イヤな番号
心身の疲れは風呂で癒すに限る。夕方、仕事帰りにいつもの銭湯へ寄った。
はきものを下足箱に入れてかぎをかける。券売機で入湯券を買う。下足箱のキーと一緒に受付カウンターへ出す。引き換えに脱衣所ロッカーのキーをもらう。そんな仕組みになっている。
受付は女性が務めている。昨日から小太りのおばさんが担当する。新人らしい。観音像のような微笑を常に浮かべている。
カウンターの向こう、壁にはタバコ一箱分くらいの格子で仕切りが設けてある。そこに脱衣所のロッカー番号が割り振られている。おばさんはオレに背を向けて格子を見渡す。ロッカーの使用分布や客が入ってからの時間などを考えているのだろう。小さくうなずいてロッカーキーを一つ抜き取る。オレに手渡した。
リストバンドつきのロッカーキーには49と数字がある。
(何だよ、いやな番号だな)
いい若いもんがゲンを担ぐのかと言われるかもしれない。気になるのだからしかたない。下足箱は自分で選べる。いつも77番に入れる。空いてなければ55番。そこもだめなら33番……。奇数のゾロ目と決めている。
下足箱の番号を見ればこだわりに気づきそうなものだろう。前の受付係は心得ていてちゃんとゾロ目をあてがってくれた。「いつものね」と。この新人はまったく気が利かない。
気が利かないのはロッカー番号だけではなかった。脱衣所へ入ってロッカーへ。ロッカーは一列五段。49番は下から二段目になる。背の高いオレにはまことに使いづらい。見ると最上段46番の扉が開いている。腰の曲がったじいさんがその扉の下でステテコを脱ぎ始めている。どうやら来たばかりとみえる。じいさんが49番の前をふさいでいる。思わず小さく舌打ちした。
「あいや、すまんね兄ちゃん」
じいさんはあわてて左へ二歩ずれた。体をかがめてオレはロッカーを開けた。
脱いだステテコをじいさんは自分のロッカーに入れようとした。ロッカーは厳しい高さにある。じいさんはバスケットのシュートを打つように丸めたステテコを放った。シュートは外れた。しゃがんだオレの前に落ちた。
オレはステテコを拾い上げた。46番へポンと収めてやった。
「ありがとう。すまんね」
オレを見あげてじいさんは礼を言った。顔に見覚えがあった。
(あれ? 昨日もたしか)
昨日はオレが服を脱ぎかけたところにじいさんが入ってきた。列は今日と違うもののロッカーの位置関係も同じ。じいさんも気づいたらしい。
「奇遇だねえ」
「ほんとですね」
「なあ兄ちゃん、すし職人か?」
急にじいさんが訊いた。
「え、なんで分かったんですか?」
「やっぱりな。昨日も今日も酢飯の匂いがするから、もしかしてと思ったんだ」
じいさんは鼻をくんくんさせてみせた。
「つっても、職人なんて立派なもんじゃないです。回転寿司でシャリ担当しているだけで」
「なんだ、一人前のすし屋めざしてんじゃないのかい?」
「そんな夢も……。でも、オレなんて」
「ちょっと手、見せてごらん」
オレは言われるままに右手を差し出した。
「いい手だ。指が太くてぶあつい、こういうグローブみたいな手じゃないとダメなんだ、いい寿司握るには。おまけに兄ちゃんの手は、ひんやりしてる。手が冷たくないと、ネタがすぐなれちゃうしな。お前さん、寿司屋に向いてるよ、百人、いや千人に一人だな、まちがいなく」
「はあ……」
「どうだい、兄ちゃんさえよかったら、わしの店で修行してみないかい?」
「え、あなたは?」
聞いて驚いた。山本六兵衛。オレでも名前を知っている。伝説の寿司職人、「山六鮨」の店主ではないか。たしか弟子を取らない主義と聞いている。どういう風の吹き回しだろう。とにかく断る理由などあるはずがない。
それにしてもただの偶然とは思えない。受付のあのおばさんは霊感の持ち主、占い師か何かだったのだろうか。本人に確かめなくてはと思っているうちに銭湯の受付に人はいなくなった。AI導入で自動化された。脱衣所のロッカーは合理的に割り当てられる。他の客に煩わされることはなくなった。
湯船のじいさん――大将は味気ないと今日もぶつぶつ言っている。
執筆の狙い
「鍛錬投稿者」にはものものしい響きが。難しいことはわかりません。