作家でごはん!鍛練場
えんがわ

桜色のマリオネット遣い

 上野の桜には、しとしと雨が降っていた。傘はいらない優しい雨が。埼玉在住の僕は、花見ならと、お上りさんよろしく東京は上野へ渡ったのだった。
 微妙な天気で平日。空いているかなという予想は大きく外れ、混雑していた。あれは十年前か、僕が精神的に病になる、ぶっちゃけ統合失調症と診断される前のことだったから、随分前になる。春の浮かれ気分で休日の上野に行った。そしたら大渋滞で花というよりも人に酔った。とにかく足元が気になるような混雑で、上を観ること自体、無理ゲーだったのだ。
 それに比べればだいぶ緩和されているが、それでも人の群れと言って良い群衆だ。前と比べて外国人が多いのは同じだが、以前は中国人主体だったのに比べ、白人、ムスリム(頭を覆うケープなど衣装で判断した)、黒人、アジア人とバラエティが増していた。オーバーツーリズムをはじめ、なにかと問題になる外国人観光客だが、僕個人としてはせっかく日本に来たのだから目一杯楽しんで欲しいと思う。こんなに良い場所のこんなに良い時期は他にないだろうから。桜は誰のためにでもなく咲くのだから。
 その桜は満開。流石上野。地味に沢山の桜が植わっている。真っ白な花びらがあると思いきや、薄ピンクのものや、薄桃のもの、ピンクそのものまであった。そしてそれらの樹にこれ見よがしに品種を指し示す表札がないのも流石東京といったところだ。お洒落だ。埼玉ならでかでかと解説するはず。
 日本人は海外でカメラを持ち歩くイメージがあるそうだが、流石「桜パワー」だ。海外の人も日本の人も携帯でパシャパシャとっている。観るとみんな心なしお洒落をしている。流石東京。というか普段着の自分がどうかしている。高そうな豪華絢爛な着物を着ている韓国人や、民族衣装を身にまとっているアラブ系の女性。フランクなジーンズ姿なのに、似たような姿の自分とお洒落パワーが決定的に異なるオランダ人っぽい青年。彼女連れだった。そうやって周りの人や桜を見て、和む自分が少し可笑しく思える。頭の可笑しい自分は、こういう場だとパニック的に心が落ち着かないはずなのに、春の陽気にやられたのか、淡い雨に安らぎの機能があるのか、凄くフラットに世界が見えている気がした。気がしているだけだろうけど。
 花見と言えば、屋台だ。上野にはでっかい屋台の集まりがあった。色んなものが売っている。全国各々から東京へ、金を目当てに色んなものが集まる。僕も食を目当てに集まる。焼きそば、焼き鳥はもちろん、ケバブやさいころステーキまである。シュウマイまである。中でも目に留まったのが飛騨牛の串焼き1200円なり。きっとアルゼンチン牛なんだろうとわかっていながら、陽気に任せて買ってしまった。薄紅の桜の空気の中、喰い歩きをする串焼きはほどよくジューシーでほどよくスパイシーで、肉汁まであり、美味しかった。あなどれん。沖縄の揚げ菓子サーターアンダギーまであった。懐かしい。地元の駅の近くに「がちまやー」という沖縄食堂があった時、お土産に良く買った。懐かしさと、「揚げたてだよ」という殺し文句からつい買ってしまった。ドーナツのようなそれよりもサクサクとした食感の小麦粉の塊は、本当に素晴らしい日々を思い出させるものだった。あの食堂のおじいちゃん、まだ健在かな?
 色とりどりの桜。色とりどりの群衆。桜色の空気。美味しいごはん。
 歩いているとバイオリンの音が聞こえてきた。誰か演奏しているのかなと人だかりを観たら、ドイツ人かフランス人のようなおじさんが、マリオネットを操っていた。マリオネットは幼児ほどの大きなサイズのもので、その片手にはバイオリンがあり、もう片方の手で弦を弾いている。バイオリンを弾くマリオネット。その弦の動きは匠に曲とシンクロしていた。子供が観たらきっと錯覚するだろう。自分も最初、そんな錯覚に襲われていた。そしてバイオリンの音は録音されているものと分別してしまう大人の判断に、少し苦い思いすらした。それほど桜の下で、バイオリンを弾くマリオネットはその表情さえも観る人によっては浮かぶような、ある種のコミカルさ、それは美しさと言ってもいいような、ものを備えていたのだ。集まった外国人、日本人みなから拍手を讃えられ、わずかながらのおひねりをいただいた、外国人のマリオネット遣いは「リクエストありますかー、なんでも弾きますよー、ディズニー、クラシック」なんて呼びかけている。でもシャイな日本人は受け答えが悪い。きまずい顔をして去っていく人が殆どだ。観ると自分と目が合った。
「桜どうですかー? 美女と野獣はー?」
 つい、声が出てしまった。
「桜でしょう。この時期は」
 するとマリオネット遣いはスマホを操作する。妙な近代的な前時代的な芸だなと思っていると、森山直太朗の「さくら」が響いた。あの咲き誇る歌だ。原曲の侘しさを隠し味にひたすら陽気に、時には顔芸すらしながら、マリオネット遣いは弦を繰る。顔芸とは、曲の切れ間に、決めポーズをしてドヤ顔をして静止するのだ。きっと写真タイムを意識した、大道芸で鍛えられた技なのだろう。軽い笑いが起きた。
 そんなマリオネット遣いに別れを告げ、桜並木を歩いていく。この桜とももう今年は会えないのだろう。それどころかまた前のように十年単位で会えないかもしれない。僕の不安定な精神がもうそれを許さなくなるかもしれない。満開の桜。小学校に入学したときも大学に入学したときも咲き誇っていた気がする。そしてもうあの時は帰ってこないことも、知っている。当時も知っていたようでその本当の意味するところ、通り過ぎて本当に自分のものでないような遠いもの、想い出になっていくことを知らなかった。あの大道芸のマリオネットとも、もう会えないのかな。そんなことを思うと、道を引き返していた。
 マリオネットの人形遣いは、やはりあの場所でバイオリンを弾いていた。そしてリクエストを集う。目の前に幼児がいて彼女から聞きだすのに必死で、でも相手は頑なに答えようとしていないようだった。僕は桜を撮影するためだったビデオカメラを取り出す。つい声が出た。いや、出したくて出した声だ。
「レットイットビーは?」
 マリオネット遣いは振り向いた。
「レットイットビー」
 たまらない恥ずかしさを乗り越えて繰り返す。
「レットイットビー?」
 マリオネット遣いは尋ねる。
 僕は答える。
 マリオネット遣いはたどたどしく演出した恐らく上手な日本語で幼い女の子に向かって言う。
「(ごめんね)今、おにいさんがレットイットビーを欲しいから、いいですか?」
「おねがいしまーす」
 スマホで曲を入力しながら
「彼(マリオネット君)は何でもできる。彼は天才だから」
 思わず、
「天才」
 と相づちを打ってしまった。彼の他の演奏を見ている自分の心からの相づちだった。
https://www.youtube.com/watch?v=cz8ET49j2-k
 マリオネット遣いは深くおじぎをすると、曲に合わせてマリオネットを繰り始めた。手のひらを地面に水平にして上下することで、タキシードを着たマリオネットはバイオリンを軽やかに繰る。口ひげがチャーミングだ。流石ビートルズ、流石レットイットビーといったところか。サビに合わせて周りの外国人が「let it be」と口ずさむ。その空間には桜とバイオリンを通して、しがらみのない一つの空間があったような気がする。少なくとも自分はそう楽しんだ。「あるがままに」自分の「let it be」への思い入れやエピソードはあるが、それはここで語るほどの意味のないものとなった。きっとこの曲を想う時、この場面が真っ先に浮かぶ。ありがとう、陽気なマリオネット遣い。ありがとう、上野の桜。

桜色のマリオネット遣い

執筆の狙い

作者 えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

作中にも引きましたが、上野のマリオネット遣いの動画はこれでした。ありがとうございました。
https://www.youtube.com/watch?v=cz8ET49j2-k

コメント

中小路昌宏
softbank060106066238.bbtec.net

 読みました。

 私の地方は桜は少し遅れて2~3日前ぐらいが満開だったのですが、昨日の雨で、もうほとんど葉桜になってしまいました。
 ほんのしばらくの間ですが、山でも川でも、近所の公園でも、満開の桜を見られて、心が和みました。

 これはえんがわさんが、実際に、このマリオネット遣いを、上野公園で見かけて描いたのですね。
 動画も楽しく見せて頂きました。
 何でもないようにサラーッと書いていますが、こういう描写のセンスはさすがだと思います。私ではこんな風景に出会っても、作品に仕上げることはとても難しいと思います。
  
 次作も期待しています。

アン・カルネ
KD059132061069.au-net.ne.jp

動画みました。マリオネット遣い、良いですね。
上野、ほんとお花見の時期は凄いですよね。
不忍池のところの桜も誰もいない時に行くとちょっと幻想的なんですよね。

情景が思い浮かぶような文章でした。
良かったです。

小次郎
182-165-169-65f1.hyg1.eonet.ne.jp

導入部、その他。
情報の重複見られます。
情報が重複すると、没入しにくいです。
導入部だと、雨。
という情報の重複。

作品全体としては。
視覚ばっかりではないでしょうか?
視覚、聴覚、嗅覚、触感、味覚。
書けるとこいっぱいあると思うんですが。
五感のない文は、説明文。
小説では、五感が書かれた文章、描写も必要ではないでしょうか?

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>中小路昌宏さん

自分の近所はぎりぎり桜もってるけど、そろそろ限界かな。見納めだー。
普通だったら、単なる花見で文章化する面白味もなさそうですが、楽しい出会いがありました。

同じ季節を共有できるというのは、素敵なことですよね。
桜の話は恋愛に絡むことが多いんですが、そうならないところが自分ですー。わびしー。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>アンカルネさん

上野、人一杯でしたー。
外国人の方が日本人よりも多かったかも。
はじめて夜桜も観たのですが、よかったですなーん。
でも近所の穴場の公園で缶コーヒー片手に一人ぼーっと花見を見てる方が贅沢かもねん。

自分の人生経験なんて、ほどほどで良いんじゃないすかなとか思うんだ。
感動的な人生なんて元から送ってないでしょ。
だからほどよく「よかった」というお言葉は、ほんとに助けになるというかありがたいなー。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>小次郎さん
うーん、そっか、伝わらなかったか。うーん、これは自分の表現が独り善がりで伝わらない。
オナニーになってしまったと反省しないとね。


最初の部分は、反復と取って欲しいんだけどな。意識的に使ったんだけどまずいかしら。

>上野の桜には、しとしと雨が降っていた。傘はいらない優しい雨が。

たとえば、この表現には肌に当たる「しとしと」という雨の触覚? 感覚?
春の雨の地肌に当たるちょっとしたやわい冷たさ? 温度?

そういうのを伝えたいんだよ。
でも、伝わらないんだよね。
それは自分の表現が足りないということなんだよね。

他に食べ物の描写とかくどいかなと思うほど入れたんですけど、味覚が伝わらないというのは、本当に自分の力不足です。

聴覚だって、バイオリン、let it be。反則かもしれないけど、動画との合わせ技で伝わらない? 伝わらないかー?

伝わらない。
苦しい。

もう言い訳は止めよう。

受け止めよう。

>五感のない文は、説明文。

この評価が全て。がんばろう。

身が引き締まるお言葉、ありがとうございます。

小次郎
182-165-169-65f1.hyg1.eonet.ne.jp

反復表現でしたか。
反復表現利点もありますけど、あまりプロの作品で見ないですね。
使い方が、難しいから?
だと思いますよ。
反復表現は、強調したり、リズム感生み出したり、効果はあると思いますよ。
でも、稚拙だと思われる場合もあるので。
では、再訪問失礼いたしました。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>小次郎さん

プロの作品で見る見ないとか自分には、よくわからないです。
でも詩をはじめ一般的な技巧だと思うのですが。
稚拙だと思われても感情が乗りやすい表現なので自分は好きですよ。

自分が反復をはじめ表現が下手なのが、そもそもの問題みたいです。
がんばります。

生意気な発言に腹を立てず、わざわざ再訪していただいて、ありがたいです。
ありがとうございます。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

あーもうすっきりしよう。

単純な反復ともちょっと違うな。

ちょっとググって調べてみた。
冒頭の文は倒置法と文章を二つに切るという方法を使ってますね。

1上野の桜には、しとしと雨が降っていた。傘はいらない優しい雨が。


2上野の桜には、傘はいらない優しい雨がしとしと降っていた。

これがテクニックを使う前の一文と言ったら一文です。

たぶん、小次郎さんはこういう2の文章の方がスマートに見えて好きなのかな?

でも自分は1の文章の方が好きなのよ。
最初の雨が上野の桜にかかっているとして。傘はいらない優しい雨の方は、そこにいる雨にふれている自分にかかっているのね。
そういうのが好きなの。

うーん、オナニーだなー、ごめんなさい。

2上野の桜には、傘はいらない優しい雨がしとしと降っていた。

こっちの方が良いっすか? 他の方のご意見も聞きたいな。

小次郎
182-165-169-65f1.hyg1.eonet.ne.jp

あの、オナニーとは言わなくてもよいと思いますけど?
文章は、確かに、好みってありますよね。
1か2だけなら、2です、僕は。
でも、3も4も、もっとあるわけですよね。手数は多い方が有利です。
ところで。
3考えてみました。
上野の桜には、雨が降っていた。傘を差さなくても良いほどの優しさで。

決して、3が最適解とは言うつもりはないですよ。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>小次郎さん

ごめんなさい。
なんかオナニーとかなんかそういう単語ごめんなさい。下品ですよね。必要以上にへりくだった表現を使ってしまうのは、悪い癖だよなー。
もっと普通にコミュニケーションしないとね。

なるほど。
2の方が確かに好みだなって気がしたんです。

でもでも、3の案、自分、好きですよ。
なんかいい感じに元の意図を汲みながら推敲されてる感じがします。
自分はストレートに思いついた1じゃないと、やっぱりなんか作為が混じるかなという気がして抵抗があるのですが。
単純に表現として、3はいいです。好きです。
こういう表現、思いつきたいです。

変な2択問題的な取捨選択を迫ってしまい、すいません。
自分の視野が狭いことを発見し、それ以上に表現は自由なのだなと心が動きました。
小次郎さんは優しい人ですね。
ありがとうございます。

西山鷹志
softbank126077101161.bbtec.net

拝読いたしました。

上野の桜ですか、三年前に行きました。
この頃はまだコロナで規制されていたせか花見客も少なかったです。
上野近辺は私が幼い頃は戦争で負傷した元兵士の方がバイオリンを弾いていました。
勿論今では代わりに大道芸人の人がパフォーマンで賑わせています。
もかしたらマリオネット遣いが居たかも知れませんね。

この小説を読んで、その光景が浮かぶようです。
季節に合わせた小説は和みます。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>西山鷹志さん

上野には大道芸人いっぱいいますよね。
売れなさそうなストリートマジシャンとか、なんか子供とたわむれながら手品やってて笑ってしまいました。

元兵士の方のバイオリン。
自分には遠い世界です。でも、なんかうらぶれたような、もの悲しいような、でも希望のような風情を感じます。

これからいっぱいいっぱい色んなところ行って色んな体験して色んな文章書きたいな。

自分は最近短編ばっか書いているけど、その代わり時事ネタを拾える小回りは少し身につけたようです。

まいどありがとです。西山さん。ゆっくりね。

ヘツポツ斎(=佐藤)
133-149-194-131.east.xps.vectant.ne.jp

わーい、冒頭文議論だ。ぼくもまぜてください!

>上野の桜には、しとしと雨が降っていた。傘はいらない優しい雨が。

個人的な性癖としてはこれ、後半部を

>傘のいらない、優しい雨が。

にできると自分の性癖にマッチする感じでした! つまりどこまでも自分の好みの話です。

さて。

作品の枠組みとしては、かなり「統合失調症」に重心が寄っているのを感じます。そうした心の病を経て世界が「おかしな見え方をした」からこその、あらためてそこに広がる世界の「見え方」が鮮烈となる。やや話はメタとなりますがえんがわ様の描出が、何気ないものを愛おしそうに表現される理由がわかった気がします。「当たり前に見える」ことの貴重さ、重要さが裏に込められている感じだったのですね。

動画も見ました。気のいいおっちゃんでしたね! イタリア系なのかな。ああいった芸を道端で披露する、が、いまの日本だとどんどん難しくなっていますし、貴重なものを見せてもらったな、と言う気分でした。ありがとうございます。

青井水脈
softbank036241174121.bbtec.net

私も読ませていただいていました。
いざ感想となるとちょっと難しい、ラストで演奏するシーンの情景、光景が良かったという感想ではありきたりな気がしていました。改めて、いつまでも記憶に残るシーンでしょうね。

冒頭一文について、ですが。

>反復表現は、強調したり、リズム感生み出したり、効果はあると思いますよ。 でも、稚拙だと思われる場合もあるので。

>上野の桜には、しとしと雨が降っていた。傘はいらない優しい雨が。
こちら、作中の原文のままで。

>ありがとう、上野の桜。
↓このあと
しとしと降る雨は上がっていた、傘は必要なかった一日だった。

強調とは違うかもしれませんが、ラスト1行に繋ぐ、持ってくるとか。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>ヘツポツ斎(=佐藤)さん

>傘のいらない、優しい雨が。
こちらの方が滑らかに発音できるというか、スムーズな感じー。
あまり飾らない表現をする自分なのですが、やはり冒頭は大切なのだと実感しました。

病については軽く触れて、対比に使おうと思っていたのですが、文章全体のエクスキューズになってしまったのならそれは自分が幼い証拠なのだろうなと思います。

おじちゃん楽しそうでした。
後で見たら雨が本降りになる夜までずっと同じ場所で演奏しててね、楽しくなきゃ出来ないよなぁ、大変だなぁとか。
なんの変哲もない桜の動画を撮る予定が、こういうのに接せられたのはラッキーでしたー。
人との縁は大切にしたいな。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>青井水脈さん

>ラストで演奏するシーンの情景

自分にとっては想い出に残るシーンでしたー。
こういうの、もっと綺麗な表現で描ける文章力があればなって思うのですけど。
あまり自分はドラマチックな表現は使えないのですが、それでも心が動くシーンを共有できるように書きたいなぁ。

>しとしと降る雨は上がっていた、傘は必要なかった一日だった。
>強調とは違うかもしれませんが、ラスト1行に繋ぐ、持ってくるとか。

冒頭と終わりを繋げるのは、構造としても綺麗な形ですよね。
自分が冒頭で雨を強調したのは「薄くかかるような雨が風情があるなぁ、そういう桜色の雨の感じを全体的な空気として最初に伝えたいなぁ」みたいな感じの思いだったんでしょうけど、なんか困難とか気分とかを反映したものとして、最後に雨上がりを描くというのは綺麗な終わり方だと思います。

ただ実際の天気は夜の方で雨足が強くなってしまったのです。はは。

上松 煌
M106073145001.v4.enabler.ne.jp

えんがわさん、こんばんは

 感想返しに来ましたよ。
あなたの作品には毎回多くの感想がつくので、今更、おれのレスも必要ないでしょうが、ちょっと一言w

【桜色のマリオネット遣い】
     ↑
 とてもロマンティックな題名ですね。
ふんわりとした優しさが漂う、女性らしい視点の物語かな? と想像しました。
ところが案にはからんや、男性視点で文章が固く、しょっぱなからイメージが違う。
そして理屈っぽい。
さらに「お上りさん」という表現や「日本人は海外でカメラを持ち歩くイメージ」など、もろ昭和。
もちろん、明治でも大正でも昭和でも時代は問わないのですが、作者の意図は令和の物語ですよね?

 視点も本文にはあまり関係のない観光客の人種や屋台の記述が目立ち、桜も出てくるけど景観の美しさやそれを愛でる本人の心模様の記述もなく、説明文ばっか。
わざわざ、上野公園まで桜を見に行ったというお話なのに「楽しく華やいだ」気分になれないのね。
読者は題名から受ける心浮き立つような桜の描写を期待してしまうから、かなりちぐはぐ。
掌編の中にいろんな要素を盛り込みすぎて視点が分散し、肝心の【何を訴えたいか】が曖昧のまま話が進んでいく、典型的なオモロくないお話になってしまっている。

 これではもったいないです。
あなたは他人の作品は見事に読める人なのだから、自分が最も書きたいこと、読者に共感してもらいたいことに神経を凝縮させ、描写や表現を集中・集約させれば、今以上にステキなお話が書けると思いますよ。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

>上松 煌さん

ありがとうございます。
感想返し、ありがたいな。それも付託を入れないのはほんとありがたい。

>さらに「お上りさん」という表現や「日本人は海外でカメラを持ち歩くイメージ」など、もろ昭和。
>もちろん、明治でも大正でも昭和でも時代は問わないのですが、作者の意図は令和の物語ですよね?

自分は40代半ばなので感性は古くなっていると思うんです。でも、無理に若作りをするつもりはないなぁ。
けれど、そもそも、なんかセンスが悪いという印象を与えているようなので、そこは自分の感性を磨かないといけないところですよね。


>掌編の中にいろんな要素を盛り込みすぎて視点が分散し、肝心の【何を訴えたいか】が曖昧のまま話が進んでいく、典型的なオモロくないお話になってしまっている。

あー。くぅ。この言葉は痛いですねー。
たぶん自分の文章の癖ってそこなんだと思うんだよな。主張したいことを前面に出さないので、そういう面白味はないですよね。
ストーリードリブンでもないと思う。

上松さんの作品にしばらく感想を書かなかったのは、自分の望む文章と上松さんの望む文章の間にギャップがあり過ぎて、あんまりお互いにいい影響を与えないだろうなぁと思ってしまい。なんとなく億劫に。
でも、最近、変わりたいなと思っているので、しばらく上松さんの作品にも感想を書き続けたいので、「アドバイスを聞いてくれないがんこなやつ」という印象をお受けになるでしょうが、よろしくお願いします。

ヘツポツ斎(=佐藤)
sp1-73-144-175.smd01.spmode.ne.jp

すみません、再訪です。
エクスキューズと感じさせてしまったのは本意ではなかったので。

今回自分が抱いたのは、もう少し広範な範囲、「えんがわ作品全般にあるみずみずしい視覚表現」についての由来を教えていただけた、と言う雑感でした。

過去に「見えづらかった」ご体験があったからこそ、「見えている」ことへの喜びが視覚表現に出ておられるのだろう、と感じたのです。

なので、こうした感覚は自分くらいしか覚えないだろうとは思います。以上、一般的感覚からは外れているだろう、ということだけお伝えしたく参上しました。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

再訪、ありがとです。
自分はそれほど作家性のある人ではないと思うんですが、そう思われたならそういう部分もあるのかな。
なんつーかかんつーか、自分の作風を理解して読んでくれる人なんて、世の中に滅多にいないと思うので、
ここでの交流は貴重なものとして大切にしていきたいな。

ありがとでしたーん。

夜の雨
ai194190.d.west.v6connect.net

えんがわさん「桜色のマリオネット遣い」読みました。

えんがわさんが、東京の上野へ桜を見に行ったところ、外国人が多かったというところから話が始まり、大道芸人が「操り人形」で曲を募集していた。
子供がリクエストに時間がかかっていたので、えんがわさんがビートルズの「let it be」をお願いした。
「let it be」には、思い出があった。
それは「なすがままに」というような歌詞で、人生を生きるという事にもつながる。

というような内容かなと。

漠然としたものは伝わってきましたが。
結局は「なすがままに」人生を過ごしたいというような意味ですかね。
ただ、時間と時代に、そして人に流されて……。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

夜の雨さん

わー。なんか身内に不幸があったのかな。最近姿を見かけないので心配してたんですよ。
ありがとーねー。いつもコメントくれて。

自分のlet it beの想い出とかね、こう具体的にくっきりと語ろうとすれば語ろうとするほど、嘘っぽいというか、なんか見世物にしてしまう感じがして、言葉の外に秘めたのですが。
そのため漠然とした感じになってしまいました。
漠然と感じていただいた中に、余韻とか余白の味わいがあれば嬉しいんですけど。

>結局は「なすがままに」人生を過ごしたいというような意味ですかね。
>ただ、時間と時代に、そして人に流されて……。

夜の雨さんのこういう詩的な表現好きですよ。このコメントを引き出せて、今回の文章を書いた意味はあるのかなとほんのり気分が上がりました。ありがとうございます。

しまるこ
133.106.253.68

私だったら、どうも自然というよりは人工的で、地面のコンクリートが景観を妨げるなぁとか、木々の隙間が開き過ぎていてハリボテに見えるとか、大都市の公園を歩いていると、リフレッシュするどころかむしろ退廃的なものを見せられているようで疲れてきてしまうところはありますが。作中の動画を見ても、外国人が日本に来てがんばってらぁ。楽しく生活できているかな? お金は大丈夫かな? とか、いらん想像を働かせてしまうというか、そっちの方が最初に頭に入ってきてしまいます。まぁ、私の話ですが。この作品と、動画とで、こうも見え方が異なってくるもんだなぁと思いましたね。作家性があるとしたら、この詩人の目でしょうか。純粋にこんなふうに楽しんでくれる人がいたら、とても平和だと思います。だからですかね。じっさいの公園や、挙げられた動画よりは、えんがわさんが書いた作品の方が好きかな。

えんがわ
M014008022192.v4.enabler.ne.jp

しまるこさん

ありがとうです。
現実を書こうとしても、それは「自分が観た」現実になってしまう。
逆を言うと、自分のレンズを通して現実を書くからこそ、他にはない価値がある。
そんなこと思いました。
そんなこんなで、自分のレンズから見える世界を好ましく思ってくれるのは、ほんとありがたいっす。

ありがとう。

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です。

テクニカルサポート

3,000字以内