雨と私と男たち
「新郎新婦のご入場です」
明るいアナウンスと流れ出す結婚行進曲。そして温かな拍手。絞られたスポットライトを浴びながら新郎新婦が扉の向こうから現れた。
テーブル席に座っていた奈美(なみ)は機械的な拍手を出しながらドラマや映画のワンシーンと同じだと思った。新郎である進也(しんや)の幸せそうな顔を一点に留め、奈美は見ていた。
幸福な顔。今日の主人公であると充分に分かる顔だった。隣にいる新婦も幸せそうに豊かにはにかんでいた。初めて見た進也の妻となる女性。見ているだけで素朴でおっとりとした感じであることが分かった。
素敵な花婿と花嫁、綺麗過ぎてぐちゃぐちゃに手折りたくなる、壊したくなる衝動を奈美は意識した。
新婦の綾香(あやか)はきっと知らないでいるだろう。夫の進也はつい二ヶ月前まで私と関係を持っていたことを。
今日主役の二人は三年半付き合っていたと先ほど誰かが話していた。その半年の間、浮気されていたとは知らなくても良い。この先も知ることなく幸せな結婚生活を送って欲しいとぼんやりと願う。
私を結婚式に招待した進也の神経は信じられなかった。それにわざわざ参加した私も同類なのだろうが。
「結婚するからもうこの関係は止めよう」
進也はそう電話で告げた。
「分かった。幸せにね」
すがることも食いつくこともしなかった。いつかは終わるだろうと思っていた関係なのは分かっていた。二週に一度会っていた関係はいとも簡単に切れた。体の気持ち良さしか求めていなかった肉体関係は色褪せていたことも重なり、あっけなく進也と私の関係は終わった。
正直に言えば、私たちは付き合っていたとは言えないだろう。進也は私のことをセフレとしか思っていなかった。進也に彼女がいることを知っていて関係を続けていたのだから、分かってはいた。ずるずると体だけの関係を続けても彼女になれないと分かっていたのに、その手軽な関係を続けてしまった。好きではあったが、愛しているかと聞かれれば回答に悩んでしまう。
だから関係の終わりを言い出されても傷つかなかった。気に入っていた服を惜しみながらも仕方ないと捨てる気持ちと同じだった。
驚いたのはその電話の後に結婚式の招待状を送ってきたことだ。別れを言われた時より何倍も動揺した。
すぐに電話で真意を尋ねた。
「いや、参加する権利が奈美にもあるかなと思って。半年間はセフレだったわけだし」
「そんな権利ないでしょ。彼女がいるのに私とヤッてたのよ。その女を普通呼ぶ?」
「来たくなかったら、無理に来なくて良いから」
悪びれもなく軽く言うと、電話は切られた。これが悪いことだとも、何が問題なのかも分かっていない様子だった。素直なのかバカなのか。
迷ったけれど参加を決めた。最後の最後にその無神経の顔を見て終わりにしようと思った。
その無神経の顔も今、充分に見れた。進也はこちらに気づく様子もなく、席に座るとスクリーンに流れ出した映像を見始めていた。
周りを見回し、誰もが二人の幸福を願っていることを見て取った。
奈美の知り合いは誰もいなかった。式場の人たちを見回してる中で、一人の男性に奈美は目を留めた。
濃紺のスーツに身を包んだ二十代後半の男性。新郎新婦、どちらかの知人なのだろうが目についたのはその顔つきが他の人と変わっていたからだった。
幸せそうな人を見る目ではなく、無機質な眼。少し退屈そうで陰りのある顔だと奈美は思った。視線は二人へとじっと向けられていた。自身と同じような目線、哀愁を持っている目線だと奈美は感じた。新婦を見ているなと、察した。
好きだったのか、元カノか。もしくは自分と同じ部類の関係を持っていたのかもしれないと奈美はぼんやり考え、同じ憐憫を持つ想いも察した。
新婦の母親からの手紙の朗読が始まり、入院していた際の父親の思い出話、病院通いの話に新婦が涙ぐんできたところで、奈美は席を立った。見るものも見たしこれ以上見るものはないなと、手洗いに寄り奈美はフロントへと向かった。
親族の用事が出来たと言い、預けていたハンドバッグと傘を受け取る。
引き出物を渡そうとしたスタッフに奈美は首を振った。
「後で直接渡してくれると言ってたので」
適当な嘘を言い、受け取る気がさらさらなかった引き出物を断り、外へ出た。
来る時には降っていなかった雨が降り出していた。午後はずっと雨との予報だったので傘を持ってきて正解だった。誰か雨男か雨女でも参加者にいたのだろう。
茶色の傘を広げ、霞色のワンピースが雨に濡れないようにしながら奈美は駅方面へとおもむろに歩き出した。
進也と花嫁の幸福な顔を見るだけに包んだ祝儀の三万円。その価値はあっただろうかと考えながら歩いていた奈美は、前方の高架下に居る人に目を留めた。
その人は雨が当たった箇所をハンカチで軽く拭いていた。傘を持っておらず走って高架下まで来たのだろう。
濃紺のスーツを拭いていたのは、じっと新婦を見ていたあの男性であった。
私より背が高かった進也、その進也よりも更に少しだけ背丈があった。
線が細く感じるがスポーティーな体つきで、横から見てもスーツ姿が似合っている。
彼も披露宴を途中で抜け出したのだろう。やはり自身と同じ部類かと、同様に抜け出してきたことに共感と親近感を奈美は湧かせた。
こちらに気づかないでいる男へと奈美は声を掛けた。
「元恋人を結婚式に呼ぶ人の心理ってなんだと思う?」
男は振り向き、訝しんだ顔を向けた。
「あなた、さっきまで式場にいたでしょ。あなたが席にいたのを見たから」
「……そうだけど」
向けられた顔は少し日に焼けた色をしており、わずかに濡れたウェーブがかった髪が顔立ちの良さを色っぽく引き出していた。
こちらの素性を知り、相手の警戒心は薄れたようだったが、態度はぶっきらぼうだった。
「あんたは? 最後まで出なくて良いのか?」
奈美は傘を閉じ水滴を飛ばしながら口を開いた。
「見たかったものは見れたから。あなたもそうなんじゃない? 新婦を見つめてたから。彼女の元カレ? そんな感じに見えたけど」
「さあね。あんたは?」
男はわざとらしく肩をすくめ余裕を持って答えた。
「新郎のセフレ。まあセフレだった、と言った方が正しいけど。結婚するから別れたの。なのに招待状を送ってきたから腹いせってわけじゃないけど……怖いものみたさで参加してたの」
「……何だ。俺と同じか」
目の前の相手は小さく笑った。乾いた自嘲気味の笑いが正解を示すものだと奈美は悟った。
「やっぱりそうなんだ。で、彼女の元カレ?」
「違う、セフレだったよ。同じく結婚を機に別れた。その人が好きでその人とは結婚するんだって、友人相手みたいに、ヤッた後によく話してた」
「彼から奪おうと思わなかったの?」
「そんな関係、別に俺は望んでないし。セフレの関係が一番合ってたな」
「私もそう。余計な気を使わずに互いに体だけの関係だった。で、なのに式に参加したんだ。修羅場でも起こすつもりだった?」
「まさか。招待状が来たから。相手がどんな姿か見てみたかったから来たけど、もう飽きたから帰るとこ」
「私もあなたも物好きね。というかあの花嫁も浮気してたんだ、意外。……案外あの二人、似た者同士の似合いの夫婦なのかものね。お互いに隠れて別の人と遊んでたんだから」
虫も殺さないという言葉が似合う、善良なおっとりとした顔だったのに。彼女も進也と付き合っているのに他の男と寝てたとは。
花嫁の裏の顔を知り奈美は微笑した。
「で、あんたはそのセフレとはどれくらい付き合ってた?」
「半年くらいね。あなたは?」
「一年くらいだな。ヤるだけヤッてすぐ解散してた」
まあ、あの新婚夫婦だけじゃなく、私たちも似た者同士か。元カノや元カレの関係ですらなく、ただの下半身だけの関係。
奈美は目の前の男と話す中で、自身の欲望が徐々に滲み出すのを意識した。
もしこの人に組み伏せられるように、覆い被せられたらどうなるだろうかと、奈美は夢想した。包むのではなく押しつけるようなセックス。そういう投げやりなセックスが似合いそうな人だった。
「何ならこれから飲みに行かない? 進也と結婚した綾香さんがどんな人だったか色々と聞いてみたいし」
ニッコリと奈美は笑った。
本当は相手の話なんてどうでも良かった。進也との関係が終わった今、興味ない。ただ、あわよくば進也の彼女とセックスしたことがある相手に抱かれてみたくなった。
男は少し考えるように戸惑いを見せたが、無表情のまま頷いた。
「なら飲みじゃなくてさ、ホテル行かない? あんたも同じ気持ちだろう、どうせ。誰でも良いから知らない奴としたいんじゃない?」
奈美は直接的に誘われたことに驚き、目を見開いた。
「俺はそうだよ。今から誰かとヤりに行こうと思ってたところだし。面倒な駆け引きはいらないだろ」
彼は車道へと寄り、走る車からタクシーを探した。
奈美が答えないでいることを気にもせず男はタクシーを止めた。
「したくないなら、別にいいけど?」
奈美は男の顔を一瞥し、無言のままタクシーの後部座席へと乗り込んだ。
「近くのラブホまで」
乗り込み、ドアが閉まると彼はそれだけを運転手に告げた。
運転手と目を合わせないよう、奈美は横の窓へと目を向けた。
走行していく中で、窓についた雨粒は横へと流れて行った。毛細血管のように見えていた光景は徐々に変わり、うごめく気色悪い透明なウジ虫を彷彿させたが、奈美は目を離すことが出来ず静かにそれを見続けた。
「あなたの名前って?」
ホテルの部屋に入り、二人だけの空間になったところで奈美は口を開いた。
「ミナト。あんたは?」
「奈美。いくつ?」
「三十二」
相手は三つ年上だった。進也は二十八、綾香は確か二十七だった。
「私は二十九。年上なんだ」
「俺のことってさ、知ってたりした? 聞いたことってある?」
興味ないのか、ミナトは素っ気なく話題を変えた。
奈美は傘を立てかけ、靴を脱ぎながら首を振った。
「ない、知らないわね。私のことは聞いてた?」
「いや、聞いたことない」
「彼女のことを進也が話題にする時はあっても、彼女が浮気してるなんて話はなかったわね。ま、お互い浮気されてるなんて思ってなかったんじゃない? 自分が浮気してても相手はしてないって思うっていうか、信じたいんじゃない」
「だろうな」
ミナトはジャケットを脱ぐと椅子にかけ、ワイシャツも脱ぎ、上半身をあらわにさせた。体も顔と同じように薄く日焼けした色を見せた。
ミナトはバスルームへと視線を向けた。
「先にシャワー入る?」
「いい。私はヤッた後に入るから。シャワーどうぞ」
「いや、俺もいい」
似ている。進也もそうだった。私と同じように、した後に体を洗っていた。
奈美は進也と会っていた頃のことを思い出し、そしてある考えをひらめかせた。
「ねえ。思ったことがあるんだけど……言って良い?」
霞色のワンピースを脱ぎ、下着姿となった奈美は後ろに結んでいた髪を解きながら言った。
「何?」
「これからするセックスなんだけど、お互いに相手を重ねながらしない?」
奈美は自身の薄青いブラジャーの前で、人差し指をミナトと自分へと交互に向けた。
「え?」
「私は進也をあなたに重ねるから、あなたは綾香さんのことを私へ重ねる。お互い、いつもの相手としている時と同じようにセックスするの」
ミナトは靴下とスラックスも脱ぎ終え、下着姿になると奈美に近づいた。
「いい趣味してるな」
「別に普段からそんなことしてるわけじゃないから。そうした方がお互い、相手を忘れられる気がしない? 最後のセックスってことで」
「……ああ、別にいいよ。あんたは進也に抱かれてる時と同じようにして、俺はいつもと同じようにあんたを抱けば良いんだろ」
薄暗りのオレンジ色の中、ミナトは奈美を見下ろしながら頷いた。
ミナトが奈美の肩に触れると同時に奈美は静かに目を閉じた。進也の顔を思い浮かべ、目の前にいる相手が進也であることを思った。
ミナトはどうか分からないが、少なくとも私は忘れられるだろう。互いに元恋人を重ねながらセックスをする。我ながら陰湿な人間だろうか。
いや、恋人ではなくセフレだと奈美は自笑した。
進也よりも重くわずかに長い体。薄暗い中でもいつもと違うことが分かった。細身ではない締まった体が筋肉を主張していた。
ミナトに乗られながら目を薄っすらと開き、奈美は見上げた。相手の顔は無表情だった。薄汚い欲望も背徳感も感じられない。
日焼けした肌。進也の肌が替えたばかりの電球の色ならば、目の前にある肌は替えてから五年くらい経った色味を連想させた。新鮮さはないけど、どこか落ち着いた馴染んだ印象を思わせた。
二の腕へと奈美は手をゆっくりと這わせた。
進也の肌は柔らかく、焼き立てのパンのようだった。けれど目の前の腕は似ているけれども違うと、如実に実感させられた。
奈美はまた目を閉じ、ミナトに体をゆだねた。
曲げられ、広げられ、丸められ、折られる身体。こねられて押しつけられる。自分が生地のようになるこの感覚が好きだった。
私ではなく物になる行為と感覚。嫌なことも面倒なことも全て忘れられる瞬間だった。
横にされ、上になったり、下になったり、裏返しにされる。そして、膝を立て四つんばいになる。
進也が好きだった体位。身体の記憶が進也を思い出していく。
「――進也」
小さく声を漏らした。ミナトがその声を聞き取ったかは分からないが、動きは強くなった。
「進也、進也っ」
声に出し、続いて言葉にならない声を漏らす。
嬌声を出しながら奈美は息を吐き出す。ノリ良くやれていた頃のセックスの感じと同じだった。今この瞬間、後ろにいる男に進也を感じていた。
湿った声に進也との記憶を奈美が乗せ続けている中で、ミナトは奈美の後ろ首を右手で掴んだ。
懐かしい。進也も後ろから攻めている時に後ろ首を掴んでいた。一抹の気持ち良さと鈍い痛み。そして、その後は……。
ミナトは奈美の後ろ首へと舌を這わせた。
――そう。そうだ。
進也も掴んだ後にうなじから首筋を舐めていた。同じ、同じだ。進也と同じようにミナトも舐めている。
自分が綾香になった気がした。
溢れ出る激情と情欲の波が一気に体内を駆け巡り、渦巻く。肺から熱い喘ぎを絞り出しながら快楽しかないセックスにすがった。何も考えず、ただただ快楽に従いながら進也のことだけを奈美は意識し続けた。
穿たれながらミナトが果てるまで奈美は浮かべ続けた。後ろにいる男が、タキシード姿の進也であると――。
セックスを終え、シャワーを浴びながら思考が鮮明になっていくことを奈美は意識した。掴まれ、舐められていた首に触れ、力を込めた。
「……同じだった」
後ろ首を右手で掴み、そしてその後ろ首を舐める行為。進也と全く同じだった。偶然などではなく同じ癖(くせ)だった。
ミナトは私を抱きながら綾香を重ねていた。つまりそれはあの行為が私と進也だけの行為じゃなく、ミナトと綾香もやっていた行為なのだ。
あの行為はミナトが発祥だったのだろうか。ミナトが綾香にして、綾香がねだって進也が覚えた。そして進也は私とする時に同じように掴んで舐めた。
もしくは綾香が発祥で進也とミナトに望んでさせていたのだろうか。
どちらにしろそれが今日、私とミナトの間で行われたことに不思議な繋がりがあることを奈美は意識せずにいられなかった。
「因果なものね」
ブラジャーとショーツだけを身に着け、浴室から戻るとミナトは窓近くの換気扇の下で加熱式タバコを吸っていた。
下着だけを着て、スマホもいじらず虚空をぼんやりと見ながら煙を吐き出していた。
わずかに聞こえてくる外の音から雨はまだ止んでいないだろうことが分かった。
奈美は椅子に座り背もたれへと大きく背を預けた。オレンジ色の明かりだけが灯る薄暗りの中、ミナトのほうに顔を向けた。
「私に彼女を重ねられた? 私は進也を充分に思い浮かべられたけど」
「少しはな」
素っ気なく一言だけの回答。
「首を掴んで舐めるさっきの行為、進也も同じようにしてた」
ミナトは奈美へと顔を向けた。無関心っぽい顔だったが、その顔には少しの興味を滲ませていた。
「あれって先に始めたのは誰なんだろう。私は違うから、進也か綾香さんかあなたよね、きっと」
「同じことされてたんだ。進也に」
「ええ、よくしてたわ」
奈美は答えてすぐにミナトの言葉に違和感を覚えた。口にした進也の名前が親近感を持った言い方だったからだ。
「進也のこと、知ってるの? 知らないって言ってたけど」
「セックスしてる時にしてたその行為、俺から覚えたんだろ。俺が進也によくしてたから」
「は?」
聞き間違いと思った。何て言った? 進也にしてた?
目を開き驚いた顔を見せて固まる奈美を見ながら、ミナトはタバコを咥え煙をゆっくりと吐いた。
「誤解してるようだけど、同じって言ったのはさ、お互い進也のセフレ同士だったてことがだよ。俺は彼女のセフレじゃなくて進也のセフレ。花嫁とは会ったことないさ、だから今日見に来た」
「それ本気で言ってるの?」
「ああ、本当。進也もさっきのあんたと同じように俺の下で啼いてたよ。あんたみたいな金切り声じゃなくてさ、もっと性欲を駆き立たせて疼かせるような声だったけど」
「何それ……」
ミナトの告白に奈美は困惑の表情を浮かべた。
進也が男とセックスしてた? それも女性側として、しかもその相手がさっきセックスした男?
頭の中で自分を含めた四人の人間関係を浮かべ、奈美は結びつけた。
事態を理解していくにつれ、奈美は鼻で笑いを漏らした。
「……笑える。進也、二股どころか三股してたんだ。しかもその内の一人は男で、あなたっていう」
「ああ、お互い相手から進也の欠片を。名残を感じられたな」
「本当、笑っちゃう」
奈美はクスクスと呆れた乾いた笑い声を出した。
どいつもこいつも歪んだ欲望を持っていることが可笑しかった。
かすかに聞こえていた雨音は、得体のしれない生き物の嘲笑のような声となって奈美には聞こえていた。
(終)
執筆の狙い
花婿×性関係。約7,600字。
体の関係があった新郎を見るため披露宴に参加した奈美。披露宴で自分と同じように新婦を見に来たであろう男性に奈美は気づく……。
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