導入部のみ
伊集院レイには、中学生の時から両親以外に黙っている秘密があった。非凡な才能を持つにも関わらず、その能力を隠しているのである。運動神経抜群で、頭脳明晰でもあり、友人達との付き合いでも、その能力を見せようと思えば、見せる事が出来るが、今ではあえて明かさないようにしていた。その理由は、彼の両親が教育に力を入れすぎてしまったせいである。
彼は小学生の頃、バレーが得意で、頭角を表わしていたのである。たとえば、技術の中で一番得意なトス。小学生の中で一番正確に上げてみせる事が出来たのである。トスの神様とあだ名がつけられる程、トスの多くを、敵の意表を突くポイントに上げていた。味方の選手がレイのトスの軌道を読んでボールを追っていけるのは、彼等がたゆまぬ練習をしているおかげである。敵には、翻弄トスと命名される程である。トスの軌道は縦横無尽だった。
敵の選手達は、レイのトスが上がる度、緊張の面持ちで見上げる事が多い。生理的反応で、汗を流すものもいる。と言われていた。ジャンピングサーブは、速すぎて、レシーブされる確率は三割もなかった。そして、彼のレシーブ、小学生屈指と言われていたのである。もしも、自分のサーブを自分がレシーブするとしたら、何割で取れるかわからないが、あひる達よりは取れると思っていた。ブロックは、不得意だったが、それでも、全国大会で通用するクラスだったのである。
しかしながら、両親は「これぐらいのレベルでは駄目」「やるのなら一流の一流でなければ意味がない」と言った。そして、専属としてついてほしい、とプロの選手にお願いし、指導を依頼してしまったのである。レイは、いけないと皮肉にも思う。バレーはただの趣味。厳しい練習に打ち込まされた。思っていた通り、少しずつバレーを楽しむ心を潰されていく。プロに指導を依頼された、二か月後、バレーで全く楽しめないらしい。レイが七歳の時の出来事と同じで、愛犬が亡くなっての気持ちと瓜二つなのは仕方がない。崩れそうになったのだ。
あひる達は楽しそうにバレーをし、もちろん笑うこともあるというのに、もう自分はそれさえ出来ないに違いない。あひる達にも抱えているものはあるとは知っていた。
レイにはテレビのフレームが見える。
僕も、あひる達も、テレビの中にいて、抜け出すことができないのだと思った。
でも、あひる達は、生き生きとした派手な色がついた現代のテレビ画面の中にいて、賑わいを見せているよう。それに比べ、僕はモノトーンだ。ずっと昔のテレビ画面の中にいて、寂しくしている。僕だけ、違う場所に放り込まれている。
レイはそう思った。
結局、バレーは辞めた。そして、サッカーをやり始める。両親が、また、専属としてプロの選手に指導を依頼した。何かが違う、と思ってしまう。サッカー、将棋、そして、囲碁。両親がプロの選手に指導を依頼していく度、次々に辞めてしまったのだ。元々どれも、レイは、一流の一流なんて目指していなかった。ただ単純に、楽しみたいだけ。もちろんだった。レイはあひるに憧れたのは楽しみたいという一心からである。誰かに、特別視されても苦痛でしかなかった。平凡な能力の中の、安定を求めたいと思ったのである。
小学六年生の秋、その心をレイは言う事にした。
木の扉を、先頭の父が開ける。店内に入っていき、母、レイと続く。らっしゃいと、野太い声がし、檜の匂いが鼻腔をくすぐってきた。店内の、左、声がした方、カウンター席の中に、青い割烹着を着た二人の寿司職人がいる。一人がこちらを見ていて、一人が寿司を握っている。カウンター席に、一人、客が座っていた。手前と奥に、一つずつ配置されている、濃い茶色をしている木製の四角いテーブル席二つには誰も座っていない。店内の奥では寿司職人と同じ青い割烹着を着た給仕の女性が立っている。その彼女よりも、奥まった場所では脱靴場があったが、ここからはよく見えない。
脱靴場の段差を上がった、先には、廊下が存在していて、襖戸の三部屋の座敷が設けられているのを記憶している。よくそこに客が集中している。
父と母が扉の手前のテーブル席に着くのが見えた。珍しい。座敷に座る事が多いのにと、思う。両親は上座に並んで座っており、レイは下座に着いた。給仕がお茶を運んできて、父が、お任せ三人分と言う。わかりましたと、声が聞こえた。
給仕が離れると、レイは一流の一流の世界感で、苦悩していると熱心に両親へ訴える。
やがて、給仕が長皿に入っている寿司を三人分運んできた。テーブルに置かれた瞬間、レイは、十貫並ぶ色とりどりの寿司に一瞬視線を落とす。すぐに、両親の目を強く見て、言う。
「これから、僕はあひるを目指すよ。でも、上流のレベルのあひるを目指すから、心配しないで、ね」
両親が何も言わず静かに頷いた。意外である。と、思った矢先。
「あひるはないです」
母が言った。
「あひるはないな」
父も言った。
たぶん、さっきの頷き、二人とも突然の僕の言葉を一瞬では、呑み込む事が出来なかったんだろうなと思う。あひるを目指すなんて言われたら、そうなってもおかしくない。
長皿に置かれた寿司の中から穴子を、割り箸で掴んで、口に近づける。匂いがふわりとして、食欲がそそられた。口に入れて噛む。ふっくらとしたシャリとざらつく身が口の中でほどける。シャリの酸味と穴子の旨み、甘ダレの風味がした。また噛む。ゆっくりと何度も。いつもよりもやけに、シャリや穴子以上に甘ダレの味が舌に残るのは何故だろう。
小学校の教室の休み時間、レイははしゃいでいるクラスメート達を見て、思う。
僕は上流あひるになったが、みんなみたいに楽しめない。
白鳥になる筈だった僕が、上流あひるの楽しみ方を知るのは難しいのかも。
レイは席を立って、窓に近づいていった。窓際から運動場を見下ろす。一面に散らばって遊んでいるあひる達に視線を巡らせる。
執筆の狙い
興味ひく導入部ですかね?
遠慮なく、いろいろご指導してくださいね。