閲覧者
> ……この帝国では地図の作成技術が完成の極に達し、そのため一州の地図は一市全域をおおい、帝国全土の地図は一州全体をおおうほどに大きなものになった。しばらくするとこの膨大な地図でもまだ不完全だと考えられ、地図学院は帝国と同じ大きさで、一点一点が正確に照応しあう帝国地図を作りあげた。その後、人々は次第に地図学の研究に関心をもたなくなり、この巨大な地図は厄介者扱いをされるようになる。不敬にも、地図は野ざらしにされ、太陽と雨の餌食となった。西部の砂漠では、ぼろぼろになって獣や乞食の仮のねぐらと化した地図の断片がいまでも見つかることがある。このほかにかつての地図学のありようを偲ばせるものは、国じゅうに一つとしてない。
> スアレス・ミランダ『賢者の旅』(レリダ、一六五八年)四巻十四章」より
> ——J. L. ボルヘス
- 盛夏の日差しと熊蝉の経が降りしきる宅地の街路。クリーニング店、休診日の歯科医、無人の児童公園をすぎた先、交差点の角に三階建てのマンションが建っており、正面入口が開放されている。白いALC材質の外壁は真新しく、こちら側に六部屋分のベランダが面している。三階右側のベランダには白いシーツ、紺の無地のバスタオル、掛け布団カバーと思われるカーキ色の布が干され、ゆるやかに揺れている。入口をくぐった先、三階までの階段はよく清掃されており泥一つ付いていない。階段を上りきってすぐ左側に玄関ドアがあり、鍵は開いている。
- 玄関の中は空調で冷やされた空気に満たされている。紺色のスニーカーが二足並んでいるが、家の奥から物音は聞こえない。向かって右側の壁一面が収納扉になっている。
- 収納扉を開けると、下部が靴入れに、上部が棚に分かれている。靴入れに黒い革靴と茶色い革靴が置かれている。棚には折りたたみ傘、キャメルレザーのショルダーバッグ、革製品用クリーム、木工用クリーム、これらクリームを塗布するのに使われたとおぼしい汚れた白布、白いパナマ帽、冬物のブラウンのハットが収められている。
- 廊下は真っ白いクロスの壁とごく薄いグレイのフローリングになっている。白い巾木の上にはうっすらと埃が積もっている。廊下の向かって右側に洗面所の入口があり、その奥に浴室への扉がある。洗面台上部前面の鏡は三列に縦割りされた収納スペースになっている。
- 鏡扉を開くと、右側にドライヤー、マウスウォッシュ、コンタクト洗浄液。中央に整髪剤、カミソリ、化粧品。左側に電動シェーバー、バリカンが納められている。
- 洗面所入口の脇にトイレの扉があり、奥から換気扇の低音がもれ出ている。
- 引き戸のレール上に体重を掛けるとギシギシと音が鳴る。トイレ室内に足を踏み入れると換気扇の低音が壁に吸収され、かえって静かに感じられる。
- 洗面所とトイレの廊下を挟んで反対側に扉があり、内から鍵がかかっている。取っ手の上に黒いスキャナーがあり、アクセスチップで解錠する仕組みになっている。
- ドアの向こう側から終始平坦な調子の女性の声が聞こえるが、音がくぐもっており内容までは聞き取れない。
- 廊下奥のドアはリビングにつながっている。リビングスペースに入ってすぐ左手の壁にインターホンの操作機器が設置されており、お知らせランプが灯ったままになっている。天井付近に設置された空調設備からかすかな駆動音が聞こえてくる。ドアから入って右手側にカウンターキッチンが設けられ、キッチンスペースは白いタイル壁になっている。隅に置かれた冷蔵庫の扉が若干開いている。
- 扉の隙間から色とりどりの缶ビール、パッケージにアルファベットが印字された数個のチーズ、ラベルのない炭酸水のボトル十数本が垣間見える。
- カウンターキッチンの前にリビングスペース、正面にベランダへの掃き出し窓がある。リビングスペースの中心にはウォルナットのローシェルフとライトブラウン(おそらく牛皮製)の二人がけソファが背中合わせに配置されている。シェルフにはウイスキー、ジン、ラムなどの酒瓶が四〇本ほど並べられ、シェルフの上に形が異なる数個のクリスタルグラス、ジガー、バースプーンと金属削り出しのデキャンタが置かれている。シェルフは掃き出し窓に背を向けており、日光が入らないようになっている。
- シェルフは正方形の枠の二段組み三列で構成されている。たとえば左上の枠には、GLENDULLAN 2029 Lady of the Glen、BLAIR ATHOR 2027 A. D. Rattray ‐DAILUAINE 2037 SIGNATORY Vintage ‐ CRAIGELLACHIE 2039 ARTIST COLLECTIVE ‐ GLENTAUCHERS Klaxton’s 2030 Warehouse No.1 ‐ KINGSBARNS 2032 BOUTIQUE-Y WHISKY COMPANY ‐ MILTONDUFF 2024 CÁRN MÓR、という八本のボトルが並べられている。
- ソファと掃き出し窓との間に丸いオリーブ色のカーペットが敷かれ、上にウォルナットとスチールで組まれたローテーブルが置かれている。テーブル上には空調設備のリモコン、三本のアロマオイルとオイルバーナー、コースターが一つ置かれ、それらのまん中に二〇ページほどの紙の冊子が開かれたままになっている。
- 冊子にはこうある「本製品を使用する前に、以下の安全指示を読み、すべての安全注意事項に従ってください。
- 本製品を使用する前に本ユーザーマニュアルをお読みください。
- 本ユーザーマニュアルを保存してください。
- 本ユーザーマニュアルの説明に従わないすべての操作は、使用者や本製品に悪影響を与える恐れがあります。
- 《警告》
- 有資格の技術者のみが本製品を分解することができます。
- 当社が提供したアダプターのみを使用してください。他のアダプターを使用すると、感電や火災を起こすか、または本製品に損傷を与える恐れがあります。
- 手が濡れているときは、電源コード、電源プラグ、アダプターに触れないでください。
- 頭部から首が濡れていたり多量の汗をかいているときは、絶対に電脳プラグを挿入しないでください。
- 電源コードおよび電脳ケーブルを折り曲げることや、重い物や鋭い物で本製品を圧すことをしないでください。
- 室内のみで使用できます。
- 湿気の多い環境、液体のある環境で本製品を使用しないでください。
- 工場認可バッテリーのみを使用してください。
- 【太字:本製品の使用後は、電脳プラグを取り外す前にかならずデバイスの取り出し手続きを行ってください。】不適切な方法による電脳プラグの着脱によりブレイン・マシン・インタフェースに直接および間接的に生じた如何なる問題、トラブル、損害に対して当社は一切の責任を負いかねます。
- 《製品の使用方法:ヘッドセットの着用》
- ヘッドセットを付ける前に、レンズから保護フィルムまたは紙カバーを剥がしてください。
- 調整ダイヤルを反時計回りに回してストラップを緩め、上部バンドの留め具を取り外します。
- ヘッドセットを目の方向に押して、ストラップを頭の後ろにスライドさせます。
- ヘッドセットがぴったり合うまで調整ダイヤルを時計回りに回し、留め具を上部バンドに再び取り付けます。
- 上部バンドから電脳ケーブルコネクタを伸ばし、ブレイン・マシン・インタフェースの挿入口に接続します。
- ヘッドセットの側面にあるテストボタンを押し、電脳コネクタが正しく接続されていることを確認してください。
- ヘッドセット着用後の操作方法は、オンラインマニュアルをご覧ください。
- 《技術仕様》
- プロセッサ:アドニス300XT
- 最大ディスク数:3
- マトリックスモード:JBOD/RAID
- リンク集約:有り
- トップスワップ対応:有り
- 重量:0・84キログラム
- 保証期間:24ヶ月」
- 掃き出し窓に向かって左手側は三枚の仕切り戸で区切られており、その先は書斎になっている。書斎は六畳ほどのスペースをもち、正面奥の壁に二メートルほどの横幅の机が置かれ、上方の小さな窓が遮光スクリーンで覆われている。右奥の壁にウォルナットのシェルフが置かれている。左右の壁には大小さまざまな絵画、写真、本のページの切れ端が、あるものは額に入れられ、あるものは鋲で留められ、あるものは壁に立てかけられ、ところせましと並んでいる。
- 黒田清輝《野辺》のポストカード、A4サイズの額にマネによる花瓶の静物画、舗装された歩道と車道の境界に茶色い革靴の片方が置かれている様子を上から撮った写真、『部屋で(鯱)』と題された超短編の紙片(作家不詳)、成人の身の丈ほどの額に収められたオディロン・ルドンの《グラン・ブーケ》、何らかの電子基板のものとおぼしいブループリント、パステルナークの詩の対訳が印刷されたA4紙、仮面、着物用衣紋掛けに瑠璃と白のモザイク模様に織られた浴衣。
- シェルフには紙の本がぎっしりと収められている。下段には画集や図鑑といった大型の本が、上段には小説が並んでいる。いずれの本もグラシン紙で包まれており、天面は茶色にくすんでいる。
- 右上の棚には、『顔のない女神』『記憶の図書館』『夜の淑女』『魔法数』『片足通行人』『寒帯』『キブルとスコップ』『向こう見ずな音符』『不安の書』『望遠鏡列車』『クローム・ナイト・ラブ』『電子昆虫の博物図鑑』『宇宙飛び地大全』『モルトウイスキー大全』といった本が収められている。
- 本棚の天板上に一冊の本が開かれたままにされている。表紙カバーが取り払われ、背には『地図集』とある。開かれたページにはこうある。
- 《ボルヘスは私たちに例の帝国と実寸大の地図の物語を語った。エーコは「縮尺一分の一の帝国地図製作の不可能性について」という文章で、このような全体地図製作の三つの仮説的方法を提示した上で、これらの方法は最終的には成立しないことを論証した。この三つの方法はそれぞれ以下のとおりである。一、帝国の上空に同じ大きさの半透明の地図を広げ、上から逐一半透明物質に真下の地形を描き込むこと。二、帝国の上空に同じ大きさの不透明の地図を掛け、下から垂直に地面の地理の細部を垂直投射すること。三、帝国の上空に透明で、通気性と通水性があり、折り曲げて調節でき、地面と逐一対応する地図を覆い被せること。実際に執行する際には、この三種の方法はそれら自体に克服できない技術的障害と融通が利かない論理的矛盾があることについては、エーコの文章が詳しく述べているので、ここでは省略したい。》
- 大きな机に椅子はなく、立ち仕事用の高さに調節されている。机の下に置かれた黒い直方体のマシンからファンの音がもれている。机上の中央には大きなモニタ、その両脇に縦置きモニタが壁から伸びるアームで固定されている。モニタのまわりにさまざまな小物が整然と置かれている。
- 中央に二台並んだキーボード、ポインティングデバイスは見当たらない、右側にノートパッド、木製トレイに入れられた六本のペン、そのうち三本は木軸の万年筆、五本のインクボトル。また別のトレイに丸眼鏡が二本と目薬、機械式腕時計。左側に小さな本立てがあり、四冊の本が立てられている。
- 『リシウム:ブレインシアター季刊誌』『意思と表象としての世界』『シナプス経路の再配線』『レトリック辞典』
- 机上のモニタ画面にはターミナルとテキストエディタが開かれており、ターミナルの最終行にはこのようにある。
- /Users/LaplacescherG/Documents/log/% emacs 1to1map.txt
- テキストエディタには黒地に白の明朝体で以下の文章が記されている。
- 《……作中作とは記号論的装置である。小説であれ映画であれ、作中において作中作そのものが存在することはできず、それは作中作の表現の一つに過ぎない。たとえば、ふつう作中において作中作の全文が提示されることはなく、描かれなかった部分は読者の内面において自動的に(最小離脱法則に従って)補間されるしかないのだが、その補間された部分は作中作そのものとは当然異なる。また仮に作中作の全文が作中に提示されたとしても、その文は作中の語りによって正とされた命題で構成された像に過ぎず、やはり作中作そのものとは異なる。現実世界にいる私たち読者は、作中の語りによって正とされた命題で構成された世界を現実世界と見做すルールに従っている(作者と読者が交わすこの甘やかな約束なくしてフィクションは成立しない)から作中作が存在しうると錯覚するが、真実、作中作は読者の現実世界において原理的に存在しえない記号論的装置に過ぎないのである。▼このように答えは知れているが、抜け道を探すことを諦めないのは自由だ。抜け道を探すには地図が必要で、だから記号論的装置の偉大な先達たる地図の、実現不可能とされた究極のありさま、すなわち縮尺一分の一の地図をここに広げてみたい。というのも、作中作そのものを存在させることは、縮尺一分の一の地図を制作することと論理的に等しいからである。縮尺一分の一の地図は必ずそれ自身の中にもう一つの縮尺一分の一の地図を内包するものであり、これは作の中に作があるという構造に対応している。▼ふつう地図には道行く人々、山をおおう木々、道に転がっている石ころなど描き込まれないが、それは縮尺によって圧縮された情報が限られた紙面上に表現しきれないからであって、実寸大の地図ともなれば現実世界と同等の詳細さが求められなければならない。そうでなければ、そもそも縮尺一分の一の地図など作る必要はないのだから。だがそうすると、地図の閲覧者が地図で自身の居住地を参照するとき、地図上のその場所には閲覧者自身が表現されていなければならない。そして地図上に表現された閲覧者は、当然そのとき縮尺一分の一の地図を閲覧していなければならない。この二人の閲覧者と二つの地図は、それぞれ互いに一致するのだろうか。さらにこのプロセスは、閲覧者が見ている地図の中の閲覧者が見ている地図の中の閲覧者が見ている地図の中の……と際限なく続くように思われる。こうやって鏡合わせのようになった地図の井戸を降りていくとして、その無限の落下に果てはあるのだろうか。自分自身を含まないすべての地図の集合たる地図の存在を仮定できればそこがこの無限の底となるが、残念なことにそのような性質を持つ集合は集合論の公理から棄却される。どうもこの無限性は、縮尺一分の一の地図の存在を完全に否定しているように見える。▼エーコが「地図は地図が参照する土地を意味し、その土地についての言及を可能にする能力を備えていなければならない」と公理立てたように、地図の本質は模倣ではない。土地の真相を反映することではなく、土地に対して想像力という力を行使することこそが地図の本質であり、地図とは人の想像力の居住地であるべきだ。それならば、実寸大の地図に対して私たちが行使すべき力とはなにか? それは、私たち自身が地図に住まうことに起因する力ではないだろうか。たとえば、私が実寸大の地図の中に立っていることを想像してみよう。先の議論から、私の前には私自身を含むもう一つの実寸大の地図が広がっていなければならない。その地図の中にはもう一人の私が立っていて、その前には次の実寸大の地図が広がっていなければならないというわけだが、このプロセスが無限であるかのように錯覚してしまうのは、すべての私と実寸大の地図を俯瞰して観測することができるはずだという素朴な直観に原因がある。現実世界同様、地図に住まう私の知覚にも際限はあるということだ。目に見えず、触れることができない地図を捉えることはできない。そう、たとえば次の地図は目に見えない高次元空間に広がっているのかもしれない(その次元上において《実寸大》という言葉がなにを意味するのか検討の余地があるにせよ)。また次の地図は、巧みに座標変換されており、私が立っている大地のいたる所にそうとは気づかれぬよう、異なる幾何学と計量に則って配置・参照されているのかもしれない。このように、いかなる手段によってか不明なものの、次の縮尺一分の一の地図は何者かによって巧妙に隠蔽されているかもしれないのだ。次の地図は暴かれるのを待っており、ひとたび暴かれれば次の地図へと進むことができる。しかしその歩みは遅遅として進まない。こうして遅延された歩みが無限へと追いつくことはできず、このような形で縮尺一分の一の地図は実現するのである。▼縮尺一分の一の地図とは、それが実現するかぎりにおいて、閲覧者が滞在し掌握できる範囲の地図の連なりである。閲覧者が掌握できる範囲は閲覧者の移動にともなってたえず変化し続けるから、縮尺一分の一の地図とは、オブジェクトというより現象に近いといえる。こうした形で縮尺一分の一の地図が完成したとき、閲覧者にとって現実とは地図の中である。このとき閲覧者は地図に住んでいるのであり、この瞬間において現実はその地位を地図に譲ることになるだろう。▼それで、私はなぜこんな文章を綴っているかというと……そう、これは作中作についての話だった。では転じて、作の地位を奪うほどの作中作を作るには、そのような現象を起こすには、私はこの場所でいったい何をなせばよいのだろうか……》
- 書斎の机にのっているものは以上ですべてだが、机の左側面から鞄掛けと思われるスチール製の突起が伸びており、そこにダークグレイの無骨なヘッドマウントディスプレイがぶら下がっている。ディスプレイの光輝がヘッドセット自身を照らし、机の脚に影を落としている。ヘッドセットを被り、後頭部のバンドから伸びる電脳コネクタをうなじに接続する。視界に光が満ちる。
- 杳とした水平線の元、波の砕ける音が反復する。薄暮あるいは払暁の柔らかい色相に反し、見渡すかぎりの海原は青白くうねっている。陸の歩道側から斜面になるように敷き詰められた護岸ブロックと、揺らめく海水を五メートルほど挟んで整列するテトラポッドとが二本の線となり、視界の両端で暗色にとけ合うまで伸びている。波の音と、背後の山に跳ね返ってきた過去の波の音のほかには何も聞こえない。月も陽も見当たらず、鴎一羽飛んでいない。この視界それ自身の寄る辺なさが冷たい石のようになって沈黙している。護岸ブロックの際に立つと、干潮の波打ち際のすぐ下に、コンブ、アオサ、フノリ、ナミノハナなどの海藻がうぞりうぞりと蠢いている。かすかに湿気を含んだ夏の風が山から海へくだって凪へ向かいつつあり、今が日の出前だとわかる。足元の護岸ブロック、波通しの穴に目をこらすといくつかの黒い点が貼りつき、白昼の騒々しさの予感を秘めている。浅瀬に積み上げられたテトラポッドの一脚が、こちらの護岸ブロックから手が届くほどの距離に転げている。それに足をかけて登り、テトラポッドの列上を転々と進む。足を乗せるコンクリート面は鴎の糞による白い点描で埋め尽くされている。打ちつけられた波が弾け、潮の粒が朝霧のようにまとわりつくが、その中には時おり冷たい粒子が入り混じっている。夏の雪はそのようにして海岸を舞い、水平線が白みゆく時間とともに、凪の無風が訪れる。すると白い点、黒い点、潮の粒、雪の粒、あらゆる点が異なる幾何学と計量に基づく座標へと変換されはじめる。展開図が切り抜かれ、組み立てられていくように、それまで何のつながりもなかった空間上の点と点とが結びつき、折り畳まれていく。やがてクロス張りの白い壁、ごく薄いグレイの床、薄らと埃が積もった白い巾木が組み上がり、視界は六畳ほどの一室の中に収められる。ウッドブラインドが閉じられた薄暗い寝室である。窓に頭を接するよう配置されたセミダブルサイズのベッドには青い麻のシーツ、クリーム色の枕、ヘッドボード上にアロマオイルの小瓶があり、ラベルにはレモングラスとある。ベッド脇のサイドテーブルには何冊かの漫画、デザイナーズホテルのカタログ、コルクのコースターと、白い壁に向けて設置された映写機が置かれている。映写機の上には白い流線形のヘッドセットが置かれているが、それにインタラクトすることはできない。ベッドの足側に入口となるドアがある。壁には何ひとつ掲示されておらず、映写機がモノクロの映像を映し出しているのみだ。
- 映像は黒い空の下、白く輝く砂漠を右方向へゆっくりと回転しながら撮影されている。三六〇度見渡す限り平坦で山はなく、しかし数メートルから数十メートル程度と見られる凸凹とした窪みがいたるところに散見される。映写機内のスピーカーから女の声が語りかけてくる「この月面図は平射図法でも、メルカトル図法でも、ハンメル図法でも、正距円筒図法によるものでもありません。この月面図は実寸大の月面図であり、球面幾何学にしたがって書かれています。球面を平面で描こうとしたものではありませんから、大域的に不自然に平行・直行する緯線と経線は書かれていません。またこの地図は鉛直座標を表現しますから、等高線は必要ありません。見てお分かりのとおり、この地図には記号というものが書かれていません。土台、地図とは記号論的装置でありますが、実寸大の地図においては地図上の各点が実地の各点と明らかに一致していることが見てわかるのであって、記号による省略と一般化は不要なのです。氷の海、雨の海、虹の入江、嵐の大洋……そのように名づけることさえ、ここではなんの意味も持ちえません」映像がゆっくりとズームインし、ただ暗黒の面と思われた空に等間隔に光を反射する構造体が見え始める。その骨組みは球殻をなしているように見える。この作りかけの球殻が完成するとき、映像の主が立つこの土地は新しい表面によって隠蔽されることになる。あるいはこの土地の内側にも、また別の土地が隠匿されているのかもしれない。この地図は何層にも積み重なった土地の総体としてあるのかもしれない。ふたたび女の声が語りかけてくる「そもそも縮尺という概念は、地図上に表現される土地の単位空間あたりの情報量によって一般化され、厳密に縮尺一分の一を実現しようとすると、単位空間あたりの情報量が発散してしまいます。このため、今日知られている世界五大実寸大地図は、いずれも閲覧者によって観測可能な情報量に限って縮尺を定義しています。この縮尺の定義から外れた観測不能領域は、近年、地図生まれのネイティブたちから《不確定性原理領域》と呼ばれ、熱心な研究あるいは信仰の対象となっています」映像の向きが変わって真下の地面を映すと、そこには開閉式のハッチがある。ハッチが開いて梯子を降りると、目の前にエレベータの扉がある。エレベータに入るとひとりでに扉が閉じ、降下しはじめたことをパネルが示す。二分ほどが経過し、エレベータが停止する。開いた扉の先にはまた六畳ほどの広さの寝室がある。映像の中の寝室は、今まさに映像が投影されているこの部屋とまったく同じ寝室であるように見える。ふたたび女の声が語りかけてくる「このように、内層の地図を覆うように新しく外側の地図が書かれたとき、覆い隠された側の地図は消去されたのかというと、そうではありません。地図には制作者がおり、彼は内層の地図を記憶しているのであって、必ずその像に引きずられるからです。主体的な行為としての忘却は成立しません。すべての記憶とは、存在そのものです。次の地図を隠蔽しようとする者は、客観的に地図を表現することを求めながら、主観においては必然的にこの像を消すという二点の弁証法に立ち向かわねばならないのです」すると映像に女の手が映り込み、その人差し指と親指は火花を散らして揺れるマッチの柄をつまんでいる「そしてそれは不可能なのです。そのような隠蔽には失敗が運命づけられています。実寸大の地図は、やがて必ず無限へと導かれ、破綻するのです。いまからそれが証明されます」マッチの火が床に落ちる。
- 映写機が映し出す画面の輝度が増してゆき、コントラストを失い白く溶け合っていく。すぐに焦げ臭い匂いが鼻をつく。寝室の内側から鍵を開け、ドアを開く。
- 廊下に出て右手側に玄関、左手の突き当たりはリビングにつながっている。カウンターキッチンの前にリビングスペースと大きな掃き出し窓、その左手側にある書斎の仕切り戸の隙間から煙が出ている。戸を開けようと手をかけた瞬間、強烈な熱がうなじを焼く。
- わたしの声が聞こえますか? ……どうやらあなたも、まだ諦めきれないようですね。もうお気づきのことと思います。すべてを記した地図とは、結局のところ、なにも記されていない地図のことです。このような地図を見れば、閲覧者はたえず雪崩のように襲う細部の奔流に飲み込まれ、彼の見る地図はまさしく白紙となるでしょう。地図とは省略することによって、つまり、書かないことによって書かれています。実寸大の地図など、現実世界と同様、使えない情報の無秩序な集合体にすぎないのです。いま、あなたが見ているその地図、わたしが立っているこの場所は、まぎれもなく白紙です。見つけなければなりません。出口を。
- たまらずヘッドセットを脱ぎ捨てると、ヘッドセットの自重でうなじから勢いよく電脳コネクタが脱落する。コネクタ挿入口に力が加わったことによる皮膚への痛みが残る。床に転がったヘッドセットから黒い煙とプラスチックが燃えるにおいが噴出する。ヘッドセットの接続元端末から単調なビープ音が響いている。書斎の仕切り戸は、ここでは冷たいままだ。リビングを通って廊下へ戻り、先ほど鍵がかかっていた部屋のドアに手をかけると、鍵は開いている。次の地図の記憶から、このドアは寝室につながっていることがわかっている。
- 踏み出した足がバスの乗車口の階段を上り、視界は後部座席に収まる。「発車します」と運転手のアナウンスが聞こえる。東海バス修善寺行きの便が湯ヶ島停留所を通過しつつある。進行方向右側に狩野川の早瀬が見える。川岸に一〇メートル程度の等間隔で並び立つ鮎釣り師たちが、身の丈の五倍ほどの長竿を操っている。胸元まで渓流に浸かり、腰に朱い魚籠を下げている。川の流れに並行する幾本もの長竿がわずかな弧を描き、局所的な球面座標を形作っている。リアガラスの向こう、遠くバスがやって来た方角に一本の黒い煙が立ち上っている。その一柱は、次の地図がこの地図を食い破ろうとしている証だと知れる「次は出口、出口。出口でお降りの方はお知らせください」女性の機械音声が響く。東海バス出口停留所、その名称は、人をここで降りねばならぬという気にさせる「出口に止まります」と運転手の肉声。停車と同時に前方降車口へと向かう。手首の電子チップで運賃を支払い、出口へと降りる。
目の前に、もうすぐ絶滅するという紙の書物が開かれている。両手にマット紙による表紙と裏表紙の手触りを感じる。ごく薄いクリーム色の紙面に並ぶ文字列には、どこかで見聞きした覚えがある。そこから一枚ページめくると、このようにある。
《一般的なトラブルシューティング》
紙面の表示がぼやけています。どうすればいいですか?
- 本書の保護フィルムがはがれているか確認してください。
- 紙面が汚れていないか確認してください。紙面を拭く時には、同梱されているクリーニングクロスを使用してください。
- 適切な読書姿勢をとっているか確認してください。あごを引き、首をあまり前に倒さず、椅子に深く座って骨盤をしっかりと起こし、背骨のS字カーブを保つような姿勢が理想です。膝の角度は約九〇度に保ってください。また、読書に使用する椅子は、高さが調整でき、肘掛けがあり、背もたれが高く、座部は適度に固い材質のクッション性がある椅子が理想です。
- 以上を試しても問題が解決しない場合は、最寄りの眼科へお越しください。
紙面上の文字が流出したり、白紙になったりします。どうすればいいですか?
- 最寄りの眼科へお越しください。
「ページが見つかりません」というエラーを解決するには、どうすればいいですか?
- 一度本書を閉じてください。本書の表紙タイトルが、いま自分が読んでいると認識している本のタイトルと一致していることを確認してください。
- 問題が解決しない場合は、入眠し十分な睡眠を取ってください。
本書から割れるような音がする場合はどうすればいいですか?
- 最寄りの耳鼻科へお越しください。
本書から黒い煙が発生しました。どうすればいいですか?
- お近くの非常用出口へお急ぎください。
> 冒頭のエピグラフは以下の版に基づく。
> J.L.ボルヘス(中村健二 訳)『汚辱の世界史』(岩波書店、第一刷)
> 文中の董啓章『地図集』からの引用箇所は以下の版に基づく。
> 董啓章(藤井 省三, 中島 京子 訳)『地図集』(河出書房新社、初版)
執筆の狙い
静物描写だけの小説を書きたくて、書けなかったやつです。