疑惑のヒロエン
いよいよ最終審査だ。国際テレビが某放送局に対抗して打ち出した朝の連続ドラマのヒロインを新人から一般公募で決める為に開いたオーディションだ。
全国から三万人もの応募の中から一人を選ぶ。大半は書類審査で落とされるが、その最初の書類審査で篩(ふる)い落とされるのが九十九%、まずここが最初の難問である。その中で三百名が面接試験を受ける。またその中から三十名に絞り、最終審査に残ったのは十人、その中で私のライバルは長田早苗。最後にグリンプリ、準グランプリとなり敗れた方は補欠として補佐役として残る。私は幼い時から俳優養成学校に入り演技にも容姿にも自信があった。
自分に自信があろうとなかろうと、選ぶのは放送局の審査員の評価がどう捉えるかだ。
前回の演技披露も審査員からは、お褒めの言葉を貰った。一方の彼女、長田早苗は特に演技に関しては美人だがまったくの素人だった。新鮮味を除けば私の優位は動き難い筈だ。
そして総ての審査は終了した。私たちは最終発表が終わるまで同じ控え室で待った。
「ねえ、下田陽子さんだっけ? もし貴女が選ばれたらどうするの?」
どうするって、その為にお互い努力してここまで来たのじゃないの。選ばれる以外に考えてないわ。貴女だってそのつもりでしょ。あとは運命が待っているだけよ」
「私は違うわ。別に選ばれなければそれでもいいの、ここまで残れた事に満足しいるわ」
「ふ〜ん欲がないのね。私は幼い頃から遊ぶのも制限されて親から半強制的に俳優養成学校に通って来たの、それが今日の集大成よ。だから絶対に……」
私の話を聞いていた早苗は、少し呆れ顔で私の顔を見ていた。かなり思いつめて見えたのだろうか。その点、早苗はリラックスそのものだ。早苗にとっては運試しみたいなものだろう。
私は違う三歳から高校三年生まで十五年も女優になる為に努力して来たのだ。負けられない。軽い気持ちで応募してヒロインの座を取られたのでは、私の努力はどうなるの? 二人の会話は途切れたままだ。あまりにも考え方が違う為、これ以上は話し意味がない。
控え室に局の係り員が入って来た。私は緊張が頂点に達した。だが早苗はニッコリ笑い席を立った。私とは大違いだ。何故か彼女が勝者で私が敗者のようだった。
「お待たせ致しました。審査の結果は、今から行われる生放送の中で発表します。ではスタジオに案内します。どうぞ」
私はスタジオに入る通路に設けられてある大きな鏡を見た。自分の顔が接着剤で固められたかのようにガチガチだ。私はこれではいけないと大きく深呼吸をした。
鏡に映った自分の顔を見る。切れ長な眼、日本人にして高い鼻、面長な顔は緊張のせいかやや青白く見える。気持ちを入れ替えて自分の頬を軽く叩いた。深呼吸して係員に着いて行く。
スダシオに入る直前な簡単なメークチェックして貰い小型のマイクを付けて貰った。そのスタジオには三百人程度の一般視聴者が席に座り、その前にテレビで見かける有名なアナウンサーがスタジオの会場を盛り上げていた。
そして午後八時、二時間のワイド番組を組んだ最終審査が行われる。
すでに八名は最後の二人に残れなかった。予想通り私と、長田早苗が残った。
三分間のコマシャーシャルが終り、司会者が興奮気味に番組を盛り上げる。
「さあ皆様、この秋から放送される国際テレビの目玉番組として朝の連続ドラマのヒロインがいよいよ発表されます。三万人の中から最後まで残った、お二方を紹介します。下田陽子さんと長田早苗さん。どうぞお入りください」
会場から大きな拍手、そして男女の司会者が笑顔で迎えてくれた。その中央に足を運び私たちの両側に司会者が並んだ。私は緊張しながらも、精一杯の笑顔を作り出した。そして審査員代表から司会者に一通の封筒が手渡された。
「お待たせ致しました。封筒の中に下田陽子さんか長田早苗さんの名前が書かれております。それでは、いよいよ発表です」
スタジオの灯りが落ちて、私たち二人にサーチライトが当てられクローズアップされる。ファンファーレのような音楽がけたたましく鳴り一層場内を盛り上げる。
「朝の連続ドラマ(七色の瞳)のヒロインは……長田早苗さ〜〜〜ん!!」
周りの歓声が響く中、天井からは、くす球が割れて紙吹雪が舞い降りる。感極まって早苗は眼を手で覆い大きな瞳からは、大粒の涙が零れ落ちた。それと正反対に私は目の前が真っ白になり、まるで時間が止まったように自分の身体が凍りつくような錯覚に陥った。
それでも最後の気力を振り絞って、早苗に祝福の手を差し伸べる自分がいた。
(どうして……私が選ばれなかったの?)心の中で自分に問いかけた。
テレビでよく見る清純派の女優が早苗にグランプリの王冠を被せる儀式が行われていた。それから三十分後、番組が終了して、私が落ちた理由を聞きたくて審査員に問いかけた。
「落ちた理由かね? それは容姿や演技力は君の方が上だった。しかしこの役には君の場合、全体的に表情がきついよね。今回のヒロインは素朴さと純粋さが必要なのだよ。まあそういうことだ。君ならまた機会があるよ。じゃあ」
そう言って審査員は笑って、呆然としている私を残して歩き去った。
(そんな事ってあるの、私に純粋さがなく表情がきついだって……)
私は化粧室に駆け込んだ。また鏡を見る。確かに性格的には強気の処がある。それが表に出るのは仕方がないこと。それなら最初から最終選考に残すなと化粧室で鏡を思ってきり叩いた。ビシッと鏡にヒビが入った。手を引くと拳から皮膚が少し破けて血が滲んでいた。怒りが込み上げてくる。悔しい早苗がどうして選ばれて私が落ちたの。世の中が間違っている……。
それから一週間後、私は長年通っていた俳優養成学校を辞めた。もちろん今回のショックが大きく、流石に親も反対する事はなかった。幼い頃から夢見てきた女優への道が絶たれた。
今回のオーディションを区切りに、キッパリと諦めようとしていた。特に母は私の思い入れが強く、落胆の表情が切ない。その母が看護士婦長で長年病院に勤めて、私の為に高い俳優学校の費用を作り出してくれた。それから人が変わったように沈み込むようになった。
そんな母の表情が一変したのは数日後の事だった。
その日の早朝の事。まだ朝の六時というのに、母の興奮した声に起こされた。
「陽子! 陽子たいへん。早くテレビを見て御覧なさいよ」
「なによ……まだ六時じゃないの。こんな朝から何があると言うの。お父さん会社をクビになったとでもいうの??」
「なにを馬鹿な、お父さんは出世こそすれ解雇される訳がないでしょ。それよりこの人、貴女のライバルだった長田早苗さんじゃないの。昨日の深夜に変死体で発見されたって」
「え!! ……彼女がどうして?」
テレビの画面では興奮したレポーターが、現場からマイクを片手に事件のあったと思われるマンションを指差して状況を説明していた。
画面が切り替わり国際テレビのスタジオが映し出され、アナウンサーが言った。
「当テレビ局が秋の目玉番組として期待されて居た主演予定の長田早苗さんが亡くなったのは真に残念であります。改めてお悔やみを申し上げます」
するとスタジオに居るゲストのタレントが言った。それを私は喰い入るように見ていた。
「本当に残念ですね。すると朝の連ドラの主人公はどうなるのですか?」
「さあ今は突然でなんとも言えませんが……準グランプリの方が有力じゃないでしょうか」
呆然としている私の肩を母が揺さぶった。
「名前こそ出なかったけど、準グランプリと言ったら陽子の事よねぇ」
「そっ、そりゃあそうかも知れないけど……」
「そうよね。人の不幸を喜んではいけないわよね」
母は失言に少し恥じたが、それでも我が子に再びチャンスが訪れた事には変わりはない。
その翌日だった。国際テレビから早速呼び出しがかかった。
私の担当にあたったのは連続ドラマ担当のディレクターだった。
名前は矢崎といった。口髭が似合う四十代前半だろうか長身で痩せ型の男だ。
矢崎は私の資料を手に小会議室で待っていた。その資料によると陽子の性格は少し勝気で明るいが自信過剰気味で、やや情が薄い感じがあると記されていたらしい。矢崎はたぶん満面の笑みを浮かべて入ってくるかと思っていただろう。処が笑顔どころか何故か浮かぬ顔をしている私を見て、怪訝な表情を浮かべる。
「やあ下田さん。不幸中の幸いといったら語弊があるが今度の連ドラのヒロインは君に決まったよ。おめでとう」
「ハイ……ありがとう御座います。でも正直あまり喜べないですね」
矢崎は少し驚いた。他人の不幸よりも自分のツキを喜ぶとばかり思っていたようだ。
「そうか。しかし局としては長田さんには同情するが、番組制作は伸ばせないからね。でも私も安心したよ。君の悲しそうな表情が今回のヒロインにピッタリだ。正直ね、君の強気な感じが今回の役にどうかと少し心配していたのだ。今の君の表情なら十分いけるよ」
それから間もなく番組制作スタッフ達と今後のスケジュールについて話し合われた。撮影に入る前の一週間、台本を手渡されイメージ作りをして置くようにと言われた。
現在私は八王子郊外の実家に住んでいるが、極力テレビ局に近い場所に移るように局から要請があり、なんとテレビ局側の方でワンルームマンションを提供してくれた。これもスターへ証となるのだろうか。この連ドラが終了した頃には少なくとも自分の顔が世間に知れ渡っていることだろう。
そう考えると長年の夢が適い嬉しくて堪らないはずなのだが、ところが自分でも想像出来ないような、ひとつの憂鬱が芽生えていた。
その原因は長田早苗の死が引っ掛かっていたからだ。局が提供してくれた青山のマンションに移ってから三日目の事だった。家族とテレビ局員の数人しか知らないはずのマンションに誰かが訪ねて来た。
セキリティーが万全のマンションで心配ないがインターホンに出るとエントランスに見知らぬ男が映っていた。
「ハイどちら様でしょうか?」
「ああ申し訳ありません下田陽子さんですね。鎌倉東署の者ですが。長田早苗さんの事で少しお訊きしたい事がありまして」
私は予期しない出来事に一瞬動揺を覚えたが、ここで拒めば疑われると反応的にエントランスホールの解除キーを押した。
カシャリと音がして大きなガラス製の自動ドアが開いた。
再び部屋の前のチャイムが鳴った。もう確認する必要がない。ゆっくりとドアを開けた。
二人の刑事は警察手帳をかざして身分を明かした。一人は中年でもう一人は、二十代後半位の精悍な顔をした男だ。二人の言葉は柔らかく控えめだが、その作り笑いは似合わなかった。
「お寛ぎの処、申し訳ありません。早速ですが長田さんと貴女とは最後までオーディションを争った仲ですよね。そしてヒロインに選ばれた長田さんが亡くなられた事をどう思われますか」
「どう思われると言われても……驚きとショックを感じましたが」
「なるほどね。しかしそのお蔭で貴女にチャンスが生まれた。その喜びはありませんか?」
「待ってください。いったい何を仰りたいのですか」
「長田早苗さんは変死としてマスコミに流されていますが。実際は工作を加えた殺人です」
私はやっと刑事達の目的が分かった。私が疑われていると。
「彼女は鎌倉に一人住まいでね、何かの薬を飲んで、あるいは飲まされた。それが原因みたいなのですが、当然自殺なんて考えられません。明るい未来が保証されていますからね。すると、やはり他殺しか考えられないのです」
「ちょっと! もしかして私を疑っているのですか。確かに彼女が亡くなって得するのは私ですが。それだけの動機でそんな恐ろしい事をする訳がないじゃないですか。第一彼女の住んでいる場所さえ知らないのですよ」
「まぁまぁ落ち着いて下さい。これは長田さんと関係のある方を一応お聞きしているだけですから、そう興奮しないでください」
「じゃあテレビ局の方達にも聞いているのですか? これじゃあイメージダウンで役を降ろされるかも知れないわ。もちろん長田さんの事はショックで、本当に私で良いのかなと少し気落ちしている処でした。でもディレクターに励まされて頑張る気になっていた所なのに」
「いやご心配なく。一応関係者全員に聞いているだけですから、本当にご心配なく」
言葉ではそう言いながら、お前がやったのだろうと云う、眼つきをして帰って行った。
刑事が帰ったあと、私はある疑惑が浮かんだ。
じゃあ誰がなんの為に早苗さんを殺したのだろう? それも毒薬か、或いはそれに近い薬? 早苗さんが死んで得をする者? 今の時点では私しか考えられない。疑われるのも無理がない。しかし私はそんな事をしていない。
ハッとある人物が浮かんだ。それは母だ。母は幼い頃から私が女優になる事を夢見ていた。動機はある。そして母は看護士婦長、母なら簡単に薬を手に入れる事が出来る。まさか! そんな事がある筈がない……。
そんな心配と裏腹に番組制作は進んでいる。今は台本を覚えるのに忙しい。来週はいよいよクランクアップされる。合間をみて母に何度か電話で遠まわしに探りを入れてみたが、母は普段とまったく変わらない様子が伺える。母じゃないと信じたい。しかしどうしも疑惑が残る。
そして翌日の事だ。突然ディレクターから「番組そのものも三ヵ月延期になったよ」と通告された。数日前、テレビ局に刑事が来たらしい。疑惑の残る私を、このまま主演で出したら局のダメージは計り知れない。もしかしたら私が降ろされる。そんな不安が過った。テレビ局も世論が気になり状況をみてから主役に疑惑があれば使うは出来ない。早苗の死はテレビ局を混乱させた。
こんな事になるなら私は女優なんかどうでも良い。私の為に母が犯罪者になるなんて……こうなったら潔く自分が辞退しようとかさえ思った。急に私の出番がなくなり休みが出来た。私は家に帰って母にハッキリと問いただそうと決めた。そして疑惑を母にぶつけた。
「お母さん……信じているけど心に引っかかっていることがあるの。早苗さんに何かした?」
「なにを馬鹿な事を言っているの? 確かに考えて見れば条件が揃っているわね。看護師だから薬を手に入れるのは容易い、でもお母さんはそんな馬鹿じゃないわ。そんな事をしたらいつかは分かるに決まっているわ。もしもよ、旨く行ったとして貴女がスターとなったしても、私は心から喜べる訳がないでしょう。一生ドキドキしながら生きて行くなんて真っ平よ」
「ご免……お母さん。ちょっとでも疑った私を許して。でも本当に良かった」
私はホッとして、母の胸で泣き出してしまった。
母の言い分はもっともだ。母の疑惑が晴れてホッとしたが、周りがどう思うか心配だ。だが事態は急変した。
それから三日後の事だ。犯人は逮捕された。その犯人は予想もしない相手だった。長田早苗の恋人で薬剤師だった。早苗に恋人がいることさえ驚きだ。しかし犯行理由は彼女がスターになったら、別れる事を恐れての犯行だった。清純派で売り出しには、恋人が居ては妨げになると長田早苗から別れ話を持つ出したのが原因であった。男はそれが許せなかった。それが理由で犯行に至ったとの事だった。
「あの純情そのものだった早苗さんが……」
私は絶句するしかなかった。落ちても後悔しないと言っていたのに、あれは嘘だったのか? 私は強気な性格でストレートだけど、心の中を隠し事ははしない。結果的に損する事も多いが。それが私の生き方……。
犯人が逮捕されたことを受けテレビ局は記者会見をした。
長田早苗さんは気の毒だけど局しては三ヵ月遅れでありますが(七色の瞳)を予定通り下田陽子さん主演で放送いたしますと発表された。
元主役の殺人事件で話題を呼んだ作品はダメージが残るかと思ったら逆に受けて注目されるドラマとなり(七色の瞳)は予想以上の視聴率を稼ぎ、私はスターダムに伸し上がった。グランプリから落選し更に殺人の容疑者にされながらスターの座を掴んだ。世の中なにが起きるか分からない。
数少ない休みの日。私は長田早苗の、墓の前に立っていた。
「早苗さん貴女がもう少し彼に思い遣りの言葉を掛けてあげれば、貴女はこの座に座って居たのよ。でも貴女がライバルだった事を誇りに思うわ。でも私が貴女と同じ立場に居たら……でもそれは考えられないわ。母は私に男友達を作る事さえ厳しく注意されたもの。女優になる以上、恋愛は当分封印するわ。それが、私が女優で生きる道の、宿命かも知れないわ」
了
執筆の狙い
全国から三万人もの応募者の中から一人を選ぶ、朝の連続ドラマのヒロインを新人から一般公募で決める為に開いたオーディションに最後の二人が残った。勝った方が主役となる。下田陽子と長田早苗との決戦で早苗がグランプリに選ばれたが、それから暫くして早苗は変死(毒殺の疑い)した。他殺と決めた警察は陽子を疑え始めた。理由は明白、早苗が居なくなれば陽子が主役に抜擢されるからだ。