)が描かれています。
その「潜在意識の描き方が哲学的」という事です。
両方の作品で言えることは、その潜在意識が攻撃的になった。
なぜかというと、自分を守るために。

具体的に言うと。
『アグレッシヴ・ゲイズ』は主人公の中から攻撃的な人格が現れた。
『禁断の惑星』は自分を守るために、博士の中の潜在意識と惑星の地下にあるコンピューターがつながり、イドの怪物を出現させて、地球からやってきた調査隊を攻撃した。
この両方の作品の根本のところの哲学が同じなのですよ。

御作と『禁断の惑星』のちがいは、
御作は、自分の中だけで物語が閉じている。攻撃の対象が他人ではなくて自分に向けられた。なので、駅員には攻撃的な女は見えなかった。
禁断の惑星のイドの怪物は、博士の潜在意識とつながっているので、現実に外に向けて攻撃をした。

したがいまして『アグレッシヴ・ゲイズ』は、現実的な「いまどき」の、作品です。

『禁断の惑星』は現在の科学技術では非現実的なSF映画。

『禁断の惑星』は有名なSF映画なので、ネット検索してください。
いろいろ情報が出てきます。
また、You Tubeなどにも動画の一部があります。

睡眠過多
101-142-165-30f1.hyg1.eonet.ne.jp

えんがわ様

おっしゃる通り警察などのノイズになる要素は排して書くことに努めたので、切り方を褒めていただけて嬉しいです。

臨場感ある文章を書くことが長い間課題だと考えていましたが、描写についてもちゃんと伝わってよかったです。

これからも精進します。ありがとうございました。

睡眠過多
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飼い猫様

たくさんの点をお褒め頂き光栄です。飼い猫様の作品も何度か拝読しましたが、プロットの緻密さに感心するばかりでした。
ありがとうございます。

睡眠過多
101-142-165-30f1.hyg1.eonet.ne.jp

夜の雨様

『禁断の惑星』調べてみました。確かに、潜在意識が敵として具現化する点は拙作に通ずるところがありますね。
もちろんSF映画と比べたら現実的ではありますよね。

再訪ありがとうございました。

久々の男
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どうも、睡眠過多さん、再訪です。

夜の雨さんが御作で連想した映画という作品、YouTubeで少しだけ観ました。「禁断の惑星」、冒頭だけだと、普通のSF映画のように思えます(人類がワープを覚え、銀河各地に居住圏を広げた所とか)でも、その惑星のマッドサイエンティストの「観念が具象化」するんですね。考えたことが直ちに実現する。それで怪物のイドが出てくるわけですよね。

夜の雨さんの頭の中には膨大なイメージや物語のストックがあるように思います。睡眠過多さんの作品からアナロジー的にこの映画を連想する所とか。確かにこの「アグレッシヴ・ゲイズ」は構造的にこの映画と共通すると思いました。

余談ですが、夜の雨さんは様々な読んだ本のイメージをある部分だけ膨らませたり、2つ以上のものを複合させたりして、新たな自分自身の作品を創り上げる、と昔聞いたように覚えています。一度、題名は失念しましたが、旧日本軍の怨念が具現化して、壁画の戦艦が太平洋の地下を潜りながらアメリカ本土に向かう作品を読んだことを思い出します。

ただ、一言付け加えたいのは、この「アグレッシヴ・ゲイズ」のテーマが今現在、ボクが悩んだりしているテーマとシンクロしているということです。それだけボクにとってもこの哲学的なテーマは切実でした。だから、あれだけの長文のコメントを書いたわけです。

他の方々、例えば、えんがわさんと飼い猫ちゃりりんさんですが、このお二方のテーマは「アグレッシヴ・ゲイズ」とはかなり違うようにボクは思っています。
自分の記憶で述べますが、えんがわさんは最新作でヒロインの情景と心情のコラボをやっていたように思うんです。「揺れ」というキーワードで、彼氏と別れたヒロインの心情と、地震による物理的なものを共鳴させたように思っています。
一方の飼い猫さんですが、大分昔の記憶ですが、主人公がヒロインを求めて極北を大陸間移動列車に乗るシーンがあったことを思い出します。列車が走る氷原には続く線路しかない。その寂しい情景と孤独な主人公の心情が印象に残っています。

このように「私」と「私」、そんな内面を掘り下げる「アグレッシヴ・ゲイズ」と、このお二方の物語そのものを描いているテーマとはまた別な土俵で論ずるべきだとボクは思います。

結局、何を言いたいかと申しますと、テーマがみんなみんなで違うわけですから、睡眠過多さんには自分の切実なテーマに焦点を絞って他者の意見や感想を聞いて欲しいということです。それはボク自身のコメントもしかりです。的外れだったら取捨選択してくださいね。

里桜奈
om126158172177.30.openmobile.ne.jp

主人公の価値観なんか好きです。
人が抱えてる他人にどう思われているかとか、その想像の中にある攻撃力みたいなのが女として具現化されてるってことかな?

難しかったけれど、素敵な作品だと思いました。ありがとうございます。

睡眠過多
60-57-71-203m5.mineo.jp

久々の男様

私の作品が何かしらの問いかけをできたのなら幸いです。
書く文章の主題は人それぞれ違うとは言えども、共通する点を探すのが大切だと思います。自分か抱えるテーマに対して他者の一見無関係な題からこそ発展を得られるものでしょう。皆様のコメントは良い刺激として糧にさせて頂きます。
再訪ありがとうございました。

睡眠過多
60-57-71-203m5.mineo.jp

里桜奈様

おっしゃる通り、自分が他者を見る時に色々想像して攻撃してしまうからこそ、他人からも自分はそうされているのではないかと思い込むうちにそれが女として具現化された、というお話です。
素敵と言っていただけて嬉しいです。ありがとうございます。

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