花まつりにはピニャータケーキを
またこの季節がやってきたかと宝雲寺住職、桜庭清悟はクリスマスシーズンに賑う街を歩きながらため息をもらす。あちこちから流れてくる陽気なクリスマスソング、店頭を彩る煌びやかなイルミネーションは人々を明るく照らす一方で、清悟の心に深く暗い影を落とす。
「どうしてうちにはサンタさんがこないの?」
幼い時、父に何度も尋ねた。お寺には煙突がないからだとか、サンタは土足で上がれないからだとか、忙しいサンタには手水で手を清め、口をすすいでから仏さまたちに挨拶をしているなんて暇がないからだとか、その都度苦し紛れの言い訳を並べられるだけだった。
「そんなのどこのうちでも同じじゃん」
父の困った顔が今でも思い浮かぶ。あの頃の私は他所の家庭のようにクリスマスを祝えない環境を呪ったものだ。だが、一人娘を持つ父である今の私には、あの頃の父の苦悩が痛いほど分かる。
「お父さん! 見て! トナカイさん!」
結菜《ゆいな》の指差す方を見ると、店先で着ぐるみのトナカイとサンタクロースの扮装をした店員たちがビラ配りをしていた。
結菜が当時の私と同じことを考えるのは当然の成り行きだと言える。友達がクリスマスツリーの飾り付けをしているだとか、プレゼントに何を貰っただとか、学校でそんな話を聞いてくると悲しそうな瞳であの日の私と同じ言葉をつぶやく。
いや、結菜の場合は私よりも深刻だ。物心もつかないうちに母を亡くし、その愛情を知らずに育ったのだから。天はなぜ、この子にかような試練をお与えになったのだろうか。
「お父さん痛いよ」
「ああ、ごめん」
繋ぐ手に思わず力が入ってしまった。手を解くと結菜はトナカイ目掛けて一目散に駆けだした。
「こんにちは!」明るく元気に挨拶する結菜にトナカイはポケットティッシュを手渡す。
「ありがとう!」
結菜はトナカイとサンタに手を振り、ティッシュを大事そうにポケットにしまうと、小走りでこちらに向かってくる。
世の人々を苦しみから救う教えを説きながら、悲しみの淵に佇む我が子一人をどうすることもできない。これも私に与えられた試練なのだろうか、御仏は進むべき道を照らしてはくれぬ。力無き私は情けなさを噛み締めながら、ただただこの季節が早く過ぎてくれないかと日々を過ごすだけだ。
「お母さん、今日のごはん何ー?」
結菜はそのままの勢いで隣に立つ紗月にしがみつく。私ではないところに複雑な想いがあるが、その光景に自然と笑みが溢れる。結菜に笑顔が戻ったのは全て紗月のおかげだ。まるで自らの腹を痛めて産んだ我が子のように結菜を愛でてくれる。
「今日は結菜ちゃんの好きなカレーよ」
紗月はしゃがんで結菜の目線に合わせると優しく頭を撫でる。
「やったー! 早く帰ろ!」はしゃぐ結菜は紗月の手をとりせかす。
「よーし、おうちまで競争よ!
「こら、紗月、結菜! あんまり急ぐと転ぶぞ!」
「大丈夫大丈夫、お父さんのんびりしてると置いてっちゃうよ」
全く困ったものだと思いつつも私は二人を追いかけた。
そしてとうとう今年もクリスマスがやってきた。私にとってはX’masではなく、Xデーと言った方が通りがいい。結菜のためにできる心ばかりのことと言えば、フライドチキンのパーティパックを用意することだけだ。たまたま今日の夕食がフライドチキンになっただけなんだ、そもそもクリスチャンならチキンではなく七面鳥であって、決してクリスマスを意識したものではないと白々しい嘘で湧き上がる背徳心を塗りつぶす。
「おいしー!」
結菜といえば、両親と過ごす断じてキリストの生誕を祝うものではない、クリスマス風の夕食にご満悦の様子だ。果たしてこんな姑息な手段もいつまで通用することやら。
「お父さん! 結菜サンタさんこなくても平気だよ。 だってお母さんを貰えたんだもん!」
紗月は結菜だけでなく私の立場も十分に理解してくれている。出来うる限りの愛情を注いでくれる彼女には感謝しかない。
「お母さんも結菜ちゃんが貰えて幸せよ」と紗月が微笑む。
すまない結菜、高校生にでもなれば、お前にもきっと素敵な巡り合わせがあるだろう。
「ほらほら結菜ちゃん、慌てて食べるから口もと汚れてるわよ」紗月が優しく結菜の口をナプキンで拭く。
そのいつか現れるであろう相手には私が埋めることの出来なかった隙間を埋めて欲しいと切に願うばかりだ。いや待て、よく考えたら高校はまだ早いよな、大学生まで待ってくれ。
今年のクリスマスは紗月のおかげもあって、穏やかに過ぎていった。
はずだった。
「清悟さん、ちょっと」
「何だい?」
紗月の神妙な面持ちにただならぬものを感じた私は、思わず姿勢を正した。
「これを結菜ちゃんの部屋で見つけて……」
そう言って紗月が差し出したのは、あの日のポケットティッシュ。紗月の言わんとすることが分かった。
「結菜はこれをクリスマスプレゼントとして大事にとっていたのか」
携帯料金プランの広告が入った何の変哲もないただのポケットティッシュ。結菜が喜ぶようなものではない。こんなものをプレゼントに見立てて自分を慰めていたのかと知り、健気な結菜を想うと胸が締め付けられた。
「私はそれだけじゃないと思うんです。覚えてますか? あの時結菜ちゃんは『トナカイさん!』って言ったんです。サンタさんじゃなく」
確かにそうだ。ポケットティッシュもトナカイから受け取っていた。サンタクロースには手を振っただけだ。
「きっと結菜ちゃんはクリスマスを祝っちゃいけないんだと、それでサンタさんを避けたんじゃないかって」
結菜は私たちを困らせないよう、クリスマスに興味を持たない素振りをしていたんだ。年端もいかぬ子供が自分の気持ちを押し殺してまで私を気遣ってくれていた。
「結菜……」
それに引き換え、私はどうだ? 結菜に何をした? 宗派が違うからと綺麗事を並べて、ただ結菜を傷つけただけじゃないか。御仏の教えを守ることが私の務めだ。時に辛いことがあるのは承知している。だがこれ以上結菜を苦しめてまで守るべき道など、そんなものに一体何の価値があるというのか!
「清悟さん」
私の心中を察したように、紗月は首を横に振った。
「結菜ちゃんのことは私に任せてもらえませんか? 清悟さんは住職の務めに専念してください。私は清悟さんも結菜ちゃんも幸せにしてみせます」
何をするつもりかという言葉を私は飲み込んだ。普段物静かだが、紗月は真の強い女性だ。よほどの考えがあるのだろう。気にはなったが私は彼女の言葉を信じようと思った。
年末年始の忙しさが落ち着き、気づけば3月も下旬にさしかかる。私は綻びそうな庭園の桜の木を眺めながら、ふとあの時の紗月の言葉を思い出す。幸いなことに、紗月と結菜の仲は変わらず良好である。本当の親子だといって疑うものなどいないであろう睦まじさだ。
果たして紗月は一体何をするつもりなのか。
「気の早い話だ」今からクリスマスのことを考えるのは詮無きことだと私は頭を振る。
「清悟さん、どうしたんです?」
考えごとをしていて紗月が近くにいることに気づかなかった私はビクッと体を震わせた。
「ごめんなさい、驚かせちゃいましたか?」
「いや、灌仏会《かんぶつえ》の準備について考えていたとこだよ」私は咄嗟に誤魔化した。
「ちょうどよかった、来月の花まつりのことですよね? 私、そのことでお話しようかなって」
花まつりの愛称で親しまれる灌仏会とはお釈迦さまの誕生日を祝うものだ。毎年御花堂で花を飾り、お釈迦さまの像に甘茶をかける慣わし。子供の無病息災を願うものでもある。
「私そこで結菜ちゃんを楽しませたいんです」
熱心に語る紗月の計画を聞いて私は心が躍った。私には思いもしなかった発想。なるほどそのような方法があったのかと舌を巻いた。紗月にはよろしく頼みますとお願いしたが、胸中は複雑である。私がどうすることもできなかった問題を紗月が解決しようとしている。父親としての立つ瀬ががない。そんな気持ちになった。だが、そんな問題は些末なこと。大事なのは結菜が喜んでくれるかどうか。それだけだ。
「来月の8日にねお釈迦さまのクリスマスがあるんだけど、結菜ちゃんもやってみたい?」
「お釈迦さまにもクリスマスがあるの?」
結菜は途端に目を輝かせ無邪気にその場で飛び跳ねる。結菜の興味を引く手練手管《しゅれんてくだ》は紗月の方が私より一日の長があるようだ。
「そうよ、お釈迦さまが生まれた日をお祝いするの。お友達も連れてきなさい」
「いいの? 結菜もお手伝いするー!」
「助かるわ。それじゃ、お父さんと一緒にお花の飾り付けをしてもらえるかしら?」
「うん!」
紗月はすっかり結菜を手懐けた。御花堂をクリスマスさながらに飾り立てるわけにはいかないが、お釈迦さまの像を花々で囲むのは、結菜の目にはクリスマスツリーの飾り付けのように映ったのだろう。楽しそうな結菜に私の気持ちまでうきうきする。
庭園の桜が満開となった今年の花まつり。果たして紗月のしかけは功を奏するのだろうか。
いかに食事会といえど仏教の行事、ただのお説教になってしまっては意味がない。期待と不安が入り混じるなか、結菜が友達を引き連れ帰ってきた。いよいよだ。
「いいかいみんな? お釈迦さまに甘茶をかけるんだ。これはお釈迦様が産まれた時に、空から九頭の龍が降りてきて甘露の雨を注いだという言い伝えを表しているんだ」
子供たちには退屈な話ではないかと私には一抹の不安があったが、杞憂であったようで皆楽しそうに甘茶をかけている。
「さぁ、結菜ちゃん。食事を運ぶのを手伝って」
「はーい」
結菜は普段から紗月のいうことをよく聞いてくれるが、とりわけ今日はパーティの主催者というある種の責任感からか、動きの切れが2割り増しだ。紗月が子供たちのために腕によりをかけて作った料理の数々は、本来花まつりで供される精進料理とは趣が異なる……というか、全く異なる。
「子供たちの無病息災を願うお祭りです。お釈迦さまが怒るはずがありません」それが紗月の主張だった。
厳格な教えのもと育った私には、紗月の言うことを心から納得していたわけではないのだが友達に囲まれて楽しそうに食事をする結菜を見ていると、いかに私の信じていた正しさが矮小なものであったかを思い知らされる。彼らの笑顔が私の心を包んでいた頑なな考えを絆《ほだ》していく。
「みんなもうごはんは食べたかな? それじゃあ、最後はピニャータケーキよ」紗月がお盆でケーキを運んできた。ピニャータケーキ? なんだろう? それについては私は何も聞いていない。
「結菜ちゃん、みんなに切り分けてあげて」
「任せて!」結菜は意気揚々とナイフを入れる。ケーキに触れる刃先に皆の視線が集まる。
バラバラッ
中から溢れだす色とりどりのキャンディやチョコレート、小さなおもちゃに子供たちは大はしゃぎだ。
「え? すごーい!」
「メキシコにピニャータっていうお祭りがあってね、お菓子やおもちゃを入れたくす玉を叩き破るの」紗月が子供たちに説明をはじめた。
メキシコといってもマルコポーロの『東方見聞録』によると中国がルーツだという。その説明は仏教に大きく外れたものではないのだという私への配慮に思えた。
ピニャータケーキはその遊び心を取り入れたケーキだ。紗月によると特大バームクーヘンを用意して中にお菓子やおもちゃを詰め込む。大きさが足りなければ八等分し間隔をあけて隙間を生クリームで埋める。あとはチョコレートか何かで蓋をして周りも生クリームでコーティングするだけのお手軽ケーキ。
「紅茶をどうぞ。砂糖の入った甘ーいお茶よ」イタズラっぽい視線を私に投げかけ、紗月が紅茶を配る。分かってるよ、甘茶だと言いたいんだろ。
子供たちは嬉しそうにケーキを頬張る。その中心に結菜がいる。紗月がクリスマスの呪縛を破ってくれたんだ。これで私の不安も消えた。ありがとう紗月。
「お父さん、お母さん、ありがとう。結菜はお寺の子だもん。クリスマスより花まつり!」友達を見送りながら結菜が嬉しそうに言う。
友達の男の子が振り返って結菜に手を振る。
「バイバイ、祐真くん! また明日ね」
あれは、結菜の隣に座っていた男の子だよな。友達、ただの友達だよな? 新たな不安の種が私の胸に芽吹く。これもお釈迦さまが私に与えた試練なのだろうか。
その後、家内からお寺の一角を改装してカフェにしたらどうかと提案されたんです。その時、私にはまだ躊躇いがありました。花まつりの一件でいくらか寛容になったつもりではいましたが、いくらなんでもお寺にカフェはやり過ぎではないかと。いつもは控えめな家内なんですが、こうと決めたらもう私の手に負えません。
最後は「お寺は人が集まる場所、私は宝雲寺の魅力を多くの人に知ってもらいたいんです。それが広く仏教を親しんでもらうきっかけになるんじゃないですか?」と押し切られまして。返す言葉がありませんでした。いやはやお恥ずかしい。それでこのお寺カフェ『和結《わゆい》』を開店するに至りました。店名は娘結菜が和やかに暮らせることを願ったものなんですが、人とひとを結ぶ、和やかな空間であってほしいという願いもこめられています。畳に座布団、障子からさす柔らかな光、ほのかなお香のかおりが若い女性にも好評です。私には日常のありふれたものなんですが、何が受けるか分からないものですね。
ピニャータケーキですか? 申し訳ありません。そちらは花まつり前一週間のみの期間限定メニューとなっております。おかげさまで毎年多くのお客様からご注文を頂いておりまして、予約のみのご提供となっております。
桜の咲く頃、またのご来店をお待ちしております。
執筆の狙い
GOAT2で16本(実質14本)書いて全て予選落ちしたぷりもです。ご機嫌よう。
供養がてらここに置いておこう。そうしよう。